弔事での男性の服装

 今回は弔事での男性の服装に付いて書かせて頂きました。

 

 弔事の服装は喪服を着用と言うのが一般的となって居りますが、喪服とは 本来 喪に服する人が着用する衣服です。従いまして 喪主様・ご遺族様は 喪服を着用し、通夜はもとより告別式に参加する一般会葬者の方々は 地味な服装であればよく、喪服である必要は有りません。しかしながら 現在では 故人様に対する礼儀として、あるいは 死を悼む気持ちを表わす衣服として、葬儀に参列する方々は喪服を着用する事が一般的となって居ります。通夜に参列される一般会葬者の方々も喪服を着用される方が多くなりました。ご遺族様や近親者の方は 通夜・葬儀・告別式をとおして 正式礼装で臨まれるのが本来の姿です。

 

 男性の正式礼装は 洋装であれば黒のモーニングコートです。但しモーニングコートは 昼間の礼装ですので 通夜では着用致しません。通夜では 黒の略礼服を着用します。現代では 通夜・葬儀・告別式ともに 本来は略礼服であるブラックスーツを着用することが一般的ともなりました。和装であれば 黒羽二重染め抜き五つ紋付きの着物と羽織に仙台平のはかま、帯は角帯、足袋は白か黒、草履の鼻緒は黒をとなります。

 

 黒のモーニングコートには 黒とグレーの縦縞のズボンをあわせます。ワイシャツは白、ネクタイは黒無地を着用します。ワイシャツのカフスボタンは 銀台に黒石をのせたもので 光り物は避けます、ネクタイは 黒無地を結び下げにし ネクタイピンは付けません、ベストは 黒の共布のシングルのベストで 白えりを外します、ジャケットのフロントボタンは 慶事の際は拝み合わせですが 弔事の場合は 普通の合わせにします、靴下は黒無地、靴は黒のプレーンなデザインのものを使用します。

 

 ブラックスーツは 略礼服とよばれ、日本独特の礼服として生まれました。現在では 喪主様・ご親族様。近親者・一般会葬者 いずれの方にも広く利用されて居ります。黒無地のシングル 又はダブルのスーツで、ワイシャツは白無地、ネクタイは黒無地で結び下げに、ネクタイピンは使用しません。靴下は黒無地、靴は黒のシンプルなデザインのものを使用します。カフスボタンを使用の場合は光り物を避けます。

 

 濃紺、濃いグレー、黒無地か地味なピンストライプのスーツも ダークスーツと呼ばれ略礼服として利用されます。白無地のワイシャツ、黒のネクタイ・靴・靴下を使用して 一般会葬者の礼服として利用が可能です。

 

    今回は以上です。

葬儀 金光教U

 今回は葬儀 金光教Uに付いて書かせて頂きました。

 

 金光教は 江戸時代末期の安政6年(1859年) 備中の国浅口郡大谷村で 天地金乃神(てんちかねのかみ)より啓示を受けた 赤沢文治(川手文治郎 後に金光大神)により開かれた 日本の新宗教の一つです。本部を 岡山県浅口市金光町大谷に置き、天地金乃神 と生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)を祭神として崇め、神と人とは ”あいよかけよ”の関係であると教え、信者は ”生神金光大神 天地金乃神 一心に願(ねがえ) おかげは和賀心(わがこころ)にあり 今月今日でたのめい” と日々唱えます。

 

 金光教の死生観は ”生きている間も死んだ後も 天と地は我が住処である”と教え、人間は肉体の生死を超えて天地に住いし 天地の親神のふところに抱かれ 神のみ恵みを受けて居ると教えています。そして 五感を持って認識することの出来ない霊界や死後の世界については ことさら問題にしたり 迷ったりせず、この世に生まれた私たちの生き方にこそ 生死を貫いた助かりがある と説きます。


 金光教に於いては 臨終の際の特別な定めは有りません。そして 仏教の通夜に当る儀式を”終祭(しゅうさい)といいます。終祭は 故人様の人生最後の儀式であり 祭主が死者に代わって 神に死者の生涯のお礼を申し上げ、以後の立ち行きを願うもので、いわば 死者を神に取り次ぎ その霊を神の許へ帰一させる儀式であります。終祭の次第は;

1 着座(ちゃくざ)

2 拝礼(はいれい) 一同が拝礼(一拝・忍手四拍手・一拝)する。

3 天地賛仰詞奉唱(てんちさんぎょうしほうしょう) 天地賛仰詞を唱える。

4 祭主告詞奏上(さいしゅこくしそうじょう) 一同敬礼する。柩に向かい奏上する。

5 霊璽奉遷(れいじほうせん) 

6 祭主終祭祀奏上(さいしゅしゅうさいしそうじょう)

7 祭主玉串奉奠(さいしゅたまぐしほうてん)

8 喪主喪婦玉串奉奠(もしゅもふたまぐしほうてん)

9 遺族親族玉串奉奠

10 新霊神拝詞奉唱(しんれいじんはいしほうじょう)

11 会葬者玉串奉奠

12 拝礼

13 退下(たいげ)


告別式は ご火葬を前に 遺族親族だけではなく、広く友人知人、地域社会、職場などで縁をもった人々が 故人様の死を悼み、慣れ親しんだ生前の姿に別れ告げる儀式 と位置ずけられます。その次第は;

1 着座

2 拝礼

3 天地賛仰詞奉唱

4 祭主祭詞奏上

5 祭主玉串奉奠

6 喪主喪婦玉串奉奠

7 弔辞

8 遺族親族玉串奉奠

9 新霊神拝詞奉唱

10 会葬者玉串奉奠

11 葬儀委員長玉串奉奠

12 拝礼

13 退下


金光教では 神社神道とは大きく異なり ”忌み” ”穢れ” は有りません。従いまして 神棚封じはしません、葬儀は教会の神前で営まれます、そして 忌中でも教会への参拝が勧められます。


   今回は以上です。 

 











 

葬儀 金光教

 今回は葬儀 金光教に付いて書かせて頂きました。

 

 金光教は 教派神道連合会に属する 幕末三大新宗教(天理教、黒住教、金光教)の一つで 1859年備中国浅口郡(岡山県浅口市)にて 赤沢文治(金光大神)に立教神伝の神示が下り、立教されました。祭神は 天地金乃神(てんちかねのかみ)と 生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)で その教えは 神と人とは”あいよかけよ”の関係(人が助かるには神に願い、神の助けを必要とするが、神もまた人が助かって欲しいという願いを持ち、人を助けることで神としての働きが出来るので助かっているという関係)であるとします。そして ”生きている間も死んだ後も、天と地は我が住処である”と教え、人は神から肉体とともに分霊を授けられて生きており、体の活動が停止した後 霊は 神の下へ還ると考えられて居ります。

 

 備中国地方では 古くから金神思想というものが有り、日柄方位の吉凶を重視する習慣が重んじられて居りましたが、金光教祖は もろもろの凶事は 人間の勝手気ままから生じる神への無礼が原因であり、神への願いにかなう生き方や行いをすれば、すべてが神に守られた中での生活が行える、と説きました。又 あいよかけよ の関係とともに 人はみな神のいとしご(氏子)であり、それぞれの宗教の開祖も 神のいとしごであるという考えから、他の宗教を否定しないという思想を持ちます。こうした性格から 布教活動的な言論は多く有りません。そして 金光教は 取次ぎの宗教 とも言われ 信者は 各教会の広前に設けられた結界の場に於いて 生神金光大神のてがわり(代理)となる取次者を通じて、それぞれの願い・詫び・断り・お礼を天地金乃神に伝える事により、その願い・祈りを神に届け、そして神からの助けを受けると事します。 


 金光教祖は 生死を超えて神の懐に抱かれ、安心の境地に生きることを促しました。人の死は忌むべきものではなく、葬儀も凶事とはして居りません。従って 死者の柩は神前に置かれ、葬儀は神前で営まれます。活動を停止した肉体の霊は もとの神に帰一し、その個別性を失わずに、霊を祭祀する肉親・縁者とともに生き、交流することで、真に霊としての助かりを得て、その働きをなし得ると考えられて居ります。葬儀は 神に帰一した霊と生者との 新しい関係を生み出す儀式と考えられます。


 金光教の拝礼は 一拝四拍手一拝を忍び手で行います。金光教では 四の数字を忌む一般の風習を戒め、四に よかれ、しあわせ の意味を込めて 拍手を4回と定めました。


   今回は以上です。



葬儀 天理教U

 今回は葬儀 天理教Uに付いて書かせて頂きました。

 

 天理教は 1798年大和国山辺郡三昧田村(現 天理市三昧田町)に生を受けた 中山みき が江戸時代末期の1838年に 神の啓示(おつげ)を受け、その教えを人々に伝えたのを始まりとします。世界と人間を創造した親神を天理王命(てんりおうのみこと)、教祖 中山みきを ”おやさま” と敬い、親なる神様によって人間が創造された場所 ”じば” (奈良県天理市三島町 天理教本部)を中心として 世界中の人々が 心を澄まし 助け合って仲良く暮らす”陽気ぐらし”世界の実現を目指しています。

 

 天理教では 他の宗教と違い 極楽を あの世や 死後の世界に結び付ける考えは無く、この世が極楽であるという 陽気ぐらし を提唱して居ります。天理教に於ける 死後観、霊魂観は 人間の身体は 神様からの借り物で、死 すなわち 出直しの時には 身体を神様に返し、再び生まれ変わるまで 魂は親神様のふところで生きる とされます。従いまして 死によって変はる事は 魂の居場所が代わるだけである とされます。生も死も 全ては 親神様の思し召しと守護の下になされる事で有り、良い事であるとされます。とは言え 人の死を悲しくない とするものではありません。葬儀は 悲しみの内に、霊を親神様の下に移し、残る亡骸(身体)を葬り、何時の日にか 再び新しい身体を借りてこの世に出直して来ることを願う 儀式ですが、その次第は以下の通りです;

遷霊鎮霊祭(神道の通夜祭・遷霊祭に相当)

遺族親族着席

礼拝作法案内

開式案内

−斎主斎員着席

−祓 詞(はらいど) 奏上

−大麻行事(おおぬさぎょうじ)

−遷霊の儀(せんれいのぎ)

