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棺とはその種類と費用
2020年8月3日
棺(ひつぎ)とはご遺体を納めて葬る為の容器を指します。
”ひつぎ”には2通りの文字があてられますが、一般的な使い方としてはご遺体をお納めする前のひつぎを”棺”と書き、ご遺体をお納めした後のひつぎを”柩”と書き表します。
地域によりましては棺を表わす言葉として、舟が使用される場合も御座います。
更に古くは棺や柩を表わす言葉として龕(がん)という表現も御座いました。
そして”霊柩”という言葉はご遺体が入棺された状態を表わしますが、従いまして霊柩を運ぶ車を霊柩車と呼びます。
1 棺の歴史
日本に於いて棺の歴史は古く、弥生時代には埋葬に当って棺が使用されて居りました。
1)弥生時代~
お棺には寝棺と座棺の二種類が有りますが、寝棺の歴史は古く弥生時代にはすでに石や木の棺が使われて居りました。
但しこれは現在のイメージとは違い、地面を掘ってその周囲を石や木で覆ったもので、むしろ石室・木室のイメージでした。
現在に近い棺は古墳時代から見られます。木や石をくり貫いたり組み合わせたものが出土されています。
何れにしろ、明治時代に至るまで寝棺は高貴な方にのみ使われて居りました。
縄文時代には多く屈葬は出土しておりますが柩が使用されたかは不明です。
いずれにしろ、古くに棺を使用出来るのは上流階級の極一部の人々だけでした。
2)鎌倉時代~
鎌倉時代に入ると庶民の間でもご遺体の埋葬に棺が使用され始めます。
その多くは座棺でした。
そして江戸時代に入り、一般庶民の間でも棺の使用が普及します。
この時代は土葬が主流であり、場所を取らない為にも屈葬により埋葬する為、桶を使用した座棺が使用されました。
今日でも棺を”かんおけ(棺桶)”と呼称しますが、これは桶を使用した座棺に由来します。
江戸時代にはこの桶型の棺を亡くなると急いで作らなければならない為、早桶とも呼ばれて居りました。
明治時代に入り、富裕階層の間で平型の寝棺が使用される様になり、火葬場の普及と共に寝棺も普及して行きました。
但し、特定の地域では火葬炉が座棺用のものしか無い為、寝棺が使用できず昭和40年代まで座棺も使われて居りました。
2 棺の種類
棺には使用される材質に応じて、木棺(もくかん)、石棺(せっかん)、陶棺(とうかん)などが御座います。
しかしながら特別な場合を除いて平型の天然木棺、フラッシュ棺、布張棺の中の何れかをご使用頂く事とが一般的と成りました。
お棺の価格は使用される材質及び製作者により数万円から数千万円まで多岐にわたります。
1)天然木棺
桐(きり)、檜(ひのき)、樅(もみ)などの天然無垢材の一枚板を組み上げて造られた棺。
高級棺であり、彫刻を施した棺も存在します。
2)フラッシュ棺
2枚のベニヤ材の間に芯材を入れて貼り合せた板材を用いた木棺。
フラッシュ棺は、薄いラワン合板の間に芯材を入れて貼り合わせ、表面に天然木(桐が主流)を薄くスライスしたものを貼った突板貼り合板棺、木目を紙に印刷したプリント合板棺などです。
3)布張棺
フラッシュ棺の表面を布で覆ったものが一般的で、キリスト教の葬儀で多く使用されます。
4)棺の形状
形状はそれぞれ箱型、カマボコ型、山型、船型などがあり、外観には彫刻を施した総彫刻、五面彫刻、三面彫刻、二面彫刻などの彫刻棺も御座います。
サイズはご遺体の体型及び火葬場により入れられる寸法が異なります。
蓋にはご遺体の顔を見られるように専用の蓋で開く小窓がついているものが一般的と成ります。
3 納棺の儀式
ご葬儀でご遺体を祭壇に安置する際にはご遺体はお柩にお納めして安置しなければ成りません。
又、ご火葬はご遺体がお柩に納められた状態でなければ執り行う事が出来ません。
ご遺体をお柩にお納めする納棺の儀式はいずれの宗教でも大切な儀式となります。
1)仏教の納棺
仏衣をお着せし、旅装束を整えて、頭を北向き(不可能な場合は西向き)にする枕直しをし、胸の上で合掌させ手に数珠をかけてご遺体を棺にお納めします。
2)神道の納棺
神衣(かむい)をお着せし納棺後、毎日朝・夕または毎朝、生前が好んだ常餞(調理した食べ物)か生餞(未調理の洗米、塩、水など)を供える。
3)キリスト教の納棺
衣服を整えた後、神父や牧師の立会いのもと納棺は行われる。
会葬者一同で祈りを捧げ、聖書を朗読し、聖歌を歌います。
今回は以上です。