平安仏教派

 今回は平安仏教派に付いて書かせて頂きました。

 

 奈良時代後期には 仏法が盛んになると共に 寺院群は政治にも興味を示す様に成ります。彼らの影響力を憂慮した桓武天皇は その口出しを避ける為 京都(平安京)への遷都を決意し、実行します。そして旧仏教に対抗する為 最澄と空海を中国に派遣し密教を学ばせました。両大師は帰国後 最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を開いて 広く平安仏教派を広める事と成ります。

 

 平安時代中期は 釈迦入滅後二千年に当たり、正法の千年・像法の千年の後は 仏教が滅びる暗黒の世、即ち末法の世が始まると考えられました。末法の世では どんなに努力しても悟りを開く事は出来ず、国は衰え、人の心も荒んで、現世での幸福も期待出来ないと考えられました。人々はこの様な現世に期待せず、来世の幸せを願う 浄土信仰が流行します。阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に迎えられる事を願って来迎図などが多く描かれました。その究極が宇治の平等院 鳳凰堂です。極楽の阿弥陀仏の宮殿を模したとされて居ります。平安時代末期は社会不安が増大し 広大な所領を持つ大寺院は 防衛の為 僧兵を保持する様に成ります。そして この僧兵集団は 社会不安の一つ要素となって行きます。

 

 仏教は大きく分けて顕教と密教に分かれます。顕(あらわ)れる教え と秘密の教えです。真言宗の信仰する本仏は大日如来ですが、大日如来はマントラ(真言)という特別な言葉で説教をします。マントラは宇宙語ともゆうべき われわれには理解出来ない言葉という事で、秘密の教え、密教と称します。真言密教では 宇宙の万物は 地・水・火・風・空・識という六つの構成要素から成っており(六大といいます)、互いに転化してとどこおる事なく、この六大を大日仏の現れとし、あらゆる人間は本質的に大日仏と異ならない存在で平等であるとされて居ります。

尚 天台密教を台密、真言密教を東密と呼んで居ります。

 

   今回は以上です。

奈良仏教

 今回な奈良仏教系に付いて書かせて頂きました。

 

 仏教は 飛鳥時代に伝来し、聖徳太子の活動と伴に、国家鎮護の道具として定着しました。その後 奈良時代に入り、律令法の中に僧尼令が制定されて、僧職者は官僚組織の一員として組み入れられ、多くの官寺が建立されます。この時代に大勢を占めた宗派は”南都六宗” 或いは”奈良仏教系”と呼ばれました。三論宗、成実宗、法相宗、舎宗、律宗、華厳宗の六宗です。

 

 奈良時代の寺院の多くは 国家施設であり、南都六宗は仏教の宗派と言うよりは、学派と呼ばれる性格を持って居りました。これらの学派は 大陸から輸入された多くの経典や注釈書を基に 官僧による仏教の学問的・論理的研究を主として居りました。従いまして 理論が中心となり、宗教的実践を伴うまでには至りませんでした。

 

 聖武天皇の時代 藤原氏とその他豪族の間で政権争いが激化し、疫病が流行し、新羅との外交関係が悪化する等の事が重なり、天皇とその妃の光明皇后は仏教の加護に頼り、仏教を深く信仰する事となります。聖武天皇は 国ごとに 国分寺・国分尼寺をたて、総国分寺として 東大寺を建立し、東大寺に奈良大仏を造立します。そして 華厳経の教理を拠り所とした 平安な律令国家の実現を目指しました。この時代に 唐の揚州に生まれ、洛陽・長安で修行を積んだ 鑑真大和尚が招かれました。鑑真大和尚は東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けました。その後 唐招提寺を建立し そこに住んで生涯を終えました。

 

   今回は以上です。

 

日本の仏教

 今回は日本の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 日本の仏教は 538年(552年とも言われます)に百済(現在の韓国・北朝鮮)より伝来したと考えられて居ります。その後 国家鎮護の道具として天皇家に支持され、聖徳太子の活動により飛躍的に発展しました。現在 文化庁の統計によれば 登録団体;85,343団体、教師(僧侶);332,971人、信者数;8,470万人とされて居ります。

 

 全世界の仏教徒数は3億数千万人といわれる中で、8千5百万人の信徒 約7万5千の寺院 30万体以上の仏像を有する日本は 世界有数の仏教国であると言えます。又 最古の仏典・古文書、世界最古の木造寺院 法隆寺も日本に御座います。

 

 日本の仏教には 数多くの様々な宗派が存在しますが、1940年公布の宗教団体法により 13宗28宗派に統合されましたが、第二次世界大戦後 多くの分派・独立が成されました。この13宗とは 華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗(おうばくしゅう)を指します。それぞれの宗の日本に於ける開祖と本山は以下の通りです。

 −奈良仏教系

   華厳宗 開祖は審祥 他、本山は東大寺。

   法相宗 開祖は道昭、本山は興福寺・薬師寺。

   律宗  開祖は鑑真(鑑真和上)、本山は唐招提寺。

 −平安仏教系・密教系

   真言宗(東密) 開祖は空海(弘法大師)、本山は東寺、高野山金剛峰寺 他。

   天台宗(台密) 開祖は最澄(伝教大師)、 本山は比叡山延暦寺。

 −法華系(鎌倉仏教法華系)

   日蓮宗 開祖は日蓮(立正大師)、総本山は身延山久遠寺。

 −浄土系(鎌倉仏教浄土系)

   浄土宗 開祖は法然(源空、円光大師、黒谷上人)、総本山は知恩院。

   浄土真宗 開祖は親鸞、本山は本願寺

   融通念仏宗 開祖は良忍(聖応大師)、本山は大念仏寺。

   時宗 一遍(証誠大師、円照大師)、本山は清浄光寺(遊行寺)。

 −禅系(鎌倉仏教禅系)・禅宗系

   曹洞宗 開祖は道元(承陽大師)、本山は永平寺。総持寺。

   臨済宗 開祖は栄西(千光国師) 他、本山は建仁寺・円覚寺・東福寺 他。

   黄檗宗 開祖は隠元(真空大師、華光大師)、本山は黄檗山萬福寺。

 

   今回は以上です。

仏教

 今回は仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 仏教とは 紀元前5世紀にインドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ)を開祖として開かれた宗教で、キリスト教・イスラム教と並んで 世界の三大宗教の一つとされて居ります。その教えは 仏陀(目覚めた人、解脱した人)の説いた教えであり、そして 自ら仏陀になる為の教えでもあります。

 

 仏教は インド古来の世界観であった 輪廻 転生 解脱の考えを基に作り出されました。人の一生は苦であり 永遠に続く輪廻の中で終わり無く苦しまねばならない。その苦しみから抜け出す事が解脱であり、修行により解脱を目指すことが 釈迦の教えの目的でした。従いまして 釈迦の思想の中には偶像崇拝の概念は存在しませんでした。現在 伝来した各国で多く見られる仏像や仏閣は その土地、時代の主権者が政治的な目的で民衆に信仰を解り易くする目的で作り出されたと考えられます。

 

 初期仏教の歴史には時代区分があります。原始仏教、部派仏教、大乗仏教の三区分です。

 原始仏教は紀元前5世紀に インド北部ガンジス中流域で釈迦の提唱により生まれた初期仏教です。原始仏教は 他の世界的宗教と異なり、自然崇拝や民族宗教などをルーツに持たない宗教であり、世界各地で都市国家が成熟すると共に 社会不安が増大する中で、サマナ(沙門)と呼ばれる 出身・出自を問わない自由な立場の思想家・宗教家・修行者が持つ文化の中で作られました。釈迦の死後 その教えは弟子達により集められ、仏典として口誦により伝承され、後に文字化されます。更に経・律・論の三っに分類されて 仏教聖典に編纂されました。