−遷霊祭詞奏上(せんれいさいしそうじょう)

−遷 霊(せんれい)

−献 饌(けんせん)

−斎主玉串奉献 鎮霊詞奏上(さいしゅたまぐしほうけん ちんれいしそうじょう)

−斎員列拝(さいいんれつはい)

−遺族親族参列者玉串奉献

−斎主斎員退手退席

−斎主挨拶

閉式挨拶

 

発葬祭(神道の蔡場祭に相当)

遺族親族着席

礼拝作法案内

開式案内

−斎主斎員着席

−斎主玉串奉献註詞発葬詞奏上

−斎員礼拝

−遺族親族参列者玉串奉献

−斎主斎員退手退席

ー告別の儀

 

玉串奉献は 玉串を受取り、根元を祭壇側に向けて置き、祭壇に向かい二礼、四拍手、一拝、四拍手、一礼 を忍び手で行います。

 

   今回は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬儀 天理教

 今回は葬儀 天理教に付いて書かせて頂きました。

 

 天理教は 江戸時代末期に 中山みき を教祖として成立した 新宗教の一つです。天理教の神名(かみな)は 天理王命(てんりおうのみこと)、教祖の中山みきは ”おやさま”として その魂は現世に生きており、人々の暮らしを見守り続けているとされます。人の身体は 神様から貸し与えられたものとされ、その葬儀の目的は 故人様の魂を 古い身体から 親神様の下へ移し、残った亡骸(身体)を葬り、早い機会に新たな身体を神様よりお借りし この世に出直し帰ることを願う 儀式とされます。

 

 天理教では 信者の方が亡くなることを ”出直し” と言います。人の魂は永遠のものであり、その器である身体は親神様から借用したものであるとされます。従いまして 人が死ぬことで お借りしていた身体を 親神様へお返しし、永遠の魂は霊様として 親神様に一時 お預かり頂き、新しい身体が見つかれば、再び親神様にお預かり頂いた魂と 新しい身体でこの世に生まれ変わる、即ち 出直す こととなります。天理教では 死というものは 恐ろしいものではなく、新たな出発であるとされます。

 

 天理教では 葬儀の形式にはあまり厳密な次第を設けては居りませんが、明治時代に 教派神道十三派に属されたことから 神葬祭を基本とした形式をとって居ります。又 天理教の教理は ”世界中の人々が心を澄まし、仲良く助け合う人間本来の生き方 陽気ぐらし” であることから、その中心は現世の過し方にあり、死後の世界に付いては余り深く言及をして居りません。天理教では信者であっても 墓地などの関係で事情が有る場合は他の宗教で葬儀を営むケースを許して居り、個人の自由に任せているのが実情の様です。

 

 天理教では 仏教の通夜式にあたるものが 遷霊鎮霊祭、葬儀式にあたるものが 発葬祭として執り行われます。玉串奉奠の作法は 玉串を受取り、玉串を持ったまま二礼、祭壇側に根元を向けて置き、四拍手、一拝、四拍手、一礼 を忍び手で行います。

 

   今回は以上です。

 

葬儀 日蓮正宗

 今回は葬儀 日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)に付いて書かせて頂きました。

 

 日蓮正宗は 日蓮大聖人の高弟六老僧の一人である 日興を開祖とする 仏教の宗派の一つで 日蓮大聖人を宗祖、本仏として仰ぎ、総本山を静岡県富士宮市上條の 多宝富士大日蓮崋山大石寺(たいせきじ)(本尊;本門戒檀の大御本尊、開基;日興)とします。その教えは 御本尊(曼荼羅)に向かって”南無妙法蓮華経”の題目を唱えることにより、いかなる人も仏の境界に至ることができる と説きます。又 その葬儀式は 今生を終えた故人の即身成仏を願う儀式 とされます。

 

 日蓮正宗 開祖の日興は 1246年 甲斐の国大井庄鰍沢(現在の山梨県富士川町鰍沢)に誕生し、12歳で富士岩本の実相寺へ入室します。その後 ”立正安国論”の執筆に際し 実相寺に入った日蓮大聖人の弟子となり、日蓮の伊豆配流(伊豆流罪)や 佐渡配流に同行し常随給仕をしたとされます。そして 日蓮の高弟六老僧の一人となりますが、日蓮大聖人 入滅後 日興は他の五人の老僧と考えが大きく異なることや、身延の地頭・波木井実長との意見の相違などから 身延山を降り、越前や富士河合に逗留した後 駿河の国上野郷の南条時光の寄進により大石寺を建立しました。

 

 日蓮正宗は 釈迦説法を末法の世に合う教えではないとして、日蓮大聖人こそ本仏であるとする日蓮本仏論の立場をとり、宗祖(日蓮大聖人)を本仏と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を信じて題目を修行しさえするならば、どんな者でも必ず一生の内に成仏できる として居ります。色々な宗派により 様々な戒律が説かれますが、日蓮正宗の戒は 捨悪と 持善であります。

 

 葬儀式の次第は 日蓮正宗の日常勤行とほぼ同じで、1 喪主・親族・会葬者 着席、2 僧侶出仕、3 題目三題、4 読経 ”方便品、寿量品”、5 焼香、6 弔辞・弔電 披露、7 読経 ”自我偈”・題目、8 観念文、9 僧侶退出。式は ”導師・喪主・その他弔問客も一体となって故人の即身成仏を心より願い、大御本尊の御威光に照らされて霊山浄土に向かえるよう祈念する” もので、引導は特に有りません。日蓮宗では 日蓮大聖人は ”法華経に帰依することが持戒にまさる” と説いたため、仏弟子としての名を戒名と言わず 法号といいますが、日蓮正宗では ”御受戒” があり ほとんどの場合は 死亡した時に 戒名が与えられます。又 死装束において三角巾や六文銭は用いません。

 

 日蓮正宗の 焼香は 額に押し頂いて 三回を原則とします。

 

   今回は以上です。 

葬儀 日蓮宗U

 今回は葬儀 日蓮宗Uに付いて書かせて頂きました。

 

 日蓮宗は 鎌倉時代 1222年に安房の国長狭郡(現在の千葉県鴨川市)に生を受けた日蓮大聖人により起こされました。その葬儀式の本義は 故人様を霊山浄土(りょうぜんじょうど)に導くことにあります。霊山浄土とは インドの霊鷲山(りょうじゅさん)を指し、久遠実成(くおんじつじょう)の仏である釈尊は 現在も霊鷲山で法華経を講じているとの信仰にもとずきます。葬儀式では ”南無妙法蓮華経”を中心に 仏・菩薩・明王・天・神の名前が書き込まれた ”十界曼荼羅” をご本尊として掲げます。日蓮宗の総本山(祖山)は 身延山妙法華院久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町、本尊;三宝尊、開山;日蓮)、そして 宗務院として 長栄山大国院本門寺(東京都大田区池上、本尊;三宝尊、開山;日蓮)がおかれて居ります。


 故人様 ご臨終の際の枕経 及び通夜は 基本的に日常勤行と同じで 勧請、開経偈、読経、祖訓、唱題、宝塔偈、回向、四誓、題目三題が行われます。日蓮宗では読経(どっきょう)と言い ”方便品(ほうべんぽん)” ”自我偈(じがげ)”などが読まれます。枕経の際は仏壇の前か、十界の曼荼羅をかけた前で 営みます。通夜の場合は営みの後に通夜説教 又は祖訓の解説が行われます。そして 湯灌 及び納棺では南無妙法蓮華経を唱題しながら行います。


 葬儀式は 日常勤行の形に 声明曲が加わり、引導が行われます。その次第は;

1 入堂(にゅうどう)

2 開式の辞(かいしきのじ)

3 総礼(そうらい) 僧侶、参列者全員が合掌して唱題三遍し礼拝する。

4 道場偈(どうじょうげ) 諸仏諸尊を勧進(招く)する声明曲。

5 三宝礼(さんぽらい) 仏法僧の三宝を礼拝する。立ったり座ったりするので起居礼(きこらい)という。

6 勧請(かんじょう) 久遠釈尊をはじめ四菩薩、諸仏諸尊、日蓮大聖人等を招く。

7 開経偈(かいきょうげ) 読経の前に唱えるもので法華経の功徳を讃え、この教えを何時までも受持する事を誓う。

8 読経(どっきょう) 方便品など法華経の中の肝要な諸品を拝読する。

9 咒讃鐃(しゅさんにょうはち) 唄をうたい、器楽を演奏して諸仏を供養。咒讃は声明曲の一つ、その後に鐃(銅鑼 どら)とを演奏する。(導師が一人の場合は省略)

10 開棺(かいかん) 引導の前触れとして行い、迷いを転じて悟りにはいることを予告する意味をもつ。

11 献供(けんく) 茶湯、霊膳、献華、水供と 極上の美味を献上する式。事前にお供えし省略する場合も有り。

12 引導(いんどう) 導師は柩前に進み、払子(ほっす)を三振りし、焼香を三回した後に引導文を読み上げる。霊山往詣の安心を説き、故人の一生の行績を語り、法号の由来を述べ、法華経信仰をもつことの尊さを讃嘆する。故人の徳を讃える部分を”歎徳(たんとく)”という。

13 弔辞・弔電(ちょうじ・ちょうでん)

14 読経(どっきょう) 自我偈など法華経の中の肝要な諸品を拝読する。焼香に入り 16の唱題までに終える。

15 祖訓(そくん) 日蓮大聖人の遺文を拝読する。省略されることも多い。

16 唱題(しょうだい) 参列者全員で霊山往詣を念じ、一心に南無妙法蓮華経と唱える。

17 宝塔偈(ほうとうげ) 回向の前に唱える偈文で、法華経受持の功徳を讃嘆する。

18 回向(えこう) 法要の功徳をめぐらして、現世安穏後生善処 を祈念する。

19 四誓(しせい) 回向の次に唱える文で、人々を救う誓いの言葉を唱える。

20 三帰(さんき) 三宝に帰依し、仏道に精進することを誓う声明曲。

21 奉送(ぶそう) 諸仏諸尊をお送りする声明曲(起居礼 きこらい)。

22 閉式の辞(へいしきのじ)

23 退堂(たいどう)

