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横浜市民の葬儀・仏教の民間への広がり

2021年12月12日

日本に於ける仏教は6世紀半ば百済国(くだらこく、朝鮮半島西部の国家)より渡来(とらい)して以来

国家運営の柱として天皇家を中心に貴族・豪族の間で信仰・発展を続けてゆきましたが、

奈良時代より徐々に民間へも広がり始めます。

その流れに合わせて民間でも葬儀が営まれる様になります。

1 奈良時代に始まる民間仏教

本来、仏教の僧侶になる為には教団の承認を得て、

得度と呼ばれる出家の儀式を受ければ、誰でも僧侶となれるのが基本ですが、

奈良時代には僧侶の人数を制限する為、得度は国家の許可制となって居りました(官度)。

国の許可を得ずに出家することは私度として禁じられて居り、民間への布教も大きく制限されて居りました。

しかし、行基や空也などの私度僧が多く現れ、民間仏教が盛んになって行くと、

それらの宗教指導者は、”菩薩(ぼさつ)”あるいは”聖(ひじり)”と呼ばれて民衆から慕われる様になります。

こうした民間仏教の広まりは仏教の民衆化を押し進めると共に、

民衆の葬儀の仏教化を進めることにもなりました。

仏教の僧侶になる為には教団の10名の先達の承認を受けて、戒律を護る事を誓えば誰でもなれるものでしたが、

中国や日本では労働、納税、兵役が免除されていた為、僧侶になる者が続出し、

国の存立を犯しかねない事態を憂慮して、年度や地域ごとに僧侶の人数を制限する為 

得度を国の許可制としました。

2 行基上人

奈良時代に民間仏教の先達として頂点に立つのが 行基(668年-749年)です。

行基は河内国大鳥郡(大阪府堺市)に生まれ、法相宗の僧侶となり、

朝廷が禁じた民衆への仏教布教の禁を破り、民衆や豪族など階層を問わずに仏法の教えを説き、

朝廷からの弾圧を受けながらも逆境を跳ね返し、多くの社会活動を成し遂げて民衆の圧倒的支持を受けました。

その後には朝廷も認めて日本で最初の大僧正となります。

続日本紀には行基集団が ”死魂を妖祇す” と記されて居り、死者の弔いに従事していた事を窺わせます。

又、行基の弟子集団である志阿弥(行基の法弟、架空の人物)は火葬を行い、

墓地を開創したと言われ、後に葬送の俗聖である三昧聖として諸国に伝承したと伝えられます。

3 空也上人

民間仏教の広がりは奈良時代の行基上人を始めととして、

平安時代の空也上人(903年-972年)とその弟子達による口称念仏により民間に普及して行きました。

阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)などと尊称され 

”南無阿弥陀仏”の名号を唱えながら道路・橋・寺院などを造る社会事業に奉仕し、

貴賤を問わず幅広い帰依者を得ました。

口称念仏の祖、民間に於ける浄土教の先駆者として評価されて居ります。

空也は平安時代中期の僧ですが、複数の宗派と関わりを持って超宗派的立場を保ち、

若い頃から在俗の修行者として諸国を回り、南無阿弥陀仏を口称すれば 

阿弥陀仏の絶大な力を働かせる事が出来る、と口称の念仏を説きました。

この事は民間念仏として死者儀礼や農耕儀礼と結びついて仏教の民衆化を推し進めました。

念仏も呪力として死者の減罪に力を持つと信じられました。

空也は948年に比叡山で天台座主・延昌のもと授戒し、

光勝の法号を受けて居りますが、生涯超宗派的立場を守り続けました。

又、踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれて居ります。

そして、その弟子たちは高野聖など以降に広まった民間浄土教行者”念仏聖”の先駆者となり、

鎌倉時代の仏教界に多大な影響を与えました。

空也は風葬されたと思われる野原の遺骸(いがい、遺され捨てられた死骸)を集めて、

火葬して供養をしたと伝えられます。

空也の弟子達も火葬の技術を伝承したと考えられます。

こうした民間仏教の広がりは、仏教を民衆の中に定着させ、民衆の葬儀も仏教で行われる様になって参ります。

尚、空也上人は972年京都東山西光寺(現在は東山区 六波羅蜜寺)において、70歳で示寂されました。

   今回は以上です。