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横浜市民の葬儀・神道と神葬祭

2021年12月28日

神道は、古代日本に起源をたどる事が出来る日本独特の宗教で、日本各地の民俗信仰や自然信仰を基にし、

中央・地方の政治体制とも関連しながら、自然に生まれた神観念で、時代とともに徐々に形成されてきた、

八百万(やおよろず)の神をもつ多神教で、祖霊崇拝性をも強く持つ宗教です。

その神々は身近におり、地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える守護神でもあります。

神道では、キリストや釈迦のような開祖は存在せず、聖書や教典も存在しません、

浄明正直(じょうめいせいどう、浄く、明るく、正しく、直く)を徳目とし、

具体的な教義は、神社と神社が執り行う祭から学ぶ事が出来ます。

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1 神道とは

日本固有の神道は、日本の風土や日本人の生活習慣を基に、自然・自然現象・人物を神とした宗教で、

縄文時代を始まりとして弥生時代から古墳時代に原型が形成されたと考えられて居ります。

日本で”神道”という言葉が初めて出て来るのは、日本書記の中の用明天皇紀で、

”天皇仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまう”とあります。

日本国内で独自の進化を進めていた神道は、

奈良時代の仏教伝来と共に神仏習合がされて江戸時代末までこの状態が続きますが 

その間、伊勢神道を始めとして吉田神道などの各派が複雑な教理を作り上げて行きました。

そして、神道各派の教理が尊王攘夷思想として広まり、討幕の理論根拠となって行きました。

従いまして、明治政府は神道国教化を前提として成立し、

五箇条の御誓文も国家神道の影響を受けて作られ居ります。

明治政府は神仏分離を行うと共に神道国教化を図りますが、

欧米列強に対抗する為の近代化政策上、信教の自由を認めざるを得ませんでした。

しかしながら明治時代、西欧の近代的な宗教概念が日本に輸入され、宗教学が本格化すると 

学問上”神道”の語が確立し、世の中に定着して行きました。

神道の神々をお祀りする社を神社と呼びますが、

全国の神社の大部分は神社本庁(宗教法人)が統括して居ります。

文化庁の宗教年鑑によれば日本国内で8万5千の神社が登録され、信者数は1億600万人とされて居ります。

この信者数は神社側からの自己申告ですので、地域住民を全て氏子として申告したり、

参拝者全てを氏子と計算するなどの例によるものと考えられます。

2 神葬祭

神葬祭とは日本固有の宗教である神道の葬送儀礼です。

この日本固有の儀礼は仏教の伝来以降、天皇家の庇護を受けて急速に仏式の葬儀へと変化して行きます。

更に江戸時代の寺請制度により、神職も何れかの寺院に所属しなければならず、神葬祭を行う機会は失われました。

その様な状態の中、江戸時代中期に入ると、国学が興隆し、国学者たちによる日本古来の精神・文化の研究が進み、

日本古来の信仰にもとずいた葬儀を求める”神葬祭運動”が起こり、

その結果として1785年江戸幕府は吉田家から許可状を受けた神職、及びその嫡子に限り、

仏門を離れて神葬祭を行う事が許可されます。

そして、明治時代に入り、政府の神祇政策の一還として神葬祭が奨励され、

明治5年には明治政府の教部省により”葬祭略式”が制定されました。

江戸時代、神社は仏教からの独立を志向しましたが、キリシタン対策の為の寺請制度(檀家制度)により、

神職と言えども、何れか寺院の檀家でなければ成らず、仏式の葬儀が強いられました。

神社側としても宗教としての神道を確立するとともに、神葬祭を求める運動を起しました。

しかしながら、江戸幕府は寺請制度を宗教問題としてだけではなく、民衆支配体制の問題としても捉えていたため、

神葬祭運動が許可されるまでには長い時間が必要とされ、

許可された1785年でも大きな制限の中でしかなく、この状態は明治維新まで続く事となります。

江戸時代の神葬祭は儒教葬を基本としたものにとどまりましたが、

神葬祭の形式がまとめられるのは、明治5年(1872年)制定の”葬祭略式”によってとなります。

明治政府は神葬祭を奨励しましたが、明治憲法では制限付きでは有りますが、

信教の自由が保障されて居りましたので、神葬祭が強制される事は有りませんでした。

又、葬儀は宗教行為とされ、

公務員に相当する神社神道の神職は宗教活動である神葬祭を執り行う事が禁止されていた為、

神葬祭の普及は必ずしも進捗しませんでした。

第二次世界大戦後 神道は宗教としての立場を取戻し、葬儀に係わる事が出来る様になりました。

   今回は以上です。