 日蓮宗の焼香は 香を親指と人指し指ではさみ 額の高さにおしいただいて 香炉にくべ、三回繰り返します。基本的には三回ですが 地域のしきたりや 時間の関係により一回と指定される場合も御座います。


   今回は以上です。

 

葬儀 日蓮宗

 今回は葬儀日蓮宗に付いて書かせて頂きました。

 

 日蓮宗は 鎌倉時代中期に 日蓮聖人(1222年−1282年 諡号 日蓮大菩薩、立正大師)により起こされた仏教の宗派の一つで 日蓮法華宗とも称しました。その教えは 法華経(妙法蓮華経)が釈迦の正しい教えであるとし、南無妙法蓮華経 という題目をとなえる(唱題)ことにより、滅度後の衆生は救済される と説かれます。その葬儀式は 日蓮聖人の ”法華経を信じ、南無妙法蓮華経の題目を受持する者は、必ず 霊山浄土に往径することができる” という言葉を信じて営まれます。

 

 日蓮宗の葬儀式は 故人様に 穏やかにこの世を離れ、新たな世界に清々しい気持ちで旅立っていただく為に営まれます。故人様に対して 生死の二法を明らかにし、法華経信仰を通して 釈尊 日蓮聖人との関係に於ける安心(あんじん)を説き、過去・現在・未来の三世にわたり 法華経を護持することを勧め、霊山浄土へ導くことを眼目として居ります。霊山浄土とは インドの霊鷲山(りょうじゅさん)を指し、釈尊は今尚 そこで法華経を講じている久遠実成(くおんじつじょう)の仏でであるとされ、その釈尊の下え故人様をお送りする儀式が葬儀式であります。 日蓮宗の本尊は 久遠実成の本師 釈迦牟尼仏であり、その永遠の釈尊の慈悲と救いを表わすのが 大曼荼羅であります。大曼荼羅は 日蓮聖人が 久遠の仏さまがお悟りになった世界を文字で表わしたもので、中央に南無妙法蓮華経の宝塔が輝き、その左右にお釈迦と多宝如来が座られ、地湧の菩薩や十界の代表も列座に連ねられたものです。法会の中心には本尊として大曼荼羅が掲げられます。法華経の世界の再現が法会であり、葬儀は故人様 最後の聞法修行の機会であるとも理解されますので、大曼荼羅が大切な位置を占めることとなります。

 

 尚 南無妙法蓮華経 という題目を唱えると言いますが、題目は経典の表題を唱えることに由来します。

 

   今回は以上です。

葬儀 曹洞宗U

 今回は葬儀 曹洞宗Uに付いて書かせて頂きました。


 曹洞宗は 鎌倉時代に道元禅師により 中国から日本に伝えられた禅宗です。道元禅師は自らの教えを”正伝の仏法”であるとしてセクショナリズムを否定しました。弟子達には自ら宗派名を称することを禁じ、禅宗の一派として見られることにも拒否感を示し、どうしても名乗らなければならない時のみ 仏心宗 と称するよう示したと伝えられます。禅師の入滅後(死後) 次第に禅宗を標榜する様に成り、第四祖・第五祖の頃から曹洞宗を宗派の呼称として用いる様に成りました。鎌倉・室町時代には 臨済将軍曹洞土民 と言はれ、臨済宗が時の中央武家政権の庇護を受け 政治・文化的に重んじられたのに対し、曹洞宗は 地方武家・地方豪族・下級武士・一般民衆の間に広まりました。大本山は 福井県吉田郡永平寺町の 吉祥山永平寺(開山;道元、本尊;釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来)と 神奈川県横浜市鶴見区の 諸嶽山総持寺(開基;行基、本尊;釈迦如来)の 2山があります。その葬儀は 故人様を偲び・讃え、ご遺族を労り・慰める為に 営まれるものとされます。


 故人様 ご臨終の際は 臨終諷経(りんじゅうふぎん、枕経)として、臨終者の枕元で 仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)、又は 舎利礼文(しゃりらいもん)を読み、回向を唱えます。通夜では 僧侶が 葬送の辞 を述べ、修証義(道元禅師の主著 正法眼蔵 の内容を解り易く編集した書)や舎利礼文などを適宣 読み、最後に回向を唱えます。最後に説法が行われます。


 葬儀式の次第は;

1 入堂(にゅうどう)

2 剃髪(ていはつ) 導師は香をたき合掌して 流転三界中 を三唱。柄を紙でまいた剃刀を香に薫じ、両手の親指と人差し指の間に挟んで合掌。剃除鬚髪‥‥くぎよう寂滅 と三唱の内に剃刀を髪にあてる。(男性の場合は下顎にも)。

3 授戒(じゅかい) 懺悔、三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒、血脈授与から構成される。悪業を懺悔し、身・口・意の三業を懺悔して清浄を得たので三宝に帰依し、仏の戒め 法を守り 世の為に尽くすという 三聚浄戒を授かり、不殺生などの十重禁戒を授かり、仏弟子に入る血脈を授かる という流れになります。

4 入棺諷経(にゅうかんふぎん) 大悲心陀羅尼 を読み、回向を唱える。

5 龕前念誦(がんぜんねんじゅ) 故人の死に当たり、諸仏のみ名を唱え、その功徳が故人の悟りえの道をより美しいものにすることを祈念する意味の念誦を唱え、十仏名を唱え、舎利礼文を読み、回向文を唱える。

6 挙龕念誦(こがんねんじゅ) 維那(儀式をリードする僧)の発声により 大宝楼閣陀羅尼 が読まれ、チンドンチャンと鼓三通する。

7 引導法語(いんどうほうご) 導師が自作の悟りの心境を表わす漢詩を法語として唱える。このとき法炬(たいまつ)を香の薫じ、右回り、左回りに円を描く。故人を一挙に仏世界(悟り)に導く。

8 弔辞(ちょうじ)

9 弔電(ちょうでん)

10 山頭念誦(さんとうねんじゅ) 故人は仏弟子となったので、一路涅槃に入り、仏性の覚醒を助けてくれることを祈願する。ここでご遺族の焼香を行う。

11 回向(えこう) ここで会葬者は焼香を行う。回向に続いて 修証義 などを読誦し、最後に送棺回向を唱える。

12 鼓三通(きはつさんつう)

13 散堂(さんどう)

   退場

 曹洞宗の葬儀に於ける焼香は 数珠を左手にかけ、右手の親指、人指し指、中指の三本で抹香をつまみ、そのまま 右目の高さまでささげ、香炉の中に落とします。回数は二回が基本ですが、地域のしきたりによっては異なる場合が御座います。線香焼香の場合は 一本の線香にロウソクで火をつけ、香炉に立てます。


   今回は以上です。 



葬儀 曹洞宗

 今回は葬儀 曹洞宗(そうとうしゅう)に付いて書かせて頂きました。

 

 曹洞宗は 日本に於ける禅宗の一宗派で 鎌倉時代に宋で修学した道元禅師(諡号(しごう) 仏性伝東国師、承陽大師)により伝えられ、専ら座禅に徹する 黙照禅であることを特徴として居ります。曹洞宗の教義では 浄土はなく、成仏以前という考え方も有りませんので、授戒と引導が葬儀式の中心となります。又 葬儀式は 故人様を偲び、讃えることであり、ご遺族をいたわり、慰める為に営むものとされて居ります。

 

 曹洞宗の檀信徒用の葬儀儀礼次第を示した 檀信徒喪儀法では 僧侶(特に修行途中の僧侶)の葬儀を簡略化して作られて居ります。その中心に置かれているのが 授戒(戒を授けて仏弟子にすること)と 引導(仏世界に入らしむること)です。曹洞宗の教義は ”正伝の仏法” を伝統とし、南無釈迦牟尼仏 として釈迦を本尊と仰ぎ、”即心是仏”の心をもつて、主に座禅により働きかけます。日本の曹洞宗の座禅は 中国禅の伝統と異なり教義をたてます。即ち ”修証一如”(無限の修行こそが成仏である)という道元禅師の教えに基ずいて”只管打座(しかんたざ)”(ひたすら座禅すること)をもっぱらとし、座禅による悟りによって仏性を自覚するところに信仰の中心があります。ただひたすら座禅することにより釈迦の悟りに到達し、自己と大宇宙が一つになる ”即心是仏(そくしんぜぶつ)”を説きます。本来は生前に仏教徒として授戒すべきですが、それが出来なかった人にも これを及ぼすため 葬儀式の授戒、引導により悟り(仏世界)に入らしむる訳です。又 肉親の死により悲嘆にくれるご遺族に、故人様もまたこうして仏の慈悲により救済され、仏の世界に入れることを 葬儀式で示して、慰めを与えることとなります。


 生前に戒を授かる授戒会(じゅかいえ)は 通常 七日間 お寺に籠り、座禅し 洒水灌頂(しゃすいかんじょう)を受け 法話を聞き 自らの悪業を懺悔し 捨身供養し 戒法を受けて 仏弟子としての血脈を授けられることで終わります。


   今回は以上です。



葬儀 臨済宗U

 今回は葬儀 臨済宗Uに付いて書かせて頂きました。

 

 臨済宗は 中国禅宗五家(臨済、仰(いぎょう)、曹洞、雲門、法眼)の一つで、日本には 鎌倉時代に中国 宋に渡り 修学した 栄西禅師(千光国師)により始めて持ち込まれ、その後 何人もの僧侶により 日本に伝えられ、様々な派が成立しました。栄西禅師は 帰国後 紆余曲折の後 鎌倉幕府の支持を得て、二代将軍 源頼家の庇護の下、京都に建仁寺を建立して 布教活動を行いました。その教えは 師から弟子への悟りの伝達を重んじ、釈迦を本師釈迦如来大和尚 インドから中国へ禅を伝えたとされるボーディダルマを初祖菩提達磨大師 中国 宋の臨済禅師を宗祖臨済大師と呼んで崇拝しております。

 

 臨済宗の臨終の儀式は 枕経諷経(まくらきょうふぎん)と言い、観音経・大悲呪(だいひしゅう)などが 読まれた後に 菩薩の4っの誓いである 四弘誓願(しぐせいがん)が読まれます。通夜の儀式は 通夜諷経と呼ばれ、夜を通して死者の冥福を愛惜の念を込めて祈り、観音経・金剛経が読まれた後に 四弘誓願が読まれます。尚 諷経とは 声を揃えて経文を読むこと を意味します。