 部派仏教は紀元前4世紀、仏滅後100年くらいに 釈迦の説いた教えの解釈に 色々な異見が出始め、考え方も岐れはじめます。その決果 上座部と大衆部の二つに大きく分裂し、その後 更に多くの部派に分裂して行きます。この時代の仏教を部派仏教と呼んでおります。上座部の一部は スリランカに伝わり、さらにミヤンマー・タイなどの東南アジアに伝わり、現在でも広く残って居ります(南伝仏教)。

 大乗仏教は紀元前後に 自身が解脱するだけではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に全ての衆生を得度する教え(大乗仏教)が起こります。この教えは急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して中国、更に韓国、日本へと伝来します(北伝仏教)。

更に7世紀頃にインドのベンガル地方でヒンドゥ−教の神秘主義一派であるタントラ教と融合した密教が起こり、様々な土地の習俗や宗教を包括しながら独自の修行体系を完成し、インドからチべット・ブータン、そして中国・韓国・日本にも伝えられました。

 

 現在の仏教は三大宗教の一つでは有りますが、大部分の仏教国は滅亡し、発祥の地であるインドでも廃れており、東南アジアの多くの国ではヒンドゥー教 或いはイスラム教へと移行が進み、中国・北朝鮮・モンゴルでは共産化により宗教は弾圧され、韓国ではキリスト教徒による廃仏運動が社会問題となっており、全体的には縮小傾向にあります。

現在 仏教を国教、或いは国教に準ずる地位としている国は タイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータンがあります。又 土着の信仰との混在・習合が顕著な国としては 日本・台湾・ベトナムなどがあります。

 

   今回は以上です。

 

仏教

 今回は仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 仏教とは 紀元前5世紀にインドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ)を開祖として開かれた宗教で、キリスト教・イスラム教と並んで 世界の三大宗教の一つとされて居ります。その教えは 仏陀(目覚めた人、解脱した人)の説いた教えであり、そして 自ら仏陀になる為の教えでもあります。

 

 仏教は インド古来の世界観であった 輪廻 転生 解脱の考えを基に作り出されました。人の一生は苦であり 永遠に続く輪廻の中で終わり無く苦しまねばならない。その苦しみから抜け出す事が解脱であり、修行により解脱を目指すことが 釈迦の教えの目的でした。従いまして 釈迦の思想の中には偶像崇拝の概念は存在しませんでした。現在 伝来した各国で多く見られる仏像や仏閣は その土地、時代の主権者が政治的な目的で民衆に信仰を解り易くする目的で作り出されたと考えられます。

 

 初期仏教の歴史には時代区分があります。原始仏教、部派仏教、大乗仏教の三区分です。

 原始仏教は紀元前5世紀に インド北部ガンジス中流域で釈迦の提唱により生まれた初期仏教です。原始仏教は 他の世界的宗教と異なり、自然崇拝や民族宗教などをルーツに持たない宗教であり、世界各地で都市国家が成熟すると共に 社会不安が増大する中で、サマナ(沙門)と呼ばれる 出身・出自を問わない自由な立場の思想家・宗教家・修行者が持つ文化の中で作られました。釈迦の死後 その教えは弟子達により集められ、仏典として口誦により伝承され、後に文字化されます。更に経・律・論の三っに分類されて 仏教聖典に編纂されました。

 部派仏教は紀元前4世紀、仏滅後100年くらいに 釈迦の説いた教えの解釈に 色々な異見が出始め、考え方も岐れはじめます。その決果 上座部と大衆部の二つに大きく分裂し、その後 更に多くの部派に分裂して行きます。この時代の仏教を部派仏教と呼んでおります。上座部の一部は スリランカに伝わり、さらにミヤンマー・タイなどの東南アジアに伝わり、現在でも広く残って居ります(南伝仏教)。

 大乗仏教は紀元前後に 自身が解脱するだけではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に全ての衆生を得度する教え(大乗仏教)が起こります。この教えは急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して中国、更に韓国、日本へと伝来します(北伝仏教)。

更に7世紀頃にインドのベンガル地方でヒンドゥ−教の神秘主義一派であるタントラ教と融合した密教が起こり、様々な土地の習俗や宗教を包括しながら独自の修行体系を完成し、インドからチべット・ブータン、そして中国・韓国・日本にも伝えられました。

 

 現在の仏教は三大宗教の一つでは有りますが、大部分の仏教国は滅亡し、発祥の地であるインドでも廃れており、東南アジアの多くの国ではヒンドゥー教 或いはイスラム教へと移行が進み、中国・北朝鮮・モンゴルでは共産化により宗教は弾圧され、韓国ではキリスト教徒による廃仏運動が社会問題となっており、全体的には縮小傾向にあります。

現在 仏教を国教、或いは国教に準ずる地位としている国は タイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータンがあります。又 土着の信仰との混在・習合が顕著な国としては 日本・台湾・ベトナムなどがあります。

 

   今回は以上です。

神道その2

 今回は前回に続き神道その2に付いて書かせて頂きました。

 

 神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基ずいて、自然発生的に生まれた神観念です。中国に於ける神道とは性質の異なる別個の観念です。気象、地理地形、事物等の自然現象に始まる全て事象に神の存在を認め、中でも 1881年 明治天皇の決栽により 伊勢神宮に祀られた 天照大神が最高の神格を得て居ります。

 

 現在 日本に於いて 最初に神道の言葉が見られるのは 日本書記の中の 用明天皇紀にある ”天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ” でありますが、この様に外来の宗教である仏教と、日本古来の信仰である神道が共存しており、土着の民俗信仰である神道は 外来の宗派宗教と融合しやすい性格を持って居りました。

 

 神道に於ける基本は 自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間としての生活を営むに相応しい環境と状態を、自然の調和に配慮しながらバランスを取り調節して、生活を見回して、生活する為の知恵やヒント与えたり、少し手伝ってあげたり、何かやって貰ったときは少しお礼をしたり。それが 日本の神がやっていた仕事の一つです。日本人にとって神は身近な存在であり、日本の神は地域社会を守り 現世の人間に恩恵を与える穏やかな守護神であると共に、天変地変を引き起こし 病や死を招き寄せる 祟る 性格も持って居ります(荒魂・和魂)

 

 神道は 中央や地方の統治者・統治組織と融合しながら発展して参りましたが、徳川幕府の仏教を基にした民心管理に対して、明治維新は神道を基にして理論付けられており、”尊皇攘夷” は神道にもとずき考え出されました。

 

 現在の神道は 神社神道、民俗神道、教派神道、古神道、皇室神道などに分類されて居ります。

 

   今回は以上です。

神道その1

 今回は神道について書かせて頂きました。

 

 神道(しんとう、かんながらのみち)とは 日本固有の宗教で、山河などの自然や 自然現象を敬い その中に八百万(やおよろず)の神を見出す多神教の宗教です。自然と神は一体として認識され、神と人間を取り結ぶ作法が祭祀であり、祭祀を行う場所を神社と呼びます。神社は神道に於ける聖域とされます。

 

神道は 古代日本に起源をたどる事が出来る宗教で、日本民族古来の民俗信仰や自然信仰を基礎とし 自然発生的に生まれた信仰です。遅くとも弥生時代には初期の形が作られ、古墳時代には民族宗教としての形態が整えられたと考えられます。その後 豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら発展し、日本国家の形成に多くの影響を与え続けた宗教でもあります。

 

 神道には 教祖や創始者は居らず、仏教の経典やキリスト教の聖書に当る 明確な教典は有りません、古事記、日本書紀、古語拾遺、宣明などの古典を規範として、その教えは神社や行われる祭祀を通して伝えられます。森羅万象に神が宿ると考え、その神々と共に生き 祖霊を崇拝し 地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守る事を目的とした信仰です。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目として居ります。

宗教法人である神社本庁から文化庁に提出された資料によれば 支持者数 約一億600万人と申請されて居り、登録されている神社は約85,000社有ります。

 

