古代の葬儀観

 今回は日本古来の葬儀観について書かせて頂きました。

 

 日本に於ける古代の葬儀観としましては まず 死者を一定の期間 生きている者と同様の扱いしている事、そして 死は穢れたものであり、死の世界や死霊に対する恐怖が示されて居ります。

 

 前回 書かせて頂きました もがりの期間では 死者を丁重に扱い、蘇りを祈念して 食事を供する等、生きている者と同様の扱いをして居ります。古代では 現代と違い 死を明確に判定する事が出来ませんでした、従いまして 人が死んだ事を納得する為には、ご遺体の腐敗や白骨化の確認する為に一定の期間が必要とされました。現代でも 医師が死亡の判定をした後でも、24時間は火葬にお付せする事は 伝染病で亡くなられたケースを除き 法律で禁止されて居ります。現代では 死の判定は特定時点で行われますが、古代では 死の判定の為に一定の期間が必要とされた訳です。その意味では もがりの期間は 生と死の境界線の期間といえます。

 

 古代では 死は穢れたものであり、死霊は生きている者を死の世界へ引きずり込む恐ろしいものと考えられて居りました。古事記の中にも 黄泉の国(よみのくに)の記述があり 汚い世界として描かれて居ります。もがりの期間に 歌舞を行うのは 死霊は荒ぶるものであり、生きている者に厄災を及ぼしかねないとの考えから、その霊を鎮める為でありました。古代の葬儀観には 死者を大切に扱う考えと 死を穢れた恐ろしいものとの考えが併存して居りました。死霊への恐怖は古くから有り、縄文時代に見られる 腕や膝を折り曲げた屈葬や、遺体の上に石を置いた抱石葬は 死霊を恐れて自由にさせない為の方法と考えられて居ります。

 

  今回は以上です。

もがり

 今回は”もがり”に付いて書かせて頂きました。

 

 もがりとは 日本の古代、仏教の伝来前に行われていた葬儀儀礼の一部で、死者を埋葬するまでの一定期間ご遺体を安置し、死者との別れを惜しみ、その霊魂を祀り 慰め、死者の復活を願う、と共に遺体の腐敗 白骨化などを確認して死者の死を確定する為の期間を”もがりの期間”と呼んで居りました。その期間は数ヶ月から3年の間で死者の地位により異なりました。現代の通夜は もがりの期間が一夜に短縮されたとの説も有ります。

 

 もがりに関しましては 古事記、日本書紀、そして万葉集などに記録が散見されますが、古事記(712年)の中に 天若日子(あめのわかひこ)の葬儀の様子が記述されて居ります。

 すなわちそこに喪屋を作りて、河雁(かわがり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺を掃持(ほほきもち)とし、翆鳥(そにどり)を御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うずめ)とし、雉を哭女(なきめ)とし、かく行いを定めて、日八日夜八夜を遊びき。

遺体を安置する為の小屋(喪屋)を作り、遺体安置後、八昼夜 死者を慰める為に歌ったり踊ったりしたと書かれて居ります。この中で 岐佐理持は旗持ち役、掃持は喪屋を掃除する箒を持つ役、御食人は死者に食事を出す役、碓女は死者の膳に出す米をつく役、哭女は悲嘆を表現して泣く役、遊ぶは歌舞を意味します。

 

 もがりの儀式は 大化の改新以降に発令された 薄葬令や、仏教と共に伝来した火葬の普及により 衰退しましたが、もがりの宮(喪屋)の習慣は現在の皇室典範の中に生きて居ります。もがりの宮は 皇居宮殿内に仮設される遺体安置所の名として使用されて居り、天皇 崩御後 13日目にご遺体を収めた柩は 御所から宮殿内に仮設された もがりの宮に移御され、崩御後 45日を目途に行われる大喪の礼までの間、もがりの宮拝礼の儀を始めとする 諸儀式がもがりの宮内で執り行われます。

 

   今回は以上です。  

葬儀の意味

 今回は葬儀の意味に付いて書かせて頂きました。

 

 現在では 葬儀の形骸化が多くの方々により語られる様に成りました。しかしながら 葬儀は大切な営みであり、ご遺族様の心の拠り所でも御座います。故人さまの生と死は 故人さま特有のものであり、その葬儀も故人さま特有の葬儀であらねば成りません。古来からの習慣、仕来りと共に 故人さまとご遺族のご意向をふまえたご葬儀で在らねばなりません。

 

 私ども ご葬儀をお手伝いする立場の者と致しましては 葬儀の習慣的な営みの意味を理解すると共に、故人さまの生と死は故人さま固有の価値を持つもので有り、その葬儀は二つとない故人さまの為の葬儀とし、ご遺族の方のお心を大切にした式でなければならない事を自覚しなければ成りません。ご遺族さまの悲しみを理解してお手伝いするには 自分自身が悲しみを感じることの出来る人であらねばなりません。

 

 現代では 地域社会の結びつきも弱くなり、町内会や団地の組合でも 葬儀を取り仕切る事は稀なケースとなって参りました。そんな中では ご遺族の相談相手として、私共は 心の相談にものれる 葬儀の専門家であらねばなりません。又 以前とは違い、故人さまの葬儀は 故人さま ただ一つの葬儀であり、ご遺族のお心に残る葬儀であらねばならないと考えて居ります。ご葬儀のお手伝いをさせて頂く中で、ご要望を伺い、いろいろな事を学ばせて頂ければと愚考致して居ります。

 

 ご葬儀の主体は あくまでも故人さまであり、施行の責任はご遺族さまが そして その執行は 僧侶、神職、神父、牧師などの宗教者があたります。私共 葬祭ディレクターは それを側面からお手伝いさせて頂く訳ですが、ご遺族さまとの接触が最っとも多い私共が そのお心をくみ取り、流れの中に反映させねばなりません。

 

   今回は以上です。

葬儀文化

 今回は葬儀文化に付いて書かせて頂きました。

 

 葬儀は 6万年前のネアンデルタール人の時代から 人が亡くなられると 営まれて来たと考えられます。そして 地域、民族、宗教により創り出された文化と その死生観が融合して、葬儀文化が出来上がりました。又 葬儀文化は それぞれの死生観を現すだけでなく、生活文化、精神文化をも反映した、人の生死に係わる総合文化とも言えます。

 

 葬儀文化は 長い歴史を通して 地域の人々が培って来たものであり、その中には多くの優れた知恵が含まれて居ります。葬儀文化に含まれるものを、過去の物と切り捨てる前に、そこに含まれる意味を学んだ上で取捨選択をし、込められた精神文化を大切にする事も必要かと考えます。文化は長い過去の歴史の上に作られ、時代や環境に合わせて変化してゆきます、葬儀文化の中でも現在に合わない物や、今の御遺族に合わない物があれば、そのまま継承する必要は有りませんが、その文化がどの様に作られ、どの様な目的を持っていたかを学び、長く続いた習慣、儀礼、文化を思い起す事も大切ではないでしょうか。

 

 私ども自身も 葬儀が形骸化してしまわぬ様、葬儀の意味を再確認して、この時代とそのご遺族に合った、適切な葬儀をお手伝い出来るべく努めねばなりません。地域社会の変容、核家族化、高度高齢化社会などを迎え、死生観も多様化する中で、故人さまとご遺族さまの葬儀文化に合わせたご葬儀をお手伝いさせて頂くべく、努める所存でございます。

 

   今回は以上です。

葬儀から学ぶ

 今回は葬儀から学ぶ事に付いて書かせて頂きました。

 

 葬儀を執り行う中で 学べる事が幾つか有ります。それは 身近な方の死から生の大切さを知る事、どんな命も重いと言う事、自らも何れは死すべき者と言う事です。

 