 

 葬儀式に於ける 一般的な授戒以降の次第は以下の通りです;

1 授戒(じゅかい) 故人様を剃髪し、授戒し、釈迦牟尼仏の弟子にする。剃髪偈を 剃刀を持って唱え、悪行を懺悔し清らかな身・口・意による入滅を願う 懺悔文、仏・法・僧に帰依して信心のまことを捧げる 三帰戒文を故人様に代わって唱え、その後 五戒・三聚浄戒・十重禁戒を授ける。

2 入龕諷経(にゅうがんふぎん) ご遺体が棺に入るときに行う。大悲呪を読み、回向文を唱える。

3 龕前念誦(がんぜんねんじゅ) 本来は葬儀式の前夜に行う。故人様のために諷経し、故人様が悟りを得ることを願って営むことを明らかにする龕前念誦を唱え、十仏名を唱和し、大悲呪を読み、回向文を唱える。

4 鎖龕諷経(さがんふぎん) 柩に蓋をして閉ざすときに行う。大悲呪を読み、回向文を唱える。

5 起龕諷経(きがんふぎん) 出棺に際して行う。大悲呪を読み、回向文を唱える。

6 葬列(そうれつ) 遺族・親族・故人様の関係者が柩に伴い、葬列を組んで寺に移動し、これを一般の会葬者は見送る。往生咒が読まれ、チン(いんけい) ドン(たいこ) チャラン(はち)を鳴らしながら進む。

7 山頭念誦(さんとうねんじゅ) 山は元来 寺や火葬場を表わす。本来は火葬 又は土葬に際しての念誦と考えられます。

8 引導法語(いんどうほうご) 引導は 苦海の衆生を大悟の境界に引き導く こと。授戒と共に葬儀式の中心となります。

臨済宗の焼香は 額にいただかずに一回が一般的ですが、宗派や地域によっては 二回、三回の場合も御座いますので、ご導師に確認する事をお薦め致します。

 

   今回は以上です。

葬儀 臨済宗

 今回は葬儀 臨済宗に付いて書かせて頂きました。

 

 臨済宗は 千光国師(栄西 1141〜1215年)を宗祖と仰ぎ、法の精神は 文字で伝える事は出来ないという ”不立文字(ふりゅうもんじ)”の伝統をもつ 禅宗の宗派です。その葬儀は 死者を大悟の境地に導くことを目的として居ります。端的には 死者が仏弟子となり、修行の道に入り、自己の仏性に目覚めることを願う儀式 です。したがって 死者を仏弟子とする為の授戒と、仏性に目覚めさせる為の引導が 葬儀式の中心となります。

 

 臨済宗は多くの派に分かれて居り、代表的な 建仁寺派や東福寺派を含み15の派からなりたって居ります。臨済宗の葬儀式次第としては 特に定められた葬送儀則はなく、各派本山、僧堂、僧侶が個別に 慣例による儀則を作り 執り行われて居りますが、基本的には江戸時代に作られた 清規 を基にして居ります。

 

 葬儀式には 人間は仏の世界から見れば まだまだ修行が不足した存在であるから、縁が無くて この世で修行ができなかったにしろ、この後 仏の世界に縁を結んで、亡くなった後でも 仏弟子として修行に励んで欲しいとの 願いが込められて居ります。又 これによって ご遺族は 亡き人の最後をきちんとしてあげ、故人様の安心(あんじん)を願うと共に、葬儀式を営むことを通して 故人様と共に平静な心(安心)を得、故人様に報いようと自ら促されます。

 

 葬儀式次第は 導師さまにより異なりますが、一般的には 龕前念誦(がんぜんねんじゅ、棺の前でお経をあげる)、鎖龕念誦(さがんねんじゅ、棺を閉ざしてお経をあげる)、起龕念誦(きがんねんじゅ、お経をあげて出棺)、葬列(そうれつ、葬列を組み寺院へむかう)、山頭念誦(さんとうねんじゅ、寺院でお経をあげる)‥‥と昔の葬儀の一連の流れを追う形で行われます。

 

 引導法語は 四六文と言われる形式を用いて漢詩文で書かれるのが普通で、漢詩作法にのっとり、禅の宗旨、生死の安心を示し、故人様の生涯や戒名の意味 を示すなど 様式に従って 導師様の修行を背景として作られます。

 

   今回は以上です。

葬儀 浄土真宗V大谷派

 今回は葬儀 浄土真宗大谷派に付いて書かせて頂きました。

 

 真宗大谷派は 浄土真宗の宗派の一つで 親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、京都市下京区烏丸通り七条の真宗本廟(通称 東本願寺)を本山とします。大谷派、大派、谷派 と略称され お東さん とも通称されます。1602年 顕如上人の長男 教如上人が徳川家康より 烏丸七条に土地を拝領し 真宗本廟を建立して分派しました。明治14年の 宗教団体法により 宗派名が真宗大谷派と定まりました。尚 東京台東区の 浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 を本山とする 浄土真宗東本願寺派は 1981年に真宗大谷派から 離脱・独立した 別の宗教法人です。

 

 真宗大谷派の葬儀式は 棺前勤行 と葬場勤行からなる ”葬儀式第一”と 告別式形式の ”葬儀式第二”があります。その次第は以下の通りです;

1 葬儀式第一

 1−1 棺前勤行

  (1) 総礼(そうらい) 導師・衆僧が合わせて合掌・蹲踞・起立・蹲踞する礼をなすこと。

  (2) 勧衆偈(かんしゅうげ) 帰三宝偈と同じ。

  (3) 短念仏十遍(たんねんぶつじゅっぺん) 

  (4) 回向(えこう) 我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水‥‥ (十二礼 より)。

  (5) 総礼(そうらい)。

  (6) 三匝鈴(さんそうりん) 三匝の鈴(鈴をきざんで小から大へと打ち上げ、あるいは大から小へと打ち下げる)を打ち出す。

  (7) 路念仏(じねんぶつ) 葬列の際に詠唱するもので 南無阿弥陀仏 4句を1節とする念仏で独特の節回しがある。

 1−2 葬場勤行

  (8) 三匝鈴(さんそうりん)。

  (9) 路念仏(じねんぶつ)。

  (10) 導師焼香(どうししょうこう) 導師焼香のときに総礼。

  (11) 表白(ひょうびゃく) 葬儀式の趣旨を簡略に述べる文。

  (12) 三匝鈴(さんそうりん)。

  (13) 路念仏(じねんぶつ)。

  (14) 弔辞(ちょうじ)。

  (16) 正信偈(しょうしんげ)。

  (17) 和讃(わさん) 本願力あひぬれば、むなしくすぐる人ぞなき‥‥。

  (18) 回向(えこう) 願以此功徳‥‥。

2 葬儀式第二

  (1) 総礼(そうらい)。

  (2) 伽陀(かだ) 先請弥陀入道場‥‥。

  (3) 勧衆偈(かんしゅうげ)。

  (4) 短念仏十遍(たんねんぶつじゅっぺん)。

  (5) 回向(えこう)。

  (6) 総礼(そうらい)。

  (7) 三匝鈴(さんそうりん)。

  (8) 路念仏(じんねんぶつ)。

  (9) 三匝鈴(さんそうりん)。

  (10) 導師焼香(どうししょうこう) 導師焼香の時に総礼。

  (11) 表白(ひょうびゃく)。

  (12) 三匝鈴(さんそうりん)。

  (13) 弔辞(ちょうじ)。

  (14) 正真偈(しょうしんげ)。

  (15) 短念仏(たんねんぶつ)。

  (16) 三重念仏(さんじゅうねんぶつ)。

  (17) 和讃(わさん)。

  (18) 回向(えこう)。

  (19) 総礼(そうらい) 弔電代読。

焼香は 額に押し戴かず 一回となります。


   今回は以上です。 

      


葬儀 浄土真宗U

 今回は浄土真宗の葬儀式に付いて書かせて頂きました。

 

 浄土真宗の葬儀式は ご遺族やご縁故の方々が集まり 故人様を偲んで共に読経念仏して 尊い仏縁にあうという大切なご縁であると共に 亡き人に永遠の別れを告げる葬送儀礼でもあります。華美になることなく、又 見栄や外聞にとらわれることなく、阿弥陀如来のおはたらきによって お念仏をいただかれて お浄土へ還られた故人様を偲びながら、人生における生と死の問題にしっかりと目を向け、浄土真宗に相応しい葬儀式でありたいものです。世間には 葬儀にまつわる様々な 風習や世俗の迷信・俗信がありますが、浄土真宗では それらに振り回される事無く、簡素な葬儀でなければ成りません。

 

 臨終勤行である 枕経では ご本尊の前にご遺体を安置し勤行を行います。本願寺派では 阿弥陀経を読経し、念仏し、和讃、回向を行います。故人様が帰敬式・法名を受けていない時は、おかみそり・法名を枕経の段階で授けます。

 

 通夜勤行は 本願寺派では枕経と同じですが 最後に法話が行われます。通夜の前にご納棺を行いますが、このとき 棺の蓋の内側に 棺書(名号、命日、法名、年齢 等)を書くことが有ります。

 

 本願寺派の葬儀式次第は以下の通りとなります;

1 偈文(げもん)  帰三宝偈

2 念仏(ねんぶつ) 短念仏(ナムイダ あるいは ナンダム)

3 回向(えこう)  

4 お別れの言葉  弔辞に当りますが、死者を讃えるのではなく ”お浄土より我々を照覧して お導き下さい”という言い方を主とします。

5 三奉請(さんぶじょう) 法要を始めるに当たり、阿弥陀如来、釈迦如来、十方如来あるいは諸菩薩衆に入場を請う偈。

6 正信偈(しょうしんげ) 親鸞聖人の”教行信証” に付せられた120句からなる偈。

7 念仏(ねんぶつ) 短念仏。

8 和讃(わさん) ”本願力あひぬれば、むなしくすぐる人ぞなき‥‥。

9 回向(えこう) 

 