 神道に於ける拝礼は 二拝二拍手一拝が基本的な作法です。

1 拝(直立姿勢から身体を90度折り曲げる礼)を二度行う。

2 拍手を二度打つ。

3 最後に再度 拝を一度行う。

尚 俗説として 女性は音を立てて拍手してはいけないというものが有りますが、これは正しくありません。拝礼に性別は関係有りません。

又 御身内に不幸があった場合は 不幸の日から50日間は神社参拝を控える必要が有ります。

 

   今回は以上です。 

日本の宗教法人

 今回は宗教法人について書かせて頂きました。

 

 宗教とは超自然的存在の神や仏の概念を創造し、その存在を崇拝、信仰する事を指します。そして 宗教法人とは 教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者の教化育成することを主たる目的とする団体で、都道府県知事 若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得した団体を指します。

 

 世界の主な宗教としては キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、そしてユダヤ教などがあります。日本に於ける主な宗教としては 神道、仏教、キリスト教、そして諸教が有ります。日本の宗教指導は 法人格を取得した宗教法人により行われて居り、教派・宗派・教団と呼ばれる包括法人(宗教団体)と、個々の神社・寺院・教会・布教所などの 単位宗教法人に分類されます。又 単位宗教法人は 包括法人(宗教団体)に属する 被包括法人と、いずれの宗教団体にも属さない 単立宗教法人から成ります。

 

 宗教法人の数は 平成23年12月末現在以下の通りです;

        包括宗教法人  被包括宗教法人 単位宗教法人   教師数        信者数

神道        130       83,047     2,040    77,434     100,770千人

仏教        168       74,740     2,660   332,911      84,708千人 

キリスト教      69        2,837     1,722    29,160       1,920千人 

諸教         30       14,335       422   131,580       9,490千人  

計         397       174,959     6,844   571,985     196,888千人

 

   今回は以上です。 

祭壇

 今回は祭壇に付いて書かせて頂きました。

 

 祭壇とは 神、仏、精霊、あるいは死者などに 供物や犠牲を捧げる為の壇ををさします。祭壇の形状は多様で 台状あるいは板状の自然石を用いた石壇、土を盛り上げて作る土壇、石を積み上げて作る石積壇、そして木材などの自然物を加工して作られたもの等が御座います。

 

 葬儀で用いる祭壇を葬儀壇とも言います。仏教の古くからの仕来りでは 葬儀は 自宅での法要と 葬列を組んで蔡場 あるいは菩提寺に行ってからの法要と 二段構えでした。現在の都市部では この二つの法要は合体して 一つの法要となり、その飾り付けは 蔡場 或いは菩提寺の祭壇を原型として居ります。

 

 葬列では 柩は白木の輿に乗せられて運ばれ、そのまま蔡場に安置されます。時代の変化と共に 白木の輿に色々な装飾が施され、荘厳な祭壇へと変化して 現在の祭壇が出来上がりました。

 

 葬儀に於ける祭壇の位置付けは必ずしも明確では有りません。宗教儀礼として葬儀を営むのであれば 仏あるいは神の導きによって故人さまをあの世にお送りする事が基本となります。仏教では 仏を供養する事によって得られた功徳を故人さまに振り向けることから 祭壇は仏の供養の為に設けます。キリスト教の場合は 神を対象とした礼拝が中心となり、祭壇は神への礼拝の為に設けます。そして 告別式は 故人さまとご遺族や会葬者の方とのお別れが中心となり、祭壇はその為に設けられるべきです。

 

 葬儀と告別式では目的が異なりますので 祭壇も異なるべきですが、現在の葬送儀礼では 時間の制約も有り 葬儀と告別氏を同時に行うことが一般的となり その祭壇も両方を目的として設けられる様になりました。故人さまのお好きな花で飾った花祭壇などは より告別を主と考えた祭壇と言えるのではないでしょうか。

 

   今回は以上です。

霊柩車

 今回は霊柩車の費用に付いて書かせて頂きました。

 

 霊柩車とは 貨物自動車運送事業法に規定される 遺体の搬送に使用する特殊用途自動車を言います。そして 霊柩運送事業は 国土交通省管轄の許可事業となって居り、許可のない車でご遺体を搬送し 費用を請求する事は 法律違反となります。又 その料金も事前届け出制となって居ります。

 

 霊柩車の型式は 多きく分けて 宮型、洋型、バン型、バス型の4種類が有ります。

宮型は 車の後部(棺室)を輿の様に宗教的な装飾を施し、主として火葬場にご遺体を搬送する為に使用します。

洋型は 高級ワゴン車の後部リムジン化して 棺室として使用し 特別な装飾は施しません、このタイプも 主として ご遺体を火葬場に搬送する為に使用します。

バン型は バンやステーションワゴンの後部を棺室に改造して使用し、火葬場への搬送だけではなく 病院、自宅、葬儀会場間での搬送等にも使用する 多目的車です。霊柩車とは呼ばずに 寝台車、搬送車などと呼ばれます。

バス型は ご遺体と共にご遺族、ご親族を乗せて運用する形の霊柩車です。

 

 霊柩車の費用は出発車庫より目的地までの運賃となり その体系は 運賃、諸費用、実費からなります。

運賃は 基本額、加算額、特別加算額を足したものが費用となります。

  基本額は 霊柩車の型式により費用は異なりますが、最初の10Km以内の運賃となります。

  加算額は 走行距離が10Kmを超える場合の運賃で、10Km単位で加算されます。尚 ご遺体を届けた後  の 復路については費用請求はされません。

  特別加算額は 深夜・早朝に於ける作業の割増費用です。30分箪位で費用が必要となります。

諸費用は 特殊仕様車料金、遺骨宅送料、車両留置料等です。

実費は 有料自動車道使用料、フェリーボート使用料、駐車料金、依頼人の特別要請にもとずく作業実費などです。

 

   今回は以上です。

虚空蔵菩薩

 今回は虚空蔵菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十三仏信仰に於ける 三十三回忌の審理は法界王が司ります。法界王の本地は 虚空蔵菩薩となり、虚空蔵菩薩を仏菩薩と擬定して 法要を執り行います、この法要をもって弔い上げ(問切りとも言います)となり、故人様は ご先祖の中の仏の一人となります。

 

 虚空蔵菩薩は 梵名をアーカーシャ・ガルバと呼ばれ 仏教の信仰対象である菩薩の一尊です。アーカーシャ・ガルバは 虚空の母胎 を意味して居り、広大な宇宙の様に無限の智慧と慈悲を持つ菩薩と説かれて居ります。知恵、知識、そして記憶に利益をもたらす菩薩として信仰され、記憶力増進を祈念する修法(虚空蔵求聞持法)をもちます。その修法は 真言を百日間かけて 百万回唱えるというものです、これを修めた行者は あらゆる教典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるとされます。

 

 良く知られている伝説としては 空海は 室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠り 虚空蔵求聞持法を修めたとされます。日蓮もまた12歳のおりに 仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったと言われます。又 京都の法輪寺では 13歳になった子供達が虚空蔵菩薩から知恵を授かりにお参りする十三詣りと呼ばれる行事も行われて居ります。

 

 虚空蔵菩薩の像容は 右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ形と 右手は掌を見せて下げる与願印の印相をし、左手に如意宝珠を持つ形があります。著名な作例と致しましては 東京国立博物館蔵の画像、奈良 大和郡山市の額安寺像、京都 広隆寺講堂像などが有ります。又 法隆寺の百済観音像は 宝冠が見つかる明治時代前半までは 墨蹟銘から 虚空蔵菩薩像と呼ばれて居りました。

更に 五大虚空蔵菩薩と言われる像も御座います。これは 虚空蔵菩薩のみ5体を群像として表したもので、虚空蔵菩薩の五つの知恵を5体の菩薩像で表わしたものとされて居ります。

 

   今回は以上です。

大日如来

 今回は大日如来に付いて書かせて頂きました。

 

