横浜で葬儀、お葬式ならひかりの杜

ひかりの杜

ひかりの杜

0120-264-664

公衆電話・携帯電話
からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

公衆電話・携帯電話からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

火葬儀プラン 家族葬プラン 一般葬プラン 葬儀後について お寺紹介 墓地・お墓紹介

24時間365日対応

24時間365日対応

・葬儀前の準備

・お通夜の流れ

・葬儀の流れ

・失敗しない葬儀社の選び方

・ごあいさつ

・火葬儀

・家族葬

・一般葬プランLight

・一般葬

・生活保護受給者様

・ペット葬

ご連絡先はこちら

QRコード

ご葬儀関連新着情報

・港北区 葬儀

・青葉区 葬儀

・鶴見区 葬儀

・港南区 葬儀

・戸塚区 葬儀

・神奈川区 葬儀

・旭区 葬儀

・都筑区 葬儀

・中区 葬儀

・南区 葬儀

・西区 葬儀

・保土ケ谷区 葬儀

・磯子区 葬儀

・金沢区 葬儀

・緑区 葬儀

・瀬谷区 葬儀

・泉区 葬儀

・栄区 葬儀

ブログ一覧

遺言の変更をするには

 今回は遺言の変更に付いて書かせて頂きました。

 遺言は 遺言者が所有する財産を 誰に、どの様に相続させるか 遺言者の最終意思を示すものであり、その意思を尊重する制度でもあります。そして 遺言の内容は 遺言者のご逝去により有効となります。従いまして 遺言者が生きて生きて居られる間は 遺言の内容を ご意志に従いどの様にも変更する事が可能です。ご遺言の内容は 遺言者が生きて居られる間は どの様な義務も権利も発生致しません。

 遺言は遺産の相続に当たり遺言者の最終意思を尊重する制度ですから、遺言者の意思であれば何時でも徹回したり、変更したりする事が出来ます。例えば 遺言書に ”自宅の土地、建物は長男に相続させる” と書いていても、その後 遺言者はご自宅の土地と建物を売却する事が出来、売却した事により 遺言は徹回した事と成ります。遺言書に財産の処分方法が書かれていたとしても、遺言者は自由に財産を処分する事が出来るのです。

 ご遺言を全て徹回されたい場合は 自筆証書遺言や秘密証書遺言であれば 破棄 若しくは焼却します。公正証書遺言は 公証役場に出向き 破棄の手続きをとります。又は 前遺言を破棄する旨の新しい遺言書を作成しても有効です。遺言の徹回、変更を記載する 新しい遺言書は 前回の遺言方式と同じである必要は有りません。例えば 公正証書遺言を 自筆証書遺言で破棄する事も可能です。

 遺言書の内容の一部を変更したい場合は 自筆証書遺言であれば 法律に定められた加除訂正の仕方に従って 遺言書の原文を修正しゅる事が出来ます。又 加除修正の項目が多い場合は 新たに遺言書を作成する事をお薦め致します。遺言書が複数 存在する場合は 最新の日付けの遺言書が有効となります。

   今回は以上です。

相続の開始は

 今回は相続の開始に付いて書かせて頂きました。

 遺産相続に於いては 相続財産を遺して亡くなられた方を ”被相続人”、相続財産を受け継ぐ方を ”相続人” 呼ばれます。遺産相続は 非相続人が亡くなられると 同時に開始されます。そして 相続の権利を持つ方(相続人)が遺産を相続する場合は 被相続人が生前に有していた権利と義務の全てを引き継ぐ事を前提とします。又 裁判所より失踪宣告を受けた方の場合も 死亡と見做された時点で遺産相続が開始されます。

 ご家族様が亡くなられましたら、出来るだけ早い機会に、故人様が遺言書を遺しているか、どうかを確認します。遺言書の有無により ご遺産をどの様に引き継ぐかが大きく異なるからです。遺産相続に於いては ”遺言による相続は法定相続に優先する” という大原則が有るからです。従いまして 被相続人が法的に有効となる遺言書を遺していた場合は 原則として有効な遺言書の内容に従って相続が行われなければ成りません。但し 相続人全員の同意が有れば、遺言書の指示に従はなくとも構いません。

他方 遺言書が存在しない場合は 原則として 財産を相続するのが誰で、どの様な割合で受け継ぐかは 法律により定められて居ります。この様な遺産相続を法定相続と言います。法定相続の場合でも 相続権利者全員の合意が有れば 法定相続とは異なる割合で相続を行う事が可能です。

 遺産相続と言うと 預貯金、有価証券、不動産等を引き継ぐと言うプラスのイメージが浮かびますが、相続は被相続人の財産上の権利と義務の全てを引き継ぐ事と成りますので、借金、債務、損害賠償責任等のマイナスの財産も引き継がなければ成りません。

 又 相続税の申告・納税は 相続の開始から10ヶ月以内に と期限が定められて居ります。更に マイナスの財産が多い場合の 相続放棄や限定相続の申請は3ヶ月以内となりますので、相続人の確認、相続財産の調査、確認は出来るだけ早めに行う必要が御座います。

   今回は以上です。

相続の対象となる財産

 今回は相続対象の財産に付いて書かせて頂きました。

 故人様が所有されていた財産の中でも 相続の対象となる財産と、対象とならない財産とが有ります。対象となる財産は 故人様が生前に所有されていた 土地・家屋・預貯金・有価証券・他 等のプラスの財産と、借入金や未払いの税金等のマイナスの財産です。祭祀財産(墓地、墓石、仏壇、仏具など)、香典、死亡退職金、他等は 相続の対象とならない財産になります。

