保土ケ谷区のご紹介

 保土ケ谷区は横浜市内の中央部に位置し、人口20万人(9万世帯)が居住する関東ローム層の南東端の起伏に富んだ街です。大正、昭和前期は工業の街でしたが、横浜大空襲によりほとんどの工場が焼失し、住宅地として再生しました。昭和2年、保土ケ谷町と西谷町が横浜市に編入され、同年の区制制定に伴い、保土ケ谷区が誕生します。保土ケ谷の「ケ」は小文字ではなく大文字が正しい区名です。

 保土ケ谷区の交通機関としましては明治20年に開業した程ヶ谷駅の東海道線、昭和8年に開通した神中鉄道(現在の相模鉄道)があり、区民の足となっています。道路としては国道1号線、国道16号線、横浜市内環状2号の他、昭和34年開通の横浜新道、昭和49年開通の保土ヶ谷バイパス、横浜横須賀道路、首都高速狩場線が区民に便を供しております。特に狩場ICは前記の3高速道路に直結し、更には横浜新道、横浜市内環状2号、東名高速道路、国道16号にも繋がる利便性の高いインタ−です。

 保土ケ谷に関連する地名が初めて文献に見られるのは平安時代中期(930年代)に作られたとされる分類辞典「和名抄」の中で久良郡星川郷の郷名が見られます。更に1559年の小田原北条家の所領記録の中に星川、保土ケ谷、今井などの地名が見られます。そして1601年の東海道宿駅制度により保土ケ谷宿が設けられ、本陣や問屋場が建築されて宿場町として発展していきます。その証が1831年の葛飾北斎の富嶽三十六景の「境木」、1834年の安藤広重の東海道五十三次「椎子橋」などです。明治に入ると鉄道の発達と共に宿場町の機能は失われますが、農業が発展します、特に江戸末期に甲州より伝えられたジャガイモは保土ケ谷で改良を重ね、種芋の「保土ケ谷イモ」となり全国へ出荷されるようになりました。更にはジャガイモを加工した商品、片栗粉の生産地にもなります。大正時代に入ると西谷浄水場が竣工し、横浜市内に上水を供給すると共に横浜港に隣接した便利な土地として大手企業の工場が建設され始め、保土ケ谷区は農業地から工業地へと変化しました。その工業地も昭和20年5月の横浜大空襲により壊滅しました。戦後の復興は京浜工業地帯への勤務者の居住地区として進み、昭和34年には明神台団地が完成。更に多くの団地と宅地が造成されて、今日に至ります。

 

 保土ヶ谷区の見所としましては保土ヶ谷球場・テニスコート・その他の設備が併設された桜の美しい神奈川県立保土ヶ谷公園があります。共同事業体が管理する常盤公園もスポーツ施設が充実しております。池や竹林など自然が多い新井町公園、自然の渓谷が息づく陣ヶ下峡谷公園も魅力です。その他には境木地蔵尊とその前に建てられた武相国境モニュメント(武蔵国と相模国の境界)や今井地下調節池(内径10.8m×2,000m)、昭和49年に南区より移転した横浜国立大学キャンパス、横浜カントリークラブなどがあります。

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