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鎌倉仏教と浄土宗
2015年4月30日
今回は鎌倉仏教と浄土宗に付いて書かせて頂きました。
奈良時代に中国より日本に伝来した仏教は 天皇家や貴族階級の庇護を受けて奈良・平安時代と繁栄してきましたが、一般民衆に広がることは有りませんでした。そのカラを破ったのが 比叡山の学僧であった法然上人が起した浄土宗であり、それに続く親鸞の浄土真宗、良忍の融通念仏宗、一遍の時宗、日蓮の日蓮宗などです。これらの宗教は 一般民衆を対象とした、日本人自身による独自の仏教であり、鎌倉時代の創設されました。これらの宗派と 同時期に 宋より 栄西が伝えた臨済宗、道元が伝えた曹洞宗を含めて 鎌倉仏教と言われて居ります。
法然上人(法然房源空)は 1133年美作国久米(現在の岡山県久米郡)に生まれ、9歳で出家し、13歳で比叡山に登って学僧となります。しかしながら学僧に満足出来ず、学僧の道を捨てて 民衆の為の仏教の道を探り、源信の往生要集に影響を受けて、1175年 43歳で 専修念仏の浄土宗を開きました。法然は仏教を 厳しい修行を行い悟りを得る聖道門と、念仏を唱え極楽浄土に往生する浄土門との分け、衆生の凡夫でも行うことが可能な浄土門を選択して浄土宗を起こしました。法然の専修念仏は 古来の比叡山を含む仏教 各宗派より迫害を受け、法然自身は四国へ、弟子の親鸞は越後へ配流されますが、最期には京都に戻り、後に教本の一つとなった 一枚起請文 を起して1212年に満78歳で没します。
法然上人の没後は 長老の信空が後継となりましたが、親鸞を含む多くの門人ごとに 親鸞の教義に対する解釈が少しずつ別れ 浄土四流など いくつもの教団が乱立する事に成ります。その後 徳川家康が江戸幕府を開くと共に 寺院諸法度の一還として 浄土宗法度が制定され 浄土宗は 京都の知恩院を門跡寺院・総本山、江戸の増上寺を大本山として 幕府より手厚い保護を受ける事となります。
明治時代に入り 廃仏棄却の混乱の中で 宗派の統合 近代化が図られ、現在は 鎮西派と西山派の二っの流れを中心にして布教活動が行われて居ります。
本尊は阿弥陀如来、脇侍は 左 観音菩薩、右 勢至菩薩となります。
今回は以上です。