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葬儀と告別式

 今回は葬儀と告別式に付いて書かせて頂きました。

 現代では 葬儀式と告別式は一体と理解される事がしばしばで、色々な制約条件から45分の間で 葬儀式と告別式を行うことが一般的となり、その違いが判然としなくなって居ります。本来 葬儀式は 故人様をこの世から あの世に引き渡す 宗教的儀礼であり、ご遺族・ご親族が宗教家を中心として執り行われます、それに対し 告別式は 知人・友人が故人様に別れを告げ ご遺族・ご親族に慰めの言葉を寄せる社会的儀礼であり、喪主様を中心として執り行われます。 

 葬儀式は 人の死を弔う為に執り行われる祭儀の一部で 宗教が文明の中で発生する以前の旧石器時代から行われてきた宗教的行為です。葬儀の様式は それを執り行う人の 死生観・宗教観を前提として居り、宗教の違いが そのまま 葬儀様式の違いとなります。又 葬儀は 亡くなられた故人様の為だけでなく 残された者の為にもあります。残された人々が故人様の逝去をどのように心の中で受け止め、位置付け、そして処理をするか、これらに対する手助けをする儀式でも御座います。尚 参列の際の服装は 喪服 もしくは 喪服に準ずる黒を基調とした服装を着用します。

 告別式は 葬儀式の後 あるいは葬儀式の代りに行われる式で、喪主様が中心となり 故人様のご逝去を社会に告知し 多くの方々が故人様に別れを告げる儀式であります。従いまして 故人様の死を悼む方であれば 誰でも参列して良い式であります。行われる内容と致しましては 弔辞の朗読、弔歌の斉唱、弔電の披露、参列者による故人様への告別(焼香、献花など)などを執り行います。参列の際の服装は 喪服 もしくは喪服に準ずる服装を着用するのが慣例ですが、平服着用のおことわりがある場合は 喪服の着用は避けた方が良いでしょう。

 葬儀式・告別式 何れの場合も 華美な服装や 光り物と呼ばれる装身具の着用、派手な美粧はタブーとなります。

   今回は以上です。

法要を営む

 今回は法要に付いて書かせて頂きました。

 法要とは 仏教に於ける 儀式・祭礼などの行事全般を言いますが、私共 社会の中では 故人様を弔う儀式を指す様になって居ります。元来の法要とは 仏教に於いて 釈尊の教え(仏法)を学ぶ事、すなわち 仏法の要点を知る事でした。ちなみに 故人様の冥福を祈って行う法要は 追善法要といわれます。又 ご自分より先に亡くなった年長者の冥福を祈る追善法要に対して、ご自分より若くして亡くなられた者の冥福を祈る法要を 逆修法要といいます。

 日本人は死者供養を大切にしてきた民族であると言えます。ご自分が生あるかぎり 亡くなった方のことを覚え、自らの生に感謝し、故人様との関係を維持しつずけようとする文化は 日本人特有の文化とも言えます。

 法要は仏事とも言われますが、忌中(中陰)の七仏事(初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日)はインドに起源を持ちます。その後 中国へ仏教が伝わり 百ヶ日、一周忌、三回忌が加わりました。そして 日本に伝来後 七回忌、十三回忌、三十三回忌が加えられ、更に十七回忌、二十五回忌が追加されて 現在の形となりました。三十三回忌をもって弔い上げ(とむらいあげ)とし、故人様は先祖の霊へとなります。

 以上の他に 祥月命日(故人様の年命日)、月忌(故人様の月命日)、春秋のお彼岸、夏のお盆 が有ります。

 ご位牌は 中陰の間は 白木のご位牌、四十九日の法要後は本位牌、そして 弔い上げをもって 故人様は その個性を失い 祖霊(先祖)となります。白木のご位牌と本位牌には 故人様の戒名・法名が記されますが、弔い上げと共に 本位牌を片ずけ、以降 ”〇〇家先祖の霊”と記された位牌をお祀りすることとなります。

   今回は以上です。

忌中の心得

 今回は忌中(きちゅう)について書かせて頂きました。

 忌中とは 仏教の教えで 中陰(ちゅういん)或いは中有(ちゅうう)とも言い、故人様がご逝去された日を含めて四十九日の間を指します。死の穢れが最っとも強い期間で、ご遺族の方々は 祭りごと等えの参加を控え、謹慎して家にこもり、肉や魚等の生きものを食さない期間とされます。四十九日が過ぎると 忌明け(きあけ)となり、日常生活に戻ります。

 古代インドでは 人は輪廻転生すると信じられ、この考えが仏教にも取り入れられ、誕生の瞬間が 生有(しょうう)、生きている間が本有(ほんぬ)、死の瞬間が死有(しう)、死んでのち 次の生(六道の一つ)を受けるまでの期間を中有 あるいは中陰と呼び その期間は臨終の日を含めて四十九日間であるとされました。この考え方が中国を経て日本に伝来し 日本独自の死生観と合わさり 穢れの強い期間である忌の中、そして 故人様が現世から来世へ旅立つ期間と解釈される事となりました。尚 浄土真宗では 故人様は臨終と同時に浄土へ往生すると考えますので、忌中の期間は 故人様への追慕、故人様の死を通して 生と死 について考え、謹慎して求法の生活をする期間であるとされます。

 忌明けの法要は 臨終の日を含めて四十九日目の執り行うべきですが、現在では 参列者の方のご都合を考え 四十九日より前の休日を使って 行うのが一般的と成りました。忌明け法要をもって 精進落としとなり、中陰壇(後飾り)を片ずけます。それまで使用して居りました白木のお位牌を壇那寺へ返し、本位牌を仏壇にお納めします。又 神棚を閉じていた白紙などを取り除きます。

   今回は以上です。

喪中の心得

 今回は喪中に付いて書かせて頂きました。

 喪とは 近親者、極く親しい知人・友人、尊ぶべき方等の 死に接して、その死を悼む者が 一定期間 過ごす 日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態をさします。喪の状態に身を置く事を 喪に服する、服喪などと言い、喪の最中である事を 喪中と言います。喪に服する期間は 最長で13ヶ月で 故人様との関係により期間は異なります。喪中には慶事を執り行う事、慶事に参加することを控えます。

 喪の考えは 古来日本からの考えで、地域・文化により多少の差異は有りますが、死は穢れの一種であるとして、それに交わる者を一定期間 慶事から外すことにより、慶事が穢れることを避けるという意味を持ちました。又 死別は悲しい事であり、嬉しいことに参加している場合ではないという 心情的な意味合いもあります。

服喪期間の服装は 黒、又は白の喪服ですが、現代では それ程厳密ではなく、控え目な服装となります。

服喪期間の禁忌事項は 古くは多岐にわたって居りましたが、現代では 殺生を行うこと(忌中のみ)、慶事を執り行うこと、慶事への出席、正月の賀状(替りに喪中欠礼の挨拶を行う)などとなります。

 服喪の期間は 故人様との関係により異なります。尊ぶべき方、例えば天皇崩御の場合は 内閣府より発表されます。親しい友人・知人の場合は 御自身のお気持ちに合わせ 数週間から数ヶ月、近親者の場合は一周忌までが一般的になって居ります。尚 明治7年に出された太政官布告では以下の内容となって居りました;

   続柄        忌日数      服喪日数

   父母         50日       13ヶ月

   養父母        30日       150日

   夫           50日       13ヶ月

   妻           20日        90日

   嫡子(息子)     20日        90日

   その他の子     10日        90日

   養子         10日        30日

   祖父母(父方)   30日       150日

   祖父母(母方)   30日        90日

   叔父・叔母     20日        90日

となって居りましたが昭和22年に廃止となって居りますが 服喪期間の目安となります。

   今回は以上です。

彼岸とは

 今回はお彼岸(ひがん)に付いて書かせて頂きました。

 お彼岸とは 季節の移り変わりを的確に掴む為に設けられた 特別な暦日の一つで ”暑さ寒さも彼岸まで”に示されように、冬から春、秋から冬への変わり目を指します。節分、杜白、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日を含めて雑節と呼ばれます。春分の日 秋分の日を中日とした 前後3日を合わせて 計7日間を指し、その中日は先祖に感謝する日とされて居ります。

