神道の葬儀U

 今回は神道の葬儀 神葬祭の続きに付いて書かせて頂きました。

 

 日本固有の古来から伝わる神道のご葬儀は神葬祭と呼ばれます。神道に於ける死生観は ”人は皆 神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ還り、子孫達を見守る” ものと考えます。従いまして 神葬祭は 故人様に家の守護神となって頂く為の儀式であります。又 神道に於いては 死は穢れ(けがれ)であるため、神の鎮まる聖域 神社で神葬祭を行う事は出来ません。但し 会堂を持つ神社では 神社と会堂の間に結界を設けて、会堂で神葬祭を行う事は可能です。尚 神葬祭を行うに当たりましたは 個人の自宅や別の斎場をご利用頂くのが一般的です。神葬祭は お線香を使用致しませんので、ホテルなどを利用する事も可能です。

 

 神葬祭の最初の儀式と致しましては ”枕直しの儀” を行います。ご家族様が亡くなられましたら 神棚封じを行い、ご遺体に白の小袖を着せて北枕で殯室(ひんしつ、ご遺体を安置する部屋)に安置します。ご遺体の枕元に守り刀を置き、ご遺体の前に案(あん、白木八足の小机)を祭壇として設けて、米・塩・水・酒(生饌、せいせん と呼ぶ)、故人様が生前に好まれた食べ物(常饌 じょうせん と呼ぶ)等をお供えします。以後 ご家族、ご親族の方々は 謹んでご遺体の側近くで奉仕します。

 

 枕直しの儀の後は 納棺の儀となり ご遺体をお棺にお納めする儀式となります。ご遺体には 男性であれば 神衣と呼ばれる 白の狩衣、女性であれば 白の小袿(こうちき)、をお着せして棺にお納めします。お着せするのが難しい場合は ご遺体の上を覆う形となります。その後 柩に蓋をして 白の布で覆い、全員で拝礼し 正寝(表座敷)へお移しして 祭壇を設け、饌をお供えして、拝礼します。

 

   今回は以上です。  

神道の葬儀

 今回は神道の葬儀である神葬祭に付いて書かせて頂きました。

 

 神葬祭は日本固有の宗教である神道の葬儀を指して言います。神葬祭には 枕直しの儀、納棺の儀、通夜祭・遷霊祭、蔡場祭、火葬祭、埋葬祭、帰家祭・直会、御霊祭などが含まれます。但し 執り行うに当たりましては その地域特有の仕来りが御座いますので、事前に斎主様(祭儀に主として奉仕する神職)に確認される事をお薦め致します。

 

 神葬祭を執り行うに当たりましては まずご納棺の前に以下の事を行わなければ成りません;

1 ご家族が亡くなられましたら、まず 神棚と祖霊舎(ご先祖を祀る祭壇)に帰幽(きゆう、亡くなった事)した事を奉告し、その前面に白紙を貼ります。白紙はご遺族以外の方にお願いします。

2 病気平癒などの祈願をした神社があれば、その祈願を解き、産土神社(土地の氏神様)に帰幽を奉告します。これらは 喪主様の代りに 代参の方をお願いして神社に派遣するか、もしくは 遥拝(ようはい、遠くから礼拝)により行います。

3 葬儀を執り行う為の 斎主、副斎主、祭員、伶人(れいじん、雅楽を奏でる人)などを委嘱します。どの様な構成で神葬祭を行うかは 斎主様のご指示に従います。

4 各祭で必要となる幣帛(へいはく、ご進物)、神饌(しんせん、食物)、玉串、その他、をどの程度用意するか 斎主様とご相談の上 手配します。

5 霊璽(れいじ、仏式の位牌に相当)、墓誌、銘旗(めいき)、墓標などの揮毫(きごう)を手配します。

 

   今回は以上です。

諸教

 今回は諸教に付いて書かせて頂きました。

 

 ご葬儀を執り行うに当たりましては 故人様 或いはご遺族様が信仰されて居られる宗教の作法に従って行うのが基本となりますが、神道、仏教、キリスト教の系列に属さな 宗教教団を信仰されて居られる方々もいらしゃいます。これらの信徒の方々は 諸教と位置付けられた教団の作法に従って ご葬儀を執り行う事と成ります。

 

 諸教とは 神道系、仏教系、キリスト教系の何れにも特定出来ない宗教教団を指します。その様な宗教教団とは 神道と仏教、神道と仏教とキリスト教など 複数の宗教が混合して創設された宗教や、古来の宗教とは関係なく 独自に創唱された宗教となります。第二次世界大戦前の宗教団体法の下では 宗教団体は認可制であると共に 原則として 神道系、仏教系、キリスト教系の何れかに属していなければ成りませんでした。例外として 宗教結社として届け出て、認可を受けた上で 教義を宣布したり 儀式の執行を行う組織も認められては居りました。昭和20年の宗教法人令の施行により、認可制は届け出制へと変更されると 多くの宗教団体が 宗教法人として届け出る事となります。その際には 神道、仏教、キリスト教系に属さない宗教法人を諸教としてカテゴライズしました。

 

 天理教は 神道教派13派の一つでありましたが、戦後 教団自ら 神道では無い事を表明して、諸教の宗教団体となりました。他に 諸教の主要な団体としては 天保9年 親神・天理王命が 教祖 中山みきを その社として この世に顕現し 教祖の口を通じて啓示された、とする天理教、大正8年 教祖深田千代子が霊感を得て創めたとされる 円応教、昭和4年 総裁谷口雅春が 神啓をうけて 結成された生長の家、昭和10年 教祖岡田茂吉が 大本教から独立して開いた世界救世教、昭和21年御木徳近が ひとのみち教団を引継ぐ形で立教した 人生は芸術である を真理とする パーフェクトリバティ−教団(PL教団)、他 多数の教団が御座います。

 

   今回は以上です。

キリスト教V

 今回は昭和20年以降のキリスト教 各教団の変化に付いて書かせて頂きました。

 

 昭和15年の宗教団体法の下では ローマ・カトリックは日本天主公教教団、プロテスタントは 日本基督教団の二教団に絞られて居りましたが、昭和20年の 宗教法人令の施行により、各教派は新たに独自の教団形態を目指す道が開かれます。特に 日本基督教団に所属していた プロテスタントの各教派は 独自の教団に分離して、独自の布教活動を進める事と成ります。

 

 ローマ・カトリックは 宗教法人令により 天主公教教区連盟と改称し、昭和26年には カトリック中央協議会となって現在に至って居ります。現在は 日本国内 16の独立した司教区に分かれ、司祭を中心とした自主運営が行われて居ります。尚 司教区を越えた全国的な活動に付いては 日本カトリック司教協議会が設けられ、そこで 協議する事と成ります。平成27年12月末現在 日本に於いて活動する 宣教会修道院の数は44、男子の修道院が168、女子の修道院は572、在俗会の数は19です。

 