 故人さまの死を悼んで 人々が集まり営まれる葬儀は 生ある者は必ず死を迎えると言う現実を知らしめ、人の死が 周囲の多くの人々に悲嘆をもたらす程 大きな事実であることに直面させられ、集まる人々に人の命の大切さを体験的に教えてくれます。又 葬儀の場で 人々は死の事実に直面し、その事実の大きさから生の大切さを知ります。そして 故人さまの軌跡に思いをするとき 人の死は けっして終わりや、無に帰するものではないと言う事を学びとります。

 

 人の生と死は 重く、大切なものです。葬儀で 故人さまの生き様に思いを致し、ご遺体を大切にし、故人さまに寄せる ご遺族の痛みを思い遣り、会葬者の方々の心に思いをする時、どの様な命も重いものと知らしめられます。人の死は 軽いものでは有りません、それは その人の生、命が重いからです。

 

 葬儀を執り行い 故人さまを悼み、故人さまと別れ、故人さまを送り出すとき、参列された方々も いずれ死すべき者である と言う事に思いを致すでしょう。死と言う事に関しては 死者と 残された者との違いは 先に逝く者と、後から逝く者との違いでしか有りません。

私たちも 何れ死を迎えなければならない者であります。

 

   今回は以上です。

 

葬儀の様式

 今回は葬儀の様式(キリスト教)に付いて書かせて頂きました。

 

 キリスト教に於いて 信者の死は 天に昇り神の下で永遠の命を得、復活への希望を待つ事とされます。従いまして キリスト教の葬儀は 故人さまのご逝去を悼む事は勿論ですが、残された方々の為に祈る事を主な目的とします。

 

 カトリック教会に於ける葬儀は 第二バチカン公会議で決められた文書の一つである 典礼憲章の第81条 ”葬儀はキリスト信者の死の過ぎ越しの性格をより明らかに表現し、典礼色を含めて各地方の状況と伝統により良く適応したものでなければならない” を基に作成された カトリック教会の儀典書”葬儀”(1969年発表)により執り行われます。キリスト信者の過ぎ越しの性格を表現するもの との宣言から 死は信者にとって完全な終わりではなく、永遠の命と復活への希望に入るものとして 帰天とも呼ばれて居ります。又 カトリックの葬儀は 全世界一律ではなく 地域の文化と融合されて居り、日本に於いても 通夜、葬儀の流れで行われ、他国では無い 献花や 場合によっては焼香が行われることも有ります。

 

 通夜では 聖書の朗読、聖歌、死者の為の祈り、柩への献香、参列者による献花 又は焼香、遺族代表挨拶 などが行われます。通夜は教会では無く、自宅で行う行うケースも多く有ります。

 葬儀は 教会で 葬儀ミサとして行われるのが一般的です、聖書朗読、聖歌、祈り、説教が行われ、その後 告別式として 故人の紹介、弔辞、弔電の紹介、献花、遺族代表挨拶が行われます。尚 ミサ以外の司会は 信徒が行う事も可能です。

 

 プロテスタントに於いても 人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる神とイエス・キリストのところえ召される事で有り、イエス・キリストの再臨に合わせて復活する為の準備に過ぎないとされ、地上に残されたご遺族の寂しさは慰められるべきであるが、故人さまの逝去そのものは悲しむべき事ではないとされます。

プロテスタントの葬儀は 本来 葬儀・埋葬礼拝の一日のみですが、日本に於いては 仏式に合わせ 前夜式と葬儀・告別式の二日間で行うのが一般的です。前夜式は自宅で、葬儀は教会で行うケースが多く見られます。葬儀の礼拝は 祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などが行われ、その後 追悼の辞、遺族挨拶、献花、牧師の説教などが加えられます。日本では キリスト教徒の比率が低く、参列者はもとより ご遺族すらもキリスト教徒で有る事が期待できない為、宗教的純潔主義よりも 地域の習俗を重んじる方々への配慮が優先されます。

 

 キリスト教の葬儀では 六曜(友引)を避ける必要は有りませんが、一般的に友引の日は火葬場が休業の為、避けざる得ないのが実情です。

 

   今回は以上です。

 

葬儀の様式

 今回は前回に続き葬儀の様式(仏教)に付いて書かせて頂きました。

 

 現在 日本に於ける葬儀の90%以上は仏式で執り行われて居ります。これは 江戸時代に徳川幕府によれ施行された寺請制度に始まります。それ以前には 葬式組と呼ばれる村落共同体の一組織が葬式を取り仕切り、棺や葬具を作り、炊き出しなどを行って居りました。1635年頃から寺請制度が始まり、葬式は僧侶の指導により執り行われ、位牌、戒名、仏壇などが取り入れられ始めました。

 

 仏教の葬儀は 浄土真宗や日蓮宗を除き 葬儀は死者に対する 授戒成仏を主な目的として行われます。すなわち 死者を仏弟子となるべく発心した者とみなし、戒を授け 成仏させる為の儀式です。

 

 浄土真宗では 教えの上で 無戒のため授戒は無く、仏徳を讃嘆し、故人さまを偲んで報謝のまことを捧げる儀式となります。又 迷信を忌む教えから 日や方向に吉凶を選んだり、守り刀、逆さ屏風、左前の死に装束、北枕、六文銭の副葬、振り塩などの習俗は行いません。

 

 日蓮宗では 法華経を唱える事自体が 戒を保つことであるとして 死後の授戒は行いません。但し 寺院によっては 通夜の時に授戒作法を行うケースもあります。

 

 仏教の葬儀に一般的な流れは まず 死後すぐに枕経を行い、ご遺体を湯灌した後に納棺して通夜を行います。翌日に葬儀と告別式を行い、ご火葬・拾骨 又は土葬となります。現在の横浜では 葬儀会場は葬斎場で営むケースが多く 又 会葬者が度々集う事が難しい事も有り、初七日を告別式に続けて行う事が一般的となり、お斎の席も ご火葬の待ち時間を利用して営む様に成りました。 

 

   今回は以上です。

葬儀の様式

 今回は葬儀の様式について書かせて頂きました。

 

 日本に於ける葬儀の様式と致しましては 宗教に捉われない 助葬、友人葬 又 信仰する宗教を基にした 神道、仏教、キリスト教(カトリック・プロテスタント・正教会) などが主な形となります。

 

 助葬とは 生前の縁者や身寄りの方が居られなかったり、居られても葬儀を行う事が出来ない場合は 替わって 市区町村の社会福祉事業や慈善事業団体、又はNPOなどによって行われる形態の葬儀の事です。ホームレスなどで生活保護などの支援を受けて居ない死者であっても、各地方自治体が定めた定額の中で ご遺体保全、ご火葬、共同墓地への埋葬までを助葬と呼んで居ります。横浜市の場合は 共同納骨堂は用意されて居り、無料で納骨をする事が出来ます。又 2年間に限り ご遺骨を保管する制度も用意されて居ります。これらの手続きは 助葬を取り扱う葬儀社でお手伝いが可能です。

 

 神道に於ける葬儀は神葬祭と呼ばれます。神道では死を穢れたものと考え、聖域である神社では葬式を行わず、ご自宅か葬祭場で行います。横浜市営の斎場 3ヶ所では神葬祭を行う事が出来ます。最近は信徒の強い希望により、神社内で葬儀を行う事も多くなりました、この場合は 神殿と葬儀会場の間に式幕による結界を設けて行います。

式のおおまかな流れは まず神職により 塩水の湯や大痲等によってご遺族・参列者・会場を祓い清める 修祓が行われます。そして神職により祖霊に対して供物である神饌が供されます。神職は祭詞を奏上し、故人さまの生前の業績を述べご遺徳をしのびつつ、祖霊となってご遺族を守ってくれるよう祈念します。参列者は玉串をささげ、二拝二拍手一拝を行い故人さまを偲びます。このとき二拍手は 音を立てない しのび手 で行います。

