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横浜市民の葬儀・末期の水とご遺体の清め

ご臨終が医師より告げられますと、枕元に集まる近親者により、

血縁の濃い方の順に末期の水(まつごのみず、死に水とも言う)をとります。

末期の水の後に故人様の最後の姿を清らかにする為、ご遺体を浄め(湯灌という)、死に装束をお着せします。

そして、最後に死化粧を施して、ご遺体を安置もしくは納棺します。

現在では病院でご逝去されるケースがほとんどで、

湯灌や死化粧は看護師によるエンゼルケアーにより行われる事が一般的となって居ります。

1 末期の水

末期の水の由来は仏典”長阿含経”の中に記されて居ります。

ご自身の末期を悟られた仏陀は

”口が渇いたので水を飲みたいと”弟子の阿難(あなん、釈迦の十大弟子の一人)に命じました。

しかしながら、近くの川は水が濁って汚れて居た為差し上げる事が出来ません、

その時、雪山に住む仏道に篤い鬼神が、鉢に浄水を汲みこれを仏陀に捧げたとの事に由来します。

末期の水は死者が生き返ることを願う気持ちと、あの世で渇きに苦しまぬ様にとの願いを込めた 

古くから伝わる風習とされます。

本来末期の水は仏教の儀式で、息を引き取る間際に行うものですが、

現在ではご臨終後に行われる事がほとんどで、日本では宗教を問わず行われて居ります。

但し、キリスト教カトリックでは行いません。

菊

死に水は許されるならば病院で、

許されないのであればご遺体がご自宅に帰りお布団の上に安置した後に行います。

死に水をとる順序は、喪主様そして血縁の近い順に行います。

最初は配偶者、お子様、故人の両親、兄弟姉妹、子の配偶者、孫、そして臨終に立会った方々の順となります。

使用する道具は、新しい筆を使用します。

筆の用意が無い場合は箸の先に脱脂綿を巻き付けものを使用します。

筆の先、又は箸の先の脱脂綿に水をふくませて、故人様の唇を湿らします。

元来は死者の蘇生を願う民俗的儀礼でありますが、一人一人が故人様に別れを告げる大切な儀式でもあります。

花祭壇

2 ご遺体の清め

末期の水を終えた後にご遺体のお清めを行います。湯灌とも呼ばれます。

湯灌には故人様の現世での苦しみや迷いをご遺族の手で洗い清めるという意味も御座います。

本来は、逆さ水(通常は湯に水を注いてぬるま湯を造るが、逆さ水は水を先にを入れて湯を注いでぬるま湯を造る)

により、ご遺族の手で全身を洗い清めるものですが、

現在では看護師の手でご遺体は清められて居りますので、

ご納棺の前にご遺族の手でアルコールを浸した清浄綿により、

足、手、顔の順にお清めするのが一般的となって居ります。

ご遺体をお清めした後に耳 鼻 口 肛門等に脱脂綿を詰めますが、

これも通常は看護師の手によりエンゼルケアーの中で施されおります。

湯灌の後に死化粧を施します。

髪を整え、つめが伸びていたら切りそろえ、男性は髭を剃り、女性には薄化粧を施します。

遺髪や遺爪を残される場合は、この際に切取っておくと良いでしょう。

   今回は以上です。

 

横浜市民の葬儀・臨終直後の手続き

お身内の方がご逝去された場合、そのご臨終の確定は 

ご臨終に立会った担当医師による死亡診断書(事故の場合は死体検案書)の交付によって成されます。

従いまして、死亡診断書が交付された後にご自宅でご逝去された場合は然るべき形でご遺体の安置を、

ご自宅以外(病院その他)でご逝去された場合はご遺体の移送につき手配をします。

その後には、死亡診断書の左側にある死亡届に必要事項を記載・署名・捺印をして 

ご逝去後、7日以内に該当の市区町村役所に届け出ます。

死亡届の提出と共に死体火埋葬許可申請を提出し、死体火埋葬許可証を受領します。

この許可証によりご遺体の埋葬、若しくは火葬が可能となります。

1 死亡届提出

お身内の方がご逝去された場合は”死亡診断書”、又は”死体検案書”が必要と成ります。

病院でご逝去された場合はご臨終に立会った医師に、

ご自宅でご逝去された場合には死亡を確認した医師に死亡診断書を発行して頂きます。

事故死や変死、自殺の場合はただちに警察に連絡し、状況の確認をして貰い、

その後に警察医又は監察医による検死を受けて死体検案書を発行して頂きます。

1)死亡届

死亡届はA3の用紙で死亡診断書・死体検案書と一体になって居ります。

医師より受領された死亡診断書(死体検案書)はA3用紙の右側で、故人様の死亡時詳細が記入されて居り、

反対の左半分が死亡届と成ります。

この左側半分の死亡届に必要事項を記入して市区町村役所に提出する事と成ります。

従いまして、死亡届を提出すると死亡診断書も同時に提出する事と成ります。

葬儀後の各種手続きには死亡診断書(死体検案書)が必要と成りますので、

提出前に何枚かコピーを取って置く必要が御座います。

2)死亡届提出と火埋葬許可申請書提出

死亡届の提出に当たりましては;

A、死亡の届け出は届け出義務者が死亡の事実を知った日より7日以内に行わなければ成りません。

  但し、国外で死亡された場合には死亡の事実を知った日より3ヶ月以内と成ります。

B、死亡届の届け出義務者は、

  順に ①同居の親族 ②その他の同居者 ③非同居の親族 ④家主。地主もしくは 家屋 土地の管理人 

     ⑤市区町村役所となって居ります。

C,、死亡の届け出は、故人様の本籍地、届け出人の居住地、故人がご逝去した土地、の市区町村役所に行います。

D、死亡地が明らかで無い場合はご遺体が発見された地で、

  汽車その他の交通機関の中で亡くなられた場合はご遺体を交通機関から降ろした地で、

  航海日詩を備えない船舶の中で亡くなられた場合は船舶が最初に寄港した地で、届を出します。

死亡届の提出は代行する事が出来ますが、その場合には届け出人の印鑑を持参する必要が有ります。

尚、死亡届の受付は24時間行われて居ります。

E、死亡届を市区町村役所に提出し、受理された後に火葬・埋葬の許可申請を行います。

  死亡届を受理した役所では申請に対し許可証を発行します。

  この許可証により、日本全国何れの火葬場でもご遺体の火葬が可能となります。

  但し、伝染病の患者を除いて、死後24時間以内には火葬、埋葬する事は出来ません。

  そして、火葬が終了した後に火葬場より埋葬許可証が発行されます。

  埋葬許可証は納骨の際に必要となる大切な書類ですので、お骨壺と共に保管して置くと良いでしょう。

百合

3 死体検案書

故人様のが事故死、他殺死、原因不明の変死、自殺死の場合は 

該当地区の警察に連絡し、その指示にもとずき警察医又は監察医の検死を受けなければ成りません。

検死後、死亡診断書に代わり死体検案書が交付されます。

死体検案書の形式は死亡診断書と同じで、右側が死体検案書、左側が死亡届となって居ります。

神奈川県内では検死の費用として、状況に合わせて二万円から七万五千円の間で費用負担が発生します。

検死後、即納の原則となって居りますので、検死を受ける際は現金の用意が必要と成ります。

又、検死を受ける際に必要となるご遺体の移動費用は全てご遺族のご負担と成ります。

お悔やみの言葉

4 死産

妊娠4ヶ月以降の死産の場合は、出産に立会った医師、又は助産婦に 死産証書を発行してもらいます。

死産の届出は死産のあった場所、又は届出人の居住地の市区町村役場に提出しなければ成りません。

人口妊娠中絶の場合も4ヶ月以降であれば同様の手続きが必要です。

出産後に死亡した場合は出生届を出した後に死亡届を出さなければ成りません。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・栄区の葬儀市場

横浜市栄区は横浜市内の再南部に位置し、鎌倉市と接する、人口12万人・5万世帯が居住する、

区の花を“きく”と制定した、緑豊かな丘陵地を開発した住宅都市です。

栄区民の方の葬儀式場と致しましては、横浜市南部斎場(横浜市営)、もしくは横浜市戸塚斎場(横浜市営)

のご利用をお勧め致します。

1 横浜市栄区

横浜市栄区は昭和61年戸塚区の一部が分区されて誕生しました。

栄区の名称は公募により“新しい区として未来に向けて大きく栄える”事を祈念して命名されました。

区内には東西にいたち川、西側を南北に柏尾川が流れ、それを中心とした農村地帯でありましたが、

昭和40-50年代に掛けての大規模な住宅地開発により住宅都市へと変化しました。

現在は緑豊かな生活文化都市として発展を続けて居ります。

栄区の地域では3万年前の頃から人が居住していたと考えられ、

1万年前の縄文式土器の時代の公田遺跡からは桂台式土器も出土して居ります。

桂台式土器は東北地方を中心に出土した土器ですが、最初に栄区公田町桂台より出土した事から名付けられました。

飛鳥・平安時代には相模国鎌倉郡尺戸郷として豊な水田地帯でした。

鎌倉時代に入り鎌倉に幕府が建てられるとこの地は幕府東方警備の為の重要な拠点となります。

従いまして、栄区には鎌倉時代の史跡が多く残されて居ります。

鎌倉時代を除いては栄区地域は永らく鎌倉街道沿いの農村が営まれて居りました。

明治22年栄区地域は市町村制度制定により、神奈川県鎌倉郡本郷村、豊田村、長尾村となります。

昭和13年には第一海軍燃料廠が設立され、昭和14年には横浜市と合併して戸塚区が誕生します。

この燃料廠の地は昭和20年から42年までの永きに渡って米軍に接収され栄区地域開発の妨げと成りました。

昭和45年には神奈川県警警察学校が開校します。

昭和48年にはJR根岸線が開通し、本郷台駅が開業します。

この開業に前後して栄区内の丘陵地に公田団地、飯島団地、県営住宅、市営住宅等が数多く造成され 

人口も急増して現在の栄区が出来上がります。

尚、昭和14年の横浜市編入時の栄区地域の人口は7千人でした。

栄区内の交通機関としてはJR根岸線が区民の足となり、

道路としては県道21号線(横浜鎌倉線 旧鎌倉街道)、県道23号線(原宿六浦線)が便を供して居ります。

旭区内の見どころとしては 

自然に親しむ場所として宿泊・バーベキューも可能な上郷森の家横浜自然観察の森 

飯島市民の森、いたち川プロムナードと桜並木、他が、

古跡としては7世紀に建立されたとされる光明寺、1335年建立の玉泉寺、いぼとり地蔵尊、

遺跡として七石山横穴墓群等が御座います。

葬儀について

2 横浜市栄区民の葬儀式場

栄区でご葬儀をお考え方の区民の皆様には 

公営の葬儀式場をご希望であれば隣接する金沢区内釜利谷に横浜市南部斎場が御座います。

南部斎場は横浜市営の葬儀式場で、葬儀式場と火葬炉が併設されて居り、

駐車場も十分なスペースを持ち、お車でご来場のご会葬の方々にも大変便利な葬儀式場です。

電車でご来場の場合は京浜急行金沢文庫駅よりタクシーで10分から15分の距離となります。

ご自宅周辺でのご葬儀をご希望の場合は、栄区内に御座います寺院会館(私営)の葬儀式場を 

ご葬家様のご事情に合せてひかりの杜よりご紹介させて頂きます。

ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀式場は全て宗教、ご宗派に係わらずご利用頂く事が可能です。

この場合の火葬場としては横浜市南部斎場、横浜市久保山斎場(市営 西区)、

横浜市戸塚斎場(市営 戸塚区)等がご利用頂けます。

カトリック教会の葬儀

又、仏式のご葬儀がご希望で、菩提寺が遠方等の為ご導師様のご都合が付かない場合などでは

ひかりの杜よりご紹介させて頂く事も可能です。

ご希望の宗派の僧侶を責任を持って紹介させて頂きます。

神道、新宗教、キリスト教、他の宗教者もご紹介する事が可能です。

ひかりの杜ではご葬儀の式典に利用する祭壇として花祭壇のご利用をお薦め致して居ります。

祭壇で使わせて頂いたお花は全て故人様のご遺体を飾る花としてお柩に納めさせて頂きます。

又、故人様を偲び、故人様のお好きだったお花で、お好きなデザインの祭壇を御造りする事も可能です。

栄区の区の花は平成3年の区政5周年の際に公募により“きく”と制定されました。

きくの花言葉は高貴・高潔・高尚ですが 

ひかりの杜では白菊を基本に荘厳な祭壇を作らせて頂き、

随所に赤や黄の菊を交えて祭壇のアクセントとして利用させて頂く事も多々御座います。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・金沢区の葬儀式場

横浜市金沢区は横浜市内の最南部に位置し、東側を東京湾に面する、人口20万人・9万世帯が居住する、

牡丹を区の花と制定した、起伏に富んだ緑の台地と自然の海浜を持つ、歴史と文化の街です。

金沢区民の方々の為の葬儀式場と致しましては、横浜市南部斎場(横浜市営)、

日蓮宗上行寺八景斎場(私営)などがご利用頂けます。

1 横浜市金沢区

横浜市金沢区は、昭和11年久良岐郡金沢町、六浦荘町が横浜市磯子区に編入され、

その後、昭和23年に分区して誕生しました。

金沢の地名は、平安・鎌倉の時代にこの地で砂鉄が産したことに始まると言われます。

その当時の地名は金澤(かねさわ)と呼ばれて居りました。

又、横浜市立大学、関東学院大学が所在する学園都市でもあります。

金沢区の地域は、武蔵国倉城郡(くらきぐん、後の久良岐郡)の六浦荘と呼ばれる

荘園(皇族門跡の寺院荘園)でしたが鎌倉時代に入り幕府の湊町として栄えます。

1269年には初めて六浦湊に唐船が入ります。

1275年には北条実時により金沢文庫が開かれ、日本史の図書館として近代まで多くの学者に利用されました。

江戸時代にはその風光明媚さから金沢八景の名称が生まれます。

江戸・明治・大正・昭和と半農半漁の町として営まれましたが、

第二次世界大戦後、昭和24年の学制改革により横浜市立大学、

関東学院大学が金沢区内に創立され学園都市となり、

昭和46年には金沢海浜の埋立工事が始まり、昭和63年には完工して660万㎡の土地が創り出され、

多くの企業が誘致されました。

ちなみに、平成18年には日本最大の風力発電設備(高さ116m、発電量2,400KW)が建設され、

平成21年には東京入国管理局横浜支局が中区より移転して居ります。

現在の金沢区は市内唯一の自然海浜を持つ町であり、市内最大の漁業の街でもあります。

更に緑地化率が最とも高く(31.8%)、国宝・指定文化財などの保有数1位の区でも有ります。

横浜市金沢区内を通る交通機関としましては、昭和5年に開通した湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)と、

平成元年に開通した金沢シーサイドラインが区民の足となって居ります。

道路としては、高速道路として昭和54年開通の横浜横須賀道路、平成13年開通の首都高速湾岸線、

一般道として国道16号線、国道357号線が区民に便を供して居ります。

金沢区の見どころとしては、

レジャ-施設として横浜ベイサイドマリーナ、八景島シーサイドパラダイス、金沢動物園等 

公園としては海の公園、野島公園 

博物館としては神奈川県立金沢文庫、

寺社として称名寺、瀬戸神社等が御座います。

葬儀について

2 横浜市金沢区内の葬儀式場

金沢区内でご葬儀をお考えのご葬家様には、区内に横浜市営横浜市南部斎場が御座います。

横浜市南部斎場は葬儀式場と火葬炉が併設されて居り、駐車場も十分なスペースを持ち、 

お車でご来場の方々には大変便利な葬儀式場です。

もし、駅周辺でご葬儀をご希望の場合は京浜急行電鉄金沢八景駅より徒歩の範囲で 

日蓮宗上行寺八景斎場(私営)他の葬儀式場を、ご葬家様のご事情に合せて 

ひかりの杜よりご紹介させて頂きます。

ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀式場は全て宗教、ご宗派に係わらずご利用頂く事が可能です。

ひかりの杜ではご葬儀の式典に使用する祭壇を花祭壇でお薦め致して居ります。

祭壇のお花はご火葬に際しまして全て故人様のご遺体を飾る花として使わせて頂きます。

又、故人様を偲び、故人様のお好きだったお花で、お好きなデザインの祭壇を御造りする事も可能です。

金沢区の区花は平成5年に区民の方々の公募により“牡丹”と制定されました。

牡丹の花言葉は、風格、富貴、恥じらいですが、

季節となる10月から5月の間にはひかりの杜でお飾りする祭壇のアクセントとして 

赤や紫の牡丹を使わせて頂く事も御座います。

1)日蓮宗六浦山上行寺八景斎場

横浜市金沢区六浦に位置する、六浦山上行寺は鎌倉時代末期の応安年間に創建されたとされる、

日蓮宗の古刹ですが、境内にお檀家様の為の会館が建てられて居り、

外部の方でもご住職の了解の下、私営の葬儀斎場として通夜・葬儀・法要を営む事が可能となって居ります。

原則としては 宗旨・宗派を問わずに ご利用出来ます。

上行寺八景斎場は京浜急行線金沢八景駅(特急停車駅)より徒歩で10分以内に位置する大変便利な葬儀斎場です。

お悔やみの言葉

式場は上行寺本堂を正面に見る正門の左手前に建築されて居り、

寺院の境内に入る事無く式場を利用頂けます。

式場は平屋建ての建物で、席数約40席、会葬者150人程度までの葬儀を営む事が出来ます。

親族控室、宗教家控室は式場とは別棟が用意されて居ります。

ご火葬場はマイクロバスにより横浜市南部斎場を利用されるのが一般的です。

お車で来場の場合は大変便利で横浜-横須賀高速道路朝比奈インター出口を出て金沢八景方面に向かい、

国道16号と交差する手前の左側が上行寺となります。

又、遠方よりご参列の方々には最寄の宿泊施設として、“上郷・森の家”が御座います。

上郷・森の家は斎場よりタクシ-で15分(料金2500円前後)の距離にあるご利用し易い公営の宿泊設備です。

ご利用料金は2名利用で6500円(朝食付き)/人(税込)からとなります。

金沢八景駅周辺のホテルと致しましては“横浜テクノタワーホテル”が御座います。

ご利用料金はシングルルーム8500円税込/人でご利用頂けます。

斎場まではタクシ-で2000円前後となります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・磯子区の葬儀式場