 プロテスタントの最大の教団は 現在 日本基督教団で 戦前の合同教会としての理念を継承し、プロテスタント各派の多くが包含されて居り、合議制で教団の運営が行われて居ります。日本基督教団に所属しない 主要なプロテスタントの教団としては 英国教会系の日本聖公会、日本福音ルーテル教会(アメリカ一致ルーテル教会系を中心にフィンランド系の福音ルーテル教会 他が合同)、日本ルーテル教団(アメリカ・ミズーリ派ルーテル教会系)、日本ルーテル同胞教団(アメリカ・ルーテル同胞教会系)、カルバン派では 日本キリスト教会、日本キリスト改革派教会、カンバ―ランド長老キリスト教会日本中会などがあります。会衆派は日本基督教団に合同して居ります。メゾジスト派の教会の多くは日本基督教団に合同して居りますが、独立した教団として 日本自由メソジスト教団が有ります。パプテスト派は 多くの教団が独立し 日本パプテスト連盟、日本パプテスト同盟、日本パプテスト・バイブル・フェローシップ、日本パプテスト教会連合などが布教活動を行っております。

キリスト教U

 今回は明治、大正、昭和のキリスト教に付いて書かせて頂きました。

 

 江戸時代末より 諸外国の領事館に赴任した司祭・牧師によりキリスト教の布教は再開されますが、明治新政府は 当初 キリスト教を禁止する政策を取り、明治元年(1968年) 切支丹邪宗門禁制の高札が掲げられました。しかしながら 国際世論により 明治6年 この高札は撤去され、キリスト教は公認はされませんでしたが、以降 黙認される事と成ります。そして 明治・大正時代 キリスト教の各派が来日して伝道を開始します。昭和15年 宗教団体法が施行され、ローマ・カトリックの日本天主公教教団と プロテスタントの日本基督教団が 宗教団体として登録されます。昭和20年(1945年)宗教団体法に代わり宗教法人令が施行され 各教派は独自の教団体系を維持する事が出来る様になり、平成27年末日現在 キリスト教系 包括宗教団体は86団体、単独宗教法人としては4、657法人が文化庁に登録されて居ります。


 キリスト教の中でもプロテスタントは 多くの派に別れますが、最初に来日したカルバン派は 日本基督公会を設立し、明治10年に日本長老公会と合同して日本基督一致教会となり、明治23年には 日本キリスト教会と改称します。ルター派は 明治25年 アメリカ南部一致ルーテル教会が日本で伝道を始め、福音ルーテル教会を組織し、明治28年にはフィンランド系も伝道を開始します。会衆派は アメリカン・ボードの宣教師らによって宣教が進められ、明治11年 関西の9公会が日本基督伝道会社を設立、その後 明治19年に日本組合基督教会となります。パプテスト派は アメリカ北部パプテスト系により 明治6年横浜に 第一洗礼教会が設立され、明治22年には 南部パプテスト系 により 日本の西地域での伝道を開始します。メソジスト派では 明治6年から アメリカ・メソジスト監督教会とカナダ・メソジスト教会の宣教が始まり、その後 明治40年に アメリカ・南メソジスト監督教会系を加えた三者が合同して 日本メソジスト教会が結成されました。


   今回は以上です。

子リスト教

 今回はキリスト教に付いて書かせて頂きました。

 

 ご葬儀は 信仰する宗教を基に執り行われるのが基本ですが、現状の横浜で行われるご葬儀の95%以上は仏式で行われて居り、数%が宗教を意識しないご葬儀、キリスト教でのご葬儀をお手伝いするケースは殆んどなく、その場合でも ご火葬のみ(直葬)で行うケースとなります。キリスト教は世界三大宗教の一つですが、日本に於ける教徒の数はそれ程多く無く、又 海外の様に ご家族での教徒ではなく、教徒の多くの方は 個人で信仰されるケースがほとんどありる故と考えられます。

 

 キリスト教の日本への伝来は 1549年(戦国時代)、ローマ・カトリック イエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエル師の来日に始まります。その後 安土桃山時代の豊臣秀吉により キリスト教の信仰は禁じられましたが、17世紀初頭には 日本国内に聖職者150名 六十五万人の信者が存在したと言われます。しかしながら 徳川幕府による 撤底した弾圧により キリスト教徒は全滅に等しい状態となります。

 

 その後 250年を経て 1857年(安政4年)鎖国令の解除と共に 第三代日本知牧 ジラール師が 仏国 江戸領事館付き司祭として来日し、1862年には 横浜に教会を建てます。又 長崎に上陸した プティジャン師は 1865年(慶応元年)に大浦天守堂を建て、更に 浦上に於ける旧信者の子孫を発見して、日本に於けるカトリックは復興する事と成ります。

 

 ギリシャ正教会では 1859年(安政6年)函館にロシア領事館が設置され、同敷地内に聖堂も建てられました。1861年にはロシアの修道司祭ニコライ師が領事館付き司祭として赴任しました。

 

 プロテスタントでは 1859年にアメリカの監督教会(聖公会系)、改革派教会(カルバン派系)、長老教会(カルバン派系)からの宣教師・牧師が 長崎や横浜に上陸し 外国人居留地を中心に伝道が始まり、1872年(明治5年)には横浜に日本で初めてのプロテスタント 日本基督公会が設立されました。

 

 こうして キリスト教の日本への布教が再開される事と成ります。

 

   今回は以上です。

 

仏教]T

 今回は明治時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 江戸時代 寺請制度を基にした仏教界の寺檀関係は 明治維新と共に大きく変化します。神仏分離と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により仏教界は強い迫害を受ける事と成ります。又 明治5年の戸籍法により 僧侶は身分ではなく職業となり、僧侶の妻帯 肉食 蓄発を勝手とする布告も出されました。そうした中 江戸時代までの伝統的な宗学は 海外に留学した若い学僧たちにより、近代仏教学へと変化して行きます。仏教啓蒙運動や在家仏教運動もこの時代から始まります。

 

 明治・大正時代には 伝統的仏教を背景としつつも、新たな教団が多く設立されて居ります。

天台系に属する主な教団としては 念法眞教、孝道教団があります。念法眞教は大正14年に 小倉霊現を教祖として、孝道教団は 昭和11年 岡野正道とその妻 貴美子により設立されました。

真言系としては 真如苑、辯天宗などがあります。真如苑は 真言宗醍醐派で修行をした 伊藤真乗が昭和23年 まこと教団を設立、その後 現名称に変更されました。辯天宗は 高野山真言宗の住職であった 大森智辯が瓣才天の天啓を受けて 昭和27年に立宗しました。

日蓮系は 新宗教団体が多く創立されました。長松清風により 安政4年(1857)に起された 本門佛立宗、小谷喜美と久保角太郎によって始められた霊友会、更に 霊友会から独立した 立正佼成会 妙智会教団 佛所護念会教団 正義会教団 妙道会教団などがあります。創価学会は 昭和5年 牧口常三郎によって設立された 日蓮正宗の在家信者団体でした。このほか日蓮系の新宗教団体として 法師宗、思親会などがあります。

 

   今回は以上です。 

仏教]

 今回は仏教と武家社会との結びつきに付いて書かせて頂きました。

 

 鎌倉時代を始めとする武士階級による政治が始まると、多くの仏教寺院は寺領を持つ様になり、寺領を守る為の僧兵、そして 武士階級の信徒の庇護により、寺院の権力は大きくなって行きます。応仁の乱後の戦国時代となると、その治安の悪化に対すべく宗教勢力も武力を強めて行きました。そして 戦国大名との抗争へと発展して行きます。戦国大名 織田信長は 天下布武 という方針の下、実力対抗する これらの宗教勢力を撤底的に討伐しました。安土桃山時代 ほとんどの寺院は 武士階級に屈服して武装解除が行われ、統制される事となります。

 