 彼岸は 仏教用語の到彼岸(とうひがん)から来ており、サンスクリット語で 完全である事、最高である事 を意味する 波羅蜜多(はらみた)をあらわし、仏教に於いて 各修行で完遂・達成されるべきものを指します。達成されるべき徳目は全六種であり 六波羅蜜と呼ばれます。六波羅蜜を会得することにより 此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る(到彼岸)とされます。彼岸は7日間ですが、初日の彼岸の入りから3日の間 六波羅蜜を唱えて三種の徳目を修め、中日にはご先祖に感謝し、残る3日間で更に三種の徳目を修めます、七日目は彼岸明け(はしりくち と呼ぶ地域も有ります)となります。尚 彼岸の間に行う仏事を 彼岸会(ひがんえ)と呼びます。

 本来の彼岸は 自身が極楽浄土昇天を祈念するものでした、浄土思想で信じられている極楽浄土は 西方の遙か彼方(西方浄土)にあるとされ、春分と秋分の日は 太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝して 遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのがお彼岸の始まりとされます。現在では 六波羅蜜を修める6日間を除いた 中日のご先祖法要のみが一般化しました。尚 彼岸は 日願(ひがん)から変化したとも言われて居ります。

   今回は以上です。

お盆とは

 今回はお盆に付いて書かせて頂きました。

 お盆は 太陰暦である和暦(旧暦)の7月15日を中心に、祖先の霊をお祀りする行事で、7月13日に迎え火を焚いて 先祖の霊を迎え、15日を中元として 先祖をお祀りし、16日に送り火を焚いて 浄土へお送りします。横浜では新暦の7月15日をお盆として居りましたが、現在では 全国的に一般化されている新暦8月15日が一般的となって居ります。お盆は 仏教の行事と認識されて居りますが、日本国内では 仏教伝来以前から 7月15日に先祖を供養する行事が行われて居り、日本古来の神道に於ける先祖供養の神事と、仏教行事の ”盂蘭盆(うらぼん)” が江戸時代に習合して、現在の形が出来たと考えられます。

 盂蘭盆は インドに於けるサンスクリット語 ウランバナ の音写語で 倒懸(さかさにかかる)という意味で、盂蘭盆会(うらぼんえ)は 本来は 僧侶が集まって修行を行った際 修行の終わった日に人々が衆僧の為に飲食等の供養をした行事が その後 転じて 祖霊をお迎えして祀る宗教行事に変化したとされます。 

 送り火は 京都五山の送り火等が有名ですが、地域によっては 川に送る風習もあり その場合は灯篭流しが行われます。中元の翌日 16日の晩には 寺社の境内に老若男女が集まって行う踊りを 盆踊りと言います、旧暦の7月15日 もしくは16日は 何れかの日が満月であり 晴れていれば 月明りで夜通し踊る事が出来ました。盆踊りは 地獄での受苦を免れた亡者たちが 喜んで踊る姿を模したと言われて居ります。

 そして 故人様の四十九日法要を終えて最初に迎えるお盆を 新盆(にいぼん)、又は初盆(はつぼん)と呼び 特別に手厚く供養する風習が有ります。新盆の家では 門口、仏壇、や お墓に白一色の盆提灯を灯して 特別の儀礼を行います。尚 新盆以外の場合は 模様の入った提灯で構いません。

   今回は以上です。

死亡記事の出稿

 今回は死亡記事に付いて書かせて頂きました。

 死亡記事とは 新聞による 故人様の死亡を告知するものです。一般的には故人様のご逝去を新聞社に連絡すると、新聞社では掲載の可否を担当者が判断して、特定の欄に記事としてのせられます。又 死亡記事の他に 死亡広告という告知方法もあり、これは特定スペースを有料で確保し、ご遺族の希望する内容の告知を行う事が出来ます。尚 死亡記事には費用はかかりません。

 死亡記事は新聞社により掲載基準が異なりますが、全国紙の場合 全国版、本社版、地方版の何れに掲載するかは 故人様 及び親族の方の 知名度 業績 肩書により判断されます。尚 本社版には 東京本社版、大阪本社版、中部本社版、西武本社版などが有ります。地方紙では 地元に密着して居りますので、地元での評価により掲載の可否が決定されることになります。横浜での地方紙は神奈川新聞となりますが、比較的 前向きに掲載してくれます。死亡記事の要点は以下のとおりです;

 故人様に関する事項

  故人様氏名(ふりがな、肩書)、死亡日時(時刻は省略可)、死因(省略可)、死亡場所(省略可)、死亡時年齢(満年齢)

 通夜、葬儀、告別式に関する事項

  通夜、葬儀、告別式の日時、式場名(所在地)

 喪主様に関する事項

  喪主様氏名、喪主様と故人様の関係、自宅住所

 故人様について特記すべき事項(通常は省略)

今回は以上です。

香典とは

 今回は香典に付いて書かせて頂きました。

 香典とは 本来は香奠と書き、仏式の葬儀や法要に於いて 故人様の霊前にお香(線香)を供える事を意味しました。香は線香であり、奠は霊前に供える事を意味します。現在では 香に代わる金品ということから 香典、あるいは香料となりました。香奠には 金銭香奠と食料香奠が有ります、長い間 食料香奠が中心でしたが、都市部では明治時代から、農村でも戦後は金銭香奠が一般的と成りました。神式では御霊前・御玉串・御榊料、キリスト教ではお花料等が使われます。

 金銭香奠の歴史としては 室町時代後期に武士が金銭香奠をだしたとの記録が有りますが、長い間 一般民衆の間では食料香奠が一般的でした。これは 喪家(そうけ)では 故人様の成仏を願い、滅罪をする為の布施として、人々に食事を振舞う習慣が定着しており、葬儀の期間 地域の共同体に属する人々は 子供を含め喪家の振る舞いに預かり、自分の家では食事をしなかったという記録もあります。この振る舞いの為の出費は多額でもあり、喪家を援助する為に 親族は親族香奠として、隣近所は村香奠として 米や野菜を供出しました。貧しい家では葬儀が出せない という状況が起こらぬ様 香奠は相互扶助の意味合いを持つものでも有りました。

 香典の一般的な相場は以下の通りです;

近隣の人   3000-5000円

一般の会葬者 5000-10000円

関係者     10000-30000円

親族      10000-50000円

家族      50000-100000円

以前は 仏事に偶数は使わないとされて居りましたが、一万円の次が三万円では上がり幅が大き過ぎる事から、現代では二万円も使われる様の成りました。

尚 香典返しは3割ー5割返しが一般的です。

   今回は以上です。 

返礼品の準備

 今回は返礼品に付いて書かせて頂きました。

 返礼品とは 葬儀や法事のお手伝いを頂いた方や 参列者に振舞う品物の事で、他者に布施をすることによって仏に徳を積みこれを故人様に振り向ける 為のもので 供養の為の品ということから 供養品とも呼ばれます。返礼品には 通夜返礼品、会葬返礼品、香典返し、法事返礼品などが有ります。

 通夜や葬儀の時 会葬の方へ食事や酒を振舞ったり、お菓子を出したりするのは 故人様の減罪を願う布施の一つで 故人様の供養につながると言う考えから生まれました。以前は葬列が出発する前に籠に菓子や小銭を入れて 見送る人々に振り撒いたのも 同じ考えにもとずくものです。

 通夜返礼品は 通夜の弔問に来られた方への返礼品で、通夜振る舞いに出られず お帰りになる方へのお礼の品物です。又 事情によっては 通夜振る舞いを行わず、寿司券などをお渡しするケースも御座います。現在の横浜では 通夜のみに弔問されて、告別式には参列されない方も多く、通夜 告別式の区別なく 同じ返礼品をお渡しするののが 一般的となって居ります。