 13仏信仰に於ける 13周忌の審理は祇園王が司り、故人様が道を迷わぬ様 導かれます。祇園王の本地は 大日如来で 無相の法身(姿・形の無い永遠・不滅の真理)と言われる如来の一尊で 全一者であり 万物を生成化育することで 自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物に上に光被して止まないとされます。

 

 大日如来は 梵名を マハー・ヴァイローチャナとよび、虚空にあまねく存在するという 真言密教の教主であり、万物の慈母でもあります。大光明遍照とも呼ばれます。大日経の教主であり、金剛界曼荼羅五智如来の中心です。真言宗においては 修行者自身と一体化を目指す 最も重要な仏陀であります。平安時代に浸透した 密教に於いて 最高仏と位置付けられて 大日信仰が成立しました。

 

 日本では古来より山岳信仰が数多く有りましたが、平安時代末期に 駿河の国の 僧侶 末代(富士上人とも呼ばれる)が富士山の頂きに登り、大日如来を富士の本尊とする信仰を創始したとされます。その後 富士の大日如来は 富士の神であった浅間大神の本地仏として 浅間大菩薩とする信仰に発展しました。

 

 大日如来の像形は 宝冠など 豪華な装身具を身に付けて、菩薩のような姿の坐像として表現されます。これは古代インドの王様を模したものと考えられます。一般に 如来は装身具などを身に付けない薄衣の姿で表現されますが、大日如来の場合は 宇宙その物の存在を装身具のごとく身にまとった仏として、王者の姿で表わされます。

 

 著名な作例と致しましては 岐阜 横蔵寺、京都 東寺講堂、奈良 円成寺 唐招提寺、和歌山 金剛峰寺などが御座います。

 

   今回は以上です。 

 

阿如来(あしゅくにょらい)

 今回は阿如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十三仏信仰に於ける 七周忌の審判は蓮華王により司られ 三回忌までの厳密な審理と言うよりは 成仏後の導きという意味合いが強くなります。蓮華王の本地は 阿如来で 密教に於ける 金剛界五仏の一尊で 金剛界曼荼羅では 大日如来の東方(右下)に位置します。

 

 十三仏信仰は 中陰の間の七王は インド仏教で説かれ、中国に渡って 百ヶ日・一周忌・三周忌の三王が加わり 十王信仰となり、日本に渡来した後 七回忌・十三回忌・三十三回忌の三王を加えて 十三仏(十三王)信仰となり 現在に至ります。

 

 阿如来は 梵名をアクショービアと呼ばれ ”揺るぎ無い” という意味を持ち、この如来の悟りの境地が 金剛(ダイアモンド)の様に堅固で揺るぎ無いもの で有る事を示します。阿仏国経によれば 昔 この娑婆世界から東方千仏の国を経て阿比羅堤という国があり、そこに大日如来が出現した際 無瞋の願を発して修行し、一切の淫欲を断滅し 成就完成して阿仏となり、今現在も仏国土で説法中であると説きます。インド仏教は イスラム教の台頭と共に衰退して行きます。その時期には 後期密教において 憤怒相の護法尊が信仰される様になり、五智如来の中心が大日如来から 阿金剛仏へと転換して行きました。

 

 日本に於ける阿如来の彫像は 五仏の一として作られたものがほとんどですが、単独の造像もわずかに御座います。阿如来の印相は 右手の指先を下げて 地に触れる ”触地印” を結びますが、これは 釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘いを受けたが、触地印により これを退けたとの伝説に由来します。煩悩に屈しない堅固な決意を示します。著名な作像としては 奈良 法隆寺大宝蔵殿南倉の木造坐像、和歌山 高野山親王院の銅像立像が御座います。

 

   今回は以上です。

阿弥陀如来

 今回は阿弥陀如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 三周忌の審理は五道転輪王が司り、判決に係わる最後の再審査を行います。五道転輪王の本地は 阿弥陀如来です。阿弥陀如来は 大乗仏教の如来の一尊で 無明の現世をあまねく照らす 光の仏にして 空間と時間の制約を受けず 西方に極楽浄土と言われる 仏国土を持ちます。尚 東方の浄土には 薬師如来が居られます。

 

 阿弥陀如来の 梵名は アミターバ、又は アミターユスと言われます、アミターバは 無限の光を持つ者、アミターユスは 無限の寿命を持つ者 を意味し、これを音写して阿弥陀となり、仏を加えて阿弥陀仏と成りました。又 漢訳すると 無量光仏、無量寿仏となります。

 

 阿弥陀仏信仰の起源は 必ずしも明確では有りませんが、浄土系教典や像の出現時期などから推測すると、北インドを中心として クシャーナ朝前記の西暦1−2世紀の間に発達したと考えられます。佛説無量寿経 によれば 一切の衆生救済のため王位を捨てて 世自在王仏のもとで法蔵菩薩と名乗り 修行し、衆生救済の為の 五刧思推し、浄土への往生の手立てを見出し、衆生救済のための”四十八願”を発願したのち、改めて誓いを立てて修行し、それが成就して仏となった報身仏と説かれて居ります。特に浄土諸宗に於いては 四十八願のうちの 第十八願を重要視して居ります。

 

 阿弥陀如来は 鎌倉時代以降 浄土教の本尊として 日本各地に広がります。造形化される際は 装身具を着けない質素な服装の如来形で印を結ぶ姿が一般的です。真言宗では 紅玻璃色阿弥陀如来と呼ばれる 髪を高く結い上げて宝冠を戴き、体色が赤い如来像が、天台宗でも 宝冠を戴き装身具を身に付けた 如来像が御座います。


 日本に於ける作例と致しましては 岩手県 中尊寺、京都府 平等院、仁和寺、三千院、浄瑠璃寺 奈良県 法隆寺 兵庫県 浄土寺 そして 神奈川県 高徳院の鎌倉大仏 などが御座います。いずれも国宝に指定されて居ります。


   今回は以上です。 

勢至菩薩

 今回は勢至菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十仏信仰に於ける 一周忌の審理は 都市王が司り 100ヶ日と同じく判決の再審査を行います。都市王の本地は 勢至菩薩で 仏教に於ける 菩薩の一尊です。仏の智門を司り、衆生の菩提心を目覚めさせ、智慧の光を持って一切を照らし 衆生が地獄や餓鬼界に堕ちぬ様 救う菩薩です。大勢至菩薩、得大勢至菩薩とも呼ばれます。

 

 勢至菩薩は 梵名をマハースターマプラープタと呼ばれ 阿弥陀三尊に於きまして 観音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍を務め、観音菩薩が左脇、勢至菩薩は右脇をかためます。観無量寿経の中では 知恵を持って遍く一切を照らし、火途・血途・刀途の三途 迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせるので、大勢至と名ずく と有ります。

 

 浄土宗に於きましては 中世より 源空上人(法然)は勢至菩薩の化身とする説が有りました。法然は幼名を勢至丸と言い、智慧第一の法然坊 と言われ 生前から智慧の化身と考えられて居りました。そして 法然上人没後 その弟子の親鸞は 大勢至菩薩和讃を詠み 大勢至菩薩は源空上人の御本地である と述べて居ります。更に 親鸞の妻女である 敬信尼が霊夢を見、光ばかりの御仏 を見ると共に あれは勢至菩薩で法然のことだ と言う声が聞こえたと言う話が伝わって居ります。

 

 像容と致しましては 多くの像は 阿弥陀三尊の脇侍として作られて居り、観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのに対して、勢至菩薩は水瓶を付ける事が多く見られます。又 観音菩薩が蓮台を捧げ持つ場合は 勢至菩薩は合掌する姿が見られます。

 

 著名は勢至菩薩像と致しましては 長野の善光寺如来像、京都 智恩院 勢至堂の御本尊などが御座います。又 四国八十八箇所霊場十三仏では 53番札所の須賀山圓明寺で、京都十三仏霊場では9番札所の大内山仁和寺で朱印がもらえます。