神道では お墓を 奥津城(おくつき)と呼びます。墓石には 〇〇家の奥津城 と刻みます。又 仏教の位牌に当る 霊璽(れいじ)を祀る場合は御霊舎(みたまや)を置いてお祀りします。

 

   今回は以上です。次回は続いて仏教、キリスト教を書かせて頂きます。 

葬儀の役割

 今回は葬儀の役割に付いて書かせて頂きました。

 

 人は誕生した後には 何れの日にか死を迎えなければ成りません。そして 人がご逝去された後には 各種の処理を行わなければ成りませんが、その多くを葬儀により担う事と成ります。主な役割としては 社会的な処理、ご遺体の処理、霊の処理、悲嘆の処理、さまざまな感情の処理、などが考えられます。

 

 生のあるところには 必ず死があります。それは病であったり、突然の事故であったり、老衰によるものであったり、又 その年齢も様々で、人の死には一つとして同じものは有りません。そして 人の死により様々な事が起こります。その処理をする為 葬儀を執り行う事となります。

1 社会的な処理(社会的役割)

   人は社会の中で生活して居ります、人の死は社会に告知すると共に、社会はその死を受入れなければ成りません。

2 ご遺体の処理(物理的処理)

   死者の身体は 生命を失うとともに腐敗が始まります。その為 ご遺体を土中に埋めたり、火葬をしたり、エンバーミングしたりなどの処理が必要と成ります。特に 土葬やご火葬などの処理は ご遺体との訣別となりますので、単なる物理的な処理以上の意味を持つ事と成ります。

3 霊の処理(文化・宗教的役割)

   人は死ぬ事により この世に残された人との関係を閉ざします。残された人々は 異なる世界の故人さまの幸せを祈ると共に 新たな関係を作り上げなければ成りません。これは 日常の営みを超えるものであり、多くは宗教的儀礼により行われます。これが葬儀の目的の主要な部分の一つとなります。

4 悲嘆の処理(心理的役割)

   人の死は周囲の方々に衝撃を与え、悲しみ、心の痛みをもたらします。従い 周囲の人がその死を受入れる為には それなりの思考と時間が必要と成ります。葬送儀礼は そのプロセスに沿って執り行われ、ご遺族の悲嘆を癒す事も主要な目的に一つとなります。

5 さまざまな感情の処理(社会心理的役割)

   人が死ぬと 周りの人々はさまざまな感情に捉われます。古くは 人の死は新たな死を招く とか 祟りを引き起こす とか ご遺体の腐敗に対する恐怖心などです。これらの恐怖心を和らげる為 死者の霊を鎮魂する儀礼が要請されました。

 

 葬送儀礼は 宗教、時代、民族、地域などにより さまざまな行われ方が有りますが、人が死ぬと言う事は 人の大切な命が失われると言う事で有り、故人さまの命の大切さに見合った葬儀が営まれることを祈念致します。

 

   今回は以上です。

葬儀

 今回は葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 葬儀とは 仏教に於ける葬送儀礼の略で、一般的には葬儀式を指して居りますが、本来の意味では 故人さまのご臨終から、死後の喪に至るまでの、死者を葬り 悼む為の一連の祭儀・儀礼を指して居ります。

 

 葬儀は 人の死を弔うために行う祭儀であり、その様式は それを行う人たちの 死生観や宗教観が深く関っており、信ずる宗教の違いが そのまま様式の違いとなります。そして 葬儀は 故人さまの為だけでなく、残された方々の為に行われるという意味合いも強くあります。残された方々が 故人さまの死を その心の中でどの様に受け止め、位置付け、処理するか、これを援助するための儀式でもあります。従いまして 葬儀は 宗教が文明の中で体系立つ以前の旧石器時代から執り行われて来た宗教的行為であると言えます。約6万年前のネアンデルタール人も葬儀を行っていたと推定される報告がなされて居ります。

 

 日本に於ける葬儀の習慣では 通夜、葬儀、告別式、火葬、納骨と執り行われるのが一般的です。

通夜は古代日本の ”もがり” から発しており、葬儀の前夜祭の形態をとります。魔除けの為に 灯明や線香の火を絶やさぬ様、だれかが寝ずの番をします。但し 横浜市営の斎場では 消防署の指導により、夜間に火を焚く事は禁止されて居り、半通夜と呼ばれる形態で 夜間はご遺族にお帰り頂くケースが多くなりました。

葬儀・告別式は 宗教家の指導の下に執り行われます。告別式が終ると出棺となります、多くの参列者は ここで故人さまとお別れとなります。火葬場に向かう道と 帰り道は 同じ道を通らない という習慣がありますが、本来は 埋葬した死霊が 迷ってついて来れない様にと 昔 土葬が一般的であった時代の習慣が引継がれたものです。

葬儀終了後に 振り塩 と呼ばれる清めの塩を撒く習慣が有りますが、これは 神道古来の習慣が仏教の葬儀に融合したと考えられます。死を穢れとは考えない仏教では教義に反するとの意見も有ります。浄土真宗では当初より 清めの塩は使用しません。

 

   今回は以上です。

 

 

 

念法眞教

 今回は念法眞教(ねんぽうしんきょう)に付いて書かせて頂きました。

 

 念法眞教は 1925年(大正14年)小倉正太郎(小倉霊現)によって 立教開宗された仏教系の新宗教です。本部は 大阪府大阪市鶴見区緑の総本山 金剛寺に所在し、念法法語集を教典として布教活動を行い、信者数は80万人と公称されます。”人として行うべき誠の道―五聖訓” を基に 宗教宗派・国境・民族に捉われない世界平和の実現を説きます。

 

 開祖 小倉霊現は出生前に父を亡くし、祖父母に育てられましたが、祖父母の死去後 小学校を4年で中退し、苦しい少年時代を送ります。成人後も 出征、自身の病気、長男の病死などの苦しい経験をし 樋口セイ(霊媒師、教団内では霊生院と称す)に帰依して 心霊現象に傾倒しました。そして 1925年8月3日に阿弥陀如来から託宣を受け、大峰山で修験道修行の後に 神仏心霊感応会を発会し、その後 戦時下での 新体制運動・翼賛思想を鼓舞して教勢を大きく拡大します。1939年に天台宗の傘下に納まり 金剛教会と改称しましたが、戦後 新宗教ブームにの追い風を受け、1947年 小倉山金剛寺の名で独立し、1952年 現教団名の 念法眞教に改めて 宗教法人格を取得しました。

 

 教義では 世の立て直し をうたう一方 共産主義の脅威、北方領土返還、愛国心の滋養を訴え、宗教右派の性格を鮮明にして居ります。小倉霊現は常に戦闘帽を着用していたと言われます。又 既に入信している宗教を否定することは有りません。

 

 葬儀の施行に特別な規定は有りませんが、天台宗の葬儀に準拠して執り行います。

 

   今回は以上です。

 

 

 

 

創価学会

 今回は創価学会に付いて書かせて頂きました。

 

 創価学会は 1930年(昭和5年)牧田常三郎と戸田城聖を中心に設立された日蓮大聖人の仏法を信奉する宗教団体です。本部は東京都新宿区信濃町に所在し、会員世帯数は827万世帯と公称され、本仏は日蓮大聖人、本尊は日蓮により図顕された 文字曼荼羅、経典は法華経を使用し 布教活動をして居ります。

 

 昭和5年11月18日 日蓮正宗の信徒であり 東京都立白金尋常小学校の校長であった牧田常三郎と、同じく信徒の戸田甚一(後の戸田城聖)を中心にして、日蓮の仏法精神にもとずく教育の実践を目的とした 創価教育学支援会が結成されました。(創価学会ではこの日を創立記念日として居ります) その後 創価教育学会と改称し、1946年 創価学会と再度改称して現在に至ります。戦時中は苦難の時代で 昭和18年には 治安維持法違反 及び不敬罪の容疑で 牧田、戸田、他21名の幹部が逮捕 投獄され、牧田は翌年 東京拘置所内で獄死。昭和20年になり 戸田が出獄して 西神田に教育学会の本部を立ち上げ 布教活動を再開しました。

