横浜で葬儀、お葬式ならひかりの杜

ひかりの杜

ひかりの杜

0120-264-664

公衆電話・携帯電話
からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

公衆電話・携帯電話からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

火葬儀プラン 家族葬プラン 一般葬プラン 葬儀後について お寺紹介 墓地・お墓紹介

24時間365日対応

24時間365日対応

・葬儀前の準備

・お通夜の流れ

・葬儀の流れ

・失敗しない葬儀社の選び方

・ごあいさつ

・火葬儀

・家族葬

・一般葬プランLight

・一般葬

・生活保護受給者様

・ペット葬

ご連絡先はこちら

QRコード

ご葬儀関連新着情報

・港北区 葬儀

・青葉区 葬儀

・鶴見区 葬儀

・港南区 葬儀

・戸塚区 葬儀

・神奈川区 葬儀

・旭区 葬儀

・都筑区 葬儀

・中区 葬儀

・南区 葬儀

・西区 葬儀

・保土ケ谷区 葬儀

・磯子区 葬儀

・金沢区 葬儀

・緑区 葬儀

・瀬谷区 葬儀

・泉区 葬儀

・栄区 葬儀

火葬儀プラン

家族葬プラン

一般葬プラン

大正時代の葬儀

2016年4月8日

 今回は大正時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 明治時代の葬儀の中心は 葬列に有りましたが、大正時代に入ると 市街地での埋葬や火葬が制限され始め、又 明治36年より走り始めた路面電車の走行に支障をきたす事などからも、徐々に葬列廃止の方向に進み、それに代わって告別式が登場して来ます。葬列が廃止されると共に、お柩の移送には霊柩車が使用される様に変化しました。

 大正時代に入ると 都市部で行われていた 大型葬列に対して ”私事の為に交通を妨げるのは良くない”などの批判が出始め、新聞などのマスコミにも 都市部では葬列を廃する などの論調が顕著と成り始め、葬列廃止の方向が急激に進み始めます。そして 葬列に代わる葬儀の儀式として、告別式が 葬儀の中止となって行きました。日本で最初に告別式が行われたのは 明治34年に行われた 中江兆民の葬儀であったと言われて居ります。中江兆民自身が無宗教であった事から、教え子たちにより 宗教儀礼を行わず、告別式によるお見送りを執り行いました。この時代 地方では 葬儀の中心は ”野辺の送り”と言われた葬列でしたが、東京、大阪、名古屋などの大都市では 葬列に代わって霊柩車が使用され、儀式のメインは告別式と成りました。

 霊柩車が始めて使用された時期は諸説ありますが、明確な記録としては 大正6年に 大阪で葬列の要員派遣を生業としていた大手業者の 籠友が米国より輸入した霊柩車があります。大正8年には 名古屋の一柳葬具店も米国より輸入して居ります。当時の米国の霊柩車は 彫刻がほどこされ、破風の付けられた派手な形の車でしたが、従来の輿にも似た形態から採用されたものと考えられます。大正10年前後には これらの輸入車に日本独自の装飾を施し、後部を輿仕立てにし、和風の唐草模様を施した 宮型霊柩車が登場しました。この形態が現在まで継承されて居ります。

   今回は以上です。