 

   今回は以上です。

観音菩薩

 今回は観音菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 100ヶ日の審理は平等王により司られ 七七日の泰山王により下された判決の再審査が行われます。平等王の本地は 観音菩薩は 仏教の菩薩の一尊であり 日本や中国に於いて 古代より広く信仰を集めている尊格です。観世音菩薩、観自在菩薩、救世菩薩などとも呼ばれて居ります。

 

 観音菩薩は 梵名を アヴァローキテ−シュヴァラといい 中央アジアで発見された古いサンスクリット語で書かれた法華経によれば アヴァローキテは観、シュヴァラは音と訳されて居り、現在では 観音菩薩は 観世音菩薩の略号であるという説一般的です。観音菩薩は 般若心経の冒頭に登場する菩薩であり、般若の智慧の象徴ともなって居ります。又 大慈大悲を本誓として 現世利益と結び付けられて 時代 地域を問わずに古くから 広く信仰されて居ります。観世音菩薩往生浄土本縁経 によれば 現世に於いては 早離(そうり)と呼ばれるバラモンの子で 速離(そくり)と呼ばれる兄弟が居り、早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死しますが、早離は 餓死する寸前に 生まれ変わったら自分たちの様に苦しんでいる人々を救いたい と誓願を立てた事により 観音菩薩になったと言われ、速離は のちに勢至菩薩に、兄弟の父 長邦(ちょうな)は未来に釈迦として生まれ変わったとされます。

 

 観音が世を救済する際には 衆生を救う為に 相手に応じて 33の姿に変身すると説かれます、これを観音の普門示現と言います。西国三十三所観音霊場、三十三間堂などの 33という数字はこれに由来します。又 普門示現の延長線上で 十一面観音、千手観音などの像も作られました。

 

 観音菩薩を祀る寺院は数多く有りますが、奈良 法隆寺、東大寺、唐招提寺、薬師寺 京都 三十三間堂、広隆寺、六波羅蜜寺、観音寺 そして 神奈川県内では 横浜 弘明寺、鎌倉 長谷寺などが著名です。

 

   今回は以上です。

薬師如来

 今回は薬師如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 七七日(四十九日目)の審理は 泰山王が司り 善因、悪縁を審査して判決を確定させます。泰山王の本地は 薬師如来です。薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも言う)の教主で 瑠璃光をもって衆生の病苦を救うとされ、無明の病を治す法薬を与える 医薬の仏として 現世利益信仰を集める如来です。

 

 薬師如来は 梵名 バイシャジャ・グルは 大乗仏教に於ける如来の一尊で、薬師瑠璃光如来 或いは 大医王仏とも称します。薬師如来は 菩薩の時に12の大願を発し、この世門に於ける衆生の疾病を治して寿命を延ばし、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、仏行を行じては 無上菩堤の妙果を証にすると誓って 仏と成ったと説かれて居ります。真言宗(東密)では 顕教系の如来として あまり重視はされて居りません。しかしながら 永く皇室との結びつきの強かった 天台宗(台密)では 薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主である事から 東の国の帝である天皇と結び付けて語られる事と成ります。又 釈迦如来・大日如来と一体ともされて居ります。ほとんどの国分寺は薬師如来を本尊として居ります。

 

 像容は 立像、坐像ともに有り 右手を施無畏印(せむいいん)、左手は与願印とし 左手に薬壺を持つのが通例です。ただし 古代の像では薬壷を持たない形も多く御座います。又 単独像として祀られる場合と、日光菩薩 月光菩薩を脇侍とした 薬師三尊像として祀られる場合が御座います。薬師如来の光背には 七体または六体の小さな像容、もしくは 同じ大きさの 七体の像容が有ります。これは 七仏薬師と呼ばれ 薬師如来とその化身仏とされて居ります。

 

 著名な薬師如来像としては 奈良 薬師寺、唐招提寺金堂、法隆寺 京都 仁和寺、醍醐寺などが御座います。

 

   今回は以上です。 

弥勒菩薩

 今回は弥勒菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 六七日(四十二日目)の審理は 変成王が司り、五官王の計りと 閻魔王の鏡を使い 生前の功徳を再審査します。変成王の本地は 弥勒菩薩であり 弥勒菩薩は仏陀の入滅後 次の仏陀になる事が約束された菩薩で 現在は 兜率天で修行をして居り、仏陀入滅後 56億7千万年の未来に 現世に現れ 多くの人々を救済するとされて居ります。

 

 弥勒菩薩は 梵名をマイトレ−ヤと言い 仏教の菩薩の一尊で 未来仏です、弥勒は音写で その語源は 慈しみ とされて居ります。弥勒菩薩の現世への下生は56億7千万年後とされる その算式は 弥勒の兜率天での寿命が4,000年であり、兜率天の一日は 現世の400年に匹敵するとの説から 下生までに 4,000×400×12×30=5億7600万年かかるとの計算に由来し、後世になり 5億7600万年が 56億7千万年に入れ替わったと考えられます。弥勒菩薩は 兜率天で修行の後 弥勒如来(あるいは 弥勒仏)として 現世へ下生するとされます。

 

 中国、朝鮮半島、日本に於いては 弥勒菩薩の兜率天に往生したいと願う 上生信仰が時として流行し、又 弥勒如来は 56億七千万年を待たずに 今 下生されるので それに備えなければならないと言う 下生信仰も有ります。下生信仰は 現世改革のための終末論、救世主待望論など利用され、反体制派の集団に利用される例も多く有ります。日本でも戦国時代に 弥勒仏がこの世に現れるという信仰が流行し、江戸時代の百姓一揆や世直し一揆の思想的な主柱とも成りました。

 

 弥勒菩薩の像容は 椅坐して左足を下ろし、右足を上げて 左膝の上に置き、右手で頬杖をついて、瞑想する姿が一般的です。著名な例としては 大阪 野中寺、京都 広隆寺 醍醐寺、奈良 東大寺等が御座います。

七福神の一人である布袋は 中国では 弥勒の化身とされ 弥勒如来として 仏堂の正面に祀られて居ります。

 

    今回は以上です。 

 

地蔵菩薩

 今回は地蔵菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 五七日(三十五日目)の審理は閻魔王が司り、水晶の鏡で生前の業績をつぶさに映し出し その業績により栽を申し渡します。閻魔王の本地は地蔵菩薩です。大地が全ての生を育む力を蔵する様に、苦悩になやむ人々を その大慈悲の心で包み込み 救済する所から地蔵菩薩と名ずけられたとされます。一般的に親しみを込めて お地蔵さん、お地蔵様とも呼ばれます。

 

 地蔵菩薩は 仏教の信仰対象である 菩薩の一尊で、サンスクリット語でクシティ・ガルバと呼ばれます。クシティは 大地、ガルバは胎内を意味し、それを意訳して地蔵としれたとされます。菩薩の居所は 通常 空居天ですが、地蔵菩薩は地居天に居り 釈迦仏に属して 毎朝禅定に入り、釈迦の入滅後 56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうので、その間 六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされます。中国に於いては 地蔵王菩薩とよばれ その聖地は 安徽省の九華山で、文珠菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の晋陀山と共に 中国四大仏教名山(聖地)の一つとされて居ります。

 

 日本に於きましては 浄土信仰の普及と共に 極楽浄土に成仏が叶わない衆生は 地獄に堕ちるという信仰が強まり、地獄に於ける責め苦からの救済を地蔵菩薩に求めるなりました。賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵菩薩が守るという 民間信仰も有ります。又 六地蔵と呼ばれる 仏教の六道輪廻の思想にもとずき、六道のそれぞれを六種の地蔵が守るとの考えから 地蔵菩薩を六体ならべ祀る像も各地にあり、特に 奥州平泉の中尊寺金色堂は著名です。そして 地蔵信仰は道祖神信仰とも結びついて 町外れや辻に 町の結界の守護神 としても建てられました。