 会葬返礼品は 葬儀・告別式に参列頂いた方への返礼品です。香典持参の有無に係わらず 参列された方 全員にお渡しします。品物としては ブランド物のハンカチ、砂糖、お茶、クッキ-などで 500から800円程度の物が一般的です。尚 横浜では 香典返しは 即返しが習慣となって居り、通夜返礼品や会葬返礼品は特別に用意せず、会葬者には 2,500円前後の香典返しをお渡しするのが一般的となって居ります。この場合 香典持参の有無にかかわらず会葬の方へお渡しすることとなります。

 香典返しは 大きく分けて 即返し と忌明け返しの2種類が有ります。即返しでは 葬儀・告別式でお返しして居りますが、高額の香典を持参された方には 別途 お返しをするのが良いでしょう。忌明け返しは 三十五日や四十九日の忌明けに合わせて 礼状を添えて返礼します。お返しは半返し(頂いた金額の半分をお返し)、又は 三分返し(頂いた金額の30%をお返し)で品物をお送りします。又 葬儀の余剰金を社会福祉施設に寄付するとか、遺児の養育費に充てるとか 香典返しを行わない事も有ります。香典返しを行わない場合は その用途を忌明けの挨拶状に記すと良いでしょう。

 法事返礼品は 四十九日、一周忌、三回忌等の法事に参列して頂いた方に対するお礼の 返礼品です。繊維製品、お茶、お菓子などが一般的です。お斎の席を設けない場合は 折り詰めの料理も用意すると良いでしょう。

   今回は以上です。   

葬儀の祭壇

 今回は葬儀の祭壇に付いて書かせて頂きました。

 葬儀の祭壇は 宗教儀礼を前提として葬儀を営むのであれば、仏教の場合は仏様、神道やキリスト教の場合は神様を中心として組まなければ成りません。他方 告別式の祭壇は 故人様を中心として組む必要が有ります。現代の葬儀では 葬儀と告別式を一定時間内に執り行われて居り、祭壇も両方を意識して組まれなければ成りません。無宗教葬の場合は 故人様とのお別れが目的の祭壇であらねばなりません。

 宗教儀礼として 葬儀を営む場合は 仏様や神様の導きによって 故人様をあの世に送る事が基本となります。神道では家の守護神となって頂く事となります。仏教葬儀の目的は 仏様を供養する事により 得られる功徳を 故人様へ振り向けてて極楽往生を願うと言う 間接的方法を取ります。キリスト教の場合は 礼拝が中心ですが その対象は神様です。したがいまして 祭壇の中心は 仏教の場合 御本尊、キリスト教の場合は礼拝の対象が故人様にならない様にしなければ成りません。つまり 宗教儀礼としての祭壇は 故人様をないがしろにする訳では有りませんが、故人様を礼拝の対象とするような荘厳は適当では有りません。執り行う 宗教、宗派の考えに従った道具立てをしなければ成りません。

 一方 告別式では 故人様とご遺族・会葬の方々とのお別れが中心と成りますので、ご遺族・会葬者の想いを祭壇の装飾に生かすべきです。

 従いまして 祭壇を作るに当たりましては 宗教者とご遺族が 良く相談をされて お決め頂き、葬儀儀礼の場であると同時に 告別の場でもあるという二面性を意識した祭壇であらねば成りません。

 祭壇の大きさは 生花祭壇であれば 幅2。2m、高さ1.8m、奥行き1.2m程度が一般的ですが、ご遺族のご希望、会場の広さ、会葬者の人数等に合わせてどの様な祭壇も組む事が可能です。

   今回は以上です。

お位牌とは

 今回は位牌に付いて書かせて頂きました。

 位牌とは 仏教葬儀で死者の霊を祀る為に使われる 死者の戒名(法名)等を書いた木製の稗で、中国の後漢時代に儒教の葬礼では 死者の霊牌には官位と姓名が書かれた事から ”位”牌と呼ばれます。霊の依代(よりしろ)という日本古来の習俗と仏教の卒塔婆が重なり出来あがったと考えられます。位牌には 内位牌(白木位牌)、野位牌、本位牌、寺位牌等が有ります。

 位牌の表には戒名(法名、法号)が書かれ、裏には 俗名、死亡時年齢(享年、行年)、死亡年月日が書かれます。

 故人様のご臨終後 枕飾り、及び葬儀の為の 白木の簡素な内位牌が作られます。内位牌は葬儀の後も四十九日の法要が終るまでの忌中は 中陰壇(後飾り)に祀られます。四十九日法要で 故人様の霊は 内位牌から 本位牌に移され、その後 お寺で焚き上げられます。

 野位牌は 内位牌と同じ白木の位牌で、墓石に文字が刻まれるまでの間 お墓に置く位牌です。

 本位牌は 忌明け以降、三十三回忌 もしくは五十回忌の弔い上げまでの間 仏壇に安置してお祀りする位牌です。伝統的なものとしては 漆塗りに金箔・沈金を施した 塗り位牌や、黒檀・紫檀などに半透明の塗装をした唐木位牌などが有ります。金額的には一万五千円から10万円の間のご位牌が一般的です。又 この他に集合型の 繰り出し位牌があります、多数の薄い木の札を重ねて納められる様にした箱型の位牌で 一枚に一人の戒名・俗名・享年・命日などを記して納められ 複数の故人様をお祀りする事が出来ます。

 寺位牌は 本位牌とは別に 菩提寺に納める位牌で、お寺の位牌堂や本堂内に安置され、朝夕の勤行の際に供養されます。

 浄土真宗の場合は 死者を礼拝の対象としない為、原則として位牌は用いません。代りに 法名軸に法名を書いて 仏壇の側面に掛けるか 或いは法名帳に法名を書いて 仏壇の中段 もしくは下段の横に置きます。

   今回は以上です。 

戒名を頂く

今回は戒名に付いて書かせて頂きました。 戒名とは仏教教団に入信し、戒律を守る事を誓った者に与えられる名前のことです。漢字二文字で表現され、身分の上下や精進、報恩の多少に関係なく仏の世界では平等であることを表わします。そして戒名を与えられた後は、俗名を捨てて戒律を守ることに専心します。日本に於いては死後に成仏するという考え方を基に、故人に戒名を与える習慣が出来上がりました。尚、浄土真宗では法名、日蓮宗(日蓮正宗を除く)では法号と呼びます。   様々な宗教・宗派 鳥居を通る宗教

戒名の日本への伝来

本来のインド仏教では戒名はなく、仏教が中国に伝わり道教の道号の様に僧侶の号として戒名が作られました。その後日本に伝来し当初は出家した僧侶にのみ俗名に代わり、戒名が授けられましたが(授戒)、出家をしない在家の壇信徒も授戒会に加わり戒を受ける様に成り、仏法に帰依した者として戒名が与えられるように成りました。本来戒名には苗字が附かないものでしたが 室町時代後期頃から苗字+戒名の呼び方が一般化し始め、武田信玄、上杉謙信、大友宗麟などの呼称が出始めました。その後この呼称は廃れて行きますが、江戸時代に入り、寺壇制度が確立する中で、故人を成仏させる為に授戒して戒名を与える事が一般化し、通夜の席で授戒を行うように成りました。現在では授戒と引導が葬儀儀礼の中心をなすものとして位置付けられて居ります。尚亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送る事を没後作僧(ぼつごさそう)と言います。 本来戒名は身分の上下を示してはならないものでしたが、日本では身分制の時代を背景に発達した為、現在では身分を表わす事ともなっております。現在では院号・道号・法号・位号で構成されて居ります。

1 院号

最上級の尊称と言われるものに院号、と院殿号が有ります。皇室や摂関家に対して〇〇院が、武士に対して〇〇院殿が与えられました。院号より院殿号が上位とする習慣は、大名家に院殿号をつけるようになった江戸時代に生まれたとされます。