 豊臣秀吉の死後、権勢を掌握した徳川家康は 江戸幕府を開くと共に 当初は寺院諸法度を制定して寺院の取締りを行い、寺院の勢力を弱体化させて行きます。更に キリスト教を中心とする邪宗門徒を発見し、その締め出しを図る為、寺請制度を発足させます。寺請制度は 宗教統制を図る為の制度で、寺請証文を受ける事を民衆に義務付けて、キリシタンで無い事を寺院に証明させる制度で有ります。必然的に民衆は寺請をして貰う為に 仏教寺院の檀家と成らざるを得ず、これにより日本の寺檀制度が確立する事と成ります。日本の国民は全て 何れかの仏教寺院の檀家となりました。日本、或いは横浜に於ける ご葬儀の9割以上が仏式で行われるベースは この時代に確立致しました。


   今回は以上です。 

 

仏教\

 今回は鎌倉時代に中国より伝えられた禅宗に付いて書かせて頂きました。

 

 禅宗とは 坐禅を基本的な修行形態とする仏教の宗派で、南インド出身で中国へ渡った 達磨大師を祖として居ります。本来 坐禅は仏教の基本的な徳目の一つとされて居りましたが、中国の唐代末期(9世紀)頃より、坐禅を中心に行う仏教集団を 禅宗と呼ぶ様になります。そして 時代が過ぎ 宋の時代(日本は鎌倉時代)に 栄西禅師により臨済禅が、道元禅師により曹洞禅がそれぞれ伝えられました。

 

 臨済宗は中国で成立した禅の一派で、禅匠臨済義玄を宗祖とする宗派です。鎌倉時代 栄西は宋に渡り、臨済禅を究めて、日本に伝えました。臨済禅は武士階級に好まれ、広く広がると共に、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道など、日本の中世の文化に大きな影響を与えました。禅とは精神統一を意味する dhyana の音写 禅那(ぜんな)に由来します。その真髄は 坐禅を組んで精神統一をし、自己の本性を見撤し、悟りを開く事を目的とします。その悟りの境地は 言葉によって説明することはできず、師と弟子の間で心から心へと伝えられる(不立文字、教外別伝)とされます。又 古来より 禅僧には その悟りの心境から発する奇抜な言動が禅問答として遺されて居りますが、それらは 後に禅を学ぶ人々の修行を深めるよすがとして生かさせる様になります。これを 公案(こうあん)と言います。臨済宗は栄西禅師以降 多くの弟子達により、おおくの派が生まれて居りますが、現在の最も大きな宗団は 京都の妙心寺を本山とする 臨済宗妙心寺派です。神奈川県内では 鎌倉の建長寺を本山とする 建長寺派、円覚寺を本山とする 円覚寺派を御座います。

 

 曹洞宗は 同じく中国の曹洞宗の禅が 入宋した道元禅師により日本に伝えられて居ります。道元は 帰朝後 曹洞宗の布教に務めますが、鎌倉幕府に受入られず、仏教諸派からの圧迫を受けて、越前に移り 永平寺を開いて、弟子の育成に尽力しました。曹洞宗では 公案は用いず、只管打坐、ただ座るということを重んじて居ります。坐禅は仏のはたらき、仏の活現に他ならないということで、本証の妙修 と呼ばれています。道元の家風は 極めて厳格で、格調の高いものであり、一般に広まる性格のものではありませんでしたが、門下の第四祖 瑩山紹瑾により 禅の大衆化が図られて、現在 ある 大教団の基礎が築かれました。紹瑾は 石川県の能登に総持寺を開創しましたが、明治に入って火災に合い、横浜の鶴見に移りました。現在は 福井の永平寺と 横浜鶴見の総持寺の二大本山制により運営されて居ります。


   今回は以上です。

 

 

 

 

仏教[

 今回は鎌倉時代に興された日蓮宗に付いて書かせて頂きました。

 

 ご葬儀を行う際の儀礼は信仰された宗教に基ずいて執り行われますが、現代の横浜で主流とされるのは仏教です。その仏教で主流となる宗派の多くは鎌倉時代に創設されて居ります。その中の 日蓮宗(法華宗)は以下の通りです。


 日蓮宗は 法華宗とも呼ばれ、鎌倉時代中期(1253年)に安房の国 清澄山の清澄寺に於いて日蓮上人(立正大師)により興されました。日蓮上人は 安房の国(千葉県鴨川市)の小湊に生まれ、11歳で小湊の清澄寺に学び、更に 比叡山で天台教学を究め、その後 三井寺、薬師寺、高野山、天王寺、他に遊学の後に清澄寺に戻って 南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされます。その後 鎌倉を中心に布教活動を行うと共に、鎌倉幕府への献策(立正安国論)を行いますが、聞き入れられず 各種の法難を受けた後、佐渡へ流されました。3年間の流罪が許されると 山梨県の身延山に入り、久遠寺を開山して 法華経の宣揚と道俗の訓育に当りました。その後 病を得て、療養の為 常陸の国へ向かう途中、武蔵の国 池上(東京都大田区)で入滅します。


 日蓮宗の教えは 南無妙法蓮華経 の題目を唱える唱題を説きます。法華経こそが釈尊の悟りの全てであり、宇宙の実相を表わしている、”妙法蓮華経”の題目は 単に名称ではなく、法華経の説く内容、つまり 仏陀の証悟の世界そのものである、という日蓮上人の考えにもとずくものです。


 尚 日蓮宗は 法華経の理解の違いにより、多くの分派を持ちますが、総本山は 山梨県の身延山久遠寺、日蓮宗の行政を司る宗務院は 東京都大田区池上の 本門寺敷地内にあります。


   今回は以上です。


仏教Z

 今回は鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 ご葬儀を行う際の儀礼は信仰された宗教に基ずいて執り行われますが、現代の日本で主流となるのは仏教です。その仏教で主流となる宗派の多くは鎌倉時代に創設されて居ります。その中の 融通念仏宗、時宗は以下の通りです。

 

 融通念仏宗は 平安時代末期の1117年 天台宗の僧侶であった良忍上人が 京都大原の来迎院で修行中、阿弥陀如来から速疾往生(誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文を授かり開宗した、とされます。自他融通の念仏は 相互に力を及ぼしあって浄土に往生すると説きます。大阪市平野区に建立された 大念仏寺を総本山として居ります。

 

 時宗は 融通念佛宗と同様に浄土教の一宗派で鎌倉時代末期に一偏上人により開かれました。一偏上人は 証空門下の聖達に学び、後に熊野本宮で神勅を得たとして自らの教学を形成しました。上人は 捨聖(すてひじり)と言われ、遊行をこととし、弟子達と共に諸国を遊行し、念仏を称えた人には 算(さん)と呼ばれる念仏のお札を与えました。又 一偏上人には 新たな宗派を立宗する意図は無く、永らく その教団や構成員は時衆と呼ばれて居りました。時宗として宗派が成立するのは 江戸時代以降(1633年)以降です。その教えは 念仏を重視し、念仏を唱えれば唱える程 極楽浄土への往生が可能になると説きました。時宗では 阿弥陀仏への 信・不信は問わず念仏を唱えれば成仏できると説き、仏の本願力は絶対であるがゆえに、それが 信じない者にまで及ぶと解釈されて居ります。時宗の総本山は 神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称 遊行寺)です。


   今回は以上です。

 

