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ご葬儀関連新着情報
横浜市民の葬儀・瀬谷区区民のご葬儀
2022年11月26日
瀬谷区は 横浜市内の西端に位置し、人口12万人 6万世帯が居住する、“
アジサイ”を区の花と制定した、農業、宅地、そして 米軍通信隊の街です。
横浜市瀬谷区にお住まいのご葬家様に便利なご葬儀式場といたしましては、
横浜市営の式場と致しましては、緑区長津田町に所在する横浜市北部斎場、
市営式場の予約が混雑している場合には私営の旭斎場のご利用をお勧め致します。

1 横浜市北部斎場
横浜市民の為の市営葬儀式場といたしましては、横浜市戸塚斎場、横浜市南部斎場、横浜市北部斎場が御座います。
三斎場の中で最っとも新しく、四室の葬儀式場を保有する斎場が横浜市北部斎場です。
横浜市北部斎場は緑区長津田町に位置する横浜市営の斎場で、
瀬谷・旭・青葉・都筑・港北・緑・保土ヶ谷区民のご葬家でご利用頂ける葬儀式場です。
横浜市北部斎場には火葬場が併設され、大駐車場も備えた大変便利な葬儀式場で、
宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。
又、葬儀式場から火葬場への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

ご来場に当たりましては、
JR横浜線十日市場駅より横浜市営バス55系統に乗車して頂き北部斎場前で下車(所要10分)の後
徒歩で10分となります。
又、タクシ-をご利用の場合はJR横浜線長津田駅南口より約8分(料金1300円前後)で来場頂けます。
お車で来場の場合は東名高速横浜インターより10分の距離となります。
横浜市北部斎場は正門を入りますと直ぐにトンネルとなり、
トンネルを抜けると前面に駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が配置されて居ります。
葬儀式場は4式場あり、いずれも式場も受付・待合せロビー・式場・お清め室・親族控室・
宗教家控室・シャワー室・トイレが配置されて居り、
席数100席 500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。
通夜仮眠は5名様程度までは可能です。
但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので
灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。
北部斎場は建物も比較的新しく駐車場も大きく取られ居り、
ご利用頂いたご葬家様、会葬の皆様方からは好評を頂く式場で御座います。
横浜市民の方の利用費用は、式場利用料;8万円、火葬炉利用料1万2千円、控室利用料;5千円、
と廉価でご利用頂く事が可能です。

2 私営旭斎場
旭斎場は横浜市旭区下川井町に位置する、
追分市民の森や矢指市民の森に近接した緑の中の静かな私営の葬儀式場です。
式場は宗旨、宗派に拘わらずご利用頂く事が可能であり、費用もご利用し易い設定となって居ります。
又 同式場には遺体安置所も併設されて居り、ご遺体をご自宅に安置出来ないご遺族様の助けとなって居ります。
旭斎場へは相鉄本線三ツ境駅下車、
その後”若葉台中央行”路線バスを利用頂いて”カントリークラブ前”で下車、徒歩1分で到着します。
路線バスの所要時間は約10分です。
又、お車で来場の場合は保土ヶ谷バイパス下川井インターより約6分と大変交通の便の良い式場でもあります。

旭斎場は受付、式場、お清め席がワンフロア―の中に配置されたコンパクトな式場で
宗旨・宗派に係わらずご利用頂ける形となって居ります。
式場内席数は30席 参列者100名規模の葬儀を営む事が出来ます。
又、別棟に4.5畳の僧侶控室が容易されて居り、
この部屋を通夜仮眠の部屋としても利用出来る形となって居ります。
旭斎場ではご遺体の保管設備が用意されて居り、
ご遺体をご自宅に安置出来ないご葬家様の為に斎場内に安置する事が可能です。
旭斎場はご利用費用が廉価な事から、家族葬を営まれるご葬家様から好評を頂いている斎場で御座います。
尚、旭斎場をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、
所用10分前後の横浜市北部斎場(市営)をご利用頂くのが一般的となります。

3 横浜市瀬谷区あれこれ
横浜市瀬谷区には南北に5本の川が流れ、その肥沃な農地を基に米と布を産する街でしたが、
第二次世界大戦終戦後、瀬谷区の15%の土地は
2015年6月30日まで米軍に接収され極東アジアの通信基地として使用されて居りました。
瀬谷区は、昭和44年戸塚区の一部が分区されて誕生しました。
瀬谷区の地名は古くより使用されていた瀬谷村から命名されました。
瀬谷の語源は狭谷(せや)で、狭い川瀬の小谷のある地が地名の由来と言われて居ります。
(世野との説も有ります)。
瀬谷区の歴史は古く、2万年前の旧石器時代の遺跡が2ケ所、縄文時代の遺跡が50ケ所、
弥生時代の遺跡が9ケ所、古墳時代の遺跡が25ケ所 瀬谷区内で発掘されて居り、
出土品の一部は東京国立博物館にも収められて居ります。
鎌倉時代には鎌倉街道の追分として上瀬谷、中瀬谷、下瀬谷で構成されて居り、
江戸時代には中原街道が通り問屋場が設けられ、将軍家のお鷹場も御座いました。
明治となり、この地区には瀬谷村、宮沢村、阿久和村、二ツ橋村が有りましたが、
明治34年の町村合併により鎌倉郡瀬谷村と鎌倉郡中川村となります。
この2村が昭和14年横浜市戸塚区に編入されます。
そして、昭和44年分区され現在の瀬谷区となりました。

瀬谷地区では、明治中期から昭和30年頃まで養蚕が盛んで、
養蚕農家の為の金融機関瀬谷銀行(後に鎌倉銀行に吸収)も設立されて居ります。
瀬谷区の見どころとしては、
桜並木として旧通信基地内の海軍道路、三ツ境駅前の野境道路、和泉川土手などが御座います。
古跡として、鎌倉時代に鋳造されたとされる鐘を持つ妙光寺、968年に創建されたとされる熊野神社。
そして、瀬谷の風土や農村生活を体験出来る長屋門公園、瀬谷の自然に親しむ瀬谷市民の森等が御座います。
今回は以上です。