横浜市磯子区は横浜市内の東南部に位置し、根岸湾に面する、人口17万人・8万世帯が居住する、

ピンクのコスモスを区の花と制定した、海岸部分の平地とそれを囲む緑の丘陵地から成る街です。

磯子区民の為の葬儀式場と致しましては、

横浜市営であれば、横浜市南部斎場・横浜市久保山斎場(ご火葬のみ)、

ご自宅近くをご希望であれば、臨済宗東漸寺会館・その他がご利用頂けます。

1 横浜市磯子区

横浜市磯子区は平地部分の石油コンビナートを中心とした工業地帯と、

丘陵部分のベットタウンにより構成されて居ります。

磯子区は昭和2年の横浜市区制制定に伴い誕生致しました。

又、磯子区の命名は中心部に所在した磯子村を基にされたと言われます。

磯子区内では、三殿台遺跡から縄文時代の竪穴式住居や、弥生式時代の住居が出土して居り、

古くから半農半漁の村落が営まれていたと考えられます。

江戸時代には、杉田村の杉田一族から杉田玄白が、又、間宮林蔵もこの地から輩出して居ります。

磯子区域は古くは丘陵部が海岸にせり出した風光明媚な漁村でしたが、

明治・大正・昭和と埋立が行われ続き現在の海岸部分の平地が出来上がりました。

明治・大正時代は小型底引き網漁が盛んとなりカレイ、イカ、アナゴなどが横浜に出荷され 

のりの養殖も始まりました。

又、横浜開港により居住した外国人向けとして西洋野菜や生花(ゆり、フリージア、バラ、カーネーション等)

が栽培される様に成ります。

特に、昭和15年には鮮やかな紅色をしたカーネーションの新種“コーラル”が磯子で開発されました。

しかしながら、昭和に入ると磯子区には軍事目的の施設が目立つ様に成ります。

昭和16年には杉田町に軍が埋立を行い飛行場が開場します。

そして敗戦となり、磯子区内の多く土地が駐留米軍に接収され、その状態が昭和30年前後まで続きます。

根岸に所在した小型飛行場は昭和33年まで米軍管理下となりました。

米軍による接収解除後は丘陵部の土を海岸部分の埋め立てに使用し平地部分を大きく広げると共に、

平にされた丘陵地域を造成して最新式の団地磯子団地(現在の汐見台団地)を建設しました。

その後、磯子区は横浜市民のべットタウンとして急激に人口が増大して行きます。

現在でも磯子区民の60%は出生地が横浜市内です。

磯子区内の交通機関としては、昭和5年開通の湘南電気鉄道(現在の京浜急行) 

昭和39年開通のJR根岸線が区民の足となって居り、

道路としては、高速道路として首都高速道路湾岸線、

一般道としては大正13年開通の国道16号線、横浜市内環状2号、横浜市内環状3号が交通路となって居ります。

磯子区内の見どころとしては、

根岸湾に面する事から磯子海の見える公園・海釣り施設、流れるプールの横浜プールセンター、

馬との交流が楽しめる根岸森林公園、

1400年の歴史を持つとされる根岸八幡神社、

そして、昭和35年開場の名門ゴルフ場、磯子カンツリークラブ等が御座います。

2 磯子区民の葬儀式場

磯子区民の方がご葬儀をお考えの場合は横浜市南部斎場(金沢区 市営)をご利用頂くのが便利です。

横浜市南部斎場は横浜市営の葬儀式場で火葬場を併設して居り、

葬儀式場から火葬場への移動に交通手段を必要とは致しません。

磯子区内からはお車で30分前後の距離です。

ご葬儀式をご自宅の近くでお考えの場合、ひかりの杜では新杉田駅前の東漸寺会館(私営)、

洋光台の薬王院会館(私営)他をご葬家様のご希望に合わせた葬儀式場をご紹介させて頂きます。

その場合の火葬場は先の横浜市南部斎場(市営)、

若しくは横浜市久保山斎場(西区 火葬炉のみ 市営)をご利用頂くのが便利です。

ひかりの杜よりご紹介させて頂く式場は全てご宗教、ご宗派を問わない葬儀の式場です。

ひかりの杜では宗教者のご紹介も可能です。

檀家寺・教会が遠方などでご都合が付かない場合は、

ひかりの杜より責任を持って希望される宗派の僧侶、神官、司祭、牧師様を紹介させて頂きます。

ひかりの杜ではご葬儀の式典の祭壇として花祭壇をお薦め致して居ります。

故人様を偲び、お好みのお花でお包みした心を込めたお見送りは如何でしょうか。

磯子区の区花は “ピンクのコスモス”と制定されて居りますが、

季節となる4月から10月にはコスモスを使わせて頂き、白を基調とした花祭壇にピンクのコスモスは 

良いアクセントとなります。

横浜市南部斎場 式場全景
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1)横浜市南部斎場

横浜市南部斎場は金沢区みず木町に位置する横浜市営の斎場で、

葬儀式場と火葬場が併設され、大駐車場を備えた大変 便利な葬儀式場で、

宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、火葬場への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

百合

横浜市南部斎場は県道23号線から坂道を登ってトンネルを潜り、正門を入りますと、

正面左手に火葬場・式場の建物が御座います、

この前を通り建物奥には駐車場が配置されて居ります。

葬儀式場は1Fに1式場、2Fに1式場、計2式場があり、

いずれも式場も受付・待合せロビー 式場 お清め室 親族控室 宗教家控室 トイレが配置されて居り、

席数100席数百名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市南部斎場はインター出口に隣接し、深い緑地の中に造られた静かな斎場で 

駐車場も大きく取られ居り、お車でご来場頂く方々よりは好評を頂く式場で御座います。

   今回は以上です。  

横浜市民の葬儀・港南区の葬儀式場

横浜市港南区は横浜市内の中央南部に位置し、人口21万人・10万世帯が居住する、

区の花を“ひまわり”“キキョウ”“アジサイ”の三花と制定した、緑豊かな丘陵地が連なる住宅都市です。

港南区民の方の葬儀式場といたしましては、

横浜市南部斎場、若しくは横浜市戸塚斎場のご利用をお勧め致します。

1 横浜市港南区

横浜市港南区は昭和44年南区の人口増加に伴い分区して誕生しました。

港南区の地名は区内の中心となる港南を基に命名されました。

鎌倉時代から江戸時代までの間、港南区の地域は鎌倉街道沿いの農村が散在する地域であり、

港南の地域の南北に武蔵国久良岐郡と相模国鎌倉郡の国境が走って居りました。

明治に入り、それぞれ神奈川県久良岐郡、鎌倉郡となり、

横浜市の市域拡張に伴い横浜市に編入され中区となります。

昭和18年には中区から分区され南区となり、そして昭和44年分区して現在の港南区となりました。

港南地区も1859年の横浜開港と共に大きく変化して行きます、

それまでの米麦雑穀を中心とした作付から、市街地向けの野菜や養蚕へと、

更にはジャガイモやバイスケざる(竹で編んだ大ざる土砂や石炭の運搬に使用)などが生産される様になります。

又、新しい産業として花の栽培が始まり、

一面のお花畑にキク、ユリ、シャクヤク、スイセン、キンセンカ等が栽培され、

カーネーション、バラの温室栽培も始まりました。

昭和8年には上大岡に港南花市場も開設されます。

大正12年に発生した関東大震災は港南地区の建物を壊滅させましたが、

その復興期には新たな産業も生まれました、上大岡の製陶業、大岡川流域の捺染業などです。

特に捺染業では絹の“横浜スカーフ”等が有名と成ります。

昭和11年には横浜刑務所が根岸から現在地に移転して来ました。

戦後は交通路の発達に伴い野庭団地(昭和38年完)、港南台団地(昭和41年完)完成し、

人口も急増して、田薗都市から現在の住宅都市へと変化致しました。

港南区内の交通機関としては、昭和5年に黄金町-浦賀間が開通した湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)、

昭和47年に開通した横浜市営地下鉄ブルーライン、昭和48年に開通したJR根岸線が区民の足となり、

道路としては昭和54年開通の横浜横須賀道路(国道16号バイパス道路)、横浜市内環状2号、3号が

区民の方々げ便を供して居ります。

港南区の見どころとしては、自然を楽しむ施設として四季の花と緑が楽しめる港南桜道 

ホタルも楽しめる港南萩久保公園、

名所・古跡としては茶釜伝説のある東樹院、1099年創建の春日神社、

縁日には屋台の店が楽しめる日限地蔵尊、

港南のこだわりとして捺染技術が見られる吉原産業捺染工場 

フリーマーケットが楽しめる港南台テント村等が御座います。

2 横浜市港南区の葬儀式場

港南区でご葬儀をお考えの区民の皆様には、

もし公営の葬儀式場をご希望であれば隣接する金沢区内に横浜市南部斎場が御座います。

又、横浜市戸塚斎場もそれほど遠方では御座いません。

南部斎場・戸塚斎場は共に横浜市営の葬儀式場で、葬儀式場と火葬炉が併設されて居り、

駐車場も十分なスペースを持ち、お車でご来場のご会葬の方々にも大変便利な葬儀式場です。

ひかりの杜ではご葬儀の式典に利用する祭壇として”花祭壇”のご利用をお薦め致して居ります。

花祭壇で使わせて頂いたお花は全て故人様のご遺体を飾る花としてお柩に納めさせて頂きます。

又、故人様を偲び、故人様のお好きだったお花で、お好きなデザインの祭壇を御造りする事も可能です。

金沢区の区の花は昭和54年に“ひまわり”“キキョウ”“アジサイ”の三花と制定されました。

ひまわりは明るく伸び伸びと栄える様に、

キキョウは自然を大切に、

アジサイは寄り添う小さな花びらの集まりを区民の和、との願いを込めて制定されました。

この三花ともに特徴を持つ花であり、

ひかりの杜でお飾りする祭壇のアクセントとして利用させて頂く事も多々御座います。

1)横浜市南部斎場

横浜市民の方々の為の葬儀式場は横浜市営式場として三ヶ所御座いますが、

金沢区みず木町に位置する横浜市南部斎場は、横浜横須賀道路の朝比奈インターに隣接して居り、

港南区民の方々がお車で来場されるのであれば大変便利な葬儀式場です。

横浜市南部斎場は金沢区みず木町1番地に位置する横浜市営の斎場で、

葬儀式場と火葬場が併設され、大駐車場を備えた大変便利な葬儀式場で、

宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

火葬場は隣接して居り、式場から火葬炉前への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

蘭

南部斎場はトンネルを潜り正門を入りますと、正面左手に火葬場・式場の建物が御座います、

この前を通り建物奥には駐車場が配置されて居ります。

葬儀式場は1Fに1式場、2Fに1式場、計2式場があり、

いずれも式場も、受付・待合せロビー 式場 お清め室 親族控室 宗教家控室 トイレが配置されて居り、

席数100席数百名規模のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市南部斎場はインター出口に隣接し、深い緑地の中に造られた静かな斎場で 

駐車場も大きく取られ居り、お車でご来場頂く方々よりは好評を頂く式場で御座います。  

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・戸塚区の葬儀式場

横浜市戸塚区は横浜市内の南西部に位置し南に鎌倉市や藤沢市と接する、

人口28万人・12万世帯が居住する、東京・横浜に勤務する方々のベッドタウンとなる街です。

戸塚区民の為の葬儀式場と致しましては、

公営葬儀式場として横浜市戸塚斎場、ご自宅近くの私営葬儀式場として宝蔵院会堂・他をご利用頂く事が出来ます。

尚、戸塚区には制定された区の花は御座いませんが、平成11年区制60周年を記念して桜を区の花に指定しました。

1 横浜市戸塚区

昭和14年鎌倉郡戸塚町他7村が横浜市に編入され戸塚区は誕生しました。

戸塚の地名は戸塚町の冨塚八幡宮縁起によれば、

平安時代後期、戸塚修六郎とその子孫がこの地を開拓した事によるとされます。

又、戸塚区は横浜市内で最大の面積を持つ区でもあります。

戸塚区は、鎌倉時代、政治の中心となった鎌倉への出入り口の一つとして、

1604年の東海道戸塚宿制定以後は江戸から5番目の宿として、最初の宿泊地であり、

大山参りや鎌倉への追分の宿場町として発展しました。

1856年には柏尾川の堰堤に桜の木が植樹され名所となります。

明治に入り宿駅制は廃止されますが、明治20年の戸塚駅開業と共に東京・横浜への野菜出荷地と成ります。

その後、大手企業の工場が進出してきますが、それよりも横浜・東京勤務の方々への宅地供給が上まわり、

戦後は人口が大きく増大して行きます。

人口の増加に伴い、昭和44年には瀬谷区が分区し、昭和61年には栄区と泉区が分区して現在の形と成りました。

尚、現在戸塚区内の大学施設としては明治学院大学横浜校舎、横浜薬科大学、横浜市立大学木原生物研究所、

そして、2015年4月に開校した湘南医療大学が御座います。

戸塚区内の交通機関としては、明治20年に開通した東海道本線、明治22年に開通した横須賀線、

そして昭和60年開通の横浜市営地下鉄ブルーラインが区民の足となって居ります。

以前には大船駅と横浜ドリームランドを結ぶモノレールが運航して居りましたが現在は廃線と成りました。

道路と致しましては、横浜新道を含む国道1号線、

横浜市内環状2号線、3号線、4号線が区民の方々に便を供して居ります。

戸塚区の見どころとしては、何と言っても柏尾川の桜並木とミズキンバイが一番です。

他に、旧東海道の松並木、まさかりが淵市民の森などの自然や、

八坂神社、親鸞聖人ゆかりの寺永勝寺などの神社仏閣、

戸塚カントリークラブ、Jリーグ横浜FC練習場等も御座います。

2 横浜市戸塚区内の葬儀式場

戸塚区でご葬儀をお考えのご葬家様には 区内に横浜市戸塚斎場が御座います。

戸塚斎場は横浜市営の葬儀式場で火葬炉も併設されて居り、戸塚区民の方々にはご利用し易い葬儀式場です。

横浜市戸塚斎場の式場予約に時間が掛る場合、

他の私営葬儀式場で通夜・ご葬儀を行い、ご火葬を市営火葬場で行う事も可能です。

ひかりの杜では戸塚駅近くの宝蔵院会堂(私営)他の葬儀式場をご希望に合わせて紹介させて頂いて居ります。

ひかりの杜がご紹介する葬儀式場は全て、宗教・ご宗派を問わずご利用頂けます。

尚、仏式のご葬儀をお考えで、菩提寺が遠方等の為、ご導師のご都合が付かないなどの場合には 

ひかりの杜より紹介させて頂く事も可能です。

何れのご宗派の僧侶でも責任を持って紹介させて頂きます。

又、ひかりの杜では、神道の神官、カトリックの司祭様、プロテスタントの牧師様、

他の宗教の宗教者もご紹介する事は可能です。

ひかりの杜ではご葬儀の式典でお使い頂く祭壇には花祭壇のご利用をお薦め致して居ります。

お使い頂いた花祭壇のお花は全て故人様のご遺体をお飾りしてお棺の中にお納め致します。

又、故人様を偲び、故人様が好きだったお花をお好みのデザインで祭壇とする事も可能です。

横浜市戸塚区の区花は平成11年区制60周年を記念して公募により“桜”と指定されました。

桜の花言葉は“精神の美”、“優美な女性”ですが、季節となる3月、4月には 

ご遺影に桜の枝をかざしてお見送り頂く事も良いお見送りではないかと考えます。

横浜市戸塚斎場
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1)横浜市戸塚斎場

横浜市戸塚斎場は横浜市民の為の葬儀式場の一つで、横浜市戸塚区鳥が丘に位置する、

横浜市営地下鉄線踊場駅より徒歩で15分の斎場です。

横浜市戸塚斎場は葬儀式場と火葬場が併設され、ぺットの火葬も可能な、駐車場の完備された、

大変便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、火葬場は隣接されて居り、式場からの移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市戸塚斎場は小高い丘の上に建設されて居り、