仏教Y

 今回も前回に続き鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 現代の日本に於ける ご葬儀は仏式の葬送儀礼が主流となって居りますが、その多くの宗派は 鎌倉時代に開創されて居ります。仏教史観に於ける ”末法の時代”であった鎌倉時代には 念仏の唱導を主とする宗派が開創され、貴族階級だけでは無く 民衆の中に広く伝わって行きました。その始まりは浄土宗でしたが、更に 浄土真宗、融通念佛宗、時宗、日蓮宗などが創設されて行きました。

 

 浄土真宗は 1247年に親鸞聖人により立教開宗されたとされます(教行信証が完成した年)。聖人は 始めに比叡山で修学に励んだ後、法然上人の下に参じて、その高弟の一人となります。そして 法然上人が四国流罪とされたときに、越後流罪に処せられました。その間 関東で教えを広め、晩年には京都に帰る事と成ります。聖人が教導していた時代には 浄土真宗は創立されて居らず、浄土真宗の創設は 聖人の没後 その弟子たちにより行われました。親鸞聖人の教えは 法然上人の唱導した浄土門の念仏の教えこそ真実の教え(浄土真宗)であるとし、浄土往生以前でもこの世で救いが成就する(現生正定聚)と説きました。更に その”信心”も”念仏の行”も 如来より施与されたものとされ、絶対他力の教学を完成したとされます。又 聖人は妻帯も仏道を妨げる事は無いと唱え、非僧非俗と称して、従来の出家集団とは異なる教団を形成しました。

 

 現在 真宗教団の中で大きな教団は 浄土真宗本願寺派(西)と真宗大谷派(東)の東西本願寺教団ですが、その他 真宗高田派、真宗興正派、真宗佛光寺派、他が御座います。

 

 今回は以上です。融通念佛宗、時宗、日蓮宗は次回に書かせて頂きます。

 

仏教X

 今回は鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 鎌倉時代には 天災や飢饉が多発し、更に戦乱などにより民衆の苦悩が深まった世相となりました。又 仏教史観では ”末法の時代”とされ、平安時代の貴族階級を中心とした仏教から、民衆の苦悩を救済する為の仏教へと変化して行きます。この時代には 一般民衆でも受入れ易い、専修念仏の唱導を中心とした 多くの宗派が生まれました。浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、日蓮宗、そして 禅宗などです。

 

 浄土宗は 法然上人により 1175年 京都東山で開創されました。法然上人は 天台宗を始めとして南都六宗を修学しましたが、その教えに満足出来ず、専修念仏を唱導する浄土宗を開創します。南無阿弥陀仏(阿弥陀仏を信ずる の意味)と唱えることにより、極楽浄土へ導かれ そこで悟りを開く事が出来る、という 他力易行の念仏は 貴族を含む多くの民衆に影響を与えました。しかし 従来からの諸宗の反発を受けて、朝廷より 念仏停止(ねんぶつちょうじ)の令が発っせられ、法然上人は土佐(実際には讃岐)に流罪となり、高弟たちも 死罪や流罪に処されて、浄土宗は日本各地に分派される事と成りました。そして 第二次世界大戦後 各地に分派していた京都の知恩院 浄土宗本流、東京芝の増上寺の浄土宗、京都左京区の金戒光明寺の黒谷浄土宗等が習合・合併して 京都 知恩院を総本山とする現在の浄土宗と成りました。

 

   今回は以上です。

仏教W

 今回も前回に続き仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 人類の歴史の中では古くより ご葬儀の儀礼は信ずる宗教の教義に基ずいて行われて参りました。ご葬儀を執り行うに当たり、日本人の多くの方々が選択される宗教は仏教でが、その仏教は インドに始まり、中国、韓国を経て日本に伝来しました。従いまして 飛鳥、平安時代の仏教は 中国での教えが日本に伝えられ、宗派としても中国名がそのまま使われて居りました。鎌倉時代に入り 徐々に日本文化と融合した独自の仏教が生まれて来ます。法然上人が開いた 浄土宗を始めとする諸教です。

 

 平安時代末から鎌倉時代にかけては 政治の実権が 貴族から武士階級へと移った歴史の転換期でもあります。又 この時期は 天災・飢饉・戦乱などが重なり 民衆の苦悩が深まった時期でもあります。こうした時代背景を基に 多くの宗派が新しく生まれました。この時代は 仏教史観に由れば ”末法の時代” とされ、貴族階級中心の平安仏教に代わり、民衆が求める救いに応える為の仏教が生まれました。

 

 浄土宗は 1175年 宗祖 法然上人により創設された宗派で、現在は京都市東山の知恩院を総本山として布教活動が行われて居ります。法然上人は 比叡山にのぼり修学し、その後に 南都に遊学して 諸宗の奥義を究めましたが、その結果に満足出来無い中、中国の善導大師による ”観経蹠(かんきょうしょ)”の一文に触発され、この末法の時代には 阿弥陀仏の御名を唱えることによって極楽浄土へひきとって頂き、そこで悟りを開く、専修念仏を唱導する浄土宗を開創しました。

 

   今回は以上です。

仏教V

 今回は平安時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 現代の日本に於ける ご葬儀の主流は仏教の葬送儀礼です。9割を超えるご葬家が仏式のご葬儀をご希望され、そのご希望に合わせてご葬儀が執り行われて居ります。日本に於ける仏教の宗派は 飛鳥、奈良時代の南都六宗に始まり、平安時代の天台宗、真言宗へとつずいてゆきます。

 

 天台宗は 806年 伝教大師・最澄により開創されました。最澄は入唐して天台教学を究め、更に密教、禅 そして律の伝授も受けて帰朝し、円(天台教学)・密・禅・戒の四宗を総合した天台法華宗を開創します。天台教学は法華経に基ずく教えであり、すべての人は仏となる因(仏性)を有しているという 一乗思想、三諦円融の教え、一念三千の教え などの思想を有しております。又 心を統一しつつ自己と存在の実相を観察する”止観”を中心とした実践行を重視して、峰々を毎日歩き回る 回峰行、長い年月山に籠る 籠山行 などの極めて厳しい行も伝えられて居ります。更に 最澄は 日本仏教に於ける 戒観の基礎を築いた師でもあります。天台宗の総本山は 滋賀県大津市の 比叡山延暦寺です。


 真言宗は 弘法大師・空海により九世紀初頭に開かれました。空海は最澄と同じく入唐して長安に渡り 同地の青龍寺の密教僧 恵果より 真言密教を学び、ことごとく秘法を伝授された後 帰朝して真言宗を開きました。835年 高野山で入定(入寂)しました。密教とは 釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(絶対者)である大日如来が 直接 説いた教えであるとされ、生きとし生けるものは 宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も身・口・意の三密行により即身成仏する事が出来る と説きます。高野山真言宗の総本山は 和歌山県伊都郡高野町の 高野山金剛峰寺です。


   今回は以上です。

 

仏教U

 今回は前回に引き続き仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 現代の日本に於きましては ご葬儀を執り行う際の儀礼の九割以上は仏式により行われて居ります。日本の仏教界は 第二次世界大戦後 宗教法人令が成立し、国による認可制度が停止されると、多くの仏教教団が分派・独立し、多数の宗派が新設されました。その後 昭和26年(1951年)の宗教法人法成立と共に 若干の変動が御座いましたが、文部科学大臣所轄の包括宗教法人としては 平成28年(2016年)12月末現在 157の仏教宗派が活動して居ります。

 