 

 本来 創価学会は宗教団体では無く、日蓮正宗の講(信徒団体)の一つでした。現在 名誉会長の池田大作氏も 当初は日蓮正宗総本山である大石寺の法華講総講頭に選任されて居りましたが、教義上の対立から 現在は 宗門と信徒団体の関係は消滅して居ります。

 

 教団の目的は 日蓮が説く 仏法の実践を通して、一人一人が真の幸福境涯を確立すると共に、生命の尊厳を説く仏法哲理を根本に、恒久平和、豊かな文化、人間性あふれる教育の創造を推進し、人類社会の発展に寄与すること と有ります。 

 

 葬儀は 所属する地域の 儀典長を中心の導師とした 友人葬となります。

 

   今回は以上です。

立正佼成会

 今回は立正佼成会に付いて書かせて頂きました。

 

 立正佼成会は 1938年(昭和13年) 霊友会の有力な信者であった 庭野鹿蔵と長沼政により創立された 法華系の新宗教で、在家仏教教団です。本部は 東京都杉並区和田2丁目に位置し、国内238教会 海外21ヶ国・67拠点を中心に布教活動を行い、会員世帯数;127万世帯と公称されます。ご本尊は 久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃかむにせそん)で、主要経典は法華三部経です。

 

 霊友会の新井支部・副支部長であった庭野鹿蔵と 庭野の勧誘で霊友会を信仰していた長沼政は 支部長で熱心な法華経行者であった新井助信の勧めを元に、1938年3月5日 大日本立正佼成会を設立しました。当時は満州事変から第二次世界大戦へと続く時代で、多くの人が苦しい生活を強いられていた為、多くの会員は現実的な救われを求めて修行に励みました。戦後は長沼副会長を中心とする霊能指導などで批判を浴びる事や、創価学会との軋轢なども有りましたが、活動の中心を法華経を背景とした先祖供養・教学研修・人間修養へと移し、それを基にした 地域社会・国家・世界平和の実現に向けて貢献してゆく活動にシフトして居ります。

 

 その信仰姿勢は ”心田を耕す”として この世に生を受けたことの不思議、有り難さを知り、一人ひとりが ”今・ここ・わたし”を充実させて、毎日を楽しく生きる心を培うように と説きます。そして 法華三部経を所依の経典として すべての人が人間的に向上して、最終的には仏になることができる と教えます。

 

 葬儀に付きましては 然るべき立場の方は 戒名を佼成会でいただき佼成会葬を執り行いますが、一般会員の方々は 日蓮宗のご導師をお呼びして執り行うのが一般的です。

 

   今回は以上です。

 

 

 

孝道教団

 今回は孝道教団に付いて書かせて頂きました。

 

 孝道教団は 1936年(昭和11年)岡野正道と岡野貴美子によって設立された 法華系 新宗教の在家仏教教団です。その沿革から天台宗系教団にも分類されて居ります。本部は 横浜市神奈川区鳥越38に建立された”孝道山”で、信徒数は16万人、孝道経典を基に 父母・祖先に対する考養の道・子や子孫に対する功徳の道を中心に 世界平和を目指すマイトリー運動を提唱して居ります。

 

 始祖 岡野正道師は 大正7年 埼玉県川越市の天台宗星野山無量寿寺中院に出家し、天台僧として寺務に従事した後、独自に法華経の研鑚に努め、昭和11年に開顕して教団を設立しました。その後 貴美子夫人と共に 孝道の布教に努め、昭和27年 現在地に孝道山 本仏殿を建立して根本道場にすると共に、天台宗との深い縁により、総本山比叡山延暦寺より 伝教大師請来の仏舎利を分譲され、後には 不滅の法灯 の分灯も請ける事と成りました。

 

 その教えは 信徒は家庭に本尊をお祀りし、朝夕 法華経を読誦して、慈悲(マイトリー)の心をもって人々の善き友となるべく心がける事とされます。マイトリーとは サンスクリット語で 慈(いつくしみ)を意味しますが、教団では 人も動物も木も草も、すべてのものが互いに助け合って生きている事を自覚し、一人一人が相手を思いやる暖かい心をもって生活する事が大切であり、このマイトリーが人類の幸せをひらく道として、マイトリー運動を推奨して居ります。この運動の為 マイトリーカードが作られましたが そこには;

 マイトリー(おもいやり)の生活

  −大自然の中に生かされている自分の存在を知ろう

  −家族に対する責任を果たそう

  −人びとと共に喜びも苦しみも分かち合おう

  −すべての生きものに対する思いやりをもとう

  −自分のもつ能力を世の中のために生かそう

と書かれて居ります。

 

   今回は以上です。

 

霊友会

 今回は霊友会に付いて書かせて頂きました。

 

 霊友会は 1920年(大正9年) 久保角太郎によって創立された、法華系の在家による新宗教です。本部は東京都港区麻布台に有り、本山 弥勒山は静岡県賀茂郡東伊豆町に置かれ、国内支局38ヶ所 海外支局15ヶ所を中心に布教活動を行って居り、会員数は426万人と公称されます。その目的は 在家による法華経の菩薩行の実践とその普及にあります。

 

 創立者 久保角太郎は 西田無学の思想と行法に感銘を受け、自らも 本格的に法華経の研究を始め、在家による実践方法を模索しました。その成果を基に第一次霊友会として南千住霊友会を結成し、その後 赤坂霊友会に変化し、最終的には1930年 貴族院議員 永山武敏男爵を会長に迎えて 現在の霊友会が発足しました。

 

 教義の基本は 仏教の縁起観によって自分自身を理解し直し、自らの問題点に気付き、その気付きを基に日常の行動パターンを変革させて行く事に有ります。自己という存在は 時間的・空間的な様々な関係性の中で現象して居り、自分に繋がる父系・母系の全ての先祖との関係性と、日常生活で触れ合う 他者との関係性の中に 自分の在り方が反映されている事を認識して 内省し 気付きを得ます。具体的には 自分に繋がる父・母双系の全ての先祖を象徴した 総戒名を前にして 日々 法華三部経から伐粋して編纂された 青経巻と呼ばれる 経巻を読誦します。これを霊友会では先祖供養と呼んで居ります。

 

 この先祖供養を通して 気付き を得、気付きによる変革の努力の成果を 他者と分かち合う事によって、他者にも 気付き を誘発し 悟りの連鎖が広がる事を期待しています。

霊友会の修行は 自らの悟りと他者の悟りを同時に希求するという 法華経が唱導した 菩薩行を実現する事に有ります。

 

 尚 霊友会においては 特別な葬儀の規定は御座いません。

 

   今回は以上です。 

本門仏立宗

 今回は本門仏立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)に付いて書かせて頂きました。

 

 本門仏立宗は 1857年(安政4年) 長松清風(日扇)によって開かれた、日蓮を宗祖と仰ぐ、法華系の一宗派で、新宗教に分類される事も有ります。大本山は 京都府京都市上京区の宥清寺で、信徒数 41万人とされます。その教えは 宗祖日蓮の伝えた法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱える修行を第一とし、それにより授かる 目に見える現証利益を強調するものです。

 

