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葬儀横浜 葬儀の歴史・葬儀の仏教化
2018年9月20日
今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・葬儀の仏教化に付いて書かせて頂きました。
現代 葬儀の中心儀礼とされる仏教は 日本伝来以来 天皇家を中心とする上流階級の庇護の下、日本文化に同化して参りましたが、奈良時代後半には 官の許可を持たない私度僧による、仏教の民間に対する布教が始まります。更に 行基を頂点とする民間仏教の指導集団も形成されるます。平安時代中期には 末法思想の広まりに対して 阿弥陀聖(あみだひじり)との呼ばれる 空也により、仏教の民衆化が進捗し、民衆の葬儀にも仏教の儀式が取り入れられ始めます。
奈良時代 出家して仏教の僧侶となる為には 官の許可が必要であり、これを官度(かんど)と呼ばれ、民間に対する仏教の布教は禁じられたり、制限が加えられたして居りました。こうした中で 官の許可が得られなくとも 仏教を得度し布教を志す人々が現われ始め、私度僧(しどそう)と呼ばれて、民衆の中に受入始められました。
この様な中で 仏教の民衆化は高まり続け、行基を頂点とする民間仏教の布教集団が形成されはじめます。やがて 朝廷もこうした民間仏教の高まりを評価せざるを得なくなり、東大寺 大仏建立にあたり行基に協賛の要請がなされ、同意・協賛した行基は 大僧正の位が与えられました。この 行基集団は 死者の弔いにも従事していたと ”続日本紀”に記されて居り、行基の弟子の一人である志阿弥(しあみ)が火葬の技術を伝え、日本各地で火葬・埋葬を司る 三昧聖の始祖と伝承されます。
聖(ひじり)とは 古来 仏教伝来以前は ”日知り”を意味し、太陽の司祭者・呪術者を指したとされ 民間信仰の司祭者とされました。仏教伝来以降は 聖の字が当てられ、学徳の高い僧を聖と呼ぶようになり、更には 諸国を回遊する仏教僧を示すようになりました。平安時代に活躍する高名な聖 阿弥陀聖、あるいは 市聖と呼ばれる 空也(903-972年)は 阿弥陀仏の名を唱えると阿弥陀仏の絶大な力を働かせる事が出来るとして、南無阿弥陀仏(南無は信じますを意味)と口誦する事を説きました。これは民間念仏として死者儀礼や農耕儀礼と結び付いて仏教の民衆化を押し進めました。念仏は呪力を持ち、死者の滅罪に供すると考えられました。空也の集団も火葬や埋葬に従事したと考えられて居ります。こうして民衆の葬儀は仏教化されていったと考えられます。
今回は以上です。