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横浜市民の葬儀・横浜市泉区

2023年4月23日

横浜市泉区は横浜市内の南西部に位置し境川を挟んで大和市と藤沢市に接する、

人口15万1千人・6万4千世帯が居住する、区の花を“あやめ”と制定した、緑豊かな農業と住宅の街です。

泉区民の為の葬儀式場と致しましては、公営であれば横浜市戸塚斎場、

ご自宅近くをご希望であれば浄蓮会館、他の私営式場をお勧め致します。

1 横浜市泉区

横浜市泉区は昭和61年戸塚区の一部が分区して誕生しました。

泉区は横浜市の南西部に位置していて、市内では、旭区・瀬谷区・戸塚区と隣接しています。

また、市境を流れる境川・相沢川を挟んで、大和市と藤沢市と接しています。

泉区の東端は緑園七丁目、西端は上飯田町で、東西の距離は約6.0キロメートル、

南端は下飯田町、北端は緑園七丁目で南北の距離は約7.8キロメートルです。

藤沢市・大和市と接する市境には境川・相沢川が流れ、区内には和泉川・阿久和川・宇田川が流れています。

泉区内を流れる3本の河川はいずれも境川の支流で、泉区はすっぽりと境川の流域に含まれています。

河川以外に地下水脈も豊富で、湧水の数が多く、水が豊かなところが泉区の特徴です。

地形的には、なだらかな丘陵地に河川が段丘を形成し、変化を与えています。

泉区の区名は、その中心となる和泉町を基に、

公募により泉が湧き出る様に若い活力を生み出しながら発展する街を願い命名されました。

又、泉区は市街化区域の割合が最小で、耕地面積は最大の区であり、

“ゆめはま2010プラン”ではやすらぎと潤いあふれる田薗文化都市と位置ずけられ開発が進められて居ります。

泉区の地域は旧石器時代の遺跡も発掘されて居り、1万年前には人の居住が確認されており、、

平安時代後期には水田が営まれていたと考えられる古い歴史を持つ街です。

区内を流れる境川や和泉川、阿久和川に沿って縄文時代や弥生時代の遺跡が発掘されています。

そして、その住居跡や土器・石器によって、区内にあった先史時代の文化を知ることができます。

平安時代には相模国鎌倉郡84ケ村の一部でした。

鎌倉時代に入り、鎌倉七切通しの西の道(上の道)が泉区内を通って居りました。

古文書では、鎌倉鶴岡八幡宮所蔵の文永7(1270)年12月のものに岡津の地名が見え、

ついで永仁6(1298)年の文書に飯田の地名が記されています。

これにより、両地域とも水田地帯として早くから開けていたことがわかります。

ちなみに鎌倉幕府成立前後、飯田には飯田五郎家義という武士が住んでいて、

「平家物語」や「吾妻鏡」にも、その名前を見ることができます。

江戸時代に入ると、上飯田は佐野、下飯田は筧、和泉は松平、岡津は黒田、阿久和(新橋)は安藤、

中田は石巻といった旗本の領地となります。

石巻の祖は小田原北条氏に仕えた有力な武士・五太夫康敬であり、

江戸時代初期に岡津にいた彦坂小刑部元正は代官頭の一人でした。

明治の廃藩置県により神奈川県鎌倉郡となり、

明治22年の町村合併により鎌倉郡中川村と中和田村に統合されます。

明治に入ってからは養蚕が盛んとなる街でした。

昭和に入り、戸塚駅を中心として建てられた軍需・民間工場の社宅として、

戦争末期には疎開地として、戦後は戸塚を中心とした宅地化により人口は増加を続け、現在の泉区となります。

昭和14年横浜市に編入され戸塚区の一部となります。

そして、昭和61年中川地区と中和田地区の岡津・新橋両町が分区して泉区と成りました。

泉区内の交通機関としては、平成11年に延伸した相模鉄道いずみの線 

