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飛鳥時代の葬儀

2016年1月17日

 今回は飛鳥時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 飛鳥時代に入り 中国 魏の文帝により発令(222年)された ”葬制の令”を参考にして、646年 薄葬令が定められた事により 大型の古墳を前提とした死者儀礼はその姿を消してゆきます。又 一般民衆の埋葬も ”よろしく一所にさだめて、おさめ埋めしめよ、けがらわしく、処々に散らして埋むことをえじ” として いろいろな場所に遺体を埋葬するにではなく、場所を定めて埋葬する様、薄葬令により定めました。そして この時代に仏教が中国より伝来しました。

 飛鳥時代 薄葬令により死者儀礼は規模的に大きくな制限を受けることとなりますが、同時に仏教の伝来により 葬送儀礼は質的にも大きな変化を生じさせました。特に仏教を擁護し、その普及に勤めた聖徳太子の葬儀は、”扶桑略記”に ”葬送で輿に乗せられ、葬列に加わる陪従の人々は、おのおの雑花を手に捧げ、仏弟子は仏を讃える歌を歌い、道の左右の百姓も、手に花を持ち仏歌を歌い、あるいは声を失い大声で泣いた。荼毘にふされたあとには、諸国の百姓が遠くからの墓参が絶えなかった”と書かれています。

これが事実であったかは疑問視されております。当時 仏教の主な目的は 鎮護国家 すなわち国家の平安を祈念する為に利用されており、祈念の執行者である僧侶は 病気回復の祈祷は行いましたが、死亡した後の葬儀には立ち入らず、葬儀は従来通りに神式で行われたものと考えられております。但し 追善供養の一つである 盂蘭盆会などは657年からに執り行われたと言われております。

 一般民衆のご遺体処理の実体としては 薄葬令に書かれていた内容から想像するに、死体遺棄と同様のかたちであちこちに埋葬されておりました。この様な状態はその後も変わらず、平安時代の今昔物語では 平安京の正門である 羅生門の二階に遺体が遺棄される様子が描かれ、八幡愚童訓 では 辻に捨てられた死体を犬などが食べる様を書いて居ります。ご遺体を 山の麓や川原などの放置することは珍しことでは無かった様です。長い間に渡り 墓を作る事が出来たのは上層階級に限られており、一般民衆には 鎮めなければならない霊魂の存在など認められて居なかったと考えられます。

   今回は以上です。