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葬儀横浜 葬儀の歴史・火葬場の変遷

2018年10月20日

 今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・火葬場の変遷に付いて書かせて頂きました。

 人がご逝去された際 そのご遺体をどの様な形で埋葬するかは 信仰する宗教的要請による所がだいです。世界四大文明の一つであるインダス文明より生まれたヒンズー教では ご遺体を火葬して聖なる川に流す葬送方法を基本として居り、その延長線で生まれた仏教でも ご遺体の葬送は火葬を前提としました。日本に於いても 仏教の伝来と共に火葬の技術も伝来し、その布教拡大に伴い火葬が普及して行きました。

 古代に於いては 天皇家を中心とする貴族階級で 火葬が行われておりました。その火葬炉は 常設ではなく、占いを基に火葬の場所を定め、その場所の周囲に幕や板塀を巡らし、その中に火床を設けて火葬が営まれました。天皇の火葬を営む場所は 山作所と呼ばれ、火葬の後は火葬塚が築かれました。

 中世になると 墓地の傍らなどに 棺桶より一回り大きい程度の浅い溝を掘って、周囲を石や土器で覆った恒久的な火床が設けられる様になり、そこで火葬が営まれました。この時代に 皇族や貴族の他にも 僧侶や浄土真宗の門徒の間で火葬を営む者が増えて行きました。尚 浄土真宗の門徒以外の庶民の間では ご遺体を墓地や山林に放置する 風葬が一般的でした。

 近世となり 江戸時代に入ると多くの寺院や墓地で火葬場が設けられる様になりますが、火葬の臭煙が問題となり、火葬場を設ける場所が限定され、昼間の火葬は禁止されます。この時代 火葬を行う為には 多くの焚き木を必要とする為、それなりの費用が必要であり、火葬を営む事が出来る庶民には限りがありました。但し 浄土真宗では 信徒間の協力により火葬を営み続けました。

 そして 明治時代に入ると西欧より伝来した技術を基にして 燃焼室に炉扉と煙突を備えた 現代の火葬炉の原型となる火葬場が建設される事と成りました。

   今回は以上です。