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葬儀横浜 葬儀の歴史・明治時代の葬儀Ⅳ

2018年10月25日

 今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・明治時代の葬儀Ⅳに付いて書かせて頂きました。

 江戸時代には 士農工商の身分制度の下で庶民の葬儀は簡略化が度々奨励されて居り、行政当局が 奢侈化する葬儀を抑える為 努力していた事を窺わせます。そして 明治時代に入ると、初期の混乱の後、大きな葬列を日中に組む習慣が生まれ、従来の座棺が寝棺へと変化し白木の輿で運ばれる様に成ります。更に葬列や輿を装飾する為の葬具も数多く出現しました。そして明治時代にも葬儀が奢侈化して行き非難を浴びる様に成ります。

 明治時代の葬儀は葬列が大掛りになると共に、粗供養も大掛りとなり、必要とされる費用は増大して行きました。粗供養とは江戸時代に一般的と成る習慣で、葬儀の後に食事を供する習慣です。現代のお清めの席にも当ります。又 葬列の出発の際に 花籠にバラ菓子や小銭を入れ、これを振って近隣の人々に振る舞い、供養としました。明治時代に入り葬儀が大型化すると、会葬者全てに対して菓子包み、饅頭、弁当を配るという、現代の粗供養(会葬返礼品)の原型が出来上がります。配られる粗供養を目当てに関係の無い人でも葬儀に加わったり、粗供養の列に何回も並ぶ人が出る事も有りました。喪家側も不足すると失礼に当ると考え、大量に準備しなければ成らず、費用の面でかなりの比重を占める事となりました。

 更には 葬列を演出する為の人夫の費用も増大しました。大きな葬列を組み、演出する為には 多くの葬具運搬人や参列者が必要となります。数十人から数百人、中には数千人の人夫を動員した記録も残されて居ります。このため 東京、大阪、名古屋などの大都市では 人夫を動員する為の組織が生まれ、この組織が後に葬祭業者と呼ばれる様に成ります。この組織は 人夫の動員だけでは無く、葬具の貸出し、葬列の為の衣装の貸出しなども担いました。

 葬列、葬具が大きく、立派になる葬儀の形態は 都市に於いて富裕層から 一般庶民にも影響を及ぼして行きます。葬列の肥大化は 明治20年から30年の間がピークと成りました。明治30年頃からは 葬儀の奢侈化に対する非難の声が社会の中で高まり始めます。この時代 葬儀に於ける貧富の格差が大都市で顕著に成り始めると共に、地方に於いては 地域共同体を主体とする民俗型葬儀が従来と同じ形で営まれて居りました。

   今回は以上です。