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ご葬儀関連新着情報
横浜市での葬儀・ヒマワリに囲まれて曹洞宗のお見送り
2021年9月29日
今週は曹洞宗ご導師によるご葬儀のお手伝いをさせて頂きました。
参列の方々は二十数名と多人数ではありましたがご親族のみとの事で、
ひかりの杜家族葬プランをご利用頂いて営まれました。
ご葬儀式場の祭壇は生花祭壇をご指定頂き、故人様がお好きだったヒマワリのお花でご遺影を飾らせて頂きました。

1 曹洞宗とは
曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師により中国から伝えられた
日本の禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗(おうばくしゅう)・普化宗)の一つで、
”正伝の仏法” を伝統とし 南無釈迦牟尼仏として釈迦をご本尊と仰ぎ
修証一如(無限の修行こそが成仏である)、只管打坐(しかんたざ、ひたすら座禅する事)をもっぱらとし、
座禅を通して、真実の自己・仏性に目覚め、懺悔・菩薩心の働きによる菩薩行により
他者に働きかけ活かすことを教義とします。
大本山は福井県吉田郡の吉祥山永平寺(ご本尊 釈迦如来、弥勒仏、阿弥陀如来)と
神奈川県横浜市鶴見区の諸嶽山総持寺(ご本尊 釈迦如来)の二寺が有ります。

1)日本国曹洞宗開祖、道元禅師
道元禅師は1200年京都に生まれ、14歳で天台宗座主公円の下で出家し仏法房道元と名乗ります。
その後三井寺で天台教学を修め、1217年より京都建仁寺にて栄西の弟子明全に師事します。
1223年明全と共に南宋に渡り、諸山を巡って修学し、曹洞宗禅師天童如浄より印可を与えられ
1228年に帰国します。
帰国後1233年京都深草に興聖寺を開きますが比叡山からの度重なる弾圧を受け、
1243年越前国の地頭 波多野義重の招きに応じて越前志比荘に移り、
傘松に大仏寺(後に永平寺)を開き、自ら貫首となります。
そして1253年病を得て貫首の座を弟子の弧雲懷ジョウ(こうんえじょう)に譲り、
京都高辻西洞院で没っしました。享年は54歳でした。
2)曹洞宗の教義
道元禅師は自らの教えを”正伝の仏法である”として、セクショナリズムを否定し、
弟子達にも特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗として見られることすら拒否感を示したと伝えられます。
従いまして、道元の下に集まる人々により教団が形成されましたが特定名称を持ちませんでした。
宗派の呼称として曹洞宗を用いる様になるのは、
宗団の太祖と仰がれる第四祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の頃からで、
瑩山により、禅の大衆化と現在の様な大教団なる為の基礎が築かれました。
総持寺は瑩山により能登で開山しましたが、明治時代に焼失した為、現在の横浜市鶴見に移して建立されました。

3)曹洞宗の葬儀とお経
曹洞宗の葬儀は故人様を偲び、讃えることであり、ご遺族をいたわり、慰める為に営むものとされます。
葬儀儀礼は僧侶の葬儀を簡略化して営まれ、
授戒(戒を授けて仏弟子とすること)と引導(仏世界に入らしむこと)が中心に置かれます。
又、肉親の死により悲しみの中に居られるご遺族に、
故人様もこうして仏の慈悲により救済され、仏の世界に入れることを儀式により示すことで、慰めを与えます。
枕経では仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)又は舎利礼文(しゃりらいもん)が読誦され、
通夜式では修証義(しゅうしょうぎ)舎利礼文が読誦されます。
葬儀式では大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)、舎利礼文が読誦されます。

4)曹洞宗でのお焼香
曹洞宗では香を二回香炉に投じて仏と故人の霊を拝みます。
一回目は右手で香をつまんだのち両手で額に押し戴き、香炉に投じます。
続けて二回目には少量を押し戴かずに香炉にくべて拝みます。
今回は以上です。