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葬儀横浜 葬儀の歴史・現代葬儀の原型
2018年9月16日
今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・現代葬儀の原型に付いて書かせて頂きました。
現代の日本で 多く営まれている仏式の葬送儀礼は 平安時代中期にその原型が出来上がりました。中国・朝鮮半島より伝来した仏教は 日本の皇室を中心とした貴族階級により信仰の対象とされ、崩御・逝去された際のお見送りの儀礼は 仏教の儀礼を基として、それに日本古来のお見送りの文化が加味され、平安時代中期に日本に於ける、仏式葬送儀礼として完成を見ます。それを顕著に表わす葬送儀礼として、平安時代中期に崩御された第66代天皇一条天皇(上皇)の葬儀が御座います。
1011年6月22日 危篤状態にあった上皇(一条天皇)は念仏を唱える中で、正午頃に崩御されます。皇室は25日、陰陽師を召して入棺の日時、葬送の日時、墓所の方角などを占なわせます。その占いを基に 沐浴をさせ、深夜ご遺体は入棺、入棺には 天台宗座主 慶円僧正はじめ数人の僧侶 諸卿数名が奉仕、ご遺体には 皇后 宮様たちの手で形代(上皇の霊を宿す人形)がお供えされされました。
7月8日に葬送、素服を裁縫し 人々は着用。慶円僧正が呪願を行い、院源僧都(後に天台座主)が導師を務める。出棺に際しては 葬列が組まれ、御輿の前に2名が松明を持って先導、他に松明を持った近習が10名、香炉を首にかけて従う役、黄幡(きはた)を持つ役などが続きました。火葬場となる御竃所(みかまどころ)で出棺の際と同様に導師、呪願が行われ、僧の立会いのもと荼毘に付されました。
7月9日、荼毘は夜を撤して行われ 朝6時に終了、御骨を皆で拾い、白壺にお納め、慶円僧正が光明真言を念誦(ねんじゅ)しました。その後 お骨壺は園融寺に移され阿弥陀護摩が営まれます。7月20日に陵(みささぎ)にお骨を奉納。
8月2日 七七日の法要、8月11日 七七の正日にも法要を営み、9月12日 月例の御念仏を始めて営みます。翌年5月27日 一周忌の法要を繰り上げて営みます。6月22日 一周忌の正日 法要を営み、全ての葬送儀礼を終えました。
今回は以上です。