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ご葬儀関連新着情報
横浜市民の葬儀・保土ヶ谷区民のご葬儀
2022年11月13日
横浜市保土ケ谷区は、横浜市内の中央部に位置し、人口20万人、10万世帯が居住する、
区の花を”スミレ”と制定した、関東ローム層の南東端位置する起伏に富んだ街です。
保土ヶ谷区にお住まいのご葬家様にご利用頂ける葬儀式場と致しましては、
横浜市営式場であれば横浜市北部斎場、
お住まい近くの式場であれば、横浜市久保山斎場に隣接する、私営の小西斎場、一休庵久保山斎場、
或は、同じく私営ですが神奈川区内の西寺尾会堂・西寺尾火葬場をお勧め致します。

1 横浜市北部斎場
横浜市北部斎場は緑区長津田町に位置する横浜市営の斎場で、
保土ヶ谷区・青葉・都筑・港北・緑・旭・瀬谷区民のご葬家でご利用頂ける葬儀式場です。
横浜市北部斎場には火葬場が併設され、大駐車場も備えた大変便利な葬儀式場で、
宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。
又、葬儀式場から火葬場への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市北部斎場は正門を入りますと直ぐにトンネルとなり、
トンネルを抜けると前に駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が配置されて居ります。
葬儀式場は4式場あり、いずれも式場にも
受付・待合せロビー・式場・お清め室・親族控室・宗教家控室・シャワー室・トイレが配置されて居り、
席数100席・500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。
通夜仮眠は5名様程度までは可能です。
但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので
灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。
横浜市北部斎場の利用料は、故人様が横浜市民であれば
式場利用料(2日間)8万円、
火葬炉利用料1万2千円、火葬時の控室利用料5千円でご利用頂けます。
横浜市北部斎場は建物も比較的新しく、駐車場も地上・地下に幅広く用意されて居り、
ご利用頂いた方々よりは好評を頂く式場で御座います。

2 私営小西斎場、一休庵久保山斎場

1)横浜市久保山斎場に隣接する私営小西斎場は1FとB1Fの二階構造となって居り、
1Fが式場、会葬者の待合室、そして宗教家の控室が用意されて居り、
式場は60席、300名前後の葬儀を執り行う事が可能な式場です。
B1Fには遺族控室(和室18畳)、お清め室(立食100名)、シャワー室が御座います。
1FとB1Fの間にはエレベーターで繋がれ、B1Fには身障者対応トイレも設備されて居ります。
遺族控室は通夜仮眠のお部屋としてもご利用頂け、大変ご利用頂き易い斎場で御座います。
ご自宅でご遺体を安置する事が出来ない場合は 別棟にご安置する事も可能となって居ります。
駐車場は10数台の乗用車が駐車可能となって居り、
更に多数の駐車が必要な場合は許可を得て横浜市久保山斎場の駐車場も利用が可能です。
式場利用料は23万円となります。

2)一休庵久保山斎場
一休庵久保山斎場ではご利用頂ける式場としてB1Fに第一式場、B2Fに第二式場、の2式場が用意されて居ります。
各式場は間仕切りが出来る様になって居り、ご葬儀は大規模葬から家族葬まで規模に合わせてご利用頂けます。
1Fが駐車場と正面入口となって居り、正面入口からはエレベーターで第一式場、第二式場へと下りて頂きます。
エレベーターで下りますと 受付と待合せロビーとなり、正面の通路を挟んで左側に式場とお清め室、
右側に遺族控室(和室12畳)手洗い シャワー室が配置されて居ります。
式場は会葬の方々の予定人数に合わせて、広さを調整する事が可能となって居り、
ご利用料は15万から25万円の間で広さに合わせた利用料体系となって居ります。
式場とお清めの席の間はパ-ティションで区切る形となります。
尚、両式場共にご火葬は横浜市久保山斎場(火葬場のみ)をご利用頂きます。
ご会葬の方々の移動は横浜市久保山斎場に隣接して居りますので徒歩となります。
但し、ご遺体の移送は霊柩車が必要と成ります。

3 西寺尾会堂
西寺尾会堂は神奈川区松見町2丁目に位置する葬儀式場で、西寺尾火葬場を併設し、
古くより保土ヶ谷、港北、神奈川、鶴見区民、川崎市民、東京都民の方々に利用されている
宗旨・宗派に係わらずご利用頂ける私営の葬儀式場です。
西寺尾会堂は東急東横線妙蓮寺駅から徒歩10分の丘の上に建てられて居り、
車で来場される方には首都高速神奈川1号線生麦ランプ、若しくは第三京浜道路新横浜インターより
何れも15分程の距離に位置する交通の便の良い葬儀式場です。
西寺尾会堂は総二階の建物として建設され、
一階には受付、待合せロビー、葬儀式場、僧侶控室が、
二階には待合せロビー、お清め室、遺族控室・通夜仮眠室が配置されて居ります。
葬儀式場は約100席の会葬者席が用意可能で 社葬を含めた大規模な葬儀も執り行う事が可能です。
尚、同会堂では花輪の取り付けが出来ぬ為、斎場のお飾りは生花のみのご利用となります。
又、西寺尾火葬場への移動は徒歩での移動と成りますので、マイクロバス等の使用は不要となります。
ご利用の費用は35万円と成ります。

4 横浜市保土ヶ谷区あれこれ
横浜市保土ケ谷区は、大正、昭和前期は工業の街でしたが、横浜大空襲によりほとんどの工場が焼失し、
住宅地として再生しました。
昭和2年保土ケ谷町と西谷町が横浜市に編入され、同年の区制制定に伴い保土ケ谷区が誕生しました。
尚、保土ケ谷のケは小文字ではなく大文字の“ケ”が正しい区名です。
保土ケ谷に関連する地名が初めて文献に見られるのは
平安時代中期(930年代)に作られたとされる分類辞典“和名抄”の中の久良郡星川郷の文字です。
更に、1559年の小田原北条家の所領記録の中に星川、保土ケ谷、今井などの地名が見られます。
そして、1601年の東海道宿駅制度により保土ケ谷宿が設けられ、
本陣や問屋場が建築されて宿場町として発展します。

その証が1831年の葛飾北斎・富嶽三十六景の“境木”、34年の安藤広重の東海道五十三次“椎子橋”などです。
明治に入ると鉄道の発達と共に宿場町の機能は失われますが、農業が発展します、
特に江戸末期に甲州より伝えられたジャガイモは保土ケ谷で改良を重ね、
種芋・保土ケ谷イモとなり全国へ出荷される様に成りました。
更にはジャガイモを加工した商品・片栗粉の生産地とも成ります。
大正時代に入ると西谷浄水場が竣工し横浜市内に上水を供給すると共に
横浜港に隣接した便利な土地として大手企業の工場が建設され始め、
保土ケ谷区は農業地から工業地へと変化しました。
その工業地も昭和20年5月の横浜大空襲により壊滅しました。
戦後の復興は京浜工業地帯・勤務者への居住地区として進み、
昭和34年には明神台団地が完成し、更に多くの団地と宅地が造成されて、今日に至ります。
横浜市保土ヶ谷区の見どころとしては
保土ヶ谷球場・テニスコート・その他の設備を持つ桜の美しい神奈川県立保土ヶ谷公園、常盤公園、新井町公園、
陣ヶ下峡谷。境木地蔵尊とその前に建てられた武相・国境モニュメント(武蔵国と相模国の境界)。
今井地下調節池(内径10.8m×2、000m)、
昭和49年に南区より移転した横浜国立大学キャンパス。横浜カントリークラブなどが有ります。
今回は以上です。