 長松清風は 人生への懐疑と求道心から 法華経本門の教えに帰依して一度は出家しましたが、当時の宗門の在り様にあきたらず、独自の道を歩み出し、京都新町通りで在家信徒を集めて 本門仏立講を始めました。正法弘通の働きのない寺院・僧侶の意義を認めず、また その様な宗門を否定したため、既成の寺院・僧侶からの讒言により、逮捕されること2回、遠足止めなどの弾圧を受けましたが、明治11年には 花洛佛立講三十三組 信徒凡そ一万人といわれ教線をのばしました。この様な事から 日扇は在家主義であると言われますが、日扇自身は僧籍を持って居り、実際は 僧形・俗形の区別に本質的な差異を認めないと教えました。

 

 その教えは 御教歌と呼ばれる 仏教の教義を和歌に盛り込んだ教えを用意し 万人に 誰でも解り易く御仏の教えを広めようとしました。清風は明治初期を代表する文化人でもあり、清風の詠んだ歌は 優れた歌として 明治天皇に奏上され、賞賛を受けても居ります。しかしながら 布教に当っては 正信の証として現証利益を強調し、他宗・他宗教に対する批判も激しく、その布教方法は多くの批判を生む一因ともなりました。又 入信に当っては他宗・他宗教のお札、お守り、像を破棄する様 強制されました。


 葬儀の施行に付きましては 法華教の儀式に準じて執り行われます。


   今回は以上です。


 

パーフェクト リバティー教団

 今回はパーフェクト リバティー教団(PL教団)に付いて書かせて頂きました。

 

 PL教団は 1916年(大正5年) 御木徳一により立教された神道系の宗教団体で、当初は御嶽教徳光大教会と称し、その後 何度が改称をした後、1974年に現在の名称と成りました。本部は大阪府富田林市新堂に大本庁が置かれ、日本国内・海外の主要都市に教会を開いて布教活動を行って居ります(信徒数;100万人)。信仰対象は 宇宙全体=神(大元霊みおやおおかみ、だいげんれい という)です。

 

 PL教団では パーフェクト リバティーを ”完全な自由” ”真の自由”とし、神(大元霊)より与えられた自己の能力を生かして 自由に表現し、周囲を明るく 平和にしてゆく道を開けと説きます。”人生は芸術である”の真理のもと、各人の真の個性を世の為、人の為に最大限発揮し、世界人類永遠の平和と福祉の為に貢献する事を目標とします。教えの特徴的なものとしては みしらせ、みおしえ の真理があります。

みしらせとは 身の回りに起こる全ての苦痛や困難を 自分自身の心の傾き(心癖)を知らせる神からの啓示ととらえる事で、みおしえは 個々の自己表現の上で邪魔となっている心癖を教えてもらうものです。

教団としての戒律は特に無く、日常生活の心得として PL処世訓、PL信仰生活心得などが有ります。

 

 教団本部である大本庁には 大本庁神霊を祀る正殿の他 初代教祖奥津城(初代教祖 御木徳一師の墓地)、万国の戦没者を超宗派で慰霊する 超宗派戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔(PLタワー)、高校野球で有名な PL学園高校、専門学校、中学校、幼稚園等が有ります。

 

 PL教団の葬儀は 神葬祭に準じた形で執り行われます。

 

   今回は以上です。

 

世界救世教

こんかいは世界救世教に付いて書かせて頂きました。

 

 世界救世教は 1935年(昭和10年)1月1日に 大本の幹部であった岡田茂吉により立教された 新宗教系の教団です。箱根強羅に箱根神仙郷、熱海に熱海瑞雲郷、京都嵯峨野に京都平安郷の 3ヶ所に聖地と呼ばれる神殿と庭園を有して居り、その信者数は国内103万人、海外200万人(タイ国;70万人、ブラジル;44万人)の計303万人と言われて居ります。宗教活動は浄霊の取次ぎ、自然農法の普及、芸術活動の奨励で有ります。

 

 教祖岡田茂吉は 幼少より病弱で その前半生を病苦との闘いに過ごしましたが、天性の美的感覚と優れた才能により 装身具業界で成功を納めましたが、第一次世界大戦後の経済恐慌により破産を味わい、宗教の道 教派神道 大本に入信して神霊研究の道を歩み始めます。そして昭和6年 千葉県鋸山山頂に於いて 霊界に於ける夜昼転換を感得し、昭和10年に立教します。その教えは この世界は霊界と現界から成り立ち、人間の運命の根本は霊界にあるを 宇宙の基本法則と説き、人間の幸・不幸は、人間の本体である霊魂の曇りの多少による として、その曇りを解消する 浄霊という救いの業を示します。浄霊とは身体のツボに手の平をかざし患者の病苦を霊力により治癒させる法であります。又 健康な体を作る為の自然農法(有機農法)の普及を薦め、人の心や魂の浄化をめざして芸術活動の奨励を薦め 特に花による霊性の向上をめざす華道が推奨されました。現在 教団は ”人を幸福にしなければ、自分は幸福に成りえない”という教祖の願いを基に、理想世界のモデルつくりを使命として活動中です。 


 現在は 病気治療的面を強調する 東方の光、病気治療的面を強調しない 世界救世教いずのめ教団、世界救世教主之光教団の 3派が並立して居ります。


 葬儀に付きましては 教団は 他の宗教に入信する事を許容しており、施行に当っての決め事は特に設けて居りません。

   

   今回は以上です。

生長の家

 今回は生長の家に付いて書かせて頂きました。 

 

 生長の家は 1930年 谷口雅春によって創設された新興宗教団体であります。本部を東京都渋谷区に置き、ボランティア(信徒)212万人を有し、その信仰は 神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え 心理学・哲学などを融合させて 全宗教の真理は一つとしたものです。主とする活動資金は 創設者 谷口雅春及びその子孫が出版した書籍を販売して得ており、当初は積極的に政治活動を行って居りましたが、現在は控えております。

 

 谷口雅春は大正時代 会社勤務の傍ら心霊科学研究会に加わり、宗教的・哲学的 彷徨を重ねて居りましたが、1929年12月13日深夜 瞑想中に 今起てと神の啓示を受け、1930年3月1日に修身書としての雑誌生長の家1000部を自費出版しました。(生長の家ではこの日を立教記念日として居ります) その後1932年に 雑誌生長の家に発表した論文をまとめて、自己啓発書 生命の實相が完成し、この書を基に支持者・購買者を拡大して 教化団体生長の家が創設されました。

 

 その教義は 谷口雅春の著作 特に生命の實相甘露の法雨を基礎として、神道・仏教・キリスト教・その他もろもろの宗教は根本に於いては一致するという 万教帰一という思想を主張し布教して居ります。

 

 又 その行法は 信者は 神想観、大祓の人型、浄心行、写経と呼ばれる行法のうち どれか一つを一日に一回行うのが望ましいとされます。

神想観は 正座をして招神歌を読み瞑目合掌する。大祓の人型は 紙のお札に氏名を書きそれで本人を擦り、息を吹きかけ、それを総本山や各教化部で焼納する(年に2回)。浄心行は 自分の考える悪い事を全て紙に書き出し、それを本山等で清めた炎で焼納する。写経は 甘露の法雨 を書き写す。

 

 供養は 永代供養、あるいは永代祭祀と言い 供養される者の氏名を専用の甘露の法雨教典に書き供養します。生存者の場合は総本山龍宮住吉本宮に奉安され 故人になると別格本山宝蔵神社の紫雲殿に遷され永代供養されます。

 

   今回は以上です。

円応教

 今回は円応教に付いて書かせて頂きました。

 

 円応教は 1887年(明治20年) 兵庫県丹波市に生まれた深田千代子を教祖とし、その長男 深田長治により 1948年に宗教法人として設立された 新宗教の一つで、諸教に分類されて居ります。本部は兵庫県丹波市山南町村森1−1にあり、189教会 260布教所を持ち、46万人の信者を数えます。”神の使いしめに生まれ、世の中の道具になる” を教義として布教活動が行われて居ります。

 

