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横浜市民の葬儀・近代の葬儀・明治・大正

2022年1月14日

武士の時代であった江戸時代から、近代国家を目指す明治時代に入りますと、

営まれるご葬儀の次第も変化して行きました。

葬儀について

1 明治時代のご葬儀

江戸時代には士農工商という身分制度の下で、身分に合わせた葬儀が営まれて居りましたが、

明治時代に入りこの身分制度が廃止されると、大都市を中心に葬儀の在り方が大きく変化して行きました。

まずは、ひそかに夜間行われていた葬列が、昼間大掛りに行われる様に成ります。

又、使用される棺が棺桶を使用した座棺から、寝棺へと変化します。

更に寝棺を乗せる為の白木の輿(こし)が組まれ、その輿を彩る為の葬具が出現しました。

江戸時代の葬列は夜間に少人数でひそやかに組まれるのが普通でしたが、

明治時代に入ると、台頭してきた商人層を中心にして社会に誇示する為日中に大掛りな葬列を組む様に成ります。

葬列の要員としては明治と共に役割を終えた大名行列の奴(やっこ)が動員されました。

江戸時代の棺と言えば棺桶すなわち座棺が中心でしたが、

明治に入ると富裕層を中心とした葬列の肥大化に伴い長方形の寝棺が使用され始め、

この寝棺を運ぶ為の白木の輿をあつらえて、より多くの人により柩を運ぶ事で、その財力を社会に示しました。

但し、一般庶民の柩は棺桶が中心で、この柩を駕籠や御輿型に飾られた人力車などで運びました。

この状態は第二次世界大戦終了まで続きました。

そして、この葬列を彩る為の野道具と言われる葬具も立派な物が作られ始めます。

金連、銀蓮、生花や造花を挿して作った花車、放鳥する為の鳩を運ぶ放鳥輿、

位牌を運ぶ位牌輿、香炉を運ぶ香炉輿などです。

現代の葬具の原型となるもので、これらの葬具を作成する専業の葬具屋がこの時代から出現しました。

2 大正時代のご葬儀

明治時代の葬儀の中心は葬列に有りましたが、大正時代に入ると市街地での埋葬や火葬が制限され始め、

明治36年より走り始めた路面電車の走行に支障をきたす事などからも徐々に葬列廃止の方向に進み、

それに代わって告別式が登場して来ます。

葬列が廃止されると共に、お柩の移送には霊柩車が使用される様に変化しました。

大正時代に入ると都市部で行われていた大型葬列に対して 

”私事の為に交通を妨げるのは良くない”などの批判が出始め、

新聞などのマスコミにも都市部では葬列を廃すべきである、などの論調が顕著と成り始め、

葬列廃止の方向が急激に進み始めます。

そして、葬列に代わる葬儀の儀式として、告別式が葬儀の中心となって行きました。

日本で最初に告別式が行われたのは、明治34年に営まれた中江兆民の葬儀であったと言われて居ります。

中江兆民自身が無宗教であった事から、教え子たちにより宗教儀礼を行わず、

告別式によるお見送りを執り行いました。

この時代、地方では葬儀の中心は”野辺の送り”と言われた葬列でしたが、

東京、大阪、名古屋などの大都市では葬列に代わって霊柩車が使用され、儀式のメインは告別式と成りました。

霊柩車が始めて使用された時期は諸説ありますが、明確な記録としては、

大正6年に大阪で葬列の要員派遣を生業としていた大手業者の籠友が米国より輸入した霊柩車があります。

大正8年には名古屋の一柳葬具店も米国より霊柩車を輸入して居ります。

当時の米国の霊柩車は彫刻がほどこされ、破風の付けられた派手な形の車でしたが、

従来の輿にも似た形態から採用されたものと考えられます。

大正10年前後には、これらの輸入車に日本独自の装飾を施し、後部を輿仕立てにし、和風の唐草模様を施した 

宮型霊柩車が登場しました。

この形態が現在まで継承されて居ります。

   今回は以上です。