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鎌倉、室町時代の葬儀
2013年2月2日
これまで太古の時代からの日本における葬儀の歴史を述べて参りました。今日は、鎌倉、室町時代の葬送儀礼について、となります。
現在の葬儀原型は鎌倉、室町時代に出来上がったというのが定説です。それと共に貴族、上級武士だけではなく一般民衆にも葬儀の習慣が少しずつ浸透し始めました。
それまで民衆の遺体は川原や野原などに放置されて居りました。時にはそれが余りに酷い為 鎌倉幕府は遺体をむやみに放置せぬ様 通達を出しております。

そして浄土宗 開祖 法然、浄土真宗 親鸞 などが親孝行の実遷のひとつとして葬儀を行うよう推奨しました。さらに葬儀の型式は何故か自己修養が主体である禅宗により整えられ その型式が 各宗共通の型式となり全国へ普及していきます。
インド仏教の葬儀は簡単な儀礼のみでしたが中国に伝わり道教の中で形が整えられ 日本に伝来し禅宗の中により多くの知識が蓄積されていました。
鎌倉、室町時代は兵農一体の時代であり 織田信長の兵農分離まで 農民は日々田畑を耕すとともに 領主の意向に応じて戦に出る生活でした。従いまして一般民衆にとって 死は身近な存在でありました。
鎌倉幕府による遺体放置禁止令 また浄土宗、真言宗、浄土 真宗、日蓮宗などの布教活動のもと 埋葬の習慣が少しずつ定着していきます。もちろん費用の掛かる火葬などは出来ませんが 墓地にて僧侶による簡単な葬礼の後土葬されました。
死は忌むべきもので有りますが 身近な問題でもあり 墓地は所有する土地の中の家から一番離れた場所 例えば田畑の片隅 もしくは村落の共同墓地などが使われました。
葬礼型式も 各宗派ごとに決まりは有りますが 地域の文化と融合し 地域独特の葬礼型式が出来始めるのはこの時代からです。
今回の最後に 仏教に於ける葬送儀礼の目的は 死者が西方浄土に行けるよう 僧侶となる為のお手伝いであります。
禅宗に於ける基本型は 死後 西方浄土に至る手引きとして 寺の西方に無常堂を立て お堂の中に金の阿弥陀像を安置し 仏像の左手に五色の幡を持たせ 幡の端を病者が握り 25名の同志は死に行く者の成仏を願って念仏を繰り返し唱える。
死んだ後 同志は七日ごとに 集まって念仏を唱える、それを7回繰り返して(7X7=49)死亡直後の儀礼を終了とする。
1年後に御はての業(わざ)と名付けて供養し喪服を平服に改める。
これで葬送儀礼の終了となります。
今回は以上です、次回は引き続き鎌倉、室町時代の貴族、武士の葬儀次第をとりあげる予定をしております。