 故人様が御逝去されますと、そのご遺産の相続が開始されます。相続人が複数居られる場合は 相続財産は相続人全員の共有となります。相続の対象となる財産は 故人様(被相続人)が生前に所有されていた 土地、家屋、現金、預貯金、貴金属宝石類、書画、骨董、家財道具、株式・債券などの有価証券、借地権、借家権などのプラス財産と、借入金や未払いの税金などのマイナス財産を合わせた財産となります。従いまして 相続が開始されると同時に プラスの財産と、マイナスの財産を漏れなくリストアップして、その評価額を出す必要が有ります。このリストを基にして 財産の分割や相続税の計算がされる事と成ります。

 又 相続の対象とならない財産としては 香典、死亡退職金、遺族年金、祭祀財産等が有ります。香典は喪主に贈られたものと考えられ、相続の対象とはなりません。死亡退職金や遺族年金は ご遺族の固有の財産として 同じく相続の対象とはなりません。生命保険金は受取人の名義が誰かにより異なります。被相続人が保険料を負担し、受取人の指定が被相続人 若しくは受取人が指定されていない場合は相続財産となります。祭祀財産は 祭祀承継者が単独で引き継ぐものとされ、相続の対象とはなりません。

 尚 故人様の預貯金は 名義人の死亡が確認されると、その口座は凍結され、配偶者やお子様であっても引き出す事が出来なく成ります。この口座からの引出しは 遺産分割を終えた後に 口座預貯金の相続人が 遺産分割協議書に 故人様の戸籍謄本、遺産相続人全員の印鑑証明を添付して手続きをする事により可能となります。又 金融機関によりましては 医療費や葬儀費用の支払いなどに限り 引き出しを認める場合が御座いますので、必要な場合は該当金融機関にお問合せ頂く事をお薦め致します。

   今回は以上です。

遺産の法定相続とは

 今回はご遺産の法定相続に付いて書かせて頂きました。

 法定相続によりご遺産の引き継ぎを行う場合には 相続人の立場により 定められた比率に従って相続が行われますが、その比率は相続人の構成により異なります。相続人が配偶者御一人の場合は 配偶者が全ての財産を引き継ぎます。配偶者と血族相続人が居られる場合は 血族相続人の順位と人数により比率は変わります。尚 配偶者とは戸籍上の婚姻関係に有る方のみで、内縁の場合はどの様な形であっても相続権は発生しません。

 故人様(被相続人)に配偶者とお子様(直系卑属)が居られる場合には 配偶者が二分の一、お子様が二分の一を相続します。お子様が複数の場合は 二分の一をお子様の人数で等分します。但し 非嫡出子は嫡出子の半分になります。非嫡出子は母親との関係では自動的に法律上の親子関係が求められますが、父親との関係では認知が必要と成ります。配偶者が死亡や離婚などで居られない場合はお子様が全財産を引継ぎます。お子様が複数居られる場合は その人数で等分されます。お子様が亡くなられていた場合は その相続権はお孫さまに引き継がれます。又 胎児は嫡出子と同等の財産権を持ちます。但し その権利は出生により確定しますので、この様なケースでは 遺産分割は出生後に行われるのが一般的です。

 故人様にお子様やお孫様がいない場合は 直系尊属である故人様の父母、父母が居られない場合は 祖父母が配偶者と共にご遺産を相続します。その場合の比率は 配偶者が三分の二、直系尊属が三分の一を引き継ぎます。

 故人様に直系卑属も直系尊属も居られない場合は 配偶者と故人様の兄弟姉妹により相続が行われます。その比率は 配偶者が四分の三、兄弟姉妹は四分の一となります。異母兄弟姉妹、異父兄弟姉妹(半血兄弟姉妹)の場合は 同じ父母から生まれた兄弟姉妹の半分となります。

   今回は以上です。

相続の分割方法

 今回は相続に於ける遺産分割の方法に付いて書かせて頂きました。

 故人様のご遺産を分割する方法と致しましては 3種類の分割方法が有ります。一つは ご遺言の指定に従って分割する ”指定分割”、二つ目は 全ての相続人による話し合いの結果に基ずいて分割する ”協議分割”、三っ目は 協議分割の為の話し合いから結論が出せなかった場合に 家庭裁判所に委ねて結論を得る ”調停分割”と”審判分割”です。

 相続に於いては ”遺言による相続は法定相続に優先する” とする 民法に定められて大原則に従い、故人様が遺言書を遺されて居られる場合は その遺言書の指定に従い分割が行われなければ成りません。この分割方式を指定分割と言います。遺言の内容が 法定相続分とは異なっていても、原則として 遺言の指定に従わなければ成りません。但し 遺留分の請求が有った場合はこの限りでは有りません。但し 相続人全員の合意が有れば遺言の指定に従わなくとも構いません。例えば 遺言書では 全ての財産を配偶者に遺す と指定されていても、配偶者の方がお子様にも分割したいと考え、お子様全員が同意すれば 配偶者とお子様で分割する事も可能です。

 遺言が存在しない場合に 法定相続人全員で話し合い、その結果に基ずいて分割するのが 協議分割です。一般的には 民法の法定相続分を前提として協議を行います。相続人全員の合意が得られましたら、その後にトラブルが起こらぬ様 遺産分割協議合意書 を作成して、相続人全員が署名、押印(実印)をして成立します。この合意書を基に 不動産、有価証券、や預金口座の名義書き換えが可能となります。尚 遺言書が存在しても 誰々に遺産の三分の一を遺贈する と言う様な包括遺贈が指定されて居る場合は 三分の一が何かを確定する為に相続人全員と遺贈受遣者を交えた遺産分割協議合意書が必要と成ります。