坂道を登って正門に立ちますと、正面手前が駐車場、正面奥に火葬場の、右手に式場の建物が御座います。

葬儀式場は二階建てで、1Fに1式場、2Fに1式場、計2式場があり、

いずれも式場も、受付・待合せロビー・お清め室 式場 親族控室 宗教家控室 トイレが配置されて居り、

席数100席、数百名規模のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・泉区の葬儀式場

横浜市泉区は横浜市内の南西部に位置し境川を挟んで大和市と藤沢市に接する、

人口15万・6万世帯が居住する、区の花を“あやめ”と制定した、緑豊かな農業と住宅の街です。

泉区民の為の葬儀式場と致しましては、公営であれば横浜市戸塚斎場、

ご自宅近くをご希望であれば浄蓮会館、他の私営式場をお勧め致します。

1 横浜市泉区

横浜市泉区は昭和61年戸塚区の一部が分区して誕生しました。

泉区の区名は、その中心となる和泉町を基に、

公募により泉が湧き出る様に若い活力を生み出しながら発展する街を願い命名されました。

又、泉区は市街化区域の割合が最小で、耕地面積は最大の区であり、

“ゆめはま2010プラン”ではやすらぎと潤いあふれる田薗文化都市と位置ずけられ開発が進められて居ります。

泉区の地域は旧石器時代の遺跡も発掘されて居り、1万年前には人の居住が確認され、

平安時代後期には水田が営まれていたと考えられる古い歴史を持つ街です。

平安時代には相模国鎌倉郡84ケ村の一部でした。

鎌倉時代に入り、鎌倉七切通しの西の道(上の道)が泉区内を通って居りました。

明治の廃藩置県により神奈川県鎌倉郡となり、

明治22年の町村合併により鎌倉郡中川村と中和田村に統合されます。

昭和14年横浜市に編入され戸塚区の一部となります。

そして、昭和61年中川地区と中和田地区の岡津・新橋両町が分区して泉区と成りました。

泉区は境川と和泉川が南北に、北側を阿久和川、東側を宇田川と4本の川が流れ、

台地の辺縁には湧水が分布する、地下水脈に恵まれた土地で、古くは水田・野菜耕作の農業が、

明治に入ってからは養蚕が盛んとなる街でした。

昭和に入り、戸塚駅を中心として建てられた軍需・民間工場の社宅として、

戦争末期には疎開地として、戦後は戸塚を中心とした宅地化により人口は増加を続け、現在の泉区となります。

泉区内の交通機関としては、平成11年に延伸した相模鉄道いずみの線 

と横浜市営地下鉄ブルーラインが区民の足となり、

道路としては県道22号横浜伊勢原線(通称長後街道)と横浜市内環状4号線が区民の方々に便を供して居ります。

泉区内の見どころとしては、名所古跡として日蓮宗別格本山の本興寺、下飯田村の村社だった飯田神社、

1526年建立と言われる日枝神社、

桜の美しいいずみ桜広場、自然が豊かな天王森泉公園、いずみ歌舞伎等が御座います。

花祭壇

2 横浜市泉区の葬儀式場

横浜市泉区でご葬儀をお考えの泉区民の皆様には 

公営の葬儀式場のご利用をご希望であれば最寄の葬儀式場として横浜市戸塚斎場が御座います。

戸塚斎場の式場予約が混雑している場合は少々遠方にはなりますが 

横浜市北部斎場(緑区 火葬場併設)、横浜市南部斎場(金沢区 火葬場併設)もご利用頂けます。

又、お通夜・ご葬儀をご自宅近くでの施行をご希望であれば、

浄蓮会館。他の私営の式場で通夜・ご葬儀を行い、ご火葬を市営火葬場で行う事も可能です。

ひかりの杜ではご要望に合わせた葬儀式場をご紹介させて頂きます。

ひかりの杜では、ご葬儀の式典でお使い頂く祭壇は花祭壇のご利用をお薦め致して居ります。

ご利用頂いた花祭壇のお花は全て故人様のご遺体をお飾りしてお棺の中にお納め致します。

又、故人様を偲び、故人様が好きだったお花をお好みのデザインで祭壇とする事も可能です。

泉区の区の花は平成4年区制5周年を記念して公募により水と緑をイメージした“あやめ”と制定されました。

あやめの花言葉は“良き便り”、“吉報”ですが

季節となる5月-7月には花祭壇の周囲を飾るアクセントのお花として使わせて頂く事も御座います。

1)浄蓮会館(私営)

浄蓮会館は横浜市泉区岡津町に位置する、私営の葬儀式場で宗旨・宗派に係わらずご利用頂く事が出来ます。

浄蓮会館は横浜市戸塚斎場から車で5分の距離に有り、

横浜市戸塚斎場の式場が混雑していた場合には代わりの式場として利用出来る便利な式場でも御座います。

同式場は会葬者数百名の葬儀式場と共に、10名以内での家族葬が執り行える小式場、

法要の為の会場も用意されて居り、葬送儀礼に係わる全ての式典を催す事が出来る式場です。

浄蓮会館は県道401号瀬谷柏尾道路に面して建造されて居り、

入口前面が駐車場、右手に本館葬儀式場、左手に別館家族葬式場が配置されて居ります。

又、本館右手には浄蓮茶房がオープンして居り、早めにご来場頂いた方々へのお休みの場としてもご利用頂けます。

本館葬儀式場は、入口を入りますと、受付・待合せロビーとなり、左手に席数40席(会葬者数百名)の葬儀式場、

右手にお清め室、僧侶控室、親族控室・通夜仮眠室が配置されて居ります。 

別館家族葬式場はこじんまりとした建物で、会葬者10名以内での家族葬(密葬)が営める構造となって居ります。

又、浄蓮会館にはご遺体の安置設備が完備されて居り、

ご遺体をご自宅に安置出来ないご事情をお持ちの場合は利用頂く事が可能です。

尚、浄蓮会館をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

戸塚区内の横浜市戸塚斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・瀬谷区の葬儀式場

横浜市瀬谷区は横浜市内の西端に位置し、人口12万人・5万世帯が居住する、

“アジサイ”を区の花と制定した、農業、宅地、そして米軍通信隊の街です。

瀬谷区民の為の葬儀式場と致しましては、横浜市北部斎場をご利用頂くのがお勧めです。

1 横浜市瀬谷区

横浜市瀬谷区内には、南北に5本の川が流れ、その肥沃な農地を基に米と布を産する街でしたが、

第二次世界大戦終戦後、瀬谷区の15%の土地は2015年6月30日まで

米軍に接収され極東アジアの通信基地として使用されて居りました。

瀬谷区は昭和44年戸塚区の一部が分区されて誕生しました。

瀬谷区の地名は古くより使用されていた瀬谷村から命名されました。

瀬谷の語源は、狭谷(せや)で、狭い川瀬の小谷のある地が地名に由来と言われて居ります。

(世野との説も有ります)。

瀬谷区域の歴史は古く、2万年前の旧石器時代の遺跡が2ケ所、縄文時代の遺跡が50ケ所、

弥生時代の遺跡が9ケ所、古墳時代の遺跡が25ケ所 瀬谷区内で発掘されて居り、

出土品の一部は東京国立博物館にも収められて居ります。

鎌倉時代には鎌倉街道の追分として上瀬谷、中瀬谷、下瀬谷で構成されて居り、

江戸時代には中原街道が通り問屋場が設けられ、将軍家のお鷹場も有りました。

明治となり、この地区には瀬谷村、宮沢村、阿久和村、二ツ橋村が有りましたが、

明治34年の町村合併により鎌倉郡瀬谷村と鎌倉郡中川村となります。

この2村が昭和14年横浜市戸塚区に編入されます。

そして、昭和44年分区され現在の瀬谷区となりました。

瀬谷地区では明治中期から昭和30年頃まで養蚕が盛んで、

養蚕農家の為の金融機関瀬谷銀行(後に鎌倉銀行に吸収)も設立されて居ります。

瀬谷区民の交通機関としては、大正15年開通の神中鉄道(現在の相模鉄道)が区民の足となり、

道路としては国道246号線、国道16号線、横浜市内環状4号線が区民の方々へ便を供しております。

又、区内では有りませんが、東名高速道路横浜町田ICには隣接して居ります。

瀬谷区の見どころとしては、桜並木として通信基地内の海軍道路、三ツ境駅前の野境道路、

和泉川土手などが御座います。

古跡として鎌倉時代に鋳造されたとされる鐘を持つ妙光寺、968年に創建されたとされる熊野神社。

そして、瀬谷の風土や農村生活を体験出来る長屋門公園、瀬谷の自然に親しむ瀬谷市民の森等が御座います。

 

2 横浜市瀬谷区民の葬儀式場

瀬谷区でご葬儀をお考えの瀬谷区区民の皆様には、

公営の葬儀式場のご利用をご希望の場合はお近くでは横浜市北部斎場(緑区)が御座います。

横浜市北部斎場は東名高速横浜町田ICに隣接し、葬儀式場と火葬場を併設した、

葬儀式場-火葬場間の移動手段を必要としない、

ご利用頂いたご葬家様・会葬者の皆様方に好評を頂いている葬儀式場です。

又、隣接する大和市の大和市営大和斎場を区民外でご利用する事も可能です。

お通夜・ご葬儀の施行をご自宅近くでとお考えのご葬家様には、

ひかりの杜よりご希望に合わせて葬儀式場をご紹介させて頂きます。

ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀式場は 仏式・神道・キリスト教・他のいずれの宗教でも 

ご利用頂く事が可能です。

その場合の火葬場と致しましては、

横浜市北部斎場、横浜市久保山斎場(西区 保土ヶ谷バイパス利用)等がご利用頂けます。

ひかりの杜ではご葬儀の式典でご利用される祭壇を花祭壇でお薦め致して居ります。

花祭壇でお飾りしたお花は、全てご葬儀後故人様のご遺体をお飾りしてお柩の中にお納めさせて頂きます。

又、このお花を忌中祭壇のお飾りとしてお持ち帰り頂く事も可能です。

花祭壇では故人様をお偲びし、故人様がお好きだったお花を、ご希望のアレンジでお創りする事も可能です。

瀬谷区の区の花は、昭和59年区制15周年を記念して瀬谷区民の人気投票により“アジサイ”と制定されました。

その花言葉は沢山有り“辛抱強い愛情”、“一家団欒”などです。

ひかりの杜では区の花を祭壇に使わせて頂く事もしばしばで、

季節となる6月7月には白菊の中にアジサイを祭壇のアクセントとして利用させて頂く事も御座います。

1)横浜市北部斎場

現在、横浜市営の式場と致しましては 

横浜市北部斎場、横浜市南部斎場、横浜市戸塚斎場の3ヶ所が横浜市民の方々からのご要望に応えて居ります。

横浜市営斎場の一つである、横浜市北部斎場は緑区長津田町に位置する斎場で、葬儀式場と火葬場が併設され、

大駐車場を備えた大変便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、式場から火葬場への移動は徒歩5分と、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市北部斎場は正門を入りますと直ぐにトンネルとなり、

トンネルを抜けると前に駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が配置されて居ります。

葬儀式場は4式場あり、いずれも式場も 

受付・待合せロビー 式場 お清め室 親族控室 宗教家控室 シャワー室 トイレが配置されて居り、

席数100席数百人規模のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市北部斎場は建物も比較的新しく、駐車場も大きく取られ居り、

ご利用頂いた方々よりは好評を頂く式場で御座います。

   今回は以上です。  

横浜市民の葬儀・旭区の葬儀式場

横浜市旭区は横浜市内の中央西側に位置し、人口24万人・11万世帯が居住する、

“あさがお”を区の花と制定した、横浜中心部や京浜工業地帯に勤務する方々のべツドタウンとなる街です。

旭区民の方々にご利用頂く葬儀式場と致しましては、私営であれば横浜市北部斎場、

私営であれば旭斎場、成願寺会館、他が御座います。

1 横浜市旭区

横浜市旭区は第二次世界大戦終了後、相模鉄道の沿線で始まった宅地開発と、それに伴う人口の激増により、

昭和44年保土ヶ谷区の一部を分区して誕生しました。

旭区の名称は公募により、他の区名と紛らわしく無く、字画が少なく明瞭な区名と言う事で命名されました。

旭区内には古くより神奈川県運転免許試験場、県立ガンセンタ-、県立公文書館などが所在し、

県行政の一助を担って居ります。

尚 横浜市内で平均年齢の最とも高い区でも御座います。

旭区地域の歴史は古く、紀元7世紀に制定された武蔵国都筑郡の一部であり、

鎌倉時代にはこの地で鶴ヶ峰の乱(1205年)が起こり、勇将畠山重忠が討死して居ります。

明治4年の廃藩置県により神奈川県都筑郡となり、明治22年の市町村制施行により

この地は都岡町と二俣川町に統合されます。

昭和14年横浜市に編入され、保土ヶ谷区の一部となります。

昭和21年には鶴ヶ峰に県営の住宅が建築され、その後40年代まで宅地の開発、団地の造成が進みます。

そして、人口の激増に伴い、昭和44年保土ヶ谷区より分区して現在の旭区の形が出来上がります。

旭区は横浜中心部まで7Km、東京都心まで31Kmと、通勤・通学には便利な距離の街です。

尚、旭区は公園面積は市内2位、病院一般病床数市内2位の街でも御座います。

旭区内の交通機関としては、大正15年厚木-二俣川間で開業した

神中鉄道(現在の相模鉄道、二俣川-横浜間の開通は昭和8年)

と昭和51年に開通した相模鉄道いずみの線が区民の足となり、

主要な道路は国道16号線(その一部は保土ヶ谷バイパス)と横浜市内環状2号が区民へ便を供して居ります。

尚、旭区内の道路整備率はまだ十分では有りません。

旭区の見どころとしては、毎年6月22日に畠山重忠の慰霊祭を行う薬王寺、

源義家、頼朝が尊崇したと言われる不動明王を本尊とする白根神社(白根不動とも通称される)、

木造大日如来坐像(室町時代の作)を本尊とする長源寺、

源氏ほたるが見られるこども自然公園、四季折々のお花が見られる追分市民の森、

そして、よこはま動物園ズーラシア等が御座います。

葬儀について

2 横浜市旭区民の葬儀式場 

旭区でご葬儀をお考えの旭区区民の皆様には 

公営の葬儀式場のご利用をご希望の場合は、お近くでは横浜市北部斎場(緑区)が御座います。

横浜市北部斎場は東名高速横浜町田ICに隣接し、葬儀式場と火葬場を併設した

葬儀式場-火葬場間の移動手段を必要としない、

ご利用頂いたご葬家様・会葬者の皆様方に好評を頂いている葬儀式場です。

お通夜・ご葬儀の施行をご自宅近くでとお考えのご葬家様には

ひかりの杜より旭斎場(私営)、浄願寺会館 他 ご希望に合わせて葬儀式場をご紹介させて頂きます。

ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀式場は、

仏式・神道・キリスト教・他のいずれの宗教でもご利用頂く事が可能です。

ひかりの杜ではご葬儀の式典でご利用される祭壇を花祭壇でお薦め致して居ります。

花祭壇でお飾りしたお花は全てご葬儀後、故人様のご遺体をお飾りしてお柩の中にお納めさせて頂きます。

又、このお花を忌中祭壇のお飾りとしてお持ち帰り頂く事も可能です。

花祭壇では故人様をお偲びし、故人様がお好きだったお花を、ご希望のアレンジでお創りする事も可能です。

旭区の区の花は平成元年区制20周年を記念して旭区民の公募により“アサガオ”と制定されました。

その花言葉は“愛情”、“かたい絆”です。

ひかりの杜では区の花を祭壇に使わせて頂く事もしばしばですが、

残念ながらアサガオの花は開花が朝のみの為、祭壇でのご利用は出来ません。

1)旭斎場

旭斎場は横浜市旭区下川井町に位置する私営の葬儀式場で、家族葬など小規模のご葬儀を予定されるご葬家が、

横浜市営斎場の予約を中々取れない場合などにご利用頂ける便利な式場です。

葬儀式場の利用料金も7万円(税別)と、他の私営式場に比較して廉価でご利用頂けます。

旭斎場は相鉄本線三ツ境駅から路線バスで所要10分、

追分市民の森や矢指市民の森に近接した緑の中の静かな私営の葬儀式場です。

又、お車で来場の場合は保土ヶ谷バイパス下川井インターより6分と大変交通の便の良い式場でもあります。

旭斎場は受付、式場、お清め席がワンフロア―の中に配置されたコンパクトな式場で 

宗旨・宗派に係わらずご利用頂ける形となって居ります。

式場内席数は30席、参列者70~80名規模の葬儀を営む事が出来ます。

旭斎場ではご遺体の保管設備が用意されて居り、

ご遺体をご自宅に安置出来ない場合でも 斎場内に安置する事が可能です。

旭斎場はご利用費用が廉価な事から、家族葬を営まれるご葬家様から好評を頂いている斎場で御座います。

尚、旭斎場をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

近所の横浜市北部斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・青葉区の葬儀式場

横浜市青葉区は横浜市内の北西部に位置し、人口31万人、13万世帯が居住する、

ナシを区の花と制定した、東京に勤務・通学する方々のベットタウンとなる街です。

青葉区でご葬儀をお考えの青葉区民の皆様には、

公営の葬儀式場をご利用頂くのであれば横浜市北部斎場(緑区)がご利用頂けます。

私営の葬儀式場と致しましては、徳恩寺あおば浄苑、他ご希望に合わせてご紹介させて頂きます。

1 横浜市青葉区

横浜市青葉区は中央部に一級河川鶴見川が流れ、その流域には“ハマナシ”生産を中心とした農地が広がり、

その他の丘陵を住宅地として居ります。

平成6年、港北区と緑区の一部を分区して青葉区は誕生しました。

青葉区の地名は

“木々に囲まれた美しい街、若い芽が生き生きと育つように、伸びやかに発展する街”