2 道号

元々は仏道に励みこれを究めた者への称号で、住職などに与えられるものとされます。

3 法号

本来の戒名(法名、法号)です。

4 位号

位階・性別を表わすもので、信士・信女、居士・太姉、大居士・清大姉などが有ります。 今回は以上です。

寺院への布施

 今回はお布施(ふせ)に付いて書かせて頂きました。

 お布施とは 仏教に於いて 菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき六っの実践徳目(六波羅蜜)の一つで、他人に与える事を指します。施す人も 施される人も 施す物品も 本来的に空であり、執着心から離れて成されるべきものとされます。お布施には 財施、法施、無畏施の一般的なものの他に 和顔施、言辞施などがあります。

 布施は 梵語で ダーナといい 壇那と書かれ、他人に与える事を指します。布施をする人をダナパティといい、施主、壇越(だんおつ、だんえつ)、檀徒(だんと)などと書かれます。菩提寺にお布施をする家を 檀家と呼びますが、これは 壇那・壇越から来たものと考えられます。お布施には以下のものが有ります;

1 財施(ざいせ)

   出家修行者、仏教教団、貧窮者などへ 財物や衣食などを与えること。

2 法施(ほうせ)

   仏の教えを説き、精神的な安心を与えること。僧侶の務めでもあります。

3 無畏施(むいせ)

   困っている人に親切を与えること、災難などに遇った人を慰め、その恐怖心を除くこと。

4 和顔施(わがんせ)

   笑顔を人に見せ、それを見る人に幸福感を与えること。

5 言辞施(げんじせ)

   相手にとって快い言葉を語り、幸福感を与えること。

 葬儀に於きましては 僧侶は通夜式・葬儀式の法要を営むことによって 法施を施し、ご遺族はこれに感謝して財施を施す という関係にあります。僧侶が法要を営むことは ビジネスでは無く 法施であり、ご遺族のお布施は 法要執行への対価ではなく あくまでも 財施として行うのが本来の考え方です。従いまして お経料や戒名料の表現は 対価としての料金という考えにもとずくものであり 相応しくないと考えられます。ご遺族には お礼という気持ちがあると思いますが、それを超えた意味合いが有ることを理解して頂き お布施と上書き頂くのが正しいとされます。尚 お布施の金額に付きましては 世間一般に理解される金額が御座いますが、経済的な事情をお持ちの場合は 素直に寺院にご相談される事をお薦めします。

 他の宗教でも その考え方は基本的には仏教と同じです。神道では 神職へのお礼は 玉串料 或いは 御祭祀料などと上書きします。キリスト教の場合は 教会への献金と、司祭 あるいは牧師への謝礼からなります。オルガニストへの謝礼も忘れない様にします。

   今回は以上です。  

仏壇とは

 今回は仏壇に付いて書かせて頂きました。

 仏壇とは 日本独特のもので 一般家屋に常設される 仏教の礼拝施設で、その家の先祖をお祀りする場であると共に 弔い上げ前(三十三回忌や五十回忌前)の 故人様を供養する場でも有ります。仏壇を新規に購入されましたら 僧侶に依頼をし 仏壇・本尊・位牌に対する開眼供養を行います。開眼供養により 本尊や位牌が礼拝の対象となります。開眼供養は 四十九日や一周忌の法要の際に合わせて行うのが一般的です。

 古代インドでは 土を積み上げて壇を作り、そこを神聖な場所として神を祀りました。更に雨風を防ぎ為に 土壇に屋根が設けられ、回りを囲む壁が設けられ、現在の寺院の原型が出来上がります。日本に仏教が伝来した当初は 寺院内の仏像を祀る場所を仏壇と呼んで居りましたが、その後 仏教の宇宙観では 巨大な山 須弥山(しゅみさん)が宇宙の中心をなし そこに仏(帝釈天)が所在するとされ、仏像は須弥山を模った須弥壇に安置されるべき として 仏壇は須弥壇と呼ばれる様に変わります。同時期の平安時代後期 貴族などの上流階級では 個人で持仏堂を持つ者も現れ始めました。そして持仏堂を持てない人々は仏間を持つ様になり、又 鎌倉時代に入ると 禅宗の伝来とともに 位牌が流行し、自宅内に本尊や位牌を安置する壇を仏壇よ呼ぶ様に成ります。仏壇が庶民の間に普及するのは 江戸時代中期以降の寺壇制度確立の後からです。

仏壇は 大きく分類すると 金仏壇、唐木仏壇、家具調仏壇に分けられ、30-50万円の価格のものが一般的ですが、最近では 20万円以下のシンプルでモダンな仏壇も多く見られる様に成りました。

 近年は グリーフワークの観点で 葬儀後の悲嘆にくれるご遺族が 仏壇内に安置されたご位牌を通して故人様と対話することにより 悲しみを癒して行く効果が期待できるとも言われて居ります。

   今回は以上です。

仏具とは

 今回は仏具に付いて書かせて頂きました。

 仏具とは 仏教の儀式で使用される特有の道具、及び 僧侶や聖職者が使用する装飾品を指します。法具や法器とも言います。

 仏教では 本来 僧侶は最低限の衣服と食器(三衣一鉢)以外の金品を所有する事は戒律で禁じられて居りましたが、釈迦の死後数百年が過ぎると 信者から寄付された最低限の金銭や日用品を持つ事が許されるようになります。紀元を過ぎると 仏教はインド以外の各地へと伝播して行き、僧侶は人々へ 祈祷や葬儀などの儀式を司る様になり、それに伴い儀式で使用される道具や装飾品が開発されて行きます。更に中国やチべットなどでは特殊な仏具が使用される様に成りました。そして 中国で成立した浄土信仰が民衆の間に普及すると、信者自身が直接 仏へ信仰する様になり、仏画、数珠などの仏具を信者が自身の家庭で使用するようになりました。

主な仏具は以下のものです;

1 三具足と五具足

   基本の仏具で 香炉、火立て(燭台)、花立て(花瓶)で構成されます。三具足では 中央に香炉、右に火立て、左に花立てを配置します。五具足は中央に香炉、その両側に火立て、さらに その外側に花立てを配置します、火立て;1対、花立;1対、そして香炉の五具足となります。一般には三具足で、正式な行事では五具足を用います。

2 香炉

   線香や抹香を焚く為の道具です。三つ足の場合は 一本の足が手前に来るように置きます。

3 線香差し

   線香を入れておく為の容器を言います。

4 花立て

   仏壇に供える花を生ける花瓶です。華瓶(けびょう)とも言います。

5 燭台(火立て)

   灯明、ロウソクを立てる道具です。

6 打敷(うちしき)

   仏前の前卓を飾る敷物です。一般的には長方形ですが、浄土真宗では三角形となります。

7 仏飯器(ぶっぱんき)

   ご飯を盛る器で、仏器とも言います。

8 茶陶器(ちゃとうき)

   お茶を供える為の道具です。

9 高坏(たかつき)

   菓子や果物などを供える為の器です。菓子や果物は半紙を敷いた上に供えます。

10 霊供膳(りょうくぜん)

   仏壇に供える小型の本膳です。浄土真宗にはありません。

11 燈籠(とうろう)

   仏壇の中を明るく照らす道具です。

12 鈴(りん)

   勤行のときに打つ道具です。打ち方は宗派ごとに定められて居ります。

13 香盒(こうごう)

   抹香を入れる器です。

   今回は以上です。

香について

 今回は香に付いて書かせて頂きました。

 香とは 伽羅(きゃら)、沈香、白檀(びゃくだん)等の自然香木の香りをさしますが、そこから 線香 抹香 塗香 香水などが作り出されました。仏教 発祥の地である インドは 多くの 香木を産し、また 酷暑の気候による悪臭を防ぐために、香は重要な役割を果たして居りました。この様な背景のもと、仏教では 香を焚くことにより、不浄を祓い、心識を清浄にするとされます。又 焚いた香の煙は仏の食べ物とも言われます。

