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明治から戦前までの葬儀の変化

2013年2月6日

 今回は、明治から戦前までの葬儀の変化に付き列挙させて頂きます。

 1.まずは喪服ですが江戸時代までの白から黒に変わります。

 これは明治初期に近代化推進の為 英、独、仏の文化 習慣を急速に取り入れた際 喪服も黒に変化したのです。

 それに対して アジアに於ける仏教国では 現在でも喪服は白が使われて居ります。

 2.葬祭は従来 夜 しめやかに行われて居りましたが 昼間の葬祭に変わりました。

明治の銀座通り.jpeg

 またこれ以降 葬列は社交上 あるいは富を誇示する目的で より長く、より華やかなものとなって行きます。中には人足数万人を使った葬列もあった様です。

 ちなみに 明治18年の岩崎弥太郎の葬列、埋葬式への会葬者は3万人、雇れた人員は7万人といわれております。

 しかしこの流行も軍備増強の為の奢侈禁止、貧富の差に対する民衆からの批判、電車 自動車の発達に伴う交通事情の変化により 明治30年頃をピークとして 衰退してゆきました。

 3.葬列の縮小に変わり 告別式がより大きな形となります。

 従来はごく親しい方のみの参加でしたが 多くの友人 知人を呼ぶ様になります。

 日本で最初の告別式は 明治34年の思想家 中江兆民の葬儀と言われております。中江兆民は無宗教でしたので「宗教的儀式を用いず、告別式を執行する」との新聞広告をだして執り行いました。 

 4.祭壇もより大型化し それを飾る祭具も多様化していきます。

 棺は葬列との兼ね合いから従来の座棺から寝棺へと変化しいろいろな飾り付けがされて行きます。但し一般庶民の間では戦前まで座棺が主流でした。

 葬具屋としては江戸時代 棺桶を作る職人が存在して居りましたが 棺、葬列、告別式に使用される飾り あるいは新しい葬具を作製する為の葬具屋が出始め 葬具の貸し出し、要員の派遣を生業とする我々葬儀社は この時代に出現したのです。

 日本最初の葬儀社は明治19年に設立された 東京葬儀社と言われております。

 今回は以上です。次回は火葬の変転と 戦後の葬儀事情を書かせて頂きます。