を祈念して、分区の際に区民の公募により命名されました。

平成20年には男性の平均寿命が日本一(81.7歳)の区とも成りました。

青葉地区の歴史は古く、紀元1世紀には稲作が始まり(稲荷前古墳群、朝光寺原古墳、市が尾横穴古墳群)、

7世紀には武蔵国都筑郡の一部と成りました。

以後、鶴見川流域の平野部に農村が散在する土地でしたが、

江戸時代に作られた大山街道では䇮田宿が制定され賑いを見せます。

そして、昭和14年都筑郡山内村・中里村・田奈村が横浜市に編入され、港北区の一部となります。

昭和41年田薗都市線の開通と共に丘陵地が宅地に造成され、人口が急激に増加して行きます。

その人口増加に伴い、昭和44年には緑区となり、そして平成6年緑区と港北の一部が分区して、

現在の青葉区が出来上がります。

青葉区は面積に於いて横浜市内では戸塚に次いで第二位、人口は港北区に次いで第二位の区となって居ります。

青葉区内の交通機関としては、昭和41年開通の東急田薗都市線、昭和42年開通の東急こどもの国線、

そして、平成5年開通の横浜市営地下鉄ブルーラインが青葉区民の足となって居ります。

主要な道路としては、東名高速道路(平成10年横浜青葉IC開通)、

国道246号線、横浜市内環状4号線が青葉区民に便を供して居ります。

横浜市青葉区の見どころとしては、昭和41年開園の根強い人気を持つ“こどもの国”、

寺家ふるさと村、広い社叢林を持つ住吉神社、木造千手観音立像(平安時代作)を本尊とする真福寺、

400年前に創建されたとされる満願寺等が御座います。 

通夜式の服装

2 横浜市青葉区の葬儀式場

青葉区でご葬儀をお考えの青葉区民の皆様には 

公営の葬儀式場をご利用頂くのであれば横浜市北部斎場(緑区)をお薦めします。

横浜市北部斎場は東名高速横浜町田ICに隣接して居り、葬儀式場と火葬場を併設した、

葬儀式場-火葬場間で交通手段を必要としない、ご葬家・ご会葬者の方々に好評を頂く葬儀式場です。

お通夜・ご葬儀の施行をご自宅近くでとお考えのご葬家様には 

ひかりの杜より徳恩寺あおば浄苑、他 ご希望に合わせて葬儀式場をご紹介させて頂きます。

ひかりの杜ではご葬儀の式典でご利用される祭壇を花祭壇でお薦め致して居ります。

花祭壇でお飾りしたお花は全てご葬儀後、故人様のご遺体をお飾りしてお柩の中にお納めさせて頂きます。

又、このお花を忌中のお飾りとしてお持ち帰り頂く事も可能です。

花祭壇では故人様をお偲びし、故人様がお好きだったお花を、ご希望のアレンジでお創りする事も可能です。

横浜市青葉区の区の花は、平成16年区制10周年を記念して青葉区民の公募により“ナシの花”と制定されました。

その花言葉は“愛情”ですが、開花の季節となる4月・5月には 

祭壇にお飾りしたご遺影に白い花を咲かせた梨の枝をかかげさせて頂く事も御座います。

1)徳恩寺 あおば浄苑

あおば浄苑は高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺により運営される私営の葬儀式場で宗派に関わらずご利用頂けます。

ーあおば浄苑は東急田薗都市線、若しくはJR横浜線の長津田駅からこどもの国線に乗り換え、

 最初の駅であります恩田駅から徒歩で二分に位置する私営の斎場で、相模の田薗風景が残る地に建立された、

 落ち着いた雰意気の大変良い斎場です。

ーお車で来場の方の便は非常に良く、東名高速道路青葉インターより12分の所に立地して居ります。

ー遠方より来られた参列の方々の宿泊施設と致しましては青葉フォーラムをお薦め致します。

 同フォーラムは東急田薗都市線青葉台駅前にあり、

 式場まではタクシーで15分、料金は1千5百円前後でお着き頂けます。

ーあおば浄苑は徳恩寺敷地内に別棟として建てられおり、宗旨・宗派に係わらず大、小のホールを利用出来る形となって居ります。

 小高い丘の中腹に建てられて居り、徳恩寺を正面に見て右手の坂道を登って頂くとあおば浄苑の正面入り口となります。

 建物は二階建てとなって居り、

 一階には受付・待合せホール・大ホール・小ホール・パントリーが配置され、

 二階には和室控室(3室)迎賓室が配置されて居ります。

 大ホール内は席数50席・参列者300人規模の葬儀を営む事が出来、

 小ホールでは15席の家族葬を営む事が可能となって居ります。

 二階の和室はご遺族の待合室としてご利用頂けると共に通夜仮眠の部屋としても使用可能です。

 5名前後の通夜仮眠が出来る様になって居ります。

ー尚、あおば浄苑をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

 緑区内の横浜市北部斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺は1355年(建武二年)等海律師により中興開山され、

地域の人々に親しまれて現在に至って居ります。

ご本尊の虚空蔵菩薩は室町時代の作と伝えられ、横浜虚空蔵としても有名です。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・緑区の葬儀式場

横浜市緑区は横浜市内中央北側に位置し、人口18万人・8万世帯が居住する、

区の花をシラン(紫蘭)と制定した、区内の山林・公園の緑・農地が52%を占める緑の多い街です。

緑区でご葬儀をお考えの区民の方々には、

ご利用頂ける区内の葬儀式場、及び火葬場として横浜市営の横浜市北部斎場が御座います。

1 横浜市緑区

緑区の地域は、古くは武蔵国都筑郡の農村が散在する、主として山林でした。

江戸時代に入り、東海道の脇街道として中原街道が造られ、更に大山参りの流行と共に大山街道が整備され 

長津田宿が宿場町として繁栄します。

明治に入って後は横浜鉄道沿線の農村地帯となります。

昭和14年都筑郡の主要部は横浜市に編入され港北区となります。

そして、昭和44年の行政区再編成により港北区より分区して緑区となります。

更に平成6年の行政区再編成により青葉区と都筑区が分区して現在の緑区となりました。

尚、緑区は東京工業大学、東洋英和女子学院大学、昭和大学、横浜商科大学、横浜創英短期大学のキャンパスを持つ

学園都市でもあります。

緑区は、中央を鶴見川が西から東に向かって流れ、その南側は丘陵地で宅地として利用され、

北側はIR横浜線鴨居駅と中山駅を中心として工業団地を持ち、

それ以外を農地とした街で、昭和44年に港北区より分区して誕生しました。

緑区の名は分区の際に公募により、緑の美しい街との願いを込めて命名されました。

又、緑区の梨畑では浜なしと呼ばれる独自ブランドが育成されて居ります。

緑区の見どころと致しましては緑を楽しむ公園として、県立四季の森公園、三保市民の森、新治市民の森、

鴨井原市民の森、他多くの公園が御座います。

神社仏閣としては、558年創建の鴨井杉山神社、大石神社、1449年創建の林光寺、

桜や四季の花々が楽しめる萬蔵寺(まんそうじ)など。

又、四季おりおりの風景や夏の蛍が楽しめる、新治里山交流センター、

JSAT横浜衛星管制センターなども御座います。

緑区内の交通機関としては、明治41年開通の横浜鉄道(現在のJR横浜線)、

昭和41年開通の東急田薗都市線、そして、横浜市営地下鉄グリーンラインが区民の足となり、

道路としては昭和44年開通の東名高速道路(横浜町田IC) 

一般道として国道246号線 国道16号線 横浜市内環状4号線が便を供して居ります。

但し、緑区内は都市計画道路整備率が低く、区内幹線道路の整備が求められて居ります。

2 横浜市緑区民の葬儀式場

緑区でご葬儀をお考えの区民の方々には

ご利用頂ける区内の葬儀式場、及び火葬場として横浜市営の横浜市北部斎場が御座います。

又、北部斎場の葬儀式場予約が多数でご希望の日程で予約出来ない場合は 

ひかりの杜より大林寺会堂、他の私営葬儀式場をご紹介させて頂き、

お通夜・ご葬儀は私営式場で、ご火葬は横浜市北部斎場で執り行う事も可能です。

尚、ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀式場は宗教・ご宗派に係わらずご利用頂けます。

又、仏式でのご葬儀をご希望で、菩提寺が遠方等の為、ご導師のご都合が付かない場合などでは

ひかりの杜より信仰されるご宗派の僧侶をご紹介する事も可能です。

ひかりの杜では、神道のご神官、キリスト教の司祭様・牧師様、他の宗教の宗教者も紹介させて頂いて居ります。

横浜市北部斎場

1)横浜市北部斎場

横浜市営斎場の一つである横浜市北部斎場は緑区長津田町に位置する葬儀式場で、

式場と火葬場が併設され、大駐車場を備えた大変便利な葬儀式場で、

宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、式場から火葬場への移動は徒歩5分と、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市北部斎場は正門を入りますと直ぐにトンネルとなり、

トンネルを抜けると前に駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が配置されて居ります。

葬儀式場は4式場あり、

いずれも式場も、受付・待合せロビー、式場、お清め室、親族控室、宗教家控室、シャワー室 トイレが備えられ

席数100席・500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

蘭の花

横浜市北部斎場への来場に当たりましては 電車をご利用の場合は

JR横浜線十日市場駅より横浜市営バス55系統に乗車して頂き北部斎場前で下車(所要10分)の後徒歩で5分、

タクシ-をご利用の場合はJR横浜線長津田駅南口より約8分(料金1500円前後)で来場頂けます。

お車で来場の場合は東名高速横浜インターより10分の距離となります。

又 遠方よりご参列の方々には最寄のホテルとして、“東京湯河原温泉万葉の湯”が御座います。

万葉の湯は東名高速横浜インター前に位置する温泉ホテルで 

JR横浜線・小田急線町田駅よりシャトルバスが運行されて交通の便も良く、

北部斎場まではタクシーで10分(料金1300円前後)とご利用しやすい宿泊設備です。

ご利用料金は洋室ツイン2名利用で10400円/人(税込)からとなります。

横浜市北部斎場は市営斎場の中で最っとも新しく、駐車場も大きく取られ居り、

ご利用頂いた方々よりは好評を頂く式場で御座います。

   今回は以上です。  

横浜市民の葬儀・都筑区の葬儀式場

横浜市都筑区は横浜市内の北部に位置し、人口21万人・9万世帯が居住する、

サクラソウを区の花と制定した、都市と農業が調和した街です。

横浜市都筑区民の方の葬儀式場と致しましては、横浜市営であれば横浜市北部斎場、

ご自宅の近くをご希望であれば長徳寺観照堂(私営)、慈恩寺会館(私営)のご利用がお勧めです。

1 横浜市都筑区

都筑地区の歴史は古く、1万年前には人の居住が認められ(花見山遺跡)、

6千年前には中央部まで海が入り込んでいました(折本貝塚、茅ヶ崎貝塚)。

紀元1世紀にはこの地で稲作が始まり、7世紀に武蔵国都筑郡が制定されたと考えられます。

都筑郡の文字が初めて有史に出てきたのは、万葉集20巻の中の

都筑郡の防人(さきもり)の歌(755年)によります。

中世には北条家の所領となり、江戸期は幕府直括領で東海道の脇街道・

中原街道が制定され佐江戸宿などが出来ます。

廃藩置県後の神奈川県都筑郡は、現在の旭区・緑区・青葉区・都筑区の全域と 

保土ヶ谷区・港北区・瀬谷区・川崎市麻生区の一部を含む地域でしたが、

昭和14年に横浜市と川崎市に編入され都筑郡の名は消滅します。

横浜市に編入された区域は港北区となり、昭和44年に緑区が分区され、

更に平成6年分区して現在の都筑区と成りました。

都筑区の名は歴史のある名前を残す、と共に都を築くと言う願いを込めて、公募により命名されました。

都筑区は奈良時代から昭和14年まで続いた都筑郡と言う歴史ある名称を引き継いだ区で、

平成6年緑区より分区して誕生しました。

永らく続いた農業の街に、近年宅地が造成され現在の都筑区があります。

農業としては小松菜の生産量は日本一であり、江戸時代に作られた”川和の菊”は有名で、

江戸期の著名人から賞賛されました。

尚、都筑区区民の平均年齢は40.49歳(横浜市平均 44.72歳)で 

市内では最とも平均年齢の若い区となって居ります。

都筑区内を通る交通機関としては横浜市営地下鉄のブルーラインとグリーンラインの2線が区民の足となって居り、

道路としては第三京浜(国道466号線)と国道246線が主要な道路です。

尚、都筑区内の第三京浜ICは港北ICで、都筑ICは港北区内に有ります。

都筑区での見どころは、大塚・歳勝土遺跡公園、東方天満宮、都筑中央公園、横浜市歴史博物館、

横浜国際プール等が御座います。

葬儀について

2 横浜市都筑区民の葬儀式場

都筑区民の方の葬儀をお考えの区民の方々には 

市営の葬儀式場をご希望であれば横浜市北部斎場(緑区)のご利用をお薦めします。

北部斎場は東名高速横浜町田ICの裏手に位置し、葬儀式場と火葬炉を併設した、

葬儀式場-火葬場間で移動手段を必要としない、ご葬家・会葬者の方々より好評を頂く葬儀斎場です。

又、駐車場スペースも十分とられて居り、お車でお越しの方々にも不便は御座いません。

尚、最寄りの駅はバス利用であればJR横浜線十日市場駅(バスで7分)、

タクシー利用であればJR横浜線長津田駅(8分)となります。

お通夜・ご葬儀の施行をご自宅近くでお考えであれば、

ひかりの杜より慈恩寺会館(私営)、長徳寺観照堂(私営)他 

の葬儀式場をご葬家様のご要望に合わせてご紹介させて頂きます。

1)長徳寺観照堂

弘願山長徳寺は横浜市都筑区牛久保西に位置する浄土真宗本願寺派の寺院で、

本堂に隣接して観照堂が建立されて居ります。

観照堂は長徳寺お檀家様の為の設備では有りますが、お檀家様以外にもご利用を許して居り、

宗旨・宗派を問わず利用が可能で、林に囲まれ静かな佇まいの、都筑区民の方には大変便利な葬儀式場です。

ご火葬は横浜市北部斎場をご利用頂き、マイクロバスで往復されるのがお勧めです。

長徳寺観照堂は横浜市営地下鉄センター北駅より徒歩で15分の都筑区内に位置する私営の式場です。

遠方より来られた参列の方々には、

隣駅のセンター南駅前のホテルアトラス(シングル7600円より)にお泊り頂き、

タクシ-をご利用頂いて20分以内(料金1500円前後)で式場においで頂く事が可能です。

又お車で来場される場合は第三京浜道路都筑インターより15分程度の距離となります。

長徳寺境内に建てられた観照堂は総二階の建物で、宗旨・宗派に係わらずご利用出来る形となって居ります。

堂内は1階にセレモニーホール、トイレ・洗面場所が、

2階には、待合せロビー、和風客室(28帖)、洋風客室(お清め室32帖)、親族控室(14帖)、

トイレ・洗面所が配置されて居ります。

正面入り口より入りますと、受付、待合せロビー そしてセレモニーホールと続く形となって居ります。

セレモニーホールでは式場内席数100席 参列者500人規模の葬儀を営む事が可能で、

通夜式の後のお清め室は2階の洋風客室をご利用頂く形となります。

尚、観照堂をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

横浜市北部斎場(横浜市営)をご利用頂くのが一般的です。

弘願山長徳寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、開山後500年と伝えられて居ります。

ご本尊は阿弥陀如来です。

  今回は以上です。

横浜市民の葬儀・港北区の葬儀式場

横浜市港北区は横浜市内北東部に位置し、梅を区の花と制定した豊かな自然を備えた町です。

令和4年4月末日現在の居住人口は36万人・8万世帯で、

政令指定都市内行政区としては最大の人口を抱える町でもあります。

横浜市港北区内には横浜市営葬儀式場は御座いませんが、お隣の緑区内の横浜市北部斎場をご利用頂くケース、

或は、港北区内の妙蓮寺斎場(私営)、大乗寺会館(私営)で式を営み、ご火葬は横浜市久保山斎場で執り行う

かたちなどで、お見送りされて居ります。

1 横浜市港北区

横浜市港北区は昭和14年4月、現在の港北区、緑区、都筑区、青葉区の全域を含んで誕生致しましたが、

昭和44年に緑区(緑区、青葉区、都筑区の一部)が分区され、

平成6年の行政区再編成により北西部地域を都筑区へ編入して、現在の港北区が出来上がりました。

港北区内を通る交通機関としては、

明治41年に横浜鉄道(JR横浜線の前身)が開通し、大正15年には東急東横線が、

昭和39年には東海道新幹線が、そして昭和60年には横浜市営地下鉄3号線が開通しました。

昭和初期には綱島に鉱泉が掘られ綱島温泉として賑いを見せ、

更に慶應義塾大学予科が日吉に移転してきた事から、東急東横線駅舎を中心として市街地化が始まり、

その周辺に宅地が造成されて、住宅地として発展して行きました。

そして、戦後の高度経済成長期には農地が工場や倉庫に転用され、

港北区内を流れる鶴見川沿いを中心に多くの工場が建てられて横浜市に於ける内陸工業の拠点とも成りました。

更に、東海道新幹線新横浜駅の開設に伴い、駅北側に新たなオフィス街が出現する事と成ります。

横浜市が計画した“ゆめはま2010”では、新横浜北側、小机、新羽地区を、

横浜駅・関内・関外に続く横浜市内第二の拠点として広域的な施設の建設や基盤の整備が進められて居ります。

その計画の一部として新横浜総合国際競技場(日産スタジアム)、新横浜アリーナなどが運営されて居ります。

港北区内の見どころとしては、2月には大倉山公園梅林、3月末には綱島公園の桜まつり、

春には桜、秋には紅葉が楽しめる岸根公園、

そして、年間を通して楽しめる熊野神社市民の森等があります。

梅の花 港北区のシンボル

熊野神社市民の森は1000年の歴史を持つ師岡熊野神社を中心として 

総面積5.2ヘクタール、1.7キロメートルの散策路を持つ、緑に囲まれた憩いの場所であります。                             

そして、新横浜駅前はオフィス街であると共に、

新幹線開通直後に開設された新横浜ラーメン博物館、老舗の中華料理店、

イタリア料理店などがが営業するグルメタウンでもあります。

告別式花祭壇

2 港北区内の葬儀式場

港北区区民の方が手近にご利用頂けるご葬儀の為の施設としては 

火葬場併設の横浜市営の式場であれば横浜市北部斎場(緑区)、

私営の式場としては西寺尾会堂(西寺尾斎場・西寺尾火葬場 神奈川区)がご利用頂けます。

葬儀式場としては 妙蓮寺斎場(私営)、大乗寺会館(私営)他ご希望される街の寺院会館がご利用頂けます。

寺院会館ご利用の場合は、火葬場として横浜市久保山斎場(西区 火葬炉のみ)を利用する事も出来ます。

港北区の区の花は梅ですが、その花言葉は高潔・忠実・忍耐です。

現代では花見と言えば櫻を思い浮かべますが、この習慣は江戸時代に一般化したもので、

それ以前の平安時代などでは花見は梅を前提として居りました。

ひかりの杜でも花祭壇を飾らせて頂く際、2月・3月の季節時には 

ご遺影の上に梅の枝を飾らせて頂き、祭壇全体をより高潔なふんいきに作り上げさせて頂いて居ります。

 