 

 像容は 一般的には剃髪した僧侶の姿で 袈裟を身にまとい、左手に如意宝珠 右手に錫杖を持つ姿、或いは 左手に如意宝珠 右手は与願印の印相をとる像が多く見られます。著名な地蔵菩薩としては 奈良 法隆寺、神奈川県内では 鎌倉 建長寺の本尊、同じく鎌倉 宝戒寺の像等が御座います。更に 横浜中華街には 地蔵王廟(中華義荘)も建立されて居ります。

 

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普賢菩薩

 今回は普賢菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 四七日(二十八日目)の審理は 五官王が司り、秤を用いて罪の重さを計ります。五官王の本地は 普賢菩薩であり 大乗仏教に於ける 菩薩の一尊です。

 

 普賢菩薩は梵名をサマンタ・バドラと呼ばれ その意味する所は ”普く賢い者”であり、普賢菩薩は世界のどこへでも現れ 仏の慈悲と理知をあらわして人々を救う賢者であるとされて居ります。法華経の中に登場し、法華経では女人成仏を説く事から、女性の信者の信仰を多く集めました。又 密教では 菩提心(真理を究めて悟りを求める心)の象徴とされ、同様の性格を持つ金剛薩すい(土返に垂)と同一視され、金剛手菩薩とも呼ばれます。中国・四川省の峨眉山が普賢菩薩の霊場とされて居り、文珠菩薩と共に釈迦如来の脇侍を務めるのが一般的です。

 

 普賢菩薩の像形としては 六牙の白像の背に蓮華座を乗せ、蓮華座で結跏趺坐して合掌する姿が一般的です。密教では 左手で宝剣を立てた蓮茎を持つ姿や、金剛薩すいと同じ 左手に五鈷鈴 右手に五鈷枡を持つ姿、あるいは 如意・蓮華・教典などを持つ作例も御座います。又 普賢延命菩薩と呼ばれる尊格を持ち、二十二手を持つ尊としての作例も多く御座います。

 

 著名な作例としては 東京 ホテルオークラ正面前の大倉集古館に収蔵されて居ります木像、絵画として 東京国立博物館の普賢菩薩騎象 像、奈良国立博物館の本、鳥取県 豊乗寺(ぶじょうじ)の本などが御座います。

 

  今回は以上です。 

 

文殊菩薩

 今回は文殊菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 三七日(二十一目)の審理は宋帝王が司り、邪淫の業について審理します。宋帝王の本地は文殊菩薩で 知慧を司る仏とされて居ります。梵名はマンジュシェリー 正式には 文殊師利菩薩と言われ、妙吉祥菩薩とも言われます。

 

 文殊菩薩は 舎衛国のバラモンの家に生まれたとされます。文珠菩薩が智慧の菩薩とされる逸話は 維摩居士という学者が居り 維摩居士と問答をしてかなう者が居りませんでしたが、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等の問答を交わす事が出来たとの記載によります。文殊菩薩が実在したと言う事実は有りませんが、観音菩薩とは異なり、モデルとなる人物が存在したと考えられて居り、仏教教団の内部で生まれた菩薩と考えられて居ります。又 法華経では 過去世に日月燈明仏が涅槃の後に その弟子であった妙光菩薩の再誕が文殊菩薩であると説いて居ります。

 

 文殊菩薩は 三世の仏母 と唱えられ、華厳経では 善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役割で書かれています。文殊菩薩の徳性は 悟りに到る重要な要素 般若 即ち 智慧です。悟りに到る為には智慧が必要とされますが、智慧は 一般的な知恵(豊富な知識と頭の良さ)の象徴であります。 ”三人寄れば文殊の智恵” ということわざは これから生まれました。

 

 文殊菩薩像は ほぼ一定しており、獅子の背の蓮華座に結跏趺座して、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)を持ち、左手に教典を乗せた青蓮華を持ちます。

密教では 清浄な精神を表す童子姿となり 髪を結います。髪の数は像により 一、五、六、八の四種類があります。一は増益、五は敬愛、六は調伏、八は息災の本尊とされて居ります。

又 禅宗においては 修行僧の完全な姿を現す 聖僧として 剃髪して座禅を組む僧形となります。

日本に於ける有名な作例と致しましては 奈良の 興福寺東金堂の坐像、安部文殊院の五尊像 高知の 竹林寺の五尊像などが御座います。

 

   今回は以上です。

釈迦如来

 今回は釈迦如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける初七日の審理は 泰広王(本地 不動明王)が書類審査により司りましたが、二七日(十四日目)の審理は 初江王(本地 釈迦如来)により 三途の川のほとり で司られます。釈迦如来は 仏教の開祖である釈迦を 仏、或いは仏陀として敬う呼び方です。又 釈迦牟尼仏とも呼ばれます。


 小乗仏教(上座部仏教)では 釈迦如来(釈迦牟尼仏)は 現世に於ける唯一の仏とされて居ります。そして 最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(あらかん)と呼ばれ、仏である釈迦の説法によって解脱した聖者と位置付けられています。


 大乗仏教では 釈迦如来は 十方(東西南北と その中間である四隅を足した八方と 上下を加えて 十方)と 三世(過去、未来、現在)の中に位置する諸仏の一仏であり、現在の娑婆(堪忍世界)の仏であるとされます。又 三身説では 仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされます。


 大乗仏教の中の 特定宗派では 釈迦牟尼仏は 古代インドで活躍し、肉体を持った ゴータマ・シッダルタ(釈迦)を指すのではなく、インドで生誕する前の悠久の昔から存在し、入寂の後も 遙か未来まで存在して行くという 信仰上の 釈迦牟尼世尊である と説きます。


 釈迦如来は インドを始めとして 仏教が布教された各地で 造像されて居りますが、日本では 誕生像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像などが御座いますが、釈迦が法を説く姿である 説法像が一般的です。著名な作例としては 奈良の法隆寺金堂、室生寺金堂 京都の清凉寺、蟹満寺、大報恩寺などの釈迦如来像が御座います。


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不動明王

 今回は十王信仰に於いて最初の審理を行う不動明王に付いて書かせて頂きました。

 

 不動明王とは 初七日の審理を行う泰広王の本地であり、梵名をアチャラ・ナータと呼び 真言宗をはじめとして、天台宗、禅宗、日蓮宗などで 幅広く信仰されて居ります。アチャラは ”動かない”、ナータは ”守護者” を意味して ”揺るぎ無き守護者”を意味して居ります。

 

 不動明王は 密教の本尊である大日如来の化身、又は 大日如来の決意の一つを表したものと考えられて居ります。日本へは 空海(弘法大師)が密教を唐より伝えた際に不動明王の図像を持ち返ったとされて居ります。真言宗では 大日如来の脇待として、天台宗では在家の本尊として置かれて居ります。大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊、あるいは お不動さんなどと呼ばれ 親しまれて居ります。

 

 不動明王の起源は ヒンドゥ−教の最高神シヴァ神にあるという説が有力であり、アチャラ・ナータはヒンドゥ−教でシヴァ神の別名とされて居ります。密教がヒンドゥ−教を取り込む為に シヴァ神を不動明王として 大日如来の眷属に取り込んだと考えられます。


 密教では三輪身といって ほとけは 自性輪身、正法輪身、教令輪身と言う三っの姿で現れるとされます。自性輪身(如来)は 宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、正法輪身(菩薩)は 宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指します。これに対し 教令輪身は 仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し、教え、諭し、 仏法に敵対する事を力ずくで抑え、外道に進もうとする者を内道に戻す等 極めて積極的な介入を行う姿を指します。不動明王は大日如来の教令輪身とされ、煩悩を抱える最っとも救い難い衆生をも 力ずくで救う為に 憤怒の姿をして居ります。 