 ご遺体を火葬する時に行うのが 火屋勤行で 偈文(重誓偈)、念仏、回向となります。ご収骨のさいに行うのが 収骨勤行で 偈文(讃仏偈)、念仏、回向となります。

焼香は一回 額にはいただきません、香を香炉にくべる前に合掌はせず リンをならしたりもしません。線香を供える際は 一本の線香を 二つ あるいは三つに折り、火を点けた後に 線香を横に寝かせて供えます(寝線香)。

 

   今回は以上です。

 

 

 

 

 

葬儀 浄土真宗

 今回は葬儀 浄土真宗に付いて書かせて頂きました。

 

 浄土真宗は 親鸞聖人を宗祖と仰ぐ仏教の宗派ですが、絶対他力 平生業成を基本とし、全ての人が 阿弥陀如来の慈しみの世界(浄土)に納め取られ 仏と成る と教えます。人の往生、成仏は 阿弥陀如来のひとり働きによるのみで 普段にご信心をいただいているならば 浄土往生と成仏は平生に約束されていることなので 死者のために 成仏を祈る必要はない とされます。従いまして 浄土真宗の葬儀は ご遺体に対してではなく、ご本尊 阿弥陀如来の 仏徳を讃嘆し、故人様を偲びつつ、報謝のまことをささげる儀式となり、他宗派の葬儀で行う 授戒と引導は行いません。

 

 浄土真宗の葬儀では 日常勤行がそのまま移行する形で葬儀式が形成されます。従い 浄土真宗各派(10派、その中で大きな派は 本願寺派(西本願寺)と 大谷派(東本願寺)の二つ)の葬儀の違いは 各派の日常勤行の違いを表わしております。葬儀の目的は各派とも大きな相違は御座いません。

 

 浄土真宗の葬儀が 他宗派と大きく異なる点は 授戒と引導を行わないと共に 回向の意味合いです。通常 回向は ”私達の功徳を死者にめぐらし差し向ける”ことにありますが、浄土真宗では 死者に対する回向は無く、”仏から頂く功徳を仏の本願によって人々におよぼしていただけることを喜ぶ”となります、人間には他に分かち合うだけの功徳が備わっていないと考えるからです。

 

 更に 浄土真宗では 往生即成仏ですので 死出の旅路に必要とされる 死装束は不要となります。霊も認めていません。中陰に付いても 供養をしなければ成仏出来ない とする考えは有りません。穢れを清めると言う考えも有りませんので 浄めの塩も不要で、むしろ失礼にあたると考えます。

 

 浄土真宗に於ける 葬儀式は 死者は死という事実を身をもって示し、私たちに死を迎える用意が出来ているかを無言の内に教えているにであるから、これを機縁としてご本尊 阿弥陀如来に対して 報恩感謝し、仏の教えを学ぶ 聞法 の場であると位置付けております。


 浄土真宗の葬儀に際して 使用しない言葉は以下の通りです;

ご霊前−   ご仏前・ご尊前

祈る−    念じる・お念じ申し上げます

冥福を祈る− 哀悼の意を表します

戒名−    法名

魂ー     故人

ご回向を頂く− おつとめを頂く・読経を頂く

引導をわたす− おかみそりを行う

安らかにお眠り下さい− 私たちをお導き下さい

幽冥境を異にする− 御仏の国に生まれる

天国に昇天する− お浄土に生まれる

草ばのかげー お浄土・み仏の国


   今回は以上です。


 

葬儀 浄土宗U

 今回は前回に引き続き葬儀浄土宗Uに付いて書かせて頂きました。

 

 浄土宗では 臨終行儀を大切にしてきた伝統から枕経を重視して居り、このときに授戒するのが基本とされて居りました。しかし 現在では 枕経は 来迎仏をあげて念仏だけで良い と変化し、授戒は通夜のときに行うのが一般的となっております。

 

 浄土宗に於ける葬儀式は 堂内式と称します。その次第は以下の通りです。但し 葬儀式をご自宅で行う場合は 省略される部分も御座います;

序分(諸仏をお迎えし、讃嘆し、仏前で懺悔する部分)

1 洪鐘(こうしょう) 法要があることをご案内。

2 法鼓(ほうこ) 法要の開始準備をご案内、ご遺族・参列者 入堂。

3 喚鐘(かんしょう) 導師・式衆 入堂。

4 作相(さそう) 威儀を整える。

5 香偈(こうげ) 香を焚き、清らかな心になることを願う。

6 三宝礼(さんぽうらい) 仏・法・僧の三宝に礼をする。

7 奉請(ぶじょう) 諸仏の入場をお願いする。

8 懺悔偈(さんげげ) 迎えた仏、菩薩に対し自己の罪業を懺悔する。

正宗分(仏の説法を聞き 念仏し その功徳を回施する部分)

9 転座(てんざ) 向きを本尊から柩に変える。

10 作梵(さぼん) 転座する際に梵語の 四智讃を唱える。

11 合はち(がっぱち) はちを鳴らす。

12 鎖龕(さがん) 棺を閉ざす儀式。

13 起龕(きがん) 葬場へ赴くために柩を起こす儀式。

14 奠湯(てんとう) 葛湯を霊前に供養する儀式。

15 奠茶(てんちゃ) 茶を霊前に供養する儀式。

16 霊供(りょうぐ) 仏飯を霊前に供える。

17 念誦(ねんじゅ) 念誦僧が節をつけて唱えること。

18 下炬(あこ) 二本の松明を持ち、1本を捨て、残りの1本で一円を描き、下炬引導文を述べる。捨てるのは 厭離穢土(えんりえど)の意味、一円を描くのは欣求浄土(ごんぐじょうど)の意味を表す。終えると同時に松明を捨てて 十念を授ける。

19 弔辞(ちょうじ) 弔辞がある場合は ここで拝読。

20 開経偈(かいきょうげ) 誦経に際して 教えの真義を体得することを願う。

21 誦経(ずきょう) 四誓偈か仏身観文を読経、この間に焼香。

22 摂益文(しょうやくもん) 念仏を唱える者は皆仏に守られる との偈。

23 念仏一会(ねんぶついちえ) 救われる幸いを喜び、感謝し、数多く念仏を唱える(この間に向きを柩から本尊に変える)

24 回向(えこう) 死者の霊に誦経・念仏の功徳を捧げる。

25 総回向(そうえこう) 誦経・念仏の功徳を一切のものに振り向け、往生を願う。

流通分(誓いを新たにして仏をお送りする部分)

26 総願偈(そうがんげ) 仏道修行の四願を誓い、成就を念じ往生を願う。

27 三身礼(さんじんらい) 阿弥陀仏への帰依を表明する。

28 送仏偈(そうぶつげ) 諸仏諸菩薩を心からお送りする。

29 退堂(たいどう)

焼香は 仏や亡き人にご自分の真心をささげて供養すると共に 自らの身心を清らかにする為に 焚きます。

焼香をする際には 香炉の前に姿勢を正して合掌し、一礼した後、香合のお香を右手の親指、人差し指、中指の3指で軽くつまみ、その手を仰向けにし、この右手に左てを添えて、これを恭しく額の高さまで持ち上げ、そして 香炉の炭の上にくべます。くべ終わりましたら 再び合掌をして 最後に一礼します。焼香の回数は特に拘りません。

 

   今回は以上です。

葬儀 浄土宗

 今回は葬儀 浄土宗に付いて書かせて頂きました。

 

 浄土宗は 法然上人を宗祖と仰ぎ その教えは ただひたすらに仏に帰依すれば必ず救われる とし 南無阿弥陀仏 を口に出して唱えれば、必ず仏の救済を受けて平和な毎日を送り、浄土へ生まれ帰ることができる という 他力のおしえをひろめています。浄土宗の葬儀は 故人様を仏の弟子として 仏の本願により阿弥陀仏の下である極楽浄土に往生することを教え導き、本来の住処 生命の根源である極楽浄土へ立ち戻る凱旋式として行うとも考えられます。

 

 浄土宗では 生きていると言う事は 死に向かっている事で有り 人間を含めた生物は この世に生を受けた瞬間から必ず死を迎えること それを定めとして生活している と説きます。古い時代には 人の寿命も短く 医療も十分でない中で 死は身近な出来事でも有りました。その様な中で育まれた 習慣やしきたりから 現代の葬儀式があります。浄土宗の葬儀式では 故人様を極楽浄土へお見送りすると共に 参列された方々にも 、深い悲しみの内にも自らの死の意味を問い、清浄な心で仏の教えに耳を傾け、授戒し新しく仏の弟子となった 故人様と共に、一心に念仏する生活に生きる決意をする契機となるよう願っています。

 

 浄土宗の法要は 序文(法要を行うに当たって仏をお迎えする部分)、正宗分(法要で仏のお話を伺う部分)、流通分(法要を終えた後に感謝して仏をお送りする部分)の3段階で構成されます。この通常法要に授戒と引導を加えた形が葬儀式となります。授戒は 仏法に縁のなかった人でも 戒名を授けて仏に弟子とする事で、引導は仏の弟子として教え導くことです。生前に授戒されている方には 授戒は省略され 引導だけを行います。僧侶の場合には 授戒も引導も行いません。

 

   今回は以上です。

 

葬儀 真言宗U

 今回は葬儀 真言宗Uに付いて書かせて頂きました。

 

 真言宗は 弘法大師空海を開祖とする 真言密教の教えで、この身のままで仏になる即身成仏を目指しています。ご本尊は大日如来で その葬儀は 故人様を大日如来の密厳浄土、あるいは 弥勒菩薩の浄土である 都率天に送る儀式であります。高野山 金剛峰寺の奥ノ院で入定した空海は 弥勒菩薩が地上に降りてくる時に力を合わせて人々を救済すると言われて居ります。

 

 高野山真言宗では まず ご遺体を納棺してから、柩の前で授戒が行われます。真言宗の葬儀の特徴は 灌頂(かんじょう)の儀式にあると言われます。灌頂とは 頭に法水をそそぎかける事で、密教では 仏の位にのぼる為の重要な作法となります。故人様の霊を浄土にお運びする役目は弥勒菩薩で、この弥勒菩薩の来迎をを頂いて 故人様の霊を弥勒の浄土に成仏させることが 葬儀式の目的となります。その式次第は以下の通りです;

1 洒水(しゃすい)

