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古墳時代の墓

2016年1月15日

 今回は古墳時代の墓に付いて書かせて頂きました。

 古墳時代は3.5世紀から7世紀頃と考えられて居りますが、弥生時代末期には各地の豪族により大型の墳墓が造られる様になり、その形状は円い円墳や長方形の方墳などとして見られます、そして 古墳時代に入り 円墳と方墳を合わせた前方後円墳が造られる様に成ります。墳墓はより巨大化し埋葬品も多岐にわたる様に成ります。古墳時代は前方後円墳の時代であったとも言えます。古墳時代末期には大王の特別な墓として八角墳が築造される様になりました。

 弥生時代後期には 倭国内各地に豪族が立ち、徐々に奈良盆地を中心とする王権と、北九州を中心とする王権に集約され、更には奈良のヤマト王権が倭国の統一政権として確立されました。前方後円墳は ヤマト王権が確立して行くなかで、各地の豪族に築造を許した墳墓の形式ではないかと考えられて居ります。同時に3世紀後半から4世紀にかけて 王墓と考えられる 格段に規模の大きい前方後円墳が奈良盆地内に築造され、4世紀末には河内平野に巨大古墳が築造されました。そして 古墳時代末期に倭国の呼称が日本国へと変わりました。

 古墳時代になると 王族や貴族の大型古墳、地方豪族の古墳、横穴墓などの集合墓、そして 円筒埴輪棺など、死者を埋葬する墳墓の階層化が顕著となります。大型古墳の中には石室が造られ、ご遺体は柩に納められ、多くの副葬品と共に埋葬されました。副葬品としては 故人が生前に愛用していたものの他、武具・甲冑・刀、石人・石馬、人物や動物をかたどった埴輪なども納められて居ります。又 古墳は 当初 自然の丘陵や尾根を利用して造られましたが、のちには 平野部に盛り土をして 周囲を濠でかこんだ巨大なものへと変化して行きます。この様な巨大な古墳に手厚く葬る葬法を”厚葬”と言い、天皇家、豪族、有力者にたいして行われて居りましたが、その後 儒教文化・仏教の伝来とともに、次第に少なくなって行きます。

   今回は以上です。