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明治時代の葬儀
2014年12月14日
今回は明治時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。
江戸時代には 士農工商という身分制度の下で、身分に合わせた葬儀が営まれて居りましたが、明治時代に入り、この身分制度が廃止されると 大都市を中心に葬儀の在り方が大きく変化して行きました。まずは ひそかに夜間行われていた葬列が、昼間 大掛りに行われる様に成ります。又 使用される棺が 棺桶を使用した座棺から、寝棺へと変化します。更に 寝棺を乗せる為の 白木の輿が組まれ、その輿を彩る為の葬具が出現しました。
江戸時代の葬列は 夜間に少人数でひそやかに組まれるのが普通でしたが、明治時代に入ると 台頭してきた商人層を中心にして 社会に誇示する為 日中に大掛りな葬列を組む様に成ります。葬列の要員としては 明治と共に役割を終えた大名行列の奴が動員されました。
江戸時代の棺と言えば 棺桶 すなわち座棺が中心でしたが、明治に入ると 富裕層を中心とした 葬列の肥大化に伴い長方形の寝棺が使用され始め、この寝棺を運び為の白木の輿をあつらえて、より多くの人により柩を運ぶ事で、その財力を社会に示しました。但し 一般庶民の柩は棺桶が中心で、この柩を 駕籠や御輿型に飾られた人力車などで運びました。この状態は第二次世界大戦終了まで続きました。
又 この葬列を彩る為の 野道具と言われる葬具も立派な物が作られ始めます。金連、銀蓮、生花や造花を挿して作った花車、放鳥する為の鳩を運ぶ放鳥輿、位牌を運ぶ位牌輿、香炉を運ぶ香炉輿などです。現代の葬具の原型となるものです、そして これらの葬具を作成する専業の葬具屋がこの時代から出現しました。
今回は以上です。