  加持された法水を注いで 故人様の身心を浄める。

2 加持供物

  仏前に供えられた供物を加持して浄める。

3 三礼(さんらい)

  三礼文を唱えて仏法僧を礼拝する。

4 剃髪

  剃刀を執って偈を唱える。

5 授戒

  故人様に戒律を授けます。十善戒 又は 五善戒を授けます。

6 授戒名

  故人様に戒名を授けます。

7 表白(ひょうびゃく)

  本尊大日如来をはじめ 諸仏諸菩薩を讃え これから行う儀式の成就を祈ります。

8 神文(しんぶん)

  諸仏諸菩薩の降臨を感謝し、故人様の贖罪、生善、成仏を願う。

9 教化(きょうけ)

  故人様が即身成仏の正覚を得る為に、その開発、教化を願う。

10 引導の印明

  臨終の大事を授けます。

11 破地獄の印明

  故人様の心内の地獄を破砕する。

12 五鈷杵授与偈文(ごこしょじゅよげもん)

  如来の五智を表現する五鈷杵を授けて灌頂とする。喝を三遍唱える。

13 真言

  真言を授ける。

14 大師御引導の大事偈文

  弘法大師による引導の印明、偈文を授け即身成仏の境地に引導する。真言宗引導の中心。

15 開眼の印明

  仏眼の印明により故人様を加持し、位牌を開眼します。

16 授血脈(じゅけちみゃく)

  大日如来から弘法大師に至る系譜の後に導師名、故人様戒名を加え、真言密教の師資相承の血脈を授ける。

17 六大の印明

  地・水・火・風・空・識の六大縁起による生命の境界を与えて引導を授ける。

18 諷誦文(ふじゅもん)

  導師により 故人様の生前の功績と徳を讃え、その成仏を願う文 が読まれます。

以降 弔辞、弔電、焼香、祈願、導師最極秘印、出棺と続きます。

尚 焼香は 戒香、定香、解脱香の3っを 仏法僧に捧げる意味で 三回行います。

   今回は以上です。  
















    

葬儀 真言宗

 今回は葬儀 真言宗に付いて書かせて頂きました。

 

 真言宗の葬儀観は 弘法大師の作と伝えられる 御詠歌により端的に示されております。御詠歌は ”阿字の子が 阿字の古里 立ち出でて また立ち帰る 阿字の古里” と詠まれます。阿は ご本尊である 大日如来と その生命を表し、葬儀は 大日如来の阿字へ還ることを意味します。葬儀の精神は 亡者(死者)を宇宙生命の源である 大日如来の大生命に包まれている 弥勒菩薩の浄土である 都率天(とそつてん 都率浄土とも言う)へ帰還させることです。

 

 真言宗の葬儀式は 即身成仏への引導作法として示されます。即身成仏とは この身このまま仏になること、身・口・意(しん・く・い)が行者と仏において一体となることです。こうなる為の修行を三密と呼びます。葬儀の前段階は 大日如来との一体感へ導くための準備段階の作法で、剃髪(ていはつ)、授戒(じゅかい)、戒名に授与 が行われます。後段階は 大日如来との永遠の生命との一体感に係わる作法となります。亡者(死者)に真言の教義を教え、一刻も早く仏弟子にする(即疾成仏 そくしつじょうぶつ)ため お経は微音で速めに読まれます。真言宗は 古儀真言宗と 新義真言宗に大別されますが、葬儀の基本思想に大差は有りませんが、高野山真言宗の古儀真言宗では 引導法の基軸を即身成仏に捉え、新義真言宗である 真言宗豊山派や真言宗智山派は 即身成仏に浄土思想を付加して捉える という違いがあります。尚 実際の葬儀の進行に当たりましては 宗派の違いだけではなく、地域によりましても異なる場合が御座いますので、ご導師様との事前確認が肝要となります。


 真言宗の葬儀式に於ける 焼香は 戒香、定香、解脱香 の3っを 仏法僧の三宝に捧げる意味で 三回行います。


   今回は以上です。 

葬儀 天台宗U

 今回は前回に続き天台宗の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 天台宗の教えでは衆生は全て仏性を持っており、必ず仏になることが出来ると説きます。仏に成る為には 仏様と縁を結ぶ事が大切となり、その為 葬儀にあたっては 先ず心身ともに仏様の弟子になるための儀式を行い、その後 仏弟子としてこの世(娑婆世)を離れ 仏の国(浄土)へ向かう事となります。

 

 葬儀

1 身体を清浄ににする。

 仏の浄土への門出に際し 姿形を改めて清浄にします。洒水(しゃすい 水で清める) 塗香(香で清める)で清めた後、髪を剃ります(剃髪)。剃髪は煩悩を除き去る儀式として行いますが 実際に髪を剃る事はあまり行われません。

2 心を清浄にする。

 次に心を清浄にします。私たちが生きて行く為には多くの助けを受けなければ成りません。生きてゆくこと自体が他の犠牲の上で成り立ち、意識 無意識に係わらず多くの罪を背負ってもいます。それらを懺悔し 心を清浄にするため懺悔の文を唱えます。

3 戒名を授かる(三帰授戒)

 心身ともに清浄になったところで、いよいよ仏の教えを授かります。ここで授かる教えは 仏教徒としての基本である 三っの戒めであります。第一は帰依仏 先ずなんと言っても仏を信じなければ始まりません、第二は帰依法で 仏の残された教えを法と言い それを信じることです、そして 第三が帰依僧で 仏の法えお実践する人を僧と言い 僧の教えに従い それを拠り所にして暮すことです。この三っを仏様に誓うことで 成仏の縁を受ける事ができます。

4 戒名

 戒を受け終わった証が戒名です。戒名は仏の弟子としての名前です。法名とも言われ 漢字二文字で表わされます。現在では 法名の上に道号二文字や院号などが付けられますが 仏弟子としての大切な名前は法名の二文字です。法名は生前に授戒して仏様を心に頂いて生活する事が本来の姿ですが、葬儀の中で頂くことも出来ます。

5 引導(いんどう)・下炬(あこ)。

 旅立ちの準備も整い、いよいよこの世とのお別れとなります。全ての執着心を絶って浄土に向かう訳です。最後にもう一度 仏の教えにより、必ず成仏することを 旅立ちの錢として言い渡すのが引導です。次に 霊棺に松明で火を点ける下炬の儀式を行います。勿論 実際に火をつける訳ではありませんが、釈尊の最期に倣って 火葬の儀式を行うわけです。

6 念仏

 最後に 新霊の往生(浄土に生まれ直す)をお迎えの阿弥陀如来にお願いし 十返のお念仏が唱えられて葬儀は終了します。

本内容は天台宗のHPを参考に書かせて頂きました。

   今回は以上です。

葬儀 天台宗

 今回は 葬儀 天台宗に付いて書かせて頂きました。

 

 天台宗では 死は誰にでも訪れ、生者必滅、出会いの後には必ず別れがあり、これが この世の真実である。そして 残された者にとって ぽっかりと空いた穴は埋めがたく、その悲しみは 哀惜の情が深ければ深いほど大きいものでしょう。しかし 嘆いても死者が蘇えるものではありません。悲しみを乗り越えて送り出さなければならない。と説きます。

 

 天台宗の葬儀は 三種の儀礼によって営まれます。顕教法要の法華懺法(ほっけせんぽう 法華経を読誦する事で煩悩を薄くし減罪する作法)、例時作法(れいじさほう 阿弥陀経を読誦する事で極楽往生の指南とする作法)、そして 密教法要の光明供(こうみょうく 阿弥陀如来の来迎を得てその指導の下に故人を引導して仏となす作法)です。顕教とは仏法を理解しやすいように文字や言葉を用いて説くものであり、密教とは仏と自身が一体であることを念じ 仏の加護により仏の境地に達っしようとする秘法のことです。天台宗では顕密一致を説き、供養する遺族・縁者と 供養される故人が一体となり、仏の本性を開発し、共に仏道を成してゆくことが 天台宗の葬儀の本質であるとされます。 

 

枕経・通夜

 葬儀に先立ち通夜を行います。古くは臨終に当たり 臨終行儀と呼ばれる儀式が有りましたが、最近では稀と成りました。又 地域によっては 枕経をあげる場合があります。通夜は 近親の方々にとって故人との最後の交流の機会でもあり、又 死そのものを直視し考えるかけがえのない機会とも言えます。通夜の儀式は 新霊の浄土への引入を祈る事が中心となります。多くは阿弥陀如来のお迎えを頂戴するお経が唱えられます。(来仰仏)

 

   今回は以上です。次回は葬儀・告別式に付いて書かせて頂きます。

神葬祭 W

 今回は神葬祭のW回目を書かせて頂きました。

 

 神葬祭では ご遺体の埋葬を終え、帰家祭 直会をもって一段落となりますが、以降 百日祭までを霊前祭、一年祭以後を式年祭といい 節目毎に故人様の霊に考敬を尽くします。霊前祭には 翌日祭、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭が有り 夫々 霊前・墓前に考敬を尽くします。式年祭は 一年祭、三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭、五十年祭と続きますが、二十年祭までが一般的と成って居ります。尚 年数は仏教とは異なり満年数で行います。

 

 霊前日供の儀

霊璽を祖霊舎に合祀するまで(五十日祭まで)は 霊前に朝夕の二回 常饌(日常の食物) あるいは生饌(洗米、塩、水)をお供えします。

 霊前祭

翌日祭; 葬儀の翌日に 葬儀が無事終了した事を霊前に報告する為の式ですが 最近はほとんど行われなくなりました。

毎十日祭; ご逝去の日から数えて十日毎に 霊璽、ご遺影、お供物を飾った仮霊舎の前で 神職により営みます。近年は 十日祭を繰り上げて帰家祭と合わせて行い、二十日、三十、四十祭は省略される傾向に有ります。五十日祭は 仏式の四十九日に当るもので、この日をもって忌明けとなります。本来は墓前で、そうでなければ自宅あるいは式場に神職をお迎えし、祭詞奏上 玉串奉奠などを行い、その後 参会者で会食をしながら故人を偲びます。五十日祭の後に清祓いの儀を行い 神棚や祖霊舎の白紙を取り除き、霊璽を仮霊舎から祖霊舎にお移ししてご先祖の霊と合祀します。