 教祖深田千代子は 33歳のとき 大阪で天啓を受け、奇蹟霊験を現し、修法という霊導の道を基に宗教活動を行い、39歳で夭逝しました。円応教の名前は 教祖の法名 慈照院圓應智覺大姉(じしょういんえんのうちかくだいし)より 道号の圓應を円応に変えて設立されました。教祖は 布教活動の中で多くの遺文を残しましたが、これを基に教典が編集されました。

 

 信仰の対象は 教祖を中心とする以外は神仏に拘らず自由とされ、信者が自由に選ぶ事が出来ますが、敬神尊祖の教義に基ずき、氏神と各家の先祖を崇敬する事が奨励されます。

 

 円応教では 修法と呼ばれる独特の救済方法があり、個人で信仰対象に礼拝して行う場合と、布教師と信者が相向い拝み合う場合が有ります。何れにしろ 教祖の霊導を信じ 個人の霊力の無限性、崇高性、偉大性を自覚反省し、過去現在の行為と品性を懺悔し、直観力と霊感力を養い、これらによって人格の完成に努め、個人と社会の幸福なる生活を打ち立てる事を目的とします。

 

 尚 葬儀の次第に付きましては 所属する教会の布教師さまにご相談して執り行うことをお薦め致します。

 

   今回は以上です。

黒住教

 今回は黒住教に付いて書かせて頂きました。

 

 黒住教は 1814年 江戸時代に岡山県岡山市今村宮の神官であった 黒住宗忠により開かれた教派神道で 神道十三派の一つです。祭神は 天照大御神、八百萬神、教祖宗忠神で、岡山県岡山市尾上神道山に本部を置き、約30万人(公称)の信者を導いて居ります。昇る朝日を拝む”日拝”の宗教として、日々 日の出を拝み、感謝と感動の心で誠を尽くし生活する事、すなわち ”まること”の精神で生きることと悟します。

 

 1814年 肺結核にに倒れ死を覚悟した 黒住宗忠は 朝日を拝む(日拝)中で 天照太神と同魂同体となると言う ”天命直授” と言われる霊的体験をして病気が治癒したとして、病気の治癒後 逝去するまで宗教活動を行いました。この間 自らは謙虚世に処し、世人救済に努めた事が世に認められ、幕末には 京都の神楽岡に宗忠神社が建立され、時の孝明天皇より 従四位下の神階が宣受されました。

 

 その教えは 日の出の太陽は全てのものを生かし育む働きを成し、これを天照大御神と称え敬い、その分霊があらゆる存在物に宿る(これを総称して八百萬神という)とされます。又 人間は天照大御神の分心(わけみたま)の鎮まる神の子であるとされます。そして 人生は 神の子、神の苗として生まれた人が その分心を養い育て、いずれ訪れる死という 神としての出発の時に、一柱のしっかりした神として立つ(生き通しという)為の道場であるとされます。 

 

 その為の修行方法としては 毎朝の日拝と御陽気修行、お祓い修行、人の為に祈り 誠を尽くす、日常の生活がすなわち修行 と諭します。

尚 葬儀は神式一般で執り行われます。

 

   今回は以上です。

 

 

金光教の葬儀

 今回は金光教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 金光教の葬儀は 神式を基本として 終祭(しゅうさい)、告別式、火葬の儀、葬後霊祭により 執り行われます。終祭は 仏式に於ける通夜、告別式は 故人さまとの告別、火葬の儀は ご遺体のご火葬・収骨、葬後霊祭は 仏式に於ける初七日法要に当ります。儀式の式場、日時、式次第に付きましては 所属されている教会の 取次者の方と ご相談のうえお決め頂き、会葬希望の方々へご連絡頂く事になります。

 

 終祭は 仏式で言う通夜に当るものですが 人生最後の儀式として 祭主が故人さまに代わって、神様に対して生涯のお礼を申し上げると共に、霊となった以後の立ち行きを願う儀式です。金光教の教えでは 天と地は我が住家である と説かれ、たとえ霊となっても 神様の救済を受けずには助からない。生きている事も 死ぬ事も そして死んで御霊となった後も すべて神様に一切をお任せした働きの中のことであり、霊は神様の許にへ帰り 神と同根となるとされます。その為の儀式を神前に柩を安置して執り行います。その次第は以下の通りです;

1 祭員着座       祭員は入場し席に着きます。

2 一同拝礼       忍手(しんびて)で柏手を打ちます。

3 天地賛仰詞奉唱   所定の詞を全員で奉唱します。

4 祭主告詞奏上    故人さまに奏上されます。

5 霊璽奉遷       故人さまの霊が ご遺体から霊璽に移されます。

6 祭主祭詞奏上    神様に対して奏上されます。

7 祭主玉串奉奠    まず祭主が玉串を奉奠します。

8 喪主喪婦玉串奉奠 次に喪主・喪婦が玉串を奉奠します。

9 遺族親族玉串奉奠 そして遺族・親族が玉串を奉奠します。

10 新霊神拝詞奉唱 所定の詞を奉唱します。

11 会葬者玉串奉奠 会葬者が玉串を奉奠します。

12 一同拝礼      忍手で柏手を打ちます。

13 祭員退下     祭員が退場し 儀式は終了となります。


 告別式は 故人さまの御霊に縁故者・知人が告別をする儀式で、祭典の途中で祭主により会葬者を代表した 御霊に対するお別れの祭詞が奏上され、会葬者は玉串を奉奠して 御霊に感謝の真心をお供えします。その次第は;

1 祭員着座        祭員が入場し席に着きます。

2 一同拝礼        忍手で柏手を打ちます。

3 天地賛仰詞奉唱   所定の詞を奉唱します。 

4 祭主祭詞奏上     会葬者を代表して御霊に奏上されます。

5 祭主玉串奉奠     祭主が玉串を奉奠します。

6 喪主喪婦玉串奉奠  喪主・喪婦が玉串を奉奠します。

7 弔辞           会葬の代表者により弔辞が奉読されます。

8 遺族親族玉串奉奠  遺族・親族が玉串を奉奠します。

9 新霊神拝詞奉唱   所定の詞を奉唱します。

10 会葬者玉串奉奠  会葬者が玉串を奉奠します。弔電もここで奉読されます。

11 一同拝礼       忍手で柏手を打ちます。

12 祭員退下       祭員が下がり 告別式は終了となります。


   今回は以上です。     

 

 

金光教

 今回は金光教に付いて書かせて頂きました。

 

 金光教は 1859年(江戸末期)に赤沢文治(金光大神)により開かれた 日本の新宗教で、現在は教派神道連合会に属する、神道の一派です。祭神は 天地金乃神(てんちかねのかみ)と 生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)で、現在の本拠地は 岡山県浅口市金光町大谷に所在し、日本を中心に約1,600の教会・布教所と 45万人の信者を有して居ります。天理教・黒住教と共に幕末三大新宗教の一つとされています。

 

 古くからの神道に於ける 金光思想では 日柄方位の吉凶を重視し、普段の生活にも 日柄方位を厳格に遵守する様求められましたが、金光教祖(赤沢文治)は 自身の体験から そういう凶事は人間の気ままから生じる神への無礼が原因であり、神の願いにかなう生き方や行いをすれば、神に守られた中で生活する事が出来ると説きました。そして 神と人は ”あいよかけよ”の関係であるとしました、その意味する所は 人が助かるには 神に願い、神の助けが必要とされるが、神も 又 人が助かって欲しいという願いを持ち、人を助ける事で神としての働きが出来るので助かっていると言う関係であるとされます。

 

 又 全ての人は 神のいとしご(氏子)であるとして、他の宗教の開祖も人である限り 神のいとしごであるからして、他の宗教を否定しないという思想を持ちます。従って 布教活動的な言論は あまり有りません。

 