香の香りをかぐことで、脳内にアルファ波が生成され、癒しの効果があるとされます。

 香の歴史は古く 紀元前3000年前のメソポタミア文明(現在のイラク北部)にまで遡ります。香の種類としては 白檀 丁香などの樹木の皮・葉・根などの粉末、乳香 安息香などの樹脂、麝香 竜涎香などの動物性のものがあり、香木と練香に分けられます。又 使用法としては 焚いて使用する香(焼香) と焚かずに体に塗る香(塗香)に大別されます。更に 焼香もその形状により 棒状 コイル状 渦巻き状 粉末状(抹香)に別けられますが 種類は多種にのぼります。

 線香は 古代インドが発祥の地とされ、香りを出す材料を細かく砕き、それを練り合わせて、細い棒状や渦巻き状に成形し、乾燥させて作ります、それに火をつけることにより、芳香のある煙を出します。香りを楽しんだり、医療目的に使用されて居りました。日本では 堺で線香の形状が開発され、江戸時代以降に一般化されたと言われて居ります。線香は燃焼が安定している事から時計代わりにも使われ、禅寺では 線香が1本燃え尽きる時間(40分)を 一柱(いちちゅう)と言い、座禅を行う時間の単位としました。最近では 仏壇による火災を予防するため、電気線香なども販売されて居ります。

 抹香は 粉末状の香で、かっては 沈香や栴檀(せんだん)などを材料として居りましたが、現在は 樒(しきみ)の樹皮と葉を乾燥させて 粉末にしたものが一般的です。

 日本では 線香は 仏壇やお墓にお供えして燻らせ、抹香は焼香用に使用されるのが一般的です。

   今回は以上です。

灯明(燈明)とは

 今回は灯明(とうみょう、燈明とも書きます)に付いて書かせて頂きました。

 灯明とは 神仏にお供えする灯火をいい、仏教 神道 キリスト教 何れの宗教でも 祭儀の際に重要な役割を担います。仏教では 闇(無明)を照らす智慧の光とされ、大切な供養の一つです。寺院や神社で灯す 灯明の淡い光は 仏の慈悲によって人の心を明るくするものとも、ご先祖が子孫(灯明を灯した人)へ 生きるための光を導き出す ある種の道標であるとも 言われます。

 灯明は 古くは 油皿に油を注ぎ それに灯心を添えて 灯りをともして居りましたが、ある時期から ロウソクに変わり、現在では電球によるものが多く成りました。ロウソクの歴史は大変古く、紀元前3世紀の頃には 中国でも エトルリア(現在のイタリアの一部)でも 既に使われていた事が証明されて居ります。ヨーロッパでは キリスト教の典礼に必ず使用される事から 修道院では古くからミツバチを飼い、蜜ローソクを生産する事が重要な作業でも有りました。又 19世紀のアメリカ合衆国では マッコウクジラの腦油を原料とするローソクが高級品とされ、盛んに捕鯨が行われました。日本で最初にロウソクが登場したのは奈良時代で、仏教の伝来と共に 蜜ローソクが中国から伝わったと考えられます。その後 日本では 松脂を使用したローソクが開発され、更に 木蝋の原料となるハゼノキが琉球から伝わり、和ローソクが完成しました。ローソクは 長時間 炎が一定の明るさを保つ事から、長い間 夜間の灯火として重要な役割を担いました。

 日本の仏事に於いて ローソクは欠かす事の出来ない道具となって居り、三具足や五具足の重要な構成要素です。仏事に於いて ローソクの色は 朱(赤)、金、銀、白の四種類を使い分けます、朱は法事(年忌法要)、祥月命日、お盆、春秋のお彼岸の時に灯します、金は結婚式や落慶法要などのお祝の時に灯します、銀は通夜、葬儀、中陰の時に灯します、朱・金・銀が用意出来ない場合のみ代用品として白を使用しても良いとされました。現在では 代用品である白を使用する事が一般的となって居ります。そして 東北地方には 花蝋燭よ呼ばれる花を表面に描いたローソクが御座いますが、これは 冬の雪深い中では 仏事の祭壇にお花を供える事が出来ない為、代りにロウソクにお花を描いて灯した とされます。

 キリスト教の祭儀では ミサの祭壇には ローソクを灯すことが義務付けられて居り、又 死者の為の祈祷や 復活祭の祈祷では 灯りをともしたローソクを手に持って礼拝に参加します。

   今回は以上です。 

花立(花瓶)とは

 今回は花立(花瓶)に付いて書かせて頂きました。

 花立(はなだて)とは 仏教に於いて 祭祀の際に使用される重要な仏具 三具足(みつぐそく)の構成要素で、常花(蓮の花を模った造花、仏具)や生花をお供えする際に使用する花器を指します。材質は真鍮製やアルミ製の物が一般的ですが、漆塗りの物、錆び難いステンレス製、純金製、純銀製の物なども有ります。尚 浄土真宗では 花瓶(かひん) 或いは 華瓶(けびょう)と呼びます。

 仏教に於いて お花はお供えする事は 先祖や故人様を偲んで 供養の心を表わす 大切な供養具で、花供養とも呼ばれ 日本の御家庭では大切な朝の行事とされて来ました。お供えするお花としては 特別な意味を持つ花として 蓮の花が有ります、泥の中に根を張り 美しい花を咲かせるその姿は、泥の様な欲望の渦巻く 厳しい現世の中で 清らかに輝く 仏の智慧を現すものとして、又 極楽浄土そのものとして崇拝されて来ました。生花としては 多菊を供えるのが一般的ですが、その菊にも意味が込められて居り、菊は古来より邪気を払う花として 珍重され、公式の行事でも多々使われて参りました。そして 他の花に比べて長持ちする事も ご仏壇や墓石にお供えする際に 選ばれる理由の一つとなります。

 ご仏壇に祀るお花を選ぶ際には 菊を中心として 香りのきついもの、花弁がパラパラ落ちる花、バラやアザミ等トゲの有る花は避けるのが一般的です。しかしながら 仏花は お供えする方のお気持ちが大切ですので、余り 拘らずに 故人様の好まれたお花を選ぶなど、お気持ちを表すお花をお供えする事が より大切ではないでしょうか。選ぶのに悩まれる様な場合は 仏花用として売られている生花セットをお薦め致します。仏花用の生花は 3本、5本、7本など奇数の本数で 全体の形がひし形に整えられ、季節の花も添えられて居ります。

   今回は以上です。  

ご本尊とは

神道のご神体

 今回は御神体に付いて書かせて頂きました。

 御神体とは 神道に於きまして 神が宿るとされる場所や物を指し、礼拝の対象となります。神道では 森羅万象 八百万の神が存在しますので 巨石、樹木、山、森、その他 注連縄で飾られた物など 多岐にわたります。神社神道では 神社創立の起源となった物体や 注連縄で囲まれた場所などが御神体とされ、皇室神道では 三種の神器(鏡、玉、剣)の鏡が御神体とされています。又 御神体は 神が宿る場所や物を指して 御霊代(みたましろ)、あるいは 依り代(よりしろ)とも言われます。

 御神体は 長期に渡り受け継がれて来た物、定期的に更新される物など多岐に渡りますが、受け継がれて来た御神体としては 海・川・滝・山・森・木・岩などで 景色の中で際立つ場所が 現世(うつしよ)と常世(とこよ)の境界と考え、神の国への入り口、あるいは 神のいる場所とされました。日本各地での ご神木や夫婦岩、霊峰としての富士山、福岡県宗像市の沖ノ島などが これに当ります。定期的に更新される物としては 儀式で使用される御幣、榊、祭に使用される神輿・山車、更に 諏訪大社の御柱 出雲大社の神殿等があります。

 神社の社には 御神体の証として 注連縄で飾られて居ります。神社神道の神社は 本来 神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)(神がいる場所)に建てられるのが一般的でしたが、本殿がなく山や丘や神木が御神体であるケース(諏訪神社、大神神社など)、子孫繁栄の象徴として男根を御神体とした神社なども御座います。