 協議分割の内容に 相続人の一人でも合意出来ない場合は 所轄の家庭裁判所に ”遺産分割の調停”、若しくは ”遺産分割の審判” を申し立てる事ができます。それぞれ 調停分割、審判分割と呼ばれます。調停分割が成立しな場合は審判分割に移行します。

   今回は以上です。 

遺産の分割協議とは

 今回は遺産分割協議に付いて書かせて頂きました。

 故人様の遺産分割を法定相続ではなく、遺産分割協議でお決めになる場合の協議には 相続人全員の参加が必要と成ります。代襲相続人や法定代理人、包括受験者をも含めた全員で協議を行います。一人でも不参加が発生した場合は協議は不成立となります。相続人に未成年者が居られる場合は 未成年者の法定代理人を、相続人の中に行方不明者が居られる場合は 財産管理人を選任する必要が有ります。

 遺産分割協議が行われ、合意が得られましたら 遺産分割協議書を作成します。協議書の作成は義務では有りませんが、後日のトラブルを避ける為や、相続税の申告、相続財産の名義変更(凍結された銀行口座の目儀書き換えなど)、配偶者の税額軽減特例を受ける為、にも作成しておく必要が有ります。作成は 相続税の申告期限が相続開始後 10ヶ月以内と定められて居りますので、それに合わせて作成します。分割協議書の書き方にきまりは有りません。用紙の大きさ、縦書き、横書き、ワープロ使用、手書き、何れでも構いませんが 誰がどの財産を継承するか 分割の内容が明確である事、相続人全員の実印による押印がされている事 が重要です。複数ページに渡る場合は ページ間に割り印が必要です。遺産分割協議書は 相続人の人数分 作成し、各相続人が1通ずつ保管します。

 未成年者が居られる場合は法定代理人が必要と成ります、親権者の方が代理人となるのが一般的ですが、親権者の方も相続人である場合は代理人とはなれません。その場合は 非相続人の住所地の家庭裁判所に申立てを行い 特別代理人を選任してもらいます。申立ては親権者、もしくは他の相続人が行えます。

   今回は以上です。 

葬送儀礼とは

 今回は葬送儀礼に付いて書かせて頂きました。

 現代では死者をお見送りする儀式全般を葬儀と呼んで居りますが、この呼称は葬送儀礼の略称でも御座います。古来より 人の臨終から死後の喪に至るまでの、死者を葬り、悼む為の一連の儀式が存在すると共に、その次第は時代と共に変化して参りました。

 古来 葬送儀礼は 生者がその生活活動をを弱め 呼吸を停止する所から始まり、ご遺体の変化を基に その死を確定し、葬送の儀式から埋葬までに行う儀式が前提でした。その後 仏教の伝来と共に 各種の儀式が整備され、埋葬後の月次法要、年次法要が加えられて、現在の葬送儀礼が出来上がって居ります。葬送儀礼は その方の信ずる宗教により異なりますが、現代の日本に於いては 9割りを越える御家庭が 仏教による葬送儀礼を行って居り、日本に於ける葬送儀礼の基本は仏式によるものと考えられます。

 又 葬送儀礼の主体は 血縁の主体である本家や 地縁の主体である村や町が執り行うべきものでしたが、地域社会の変貌 血族制度の変化から、共同体による葬送儀礼から 個々の家単位での葬送儀礼へと変化して現在に到ります。葬送儀礼を行う目的としては 1 社会への告知、2 ご遺体の処理、3 悲嘆の処理(ご遺族・ご友人)、4 霊の処理 等が御座います。しかしながら 高度に高齢化が進む日本の現代社会に於きましては 亡くなられた方は御隠退してから長い時間が過ぎ、社会への告知はそれ程重要では無くなりつつあります。この様な観点から ご家族・ごく近いご親戚だけで行う ”家族葬”、更には 儀式は行わず ご火葬のみを行う ”直葬” などが 主流となりつつ有ります。

   今回は以上です。

葬送儀礼と悲嘆の処理

 今回は葬送儀礼による悲嘆の処理に付いて書かせて頂きました。

 葬送儀礼を行う目的と致しましては 故人様のご逝去を社会に告知する、ご遺体の処理、文化・宗教の考えを基にした霊の処理、近親者が受ける悲嘆の処理、周囲の方々が受ける各種感情の処理などがあります。現代の日本に於ける文化・環境の変化により 葬送儀礼の主宰者は 地縁者や血縁者から、ご家族や個人による儀式へと変化する中では 悲嘆の処理が 葬送儀礼を施行する目的の大きな部分ともなって来ております。

 人の死は周りに居られた方々に大きな衝撃を与え、悲嘆や、心の痛みをもたらします。これらの感情を周囲の方々が受入れる為には 永い時間と、癒す為の行動が必要と成ります。臨終行儀に始まり、通夜、葬儀、初七日法要、四十九日法要、納骨、一周忌法要、三周忌法要などの葬送儀礼は ご遺族 親しい方々が 受けた悲嘆を癒す為にも 大切な儀式であると言えます。特に故人様と精神的に密な関係を持たれていた、配偶者やご家族が深刻な心の痛みを感じるのは 自然な事で有り、この痛みを癒す為には それなりの時間と悲嘆を表に出す事が必要です。葬送儀礼に於ける儀式に中では 悲嘆を表面に出す事が可能であり、各種 法要を営む過程で 徐々に痛みを和らげて頂けるものと考えられて居ります。

 又 人が死んだ事を知った時 様々な感情に捉われる事が有ります。古くには 一人の人の死が 新たな死を招くのではないかとか、ご遺体の腐敗から恐怖感をいだいたりとかの、感情を和らげる為にも 葬送儀礼による死者の魂の鎮魂は 生者にとって有意義な儀礼であると言えます。