百日祭; ご逝去後 百日目に行いますが、近年は省略されるケースが多くなりました。

 

 式年祭

最初の式年祭は一年祭となります。仏教の一周忌にあたり 重要な祭儀となります。一年祭をもって 喪明けとなります。一年祭までは 柏手は 音をたてない しのび手で行いますが、以降は音をたてる 通常の柏手に戻る事と成ります。以後は三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭と供養を行い、五十年祭をもって打ち上げとなり、故人様の霊はご先祖の霊へと合わさる事に成ります。但し近年では 二十年祭で打ち上げとされるご遺族も多く成られました。

 

   今回は以上です。 

神葬祭V

 今回も前回に引き続き 神葬祭に付いて書かせて頂きました。

 

 神葬祭は神道に於ける葬儀式ですが 前回までの枕直しの儀、納棺の儀 に続きまして 通夜祭、遷霊祭、蔡場祭、火葬祭、埋葬祭、帰家祭、直会、そして 御霊祭と執り行われます。又 神葬祭に於いて 仏式との相違は 戒名・法名に代わり 諡(おくりな)が贈られ、その諡は霊璽(れいじ 仏式の位牌)に記されます。更に線香は使わず 代りに玉串を使用します。玉串とは 榊などの木の枝に紙垂を付けたもので、この紙垂は 参拝者の真心を表わすものとされます。

 

 通夜祭は 故人様がご逝去された後 葬儀を行うまでの間 ご遺体に付添い生前同様の礼を尽くして手厚く奉仕する大切な儀式です。通常は遷霊祭の前夜に行うのが一般的で、仏式の通夜式にあたります。

 

 遷霊祭とは 故人様の霊を ご遺体から霊璽に遷し留める儀式で、御魂移しの儀が 主なる目的で、本来は夜間に灯火を消して執り行います。神職は祝詞を奏上し、ご遺族・参列者は玉串を奉って拝礼します。現代では昼間に執り行うのが普通と成りましたので、夜を象徴するように 部屋を暗くして執り行う事が一般的と成りました。

 

 蔡場祭は 遷霊祭の後 故人様との最後の別れを告げる儀式で 神葬祭最大の重儀です。弔辞の奉呈、弔電奉読、神職による祝詞奏上、玉串奉奠などが行われます。仏式の葬儀・告別式に当る儀式です。

 

 火葬祭は ご遺体を火葬に付す前に、火葬炉の前で行う儀式で、神職が祝詞を奏上し、ご遺族は玉串を奉って拝礼します。

 

 埋葬祭は ご遺骨を墓地の奥津城(神道のお墓)に納骨する儀式で、奥津城の四方に竹を立てて 注連縄で囲い、ご遺骨の埋葬、祭詞奏上、ご遺族の拝礼が行われます。神葬祭では火葬を終えたご遺骨は そのまま墓地へ移動して埋葬します。しかしながら 最近ではご遺骨をご自宅に持ち返り、五十日祭で埋葬されるケースも多くなりました。


 帰家蔡 と直会(なおらい)は ご火葬・ご埋葬を終えてご自宅に戻りましたら、神職のお祓いを受けて家の門戸に塩をまきます。その後 神棚と祖霊舎(仏式の仏壇)に葬儀が滞りなく終了したことを報告します。その後に 葬儀でお世話になった神職、世話役などの労をねぎらい、直会を開いてもてなします。直会の終了により 葬儀に関する儀式は全てを終えることとなります。


   今回は以上です。


神葬祭U

 今回は前回に続き神葬祭に付いて書かせて頂きました。

 

 神葬祭は 日本古来の宗教である神道の葬儀ですが、全国的に統一された式次第(祭式)が有る訳では有りません。神道は 日本古来の自然崇拝・祖先崇拝を基調として自然発生的に生まれた民俗信仰だからです。従いまして 地域によって、神社によって、更には斎主となる神職によっても 異なった祭式となります。とは言え 大きな混乱を招かぬ様、神社本庁では ”神葬祭の栞(しおり)” という小冊子を用意して 信徒の方のお手伝いをして居ります。

 

 前回は納棺前に行う事を書かせて頂きましたが、それ以降 神葬祭の最初の儀式であります 枕直しの儀 からご説明致します。

ご逝去されたご遺体には 白の小袖をお着せし 病室から殯室(ひんしつ ご遺体を安置する部屋)にお移しします。殯室では ご遺体は頭を北 若しくは 部屋の上位に向かって右に来るように 安置します。そして 白布で顔を覆い、枕元に枕屏風を立て、小案(小机)を備えて その上に守り刀を置き灯火を点けます。守り刀は柄を向こうにして 刃をご遺体に向けない様に置きます。ご遺体の前には 案(白木八足の机)を設けて 上に 故人様が生前好まれた常饌(じょうせん 日常の食べ物) や生饌(せいせん 洗米・塩・水)をお供えし、御家族やご親族は謹んで ご遺体の側近くでご奉仕します。

 

 次には 納棺の儀式 となります。ご遺体を棺にお納めする儀式ですが、まず ご遺体を湯灌などによりお清めして、神衣をお着せします。男性であれば 白の狩衣に烏帽子を被らせ、女性であれば白の小袿に扇を持たせて 柩にお納めします。お納めした後に 柩の蓋を閉め、白い布で柩を覆い、正寝(表座敷 神葬祭式場)に移動して、柩前を装飾し饌をお供えして 全員で拝礼します。尚 地域によりましては 柩の蓋をする前に 榊の葉に水を付けて口を湿らせる 末期の水 の行事を行う場合も御座います。


   今回は以上ですが、次回は通夜祭以降を書かせて頂きます。

神葬祭

 今回は神葬祭について書かせて頂きました。

 

 神葬祭とは 日本古来・固有の宗教である神道の葬儀を言います。神道に於いては ”人は皆 神の子であり、神の計らいにより母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界に帰り、子孫たちを見守る” と考え、従って 神葬祭は 故人様に家の守護神となって頂く為の儀式であります。神道に於いては死は穢れとされて居り、神葬祭は聖域である神社では行わず、自宅 又は別の式場で行います。又 仏教に於ける戒名・法名に代わり 諡(おくりな)が贈られます。

 

 神葬祭を執り行うに当たりましては まず斎主(葬儀を担当する神職)様にその手順、注意事項を確認頂く必要が御座います。その上で ご納棺の前に行う事は以下の通りです;

1 まず神棚と祖霊舎(ご先祖を祀る舎)に 故人様が帰幽(ご逝去のこと)したことを奉告し、その後 前面に白紙を貼ります。

2 病気平癒などを祈願した神社があれば、その祈願を解き 故人様の帰幽を奉告します。ご自分で神社に礼拝出来ない場合は 代参を送るか、遥拝(ようはい 遠くより礼拝)により奉告します。

3 葬儀執行の為の 斎主、副斎主、祭員、伶人(れいじん 雅楽を奏でる人)などを委嘱します。

4 各祭で必要な 幣帛(へいはく 進物)、神饌(しんせん 食物)、玉串、その他 の数量や程度を協議し決定します。

5 霊璽(れいじ 仏教の位牌)、墓誌、銘旗、墓標等の揮毫を依頼します。

以上を終えましたら 枕直しの儀に入りますが 以降は次号で書かせて頂きます。


日本のイスラム教

 今回は日本に於けるイスラム教に付いて書かせて頂きました。

 

 イスラム教は 全世界に16億人の信者を持つ世界第二位の宗教で、唯一絶対の神アラー(アラビア語でアッラ−フ)を信仰し 神より送られた預言者ムハンマドを通して人々に下されたコーラン(クルアーン)の教えを信じ 従う 一神教の宗教です。日本へは明治維新後 日本に滞在したロシア人、インド人、トルコ人のイスラム教徒(ムスレム)により伝えられました。特にロシア革命により祖国を逃れ 来日したカザフ人が 日本のイスラム教に大きな役割りを果たしたと言われます。日本に於けるイスラム教徒は中東出身者を中心として 7万人とも20万人とも言われますが、何れにしろ多くは有りません。

 

 イスラム教は 西暦610年頃に ムハンマドは メッカ(現在のサウジアラビア国内)の郊外で 天使ガブリエルよりアラーの啓示を受けたと主張し、以後 アラビア半島でイスラム教の布教を始めました。その後 拡大と分裂を繰り返しながら信徒を増やし続け 八世紀半ば以降 アラブ帝国からイスラム帝国へと変貌し そのテリトリーもアラビアから 西アフリカ、東アフリカ、南ヨーロッパ、中央アジア、インドへと広がりました、その後 キリスト教との争いから弱体化し、現在に至ります。その教義は六信と五行から成ります。六信は6っの信仰箇条で 1 神(アラー)、2 天使(マラーイカ)、3 啓典(クトゥブ)、4 使徒(ルスル)、5 来世(アーヒラ)、6 定命(カダル) から成り 五信は5っの信仰行為で 1 信仰告白(シャハーダ)、2 礼拝(サラー)、3 喜捨(ザカート)、4 断食(サウム)、5 巡礼(ハッジ)から成ります。イスラム教の教えは その解釈の仕方により 世界一般の概念と異なる部分も有り、その差異が多くの摩擦を生み出して居ります、ジハードの概念、信教の自由、偶像崇拝、女性差別、一夫多妻、女性の服装規定 等です。

 

 日本に於けるイスラム教 最初期の日本人教徒としては 明治時代にインドで貿易商をしていた有賀文八郎氏が著名です。日本国内最初のモスクは愛知県名古屋市に1931年建設された名古屋モスクで それ以外にも 兵庫県神戸市の神戸モスク、東京都渋谷区の東京ジャーミィ等が有名です。著名な日本人モスレムとしては 山岡幸太郎氏(オマル山岡 日本人初のメッカ巡礼者)、三田了一氏(オマル三田 コーランの日本語訳者の一人)、市来龍雄氏(アブドルラフマン市来 インドネシア独立戦争 義勇兵)、吉住留五郎氏(アレフ吉住 インドネシア独立戦争義勇兵)、谷豊氏(日本軍諜報員 マレーのハリマオ)他が居られます。

 

   今回は以上です。

日本のキリスト教

 今回は日本のキリスト教について書かせて頂きました。

 