 又 大相撲の本来は 神に奉納される神事で、力士の最高位は大関であり、大関の中で特別に選ばれた者だけが神の神体となり、生き神である証として 注連縄である横綱を張ることが許されるとされました。

   今回は以上です。

お墓の準備

 今回はお墓に付いて書かせて頂きました。

 お墓とは 故人様のご遺体、もしくはご遺骨を葬り、故人様を弔う場所を言い、墳墓(ふんぼ) 墳塋(ふんえい)などとも言います。お墓を設ける区域を墓地と言い、全て ”墓地、埋葬等に関する法律”(墓埋法)により規定されて居ります。又 ご遺体 もしくは ご遺骨を葬る場合には 市区町村役所が発行する 埋葬許可証を提示しなければ成りません。

 墓埋法によれば 墳墓とは ”死体を埋葬し、又は 焼骨を埋蔵する施設” と規定されて居り、土葬墓 火葬墓を総称して墳墓と規定されます。尚 現在の日本では99%が火葬墓ですが、土葬墓も法律的に禁止されている訳ではなく、高知県や山梨県では現在でも10%前後は土葬墓に葬られて居ります。

 墓地は ”墳墓を設けるために、墓地として都道府県知事の許可を受けた区域” と規定されて居り、勝手に設ける事は出来ません。そして 墓地経営は 事実上 自治体による公営か、宗教法人、財団法人のいずれかでないと認められません。又 許可に当っては 通常 ”焼骨の埋蔵に限る” との条件が付加されて居り、一部の地域や信仰上の問題など 特別な事情がある場合を除いては 土葬は困難な状態となって居ります。

 墓地は 経営形態により 村落共有墓地、寺院境内墓地、公営墓地、民営墓地などが有ります。

1 村落共有墓地

   古くから村落が共有して保持していた墓地を追認したもので、新しく認められる事はないと考えられます。

2 寺院境内墓地

   寺院の檀信徒の為に設けられた墓地で、檀信徒は寺院の維持 その他に義務を負います。

3 公営墓地

   自治体の条例 その他で使用条件が定められた墓地です。

4 民営墓地

   管理者と使用者が 対等な契約に基ずいて使用権を取得できる墓地です。名前は宗教法人が運営する墓地でも、実質的には 民営墓地と変わらない墓地も多数 御座います。

   今回は以上です。

墓石の準備

 今回は墓石に付いて書かせて頂きました。

 墓石とは お墓のしるしに建てる石材製品で、現在では墓石の土台部にご遺骨が納骨できる構造となって居り墓碑とも呼ばれます。石材としては 花崗岩(御影石)、大理石、石灰岩、砂岩、野石などが使われます。又 石ではなく、鉄、白銅、木、植物等を素材とした墓碑も御座います。形状としては 和風、洋型、デザイン墓などに分けられます。

 日本には 仏教の伝来とともに 石工の技術も伝来し、供養塔や墓碑として 五輪塔 宝塔 層塔などが支配階級により造られました。その後 鎌倉・室町時代に 禅宗と共に戒名と位牌が中国より伝来し、それをもとにした角型の墓石が造られ、現在の墓石の原型と成りました。更に 江戸時代に檀家制度が確立し、仏事が生活の中に定着すると、庶民の間でも墓石を建立する習慣が定着しました。そして 明治時代中期に家制度が確立すると それまでは個人名や夫婦名で建てられていた墓石は 家単位の墓へと変化し 正面には 〇〇家先祖代々の墓 と刻み、側面に建立者名と建立日、背面に故人名 命日 行年を刻む 現在の形態が出来上がりました。第二次世界大戦後には 洋型の墓碑も登場し、現在のデザイン墓へと変化して行きました。

 墓石の素材としては 硬性の高い花崗岩(御影石)が一般的ですが、本御影石 白御影石 黒御影石 等幾つもの種類が有ります。大理石や石灰石は硬度が低く、加工はし易いのですが、酸に弱い為 酸性雨を長期間浴びると 比較的早めに 碑文が溶解する可能性が有ります。野石は 墓を作る風習が始まった頃には使われましたが、現在では使われません。砂岩は日本では使用されません。

 墓石の形状は 和型、洋型、デザイン墓に大別されます。

和型は二段の台石の上に細長い石を乗せた三段墓で 背の高い形状となります。仏式の和型三段墓は 上から 竿石、上台石、中台石、下台石の四枚の石で構成され、天地人になぞって 竿石を天の石、上台石を人の石、中台石を地の石と呼ばれてもおります。神式の墓石も基本は仏式の三段墓とほぼ同じですが、神式のお墓は奥津城と呼ばれます。

洋型は 台石の上に横長の石が乗る形となり、横の長く背の低い形状となります。ストレート型とオルガン型が日本では一般的です。

デザイン墓は 既成の概念に捉われず故人様への想いを反映させた多種にわたるお墓です。生前に故人様がデザインしたものも少なく有りません。使用される素材も 御影石だけに限らず、金属 アートグラスなど多岐に渡ります。

   今回は以上です。 

友引とは

 今回は友引(ともびき)に付いて書かせて頂きました。

 友引とは 現代の日本で使用されている歴注の一つ 六曜(ろくよう)の中の一日で、葬儀は避ける日として 定着して居ります。六曜は 先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口で構成されます。横浜市内の火葬場も友引の日は原則 業務を休止して居ります。但し 横浜市営火葬場は4ヶ所御座いますが、特別な事情を考慮し 一ヶ所は友引の日でも業務を行って居ります。

 六曜は 14世紀 鎌倉・室町時代に中国より伝来し、一ヶ月(30日)を五等分して、6日を一つの周期とした暦です。六曜は中国で生まれたとされますが、何時の時代に暦として確立されたかは不詳です。俗説としては 孔明六曜星が有名で、諸葛亮孔明が発案し、六曜を用いて軍略を立てたとされますが、三国時代に六曜があったとは考え難く、後世の人がこじつけたとするのが定説となって居ります。六曜には 固有の吉凶・運勢が定められて居り、江戸時代には 勝負事の縁起を担ぐ占いのもととして定着し、明治政府からは 吉凶付きの歴注は迷信であるとして禁止されましたが、第二次世界大戦終了とともに解禁となり、現代の日本に定着しました。六曜は 仏滅や友引など 仏事と関係が有る様に思われていますが、仏教とは一切 関係は有りません。仏教では占いを否定して居り、特に 浄土真宗では親鸞上人が ”日の吉凶をえらぶ事は良くない” と和讃で説いて居り、迷信・俗信一切を否定して居ります。

 六曜は 先勝―友引-先負-仏滅-大安-赤口の順で繰り返し、旧暦の毎月一日が下記の様に固定されて居ります; 1月・7月 先勝、2月・8月 友引、3月・9月 先負、4月・10月 仏滅、5月・11月 大安、6月・12月 赤口。 従いまして 新暦のカレンダーでは 規則正しく循環していたものが ある日突然途切れたり、年によって・月によって六曜が異なる事と成ります。

 友引は 凶事に友を引く を意味し、勝負なき日としるべし と言われ、勝負事で何事も引き分けになる日 とされます。 朝は吉、昼は凶、夕は大吉。但し葬式を忌む と言われます。

又 慶事の際には 幸せのお裾分け として 結婚式の引き出物は 友引の日に発送する習慣も有りました。

   今回は以上です。

六曜とは

 今回は六曜(ろくよう)に付いて書かせて頂きました。

 六曜とは 先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六種類の曜日繰り返す歴注であり、七曜である 火、水、木、金、土、日、月 と共に 今日の日本に於いて影響力を持ち、特に 結婚式は大安の日、葬式は友引を避けるなど、冠婚葬祭の儀式に結び付けて使用されて居ります。七曜との混同を避ける為、六輝(ろっき)とか 宿曜(すくよう)とも言われます。