 信者は 教会の広前に設けられた結界の場において、生神金光大神の代理(てがわり)となる 取次者を通して その願い・詫び・断り・お礼を天地金乃神に伝える事により、その願い・祈りを神に届け、神からの助けを受ける事と成ります。この取次が 金光教の特徴とされます。金光教主は 本部広前の結界の場で、日々の大半を取次に専念して居られます。

 

   今回は以上です。

 

 

天理教の葬儀

 今回は天理教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 天理教の葬儀では 遷霊祭(せんれいさい、通夜)、と告別式により執り行われます。天理教では 死は 出直し とも言われ 全ての人には前生と後生が有り、輪廻転生するとされます。人の魂は 天理王命(親神)より与えられた心と身体に宿り、陽気ぐらしを心掛け、生活しますが 死と共に 心と身体を神にお返しし、新らしくこの世に生まれ変わる為の出直しを待つ事になります。遷霊祭は神に身体をお返しする儀式でもあります。

 

 故人さまのご逝去を出直しと言いますが、出直された際はご遺体を安置し、霊前に お神酒、米、野菜、魚等をお供えします。教会によりましては おつとめをする場合も御座います。

 

 遷霊祭では 祭壇を用意し、祭壇へのお供え物、新霊様へのお供え物を用意します。遷霊祭の次第は;

1 祭主、祭員 入場

2 副祭主祓詞奏上

   祓詞を奏上の後、霊璽、霊舎、玉串、祭主、参列者をお祓いします。参列者は頭を下げます。

3 祭主遷霊祭詞奏上

   霊魂へ これから霊璽にお遷り頂きたいと遷霊祭詞を奏上。その後 消灯して霊魂をお遷し。参列者は平伏。

4 献饌

   お遷り頂いた霊舎に献饌される。

5 祭主玉串奉献・鎮霊祭詞奏上

   祭主がこの霊舎で心安らかにお鎮まり下さいと奏上。

6 祭員列拝

   祭主以外の祭員が参拝する。

7 喪主・家族・参列者 玉串奉献

   葬儀委員長・喪主から順に霊舎へ玉串を献じ、四拍手・拝礼・四拍手を行う。

8 祭主・祭員 退場

9 十二下りのお歌を唱和して故人さまを偲び、霊魂をお慰めする。

 

 翌日は告別式となりますが、式次第は 遷霊祭とほぼ同じで、祭主・祭員 退場の後に ご出棺、ご火葬となります。尚 式次第、お供え物は 教会により異なる場合が御座いますので、御家族が出直された場合は、隣組・所属教会とよくご相談の上 段取りをお決め頂く必要が御座います。

 

   今回は以上です。

天理教

 今回は天理教に付いて書かせて頂きました。

 

 天理教は 江戸時代末に 中山みきを教祖として成立した宗教団体で、新宗教の一つで、奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人です。天理王命(てんりおうのみこと)を親神とし、中山みき(おやさまと呼称する)を教祖とする一神教の宗教で、”陽気ぐらし”という世界の実現をめざして居ります。

 

 その教理は 人間がこの世に存在するのは 親神が人間の明るく勇んで暮らす 陽気ぐらしを見たいからであり、親神の守護と恵みにより 人は生かされ、天然自然が存在すると説いています。従い 人は親神が見たいと説く、陽気ぐらしを実現する為、謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、平和で豊かな世界を築く為に努力しなければならないと説かれます。

 

 又 人間の身体は親神からの借り物で、心だけが自分のものであると説きます。心の使い方によっては 埃がたまるので、たまらぬ様 自己中心的な考えを慎み、親神の思いにそって身体を使わせていただき、陽気ぐらしのために惜しまず尽くす事が大切と説きます。そして 全ての人間関係は 親子・夫婦関係を基本として培う事が理想とし、人助けは 自らが真に助かる道 を基本理念として居ります。

 

 天理教は 来世観を持たない数少ない宗教で、信仰する神が輪廻転生を司る事により、人には前生と後生があり、人間は死んでも またこの世に生まれ変わると言う死生観を持ちます。教徒は 人が死ぬことを 出直しと呼称します。

 

 天理教は かなの教え とも言われ、教祖の中山みきは 民衆に解り易く説きたいとの意思から、教義の説明などに使われる言葉の多くが かな表記とされて居ります。

 

   今回は以上です。 

 

ユダヤ教の葬儀

 今回はユダヤ教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 ユダヤ教は イスラム教やキリスト教誕生の起源となった宗教で、他の宗教と違い 死後の世界などは特に無く、神の審判の日に 死者の魂が復活すると考えられて居ります。従いまして 復活に備えてご遺体はそのまま土葬となります。又 ご遺体は夜を越してはならず、ご逝去の日に墓前で葬儀を行い、そのまま土葬しなければなりません。

 

 ユダヤ教に於ける 故人さまのお見送りは ご逝去の後 なるべく早く葬儀を執り行い、埋葬する考え方で進められます。ご逝去されると、まずは ご遺体をお清めして、白い布を巻いて全身を覆います。この状態でご遺体をユダヤ人墓地へお運びし、墓穴にお納めし、その前で30分ほどの葬儀を行います。葬儀はユダヤ教のラビによるお祈りが主となります。お祈りが終るとご遺体に土をかけて埋葬し、その上に参列者は小石を乗せて行きます。これは墓石が無った時代の風習のなごりです。尚 故人さまが病院でご逝去された場合、ご遺体は病院から墓地へ直接お移しする形となります。又 ユダヤ人墓地とは ユダヤ教を信仰する信者の墓地の事で、ユダヤ教の信者以外の方は 希望をしても、埋葬される事は有りません。

ユダヤ教では当日埋葬が原則ですが 昨今では幾分 原則が緩められ 近親者が遠方に居られた場合などには 1〜2日程度おくことも許される様に成りました。

 

 現代のイスラエルなどでは 土葬をした後に オリーブなど低木の樹を植えるという習わしが有り、お墓の周りに庭木が生えていると言う風景は ユダヤ人墓地独特の風景となって居ります。

 

 埋葬の後 ご遺族は シヴァと呼ばれる 7日間の喪の期間に入ります。シヴァの期間 ご遺族は 柔らかい椅子に座ってはならず、上着の一部を切り裂いて 悲しみを表します。シヴァの後 一年間は喪の期間となり、お祝い事への参加は控えて過ごします。

 

   今回は以上です。 

ユダヤ教

 今回はユダヤ教について書かせて頂きました。

 

 ユダヤ教は 紀元前13世紀 中近東で始まった ヤハウェを唯一神とする、ユダヤ人の民族宗教です。タナハを聖典として ラビと呼ばれる神の祭司のもと、生活や行動の実践を重視する信仰です。タナハはキリスト教の旧約聖書と同じ内容の書物であり、キリスト教やイスラム教は ユダヤ教を基にして出来上がりました。又 血縁よりも教徒としての行動が重要視され、ユダヤ教を信仰する者をユダヤ人と呼ぶ考え方も存在します。

 

 ユダヤ教徒は タルムードと呼ばれる教典に従って 生活し行動します。タルムードは 2世紀頃からユダヤ人の間で議論され、改良を重ねて来た、ユダヤ教徒の生活や思想の基礎となる指針を示した書物です。又 ユダヤ教徒として 行わねばならない事、してはならない事の内容に付いて 家族内やユダヤ人同士で 随時 議論が行われます。

 

 ユダヤ教では 教育は最っとも重要な事柄で、教育こそが身を守る手段として、子供に良い教育を受けさせるべきとされています。ユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をより良い学校に行かせる為には借金もいといません。紀元前のユダヤ人コミュニティには 授業料無料の公立学校が存在して居りました。そして 家庭では 父親の存在が重要で 子供に勉強やタルムードを教え、子供を立派なユダヤ人に育てた者は永遠の魂を得ると信じられています。子供は13歳になるとバル・ミツワー(成人式)の儀式が行われ、以降 完全に大人として扱われます。

