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大正・昭和初期の葬儀

2014年12月15日

 今回は大正・昭和初期の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 明治の後半から大正時代にかけて、都市部では大型葬列に対する批判が高まります。私事の為に公道を妨げて良いのか 等の論調の批判がマスコミに登場するようになります。又 明治17年に制定された 墓地及び埋葬取締規則により 許可される区域が限られて 市街地での火葬や埋葬が制限され始め、更に明治36年には路面電車が走り始めた事により 葬列廃止は加速されました。大正時代に入り 大型葬列に代わり 登場したのが告別式です。告別式の最初は 明治34年に行われた 中江兆民氏の葬儀と言われて居りますが、この場合は葬列の代りに告別式ではなく、同氏は無宗教であったため、宗教儀礼は行わずに、お別れ会として 告別式が行われました。しかしながら これを機に大型葬列に代わり、大型の告別式が行われる様になります。そして 葬列に代わり霊柩車が登場します。

 日本型霊柩車は 大正11年の 大隈重信の国民葬で、トラックの後部荷台に白木の輿を載せて、ご遺体を移送した事にヒントを得たと言われて居ります。海外の大型車を輸入し、後部に和風の唐草模様などを装飾した、宮型霊柩車が登場します。日本で最初の宮型霊柩車は大阪で登場しました。

 告別式の大型化に伴い 大きく変化したのが祭壇でした。葬儀の祭壇は 現在の枕飾りと同様で 前机の上に三具足を供え、その横に御供花やお供物を供えたものでしたが、それが 二段、三段、そして五段へと大型化し、更に高欄を備えたものえと変化しました。それに伴い 六道などの新しい燭台や、祭壇を装飾する為の各種仏具が開発されました。遺影写真も昭和初期には登場しました。とはいえ 昭和初期の大恐慌なども有り、祭壇文化が本格的になるのは 世界大戦後の昭和28年以降となります。昭和15年には戦時下となり 葬列を組む事も困難になり、燃料不足により霊柩車も動かせず、祭壇の装飾にも困る様に成り、死者が出ても ご納棺して 火葬場へ行くだけという状態が 第二次世界大戦終戦後の一時期まで続きます。

   今回は以上です。