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明治時代の葬儀Ⅱ

2016年3月27日

 今回は前回に続き明治時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 明治時代に入って変化した葬儀の形態としては 大掛りな葬列、寝棺と白木の輿、新たな葬具、に加えて 粗供養の大型化と葬列を演出する人夫の出現があります。

 葬儀の際に 近隣の人々や参列した方々に食事を振舞うという習慣は 江戸時代から全国的に普及して居りました、又 葬列が出発する際に 粗い目の花籠に駄菓子や小銭をいれ これを振って葬列を見送る子供達に振舞い 供養をする事なども行われ、これらの事を起源として、粗供養が行われる様に成ります。明治時代に入り 葬儀が大型化すると共に、会葬の方々に 菓子包み、饅頭、あるいは御弁当などを配る、今日の粗供養の原型が出来て来ました。この粗供養を目的に関係の無い人でも葬儀に参加したり、何回も並んだりなどが有り、葬家側も不足すると恥ずかしいと言う事から、大量に用意する様になり、粗供養の費用が 全体費用の中でも大きな比重を占める様に成りました。

 大掛りな葬列を組む為には その演出をする為の各種葬具が必要となり、葬具を運ぶ為の人夫も必要と成りました。これらの人夫は 数十人でのお手伝いから、大きな葬列では数千人の人夫を動員する事も有った様です。更に衣裳を揃えて人夫に着せる様にも成りました。

 ちなみに 明治18年2月7日に逝去した 三菱の創始者 岩崎弥太郎氏は 13日 神葬祭で葬儀が執り行われ、その葬列は 下谷茅町の岩崎邸から北豊島郡染井村まで組まれましたが、巡査、騎馬を先頭にして、雅楽の奏者、弔旗を持つ者、牡丹・芍薬・杜若等の造花と白梅・桃の花等の生花が300余、霊柩、喪主、親戚、社員一同が続いたと言われます。この日の会葬者は3万人。又 染井村の墓地の前面には仮小屋が設けられ、墓地の周囲6千坪の畑一面にむしろを二重に敷いて、会葬者に貴賤を問わず、西洋料理、日本料理を立食でもてなしたとあります。このとき 用意された料理・菓子は七万人分、葬儀の当日に雇った人員は7万人と言われます。

 この様な葬列の肥大化は 明治20年から30年頃までをピークとして、その後 葬儀の奢侈化が非難を浴びる様になって行きます。

   今回は以上です。