 

 ユダヤ教の死生観は 最後の審判の時に全ての魂が復活し、現世で善行を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられています。他の宗教にみられる 死後の世界は存在しません。

 

 人間は創造主の代りに労働をする存在として作られたとされ、労働は神聖な行為とされます。そして 安息日と呼ばれる休日を、週1日は取り、労働を忘れて、自分自身を見つめ直し、家族と対話をすべきとされます。労働により得た賃金や物質は その一部を創造主に捧げなければならないとされます。

 

 

 

ヒンドゥ−教の葬儀

 今回はヒンドゥ−教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 ヒンドゥ−教は 世界3大宗教(キリスト教・イスラム教・仏教)には入りませんが、インドを中心にして9億人の信者を持つ 世界で3番目に大きな宗教です。信者がご逝去されると、遺された方々は 故人さまの霊を天界にお送りすべく儀礼を執り行います。故人さまがこの世に未練や執着を残さぬ様、ご遺体を火葬します。そして ご遺骨は聖なるガンジス川に流して、一体化させます。

 

 信者の方がご逝去されると ご遺体は ご自宅で ご遺族、或いは専門家の手により洗われ、リンネルの布にくるまれます。結婚をしている女性の場合は 着色された布でくるまれ、宝石をあしらって、女性が成婚済で有る事を示します。ご遺体は火葬場に運ばれますが、ご自宅を出る前にご遺族により ご遺体に油が塗られます。

 

 火葬場は レンガで囲まれた焼き場で、まず薪を組み その上にご遺体を乗せ 更に薪を乗せ、ご遺族の中の最長老の方が 火を手にしてご遺体の周りを一回りし、その後 火を点けて火葬が始まり、この後はプロの火葬人に任せます。火葬を始めてから3日目の昼間 ご遺骨に牛乳を混ぜた水をかけて冷やします。そして ご遺骨を集めて所定の袋に収めて、火葬場内に安置しておきます。

 

 火葬を始めてから13日目に ご遺骨を斎場にお移しし、僧侶を呼んで葬儀を執り行います。葬儀後の然るべき日に ご遺骨をガンジス川に運んで、管理人の許可を得て流します。尚 ご遺骨を運ぶ人は男性でなければならないと言われて居ります。

 

   今回は以上です。

イスラム教の葬儀

 今回はイスラム教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 イスラム教では 信者の死は生涯の終着点ではなく 死者は神(アラー)の審判の日に再び蘇ると信じられて居り、ご遺体は復活の日を待つため 大切に埋葬されます。ご遺体が焼失してしまう 火葬が厳禁となります。尚 アラビアでは 火を ナールと言い、地獄を意味する言葉でもあります。

 

 イスラム教徒が危篤になりますと イマーム(礼拝の導師)が呼ばれ、コーランを唱え、神に許しと慈悲を乞い、聖水を口に含ませます。

 

 信徒がご逝去されると ご遺体は 同性の親族、あるいはご遺体の後処理をする専門家により 洗浄と防腐処置がされます。その後 ご遺体は葬儀場に移され 配偶者、又は同性の親族により 再度ご遺体を浄め、白い布で全身を覆います。

コーランでは 死者の陰部を3回新しい布で洗い、一度も使われていない布で口を洗い、鼻孔を洗い、左右の手を洗い、頭のてっぺんから足の先まで洗い、死者を清めると規定されて居ります。白い布でご遺体を覆う際は 顔と手を除いて、全身を完全に包みます。

 

 白い布で覆われたご遺体は その後 モスク(礼拝所)に運ばれ、説教壇の前にある台に安置され、コーランの文字が書かれた布で覆われます。そして イマームに従い礼拝が執り行われます。葬儀の祈祷は アラーへの祈りが男たちだけで唱えられます。礼拝が終ると ご遺体は 葬列を組んで墓場に移動し、ご遺体を右脇腹を下にして、顔をメッカに向けて埋葬されます。葬列には 職業としての 泣き女 が参加する事もあります。


 イスラム教にも喪に服す習慣があり、故人さまの親族の男性は3日間、女性は4ヶ月と10日間、地味な服装で静かに過ごさねば成りません。


   今回は以上です。

 

キリスト教(プロテスタント)の葬儀

 今回はキリスト教(プロテスタント)の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 プロテスタントの葬儀は カトリックに比較して比較的自由で柔軟です。キリスト教徒ではないが、キリスト教での葬儀をしたいとお考えの方には プロテスタントの教会をお薦めします。プロテスタントの葬送でもカトリックと同様に 葬儀式よりも 信者の方の死の迎え方が重要です。ご臨終に際しては まだ意識の有る内に 牧師さまをお呼びして、牧師様のお導きのもと、神に祈りながら招天を迎えることが大切とされます。

 

 キリスト教徒は ご自分の居住地域に属する教会を持ち、そのご葬儀は 信者とその家族を対象として行われます。また そのご葬儀も教会単位で行われ、教会の信者どうしが一諸に手伝い、お見送りします。プロテスタントはカトリックに比べて儀式も簡素で柔軟性がありますが、その宗派は数百有り、それぞれ違いが御座いますので、故人さまが所属していた教会とよく相談する必要が有ります。

 

プロテスタントの葬送例は以下の通りです;

1 聖餐式

   信者の最期が迫った段階で 牧師をお呼びし聖餐式を行います。キリストの最後の晩餐に因み、牧師はパンと葡萄酒を信者に与え、神に 信者の招天と永遠の安息を祈ります。病床の枕元を飾る場合は 小机を置き、白又は黒の布をかけ、ロウソクを灯した燭台と花、聖書などを置きます。

2 ご逝去

   ご逝去されましたら 故人さまの手を胸の上に祈りの形に組み、故人さまの聖書をご遺体の上に置きます。

3 納棺式

   ご逝去の当日に牧師をお招きして納棺式を行います。牧師は 開会を告げ 遺族・親族により聖書朗読−祈祷の後 ご遺体を納棺します。ご遺体を白い花で包み、白いガウンをかけて蓋をします。そして 黒い布で柩を覆い、その上に白い花で作った十字架を飾ります。その後 参列者全員で賛美歌を合唱した後、牧師は 故人さまの生前と信仰について語り、主への感謝を述べます。最後に全員で賛美歌を斉唱し、祈りを捧げて式を終えます。

4 前夜祭

   前夜祭は 神式や仏式の通夜に準じたもので、亡くなった日の翌日に行います。納棺式に続いて行われる場合も多く成りました。参列者一同で 賛美歌斉唱−聖書朗読−故人さまを偲ぶ説教−献花−遺族代表挨拶で終わります。

5 葬儀式

  入堂; 牧師に先導され 喪主・遺族が入堂します。他の参列者は事前に着席します。ご遺体も事前に祭壇に安置済みです。

  開式; 牧師が開式を告げます。

  聖書朗読・祈祷・賛美歌; 牧師による聖書朗読−賛美歌斉唱ー聖書朗読−牧師の祈祷と続きます。

  故人の略歴朗読; 賛美歌斉唱の後、故人さまの略歴と信仰生活が朗読されます。通常は牧師により朗読されますが、友人代表の場合もあります。

  追憶の説教; 牧師による説教と故人さまの安息を願う祈りの後、賛美歌斉唱。

  弔電・弔辞; 祈祷と賛美歌斉唱の後 弔辞朗読−弔電奉読。

  閉会の祈祷、遺族代表挨拶; 牧師が祈祷し オルガン演奏の中 遺族代表が挨拶します。

  献花; オルガン演奏の中 牧師−喪主−遺族−親族−信者−参列者の順に献花します。

  閉式; 牧師により閉会が告げられます。

 

   今回は以上です。

 

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