1)妙蓮寺斎場                        

横浜市港北区にお住まいのご葬家がご自宅の近くでのご葬儀を希望された場合の葬儀式場としては

妙蓮寺斎場が御座います。

東急東横線妙蓮寺駅前に位置する妙蓮寺斎場は日蓮宗の長光山妙蓮寺殿が運営する葬儀式場ですが、

宗旨・宗派を問わずにご利用頂ける港北区民になじまれた便利な式場です。

妙蓮寺斎場は東急東横線で横浜駅から三つ目の妙蓮寺駅前に位置する私営の斎場で、

大変交通の便の良い斎場でもあります。

ー又、お車で来場の場合は首都高速神奈川1号生麦インター、もしくは第三京浜道路新横浜インターをご利用頂き、

 いずれのインターからも15分程度の時間で斎場に到着がかのうです。

ー遠方より来られた参列の方々にも、横浜駅周辺のホテルにお泊り頂き、

 東急東横線をご利用頂いて10分以内で斎場においで頂く事が可能です。

ー現在の妙蓮寺境内には二棟の葬儀式場棟が建てられおり、

 宗旨・宗派に係わらずこれらの式場を利用出来る形となって居ります。

蓮

ー正門をくぐりますと左手に第一斎場があり、

 式場内席数100席・参列者500人規模の葬儀を営む事が出来ます。

ー又、右手墓地の脇の坂道を上りますと第二斎場があり、

 一階では式場内席数40席 参列者100名規模の葬儀が、

 二階では蓮華の間として席数10席10名規模の家族葬を営む事が出来る別室が用意されて居ります。

ー第一斎場、第二斎場共に和室の遺族控室が付属して居り、5名前後の通夜仮眠が出来る様になって居り、

 浴室・シャワーも完備しております。

ー妙蓮寺斎場ではご遺体の保管設備が用意されて居り、

 ご遺体をご自宅に安置出来ない場合でも斎場内に安置する事が可能です。

ー妙蓮寺斎場は交通の便の良さから御選択頂くご葬家様がほとんどのケースです。

ー尚、妙蓮寺斎場をご利用頂いた場合の火葬場は マイクロバスをご利用頂き、

 近所の西寺尾火葬場(私営)、若しくは横浜市久保山斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

ー長光山妙蓮寺は日蓮宗の寺院で、 1350年に現在の神奈川区神明町に妙仙寺として建立されましたが、

 明治時代横浜線設営の為移転を余儀なくされて、菊名池畔にあった蓮光寺を移転先として合併し、

 妙仙寺の妙と蓮光寺の蓮を合わせて妙蓮寺と改名し現在に至って居ります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・保土ヶ谷区の葬儀式場

横浜市保土ケ谷区は横浜市内の中央部に位置する人口21万人、10万世帯が居住する、

区の花を”スミレ”と制定した、関東ローム層の南東端となる起伏に富んだ街です。

保土ヶ谷区民の方にお勧めする葬儀式場と致しましては、横浜市久保山斎場に隣接する私営斎場、

横浜市北部斎場、横浜市戸塚斎場、横浜市南部斎場が御座います。

1 横浜市保土ヶ谷区

保土ケ谷に関連する地名が初めて文献に見られるのは、

平安時代中期(930年代)に作られたとされる分類辞典“和名抄”の中で”久良郡星川郷”の文字です。

更に、1559年記小田原北条家の所領記録の中に、星川、保土ケ谷、今井などの地名が見られます。

そして、1601年の東海道宿駅制度の制定と共に保土ケ谷宿が設けられ、

本陣や問屋場が建築されて宿場町として発展して行きました。

その証が1831年の葛飾北斎・富嶽三十六景の“境木”、34年の安藤広重の東海道五十三次“椎子橋”などです。

明治に入ると鉄道の発達と共に宿場町の機能は失われますが、

農業が発展し、特に江戸末期に甲州より伝えられたジャガイモは保土ケ谷で改良を重ねられ、

種芋・保土ケ谷イモとなり全国へ出荷される様に成りました。

更には、ャガイモを加工した商品・片栗粉の生産地とも成ります。

大正時代に入ると、西谷浄水場が竣工し横浜市内に上水を供給すると共に 

横浜港に隣接した便利な土地として大手企業の工場が建設され始め、

保土ケ谷区は農業地から工業地へと変化しました。

その工業地も昭和20年5月の横浜大空襲により壊滅しました。

戦後の復興は、京浜工業地帯勤務者への居住地区として進み、昭和34年には明神台団地が完成し、

更に多くの団地と宅地が造成されて、今日に至ります。

横浜市保土ケ谷区は、昭和2年保土ケ谷町と西谷町が横浜市に編入され、

同年の区制制定に伴い保土ケ谷区が誕生しました。

尚、保土ケ谷のケは小文字ではなく大文字の“ケ”が正しい区名です。

保土ケ谷区内の交通機関としては、明治20年に開業した程ヶ谷駅の東海道線、

昭和8年に開通した神中鉄道(現在の相模鉄道)が区民の足となって居り、

道路としては、国道1号線、国道16号線、横浜市内環状2号、

の他、昭和34年開通の横浜新道、昭和49年開通の保土ヶ谷バイパス、

横浜横須賀道路、首都高速狩場線が区民に便を供して居ります。

特に狩場インターチェンジは前記の3高速道路に直結し、

更には横浜新道、横浜市内環状2号、東名高速道路、国道16号にも繋がる 便利の良いインタ-です。

保土ヶ谷区内の見どころとしては、保土ヶ谷球場・テニスコート・その他の設備を持ち 

桜の美しい神奈川県立保土ヶ谷公園、常盤公園、新井町公園、陣ヶ下峡谷。

境木地蔵尊とその前に建てられた武相・国境モニュメント(武蔵国と相模国の境界)。

今井地下調節池(内径10.8m×2、000m)、

昭和49年に南区より移転した横浜国立大学キャンパス。横浜カントリークラブなどが有ります。

葬儀について

2 横浜市保土ヶ谷区の葬儀式場

保土ヶ谷区でご葬儀をお考えの場合、会葬の方々の便をお車ご利用の前提であれば 

横浜市北部斎場(緑区 市営)、横浜市南部斎場(金沢区 市営)、横浜市戸塚斎場(戸塚区 市営)、

西寺尾会堂(神奈川区 私営)いずれの葬儀式場も30分前後の距離であり、

火葬場も併設して居りますので、保土ヶ谷区民の方々にはご利用し易いかと思います。                 

ご葬儀をご自宅の近くでお考えの場合、

ひかりの杜ではご葬家様のご要望に合わせた葬儀式場をご紹介させて頂き、

ご火葬は横浜市久保山斎場(西区 市営 火葬炉利用のみ)で執り行う事も可能です。

ひかりの杜では信仰される宗教・ご宗派に合わせて葬儀会場を紹介させて頂きます。

又、仏式のご葬儀をお考えで、菩提寺が遠方などでご導師のご都合が付かない場合は 

ひかりの杜よりご希望のご宗派の僧侶を、責任を持って紹介させて頂きます。

神式をご希望の場合は、神官を、

カトリック教をご信仰の場合は司祭様を、

プロテスタントをご信仰の場合は牧師様をご紹介する事も可能です。

カトリック教会の葬儀

ひかりの杜では葬儀でご利用頂く祭壇には花祭壇のご採用をお薦めして居ります。

故人様のご遺体を花祭壇のお花で包みお見送りされては如何でしょうか。

又、故人様を偲ぶお花で、ご希望のアレンジをし、お見送りする形も企画させて頂きます。

保土ケ谷区の区花“紫のスミレ”は市制100周年、開港130周年の平成元年に区民の公募により制定されました。

紫のスミレの花言葉は貞節、愛です。

季節となる3月-5月には可憐なスミレの花で焼香台のご遺影を飾らせて頂いて居ります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・南区の葬儀式場

