磯子区のご紹介

 磯子区は横浜市内の東南部に位置し、根岸湾に面する人口16万人(7万世帯)が居住する、海岸部分の平地とそれを囲む緑の丘陵地の街です。平地部分の石油コンビナートを中心とした工業地帯と丘陵部分のベットタウンにより構成されております。磯子区は昭和2年の横浜市区制制定に伴い、誕生しました。また、磯子区の命名は中心部に所在した磯子村を基にされたと言われます。

 交通機関としましては昭和5年開通の湘南電気鉄道(現在の京浜急行)と昭和39年開通のJR根岸線があり、区民の足となっています。道路としては高速道路として首都高速道路湾岸線、一般道としては大正13年開通の国道16号線、横浜市内環状2号、横浜市内環状3号が交通路となっております。

 磯子区では三殿台遺跡から縄文時代の竪穴式住居や弥生式時代の住居が出土しており、古くから半農半漁の村落が営まれていたと考えられます。江戸時代には杉田村の杉田一族から杉田玄白が輩出しております。間宮林蔵もこの地の出身です。磯子区は古くは丘陵部が海岸にせり出した風光明媚な漁村でしたが、明治・大正・昭和と埋め立てが行われ、現在の海岸部分の平地ができ上がりました。明治・大正時代は小型底引き網漁が盛んとなり、カレイ、イカ、アナゴなどが横浜に出荷され、海苔の養殖も始まりました。また、横浜開港により居住した外国人向けとして西洋野菜や生花(ゆり、フリージア、バラ、カーネーション等)が栽培されるようにもなります。昭和15年には鮮やかな紅色をしたカーネーションの新種、「コーラル」が磯子で開発されました。しかしながら昭和に入ると、磯子区には軍事目的の施設が目立つようになります。昭和16年には杉田町地先に軍が埋め立てを行い、飛行場が開場します。そして敗戦となり、磯子区内の多く土地が駐留米軍に接収され、その状態が昭和30年前後まで続きました。根岸にあった小型飛行場は昭和33年まで米軍管理下でした。米軍による接収解除後は丘陵部の土を海岸部分の埋め立てに使用し、平地部分を大きく広げると共に平らにされた丘陵地域を造成して最新式の磯子団地(現在の汐見台団地)を建設しました。その後、磯子区は横浜市民のベッドタウンとして急激に人口が増大していきます。現在でも磯子区民の60%は出生地が横浜市内です。

 

 磯子区の見所としましては根岸湾に面することから磯子の海の見える公園や海釣り施設、流れるプールのを持つ横浜プールセンター、馬との交流が楽しめる根岸森林公園、1400年の歴史を持つとされる根岸八幡神社、そして昭和35年開場したゴルフ場の磯子カンツリークラブがございます。

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