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横浜市民の葬儀・仏教でのご葬儀

2021年12月6日

 現代の横浜に於きまして多くの方々は旅立ちの儀式は仏式を選択されております。

仏式に於ける旅立ちの儀式は“葬送儀礼”と呼ばれますが、一般的にはそれを略して葬儀と呼ばれます。

本来の仏教では葬送儀礼は重視される儀式では有りませんでした。

釈尊(釈迦の敬称)は弟子に死後の遺骸の処置を問われた時に

“僧侶は遺骸の供養などは考えず、真理の追求に専念すべき、供養は在家の信者がしてくれる。”

と答えたと伝えられます。

この考えの一部は現在でも継承されて居り、僧侶は ご遺体 ご遺骨 墓石には触れないものとされます。

葬儀について

1 仏教儀式としての葬送儀礼

現代の横浜で営まれる仏教徒のご葬儀は、

インド仏教を起源として、中国の儒教、日本古来の文化・精神が融合して現代の形式と成りました。

仏教がインドから中国へ伝播すると、中国・漢民族が信奉してきた道教や儒教の先祖供養の民間信仰と習合し、

葬送儀礼も仏教に於ける儀式の一つとなって行きました。

その中国仏教は飛鳥時代に日本に伝来し、皇室や豪族の信仰の対象となって日本国内に浸透して行きます。

更に、鎌倉時代には庶民の間にも広がりを見せ、庶民の間でも葬送儀礼が営まれ始めます。

そして、江戸時代・寺檀制度を基とした檀家制度が全国に定着すると、

葬送儀礼は仏教に於ける重要な儀式となりました。

通夜式・葬儀式

2 仏教の葬儀と火葬

仏教の葬儀に於いてはご遺体の処理は火葬を前提として居ります。

それは釈尊のご遺体は火葬された故事にもとずきます。

日本の考古学上では5世紀頃の遺跡から焼骨が発見されている事から、

日本国内では仏教伝来以前にも火葬が行われていたと推定されますが、

人工的にご遺体を焼却する葬法である火葬が日本人に受入られたのは仏教の伝来が大きかったと考えられます。

記録に現れる最初の仏式火葬は700年に僧道昭に対して営まれたご火葬です。

又、天皇家に於ける最初の火葬は持統天皇の葬儀で行われました。

以後、天皇家に於ける葬儀は仏教葬を前提として居りました。

天皇家の葬儀が神式となるのは明治天皇以降です。

仏教は日本伝来と共に天皇家を始めとして多くの貴族・豪族の間に浸透して行きました。

そうした中で天皇家のご葬儀も仏式で営まれるようになります。

天皇家の葬儀に仏教が深く係わったのは持統天皇の葬儀が最初であろうと推定されます。

持統天皇は703年12月22日に崩御され、その玉体はご火葬がされました。

天皇はご遺詔(いしょう、遺言)をのこされ、

葬儀は倹約をこととし、素服(そふく)と挙哀(きょあい)を禁止しました。

素服とは質素な白服で喪服として裁縫し、喪の期間に着用しました。

挙哀は”ああ悲しいかな”と唱えて礼拝することをさします。

いずれも仏教葬が始まる以前の葬儀の基本となるものでした。

これらを止める事により葬儀が大袈裟になる事を戒めました。

以後、天皇、貴族階級に於いては仏教葬、火葬が定着してゆきます。

3 火葬

火葬とはご遺体を焼却する事ですが、

仏式では、火葬前の読経・焼香から焼骨を骨壺に納める収骨までも葬儀式の一部であると言う考え方も有ります。

又、ご遺体の安定化、減容化処理の手段の一つとも言えます。

世界的には火葬は必ずしも主流とは言えませんが、

日本に於いてはほぼ100%でご火葬の上、納骨或いは埋葬されて居ります。

日本に於ける火葬の歴史は古く、確認された火葬としては6世紀後半のものが有り、

現在検証中の遺跡としては長崎県大村市の竹松遺跡(弥生時代後期、2世紀ころ)などが有ります。

しかしながら、火葬は仏教の伝来と共に伝わったとされる説が有力で、

最初に火葬された人物は僧道昭(700年)であり、最初の天皇は持統天皇(702年)とされます。

その後、火葬の習慣は上級役人、公家、そして武士社会へと広がって行きます。

とは言え儒教の教えでは体を傷付ける事は大罪であり、火葬もその一つと考えられ、

又、火葬の為の燃料代も高額であったことから火葬率はそれ程高くは有りませんでした。

仏教が準国教とされた江戸時代でも2割前後の火葬率と想定されます、棺桶を使った土葬が主流でした。

明治時代に入り国教が神道に変わり、天皇家をひっとうに土葬へと変化しますが、

都市部では土葬の為の土地確保の困難さ、火葬技術の進歩、衛生管理上の問題などから、

徐々に火葬率は上昇し、現在ではほぼ100%となって居ります。

   今回は以上です。