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横浜市民の葬儀・青葉区民のご葬儀

2022年11月11日

横浜市青葉区は奈良時代から都筑郡と呼ばれた古い歴史を持つ地域の一部でした。

現在、青葉区にお住まいのご葬家様の為のご葬儀式場と致しましては、

横浜市営式場であれば横浜市北部斎場のご利用を、

お住まい近くでの葬儀式わご希望であれば私営あおば浄苑のご利用をお勧め致します。

1 横浜市北部斎場

横浜市北部斎場は緑区長津田町に位置する横浜市営の斎場で、

青葉・都筑・港北・緑・旭・瀬谷・保土ヶ谷区民のご葬家でご利用頂ける葬儀式場です。

横浜市北部斎場には火葬場が併設され、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、葬儀式場から火葬場への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市北部斎場
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横浜市北部斎場は正門を入りますと直ぐにトンネルとなり、

トンネルを抜けると前に駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が配置されて居ります。

葬儀式場は4式場あり、いずれも式場にも

受付・待合せロビー・式場・お清め室・親族控室・宗教家控室・シャワー室・トイレが配置されて居り、

席数100席・500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市北部斎場の利用料は、故人様が横浜市民であれば 

式場利用料(2日間)8万円、

火葬炉利用料1万2千円、火葬時の控室利用料5千円でご利用頂けます。

横浜市北部斎場は建物も比較的新しく、駐車場も地上・地下に幅広く用意されて居り、

ご利用頂いた方々よりは好評を頂く式場で御座います。

徳恩寺・あおば浄苑
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 徳恩寺 あおば浄苑

あおば浄苑は高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺により運営される私営の葬儀式場で宗派に関わらずご利用頂けます。

ーあおば浄苑は東急田薗都市線、若しくはJR横浜線の長津田駅からこどもの国線に乗り換え、

 最初の駅であります恩田駅から徒歩で二分に位置する私営の斎場で、相模の田薗風景が残る地に建立された、

 落ち着いた雰意気の大変良い斎場です。

ーあおば浄苑は徳恩寺敷地内に別棟として建てられおり、

宗旨・宗派に係わらず大、小のホールを利用出来る形となって居ります。

小高い丘の中腹に建てられて居り、

徳恩寺を正面に見て右手の坂道を登って頂くとあおば浄苑の正面入り口となります。

建物は総二階建てとなって居り、

 一階には受付・待合せホール・大ホール・小ホール・パントリーが配置され、

 二階には和室控室(3室)迎賓室が配置されて居ります。

 大ホール内は席数50席・参列者300人規模の葬儀を営む事が出来、

 小ホールでは15席の家族葬を営む事が可能となって居ります。

 二階の和室はご遺族の待合室としてご利用頂けると共に通夜仮眠の部屋としても使用可能です。

 5名前後の通夜仮眠が出来る様になって居ります。

ー尚、あおば浄苑をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

 緑区内の横浜市北部斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺は、1355年(建武二年)等海律師により中興開山され、

地域の人々に親しまれて現在に至って居ります。

ご本尊の虚空蔵菩薩は室町時代の作と伝えられ、横浜虚空蔵としても有名です。

青葉区花、梨の花

3 横浜市青葉区の軌跡

横浜市青葉地区の歴史は古く、紀元1世紀には稲作が始まり(稲荷前古墳群、朝光寺原古墳、市が尾横穴古墳群)、

7世紀には武蔵国都筑郡の一部と成りました。

以後、鶴見川流域の平野部に農村が散在する土地でしたが、

江戸時代に作られた大山街道では䇮田宿が制定され賑いを見せます。

昭和14年都筑郡山内村・中里村・田奈村が横浜市に編入され、港北区の一部となります。

昭和41年田薗都市線の開通と共に丘陵地が宅地に造成され、人口が急激に増加して行きます。

その人口増加に伴い昭和44年には緑区となり、

そして平成6年緑区と港北の一部が分区して、現在の青葉区が出来上がります。

青葉区は面積は戸塚に次いで第二位、人口は港北区に次いで第二位の区となって居ります。

   今回は以上です。