横浜で葬儀、お葬式ならひかりの杜

ひかりの杜

ひかりの杜

0120-264-664

公衆電話・携帯電話
からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

公衆電話・携帯電話からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

火葬儀プラン 家族葬プラン 一般葬プラン 葬儀後について お寺紹介 墓地・お墓紹介

24時間365日対応

24時間365日対応

・葬儀前の準備

・お通夜の流れ

・葬儀の流れ

・失敗しない葬儀社の選び方

・ごあいさつ

・火葬儀

・家族葬

・一般葬プランLight

・一般葬

・生活保護受給者様

・ペット葬

ご連絡先はこちら

QRコード

ご葬儀関連新着情報

・港北区 葬儀

・青葉区 葬儀

・鶴見区 葬儀

・港南区 葬儀

・戸塚区 葬儀

・神奈川区 葬儀

・旭区 葬儀

・都筑区 葬儀

・中区 葬儀

・南区 葬儀

・西区 葬儀

・保土ケ谷区 葬儀

・磯子区 葬儀

・金沢区 葬儀

・緑区 葬儀

・瀬谷区 葬儀

・泉区 葬儀

・栄区 葬儀

火葬儀プラン

家族葬プラン

一般葬プラン

葬儀横浜 葬儀の歴史・明治時代の葬儀

2018年10月21日

 今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・明治時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 江戸時代には 葬儀を営むに当たり、葬儀の簡略化が度々奨励されて居り、行政当局が 奢侈化する葬儀を抑える為 努力していた事を窺わせます。そして 明治時代に入ると、初期の混乱の後、大きな葬列を日中に組む習慣が生まれ、従来の座棺が寝棺へと変化し白木の輿で運ばれる様に成ります。更に葬列や輿を装飾する為の葬具も数多く出現しました。

 江戸時代末期の葬儀も模様を表わすものとして、慶応元年(1865年)の日本を訪問していた ドイツの考古学者シュリーマンが立会った 幕府高官の葬儀の模様しめす記述があります;

故人の遺体には職務を司る際に着用していた衣服が着せられ、帯に日本の刀と扇子を差し、頭には漆塗りの竹製の黒い帽子をのせ、‥‥婦人の帽子の箱に似た柩に納められた。死者の足と腕は折り畳まれ、座ってちょうど生まれる前の胎児の格好になった。(中略)次に柩の蓋は釘で打ちつけられ、百合の花飾りのある白い覆いがかけられた。そして その寺院(善福寺)の大きな祭壇の前にある高座に安置された。白の喪服によって礼装した王国政府の300名すべての役人が、その柩の周りで、手指を組むのではなく、掌を合わせて跪いていた。僧侶が祭壇の上のすべての蝋燭に火を灯し、香を焚き、鐘を鳴らして祈祷を行う間、両側に並んだ他の40名ばかりの僧侶たちが、サンスクリット語で葬送の賦を唱え始めた。葬儀執行者と僧侶たちは白の喪服を纏っていた。宗教儀式が終了すると、一人の僧侶が寺院の階段のところまで進んで、その手にしていた鳥籠をあけ、中に入れられていた一羽の白い鳩を放った。この象徴的な儀式の後、木棺は竹の網で取り巻かれた。そして柩は竹竿に通され、それぞれの端を二人の日本人が、その寺院の傍らにある墓地へ駈足で運んでいった。(藤川徹訳)

 江戸幕府による葬儀簡素化の方針は 明治時代に入り 士農工商の身分制度が取り除かれると大きく変化して行きます。特に都市部が顕著でした。

   今回は以上です。