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昭和時代の葬儀

2016年4月9日

 今回は昭和時代の葬儀、特に戦前の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 昭和時代に入ると ご遺体移送の手段としての霊柩車、特に宮型霊柩車が昭和2年には出来上がりました。又 告別式の登場と共に、従来は小机の上に具足を供えた程度の祭壇が、一壇から二壇、二壇から三壇と、徐々に増えて行き、最終的には 現在 使われている5壇の祭壇が生まれました。満州事変から第二次世界大戦へと進む中で、戦局の悪化とともに葬儀や告別式を行う事も出来なくなり終戦直前では 死者が出ても 納棺をして火葬場へ行くだけの葬儀となりました。

 昭和時代の初期に 現在の葬儀式場の原型が出来上がります。特に 東京、大阪、名古屋などの大都市に出現した告別式では 使用される祭壇が大きく変化しました。それまでの祭壇は 現在の枕飾り程度の祭壇と、その左右に生花、造花、供物などを配した簡素なものでしたが、この部分を前机として その後ろに複数の壇を配し、最終的には白木で5っの壇を組み上げた現在の祭壇の形が使用される様に成りました。又 当初はそれぞれの壇を白布で覆う単純な形でしたが、その内 高欄をつけた祭壇等も使用される様になります。そして 祭壇を飾る為の 六道などの新しい燭台や葬具が誕生しました。遺影写真が祭壇に飾られる様になったのも昭和初期からです。

 昭和10年前後までは 葬列を組む事も 細々と残って居りましたが、戦時体制に入るとこれも消えました。葬具の製造なども統制される様になり、葬儀・告別式の規模もより小さくなってゆきます。更に戦局が厳しくなると 霊柩車の燃料も不足する様になり、ご遺体の移送は人でによる事となります。戦争の最終局面では 葬儀の飾り付けも出来なくなり、故人様のご遺体は 納棺して火葬場にお送りするだけとして、ご葬儀を執り行う機会は消滅しました。

   今回は以上です。