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横浜市民の葬儀・日本仏教の葬儀式次第

2021年12月15日

日本仏教に於ける葬儀の式次第は鎌倉時代に創り上げられたとされます。

鎌倉時代には浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗などの宗派が興されました。

貴族階級は没落し、武士階級が興隆し、天変地異が相次いで厄災に悩まされる時代でもありました。

日本に於ける武士や庶民の葬法はこの時代から出来始めて居ります。

その基になるのは中国で編纂された禅宗の葬法で、

本来は僧侶の為の葬法ですが、それに手を加えて武家や民衆の葬法と変化して行きました。

1 吉事次第(きちじしだい)

鎌倉時代に書かれたと想定される文献として”吉事次第”があります。

この文献には、当時の天皇・貴族の間で行われた葬儀の概略が書かれて居ります。

何故、葬送に付いて記述された本の表題が吉事かと疑問に思いますが、

この時代には、蔡事或いは凶事という言葉が忌み嫌われ、葬儀のことを”吉事”或いは”勝事”とよんで居りました。

吉事次第には、以下の事が書き記されて居ります。

ーまず人が死ぬと、北枕に直し、衣を上にかけてご遺体を覆い、

 枕元に屏風を逆さに立て、燈火に火を灯し、葬儀が終わるまで消えない様に守る。

ー香は燈火の火を点けて焚く。

ー暑い夏には酢を容器に入れて 死臭を弱める。

ー人々は屏風の外に待機し、僧侶は死者に真言を唱える。

ー棺は木製で長さ6尺3寸、幅1尺8寸、高さ1尺6寸を標準とする。

ー棺の中には香や土器の粉を敷き詰め、ご遺体が動く事を防ぐと共に、

 ご遺体から漏れる体液を吸収する事に役立てる。

ーご遺体の納棺は、褥(しとね)のままご遺体を納め、その上に梵字を描いた布で覆う。

ーそして、頭、胸、足の三カ所に砂をふりかけ、蓋を閉じて葬儀に時まで北枕で安置する。

ー葬儀は夜間に執り行い、葬儀後は葬列を組んで貴所屋(火葬の為の仮屋家)に送り荼毘に付す。

ー拾骨は、焼骨をカメに納めて土砂を加えて、蓋をし、白の皮袋に包む。

ーそのご遺骨は三昧堂に納める。

ー葬儀・火葬が終れば、貴所屋を取り壊し、その後にお墓を作って卒塔婆を建てる。

この当時は葬儀の後、魚鳥などを放して死者の冥福を祈る習慣も有りました。

七七日(四十九日)と一周忌の法要は以前から有りましたが、

この時代から 三回忌や十三回忌の法要が営まれる様に成りました。

2 ご遺体の火葬

”続日本記”によれば、日本で最初に火葬された人は文武天皇4年(700年)に火葬された僧道紹であります。

また最初に火葬された天皇家は、大宝2年(西暦702年)に崩御され、

殯(もがり)の儀礼を終え、大宝3年に荼毘に付された持統天皇でした。

又、兵士の火葬も法律によって定められており、大宝元年編纂の『大宝律令』には、

”行軍中の兵士が死んだ場合は焼いてその場に埋める”ように記述されておりました。

東国の防人が死んだ際も、柩を給付して焼くようにという記事もあります。

天皇が火葬される以前から兵士の火葬は規定されて居りました。

持統天皇の火葬以降、倣(なら)って上級の役人、公家、武士の間にも火葬による葬法が広まってゆき、

処々の事情・歴史を経て現代の日本の火葬率は99%を超える事となって居ります。

   今回は以上です。