横浜市南区は、横浜市内のほぼ中央部に位置する、人口20万人、11万世帯が居住する、

区の花を”さくら”と制定した、横浜・川崎・東京に勤務する方々のベッドタウンとなる街です。

南区民の方のお見送りといたしましては、葬儀式場としては南区日枝町の瑞延寺会館、

火葬場としては西区久保山の横浜市久保山斎場をご利用頂くのが便利です。

1 横浜市南区

横浜市南区は昭和18年に横浜市中区より分区して誕生しました。

南区は中央に大岡川が流れ、その周りを七つの丘が囲んだ桜の美しい住宅地です。

又、横浜市内最古の寺院である瑞應山蓮華院(弘明寺)の門前町であり、

昭和49年まで本学が所在した横浜国立大学の学生街でも有りました。

そして、南区は横浜市18区のなかで最も人口密度の高い区でもあります。

南区からは、弘明寺遺跡、殿ヶ谷遺跡などが発掘されて居り、

古くから大岡川を中心に農村が散在していたと考えられます。

この大岡川は暴れ川でもあり、大雨が降ると洪水を起こす川でもありました。

江戸時代初期、江戸の材木商・吉田勘兵衛は幕府の許可を得て、

大岡川河口流域を吉田新田として開墾・治水します。

この吉田新田が南区、中区発展の源と成りました。

そして、明治22年の横浜市制制定後、南区地域の村々は横浜市に編入されて行き、

昭和2年の区制と共に中区となります。

更に昭和18年、中区の南に所在する事から南区と命名され分区しました。

第二次世界大戦敗戦後は南区内の多くの土地が米軍に接収され、

返還される昭和30年までは大きな変化は阻害されます、

その中でのわずかな変化は昭和24年の横浜国立大学創立でした。

学生街として賑いが出始めます。

昭和30年以降、横浜・東京に勤務する人々の居住区として農地が宅地へと転換されて行きます。

以後、南区の人口は増え続け、昭和44年には南部を港南区として分区して現在の南区と成りました。

横浜市南区内の交通機関と致しましては、昭和5年開通の湘南電鉄(現在の京浜急行)、

そして、昭和47年開通の横浜市営地下鉄の2線が南区区民の方々の足となって居ります。

道路と致しましては、高速道路として首都高速道路狩場線、横浜横須賀道路、

一般道としては横浜市内環状1号線、横浜鎌倉道が通って居ります。

南区の見どころと致しましては、区花となる桜の見所として大岡川プロムナードの桜並木、

蒔田公園・清水ヶ丘教会の桜林を中心として区内至る所で花見を楽しめます。

奈良時代に開設されたとされる市内最古の寺院弘明寺、

吉田新田鎮守の日枝神社(1673年創建)なども一見の価値が御座います。

不対称花祭壇

2 横浜市南区の葬儀式場  

南区区民の方々がご葬儀をお考え頂く場合は 

ひかりの杜では葬儀式場として京浜急行南太田駅近くの瑞延寺会館斎場(私営)ほか 

ご葬家様のご都合に合わせて葬儀式場を紹介させて頂きます。

ご火葬場としては、横浜市久保山斎場(西区 火葬炉利用のみ)が最寄りに御座います。

又、横浜市営の葬儀式場を利用ご希望の場合は横浜市北部斎場(緑区)、横浜市南部斎場(金沢区)、

横浜市戸塚斎場(戸塚区)の3式場がご利用頂けます。

其々遠方に見えますが、いずれの葬儀式場もお車で横浜横須賀道路に入れば30分以内で到着可能な葬儀式場です。

尚、この3式場は火葬場も併設されて居り、式場-火葬場間の移動が容易で 

会葬の方々には便利な葬儀斎場で御座います。

ひかりの杜で紹介させて頂く葬儀式場は宗教・宗派を問いませんので 気軽にご利用頂けます。

ひかりの杜では葬儀を司る宗教者のご紹介もさせて頂いて居り、

菩提寺・神社・教会が遠方などで都合が付かない場合は 

信頼できる宗教者(僧侶、神官、司祭、牧師)を責任を持ってご紹介させて頂きます。

ひかりの杜では葬儀の式典の祭壇に花祭壇をお薦め致して居りますが、

故人様を偲びご希望のお花をご希望のアレンジで御創りして

ご満足頂けるご葬儀・お見送りを企画させて頂いて居ります。

南区の区花は”さくら”と制定されて居り、その花言葉は 精神の美、優美な女性です。

故人様のお言葉“今年の桜を見たかった”から季節となる3月4月には 

祭壇の上に桜の枝を張り出させ 故人様をお見送りする事もしばしば御座います。

1)瑞延寺会館

横浜市南区日枝町に位置する瑞延寺は浄土真宗大谷派の寺院ですが、

寺院境内の本堂とは別棟に瑞延寺会館は建てられて居り、

会館の利用に当たりましては宗旨・宗派を問わずご葬儀を営む事が出来る葬儀式場です。

瑞延寺会館は市街地に建立された式場で、

横浜市営地下鉄線吉野町駅から徒歩で3分、京浜急行線南太田駅からは徒歩で5分と、大変便利な葬儀式場です。

瑞延寺会館は総二階建ての葬儀式場で1Fに受付、お清め室、

2Fに式場、ご遺族控室が配置されて居り、宗旨・宗派に係わらずご利用頂ける葬儀式場で御座います。

式場は、式場内席数40席参列者数百名規模の葬儀を営む事が可能です。

ご遺族控室・通夜仮眠室としては和室(6畳)が用意されて居り、通夜仮眠は5名前後方々がお出来になります。

瑞延寺会館をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、

横浜市久保山斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

瑞延寺会館は市街地にあり、駐車場は必ずしも広くありません。

最寄駅に近接する交通の便の良い式場ですので、ご来場のせつは電車利用をお薦め致します。

   今回は以上です。 

横浜市民の葬儀・中区の葬儀式場

横浜市中区は横浜市内の東側中央部に位置する、人口15万人、8万世帯が居住する、

区の花をチュウリップと制定した、金港の美称を持つ国際貿易港・横浜港に接した国際都市であります。

区内に市営斎場、火葬施設は御座いませんが、隣接する西区の横浜市久保山斎場を利用されると便利です。

1 横浜市中区

東海道神奈川宿の対岸に位置する半農半漁の寒村であった横浜村は 

1858年の日米修好通商条約締結と共に大きく変化する事と成ります。

条約締結により江戸幕府は神奈川、長崎、兵庫、新潟、函館の開港に同意しますが、

東海道神奈川宿での開港を嫌った幕府は、その対岸の横浜村を港として建設する事としました。

その横浜村が中区の前身でもあります。

横浜港の建設に伴い、明治2年には日本初めての鉄橋として吉田鉄橋が架けられます。

明治27年には横浜鉄さん橋(現在の大さん橋)が完成し、昭和2年にはホテル・ニュ-グランドが開業します。

このホテルは後に昭和20年終戦と共に陸軍厚木飛行場に到着したマッカーサー元帥の宿舎ともなりました。

横浜市中区は国際都市の名に恥じず、人口の10%・1万5千人の外国人が居住して居ります。

明治22年の市制施行により横浜村は横浜市となり、

昭和2年の区政施行により鶴見区・神奈川区・磯子区・保土ヶ谷区と共に中区が誕生しました。

中区には、横浜市庁舎、神奈川県庁舎、神奈川県警察本部、横浜地方裁判所、

横浜税関、海上保安庁第三管区海上保安本部、日本銀行横浜支店等が所在し、

神奈川県、及び横浜市の行政、司法、金融の中心となる街でも有ります。

横浜市中区内の交通機関としては、

明治5年に開通した新橋ー横浜間鉄道の起点として桜木町駅が開業し、

その後大船駅まで延長されたJR京浜東北線、

昭和7年に高島町-桜木町間が開通し、現在は中華街まで延長された東急東横線、

日ノ出町駅を持つ京浜急行電鉄、平成16年開通の横浜市営地下鉄 みなとみらい線が網羅されて居ります。

又、道路としては首都高速横羽線、首都高速湾岸線、首都高速3号線により、市内・外の各地と連結して居ります。

中区の見どころとしては数多くの場所が御座います。

本牧地区であれば本牧公園、国の名勝に指定されている三溪園。

山手地区では港のみえる丘公園、外人墓地、

日本最初のテニス・クラブ・レディス・ローン・テニス&クロッケ-クラブ(明治11年創立)が利用する

横浜山手公園。

そして、山手の下の元町商店街、運河をはさんで横浜中華街。

関内・外地区としてはマリンタワー、人形の家、山下公園、氷川丸、横浜大桟橋等が御座います。 

家族葬

2 横浜市中区の葬儀式場 

横浜市市中区区民の方々がご葬儀をお考えの場合は 

お近くの火葬場としては横浜市久保山斎場(西区)が便利です。

久保山斎場は火葬炉利用のみで、葬儀式場を備えては居りませんが、

隣接して、一休庵久保山斎場(私営)、小西斎場(私営)、寺院会館多数があり、

ひかりの杜よりご希望に合わせた葬儀式場ご紹介させて頂いて居ります。

ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀式場は宗教・宗派に係わらずご利用頂く事ができます。

又、横浜市営式場の利用をご希望される場合は、少々離れますが、

横浜市北部斎場(緑区 火葬炉併設)、横浜市戸塚斎場(戸塚区 火葬炉併設)、

横浜市南部斎場(金沢区 火葬炉併設)がご利用頂けます。

何れの市営斎場も駐車スペースは十分にとられて居り、お車であればそれ程の交通時間を必要とは致しません。

仏式のご葬儀をお考えで、檀家寺が遠方などでご都合が付かない場合は 

ひかりの杜よりご希望の宗派の信頼できる僧侶をご紹介する事も可能です。

神道でご葬儀をお考えの場合も神官をご紹介させて頂きます。

ひかりの杜では葬儀の式典の祭壇は花祭壇をお薦めして居りますが、

ご葬家ご希望の花をご希望のアレンジでお創りする事も可能です。

中区の区花はチュウリップですが、その花言葉は”思いやり”です。

ひかりの杜がお手伝いさせて頂く花祭壇でも季節となる3月から5月には 

ご葬家のご希望に合わせた色のチュウリップをアクセントとして使わせて頂いて居ります。

   今回は以上です。  

横浜市民の葬儀・西区の葬儀式場

横浜市西区は、横浜市内の東側中央部に位置する人口10万人、6万世帯が居住する、

区の花をスイセンと制定した、金港と美称される国際貿易港横浜港に隣接した街です。

横浜市西区内には、火葬炉として横浜市久保山斎場、

隣接して私営小西斎場・他の葬儀式場が所在し、横浜市民への便宜を提供して居ります。

1 横浜市西区

横浜市西区は、昭和19年に横浜市中区より分区して誕生しました。

西区は人口、面積ともに横浜市内で最小規模の区ですが、

開港以来の下町情緒を持つ既成市街地地域と横浜駅周辺地区、みなとみらい21地区を持つ 

横浜市内の商業と各種事業の中心ともなる街であります。

横浜市西区は中区と同じく東海道神奈川宿の対岸に位置する横浜村と呼ばれる半農半漁の寒村でしたが、

江戸幕府の開港政策により大きく発展します。

開港に伴い岡野新田や平沼新田などの開発が進み、

新橋ー横浜間鉄道の開通後には横浜港に隣接する埋め立て地に多くの工場が建設されました。

特に、桜木町駅近くには大きな鉄道操車場が、そして巨大な造船場もいくつか建設されました。

西区地域は横浜村、横浜市、横浜市中区、横浜市西区と名称を変えて行きます。

西区の誕生は終戦前年の昭和19年です。

西区の名称は中区の西に位置する事から命名されました。

西区は誕生の翌年、昭和20年5月29日の横浜大空襲により主要地域は焼失し焼野原となります。

そして、敗戦とともに進駐してきた米軍により多くの地域が接収され、その状態が昭和30年まで続きました。

従いまして、西区が戦後復興を開始出来たのは昭和30年からとなります。

昭和26年には野毛山動物園が開園し市民の憩いの場となり、

横浜駅周辺地区は商業・業務の中心に、旧造船場地域は再開発されてみなとみらい21地区となり 

平成5年に完成したランドマークタワーを中心としたオフィス、ホテル、高級店舗、国際会議・展示場が

立ち並ぶ街として発展を続けて居ります。

西区内の交通機関としては、明治5年に新橋ー横浜間鉄道が開設し

横浜駅は現在の桜木町駅の場所に開業致しました。

その後、東海道線の開通に伴い大正4年に高島町に移設され、更には昭和4年に現在地へと移設されました。

その横浜駅にはJR東海道本線、JR横須賀線、JR成田特急、JR京浜東北線、JR横浜線、

京浜急行電鉄、東急東横線、相模鉄道、横浜市営地下鉄が通り横浜市民に大切な足を提供して居ります。

又、道路としては国道1号線、国道16号線、首都高速道路横羽線が通り、

横浜新道、第三京浜道路の出入り口にも接して居ります。

横浜市西区の見どころとしてはみなとみらい21地区が有名ですが、

桜並木で有名な紅葉坂と、そこに立ち並ぶ神奈川県立音楽堂、神奈川県立図書館、横浜能楽堂なども 

落ち着いた街並みと建物を見せて居ります。

又、お子様には野毛山動物薗でしょうか。  

葬儀について

2 横浜市西区の葬儀式場

横浜市西区民の方がご葬儀をお考えの場合、

区内に横浜市久保山斎場が運営されて居り身近な場所でご葬儀を営む事が出来ます。

但し、久保山斎場は火葬炉のみの利用となって居りますが、

隣接して一休庵久保山斎場(私営)、小西斎場(私営)が葬儀式場として利用可能であり、

又、近隣にも多数の寺院会館が所在して、

ひかりの杜ではご葬家様のご要望に合わせてご紹介する事が可能となって居ります。

ご葬家様が横浜市営式場でのご葬儀施行をご希望でしたら、

横浜市北部斎場(緑区 横浜線長津田駅よりタクシ-で10分)、

横浜市南部斎場(金沢区 京浜急行金沢八景駅よりタクシーで15分)、

横浜市戸塚斎場(戸塚区 市営地下鉄踊場駅より徒歩15分)をご利用頂く事も可能で御座います。

何れの斎場も十分な駐車スペースを備えており、お車でのご来場には便利です。

尚、ひかりの杜より紹介させて頂くご葬儀の式場は宗教・宗派を問いませんので、安心してご利用下さい。

又、仏式のご葬儀で僧侶のご都合が付かない場合は、ひかりの杜よりご紹介する事も可能で御座います。

ご希望の宗派の僧侶を責任を持ってご紹介致します。

又、神式の葬儀がご希望であれば、神官をご紹介させて頂く事も可能です。

ひかりの杜では、葬儀の式典の祭壇は花祭壇をお薦めして居ります。

故人様を偲んでご希望のお花を、ご希望のアレンジで御創りし、ご満足の頂けるご葬儀を執り行わさせて頂きます。

西区の区花スイセンは区政40周年に公募により制定されました。

その花言葉は、うぬぼれ、自己愛ですが、

季節となる12月から4月の頃には、

黄色のスイセンを白い花祭壇のアクセントとして使はせて頂く事も御座います。

   今回は以上です。  

横浜市民の葬儀・神奈川区内の葬儀式場

横浜市神奈川区は、横浜市内のほぼ中央部に位置する、人口25万人 13万世帯が居住する、

区の花をチュウリップと制定した東京湾に面した街です。

横浜市神奈川区内には古くより横浜・川崎市民の為の私営西寺尾火葬場が所在し、

葬儀式場と致しましては、私営西寺尾会堂、私営宗興寺会館、私営遍照院、他がご利用頂けます。

1 横浜市神奈川区

古文献の中に”かながわ”の文字が初めて現れるのは、1266年北条時宗下文の中の”神奈河”です。

そして、1601年東海道宿駅伝馬の制度制定により神奈川宿が設置され、

東海道五十三次三番目の宿場町として発展します。

1853年のペリー下田来航、翌1854年に締結された日米和親条約は 

この神奈川区内で調印されたことから神奈川条約とも呼ばれて居ります。

当時の横浜港は神奈川区を中心に築かれておりました。

明治34年に神奈川町が横浜市に編入され、昭和2年の区制制定に伴い神奈川区が誕生しました。

この様に横浜市内でも古くからの歴史を持つ神奈川区ですが、

その面影は昭和20年3月10日の東京・横浜大空襲により失われ、

残念ながら現在に留めるものはほとんど有りません。

現在の神奈川区は西側は緑多い台地で住宅地として利用され、

東側は海に接した埋立低地として多くの港湾施設が立ち並ぶ海・緑・丘をもつ表情豊かな街です。

昭和5年には横浜専門学校(現在の神奈川大学)が六角橋に移転して学園都市と成り、

東京に勤務する方々のベットタウンでも御座います。

又、浦島太郎伝説発祥の地でもあります。

2 横浜市神奈川区での葬儀

神奈川区民の方々のご葬儀の利用可能な施設としては火葬場は古くより横浜市民のご葬儀をお手伝いしてきた

西寺尾火葬場(西寺尾会堂を併設 私営)を神奈川区内に持ち、

横浜市営の火葬場としては横浜市久保山斎場(西区 火葬炉のみ)がご利用頂けます。

同じく横浜市北部斎場(緑区)は少々離れては居りますが 

葬儀の式場を併設した市営設備として、多くのご葬家から好評を頂いて居ります。

神奈川区内の葬儀式場としては先程の西寺尾会堂、JR新子安駅近くの遍照院会館、

JR東神奈川駅近くの宗興寺会館、東急東横線妙蓮寺駅前の妙蓮寺斎場他を

ひかりの杜ではご葬家のご事情に合せてご紹介させて頂いて居ります。

尚、ひかりの杜よりご紹介させて頂く葬儀の式場は宗教、宗派を問わず、ご葬儀にご利用頂く事が出来ます。

又、遠距離等で菩提寺様のご都合が付かない場合、菩提寺をお持ちでない場合などでは

はひかりの杜よりご希望のご宗派の信頼出来る僧侶をご紹介する事も可能です。

神道でのご葬儀をご希望であれば式場をお決め頂いた後に

横浜一之宮神社(社号 一之宮社)他の神官を ご紹介させて頂く事も可能です。

1)西寺尾会堂

横浜市神奈川区松見町に位置する西寺尾会堂は、宗旨・宗派を問わずにご利用頂ける、私営の葬儀式場です。

西寺尾会堂は、全館総二階の建物で、全体的にゆったりとした間取りとなって居ります。

ご遺族様へ 清らかに、厳かに、心に残る河梁のお別れを提供して居ります。

又、同じく私営の西寺尾火葬場にも隣接して居り、

横浜市内でただ一つの式場と火葬場を備えた私営の葬儀斎場でもあります。

西寺尾会堂は私営の西寺尾火葬場に併設して居り、古くより港北、神奈川、鶴見区民に利用されている 

宗旨・宗派に係わらずご利用出来る私営の葬儀式場です。

会堂は東急東横線妙蓮寺駅から徒歩10分の丘の上に建てられて居り、

車で来場される方には首都高速神奈川1号線生麦ランプ、若しくは第三京浜道路新横浜インターより 

何れも15分程の距離に位置する交通の便の良い葬儀式場です。

又、遠方より来られて宿泊が必要な方々には妙蓮寺駅から所要7分で横浜駅となり、

横浜駅周辺には多くのビジネスホテルが営業しております。

その一つとしてはヨコハマプラザホテル(横浜駅東口)シングル6000円より、等がご利用頂けます。

会堂は総二階の建物として建設され、

一階には受付、待合せロビー、葬儀式場、僧侶控室が、

二階には待合せロビー、お清め室、遺族控室・通夜仮眠室が配置されて居ります。

葬儀式場は約60席の会葬者席が用意可能で、数百名程度までのご葬儀を執り行う事が可能です。

尚、同会堂では花輪の取り付けが出来ぬ為、ご供花は生花のみのご利用となります。

又、西寺尾火葬場への移動は徒歩での移動と成りますので、マイクロバス等は不要となります。

  今回は以上です。

横浜市民の葬儀・鶴見区内の葬儀式場

横浜市鶴見区は、横浜市内北東部に位置し、川崎氏・東京湾に隣接した、

人口29万人、15万世帯が居住する、区花をサルビアとする街です。

鶴見区内には多数の寺院会館を主とする葬儀式場を利用頂けますが、

その中でも曹洞宗大本山総持寺の三松閣は有名です。

尚、その場合のご火葬設備は私営西寺尾火葬場、若しくは横浜市久保山斎場をご利用頂くのが便利です。

1 横浜市鶴見区

鶴見は永らく東海道に隣接する小さな漁村でした。

それが明治5年の新橋横浜間鉄道の開通に伴い、鶴見駅が開業し、商業地・住宅地としての発展が始まります。

又、明治四十四年の曹洞宗大本山総持寺の移転により門前町としての要素も加わりました。

更なる発展の前提となったのが大正・昭和初期に於ける日本工業界の軽工業から重工業重視への変化です。

明治45年浅野総一郎を中心として鶴見埋立組合(後の東亜港湾工業)が創立され、

鶴見湾岸地域150万坪の埋め立て工事が開始されます。

この埋立地に多くの主要重工業工場が建設され、京浜工業地帯の中心拠点として日本国発展の礎となりました。

横浜市鶴見区の花・サルビア

昭和2年に横浜市に編入され鶴見区が誕生します。

鶴見区は北西部の豊な緑を保つ丘陵地帯(宅地)一級河川鶴見川流域の低地(商業地)旧東海道が通る歴史の町、

日本近代化の礎となった京浜工業地帯の中心となる湾岸埋立地帯(工業地)を持つユニークな街でも有ります。

昭和2年に横浜市に編入され鶴見区が誕生しました。

交通の便の良さから東京・横浜中心部に勤務する方々のベットタウンとしても発展を続けて居ります。

そして、鶴見区市場町は箱根駅伝に於ける往路で最初の、復路では最後の中継地となります。

鶴見区の区花は、サルビアで、その花言葉は尊敬・智恵・良い家庭・家族愛です。

赤いいサルビアは重工業の街鶴見の赤い炎やエネルギーをイメージし、

花言葉の良い家庭から福祉のゆきとどいた暖かい街を意識して制定されました。

ひかりの杜が企画するご葬儀の花祭壇にも季節である5月から10月の間でご葬家のご希望により 

深紅のサルビアを祭壇のアクセントとして飾らせて頂いて居ります。

横浜市鶴見区の見どころと致しましては、自然を楽しむのであれば櫻の名所である県立三ツ池公園、

大きな境内を持つ曹洞宗大本山総持寺、

東京湾を一望する鶴見つばさ橋。

歴史を感じさせるものとして、旧東海道食べ歩き、鶴見神社田祭り、生麦魚河岸通り等。                                    

又、少々変わったところでは大正年間よりビールを醸造してきたキリン横浜ビアビレッジ、

釣りが楽しめる大黒海釣り公園、年間を通してスノーボードが楽しめるスノーヴァ新横浜等が御座います。

2 曹洞宗大本山総持寺三松閣

横浜鶴見区内の駅に近い葬儀式場をご希望されるご葬家様には

曹洞宗大本山総持寺三松閣のご利用をお勧め致します。

三松閣は広く多くの方々の為に建造された式場で

仏式・神式のご葬儀であれば宗派に拘わらずご利用頂ける式場でも御座います。

三松閣は木々が生い茂り花々に囲まれて、かな曹洞宗大本山総持寺境内の参道に面して建てられた建物で、

世俗から離れた環境での厳かなお見送りを営む事が出来ます。

式場は席数200席の大会場から50席の小会場まで用意されて居り、

社葬・家族葬・オリジナル葬と幅広いご希望にお応えする事が可能です。

又、総本山総持寺檀信徒、曹洞宗檀信徒、鶴見区民のご葬家がご利用頂く場合は

利用料金の割引を受ける事が出来ます。

尚、ご利用に当たりましては事前に利用申請を提出して許可を受ける必要が御座います。

1)交通機関

公共交通機関をを利用してご来場の場合はJR京浜東北線鶴見駅下車西口より徒歩約5分、

京浜急行電鉄京浜鶴見駅下車徒歩で約7分の距離となります。

お車でご来場の場合は首都高速道路横羽線生麦(北行)若しくは汐入(南行)出口、

国道1号線下末吉交差点より何れも10分程度の距離となります。

2)宿泊施設

JR京浜東北線鶴見駅の周辺に”JR東日本ホテルメッツ横浜鶴見”、”ベストウエスタン横浜”、

などのホテルが営業をして居り、そのご利用をお勧め致します。

3)三松閣の設備

三松閣では1階全室利用(200席)、伝道室(50席)、小ホール(50席)の何れかの形での利用が可能です。

付随する設備としては受付・控室、僧侶控室、親族控室、応接室、医務室などが用意されて居り、

常設の売店も出店して居ります。

尚 駐車場は500台の車両が収容可能です。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・法要へのお招きを受ける

現代の横浜では営まれるご葬儀の多くは仏教式で執り行われて居ります。

仏教では、故人様のご逝去直後から一定の年月の間、然るべき日には故人様の霊を偲んで、

法要と呼ばれる儀礼が営まれます。

法要の席にご招待を受けました、出席する事が礼儀とされます。

神式、日本のキリスト教式でも同様の意味を持つ儀礼が営まれて居ります。

1 法要とは

法要とは、本来仏教に於いて釈迦の教え(仏法)を学ぶ事を意味して居りますが、

儀式祭礼などの仏教行事一般を指す様にも成り、

現在の社会の中では、死者の冥福を祈り、その霊を慰める儀式である追善供養の事を指すように成りました。

法事、仏事とも言はれます。

また、お寺の創立記念、新しい御堂の完成記念、新しく作られた仏像の開眼記念、

などの慶事にも法要と呼ばれる儀礼が営まれます。

仏教では、人は亡くなられましてから七週間(7X7=49日)は中陰と呼ばれる期間で、

故人様の霊は現世と西方冥土の間をさまよっているとされております。

この間、ご遺族の方々は故人様の霊が無事に西方浄土へ着き成仏出来る様、七日毎にご供養をします。

初七日と四十九日の法要は特に重要ですので近親者、友人・知人をお招きして執り行います。

ただし、初七日法要はご火葬後のご遺骨迎えと併せて執り行い、

七日毎の法要と百ヶ日の法要は内々で行うのが一般的です。

中陰の間を忌中(キチュウ)と言います、

従いまして、四十九日の法要は忌明けの法要と呼ばれます。

そして、忌明けより一周忌の法要までが喪中(モチュウ)となります。

なお、葬儀後に営まれる法要は以下の通りです;

初七日(ショナヌカ、死後7日目)、二七日(フタナヌカ、死後14日目)、三七日(ミナヌカ、死後21日目)、

四七日(ヨナヌカ、死後28日目)、五七日(イツナヌカ、死後35日目)、六七日(ムナヌカ、死後42日目)、

七七日(ナナナヌカ、死後四十九日、忌明け法要、満中陰)、百ヶ日(死後100日目)、

一周忌(死後一年目)、三回忌(死後二年目)、七回忌(死後6年目)、十三回忌(死後12年目)、

十七回忌(死後16年目)、二十三回忌(死後22年目)、二十七回忌(死後26年目)、

三十三回忌(死後32年目、弔い上げ法要)。

以上の他に、亡くなられた同月同日を祥月命日(ショウツキメイニチ)といい、

毎月の同日を月忌(ガツキ)といってお墓参りを致します。

一般的には三十三回忌を弔い上げとして故人様の霊は先祖様の一人となり法要を終了致します。

2 法要へのお招きを受けましたら

法要にお招きを受けましたら 出席されるのが礼儀です。

案内状を頂きましたら直ぐに返事をお返し下さい。

法要とは、本来の意味は仏教に於いて釈迦の教え(仏法)を知る事ですが、

日本に渡来し定着する中で仏教行事に於ける儀式祭礼全般を指す様になり、

現在の日本に於ける一般社会では、追善供養など死者を弔う儀式を指す様になりました。

法事とも呼ばれますが、厳密には住職にお経をあげて頂くことを”法要”と言い、

法要と後席の食事を含めた行事全体を”法事”と呼びます。

百合

法要の当日は、不祝儀袋に”御仏前”と表書をして現金を包むか、お供物を持参します。

お供物は故人様な好んだ物、線香、果物、菓子、生花などから選びます。

現金を包む場合、一周忌までは黒白、又は双銀の水引を使用しますが、

三回忌以降は黄白や青白の水引でも構いません。

表書きは御仏前、御供物料、御香料 などとして、必ず袱紗に包んで持参します。

法要には始まる30分前には到着し、まずご遺族に挨拶します。

挨拶は”本日はお招き頂きまして恐れ入ります、ご供養にお供させて頂きます”など。

ご挨拶の後に”御仏前にお供え下さい” といって供物料をお渡しします。

お悔やみの言葉

法要に出席する際の服装は、

一周忌までは喪服に近いもの(男性はブラックスーツ、女性はブラックフォーマル)を着用しますが、

三回忌以降は地味な平服で構いません。

尚、案内状に”平服”と示されている場合は、黒ではなく、地味な平服を着用します。

やむおえず欠席せざるをえない場合は、

案内状の返信に欠席と共にお詫びの一文を添えるか、電話でお詫びをするのが良いでしょう。

その際、法要の前日までにお供物か御供物料をお届けするのが礼儀です。

法要はあくまでもお招きを受けたら出席するものであり、

どんなに親しくともこちらから日時や場所を問い合せる事はマナー違反です。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・弔問・弔辞の依頼を受けた時

