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神道の葬儀 神葬祭

2019年3月21日

 今回は神道の葬儀、神葬祭に付いて書かせて頂きました。

 神葬祭とは 日本固有の宗教である神道の葬儀です。この日本固有の葬儀は 仏教の伝来以降、天皇家の庇護を受けて 急速に仏式の葬儀へと変わって行きます。更に 江戸時代の寺請制度により、神職も何れかの寺院に所属しなければならず、神葬祭を行う機会は失われました。その様な状態の中、江戸時代中期に入ると、国学が興隆し、国学者たちによる日本古来の精神・文化の研究が進み、日本古来の信仰にもとずいた葬儀を求める”神葬祭運動”が起こり、その結果として 1785年 江戸幕府は吉田家から許可状を受けた神職、及びその嫡子に限り、仏門を離れて神葬祭を行う事が許可されます。そして 明治時代になり 政府の神祇政策の一還として神葬祭が奨励され、明治5年には 明治政府の教部省により ”葬祭略式”が制定されました。

 江戸時代 神社は仏教からの独立を志向しましたが、キリシタン対策の為の寺請制度(檀家制度)により、神職と言えども、何れか寺院の檀家でなければ成らず、仏式の葬儀が強いられました。神社側としても 宗教としての神道を確立するとともに、神葬祭を求める運動を起しました。しかしながら 江戸幕府は寺請制度を宗教問題としてだけではなく、民衆支配体制の問題としても捉えていたため、神葬祭運動が許可されるまでには長い時間が必要とされ、許可された1785年でも大きな制限の中でしかなく、この状態は明治維新まで続く事となります。

 江戸時代の神葬祭は儒教葬を基本としたものにとどまりましたが、神葬祭の形式がまとめられるのは 明治5年(1872年)制定の”葬祭略式”によってとなります。明治政府は神葬祭を奨励しましたが、明治憲法では 制限付きでは有りますが、信教の自由が保障されて居りましたので、神葬祭が強制される事は有りませんでした。又 葬儀は宗教行為とされ、公務員に相当する神社神道の神職は宗教活動である神葬祭を執り行う事が禁止されていた為、神葬祭の普及は必ずしも進捗しませんでした。第二次世界大戦後 神道は宗教としての立場を取戻し、葬儀に係わる事が出来る様になりました。

   今回は以上です。