横浜で葬儀、お葬式ならひかりの杜
ご連絡先はこちら
ひかりの杜
〒222-0033
神奈川県横浜市港北区
新横浜3-2-6
新横浜ビジネスセンタービル2F
TEL : 0120-264-664
親切・丁寧な対応をモットーとしておりますのでお気軽にご相談ください。
→ お問合せはこちらへ
→ごあいさつはこちらへ
QRコード
ご葬儀関連新着情報
横浜市民の葬儀・栄区区民のご葬儀
2022年11月30日
横浜市栄区は横浜市内の南部に位置し南側を鎌倉市と接する、人口12万人・6万世帯が居住する、
区の花を“きく”と制定した、緑豊かな丘陵地を開発した住宅都市です。
栄区に居住されるご葬家様の為の葬儀式場といたしましては、
廉価で整った設備を持つ横浜市営の式場、横浜市南部斎場、横浜市戸塚斎場のご利用をお勧め致します。

1 横浜市南部斎場
横浜市南部斎場は1991年(平成3年)9月に操業を開始しました。

横浜市南部斎場は金沢区みず木町に位置する横浜市営の斎場で、葬儀式場と火葬場が併設され、
大駐車場を備えた大変便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。
又、葬儀式場と火葬場は併設されて居り、その間の移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。
横浜市南部斎場への来場に当たりましては、
京浜急行線金沢文庫駅(特急停車駅)よりタクシ-利用で約20分(料金2000円前後)で来場頂けます。
路線バスご利用の場合は京浜急行金沢八景駅より
神奈川中央交通の大船駅行、庄戸行、上郷ネオポリス行にお乗り頂き
隧道東口で下車(所要時間約20分)後、斎場まで徒歩10分です。
尚、斎場までの徒歩10分間は急な登り坂となりますのでお気を附け下さい。
お車で来場の場合は、大変便利で横浜-横須賀高速道路朝比奈インター出口前となります。

横浜市南部斎場はトンネルを潜り正門を入りますと、正面左手に火葬場・式場の建物が御座います、
この前を通り建物奥には駐車場が配置されて居ります。
葬儀式場は1Fに1式場、2Fに1式場、計2式場があり、
いずれも式場も、受付・待合せロビー・式場・お清め室・親族控室・宗教家控室・トイレが配置されて居り、
席数100席・500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。
通夜仮眠は5名様程度までは可能です。
但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので
灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。
横浜市南部斎場は横浜横須賀道路朝比奈インター出口に隣接し、深い緑地の中に造られた静かな斎場で
駐車場も大きく取られ居り、お車でご来場頂く方々よりは好評を頂く式場で御座います。
横浜市民の故人様の為にご利用頂く際の費用は、
式場利用料(2日間);5万円、火葬炉利用料;1万2千円、控室利用料;5千円、となって居ります。
2 横浜市戸塚斎場
横浜市戸塚斎場は1939年(昭和14年)より横浜市戸塚区内で火葬業務が開始され、
1990年(平成2年)に式場棟が併設され、総合斎場として永く横浜市民のご葬儀に利用されて参りました。

横浜市戸塚斎場は戸塚区鳥が丘に位置する横浜市営の斎場で、
葬儀式場と火葬場が併設され、ぺットの火葬も可能な、
駐車場の完備された、大変便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。
葬儀式場と火葬場は併設されて居りますので、その移動は徒歩が可能でありマイクロバス等を必要と致しません。
ご来場に当たりましては、横浜市営地下鉄線踊場駅より徒歩で15分、
JR線戸塚駅から路線バス利用であれば 西口バスセンターより
“戸79;弥生台駅行き”に乗車し戸塚斎場前で下車(所要時間10分前後)、
タクシ-利用であれば所要10分(料金1200円前後)で来場頂けます。
お車で来場の場合は、横浜新道を藤沢方面に向かい、
戸塚駅入り口・矢沢立体(IC)を右折して約5分となります。

横浜市戸塚斎場は小高い丘の上に建設されて居り、
坂道を登って正門に立ちますと、正面手前が駐車場、正面奥に火葬場の、右手に式場の建物が御座います。
葬儀式場棟は二階建てで、1Fに1式場、2Fに1式場、計2式場があり、
いずれも式場も、受付・待合せロビー・お清め室 式場 親族控室 宗教家控室 トイレが配置されて居り、
席数100席 500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。
通夜仮眠は5名様程度までは可能です。
但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので
灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。
戸塚斎場は古くから横浜市民に利用されている火葬場であり、
ぺットの火葬は戸塚斎場でのみ可能となって居ります。。
横浜市民の故人様の為にご利用頂く際の費用は、
式場利用料(2日間);5万円、火葬炉利用料;1万2千円、控室利用料;5千円、となって居ります。

3 横浜市栄区あれこれ
横浜市栄区は昭和61年、戸塚区の一部が分区されて誕生しました。
栄区の地名は公募により“新しい区として未来に向けて大きく栄える”事を祈念して命名されました。
区内には東西にいたち川、西側を南北に柏尾川が流れ、それを中心とした農村地帯でありましたが、
昭和40-50年代に掛けての大規模な住宅地開発により住宅都市となり、
現在は緑豊かな生活文化都市として発展を続けて居ります。
栄区の地域では、3万年前の頃から人が居住していたと考えられ、
1万年前の縄文式土器の時代の公田遺跡からは桂台式土器も出土して居ります。
桂台式土器は東北地方を中心に出土している土器ですが、
最初に栄区公田町桂台より出土した事から名付けられました。
飛鳥・平安時代には相模国鎌倉郡尺戸郷として豊な水田地帯でした。
鎌倉時代に入り、鎌倉に幕府が建てられると、この地は幕府東方警備の為の重要な拠点となります。
従いまして、栄区には鎌倉時代の史跡が多く残されて居ります。
鎌倉時代を除いては栄区地域は永らく鎌倉街道沿いの農村が営まれて居りました。
明治22年栄区地域は市町村制度制定により、神奈川県鎌倉郡本郷村、豊田村、長尾村となります。
昭和13年には第一海軍燃料廠が設立され、昭和14年には横浜市と合併して戸塚区が誕生します。
この燃料廠の地は昭和20年から42年までの永きに渡って米軍に接収され、栄区地域開発の妨げと成りました。
昭和45年には神奈川県警警察学校が開校します。
昭和48年にはJR根岸線が開通し、本郷台駅が開業します。
この開業に前後して栄区内の丘陵地に公田団地、飯島団地、県営住宅、市営住宅等が数多く造成され
人口も急増して現在の栄区が出来上がります。
尚、昭和14年の横浜市編入時の栄区地域の人口は7千人でした。

旭区内の見どころとしては
自然に親しむ場所として、宿泊・バーベキューも可能な上郷森の家、横浜自然観察の森
飯島市民の森、いたち川プロムナードと桜並木、他が、
古跡としては、7世紀に建立されたとされる光明寺、1335年建立の玉泉寺、いぼとり地蔵尊、
遺跡として、七石山横穴墓群等が御座います。
今回は以上です。