 六曜は中国で唐の時代に創られたと言われますが、確証は無く その真偽は不明です。何れにしろ 鎌倉・室町時代に中国から伝来し、時代の経過と共に 名称・解釈・順序などが徐々に変化し19世紀初めに現在の形が出来上がり、幕末には 民衆の間に定着しました。各六曜には 固有の吉凶や運勢が定められて居り、勝負事に関する内容が多く、縁起を担ぐことから、元来は勝負師や賭け事の遊び人の間で創られ、用いられたのではないかと考えられております。六曜の中には 仏滅、友引など 仏事と関連が有る様に見えますが、仏教とは一切関係有りません。仏教では占いを否定して居り、仏教に於いては本質的に因果関係によって物事が決まります。従い 六曜が直接原因として物事を左右する事は有りません。

先勝(せんしょう、さきがち)

 先んずれば即ち勝つ の意味で 万事に急ぐ事が良いとされます。午前中は吉、午後2時より6時までは凶とされます。

友引(ともびき)

 凶事に友を引く の意味で 以前は勝負なき日と知るべし と言われ 勝負事で何事も引き分けになる日とされました。朝は吉、昼は凶、夕は大吉。ただし葬式を忌む と言われます。

先負(せんぶ、さきまけ)

 先んずれば即ち負ける の意味で、万事に平静であることが良い とされ、勝負事や急用は避けるべきとされます。午前中は凶、午後は吉。

仏滅(ぶつめつ)

 仏も滅ぼすような大凶日 の意味で 物滅が近年になって仏の字に当てられました。六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼等の祝儀を忌む習慣があります。

大安(たいあん)

 大いに安し の意味で、六曜の中で最も吉の日とされます。何事においても吉 成功しない事はない日とされ、婚礼はこの日が選ばれます。

赤口(しゃっこう)

 万事に用いない悪日 とされ、陰陽道の ”赤舌日”という凶日に由来します。午の刻(午前11時から午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は凶とされます。

   今回は以上です。

日本の葬儀の習俗

 今回は葬儀に関連した習俗に付いて書かせて頂きました。

 日本に於いて 葬送儀礼を行う事が一般庶民の間で定着し始めてから約300年が経とうとして居ります。この間では いくつもの習俗が造られ 施行されて参りました。野辺の送り、湯灌、魂呼び、食い別れ、耳塞ぎ、歳違え、犬弾き などが有り、地域によっては 現在でも執り行われて居ります。

 野辺の送りは 墓地や火葬場へ故人様のご遺体をお送りする際には列を組んでお送りすることを言います。葬列とも言いますが、大正・昭和時代に告別式が行われる様に成るまでは 葬送儀礼の中心となって居りました。野辺の送りには 宗派や地域により様々な様式が有りますが、一般的には 松明・提灯・六道を先頭にして、銘旗・花籠・香炉・四華・禅・位牌・遺影写真・天蓋・柩と続きます。葬列での役割は故人様との関係によって決められますが、ご位牌は喪主様、ご遺影写真は次に親しい方となります、地域によっては 枕飯は喪主様のご妻女が持つとされるところも有ります。又 野辺の送りの際は 死霊が家に戻らぬ様にと、道の辻では柩を回し、往路と帰路は道を変える、埋葬に使用した道具は捨ててくるなどの風習も有りました。

 湯灌は ご遺体を納棺する前に 逆さ水(普段とは反対に 水に湯を加えて作るぬるま湯)でご遺体を洗い清める習俗です。ご親族がご遺体に触れる最期の機会でもあります。現在では 病院に於けるエンゼルケアーにより ご遺体は看護師の手で清められて居りますので、湯灌をする事は少なくなりました。

 魂呼びは 故人様の枕元、自宅の屋根の上、井戸の中に向かって、海に向かって、故人様の名前を大声で呼ぶ習俗です。身体から遊離してゆく霊魂を呼び戻し 死者の蘇生を願うと共に、その御逝去を確認して 故人様を愛惜する儀式と考えられます。

 食い別れは 飲食は人同士の交わりを象徴するもので有り、故人様と食事を共にする事は 故人様と最後の交わりを持ち お別れを行うと考えられます。葬儀に於いては 通夜振る舞い、出棺に際しての 出立ちの膳(現在では行われていない)、精進落としなど 飲食をする機会が多く有ります、参列頂いた方や お手伝い頂いた方々への御礼と共に 故人様との 食い別れという性格を持つものでもあります。飲食には 故人様の魂を鎮め、死の穢れに対抗し、これを祓う力が有るともされます。

 耳塞ぎや歳違えは 近隣の方が亡くなられた時、死者と同年齢である方は死の穢れに染まり易いので、これを回避する習俗です。餅などで耳をふさぎ、死の知らせを聞かないようにします。又 豆を食べて 年を取り越し、死者との年齢を違えてしまいます。

   今回は以上です。

散骨

 今回は散骨に付いて書かせて頂きました。

 散骨とは 故人様のご遺体をご火葬し その焼骨を粉末状にして 海、空、山中、宇宙 等え 撒く葬送方法です。日本に於いては ”墓地 埋葬に関する法律(墓埋法)” により ご遺体やご遺骨の埋葬に関し その方法が定められて居りますが、散骨に関しては 直接の規定は無く、”節度を持って行われる限りは 違法性は無い” とされて居ります。海外では国により規定が有る場合が有りますので 注意が必要です、例えば ハワイでは散骨方法の法律が有り、規定に従はない場合は処罰の対象となります。又 ブータンでは 宗教上の理由から 伝統的に墓は作らず 散骨が基本となって居ります。

 散骨を 陸地で行う場合、まず 他人の私有地では 所有者の許可を得ずに行う事は出来ません。公有地に於いては 管理機関による特別な規定がなければ可能と考えられます。但し 東京都西多摩郡で起きた問題の様に 生活用水の水源地周辺での散骨は避けるべきでしょう。又 自己の私有地では可能ですが、近隣の住民からクレームが付く場合が有ると共に、散骨された不動産は売買が困難になる場合が有ります。北海道長沼町では2005年に”散骨を規制するための条例”が制定され、一定の規制がかけられました。散骨をされる前に 該当市区町村の規定を確認する必要があります。

 海で行う場合は 港湾、漁場、養殖場のある場所を避け、更に湾岸より5Km以上離れれば問題は起きません。

 空では 焼骨を きちんと粉末状にして行えば 問題は起きません。

 又 現代では 宇宙葬の予約が始まって居ります。これは 焼骨の一部を粉末状にし、容器に格納して宇宙に運び、散布するものです。

 散骨の例と致しましては 皇室では 淳和天皇は840年に崩御し 遺勅により 京都大原野西院にて散骨されました。又 墓地が信奉者たちにより聖地化される事を防止する為 極東国際軍事裁判での死刑判決者の遺骨はGHQにより東京湾に遺棄されました。ナチスドイツの死刑判決者の遺骨も同様です。同様の理由で 中華人民共和国の指導者も 毛沢東を除き原則として散骨されて居ります。 

   今回は以上です。

葬儀にの施行

 今回は葬儀に付いてつれずれに書かせて頂きました。

 葬儀の施行では 大きく分けて二つの目的を果たさねばならないと思います。一つはご遺族による故人様との最期のお別れであり、もう一つは一般の方々による故人様との告別です。通夜までが前者であり、葬儀・告別式が後者を目的にして居ります。その意味では 一般の方々は 御自身のご都合は別として 通夜への参列は避け、葬儀・告別式に会葬されるべきではないでしょうか。

 以前の日本に於ける 葬儀当日の流れは以下の様な形でした;

① 内葬礼、② 庭葬礼、③ 葬列、④ 寺内葬礼、⑤ 埋葬(火葬)

