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葬儀横浜 葬儀の歴史・大正時代の葬儀

2019年3月20日

 今回は葬儀横浜 葬儀の歴史・大正時代に付いて書かせて頂きました。

 明治45年7月30日(1912年)明治天皇が崩御され、時代は大正へと移ります。大正元年8月には政府より大喪が発せられ、国民に喪章の着用を取り決めました。和装の場合は左胸に蝶形の黒布を、洋装の場合は左腕に黒布を着けるものでした。そして 大正元年9月13日から3日間 青山の葬場殿に於いて大喪が営まれました。大正時代の葬儀は 葬列主体から 葬儀式・告別式主体へと変化して行きます。そして 葬列に代わるご遺体移送の手段として霊柩車が登場して参りました。

 大正時代に入ると、大都市で行われていた大規模な葬列に対して、私事の為に交通を妨げても良いのか?、葬列は市中を歩く広告塔、などの批判が起こり始めます。明治17年に制定された ”墓地及埋葬取締規則”により 墓地や火葬場は監督官庁が許可した区域に限るとされ、市街地での火葬・埋葬は制限されました。又 明治28年(1895年)には京都で、明治33年(1900年)には東京で、路面電車が走り始め、葬列を組む際の支障ともなりました。

 こうした中で 大正時代初期には 都市に於いて ”途中葬列を廃して”の新聞広告が目立つ様に成り、急激に葬列廃止の動きが進捗する事と成りました。それに代わって登場するのが 告別式です。日本で最初に営まれた告別式は 明治34年(1901年)の中江兆民の葬儀であると言われます。中江兆民は 自身が無宗教であった為、自身の告別には 葬儀式ではなく告別式を営む様 遺言しました。大正時代に於いても 地方では”野辺の送り”と言われた葬列を主体とした葬儀が営まれて居りましたが、東京 大阪 名古屋といった大都市では 葬儀の主体であった 葬列は急激に衰退して行き、代わって 霊柩車 告別式が登場する事と成りました。

   今回は以上です。