日頃より交流のある方の悲しい知らせを受けた時、故人様の冥福を祈っての弔辞を依頼される事が御座います。

弔辞を依頼された場合には、進んでお受けになるのが礼儀です。

1 弔辞とは

弔辞は、ご遺族の依頼にもとずき、告別式の参列者を代表して、

故人様との思い出を語り、その御逝去を悼み、お別れの言葉を読み上げる、ご挨拶です。

ご遺族は故人様との関係を考え是非にと思う方にお願いします。

依頼を受けましたら、余程の事が無い限り、お断りせずに引き受けるのがマナーです。

葬儀について

弔辞の内容は、故人様の人柄や業績を称え、追慕と感謝の気持ち、残された者の決意などを述べ、

最後にご遺族への慰めと別れの言葉で結ぶのが一般的です。

友人、先輩、後輩、恩人などご自分の立場を考えて、故人様とのお付き合いを思い返しながら、

相応しい内容を考えます。

奉読時間は3分、原稿にして1000から1200文字が目安となります。

忌み言葉に気を付け、形式的な内容にならぬ様、ご自分の言葉で語るのが良いでしょう。

弔辞は奉読後、祭壇にお供えして後に記念としてご遺族のお手元に残るものですのでていねいにお書き下さい。

本来は巻紙に薄墨毛筆で書くのが正式ですが、

現代の横浜では弔辞用の用紙も市販されて居りますので、ご利用されるのも便利です。

又、便箋に書く場合は白無地の便箋に書き、白無地の封筒にお入れ下さい。

具体的な内容としては 

1)〇〇さん、〇〇先生などと 呼びかけで始めます。

但し、キリスト教では故人様は神に召されて安らかに眠ることを祈るという意味から呼びかけ形式はとりません。

2)故人様のご逝去に対する驚きを述べます。 

3)故人様と弔辞を読むご自分との関係が解る様にはっきり述べます。

4)弔辞の主要部分として、故人様の業績や人柄をエピソードをまじえながら語り、感謝の気持ちを伝えます。

5)最後に、ご遺族への慰めの言葉を語り、結びとして故人様へのお別れをつげます。

百合花祭壇

2 弔辞の作成

告別式で奉読される弔辞は、故人様のご逝去を悼み、お別れと共にご遺族の悲しみを慰める言葉となります。

ご遺族より弔辞を依頼されましたら、弔辞を用意しなければ成りません。

その構成は、①弔辞の最初は故人様への呼びかけで始まる、②ご逝去の驚きを述べる、③故人様との関係を述べる、

④故人様の人柄や業績を称える、⑤ご遺族への慰めの言葉の後にお別れの言葉で結ぶ、が一般的な構成となります。

不対称花祭壇

1)弔辞の初めは 〇〇先生、〇〇先輩、〇〇さん、などの呼びかけで始めます。

 但し、キリスト教の告別式では故人様が神に召されて安らかに眠る事を祈る

 との事から呼びかけ形式はとりません。

2)次には故人様ご逝去の驚きを述べます。

 ”突然のお知らせにただ唖然とするばかりです”、”突然の訃報に接し、しばらく言葉を失いました”などです。

3)その後に、故人様との関係を述べます。

 参列者の方々に故人様と弔辞奉読者の関係が解るようにはっきりと述べます。

4)そして、弔辞のメインの部分として 

 故人様の人柄や業績をエピソードを交えながら讃え、故人様への感謝の気持ちを伝えます。

 但し、わざとらしい褒め言葉や美辞麗句は避けて、奉読者の素直な心情を表現します。

5)最後に、ご遺族への慰めの言葉を述べた後に、故人様へのお別れの言葉を述べて、結びとします。

 仏式や神式では

 ”安らかにお眠り下さい” 

 ”ご冥福をお祈り申し上げます” が一般的です。

     今回は以上です。

横浜市民の葬儀・弔問・葬儀式・告別式

不幸のお知らせを受けられましたら、ご遺族のご意向に沿う形で弔問される事をお勧め致します。

ご遺族のご意向に沿うとは、頂いた不幸の知らせの内容に従って弔問される事です。

もしお知らせの内容には記されているいない事をご希望の場合は、お手伝いする葬儀社にお問い合わせ下さい。

尚、現代の横浜では、ご葬儀は仏教式で営まれるのが一般的です。

1 葬儀式と告別式

仏教に於ける葬儀式と告別式には、夫々異なる意味が有ります。

葬儀式は故人様の冥福を祈り、仏弟子としての戒律を与える授戒と、極楽浄土へと導く引導を行う儀式で 

ご遺族、ご親族、ごく親しい方により執り行います。

告別式は友人や知人が故人様と最後のお別れをする儀式です。

葬儀式、告別式の順に執り行われ、一般の方は告別式に参加されるのが本来ですが 

現代では葬儀と告別式を同時に執り行う事も多く、その場合は一般の弔問であっても葬儀式から参列します。

葬儀式に参列する場合は、定刻より早めに会場ヘ入りし受付を済ませて案内の指示に従い席につきます。

案内の指示が無い場合は控え目な席につきます。

告別式だけに参列する場合は定刻の10分前までには受付を済ませ司会者の案内を待ちます。

コート、ショール、帽子などは受付のの前にとり、クロークが有れば大きな荷物と共に預けます。

受付では”この度は御愁傷様です”と簡単なお悔みを述べ、香典を差し出し、記帳をします。

名刺を差し出しても良いでしょう。

通夜に訪れ香典をお供えした場合は記帳だけを行います。

受付が設けられていない場合、香典は拝礼(ご焼香)の際に祭壇にお供えします。

式場内では案内に従うか、ご自分の立場を考えて適当な席に着きます。

このとき、喪主様やご遺族のところえ出向いてお悔みを述べるのは避けた方が良いでしょう。

又、式場内での知人・ご友人との会話は控え目にされると良いでしょう。

一般会葬の方はご焼香が終わりました後、出来るだけその場に残ってご出棺を見送ります。

告別式終了後はご遺族による最後の対面ガ行われますので、一般会葬者は式場の外で静かに待ちます。

ご出棺に先立ち、喪主様のご挨拶が有り、その後ご出棺と成ります。

霊柩車が動き出しましたら、頭を下げて合掌してお見送りします。

ご出棺をお見送りした後は静かに退出します。

菊

2 一般の会葬

一般会葬者として告別式に参列された場合は拝礼(ご焼香)が終りました後は 

式場に留まり、出棺をお見送りします。

ご出棺の際には合掌をしてお見送りします。

式場外で待機する間は、特別に寒い日を除いて、コート類は身に付けずに手に持つ様にします。

雨天の場合は黒を基調とした傘を使用する心使いも大切です。

尚、通夜・ご葬儀のスケジュール連絡を受けた際に”ご厚志お断り”とある場合には 

その趣旨に従って香典、供花、供物などの用意は避ける事とします。

出棺に先立って 喪主様、或いはご遺族代表の謝辞挨拶が行われ、その後 出棺となります。

霊柩車が動き出しましたら合掌して頭を下げお見送りします。

横浜市営斎場をご利用の場合は火葬場が隣接して居りますので、

霊柩車では無く、お柩を直接お見送りする形となります。

お悔やみの言葉

尚、火葬場への同行を依頼された場合には出来るだけ同行するのが礼儀です。

更にご遺族からご自宅までの同行を依頼された場合も、同行して遺骨迎えの法要に参加すると良いでしょう。

その後に営まれる精進落としの振る舞いは、葬儀・告別式のお手伝いをした方々に対する 

お礼の席でもありますので、一般会葬者の方はご遠慮されるのが良いでしょう。

葬儀式・告別式の連絡で”ご厚志はご辞退申し上げます”と示されている場合が有ります。

この場合は香典、供花、供物など一切を遠慮させて頂きます、の意味合いですので、

香典、供花、供物は お供えしない様にします。

尚、個人的にご自宅に弔問する場合には香典を持参しても構いません。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・不幸の知らせを受けたら

日本には祝儀・不祝儀の言葉が御座いますが、

祝儀での些少の義理欠きは許されるが、不祝儀での手抜きは許されない、との格言が御座います。

ご親族・ご友人の不幸の知らせを受けましたら、然るべき手順で故人様の冥福をお祈りします。

不幸の知らせには、ご危篤(きとく)の連絡と、ご逝去(せいきょ)の連絡が御座います。

ご危篤の連絡を受けましたら指定の場所にすぐ駆けつけます、

ご逝去の連絡では故人さまとの関係により対応します。

1 不幸の知らせ(ご危篤

ご家族がご危篤を知らせて来ると言う事は、意識の有る内に一目でも会って欲しいと考えての事ですので、

連絡を受けましたら出来るだけ早く指定の場所に駈け付けます。

間違えの無い様、連絡を受けた際、場所の確認をします。

病院の場合は住所は勿論、電話番号、病室番号も聞いておきます。

駈け付ける際の服装は普段着で構いませんが、派手な服装やTシャツ等カジュアル過ぎる服装は避けます。

遠方から駆けつける場合、万一を覚悟して喪服を携行する事が有りますが、

面会の前に駅のロッカ―等に預けて、失礼のないようにします。

ご逝去の連絡を受けた際は故人さまとの関係により対応の仕方が変わります。

肉親、近親者、極親しいご友人の場合は何処へ行けば故人さまと会えるのか確認をし、

喪服を準備して、地味な平服で弔問に駈け付けます。

一般的な知人、友人の場合は、すぐの弔問は必要有りません。

通夜・葬儀の日取り、場所、葬儀の宗教・宗派等を確認して通夜に参列します。

又、依頼されれば連絡役を引き受け、次に連絡すべき方に連絡をとります。

ご遺族以外の方から連絡を受けた場合、不明な点を問合せたり、お悔みを述べる為に 

取り込み中のご遺族に直接連絡を取る事は避けた方が良いでしょう。

訃報を受けても、すぐに弔問出来ない事情がある場合は代理の方を立てて通夜・告別式に参列してもらうか、

弔電を打つか、手紙を送るかして弔意を伝えます。

後日、弔問できなかった事をお詫びし 先方のご都合を確認して弔問します。

遠方に居住している等、やもう得ない事情で弔問出来ない場合は出来るだけ早く香典をお送りします。

香典は不祝儀袋に入れて現金書留で送れます。

香典にはお悔みの言葉と参列出来ないお詫びの手紙を同封されると良いかと思います。

2 通夜式への参列

通夜は、本来、ご遺族、近親者、親しい友人など故人様と深い係わりを持った方々が集まり、

夜を通して故人様との最後のお別れを惜しみ、故人様の霊とご遺族を慰める為のものです。

従いまして、特に親しい間柄でない場合は通夜には参列せず、告別式に参列するのが本来の形です。

但し、ご遺族から通夜の日程を知らされた場合は通夜に参列し、葬儀・告別式にも参列します。

尚、通夜式参列の服装は地味なダークスーツを着用します。

最近は通夜式も告別式も同じように故人様とのお別れの場と考える方が多くなりました。

その結果、ご自分の都合に合わせてどちらかを選んで参列される様になり、

忙しい現代の横浜では昼間の告別式ではなく、夜間の通夜式に参列される方が圧倒的に多く成りました。

それほど親しい関係では無いけれども、都合により告別式には参列出来ない為通夜式だけに参加される場合は 

通夜ぶるまいに誘われても、遠慮して早めに引き上げるのが良いでしょう。

通夜への出欠を迷う場合は近親の方や葬儀の世話役の方に問い合せるのも良いでしょう。

最近では、通夜と言っても半通夜が一般的と成りました。

午後6時若しくは7時から始まり(通夜式45分、通夜ぶるまい)二時間から三時間以内でお開きとなります。

式場には開始予定時間の10分前までには入ります。

式場に着きましたら、受付で記帳をし、

”この度は御愁傷様で御座います。御霊前にお供え下さい” と簡単なお悔みの言葉と共に香典を差し出します。

そして、案内に従い着席します。

受付が設けられて居ない場合、香典は親族にお渡しするか、焼香又は拝礼の際に祭壇にお供えします。

通夜ぶるまいの席は、弔問に対するお礼とお清め、そして故人様の供養の為に設けられます。

お誘いを受けたら遠慮せずに席に着き、一口でも箸をつけるのが礼儀です。

但し、通夜ぶるまいは宴席ではありませんので、

故人様と関係の無い話題に熱中したり、お酒を過して長居をしたりは避けて下さい。

早めに退席する際は周囲の人に”お先に失礼します”とお断り述べて静かに退席します。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・弔問のマナー・供物・供花

日頃より親しい間柄の方が亡くなられた際には、故人様の冥福を祈ってお花や品物をお供えします。

お供えする品物をお供物(くもつ)、お花をご供花(きょうか)と言います。

1 御供物とご供花

故人様の霊を慰める為に供える品物をお供物、花をご供花と言います。

香典とお供物、ご供花を両方送るか、一つだけにするか迷う、と言うお話を時として伺いますが、

香典、お供物、ご供花とは同じ意味ですので、原則として何れか一つですが、重複しても構いません。

香典の他に親族一同、同窓会一同、団体等でお供物、ご供花を贈る際に一員に加わる事も、

香典とご供花の両方を贈る事も 故人様とのご関係で多々御座います。

お供物はその地域により仕来りが有りますが、

仏式では線香、ロウソク、果物、干菓子、お酒等の日持ちのする物をお供えするのが一般的です。

神式では線香・抹香はお供えしません、魚・肉等の生臭物でもお供えしますが、

お供物の仕来りが御座いますのでお送りする前に喪家さまにご確認頂くのが良いでしょう。

ご確認出来ない場合は御榊料として現金を贈るのが無難です。

キリスト教では生花のみで、お供物は有りません。

通夜式の服装

お供物の水引や表書は香典と同じですが、

ご葬儀をお手伝いする葬儀社へご指示頂ければ不祝儀用に用意してお供え致します。

お供物は、通夜、ご葬儀、告別式の祭壇にお供えしますのでお通夜の前に届く様手配します。

2 ご供花

ご供花は、”きょうか”、又は”くげ”と読み、仏様や故人様へ供えるお花の事を指します。

ご供花では生花や花輪などを贈ります。

生花では派手な花は避け、菊、カーネーション、百合、ストック等の白を中心に使いますが、

故人様がお好きだった花をアクセントに入れて貰うのも良いと思います。

バラ・その他のトゲを持つお花は避けるべきとの慣習が御座いますが、

ひかりの杜では全てのトゲを取り除いてお供えさせて頂いて居ります。

花輪は会社や団体名で贈るのが一般的ですが、最近は飾れる場所が無い場合も多く見られますので、

事前の確認が必要です。

薔薇

お供物、ご生花、何れにしても宗教や地域の仕来り、斎場内外での制限などが御座いますので、

お贈りになる前に喪家さま、或いはお手伝いする葬儀社にご確認される事をお薦め致します。

昨今の新型コロナウイルス慢延下では家族葬や極近しい方々だけで執り行う小さなご葬儀が多くなりました。

この様なご葬儀では従来の考え方に捉われず、故人さまを取り囲んでのお見送り等、

ご遺族さまの特別なご希望に合わせた葬儀式も少なく有りません、

当然にご供花の受け方やお供えの仕方もそれに合わせる事が出来ます。

又、従来の白を中心とした茎のしっかりした花だけには拘らず、

故人さまのお好きだったお花や、ご遺族様のお好みのお花をご供花としてお請けする事も多く成りました。

  今回は以上です。

横浜市民の葬儀・弔問のマナー・拝礼

故人様を偲んで弔問をされる際に拝礼は不可欠の作法です。

拝礼はご葬家が信仰される宗教の作法に従ってされるのが一般的ですが、

ご葬家に失礼の無い範囲でご自身の信仰する作法で拝礼されても可とされます。

1 仏教の拝礼

焼香とは、仏教に於いて仏や故人様に対して香を焚いて拝む事を言います。

焼香には線香焼香と抹香焼香が有りますが、

一般的には抹香焼香をさし、通夜・葬儀・法要などでの故人様との告別に使用されます。

心身の穢れを取り除き、清浄な心でお参りする際の作法とされます。

左手に数珠をかけ、右手の親指、人指し指、中指の三本で香をつまみ香炉にくべます。

焼香の作法はご宗派により異なりますが

主としては以下の通りです;