 日本の仏教は 飛鳥時代 聖徳太子によって その基礎が確立されたとされます。聖徳太子は仏教思想を深く受容し、その仏教思想を自らの治世に生かしたと言われて居ります。又 聖徳太子は 法隆寺や四天王寺などを建立して居ります。法隆寺は 永く法相宗の学問道場として機能して居りましたが、現在は法相宗から独立して、聖徳宗の総本山となって居ります。四天王寺は天台宗に属して居りましたが、同じく戦後 独立をして和宗を形成し その総本山となって居ります。

 

 奈良時代に入りますと 遣唐使により学問仏教が唐から移入され、奈良に於ける南都六宗の大寺院で学ばれる事と成ります。南都六宗は 三論、成実、倶舎、法相、華厳、律の六宗です。この中で 法相宗は 興福寺と薬師寺を二大本山として その伝統を現在に伝えて居ります。華厳宗は 東大寺を大本山とし 大仏を保持すると共に、日本各地に建立された国分寺の中心となる、総国分寺でもあります。律宗は 754年 唐から来朝した鑑真により 唐招提寺を中心として伝教されました。

 

   今回は以上です。

仏教

 今回は日本に於ける仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 人が亡くなり そのお見送りは 信仰する宗教の下に儀礼を執り行いますが、日本に於けるお見送りの儀礼の多くは仏式が深く浸透して居り、葬送儀礼の95%は仏式により行われて居ります。

 

 日本の仏教は 発祥の地 インドから中国、朝鮮半島を経て伝来しました。公式な仏教の伝来は 538年(552年の説もあり)、百済の聖明王(聖王)から天皇家へ仏像と経典が送られた時に始まるとされます。但し それ以前にも 多くの渡来人により仏像や教典が民間ベースで入っていたと考えられます。最初に結成された宗派である 南都六宗(三論宗、成実宗、倶舎宗、法相宗、華厳宗、律宗)は 渡来僧や遣唐使によって伝えられたものであり、少し遅れて 最澄により天台宗が、空海により真言宗が唐より伝えられました。これらの8宗が 鎌倉時代初期まで日本の文化を支える事と成ります。

 

 そして 鎌倉時代には 定着した8宗の仏教文化を背景にして 日本人自身による独自の仏教が創唱されて行きました。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗です。又 同じ時代には 入宋した 栄西により臨済宗が 道元により曹洞宗が伝えられました。

 

 昭和時代初期の日本では 公認された仏教宗派は 13宗56派でした、そして 昭和14年に成立した 宗教団体法により、28宗派にまとめられる事となります。尚 13宗とは 法相宗、華厳宗、律宗、天台宗、真言宗、融通念仏宗、浄土宗、臨済宗、真宗、曹洞宗、日蓮宗、時宗、黄檗宗(成立時代順)です。

 

   今回は以上です。

神道(教派神道系)

 今回は神道の教団の中の教派神道系に付いて書かせて頂きました。

 

 神道の中で教派神道系と位置付けられる教団の成立過程は 一様ではなく、それぞれですが、基本的には幕末以降に成立し 明治時代に神道教派として公認された十三派(黒住教、神道修成派、出雲大社教、實行教、神道大成教、神習教、扶桑教、御嶽教、神理教、禊教、金光教、天理教、神道大教)と その傘下から 第二次世界大戦後に分離、独立した教団を指します。尚 天理教は大戦後 教派神道系から離脱し、緒教に入りましたので、現在は12団体となります。

 

 教派神道系の緒教団は 神道の要素を基本として居りますが、神道の基本に 儒教、仏教、道教、修験道、その他 多様な要素が具備され、更に 創唱者の独創的思想を中心として、其々の教団は 独自性を示して居り、教派神道と言っても一概にその内容を語る事は困難です。とはいえ 宗教学辞典では 教派神道系教団は @山岳信仰系、A純教祖系、B禊系、C儒教系、D復古神道系の五つに大別されます。

 

 山岳信仰系の教団は 霊峰を崇拝の対象とし、その霊峰での修行を重視する山岳信仰の講集団に由来するもので、富士山信仰や木曽御嶽山信仰などが有ります。富士山信仰を基本とする富士講からは 實行教、扶桑教、丸山教、富士教、富士本教などが生まれました。又 木曽御嶽山信仰の御嶽講社の系統からは 御嶽教、御嶽教修正派、御嶽山曽万間本教、御嶽山本教などがあります。

 

 純教祖系の教団は 教祖の個人的体験を基にした教えを説くもので、黒住教、金光教、大本、天理教の系譜として 大道教、世界心道教などがあります。

 

 禊系の教団は 教理・実践の面で禊による心身の鍛錬を強調した特徴を持ち、禊教、神習教などがあります。

 

 儒教系の教団は 儒教と復古神道が融合されたもので、神道修成派、神道大成教、修験道教、天地教などがあります。

 

 復古神道系の諸教団は 本居宣長・平田篤胤ら近世の国学者の神道論の影響を濃厚に受けているもので、出雲大社教、神理教、神道大教などがあります。

 

   今回は以上です。

神道(神社神道)

 今回は神社神道に付いて書かせて頂きました。

 

 人が亡くなられると そのお見送りは信仰する宗教の仕来りに従い執り行われます。その信仰の一つとして 日本では日本古来の文化に根ずいた、日本民族 固有の神 神道(しんとう)が御座います。そして 現在の神道は 神社神道と、教派神道の二者により営まれて居ります。その内 神社神道とは以下の通りです。

 

 神社神道の多くの宗教法人は 神社を中心として構成されて居ります。現在 宗教法人として登録されている神社は約8万社あります。そして その神社にお祀りされている祭神は 八百万神(やおよろずのかみ)と言われる様に 多種多彩です。その主要な区分としては @万物創造に関する神(天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神など)、A霊能上の神(布都御魂大神など)、B職業に関して祀られる神(事代主命、金山彦命など)、C天皇に関する神(火之加具土神、罔象女神、加茂別雷神など)D地象に関する神(大山昨神、底津、仲津、表津錦津見神など)、E動植物に関する神(高おかみの神など)、F食物に関する神(宇迦之御魂大神など)、G人にまつわる神社(菅原道真”天満宮”、徳川家康”東照宮”、戦争で亡くなった人々”護国神社・靖国神社など)。又 神社の中で 神宮と呼ばれる名称は 皇室に係わりの有る神社、若しくは 歴代の天皇をお祀りした神社です。

 

 古代の日本人は 神秘で畏敬の念を抱かせる存在を広く神として信仰の対象としていたと言われます。神社を氏神と呼ぶ場合も有りました、氏神とは 氏族の祖先を守る神、あるいは 祖先神ではないが 氏に由緒のある神を意味しますが、近代では 鎮守の神も氏神と呼ぶようになって居り、明治初期には集落を守る神として 全国の神社の数は 村落と同数の18万余が有りました。

 

 神社は 古くは氏族や地域集団という一定の社会集団によって造られましたが、その後 神社の個性や祭神の神徳を強調して、土地や血縁関係を離れて、広く参拝者を集める様にも成りました。

 

   今回は以上です。

神道

 今回は神道(しんとう)に付いて書かせて頂きました。

 

 神道とは 古来より育まれた日本民族の文化を拠り所とする宗教の総称で、自然信仰を基に 神秘で畏敬の念を抱かせる物や事象を 神や神霊として信仰の対象とし、その信念に基ずいて発生し、展開されて来た、日本民族固有の宗教です。従いまして 多くの神や神霊が祀られて居り、八百万の神と呼ばれる程 多数の神が存在します。神道に於いては 亡くなられた方のお見送りは 神葬祭、霊前祭などの儀礼にのっとり執り行われます。

