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昭和時代の葬儀

2021年1月13日

昭和時代の葬儀は第二次世界大戦前と後で大きく変化します。

大戦前のご葬儀は葬列を主体としたお見送りで、戦後は告別式を主体としたお見送りへと代わりました。

花祭壇

葬列

1 昭和時代のご葬儀背景

明治・大正時代のお見送りは葬列を主体として執り行はれて居りました。

それが昭和時代に入ると、米国より霊柩車が輸入され、ご遺体移送の手段としての霊柩車が普及し始め、昭和2年に製造された宮型霊柩車の出現により

お見送り儀礼の主体は葬列から告別式主体へと変化して行きました。

そして、告別式の登場と共に、従来は小机の上に具足を供えた程度の祭壇が、一壇から二壇、二壇から三壇と、徐々に増えて行き、

最終的には現在も使われている5壇の白木祭壇が生まれました。

満州事変から第二次世界大戦へと進む中で、戦局の悪化とともに葬儀や告別式を行う事も出来なくなり

昭和10年前後までは葬列を組む事も細々と残って居りましたが、戦時体制に入るとこれも消えました。

葬具の製造なども統制される様になり、葬儀・告別式の規模もより小さくなってゆきます。

更に戦局が厳しくなると霊柩車の燃料も不足する様になり、ご遺体の移送は人手による事となります。

戦争の最終局面では葬儀の飾り付けも出来なくなり、故人様のご遺体は 納棺して火葬場にお送りするだけとして、ご葬儀を執り行う機会は消滅しました。

終戦直前では死者が出ても納棺をして火葬場へ行くだけの葬儀となりました。

 

戦後日本の宗教

日本では敗戦とともに物資の不足、高度のインフレにより国民生活は混乱しましたが、昭和25年の朝鮮戦争による特需景気をはじめとして、日本の戦後復興が始まります。

葬儀も昭和28年ころより告別式を中心とした葬儀式が行われる様に成り、祭壇・棺や各種の葬具が開発・製造され、祭壇を中心とした葬儀が一般的となって行きました。

この流れとともに地域特有の葬具は徐々に姿を消し、全国的に標準化が図られる様に成ります。

そして、人口の大都市集中、核家族が進みます。

それでもこの時代には地区共同体としての葬儀が多く見られました。

葬儀の取り仕切りは町内会や、団地の自治会が中心となり、団地の集会所で執り行われる葬儀も多く見られました。

又、家族・親戚が色々な地域から集まらねば成らなくなり、葬儀は通夜と葬儀式を中心とした2日間に集中するように成ります。

告別式も葬儀式と同時に行い、会葬者への迷惑を考慮して時間も一時間以内で終了する様になります。

現在の横浜市内では葬儀式・告別式・初七日法要・故人様との最後のお別れまでを一時間で執り行う形が一般的と成って居ります。

現代では少子高齢化が進捗し、お仕事を引退されてからそこそこの時間が過ぎた方の葬儀では、ご葬儀を営む目的の一つである”社会への告知”はその重要さを失いつつあり、

近親の方のみで静かにお見送りするご葬儀が多くなりました。

家族葬と言われる形です。

会葬者の方も限定される事から大規模な五段の祭壇などは姿を消しつつ有り、お見送るする御家族のご希望に沿った祭壇、式次第などが主流になりつつ有ります。

白木祭壇

2 昭和時代のご葬儀

昭和時代の初期に現在の葬儀式場の原型が出来上がります。

特に東京、大阪、名古屋などの大都市に出現した告別式では使用される祭壇が大きく変化しました。

それまでの祭壇は現在の枕飾り程度の祭壇と、その左右に生花、造花、供物などを配した簡素なものでしたが、

この部分を前机として残し、その後ろに複数の壇を配し、最終的には白木で5っの壇を組み上げた現在の祭壇の形が使用される様に成りました。

又、当初はそれぞれの壇を白布で覆う単純な形でしたが、その内 高欄をつけた祭壇等も使用される様になります。

そして、祭壇を飾る為の六道などの新しい燭台や葬具が誕生しました。

遺影写真が祭壇に飾られる様になったのも昭和初期からです。

今回は以上です。