   今回は以上です。 

葬儀を営む意義

 今回は葬儀の意義に付いて書かせて頂きました。

 人の世は諸行無常と言われ、生あるものは必ず滅びることになる、と誰でもが理解して居りますが その死を体験するのは一度限りです。従いまして 人は他者の死を通してのみ 死を間接的に体験し、その中から ご自分の死を見つめる事と成ります。人の死を悼んで人々が集まり 営まれるご葬儀は 参列される人々に命の大切さと、生あるものは必ず死ぬべき存在である事を知らしめる 大切な儀式でも有ります。

 葬儀では 儀礼の対象は死者であり、営む主体者は生者です。葬儀の一連の儀礼は 生者・死者・死霊の三つの要素が関連しあって成り立って居り、特に生者が死者に対して何を感じるかにより、儀礼の在り方も変化して行きます。そして その積み重ねの上に 日本民族としての死生観や習俗が生まれて参りました。生者が死者に対して抱く反応は、死者に対する哀惜の念と 腐敗して行く骸に対する恐怖という 相矛盾した情緒が併存します。死者が生前 如何に敬愛されていたとしても、目の前で腐敗して行く死体からは嫌悪感が生まれ死霊への恐怖が巻き起こされます。死者が怖れられる存在である事は 人類共通の認識です。又 日本に於いては 死者は生者を死の世界へ連れて行く力が有ると考えられて居りました。従いまして 死者に対する愛惜の念は持ちながらも、腐敗して行く死体との関係をなるべく早く断ち切りたい と言うのが一般的心理となり、その一葬法として火葬という形が御座います。

 多くの方々は 葬送儀礼のに接し、人の死は周囲の人々に悲嘆をもたらす程の重大事である事に直面し、生の大切さを考え、死が決して 終りや 無に来するものではない、と言う事をを学び取ります。人間は 生物的な存在であると同時に、社会的な存在としてこの世界の中で生きています。死しても その人を知っている多くの人々の心の中に生き続けているならば、肉体の死をもって その人の死・消滅とは言えないのではないでしょうか。

   今回は以上です。

日本の葬送儀礼

 今回は日本に於ける葬送儀礼の変化に付いた書かせて頂きました。

 日本古来のご遺体埋葬の埋葬方法は土葬が基本でした(但し 天皇家に於いては風葬を行うケースも有りました)。その後 仏教の伝来により 仏教の葬法に日本古来の葬法が加味されて、日本の葬法が作られて行き、江戸時代に確立される事と成ります。又 仏教と共に伝来した火葬は ご遺体を白骨化することにより 死霊への恐怖や穢れを払拭する上で大きな力と成りました。

 日本に於ける葬法の歴史としては 縄文時代に埋葬されたご遺体が確認されて居ります。当時の主流は 手足を折り曲げた屈葬による土葬でした。その後 仏教が伝来し、日本文化の中に定着して行く過程で、日本古来の民間信仰は 意味付けが加えられて、仏式葬法の中に積極的に組み入れられて行きました。日本に於ける葬送儀礼は 平安時代以降 仏僧が葬儀に強く係わる様になり、仏式葬儀が基本的葬法となり、そして 江戸時代の寺請制度により 仏式葬送儀礼が日本の文化として定着し、現代に至ります。

 仏教の影響による火葬の採用は 土葬に於ける 死者・死霊への恐怖を和らげることに寄与します。仏教に於ける 火葬の意味としては 火が持つ洗浄力に有りました。何者をも焼き尽くす炎は 肉体の腐敗から想像される穢れも、死霊への恐怖も払拭する力を持ち、霊の昇天への手段であると信じられて居りました。ご遺骸の白骨化は 死の穢れを払拭した象徴、すなわち 成仏の表現でありました。更に 現代では 火葬は衛生面でも推奨される葬法と評価されて居ります。

   今回は以上です。

葬送儀礼の意味

 今回は葬送儀礼(葬儀)の意味に付いて書かせて頂きました。

 人類の歴史の中では 古く古代より 人が亡くなると何等かの形で葬儀が行われて参りました。紀元前4万年の旧石器時代には 当時の文化を基とした原始宗教が始まり、死者を埋葬するという葬送儀礼が行われていたと考えられます。葬送儀礼は その時代、その土地に根ずいた文化・宗教により執り行われて参りました。日本に於ける葬儀(仏教)は 故人様とのお別れの場、悲しみの場と考える事が一般的ですが、他国・他宗教では 故人様の新たなる門出として、明るく盛大に弔う事もしばしばです。

 葬送儀礼には宗教の概念が深く関係して居り、故人様の宗教観や参列者の宗教観により、その意味するところは異なりますが、日本に於ける葬儀は 9割以上が仏教により行われる事から、葬儀は 故人様とのお別れを偲ぶ会であり、故人様を送り出し、残された者の悲しみを癒す為の儀礼となります。

 又 葬儀の場は 人の生と死について考える場でもあります。人が死を学ぶ機会は 他人の死を通してしか出来ません、身近な方の死に接し ご遺体と直面する事により、死とはどの様な事かを理解して、自らの生に付いて考える場が葬儀の場でもあります。葬儀の場は どうしても悲しい場として考えがちですが、故人様が生きた証を残す場であり、これから生きてゆく方々が 故人様からのメッセージを受取る大切な場でもあります。