 

 八百万の神を持つと言われる神道は 日本民族文化の中で自然発生的に生まれました。遅くとも弥生時代には原始的な形が作られて居り、古墳時代には民族宗教としての形態を整えたと考えられます。そして 7世紀(飛鳥時代)の律令制確立と共に 朝廷の祭祀を司る 神祇官と呼ばれる官位が制定されました。神道という語は 日本書記(8世紀)の中で初めて現れますが、これは 唐より伝来した 外来宗教である 仏教(仏法)に対して、日本古来の民族宗教を意識して創られたと考えられます。

 

 現代の日本神道の活動は 大きく分けて 神社を中心とした神社神道、幕末以降に創設された教派神道の二つですが、この他に 宗教団体は結成せず 家庭や個人に於いて営まれている 民俗神道があるという説が有力です。28年度現在の 文化庁が認識している 神道に於ける宗教団体は 156団体、宗教法人は 84、909法人となって居ります。

 

   今回は以上です。

日本の宗教団体

 今回は日本に於ける宗教団体に付いて書かせて頂きました。

 

 人が亡くなられ そのお見送りをするに当たりましては 亡くなられた方やご遺族の方が信仰する宗教によりご葬儀を執り行うのが一般的です。現代の日本に於きましては 神道、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ−教、ユダヤ教、他の宗教団体が活動して居り、亡くなられた方のご葬儀を執り行うに当たり、ご指導を頂く事となります。

 

 文化庁が発行する宗教年鑑によれば 日本には、神道、仏教、キリスト教、諸教に分類される 多種多様な宗教文化が混在しており、その団体数は平成28年現在 包括宗教団体として475団体が登録されて居ります。又 宗教法人としては 神道系;84、909法人、仏教系;77,232法人、子リスト教系;4,657法人、緒教;14,448法人、の 総計181,246法人が登録されて居ります。

 

 神道では 古くから日本国内各地に神社が祀られていた他に、幕末・明治維新の時期に多数の神道系教団が創設されました。仏教は6世紀半ばに始めて中国より伝来し、その後の交流を通じてさまざまな宗派が成立し、全国に寺院が分布するに至りました。更に 明治時代以降も新しい仏教系教団が多く創立されて来ました。尚 中国からは仏教以外にも 儒教や道教なども伝来し、緒宗教の中に取り入れられて、根ずいているものもあります。キリスト教でも カトリックやプロテスタントの諸教派が伝えられ、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教なども活動して居ります。

 

  今回は以上です。 

社葬の設営

 今回は社葬の設営に付いて書かせて頂きました。

 

 社葬の設営は 依頼する葬儀社の指導の下に行われますが、依頼する葬儀社には 必ず”作業マニュアル”の作成、提出を依頼して、作業の完璧を期します。又 進行に当っては 台本を作成し、遅滞のないスムーズな進行を期します。

 

 作業マニュアルは 施行マニュアルの一部で、主として式場設営など 協力会社に委託して行う作業の内容と手順を示したものです。協力会社への委託項目ではありますが、任せ切りにしてしまわずに、施行プロジェクトとしても、必ず目を通して、内容確認をすべきでしょう。又 現場責任者は 施行マニュアルの前提の下に、現場に作業指示書を提示して、作業の完璧を期します。

 

 社葬の進行に当たりましては 進行台本を作成しますが、作成の際の注意事項は以下の通りです;

1 弔辞、葬儀委員長式辞など シーン単位でページを作ります。

2 シーン毎にタイトルと時間を記入します。

3 シーンの内容は3っに区分して、時間軸を合わせて記述します。

 @主要動作(全体の4分に1)

 Aアナウンス 及び主要シーン(全体の2分の1)

 B照明、音楽などの演出動作(全体の4分の1)

4 葬儀委員長の動作図などは挟み込んで使用します。動作図を別紙にすると 探す手間がかかり、台本の中に記入すると ページが窮屈になります。動作図は別紙で起し 当該ページに挟み込んで利用するのが便利です。

5 名前や難しい文字には必ずフリガナをつけます。フリガナのミスは許されませんので、二重 三重の確認が必要です。

6 アナウンス部分の文字は 照明が十分でなくとも読める様、大き目の文字で記入します。

7 製本形式は ファイルへの挟み込み形式にしておくと、全体概要の必要部分を挟み込む事が可能となりますので、大変便利です。簡易製本やホチキス止めの場合はこれが出来ません。

 

   今回は以上です

社葬の運営

 今回は社葬の運営に付いて書かせて頂きました。

 

 社葬の設営と運営の多くは 契約する葬儀社に委託する事となりますが、施行プロジェクトチームとしても 内容を把握し 全体を統括すると共に、何か有ればタイムリーに的確な対処をしなければ成りません。

 

 社葬の運営に当たりましては 全体の進行に注意しなければ成りません。式場内は勿論の事、式場外の一般会葬者の動きや流れにも 注意を払い進行させる必要が有ります。その為には 担当者を適切な場所に配置して タイムリーな報告を挙げてもらい、その情報を集約して 適切な進行を司る必要があります。特に 予想を大幅に上回る会葬者があったとき、逆に 会葬者の人数が大幅に下回った場合、雨風など天候が急変した時などは 細心の注意が必要となります。

 

 又 どの様場合でも 人の流れ(動線)は注意しなければ成りません。社葬や団体葬では多くの人が集まりますので、企画の段階で動線のシュミレーションを繰り返し、想定が変化した場合の対応策も必ず用意しましょう。人の流れをスムーズにすること、参列者や会葬者が移動する際に迷うことの無い様、受付・焼香・答礼の場所などで人の溜りが出来ぬ様、入場する人と退場する人が重ならない様、などの配慮が必要です。同じ空間を異なる人が使用する場合などでは 間に衝立を立てると混雑を避ける事が可能です。

 

 何か問題が起きた場合には直ぐに対応出来る体制が必要です。特に 協力業者とのコミニケーションは重要で、どの様な問題が起きた場合は どの業者の誰と協議し、どの対応策を取るのか決めて、緊急に処置できる体制を作ります。必ず 作業項目ごとに正福の担当者をおいて、常に複数の担当者が全体の状況を判断して対応できる様な体制を整えなければ成りません。

 

   今回は以上です。 

社葬のマニュアル

 今回は社葬のマニュアルに付いて書かせて頂きました。

 

 社葬のマニュアルを作成するに当たりましては 持ち運び易く、見易く、修正が容易で、最新版か如何かの確認が容易である事を、前提としなければ成りません。

 

1 大きさの統一

  マニュアル紙面のサイズは A4 若しくはB5で統一します。A4よりは 少々 小さめのB5で統一する事をお薦めします。図面等の大きいものは B5の倍のB4で作成し 半分に折り込んで使用します。

2 文字の大きさ と とじ込み

  文字は 見易くする為 大きめの文字を使用します。又 とじ込み方法は 図面なども多く使用しますので 右開き、横組の閉じ方が使いやすいと考えられます。

3 作成はワープロで

  マニュアルは 随時 修正が入ります。修正が容易な様にワード、若しくはエクセルで作成し、印刷はコピーを使用するのが手軽です。

4 各項目はページ単位で作成

  社葬のお手伝いをして頂く方々が必要とするページは限られて居ります。多少ページ数が増えても 項目単位でページが作られていれば 担当する項目(ペ−ジ)のみを携帯すれば良く、使いやすく成ります。

