横浜で葬儀、お葬式ならひかりの杜

ひかりの杜

ひかりの杜

0120-264-664

公衆電話・携帯電話
からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

公衆電話・携帯電話からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

火葬儀プラン 家族葬プラン 一般葬プラン 葬儀後について お寺紹介 墓地・お墓紹介

24時間365日対応

24時間365日対応

・葬儀前の準備

・お通夜の流れ

・葬儀の流れ

・失敗しない葬儀社の選び方

・ごあいさつ

・火葬儀

・家族葬

・一般葬プランLight

・一般葬

・生活保護受給者様

・ペット葬

ご連絡先はこちら

QRコード

ご葬儀関連新着情報

・港北区 葬儀

・青葉区 葬儀

・鶴見区 葬儀

・港南区 葬儀

・戸塚区 葬儀

・神奈川区 葬儀

・旭区 葬儀

・都筑区 葬儀

・中区 葬儀

・南区 葬儀

・西区 葬儀

・保土ケ谷区 葬儀

・磯子区 葬儀

・金沢区 葬儀

・緑区 葬儀

・瀬谷区 葬儀

・泉区 葬儀

・栄区 葬儀

火葬儀プラン

家族葬プラン

一般葬プラン

葬儀横浜 葬儀の歴史・江戸時代の神道

2018年10月11日

 今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・江戸時代の神道に付いて書かせて頂きました。

 日本古来の宗教である神道は 6世紀の仏教伝来以降、対立と併存を繰り返して来ましたが、大化の改新以後は併存が定着し、更に 平安時代に天台・真言の2宗派が起されると 神仏は併存から 神仏が混ざり合う 習合へと変化しました。神道は他の宗教とは異なり、戒律や教義を説く教典が無く、素朴な精霊信仰に専心する数少ない宗教でしたが、吉田神道 伊勢神宮を始めとして、江戸時代には 仏教や儒教と対立しながら、国学者たちにより学問的につきつめられ、復古神道が形成されました。

 江戸時代初期は 民衆支配の為の檀家制度を基にした仏教と、行政の基となる儒教が共存して居りましたが、徐々に行政に係わる儒教学者から仏教批判が出る様になります。行政の単位である藩では 民衆の寺院に対する寄進や布施は 藩の徴税と対立し、寺院が民衆を経済的に圧迫しているとして、僧侶に対する 道義批判のかたちをとった仏教批判が強まりました。水戸藩や土佐藩などの特定な藩は 仏教葬ではなく 儒教葬を営んでもおりました。

 江戸時代 仏教からの独立を果たそうとする神社にとっての最大の問題は 寺壇制度(檀家制度)でした。寺壇制度の下、神社の神職も 壇那寺に属さなければならず、葬儀は仏教葬をしいられたからです。この状況を打開する為 神社は永き渡って 仏教を排撃し、仏教色を払拭し、宗教と神道を確立ささせ、神葬祭の施行許可を唱え続けました。しかし 神葬祭を営む為には 寺院の許可を必要とし、檀家を止める事にも繋がりますので、寺院との軋轢が昂じる事となりました。江戸幕府は 寺壇制度を宗教問題ではなく、民衆支配体制の問題と捉えて居りましたので、神葬祭を容易に許可する事はありませんでした。ようやく 1785年江戸幕府は ”吉田家から神職の免許状を与えられた当人 及び その嫡子に限り 寺院の宗門を離れ神葬祭を営んでも良いが、その他の家族は宗門から離れてはならない”との判断が下され、この状態は明治維新まで続く事と成ります。但し この時代の神葬祭は儒教葬とそれほで違いは無く、神葬祭の次第がまとめられるのは 1872年(明治5年)維新政府 教部省により制定された ”葬祭略式”によってです。

 江戸時代の国学者(平田篤胤他)などによる復古神道は 排仏論を進めると共に幕末の精神的支柱ともなり、社会的な影響を少なからず与える事とも成りました。

   今回は以上です。