 不動明王の像としては 京都 東寺御影堂の木造不動明王坐像や 和歌山 金剛峯寺の木造不動明王立像が有名です。又 関東三大不動として 東京 高幡山金剛寺、千葉 成田山新勝寺、神奈川 雨降山大山寺が賑って居ります。


   今回は以上です。

返礼品

 今回は返礼品に付いて書かせて頂きました。

 

 返礼品とは 葬儀(葬送儀礼)に於いて お手伝い頂いた方々や会葬の方々に振舞う品物の事を指します。これは 他者に布施をする事により仏に徳を積み、これを故人様に振り向ける為の供養の品で、供養品とも呼ばれます。返礼品には 通夜返礼品、会葬返礼品、香典返し、法要返礼品などが御座います。

 

 通夜や葬儀の際に 弔問客や会葬者に 食事や酒を振舞ったり、お菓子などを出したりするのは 故人様の滅罪を願って行われるお布施の一つです。又 葬列が出発する際に 目の粗い竹籠にお菓子や小銭の包みを入れて 振り回しながら 見送りの方々に振り撒く習慣が最近まで御座いましたが、これもお布施の一つでした。このお布施には 仏教葬儀特有の 故人様の供養と言う意味と、会葬頂いた方々への感謝の品という意味合いが込められて居ります。

 

 通夜返礼品は 通夜に弔問に訪れた方への返礼品です。しかしながら 近年では通夜の弔問客が増える傾向に有ります、又 葬儀・告別式には出られないので通夜に来られると言う方も多くなりました。返礼品の目的も 通夜振る舞いに出られな方へ、或いは通夜振る舞いは行わずに返礼品のみお渡しする形なども増えて参りました。そして 通夜返礼品と会葬返礼品は同じ品物をお渡しするのが一般的と成りました。


 会葬返礼品は 葬儀・告別式に会葬された方への返礼品です。本来は会葬に来られた全ての方へお渡しする品物で、ハンカチやはがきのセットなど 5百円前後の品物を粗供養品として用意致しました。近年 都市部を中心として 儀礼を簡素化する目的で 香典を供えて頂いた方へはその場で香典返しをお渡しする ”即返し” の習慣が増えて参りました。特に横浜では この即返しが一般的となつて居ります。


 香典返しは 香典をお供え頂いた方々へ 四十九日法要後の忌明けにお礼の書状を添付してお届けする品物です。品物は半返し(香典の半額)や 三分返し(香典の三分の一)の習慣に従い用意します。前記致しました 即返しの場合は 通夜・葬儀・告別式の席に三千円前後の品物を用意してお返しいたします。但し 高額の香典をお供え頂いた方には 別途 忌明けにお返しを用意します。そして 香典返しを行わない場合も御座います、お供え頂いた香典を 社会福祉の為に寄付したり、遺児の養育費に充てたりする場合です、この様なケースでは 故人様の忌明けにお礼状を出状して お礼と共に お供え頂いた香典の用途をご報告致します。


 法要返礼品は 四十九日、百ヶ日、一周忌、三周忌などの法要に参列頂いた方への引き物です。


   今回は以上です。

香典

 今回は香典に付いて書かせて頂きました。

 

 香典とは 仏式のご葬儀で 故人様の霊前に供える金品を指します。古くは 香奠と書き、故人様の霊前に香を供えると言う意味でした。その後 香・線香に代えて金品をお供えする様に成りました。本来の香奠は 奠の文字が当用漢字より外されて以降、典を当て字として使用するように成って居ります。

 

 香典は金銭、あるいは品物を 霊前にお供えする訳ですが、古くは品物 特に米や食料が主としてお供えされました、これを食料香典と言います。金銭香典は貨幣経済の発展と共に都市部を中心に普及しました。室町時代後期には武士が金銭香典をお供えしたとの記録が有ります。

 

 食料香典の由来は 農村部の地域共同体では ご葬家は 故人様の成仏を願い、贖罪する為の お布施として 人々に食事を振舞う習慣が一般的でした。古い記録では 葬儀の期間 地域の共同体の人々は 子供を含めて 自宅で食事をする事無く 葬家の振る舞いで過した、などと有ります。従いまして ご葬家では 多量の食物が必要となり、故人様との交わりの濃さに合わせて、親族香典、村香典、等が 米・野菜・酒などで提供され 貧富に係わらず、共同体の相互扶助により葬儀を執り行う事が出来ました。又 葬儀を出した時の香典帳は 長く保管して 他家の葬儀の際は その香典帳を参照して 見合った香典を包む習慣にもなって居りました。


 現在の金銭香典の相場は 近隣の方;3千―5千円、勤務先関係・友人;5千―1万円、一般親族;1万―3万円、兄弟姉妹;3万ー5万円、父母;5万―10万円位となります。伝統的な禁忌としては 奇数は陽数であり、偶数は陰数として 金額や紙幣の枚数では偶数を避ける様にといわれて居ります。しかしながら 現在では 1万円の次が3万円では その差が大き過ぎると言う事で 2万円と言う金額も使用される様にも成って居ります。


 香典の上書きは 四十九日法要までは 御霊前、それ以降は 御仏前と 薄墨で書きます。但し 浄土真宗では 死去即成仏と成りますので 御霊前は使用しません。又 曹洞宗などの禅宗では 教義に浄土は有りませんので 成仏以前という考え方が無いので 御仏前とするのが一般的です。

尚 会葬者の立場から考えると 必ずしも ご葬家の宗教・宗派を理解した上で会葬するとは限りませんので、御自身の宗旨で上書きを選択しても良い考えます。


   今回は以上です。 

献花

 今回は献花に付いて書かせて頂きました。

 

 ご葬儀に於ける献花とは 故人様との告別を祈る作法として 仏教に於けるご焼香、神道に於ける玉串奉奠が御座いますが、無宗教、キリスト教、お別れ会、ホテルでの葬儀などの場合は これに変わる形として 参列者は 故人様にお花を供えて 告別をお祈りします。

 

 故人様との告別の儀式としてお花を供える習慣は 日本独自のものと言えます。しかしながら 故人様の逝去を悼み お花を手向ける習慣は世界中で古くから有りました。例えば 紀元前20万年から二万数千年まで ヨーロッパを中心に分布していたとされるネアンデルタール人の遺跡では イラク北部のシャニダール洞窟で 屈葬の形で遺体が埋葬され、その化石と共に ノコギリソウやヤグルマギクなどの花粉が大量に発見されて居ります。ネアンデルタール人には 死者を悼む心が有り、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があったと考えられて居ります。又 日本国内の古墳でも 花粉や花の種の化石が発見されて居ります。

 

 日本に於ける最初に行われた 無宗教葬儀(告別式)は明治34年に死去した中江兆民の告別式です。中江兆民は無神主義者で 生前より葬儀の施行を拒否して居りました。その後 著名人の間で無宗教の告別式がはやりと成り、告別のお祈りをする際 神道の玉串に変えて生花を供える様に成りました。キリスト教の場合、本来 献花の習慣は有りませんが、日本に於いてのみ 無宗教告別式と同様に献花をする様に成りました。ホテルでの葬儀の場合 仏教の葬儀であっても 会場側の都合により 焼香が出来ない為、焼香に変えて献花を行います。

 

 告別の為の献花は日本特有と言われるのに なぜ米国のアーリントン墓地で献花をするのか と聞かれます。

アーリントン墓地は戦没者墓地として有名ですが、それ以外に 二十年以上軍籍にあった死者も 宗教に係わらず埋葬する事が出来ます。そして 第一時世界大戦以降の無名戦士のお墓が御座います。同様の墓地は イギリスとフランスにも存在します。関係国要人が献花するのは この無名戦士の墓のみです。

 

    今回は以上です。

 

 

玉串奉奠

 今回は神葬祭に於ける玉串奉奠(たまぐしほうてん)に付いて書かせて頂きました。

 