5 図面は1ページに1つを原則とする

  1ページに複数の図面が存在すると 以外に見難くなります。1図面 1ページの方が利用し易く、修正する場合も差し替えが容易となります。但し 全体の関連を明確にする為、全体図を1枚作成して於きます。

6 修正した時は全部を取り換える

  検討段階での修正は ページ単位で交換して行きますが、完成した後に修正が発生した場合は 最新版として全てのマニュアルを交換します。又 最新のマニュアルがどれかを明確にする為 表紙に 作成・更新日の履歴を入れて、最新版であるかを確認出来る様にします。

7 名前、難しい文字にはフリガナをつける

 

   今回は以上です。 

社葬の全体概要4

 今回は社葬の全体概要の続きを書かせて頂きました。

 

 社葬の全体概要は 別冊のマニュアルとして作成し、関連各部・関連各社で共有すると共に、社葬を主管する部門(総務部等)で社内マニアルの一つとして保管されべきものです。その例は 以下の通りです。


10 受付

 10−1 式場正面ロビーの両側に受付を配置

       左側;御来賓受付、ご遺族・ご親族受付

       右側;ご友人・関係者受付、取引先受付、一般受付

 10−2 各受付に 各2名配置 計10名

 10−3 受付は名刺受付を基本とする

 10−4 受付の後 開式前の場合は控室名を記入した札を渡して案内(特別来賓ー赤、ご遺族・ご親族ー青、葬儀式参列者ー緑、告別式一般会葬者ー水色)

      −案内係はロビーに5名配置

 10−5 受付時にパンフレット、愛唱歌歌詞、横浜(株)贈答品をお渡し(1500セットを準備)

 10−6 手持ち品はクロークにてお預かり(お預かり番号札を交付)

 10−7 社員献花の際には 受付と案内係の要員は交代で献花を行い、終了後は所定位置に戻る

       *受付・クローク・案内配置図、控室配置図を添付

11 服装

 11−1 葬儀委員;モーニング

 11−2 実行委員;略礼服に黄色の腕章

 11−3 受付  ;略礼服に胸に白リボン

 11−4 施行プロジェクトチーム;略礼服に名札を着用

12 駐車場

 12−1 葬儀式の参列者(ご遺族他);県民ホール駐車場(80台収容)

 12−2 告別式一般会葬者;第1駐車場(150台収容)

 12ー3 満車の場合は;第2駐車場(100台収容)を使用

 12−4 係員;ホール駐車場 5名、第1駐車場 4名、第2駐車場 2名 

 12−5 入庫時に駐車券を交付、出庫時に回収

      *ホールへの車での案合図、駐車場配置図及び入出庫経路図、係員配置図、駐車券見本 を添付

13 記録

 13−1 受付記録は実行委員会の責任で行う

 13−2 写真撮影は 山下フォトスタジオに委託し、アルバムの形で編集し1週間後に ご遺族用1部、会社用1部の計2部を納品

 13−3 ビデオ撮影は同じく 山下フォトスタジオに委託し 受付と式の様子を撮影し、編集の後 2週間以内に編集の上 ご遺族用、会社用の2部を納品

14 その他


   今回は以上です。   


社葬の全体概要3

 今回も社葬の全体概要の続きを書かせて頂きました。

 

 社葬の全体概要は 別冊のマニュアルとして作成し、関連各部・関連各社で共有すると共に、社葬を主管する部門(総務部等)で社内マニアルの一つとして保管されべきものです。その例は 以下の通りです。


8 動作図

 8−1 葬儀式着席図

 8−2 告別式着席図

 8−3 葬列動作図

 8−4 式辞、弔辞動作図

 8−5 喪主挨拶動作図

 8−6 社内斉唱団動作図

 8−7 献花動作図

 8−8 立礼配置図

9 案内の流れ

 9−1 ご遺族

      10;00 ご自宅出発(青葉実行委員がお迎え/ハイヤー3台)

      10;45 会場到着 そのまま控室へ

      11;00 ご遺族へ進行の説明 (進行 金沢)

      11;40 昼食(控室にて)

      12;50 式場入り→13;30 葬儀式終了→控室へ

      13;50 葬列準備(他のご遺族は式場へ)→14;00 葬列にて入場

      14;48 献花後 立礼位置に移動して 会葬者へご挨拶(他のご遺族は控室へ)

      15;40 社員へ挨拶、15;45 帰邸(青葉実行委員お見送り)

      会場内ご案内 磯子/ 控室接待 神奈川他2名

 9−2 特別来賓

      12;30までに会場着→受付で確認の上 控室にご案内

      12;45 手順をご説明(控室にて 都筑)

      12;50 式場入り→13;30葬儀式終了 控室へ

      13;50 式場入り→14;50献花 その後 お見送り

          ー事前に実行委員会で送迎車両の必要性を確認し、必要な車両を確保

          −車両手配 実行委員会、会場案内 菅原他4名、控室接待 田中他2名

 9−3 来賓、参列者、一般会葬者

      横浜市営地下鉄みなとみらい線3番出口より 式場までの街路角に案内を配置

      来賓は受付の後に 来賓控室で待機、一般会葬者は 受付の後 13;40まで控室で待機

      会場内案内 山田他5名、控室接待 吉田他3名


   今回は以上です。


       

  

社葬の全体概要2

 今回は社葬の全体概要の続きを書かせて頂きました。

 

 社葬の全体概要は 別冊のマニュアルとして作成し、関連各部・関連各社で共有すると共に、社葬を主管する部門(総務部等)で社内マニアルの一つとして保管されべきものです。その例は 以下の通りです。


5 葬儀式および当日の進行(案)

 09;00 最終点検

 10;00 担当者全員へ説明

 11;00 ご遺族への説明

 12;00 式場 開場

 13;00 葬儀式開式

 13;30 葬儀式閉式

 13;40 告別式 開場

 14;00 告別式 開式

 14;05 葬儀委員長 式辞

 14;10 追悼(ビデオ)

 14;20 弔辞

 14;40 追悼(相性か斉唱)

 14;45 喪主 挨拶

 14;48 告別(献花)

 15;20 終了予定

 15;45 ご遺族 帰邸

 16;00 点検・整理

 16;30 解散式

6 葬儀式(13;00〜13;30)

 6−1 参列者

      ご遺族・ご親族50名、特別来賓10名、会社代表20名、ご友人20名

       ご案内した方のみ参加、それ以外の方は控室で待機

 6−2 導師;曹洞宗〇〇山〇〇寺住職 松尾慶友師 ほか4名

 6−3 焼香;回し焼香

 6−4 その他

      葬儀式はあくまでも宗教儀礼として営み、特別な演出は行わない、式中は会場の扉を閉鎖する

7 告別式(14;00〜15;20)

 7−1 開式時

      葬列を組んで入場 順序は 葬儀委員長、喪主(お位牌を保持)、令夫人、ご次男(ご遺骨を保持)、ご長女の順で入場 (入場時 愛唱歌を流す)

 7−2 葬儀委員長式辞 中 二郎 専務取締役

 7−3 追悼(ビデオをPC上で作成)BGM

      生前の動画、会社での活動等を映写 内容の最終チェックは4月20日

 7−4 弔辞(各3分程度で御了解を頂く)