   今回は以上です。

葬送儀礼の始まり

 今回は葬儀の始まりについて書かせて頂きました。

 葬儀とは 葬送儀礼の略語であり、葬式とも呼ばれます。葬儀は 人が亡くなられた時 その死を弔う為に行はれる祭儀を指します。その起源は 人の肉体は その死と共に細胞分裂を停止し、腐敗が始まります。肉体の腐敗は醜くく 悪臭を伴うものであり、それは恐怖の対象となりました。死者の不名誉な姿を見ない為に埋葬を伴う葬儀が始められたと考えられます。その当時の葬儀は 土葬、風葬、火葬などの ご遺体処理が葬儀の主体であったと考えられます。

 現在確認されている歴史上初めての葬儀跡であると言われる遺跡は イラク北部のシャニダール洞窟で発見されたネアンデルタール人のものと考えられる人骨で、この洞窟の中では あるはずの無い 花粉が確認されて居り、これは死者を弔う為に ご遺体の周囲にお花が供えられたのではないかと推測されて居ります。

 更に 時代が下ると、古代メソポタミア文明において記述された ”ギルガメシュ抒情詩”の中で 主人公ギルガメシュは 亡くなった友人エンキドゥの復活を祈念して、亡骸を埋葬せずに 七日七晩亡骸に付添ったが、その亡骸が腐敗して行く様相に恐怖した、とあります。古代エジプトや古代ギリシャなどでは 死者の亡骸の腐敗や異臭は恐怖の対象となっていた事が窺われます。

 ギリシャやローマの古代社会では 人の霊魂は不滅であり、その方の霊魂は ご逝去後 一定の期間 肉体の周辺に留まった後、冥界や天界に旅立つものである、と信じられて居りました。ご遺体の埋葬に当たりましては 火葬と土葬が混在していた様です。但し 霊魂が肉体に復活すると信じる人々の間では 土葬が基本でした。

   今回は以上です。

日本の葬送儀礼の始まり

 今回は日本の葬儀の始まりに付いて書かせて頂きました。

 日本に於ける葬送儀礼(葬儀)は 縄文時代には埋葬が行われて居り、弥生時代には埋葬されたご遺体の上に石碑を置いた 現代のお墓の原型が出来ていたと考えらて居ります。又 三世紀に中国で記述された ”魏志倭人伝”、日本に伝存する最古の歴史書 ”日本書記”、或いは ”古事記”などの中で、葬儀が手厚く行われていた様子が窺い知れます。

 日本では 弥生時代の上古より 死者に対する儀礼が大変 重んじられて参りました。日本に於ける三世紀前半の葬儀の様子は 魏志倭人伝に記述されて居り、”死が発生すると喪主は泣き、哀悼人は歌舞宴酒の行為を行った” とあります。まず 人が死ぬと新しい喪屋を作り、その中に柩を置き、白細布で装飾して、数々の儀礼や歌舞を行った。ご遺体を蘇生させる為にモガリと呼ばれる儀礼を行いました。人々は 昼夜を通してご遺体を守ると共に、酒や料理をお供えし、死者の生前の事蹟や哀悼の言葉を聞かせ続けました。そうした後、ある一定の期間が過ぎて ご遺体が蘇生しない事を確認して、その柩は土の中に埋葬されました。この モガリの風習が 現代の通夜の始まりと言われております。

 モガリの習俗は 古代アジアに共通する習俗であり、”高句麗伝”でも ”死者喪屋内にあり、三年を経て吉日を選び弔う” とあります。柩を埋葬する為には 行列が欠かせません、岐左理持が死者の食べ物を持ち、箒持ちが葬地を掃き清め、泣き女が大声を挙げて悲嘆を表わしたともあります。又 幡旗をひるがえし、音楽を奏し、松明を燃やして行列を作りました。

   今回は以上です。

日本文化の葬儀観

 今回は日本古代の葬儀観に付いて書かせて頂きました。

 日本古代の葬儀観は 死体の腐敗・異臭からくる死そのものへの恐怖、死の世界への恐怖、死霊に対する恐怖、と共に 死者を生者同様に丁重に扱う事に特徴が見られます。

 死や死霊に対する恐怖は 古く 縄文時代よりあったと考えられます。縄文時代の墳墓では 多くのご遺体は 膝を折り、腕を曲げた形の屈葬で埋葬されて居ります。又 ご遺体の上に石を置いた形で埋葬された抱石葬(ほうせきそう)が発掘せれて居りますが、この様な方法は 何れも 死者の霊が蘇えるのを恐れて行われたものと考えられて居ります。

 古事記には 死後の世界として 黄泉の国が記述されて居ります。黄泉の国では 腐乱した死体に蛆がたかる汚い世界とされ、死の世界は恐ろしく 生きている者達を引きずり込む力を持っていると考えられて居りました。すなわち 死は穢れており、死霊は生きている者を死の世界へ引きずり込もうとする恐ろしいものであると考えられて居りました。その為 死者の霊を慰め 鎮める為に歌舞を行い、生きている者へ厄難を及ぼさない様 葬送儀礼を執り行はなければ成りませんでした。古代の葬儀観では 死者を大切にする考え方と 死を穢れているものとして恐怖する考え方の 矛盾する二つの考え方が併存して居りました。

 古代に於いては 死の判定は現代の様に明確では無く、一定の期間が必要とされました。その期間を モガリ と呼び、死んだと認められても直ぐに遺体を処理するのではなく、一定期間 生きているのと同様に扱いました。但し ご遺体は腐敗が始まりますので、わざわざ 別に喪屋を作って ご遺体を安置しました。この モガリ の習俗が現代の通夜につながると言われて居ります。

   今回は以上です。

現代日本の葬儀

 今回は現代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 葬儀とは 葬送儀礼の略称であり、一般的には葬式との呼ばれます。葬儀は人の死を弔う為の祭儀であると共に、ご遺族にとりましては故人様をお見送りする為の 大切な儀礼でもあります。現代の葬儀では 故人様が所属されていた会社や団体が主催して行う 団体葬と、ご遺族が主体となってお見送りする個人葬とに分かれますが、個人葬ではあっても 目的や会葬者を限定した 家族葬(密葬)や直葬なども多く行われる様になりました。