 キリスト教の日本への伝来は 16世紀 ローマカトリック教会の一派であった イエズス会のバスク人司祭 フランシスコ・ザビエルによるとされて居ります。戦国時代のさなか 1549年ザビエル達イエズス会の宣教師により布教が開始され、織田信長の庇護を受ける事に成功し順調に信者を増やしましたが、仏教徒や神道徒を迫害する事例などから豊臣秀吉から宣教の禁止が出され、更には徳川幕府の鎖国令に伴い禁教として信仰を禁止されました。キリシタン(キリスト教徒)は地下に潜り 隠れキリシタンとして信仰を伝える状態が江戸時代末まで続きます。明治時代に入り信教の自由が許されると ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教、プロテスタント各教が相次いで来日し 布教活動を開始しました。現在の日本では ローマ・カトリック教会は カトリック中央協議会となり、ギリシャ正教会系は日本ハリストス正教会教団として活動して居ります。プロテスタント系では 最大の教団として プロテスタント諸教派が合同してできた日本基督教団、他に 英国国教会系の日本聖公会、ルター派の諸教団(ルーテル教会)などが有ります。

 

 日本へキリスト教が何時 伝来したかに付いては諸説御座います。その一つは 5世紀頃 中国で景教と呼ばれていた ネストリウス派キリスト教が 秦河勝(はたのかわかつ)などにより 日本に持ち込まれたとする説が有りますが 歴史的な証拠や文書による記録が少なく 定説とななって居りません。16世紀 イエズス会来日の背景は ローマ・カトリック教会の 権威回復と収入拡大に有ります。16世紀 ドイツで起きた マルティン・ルターによる宗教革命は ヨーロッパ各国に波及し、教皇の権威に陰りが見え始めました。プロテスタント勢力への対抗上、新たな信者を増やし 献金を期待して 教団の目はアジアに向けられ、イエズス会やフランシスコ会の多くの宣教師が インドや東南アジアに派遣され 更には極東の日本にまで進出する事と成りました。

 

   今回は以上です

禅宗 曹洞宗

 今回は禅宗 曹洞宗(そうとうしゅう)に付いて書かせて頂きました。

 

 曹洞宗は 鎌倉時代に道元禅師により中国から伝えられた 日本の禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗(おうばくしゅう)・普化宗)の一つで、”正伝の仏法” を伝統とし 南無釈迦牟尼仏として釈迦をご本尊と仰ぎ  修証一如(無限の修行こそが成仏である)、只管打坐(しかんたざ、ひたすら座禅する事)をもっぱらとし、座禅を通して 真実の自己・仏性に目覚め、懺悔・菩薩心の働きによる菩薩行により他者に働きかけ活かすことを教義とします。大本山は 福井県吉田郡の 吉祥山永平寺(ご本尊 釈迦如来、弥勒仏、阿弥陀如来)と 神奈川県横浜市鶴見区の 諸嶽山総持寺(ご本尊 釈迦如来)の二寺が有ります。

 

 道元禅師は 1200年京都に生まれ、14歳で天台宗座主公円の下で出家し 仏法房道元と名乗ります。その後 三井寺で天台教学を修め、1217年より京都建仁寺にて栄西の弟子 明全に師事します。1223年 明全と共に南宋に渡り 諸山を巡って修学し、曹洞宗禅師 天童如浄より 印可を与えられ 1228年に帰国します。帰国後 1233年京都深草に興聖寺を開きますが 比叡山からの度重なる弾圧を受け、1243年 越前国の地頭 波多野義重の招きに応じて 越前志比荘に移り 傘松に大仏寺(後に永平寺)を開き 自ら貫首となります。そして1253年病を得て 貫首の座を 弟子の弧雲懷ジョウ(こうんえじょう)に譲り、京都高辻西洞院で没っしました。享年は54歳でした。

 

 道元禅師は 自らの教えを 正伝の仏法であるとして セクショナリズムを否定し、弟子達にも特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗として見られることすら 拒否感を示したと伝えられます。従いまして 道元の下に集まる人々により教団が形成されましたが 特定名称を持ちませんでした。宗派の呼称として曹洞宗を用いる様になるのは 宗団の太祖と仰がれる 第四祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の頃からで、瑩山により 禅の大衆化と 現在の様な大教団なる為の基礎が築かれました。総持寺は瑩山により 能登で開山しましたが 明治時代に焼失した為 現在の横浜市鶴見に移して建立されました。

 

   今回は以上です。

 

禅宗 臨済宗

 今回は禅宗の臨済宗(りんざいしゅう)に付いて書かせて頂きました。

 

 日本の臨済宗は 平安時代末 中国宋に学んだ栄西により日本に伝えられた 禅の宗派の一つで、悟りを開く事を目的とし、座禅 禅問答 詩 絵画 や建築などを通して、師から弟子へ悟りを伝えます。禅宗に於ける悟りとは ”生きるもの全てが本来もっている本性である仏性に気付く”、そして 仏性とは ”言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力”のこと と説かれます。 鎌倉・室町時代と  幕府の庇護を受けて大きく発展すると共に多くの派に分かれ臨済十四派と言われ、教義内容は同じですが 14の派が大本山をを持ちます。最大宗派は 栄西が建立した 京都 東山建仁禅寺を大本山とする 建仁寺派で ご本尊は釈迦如来です。神奈川県内には建長寺派と円覚寺派の 二つの大本山が鎌倉に建立されており それぞれ 巨福山 建長興国禅寺(ご本尊 地蔵菩薩)、瑞鹿山 円覚興聖禅寺(ご本尊 宝冠釈迦如来)を中心として布教活動が行われて居ります。

 

 臨済宗は ゴータマ・シッダッタ(釈迦)の教え(悟り)を直接に受け継いだ マハーカ―シャパ(迦葉)から28代目のボーディダルマ(菩提達磨 達磨大師)によりインドから中国へ伝えられ、それから起きた中国禅宗五家(臨済、蕩仰、曹洞、雲門、法眼)の一つで、日本には 栄西以降 中国から各時代に多くの僧により伝えられました。特に 江戸時代の白隠エイ鶴は有名です。

 

 栄西は 1141年備中国賀陽郡(岡山県加賀郡)に吉備津神社の禰宜の子として誕生し、1154年14歳で比叡山延暦寺にて出家得度します。以降 延暦寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学びますが、形骸化し貴族政争の道具と化した天台宗を立て直すべく、平氏の庇護を受けて1168年南宋に留学し、天台山万年寺などで修学します。その当時 南宋では禅宗が繁栄して居り、日本の仏教精神立て直しに活用すべく合わせて修行を受け、日本へ帰国します。1187年 再度入宋し 臨済宗で修行を重ね、1191年 臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受けて帰国します。帰国後は九州博多を中心に布教活動を始めますが、天台宗からの排斥を受けたり、既存勢力との摩擦も多く、京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、幕府の庇護を得ます。1200年北条政子建立の寿福寺の住職に就き、1202年には源頼家の外護を得て 京都に建仁寺を建立し 禅宗の振興に努めます。1212年には 法印に叙任、1213年には 権僧正に栄進、そして 1215年7月5日 京都建仁寺で入滅しました。享年75歳でした。

 

   今回は以上です。

 

日蓮宗系

 今回は日蓮宗系に付いて書かせて頂きました。

 

 日蓮宗は 鎌倉仏教の宗派の一つで日蓮上人を開祖とし、法華宗とも称されて居ります。日蓮上人の没後 多くの弟子達により布教が行われ、それに伴い 多くの派にも分かれて居りますので、日蓮宗系とさせて頂きました。日蓮上人は釈尊の教えの全ては法華経(妙法蓮華経)に凝縮されて居り、久遠の本仏として釈尊を諸仏の根源とすべきこと、滅後末法の世の衆生の救済は法華経の護持によりなされる、そして 南無妙法蓮華経(法華経に帰依する の意味)を題目として唱えよ と説きました。日蓮宗の総本山は 山梨県南巨摩郡身延町の 身延山久遠寺で ご本尊は三宝尊です。三宝尊とは 仏・法・僧の三宝をさし 仏の第一を釈迦如来、法の第一を法華経、僧の第一を日蓮大菩薩(後光厳天皇より、大正天皇よりは立正大師が贈られる)として祀られます。

 

 日蓮は 1222年安房国(千葉県鴨川市)の小湊で生まれ、11歳で地元の清澄寺の道善房に入門し、16歳で出家し是正房蓮長の名を与えられ、23歳の時 比叡山にのぼり就学し、その後 三井寺、薬師寺、高野山、天王寺、東寺などで遊学し、1253年 31歳で安房の清澄寺に帰山し 4月28日 朝 日の出に向かい 南無妙法蓮華経 と題目を唱えました(立教開宗の日)。そして 名を日蓮と改め、翌1254年 鎌倉に出て 辻説法を始めます。各地で辻説法を説き、1260年 立正安国論を著し、鎌倉幕府に建白しました。この建白により 日蓮は 幕府や他宗派より迫害を受けることとなります。1261年からは 伊豆国伊東へ、1271年からは佐渡へ流罪となりますが、その間にも 各地で辻説法を続け、”開目抄” ”観心本尊抄”などを著述し、法華曼荼羅を完成させました。1274年春 流罪赦免ののち 鎌倉で幕府に対し法華経 国教化の建白を行い、身延の地頭であった南部実長の招きを受けて、身延山に入山し、身延山を寄贈されて 身延山久遠寺を開山しました。1282年 病を得て 常陸国へ湯治に向かう途上 武蔵国の池上宗仲氏の邸宅近くに建立された一宇を開堂供養し 長栄山本門寺(通称池上本門寺)と命名。その一ヶ月後 10月13日 池上邸で逝去。享年は61歳でした。

 

 日蓮宗(法華宗)は 日蓮の死後 弟子たちにより各地で布教が行われましたが 法華教団は発展と共に分化されて行きます。多くに分かれた日蓮宗は1941年(昭和16年)政府の指導により 日蓮宗と法華宗の二つに統合されましたが、戦後は再び各宗派に分かれました。又 日蓮正宗は 日蓮の弟子 日興の流れをくむ派ですが 日蓮本仏の立場を取ります。

 

   今回は以上です。

▲このページのトップに戻る