と横浜市営地下鉄ブルーラインが区民の足となって居ります。

泉区内の見どころとしては、上飯田・下飯田・俣野から村岡・深沢・化粧坂を経て鎌倉へ通じる「鎌倉道」は、

「鎌倉上の道」としてよく知られています。

弘安5年(1282)、身延山を出て、生涯最後の旅に出た日蓮が、池上で入寂(にゅうめつ)し、

荼毘(だび)に付され、遺骨が身延山へ向かう途中、飯田に泊まり、

その跡に本興寺が建てられたという日蓮ゆかりの道が御座います。

江戸期には、江ノ島・鎌倉への参詣の道「鎌倉道(藤沢八王子道)」として、

また、暮らしの道として賑わいました。

この古(いにしえ)の街道には、本興寺や飯田神社などの寺社をはじめ、史跡・石造物などが多くあり、

私達に歴史を語りかけてくれます。

また、せせらぎ緑道や、上飯田西公園などの憩いの場もあり、

桜の美しいいずみ桜広場、自然が豊かな天王森泉公園、いずみ歌舞伎等が御座います。

2 横浜市泉区の葬儀式場

横浜市泉区でご葬儀をお考えの泉区民の皆様には 

横浜市営の葬儀式場のご利用をご希望であれば最寄の葬儀式場として横浜市戸塚斎場が御座います。

戸塚斎場の式場予約が混雑している場合は少々遠方にはなりますが 

横浜市北部斎場(緑区 火葬場併設)、横浜市南部斎場(金沢区 火葬場併設)もご利用頂けます。

又、お通夜・ご葬儀をご自宅近くでの施行をご希望であれば、

浄蓮会館。他の私営の式場で通夜・ご葬儀を行い、ご火葬を市営火葬場で行う事も可能です。

ひかりの杜ではご要望に合わせた葬儀式場をご紹介させて頂きます。

ひかりの杜では、ご葬儀の式典でお使い頂く祭壇は花祭壇のご利用をお薦め致して居ります。

ご利用頂いた花祭壇のお花は全て故人様のご遺体をお飾りしてお棺の中にお納め致します。

又、故人様を偲び、故人様が好きだったお花をお好みのデザインで祭壇とする事も可能です。

泉区の区の花は平成4年区制5周年を記念して公募により水と緑をイメージした“あやめ”と制定されました。

あやめの花言葉は“良き便り”、“吉報”ですが

季節となる5月-7月には花祭壇の周囲を飾るアクセントのお花として使わせて頂く事も御座います。

1)浄蓮会館(私営)

浄蓮会館は横浜市泉区岡津町に位置する、私営の葬儀式場で宗旨・宗派に係わらずご利用頂く事が出来ます。

浄蓮会館は横浜市戸塚斎場から車で5分の距離に有り、

横浜市戸塚斎場の式場が混雑していた場合には代わりの式場として利用出来る便利な式場でも御座います。

同式場は会葬者数百名の葬儀式場と共に、10名以内での家族葬が執り行える小式場、

法要の為の会場も用意されて居り、葬送儀礼に係わる全ての式典を催す事が出来る式場です。

浄蓮会館は県道401号瀬谷柏尾道路に面して建造されて居り、

入口前面が駐車場、右手に本館葬儀式場、左手に別館家族葬式場が配置されて居ります。

又、本館右手には浄蓮茶房がオープンして居り、早めにご来場頂いた方々へのお休みの場としてもご利用頂けます。

本館葬儀式場は、入口を入りますと、受付・待合せロビーとなり、左手に席数40席(会葬者数百名)の葬儀式場、

右手にお清め室、僧侶控室、親族控室・通夜仮眠室が配置されて居ります。 

又、浄蓮会館にはご遺体の安置設備が完備されて居り、

ご遺体をご自宅に安置出来ないご事情をお持ちの場合は利用頂く事が可能です。

尚、浄蓮会館をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

戸塚区内の横浜市戸塚斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

   今回は以上です。