 会社が主体となって執り行う 社葬や、団体が執り行う 団体葬は 規模の概念では有りません。会社、或いは団体が 葬儀の費用を負担し、葬儀式の運営を司るのであれば、小規模な葬儀であっても 社葬・団体葬となります。但し 一般的には 社葬・団体葬は 大規模な葬儀となり、準備に時間が必要とされる事から、故人様が御逝去されてから3~4週間後に行われるのが常です。その間 ご遺体を保全するのは困難が伴いますので、ご家族のみで密葬・火葬を行うのが一般的です。

 ご遺族が主催をされて行うご葬儀は 全て個人葬ですが、現代の世相に合わせて多く 行われるご葬儀が 家族葬や直葬と呼ばれる 会葬者を限定した小規模なご葬儀です。家族葬とは 近親者以外の儀礼的・社交辞令的会葬の方々の参列を辞退して、ご家族・近親者のみで 通夜・葬儀・火葬を執り行う祭儀です。直葬とは 直接火葬の略ですが、通夜・葬儀は行わずに ご遺体の火葬だけを行う お見送りの方法です。当然の事ながら 火葬場の広さから 参加出来る方の人数は制限される事と成ります。

   今回は以上です。

直葬とは

 今回は直葬に付いて書かせて頂きました。

 直葬とは 直接火葬の略称で、通夜・葬儀等の儀式は行わずに、ご家族のみで ご火葬・ご拾骨だけを執り行うお見送りの形態です。現代の高齢化社会に於いて、永く社会から離れて御生活され、限られたご家族だけで 費用を掛けずにお見送りをして欲しい とお考えだった故人様のご希望に合わせた お見送りの方法です。ご火葬だけのシンプルな お見送りですが、お心を込めたお別れをする事が可能です。

 直葬の流れと致しましては;

1 ご逝去された故人様のご遺体をご自宅、若しくは然るべきご遺体安置所に安置します。日本に於きましては 法律により ご逝去後 24時間はご火葬に付す事が出来ません。

2 火葬炉の予約時間に合わせて、ご遺体を納棺して火葬場にご移送します。

3 火葬場に到着しますと お柩は火葬炉の前まで運ばれます。そして ご火葬の前に故人様と最後のお別れをし、ご火葬が始まります。この際 ご遺族のご希望に合わせて 僧侶による読経、神道であれば 神官による祝詞をあげて、頂く事も可能です。

4 ご火葬には 一般的に一時間前後の時間が必要となります。この間に参列頂いた方々でお斎の席を設ける事も可能です。

5 ご火葬が終了しますと 火葬場より連絡があり、参列の方々は拾骨場にお集まり頂き、ご拾骨となりますが、まず 最初にご遺族による 火葬終了の確認がおこなわれます。

6 お骨壺に御納めした焼骨は お持ち帰り頂き 納骨されるまでの間ご自宅に安置される事と成ります。

   今回は以上です。  

家族葬とは

 今回は家族葬に付いて書かせて頂きました。

 家族葬とは 一般会葬の方々にはご遠慮頂き、故人様のご家族と近親者のみで行う葬儀の事です。ご葬儀の内容は 一般的なご葬儀と同様に通夜式、葬儀式を2日間で執り行いますが、参列に方は特定の少人数と成りますので、ご遺族様は 参列の方々の気を使う必要が無く、故人様とのお別れの時間を大切にする事が出来ます。又 家族葬では 必要とされる費用も限られたものとなり、現代ではご葬儀の主流となりつつ有ります。

 少子高齢化 核家族化が進捗する現代の日本に於きましては ご葬儀を執り行う大きな目的の一つである ”社会への告知” という部分が薄れつつあります。実社会から引退されて久しい高齢の方々は 必然的に活動される社会も限られたものとなり、それ程 広く社会に告知する必要は無くなります。高齢の方々の多くは ご家族への負担も考え、お身内だけで費用を掛けず見送って欲しい とのご希望をお持ちになり、そのご希望に合わせた お見送りの葬送儀礼が家族葬となります。会葬の方々は ご家族と近親の方のみですので、慌しさや煩わしさも無く、ゆっくりと故人様のお話が出来、ゆっくりとお別れをする事が出来ます。

 尚 家族葬は 密葬とは異なります。密葬とは 本葬が行えるまで時間が掛る為、便宜的に近親者のみで葬儀・火葬を行うもので、密葬と本葬を合わせて一つの葬送儀礼となります。家族葬は それのみで 完結した葬送儀礼となります。

   今回は以上です。

社葬での事務処理

 今回は社葬に於ける事務処理の各種に付いて書かせて頂きました。

 社葬に於ける事務処理では 通常の社会に於ける事柄とは異なる処理が幾つか有ります。1 お布施の扱い(領収書)、2 香典の取扱い、3 ご供花の取扱い等です。

 仏教葬に於ける僧侶への寄付を お布施と言います。お布施は 読経や葬儀執行に対する対価では有りませんので 領収証が出されないのが一般的です。社葬に於いて 宗教者への支出を企業が負担する場合は 率直に領収証の発行をお願いして下さい。最近では 領収証を発行して呉れる寺院も多くなりました。領収証の発行が困難な場合は お布施を納めた封書の表書きに 宛先(寺院名)、金額、支払い元(会社名)を記載し、これをコピーして、支出の根拠とする事が出来ます。