天台宗; 焼香回数に付いて特に定めは有りません。

真言宗; 焼香三回、線香も三本立てます。身、口、意の三業を清めるとされます。

臨済宗; 回数に拘りません。

曹洞宗; 焼香二回、線香は一本。初回は香をつまみ額に押し戴いてから焚きます。

     二回目は押し戴かずに炊きます。初回を主香、二回目を従香と言います。

浄土宗; 特に定めは有りませんが一回から三回までの間で焼香します。線香も一から三本立てます。

日蓮宗; 焼香は三回、線香は一本立てます。

    以上の宗派では焼香の前に香を額に押し戴きます。

真宗大谷派; 焼香は二回、香は額に押し戴きません。線香は立てずに 折って寝かせます。

       本数の定めは有りません。

浄土真宗本願寺派; 焼香は一回、香は額に押し戴きません。

          線香は立てずに 折って寝かせます。本数の定めは有りません。

以上の様に焼香の作法は宗派により異なります。

ご葬家の宗派とご会葬の方の宗派が異なる場合、以前はご葬家に合わせると言う考え方が有りましたが、

信教の自由の観点から会葬者の方のお気持ちを尊重するのが良いのではないかと変化して居ります。

特に他の宗教の場合は焼香を禁じている場合も御座います。

又、会葬の方々が多数の場合は宗派に係わらず、焼香を一回に制限させて頂く場合も御座います。

2 神道での玉串奉奠(たまぐしほうてん)

玉串とは榊の枝に紙垂(しで)あるいは木綿(ゆう)を付けたもので 

神事の際に神前に捧げるものであり、神霊がよりつくものとされています。

語源は諸説有りますが「玉をつけたから」というものと「玉は魂の意味」という説があります。

以下、玉串拝礼の作法をご説明いたします。

  1. )神職より榊を受け取ります。
     受け取り方は左手のひらを上に向けて葉の部分を乗せ、右手のひらを下に向けて根元を上から持ちます。その際ややひじをややはります。
  2. )神前の玉串案(机)の前に進み 深く頭を下げます。
    玉串の先を時計方向に90度回し左手を下げて根元を持ち 祈念を込めます。右手で玉串の中程を下からささえ 玉串をさらに時計方向に回しながら、根元を神前に向け左手を離して右手の下に添えます
  3. )前に進んで玉串案(机)の上に奉でん(置く)します。
    二拝して 音をたてないように二拍手 一拝して終わります。葬儀の時は両手を打つ寸前で止め 音をたてない様に拍手をします。これを「しのび手」といいます。

3 キリスト教での拝礼

日本に於けるキリスト教葬では、拝礼は献花により営まれるのが一般的となって居ります。

献花は、白のカーネーションで行われるのが一般的ですが、

これは日本だけの習慣で、仏教葬の焼香の変わる行為と言われて居ります。

海外ではお柩にお花を捧げる習慣は有りますが、ご葬儀でお花を捧げる習慣は有りません。

献花を捧げる作法として決められた形は有りません、その教会により異なりますが、

参列者は各自一輪の花を持ち、一人ずつ式場の前に進み、

お柩やご遺影の前に置かれたテーブルの上にお花を置いて、故人さまに拝礼をして席に戻ります。

お花の置き方はお花をお棺に向けて置く場合と、茎の部分をお棺に向けて置く場合とが御座いますが、

前の方と同じ方法で置かれるのが良いでしょう。

又、お花は教会の入り口で会場に入る際に渡される場合と、献花の前に介添いの方より渡される場合が有ります。

4 無宗教葬での拝礼

無宗教葬の場合や、仏教葬でもホテルで執り行う場合は焼香が出来ない為、献花が営まれます。

献花に使用する花は 

① 一輪咲き、

② 茎がしっかりしてる、

③ 持ちやすい長さがある、

④ 白色の品種がある 

の条件を満たす花であれば良いのですが、トゲを持つ花は避けます。

但し、今後は世の変化と共に変わって行くかもしれません。

お花の置き方に付きましては特に決められた作法は御座いませんので、

司会者の指示に従うか、指示が無い場合には前の方の作法に従うのが良いと考えます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・弔問のマナー・香典

突然の訃報に接された場合には速やかに弔問される事をお勧め致します。

弔問に際しましては古くより日本の文化に根ざしたお香典を準備します。

お香典は本来仏教の言葉ですが、日本では神道はもちろん、キリスト教式葬儀でも包まれるのが一般的です。

1 香典

香典とは、ご葬儀の際にお花、線香、抹香等の代りに故人様の霊前に供えるものですが、

急なご不幸による出費に対する助け合いの意味も有ります。

香典は仏式の葬儀等に於いて故人様の霊前に供える金品をいいます。

古くには香奠と書かれました、香は香・線香に代わるものという意味であり、奠は霊前に供える金品を意味します。

香奠は元来米などの食物が一般的でしたが、

室町時代後期に武士階級が金銭による香奠を出したことが記録されております。

とはいえ、その後も長い間弔問に訪れる際には香奠(食料や酒など)をもちよる習慣が続いて居りました。

明治時代に入り、都市部を中心に金銭香奠の習慣が広まり、

第二次世界大戦後は農村部を含めて金銭香奠が普及する事と成りました。

不対称花祭壇

江戸時代、日本国民は全て仏教徒であり、葬儀は居住する地域共同体の重要な行事でした。

そして、ご葬家は葬儀の期間中、故人様の成仏を願い、故人様の滅罪するためのお布施として 

人々に食事を振舞いました。

当時の記録として地域の共同体に属する人々は葬儀のお手伝いをすると共に、

子供を含めて葬儀の期間はご葬家の振る舞いに与り、自宅で食事をとる事はなかった、という記録も存在します。

この振る舞いの為の飲食を用意する必要から、親族は多量の飲食費用を提供しなければ成りませんでした。

これが 親族香奠です。

親族香奠は血縁の深い方がより多くの食料・飲料を提供し、血縁な薄くなるに合わせて少なくなるルールでした。

又、近隣の人々は自分達の食する分を持ちよりました。

これが村香奠です。

現在の金銭香奠でも親族香奠や村香奠の考え方が踏襲されております。

葬儀を出すには近隣の方々に振る舞いをしなければ成らず、

多額の出費をご葬家や親族は負担しなければ成りませんでした。

従いまして、貧しい家では葬儀をだせないという事態も起こり得ますが、

香奠はこの様な事態を回避せる為の相互扶助として大切な意味を持つものでも有ります。

2 香典の準備

香典の準備ですが、お香典を入れる熨斗袋やその表書は宗教や宗派により異なりますので 

事前に確認する事が大切です、

又、通夜・葬儀の予定をご連絡するお立場の施主様側も、

ご連絡の際に執り行う葬儀の宗教とご宗派を付け加えて頂く方が親切なご連絡となります。

弔事では水引の結び方は不幸が二度と来ない様にと解けない結び切りを使います、のしは付けません。

表書は仏式であれば、御香典、御香料で、御仏前の表記は四十九日以降の法要で使用します。

神式では御玉串料、御榊料を、キリスト教ではお花料とします。

宗教が確認出来ない場合の無難な書き方は御霊前で各宗教共通でご使用可能です。

但し、浄土真宗では御霊前は使いません。

尚、蓮の花が印刷された熨斗袋は仏式でしか使用出来ませんのでご注意ください。

表書の下に出典者のフルネームを書きます、

奥様が代理で会葬の場合はフルネームの左下に”内”の字を付記します、

どなたかの代りに会葬の場合は”代”と書き入れます。 

香典は通夜又は葬儀(告別式)の何れかに持参します。

通夜に持参した場合、翌日の葬儀では記帳のみ行います。

又、お香典に包む紙幣は、前もって用意した訳では無い事を示す為に使用済みの紙幣を入れます、

新札は使いません。

通夜式の服装

3 香典に包む金額

古くは、香典は酒食を贈る食料香典が一般的でしたが、徐々に金銭香典へと変化し、

第二次世界大戦終了後は金銭を包む、金銭香奠は一般的と成りました。

又、香典に包む金額は地域により異なり、特別な取り決めは有りません。

現代の横浜に於ける相場と致しましては;

ご家族 5万円~10万円。

ご親族 1万円~5万円。

関係者 1万円、2万円、3万円。

一般の会葬者 5千円~1万円。

近隣の方々 3千円~5千円 が世間相場となります。

かっては、仏事に偶数を使ってはならない、との言い伝えが有りましたが、

現代に於いては、万円の次が3万円では上がり幅が大きいと言う事で、

2万円、4万円などの金額を包む事に違和感を感じる事は無くなって居ります。

尚、地域によりましては葬儀・告別式後の精進落としの席に招待されている場合は

2~3万円を包むもの、とされるケースも御座います。

4 香典のお渡し

ご自宅への弔問であればご遺族に”この度は御愁傷様でございます”と口上して直接お渡しいたします。 

ご葬儀式場であれば、受付の前に進み、

袱紗から香典袋を取り出し”この度は御愁傷様でございます”と口上して受付係に手渡します。

このとき香典は必ず両手で指し出します。

その後、受付係の指示に従って名前・住所・連絡先を記帳し、一礼をして待機場所へ移動します。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・弔問でのマナー・服装

ご親族、ご友人の突然の訃報に接した場合は、指定された内容に従い弔問に伺います。

弔問に当たりましては永く伝わる日本文化をもとにしたマナーに従う事をお勧め致します。

1 弔問での服装

1)お通夜の弔問に訪れる際の男性の服装

”故人様の突然のご逝去に取るもの取り合えず駆け付ける”

との主旨から地味な平服で弔問されるのが本来の姿です。

然しながら現代の横浜ではお通夜であっても略礼服、ブラックスーツを着用して

弔問されるケースが一般的となって居ります。

1)女性の洋装

ー略礼装、突然の知らせを受けて通夜式に駆け付けるときや一般弔問客として通夜に参列する際には

 略礼装でも構いません。

 略礼装は濃紺や濃いグレー、黒など地味な色合いでシンプルなデザインのスーツやワンピース、

 黒のブラウスとスカート、黒のジャケットとスカートの組み合わせなどです。

 パンツもカジュアル過ぎなければ良いでしょう。

ーストッキングは黒かナチュラルな肌色のものをし着用し、柄物やカジュアルな印象のものは避けます。

ーバックはショルダータイプのものは避けて、手提げタイプの小型のものを使用します。

 シンプルな布製か光沢のない革製を。

ー靴は飾りのないヒールのあるシンプルなパンプスを、

 ヒールのない靴はカジュアルな印象がありますにで避けた方が良いでしょう。

2)女性の和装

ー正式礼装は黒無地の染め抜き五つ紋付きで、冬は羽二重か一越ちりめん、

 夏は駒絽(こまろ)か平絽(ひらろ)が一般的です。

 紋は実家の女紋か婚家の紋を入れます。

 半えり、足袋の白以外は小物を黒で統一します。

ー略礼装は地味な色の色無地の一つ紋、三つ紋の着物に黒の喪帯を締めます。

 地味な色無地でも地紋がおめてだい吉祥模様の着物は避けます。

 半えり、足袋の白以外は帯揚げ、帯締めも黒にします。

 地味な小紋の着物に一つ紋付きの羽織も略礼装になります。

百合

3)小物・アクセサリーのマナー

喪服を着用する場合には小物やアクセサリーが以外と目立ちます。

マナーを一度ご確認ください。

ーアクセサリー

 結婚指輪以外は付けないのが正式です。

 付ける場合にも一つだけにします。

 真珠やオニキスなどの一蓮のネックレスや一粒タイプのイヤリングなどを一つだけにします。

 重なる事を嫌う弔事では二連のネックレスは着用しません。

ーバック

 バックは小型で光沢のないシンプルなデザインの布製が正式です。

 革製でも光沢がなく、派手な金具の飾りなども無く、シンプルなデザインなら、

 手提げタイプでもセカンドバッグタイプでも構いません。

 爬虫類はタブーです。

ー手袋

 正式礼装では黒無地の手袋をするのが正式です。

 拝礼のときは外して手に持ちます。

ーハンカチ

 色物のハンカチは目立つので避け、白無地やフォーマル用の黒を使用。

ー香水は付けません

 清浄な香が炊かれる通夜・葬儀の場では華やかな香水の香りは場違いと成ります。

ー雨の日の傘は地味な傘を

 色柄の傘は目立ちますので、黒無地や地味な柄の傘をご利用下さい。

薔薇

4)年少者

年少の方が弔問される場合は学生服を着用します。

子供の喪の装いは小学生、中学生、高校生は男女にかかわらず制服があれば制服が正式礼装となります。

制服がない場合は黒か紺などの地味な色合いの服装を着用します。

酷暑の夏では白いシャツやブラウスに黒や紺、

グレーなど地味な色のズボンやスカートを着用するのが良いでしょう。

幼児は幼稚園の制服があればその制服を、なければ白のシャツやブラウスを用意して地味な服装とします。

靴はできるだけ黒を、靴下やハンカチなどは白か黒のものを用意します。

お悔やみの言葉

5)制服を着用する社会人

警察官。自衛官・消防官・海上保安庁など職業上制服を着用される方は、

喪服の代りに制服を着用するケースも御座います。

その場合は記章・略章等をはずす事が望ましいとされます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・横浜市北部斎場

横浜市民のご葬儀にあたり、廉価で利用し易い横浜市営葬儀式場としては横浜市北部斎場が御座います。

横浜市営の葬儀式場は三ヶ所御座いますが、その中で最っとも新しく、平成14年4月開設され、

備えられて居ります設備も最大の斎場が横浜市北部斎場で御座います。

1 横浜市北部斎場

横浜市北部斎場は緑区長津田町に位置する横浜市営の斎場で、

青葉・都筑・港北・緑・旭・瀬谷・保土ヶ谷区民のご葬家でご利用頂ける葬儀式場です。

横浜市北部斎場には火葬場が併設され、大駐車場も備えた大変便利な葬儀式場で、

宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、葬儀式場から火葬場への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市北部斎場
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横浜市北部斎場は正門を入りますと直ぐにトンネルとなり、

トンネルを抜けると前に駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が配置されて居ります。

葬儀式場は4式場あり、いずれも式場にも

受付・待合せロビー・式場・お清め室・親族控室・宗教家控室・シャワー室・トイレが配置されて居り、

席数100席・500名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市北部斎場の利用料は、故人様が横浜市民であれば 

式場利用料(2日間)8万円、

火葬炉利用料1万2千円、火葬時の控室利用料5千円でご利用頂けます。

横浜市北部斎場は建物も比較的新しく、駐車場も地上・地下に幅広く用意されて居り、

ご利用頂いた方々よりは好評を頂く式場で御座います。

葬儀について

来場に当たりましては、公営交通機関ご利用であれば、

JR横浜線十日市場駅より横浜市営バス55系統に乗車して頂き北部斎場前で下車(所要10分)の後 

徒歩で10分となります。

又、タクシ-をご利用の場合はJR横浜線長津田駅南口より約8分(料金1500円前後)で来場頂けます。

お車で来場の場合は、東名高速横浜インター・青葉インターより10分の距離となります。

カトリック教会の葬儀

遠方よりご参列の方々には最寄のホテルとして、“東京・湯河原温泉・万葉の湯”が御座います。

万葉の湯は東名高速横浜インター前に位置する温泉ホテルで 

JR横浜線・小田急線町田駅よりシャトルバスが運行されて交通の便も良く、

北部斎場まではタクシーで10分(料金1500円前後)とご利用しやすい宿泊設備です。

ご利用料金は、洋室ツイン2名利用で10400円/人(税込)からとなります。

尚、町田駅周辺でも各種のホテルをご利用頂けます。

    今回は以上です。  

横浜市民の葬儀・横浜市南部斎場

横浜市民の為の葬儀式場として二番目に開業致しました斎場が、金沢緑地に建てられた、

横浜市南部斎場です。

横浜市南部斎場も火葬炉を併設した市民の為に大変便利な葬儀式場・火葬設備です。

1 横浜市南部斎場

横浜市南部斎場は1991年(平成3年)9月に横浜市営の葬儀式場・火葬場として操業を開始しました。

横浜市南部斎場は金沢区みず木町に位置する横浜市営の斎場で、葬儀式場と火葬場が併設され、

大駐車場を備えた大変便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、葬儀式場と火葬場は併設されて居り、その間の移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市南部斎場
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横浜市南部斎場は、県道23号線より案内に従って入りますと、先ずはトンネルを潜り正門を入ります。

正面左手に火葬場・式場の建物が御座います、

この前を通り建物奥には駐車場が配置されて居ります。

葬儀式場は1Fに第一式場、2Fに第二式場、の計2式場が設営されおり、いずれも式場も、

受付・待合せロビー・式場・お清め室・親族控室・宗教家控室・トイレが配置され、

席数100席・300名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市南部斎場は横浜横須賀道路朝比奈インター出口に隣接し、深い緑地の中に造られた静かな斎場で 

駐車場も大きく取られ居り、お車でご来場頂く方々よりは好評を頂く式場で御座います。

2 横浜市南部斎場来場の交通機関

横浜市南部斎場来場に当たりましては、

京浜急行線金沢文庫駅(特急停車駅)よりタクシ-利用で約20分(料金2500円前後)で来場頂けます。

路線バスご利用の場合は京浜急行金沢八景駅より

神奈川中央交通の大船駅行、庄戸行、上郷ネオポリス行にお乗り頂き、 

隧道東口で下車(所要時間約20分)後、斎場まで徒歩10分です。

尚、斎場までの徒歩10分間は急な登り坂となりますのでお気を附け下さい。

お車で来場の場合は、大変便利で横浜-横須賀高速道路朝比奈インター出口前となります。

3 横浜市南部斎場最寄の宿泊施設

遠方よりご参列の方々には最寄の宿泊施設として、“上郷・森の家”が御座います。

上郷・森の家は斎場よりタクシ-で5分(料金1000円)の距離にあるご利用し易い横浜市営の宿泊設備です。

ご利用料金は2名利用で6500円(朝食付き)/人(税込)からとなります。

金沢八景駅周辺のホテルと致しましては“横浜テクノタワーホテル”が御座います。

ご利用料金はシングルルーム・8500円税込/人でご利用頂けます。

横浜市南部斎場まではタクシ-で3000円前後となります。

   今回は以上です。

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