内葬礼は ご自宅での葬儀式で 最後に家族で食膳を囲みました(別れの膳、出立の膳)。

庭葬礼は 葬列を組む前に 庭で庭葬礼を行い皆さま方のお別れを受けました。ある意味では この庭葬礼が 現代の告別式の原型とも言えます。

葬列は 故人様のご遺族と関係者が それぞれの役割をになって列を組み ご遺体をお寺に移送しました。

寺内葬礼は お寺の本堂内でお経をあげて頂く最後の葬礼です。この祭礼の後に 埋葬 或いは火葬と成りました。

 今では 内葬礼と寺内葬礼がどちらか一つに収束し、庭葬礼と葬列が告別式へと変化致しました。告別用の装飾壇は お柩を運ぶ輿を原型として居り、装飾壇の前に 寺内葬礼で使用する前机を置いて、現在の宮型祭壇となりました。花祭壇は宮型の装飾壇を置き換えた祭壇となります。

 出棺前の儀礼としては 茶碗割り や 釘打ちが有ります。茶碗割りは 故人様が愛用していた茶碗を割る儀式で 故人様の死霊が戻らぬように と言う意味と、故人様はもう戻らないとご遺族が自覚する 意味を持ちます。釘打ちは 石で柩の蓋に釘を打ち止める 事で、石には死霊を封じ込める力があると信じられて居りました。又 釘のない平安時代などでは 柩を荒縄で巻いていたようです。

   今回は以上です。 

日本文化古来の神道

 今回は神道(しんとう)に付いて書かせて頂きました。

 神道は 古代日本に起源をたどる事が出来る日本独特の宗教で、日本各地の民俗信仰や自然信仰を基にし、中央・地方の政治体制とも関連しながら、自然に生まれた神観念で、時代とともに徐々に形成されてきた、八百万(やおよろず)の神をもつ多神教で、祖霊崇拝性をも 強く持つ宗教です。その神々は身近におり、地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える 守護神でもあります。神道では キリストや釈迦のような開祖は存在せず、聖書や教典も存在しません、浄明正直 (浄く、明るく、正しく、直く) を徳目とし、具体的な教義は 神社と 神社が執り行う祭から学ぶ事が出来ます。

 神道は 日本の風土や 日本人の生活習慣を基に 自然、自然現象、人物を 神とした宗教で、縄文時代を始まりとして 弥生時代から古墳時代に原型が形成されたと考えられて居ります。日本で神道 という言葉が初めて出て来るのは 日本書記の中の 用明天皇紀で、”天皇 仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまう” とあります。日本国内で独自の進化を進めていた神道は 奈良時代の 仏教伝来と共に 神仏習合がされて江戸時代末までこの状態が続きますが その間 伊勢神道を始めとして 吉田神道などの各派が 複雑な教理を作り上げて行きました。そして 神道各派の教理が 尊王攘夷思想として広まり、討幕の理論根拠となって行きました。従いまして 明治政府は神道国教化を前提として成立し、五箇条の御誓文も 国家神道の影響を受けて作られ居ります。明治政府は神仏分離を行うと共に 神道国教化を図りますが、欧米列強に対抗する為の 近代化政策上 信教の自由 を認めざるを得ませんでした。しかしながら 明治時代 西欧の近代的な宗教概念が日本に輸入され、宗教学が本格化すると 学問上 ”神道” の語が確立し、世の中に定着して行きました。

 神道の神々をお祀りする社を 神社と呼びますが、全国の神社の大部分は 神社本庁(宗教法人)が統括して居ります。文化庁の宗教年鑑によれば 日本国内で8万5千の神社が登録され、信者数は1億600万人とされて居ります。この信者数は 神社側からの自己申告ですので、地域住民を全て氏子として申告したり、参拝者 全てを氏子と計算するなどの例によるものと考えられます。

   今回は以上です。

仏教あれこれ

 今回は仏教に付いて書かせて頂きました。

 仏教は 紀元前500年頃 インド北部のガンジス川中流域で釈迦(ガウタマ・シッダ-ルタ)を開祖として起こった宗教で、キリスト教・イスラム教を合わせて世界三大宗教の一つとされます。但し 現在 信徒の数としては ヒンズ-教の次の第四位に位置します。その教えは 仏教誕生の地である ネパールの世界観 輪廻と解脱の考えに基ずき 人の一生は苦であり 輪廻の中で苦しみ続けなければならないが 修行により解脱を目指し 解脱出来れば苦しみから抜け出す事が出来る とされました。又 釈迦の思想の中には 偶像崇拝の概念は有りませんでした。

 仏教では 生前の業 や臨終の心の状態により 次の転生先に輪廻するとされます。転生先は 六道であれば 天・人・餓鬼・畜生・地獄・修羅 があるとされます。生前に良い行いを続け 功徳を積めば 次の輪廻では良い境遇に生まれ変わり、悪業を積めば厳しい境遇に生まれ変わる とされます。仏教に於ける信仰とは 他の宗教と異なり 帰依と表現され 仏教に帰依する事で、信仰対象に対する絶対服従とか 神や仏陀との契約という様な考え方は存在しません。この考え方に基ずくものが 初期仏教 或いは原始仏教と呼ばれるものです。

 これらの教えは 釈迦の入滅後 弟子たちの口伝により 広くひろまりますが、徐々に解釈が異なる様になり、上座部仏教と大衆部仏教に大きく分かれる事となります。上座部仏教の一部は スリランカに伝わり その後 ビルマ・タイなどの東南アジアに伝播して 南伝仏教とも言われました。又 紀元前後には 自身の輪廻と解脱だけではなく、積極的に一切の衆生を済度する教え 大乗仏教が起こり、この考え方が広まり アフガニスタンからシルクロード(中央アジア)を経由して中国 韓国 日本へと伝来しました。中国へは紀元後一世紀、朝鮮半島へは4世紀、日本へは538年に伝来したとされます。

   今回は以上です。 

奈良時代の仏教

 今回は奈良仏教に付いて書かせて頂きました。

 西暦538年(552年ともいわれる)に日本に伝来した仏教は 聖徳太子の庇護の下、鎮護国家の経説・儀礼として飛躍的発展を遂げます。この奈良時代に 平城京を中心として栄えた仏教の宗派を総称して奈良仏教と呼び、主なる宗派が六つ有った事から 南都六宗とも呼ばれます。その宗派は 法相宗(ほうそうしゅう)、倶舎宗(くしゃしゅう、法相宗の付宗)、三論宗(さんろんしゅう)、成実宗(じょうじつしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう)の六派です。

 中国より伝来した仏教は 律令国家 創立の為の理論として重きが置かれ、その業は 教理の研究が中心と成りました。従い 研究・勉学の場である 寺院が特定宗派を奉じる事はほとんど有りませんでした。又 当初 これらの宗派は 法相衆 や華厳衆と呼ばれて居りましたが、東大寺の大仏が完成した 748年頃から 宗の字が充てられる様になったと言われて居ります。奈良時代 仏教の学僧は 仏教の研究が主たるもので 宗教上の実践行為は 鎮護国家という理念の下で呪術的な祈祷を行うだけで、平安・鎌倉時代の様な民衆の救済活動に重きを置いた活動は行われませんでした。唐に渡り法相宗を学んだ道昭は この様な状態に飽き足らず、帰国後 日本各地に赴き 民衆と共に橋を掛けたり、井戸を掘ったりしながら、民衆への教宣活動を行ったとされます。民衆への教下活動で有名な 行基は道昭の弟子です。

 奈良仏教の主なる宗派と寺院は以下の通りです;

法相宗 開祖 道昭、大本山薬師寺・興福寺

倶舎宗 開祖 道昭、大本山興福寺 総本山東大寺

三論宗 開祖 恵灌、東大寺南院

成実宗 開祖 道蔵、元興寺(飛鳥寺) 大安寺  

華厳宗 開祖 良弁・審祥、総本山東大寺

律宗  開祖 鑑真、総本山唐招提寺

聖徳宗 開祖 聖徳太子、総本山法隆寺

真言律宗 開祖 叡尊、総本山西大寺

   今回は以上です。

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