 社葬でお香典を企業が受取る場合は 企業の雑収入として計上しなければ成りません。この様な処理を避ける為には お香典の受取りを企業ではなく、ご葬家とする方法が御座います。他に 一般的な方法としては 密葬に於けるお香典はご葬家が納め、本葬である社葬では お香典を辞退する という形態が御座います。

 社葬に於けるご供花としては 造花で造られた花環のタイプと 生花のタイプがあります。近年では 式場側の都合により花環を供える場所が無い事も多くなりました。従いまして 生花タイプをお供えするのが一般的ですが、主催側で用意する生花祭壇とのデザイン上のバランスから ご供花を辞退するケースも多く見られます。又 ご供花をお供えする場合でも 個々のご供花に名札をつけるのでは無く、芳名板を設けて 一括表示する形態が多く見られます。尚 ご供花は現金ではありませんので、経理上の処理は必要有りません。

   今回は以上です。

社葬を営む組織

 今回は社葬の組織に付いて書かせて頂きました。

 社葬を執り行うに当たりましては 施主であるべき 葬儀委員長を中心にして多くのご担当を選任頂き、各種のお役目を滞りなく努めなければ成りません。そのお役目は 葬儀委員長、葬儀委員、実行委員会(事務局)、広報係、記録係、進行係、受付係、案内係、接待係、携帯品係、式典係、駐車・配車係、会計係などです。これらの係は 社葬の規模に応じて役目を兼務する事も可能となります。社葬おを担当する組織は 非常時に於ける体制ですの、事前にマニアル化して於き、必要が生じた場合には即日に立ち上がれる様、準備しておく事をお薦め致します。

 葬儀委員長は 社葬を運営する組織の代表責任者です。一般的にはこの社葬は 会社が責任を持って執り行います との意思表示を示す為にも 会社の代表者が務めるべき役目です。もし 現役の代表者が亡くなられた場合には 後継者 若しくは次位の役員が務めます。会長が亡くなられて そのご子息が社長の場合は ご子息である社長は 喪主を務め、葬儀委員長は 社長の次位の役員が務めます。又 会社の後見人と言う事で 親会社の担当役員や 商工会議所の役員の方のお願いするケースも御座います。尚 政治家や社外の名士の方々は 来賓としてお迎えすべきで、葬儀委員長をお願いするのは避けるべきです。

 葬儀委員は 会社の役員が務め、社葬の方針を決めると共に、社葬当日は 然るべき場所で立礼を務めます。

 実行委員会は 葬儀委員が定めた方針に従い 社葬の企画を立て、準備を行い、社葬当日は 実行司令部の役割を担います。コンセンサスを得やすい様に 人数を絞り(5名前後)、実行力のある中堅幹部を中心に組織します。社葬が全社的観点から行われ、今後の為にノウハウが蓄積される様、総務部や 社長室などの部署が担当されるケースが多く見られます。

   今回は以上です。

社葬の日程の決め方

 今回は社葬の日程に付いて書かせて頂きました。

 社葬を執り行うに当たりましては 実行委員会の立ち上げと、日程を決めなければ成りません。特に日程を定めるに当たりましては 予め ”社葬施行企画書” が準備されて居るか、どうかにより大きく異なります。準備されていない場合は ご遺族のご希望、状況に合わせて企画する事となります。

 社葬の日程を組むに当たりましては 死後直後に行うケースと、日をおいて行うケースとに大別されます。

日を置いて行うケースでは ご遺体の保全も考慮して ご逝去直後にご家族・近親者で個人葬(密葬)を執り行い、改めて 後日 本葬を社葬として行うのが一般的です。この本葬は 当然の事ながらご遺骨を中心とした 骨葬の形態となります。又 本葬は ご葬儀と言うよりは 告別式、あるいは 追悼式の要素が濃い儀式となります。日取りと致しましては 1ヶ月後の月命日、三十五日や 四十九日に合わせ行うのも考え方の一つです。この形態ですと 会場も自由に設定出来、準備の時間も十分に取る事が可能となります。

尚 密葬は行わずに 社葬までご遺体を保全しておきかい場合は エンバーミング(遺体衛生保全処置)により防腐処置を施す事で、然るべき期間 ご遺体を保全する事が可能となります。

 社葬の準備に付きましては 企画立案を一から始めればそれなりの時間が必要と成ります。企業殿社内危機管理の一つとして 社葬施行企画書 が準備されていれば、企画は状況に合わせた修正のみで済、実行に全てを傾注出来ますので、会葬の方々への対応も行き届いたものとなります。

   今回は以上です。

社葬の目的とは

 今回は社葬の目的に付いて書かせて頂きました。

 社葬とは 企業(会社)が全ての責任を負って執り行う葬儀であり、故人様 お客様 社員 社会に対する企業の姿勢を示す儀礼でも有ります。企業の発展に尽力した故人が生前 お世話になった方々への感謝を表し、故人様の逝去を追悼し、来賓・参列の方々との新たな関係をお願いする、為に執り行う儀礼です。

 社葬は 企業としての姿勢を広く社会に示す場でも有りますので、まずは 故人様の功績をどの様に評価し、企業としてどの様に遇するのか、の姿勢を会社として決めなけれれば成りません。その上で 以下の意味付けを行います;