 玉串奉奠とは 神式のご葬儀に於いて 故人様を告別する為の玉串拝礼を指し、仏教の葬儀に於ける ご焼香に該当します。真榊の小枝に紙垂(しで)をつけたもの(玉串)を神前に捧げ 故人様が神の下に戻り 無事にご葬家の守護神になられる事を祈念致します。

 

 神社本庁編の ”神社祭式同行事作法解説” によれば 玉串を捧げる事(玉串拝礼)を 玉串は神に敬意を表し、且つ神威を受ける為に祈念をこめて捧げるものである と説明されて居ります。

 

 玉串の由来は 天照大御神の天の岩戸隠れの際に 神々が行った祀りでは真榊に玉や鏡などをかけて、天照大御神の出御を仰いだ との古事記の神話によります。その語源には 幾つかの説が有り、神前に手向ける為の手向串であるという本居宣長説、本来は木や竹の串に玉を着けたものであったので 玉串と称したと言う 平田篤胤説、真榊は神霊の宿る料であり 本来は 霊串(たまぐし)であると言う 六人部是香(むとべよしか)説等です。玉串は神霊を迎える依代であり 祀られる神と祀る人の霊性を合わせる仲立ちとしての役割を果たす供物であると言われます。

 

 玉串奉奠の作法は以下の通りです。

1 神職より玉串を受取ります。

   右手のひらを下に向けて玉串の下部を持ち、左手のひらを上に向けて上部を支えます。玉串は胸の高さに持ちます。神職は玉串を渡した後 小損(軽いお辞儀)をしますが、答礼の必要は有りません。

2 神前に立つ前に作法を行います。

   玉串を時計回りに回して 玉串を立てます。左手を右手と同じ位置まで下げ、玉串を手前に引いて 祈念を込めます。そして玉串を体から離して 右手を玉串に中ほどまで上げ 右手を手前に、左手を向こう側に動かして時計回りに回します。玉串の根元を神前に向け 左右の両手で持ちます。左足から一歩進み 玉串を玉串案(机)の上にお供えします。右足から一歩退き 神前で二拝、二拍手、一拝します。尚 二拍手は 両手を打つ寸前で止める しのび手により行います。

 

以上ですが 要点は 玉串は時計回りに回す事、玉串は一旦 立てて祈念を込める事の二点です。

 

   今回は以上です。

 

 

焼香

 今回は焼香に付いて書かせて頂きました。

 

 焼香とは 仏教に於いて 仏や故人様に対して 香を焚いて拝む事を言います。焼香には 線香焼香と抹香焼香が有りますが、一般的には 抹香焼香をさし 通夜・葬儀・法要などでの 故人様との告別に使用されます。心身の穢れを取り除き、清浄な心でお参りする際の作法とされます。左手に数珠をかけ、右手の 親指、人指し指、中指の三本で 香をつまみ 香炉にくべます。

 

 焼香の作法は ご宗派により異なりますが 主としては以下の通りです。

 

天台宗; 焼香回数に付いて特に定めは有りません。

真言宗; 焼香三回、線香も三本立てます。身、口、意の三業を清めるとされます。

臨済宗; 回数に拘りません。

曹洞宗; 焼香二回、線香は一本。初回は香をつまみ額に押し戴いてから焚きます。二回目は押し戴かずに炊きます。初回を主香、二回目を従香と言います。

浄土宗; 特に定めは有りませんが一回から三回までの間で焼香します。線香も一から三本立てます。

日蓮宗; 焼香は三回、線香は一本立てます。

    以上の宗派では焼香の前に 香を額に押し戴きます。

真宗大谷派; 焼香は二回、香は額に押し戴きません。線香は立てずに 折って寝かせます。本数の定めは有りません。

浄土真宗本願寺派; 焼香は一回、香は額に押し戴きません。線香は立てずに 折って寝かせます。本数の定めは有りません。

 

 以上の様に焼香の作法は宗派により異なります。ご葬家の宗派と ご会葬の方の宗派が異なる場合 以前はご葬家に合わせると言う考え方が有りましたが、信教の自由の観点から 会葬者の方のお気持ちを尊重するのが良いのではないでしょうか。特に 他の宗教の場合は 焼香を禁じている場合も御座います。又 会葬の方々が多数の場合は宗派に係わらず、焼香を一回に制限させて頂く場合も御座います。

 

   今回は以上です。

死亡広告

 今回は死亡広告に付いて書かせて頂きました。

 

 死亡広告とは 故人様のご逝去を広く社会に伝える為の広告で 主として日刊新聞を利用します。その費用は 依頼する大きさ(スペース)と 依頼先の新聞社により異なります。又 死亡記事が御座いますが これは 新聞社が独自の判断で 著名人の物故を記事として掲載するもので 費用は発生致しません。

 

 死亡広告は ご遺族、或いは施主様のご希望により ご逝去の事実と 葬儀・告別式の 日時・場所を広く告知する事が目的です。通常は新聞の紙面にて 黒枠で囲まれますので 黒枠広告 とも言われます。広告内容に於ける 決まりは特に有りませんが 物故者の肩書、氏名、享年、葬儀・告別式の日程、場所、喪主、葬儀委員長(施主)などを記載します。供物・献花・香典を辞退する場合は それを明記します、何も書かない場合は お受けする前提となります。又 葬儀と告別式を別に行う場合は それも明記する方が良いでしょう。

 

 死亡広告は 各新聞社ともに 特別扱いとしており 希望掲載日の間際の申込みでも 極力 調整して掲載の努力をしてくれますが、あまりに急な場合は 紙面の確保が出来ない場合も御座いますので、なるべく早めの手配が必要です。

 

 死亡記事に付きましては 各新聞社とも 特定の 死亡記事書式を用意しており どなたでも新聞社に送る事が出来ます。記載するかどうかは新聞社の判断となります。掲載が決定すると 新聞社より内容確認の電話が入ります。

 

 尚 日本に於ける 最初の死亡広告は 1873年1月14日の 日新真事誌に掲載された 明治政府 外務少輔 上野景範氏 ご尊父の死亡広告とされて居ります。

 

   今回は以上です。

法事

 今回は前回とは異なる観点で法事(法要)に付いて書かせて頂きました。

 

 法事(法要)とは 十王信仰や十五王信仰を元にして営む 追善供養を指しており、その他に月命日、お彼岸、お盆の法要などが含まれます。

 

 まずは 中陰の間に営む 初七日から七七日まで の七回の法要が御座います。故人様がご逝去された日を一日目として 七日毎に営む法要ですが、現在では 初七日はご葬儀・ご火葬の後 同日に営むのが一般的と成りました。特に横浜市営の斎場をご利用頂く際は ご葬儀・告別式と合わせて ご火葬の前に初七日法要を営ませて頂いて居ります。これは ご参加頂く方が何度も足を運んで頂かなくとも良い様、又 斎場をより多くの方にご利用して頂く為で御座います。更に ふた七日から む七日までの 5回の法要はご家族だけで営み、僧侶 関係者をお呼びして営む事も少なく成りました。七七日(四十九日)は忌明けの法要と共に納骨 そして精進落とし を営まれるのが一般的です。法要の日取りは早めに 僧侶とご相談され ご出席頂く方々に ご案内状を出状して ご連絡されるのが良いでしょう。法要の日取りは ないがしろにしない と言う事で 正しい日取りより早い日に営む事が許されます。ご出席の方々のご都合を考え、早い日の日曜・祭日を選ぶのが良いでしょう。

 

 以降 百ヶ日、一周忌、三回忌と続きますが 日取りは七七日法要と同様に選び 営みます。尚 現在では 百ヶ日法要を営む事は無くなりました。

 

 ご法要に招待する方々の範囲に決まりは有りませんが 故人様との関係、ご家庭の事情を慎重に検討してお決め頂く事が良いでしょう。法要の会場は ご自宅、寺院、墓地霊苑の会場、料理屋、ホテル等 ご都合の良い会場をお選び頂けます。

 

   今回は以上です。

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