      横浜市長 平沼亮三 様

      会社代表 常務取締役 大和崇様

      友人代表 相模恒夫 様

      社員代表 港南五郎 様

       −弔辞は遺影前に奉呈

       −弔電は拝読しない

       −弔辞者への依頼は実行委員会の責任で行う

 7−5 追悼(愛唱歌)

     横浜(株)有志による 愛唱歌斉唱。参列者も参加できる様 受付で楽譜を配布。

 7−6 喪主挨拶

      ご長男 横浜一朗 様 

      ご挨拶の際 葬儀委員長、ご遺族は後に並ぶ

 7−7 告別 (エレクトーン演奏)

      葬儀委員長・ご遺族(献花の後に会場出口で立礼)、

      ご親族、特別来賓(以上呼名)、以降 来賓、役員、参列者、一般会葬者の順に献花を

行い 退場。

      社員は 一般会葬者の後に献花を行う、(献花終了後 会場に残り ご遺族をお見送り)

 7−8 ご遺族 帰邸

      全て献花が終了後 会場に残った社員に対して 喪主様よりご挨拶、その後 ご遺族は 位牌、ご遺骨を持参してご帰邸、社員は玄関先でお見送り

 7−9 解散式

      最後に 会場内を整理・点検した後 中葬儀委員長より挨拶を受けて解散


   今回は以上です  

  

社葬の全体概要

 今回は社葬の全体概要例に付いて書かせて頂きました。

 

 社葬の全体概要は 別冊のマニュアルとして作成し、関連各部・関連各社で共有すると共に、社葬を主管する部門(総務部等)で社内マニアルの一つとして保管されべきものです。その例は 以下の通りです。

 

1 表紙

    横浜株式会社

    代表取締役社長 故 横浜太郎 社葬

         施行概要書

       日時;2017年5月19日(金)13;00より

       会場;神奈川県民ホール

       主催;横浜株式会社

 

                  2017・4・2

                  企画 総務部

2 職務表

 2−1 葬儀委員会

      委員長;中二郎(専務取締役) 副委員長;瀬谷太郎(常務取締役)

      委員;西三郎(取締役) 緑次郎(取締役)

 2−2 実行委員会

      委員長;西三郎(取締役総務部長) 副委員長;旭五郎(総務課長)

      委員;都筑一朗(営業課長、受付責任者) 青葉五郎(製造課長)泉一朗(企画課長)

 2−3 施行プロジェクトチーム

      総責任者;南四朗(営業部長) 副責任者;鶴見五郎(営業課長)

      設営;栄次郎他、進行;金沢一朗他、案内;磯子洋子他、接待;神奈川泉他、演出;保土ヶ谷啓子他、警備;川崎一朗他

 2−4 広報(企画部)

      担当 磯子六郎(企画課長)

 2−5 介護

      鎌倉内科 長谷一郎医師

 2−6 緊急対策

      事故、その他不慮の事態が発生した場合は 西実行委員長と南施行総責任者が協議の上、対応を指示。

3 図表

 3−1 横浜市中区概略図

 3−2 神奈川県民ホール 周辺図

 3−3 県民ホール会場図面(式場、受付、参列者控室、遺族控室、来賓控室、本部)

 3−4 駐車場案合図

 3−5 交通機関案合図

 3−6 交通機関時刻表(当日)

 3−7 式場内配置図

 3−8 祭壇デザイン図

4 準備タイムスケジュール

 4月10日 13;00 施行概要書(案)完成

 4月13日 13;00 施行概要書 確定

 4月15日 10;00 実行委員会 会場見学

 4月18日 13;00 進行台本(案)完成

 4月20日 13;00 進行台本 確定

 5月16日 16;00 参列者 確認

 5月17日 10;00 最終確認

 5月18日 16;00 リハーサル

 5月19日 09;00 最終確認

 

   今回は以上です。 

 

社葬の方針(例)2

 今回は前回の社葬の方針(例)の続きを書かせて頂きました。

 

 社葬企画書を作成するに当たりまして その方針(例)第4項目以降は下記の通りです。

4 主要項目

 4−1 名称

     故人   横浜株式会社代表取締役社長 横浜太郎(よこはま たろう)

     葬儀名称 横浜株式会社代表取締役社長 故 横浜太郎 社葬/横浜株式会社 とする

 4−2 日時 5月19日(金)13;00〜15;00

 4−3 場所 横浜市中区山下町

        神奈川県民ホール(全館使用)

 4−4 案内告知

     神奈川新聞に新聞広告(5月10日頃)、ご案内状を5月1日までに300出状

 4−5 供花・香典

     供花は拝受、香典は辞退、花環も辞退。供花は総務部で一括受付、ひかりの杜へ一括発注。ご芳名は芳名板方式とする

 4−6 会葬返礼品

     葬儀パンフレット(新規作成)に横浜(株)贈答品を添付

5 体制

 5−1 葬儀委員長; 専務取締役 中 二郎

 5−2 実行委員長; 取締役総務部長 西 三郎

 5−3 施行担当;  営業部長 南 四朗、営業課長 鶴見 五郎

 5−4 広報担当;  企画部 磯子 六郎

 5−5 業務分担; 広報は企画部、受付は総務部、会場内案内は営業部、会場設営はひかりの杜

6 その他

 6−1 マスコミへの対処

     全国紙3社ほ県版 及び神奈川新聞への通知は企画部が行い、取材は企画部で対応

 

   今回は以上です。  

 


社葬の方針(例)

 今回は社葬の方針(例)に付いて書かせて頂きました。

 

 社葬企画書を作成するに当たりまして その方針例を下記に示させて頂きました。

 

社葬名称; 横浜株式会社

      代表取締役社長 故 横浜太郎 社葬

主催;   横浜株式会社

施行;   (株)エスアール ひかりの杜

 

1 規模

  参列者数; 200名

  一般会葬者;800名(予想)

  総予算; 4,000万円

2 葬儀の内容

 2−1 宗教形態

     葬儀式 導師 曹洞宗〇〇山〇〇寺

 2−2 葬儀形式

     葬儀式(曹洞宗)、告別式(無宗教)

 2−3 展開形式

     葬儀式は曹洞宗導師の作法にのっとり営む

     告別式には 故人の生涯と功績をスライドで投影、故人の好きだった愛唱歌を流してて顕彰の部分を設ける

 2−4 設営形態

     外飾り;社葬看板のみ、その他の飾りは設けず

     祭壇; 白を中心とした重厚な花祭壇

     遺影; ご遺族の希望に従い使用

     会場内;ロビーに故人の経歴、顕彰、スナップ写真を展示

 2−5 遺族、来賓の扱い

     遺族; ご遺族に対する接待は丁重に、喪主は長男 一朗氏、ご遺族・ご親戚は約30名

     来賓; 特別来賓は市長他10名、その他の来賓は30名、特別来賓の控室を用意

 2−5 弔辞

     市長、会社代表、友人代表、社員代表 の4名

3 葬儀の性格

 3−1 基本性格

     葬儀式部分は曹洞宗宗教儀礼を荘厳に営み、告別式は創業者である故人を顕彰する

 3−2 外見

     生涯を全うした故人を讃え堂々としたお見送りとする。但し 派手な印象にならぬ様、又 しめっぽいお見送りにはしない事。

 3−3 その他

     役員以下 全社員でお見送りする気持ちを大切に

第4項以降は次回に書かせて頂きます。

 

   今回は以上です。      

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