瀬谷区のご紹介

 瀬谷区は横浜市内の西端に位置し、人口12万人(5万世帯)が居住する農業と宅地、そして米軍通信隊の街です。瀬谷区には南北に5本の川が流れ、その肥沃な農地を基に米と布を産する街ですが、第二次世界大戦終戦後から2015年6月30日まで区の土地の15%を米軍に接収され、極東アジアの通信基地として使用されておりました。瀬谷区は昭和44年、戸塚区の一部が分区されて誕生しました。瀬谷区の地名は古くより使用されていた瀬谷村から命名されました。瀬谷の語源は狭谷(せや)で狭い川瀬の小谷のある地が由来と言われております(世野との説も有ります)。

 瀬谷区の交通機関としましては大正15年開通の神中鉄道(現在の相模鉄道)が区民の足となっています。道路としましては国道246号線、国道16号線、横浜市内環状4号線が区民の方々へ便を供しております。また区内では有りませんが、東名高速道路横浜町田ICにも隣接しております。

 瀬谷区の歴史は古く、2万年前の旧石器時代の遺跡が2ケ所、縄文時代の遺跡が50ケ所、弥生時代の遺跡が9ケ所、古墳時代の遺跡が25ケ所、区内で発掘されており、出土品の一部は東京国立博物館にも収められています。鎌倉時代には鎌倉街道の追分として上瀬谷、中瀬谷、下瀬谷で構成されておりました。江戸時代には中原街道が通り、問屋場が設けられ、将軍家のお鷹場も有りました。明治初めには瀬谷村、宮沢村、阿久和村、二ツ橋村がありましたが、明治34年の町村合併により鎌倉郡瀬谷村と鎌倉郡中川村となります。この2村が昭和14年、横浜市戸塚区に編入されます。そして昭和44年に分区され、現在の瀬谷区に至ります。瀬谷地区では明治中期から昭和30年頃まで養蚕が盛んで、養蚕農家の為の金融機関として瀬谷銀行(後に鎌倉銀行に吸収)も設立されております。

 

 瀬谷区の見所としましては桜並木として通信基地内の海軍道路、三ツ境駅前の野境道路、和泉川土手などがございます。古跡としては鎌倉時代に鋳造されたとされる鐘を持つ妙光寺、968年に創建されたとされる熊野神社があります。そして瀬谷の風土や農村生活を体験出来る場所として長屋門公園、瀬谷の自然に親しむ瀬谷市民の森等があります。

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