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鎌倉仏教 日蓮宗系
2019年3月22日
今回は日蓮宗系に付いて書かせて頂きました。
日蓮宗は 鎌倉仏教の宗派の一つで日蓮上人を開祖とし、法華宗とも称されて居ります。日蓮上人の没後 多くの弟子達により布教が行われ、それに伴い 多くの派にも分かれて居りますので、日蓮宗系とさせて頂きました。日蓮上人は釈尊の教えの全ては法華経(妙法蓮華経)に凝縮されて居り、久遠の本仏として釈尊を諸仏の根源とすべきこと、滅後末法の世の衆生の救済は法華経の護持によりなされる、そして 南無妙法蓮華経(法華経に帰依する の意味)を題目として唱えよ と説きました。日蓮宗の総本山は 山梨県南巨摩郡身延町の 身延山久遠寺で ご本尊は三宝尊です。三宝尊とは 仏・法・僧の三宝をさし 仏の第一を釈迦如来、法の第一を法華経、僧の第一を日蓮大菩薩(後光厳天皇より、大正天皇よりは立正大師が贈られる)として祀られます。
日蓮は 1222年安房国(千葉県鴨川市)の小湊で生まれ、11歳で地元の清澄寺の道善房に入門し、16歳で出家し是正房蓮長の名を与えられ、23歳の時 比叡山にのぼり就学し、その後 三井寺、薬師寺、高野山、天王寺、東寺などで遊学し、1253年 31歳で安房の清澄寺に帰山し 4月28日 朝 日の出に向かい 南無妙法蓮華経 と題目を唱えました(立教開宗の日)。そして 名を日蓮と改め、翌1254年 鎌倉に出て 辻説法を始めます。各地で辻説法を説き、1260年 立正安国論を著し、鎌倉幕府に建白しました。この建白により 日蓮は 幕府や他宗派より迫害を受けることとなります。1261年からは 伊豆国伊東へ、1271年からは佐渡へ流罪となりますが、その間にも 各地で辻説法を続け、”開目抄” ”観心本尊抄”などを著述し、法華曼荼羅を完成させました。1274年春 流罪赦免ののち 鎌倉で幕府に対し法華経 国教化の建白を行い、身延の地頭であった南部実長の招きを受けて、身延山に入山し、身延山を寄贈されて 身延山久遠寺を開山しました。1282年 病を得て 常陸国へ湯治に向かう途上 武蔵国の池上宗仲氏の邸宅近くに建立された一宇を開堂供養し 長栄山本門寺(通称池上本門寺)と命名。その一ヶ月後 10月13日 池上邸で逝去。享年は61歳でした。
日蓮宗(法華宗)は 日蓮の死後 弟子たちにより各地で布教が行われましたが 法華教団は発展と共に分化されて行きます。多くに分かれた日蓮宗は1941年(昭和16年)政府の指導により 日蓮宗と法華宗の二つに統合されましたが、戦後は再び各宗派に分かれました。又 日蓮正宗は 日蓮の弟子 日興の流れをくむ派ですが 日蓮本仏の立場を取ります。
今回は以上です。