1 故人が生前に受けたお世話への感謝の表明

   故人が生前に成した 企業発展への尽力は 多くの方々の協力により成し得た事柄です。社葬に於いては まず お世話になったこれらの方々に対して、感謝の意を表明します。

2 故人への追悼

   故人が成した会社への貢献を讃え、その業績と思い出を偲びます。

3 新たなる関係の創造

   故人 亡き後も、変わらぬお世話を頂ける様、来賓 参列の方々にお願いします。

以上の3点を念頭に置きながら、企業らしさ や故人の人となりが示される形の儀礼が 社葬の目的となります。

 社葬を行うに当たっては ご遺族への配慮も大切な項目です。社葬であるからと言って企業のみで全てを決めてしまうと ご遺族との間で確執が起こる可能性が有ります。社葬の主体は企業が担いますが、お見送りの主体は ご遺族でもあります。何かを決める際には ご遺族の意向を確かめ、決まった事はまめに報告して、ご遺族をないがしろにしない様にする事は重要です。

   今回は以上です。

社葬の式場設営

 今回は社葬の設営に付いて書かせて頂きました。

 社葬の設営は 依頼する葬儀社の指導の下に行われますが、依頼する葬儀社には 必ず”作業マニュアル”の作成、提出を依頼して、作業の完璧を期します。又 進行に当っては 台本を作成し、遅滞のないスムーズな進行を期します。

 作業マニュアルは 施行マニュアルの一部で、主として式場設営など 協力会社に委託して行う作業の内容と手順を示したものです。協力会社への委託項目ではありますが、任せ切りにしてしまわずに、施行プロジェクトとしても、必ず目を通して、内容確認をすべきでしょう。又 現場責任者は 施行マニュアルの前提の下に、現場に作業指示書を提示して、作業の完璧を期します。

 社葬の進行に当たりましては 進行台本を作成しますが、作成の際の注意事項は以下の通りです;

1 弔辞、葬儀委員長式辞など シーン単位でページを作ります。

2 シーン毎にタイトルと時間を記入します。

3 シーンの内容は3っに区分して、時間軸を合わせて記述します。

 ①主要動作(全体の4分に1)

 ②アナウンス 及び主要シーン(全体の2分の1)

 ③照明、音楽などの演出動作(全体の4分の1)

4 葬儀委員長の動作図などは挟み込んで使用します。動作図を別紙にすると 探す手間がかかり、台本の中に記入すると ページが窮屈になります。動作図は別紙で起し 当該ページに挟み込んで利用するのが便利です。

5 名前や難しい文字には必ずフリガナをつけます。フリガナのミスは許されませんので、二重 三重の確認が必要です。

6 アナウンス部分の文字は 照明が十分でなくとも読める様、大き目の文字で記入します。

7 製本形式は ファイルへの挟み込み形式にしておくと、全体概要の必要部分を挟み込む事が可能となりますので、大変便利です。簡易製本やホチキス止めの場合はこれが出来ません。

   今回は以上です

日本独自の宗教 神道

 今回は神道(しんとう)に付いて書かせて頂きました。

 神道とは 古来より育まれた日本民族の文化を拠り所とする宗教の総称で、自然信仰を基に 神秘で畏敬の念を抱かせる物や事象を 神や神霊として信仰の対象とし、その信念に基ずいて発生し、展開されて来た、日本民族固有の宗教です。従いまして 多くの神や神霊が祀られて居り、八百万の神と呼ばれる程 多数の神が存在します。神道に於いては 亡くなられた方のお見送りは 神葬祭、霊前祭などの儀礼にのっとり執り行われます。

 八百万の神を持つと言われる神道は 日本民族文化の中で自然発生的に生まれました。遅くとも弥生時代には原始的な形が作られて居り、古墳時代には民族宗教としての形態を整えたと考えられます。そして 7世紀(飛鳥時代)の律令制確立と共に 朝廷の祭祀を司る 神祇官と呼ばれる官位が制定されました。神道という語は 日本書記(8世紀)の中で初めて現れますが、これは 唐より伝来した 外来宗教である 仏教(仏法)に対して、日本古来の民族宗教を意識して創られたと考えられます。

 現代の日本神道の活動は 大きく分けて 神社を中心とした神社神道、幕末以降に創設された教派神道の二つですが、この他に 宗教団体は結成せず 家庭や個人に於いて営まれている 民俗神道があるという説が有力です。28年度現在の 文化庁が認識している 神道に於ける宗教団体は 156団体、宗教法人は 84、909法人となって居ります。

   今回は以上です。

日本の仏教Ⅱ

 今回は前回に引き続き仏教に付いて書かせて頂きました。

 現代の日本に於きましては ご葬儀を執り行う際の儀礼の九割以上は仏式により行われて居ります。日本の仏教界は 第二次世界大戦後 宗教法人令が成立し、国による認可制度が停止されると、多くの仏教教団が分派・独立し、多数の宗派が新設されました。その後 昭和26年(1951年)の宗教法人法成立と共に 若干の変動が御座いましたが、文部科学大臣所轄の包括宗教法人としては 平成28年(2016年)12月末現在 157の仏教宗派が活動して居ります。

 日本の仏教は 飛鳥時代 聖徳太子によって その基礎が確立されたとされます。聖徳太子は仏教思想を深く受容し、その仏教思想を自らの治世に生かしたと言われて居ります。又 聖徳太子は 法隆寺や四天王寺などを建立して居ります。法隆寺は 永く法相宗の学問道場として機能して居りましたが、現在は法相宗から独立して、聖徳宗の総本山となって居ります。四天王寺は天台宗に属して居りましたが、同じく戦後 独立をして和宗を形成し その総本山となって居ります。

 奈良時代に入りますと 遣唐使により学問仏教が唐から移入され、奈良に於ける南都六宗の大寺院で学ばれる事と成ります。南都六宗は 三論、成実、倶舎、法相、華厳、律の六宗です。この中で 法相宗は 興福寺と薬師寺を二大本山として その伝統を現在に伝えて居ります。華厳宗は 東大寺を大本山とし 大仏を保持すると共に、日本各地に建立された国分寺の中心となる、総国分寺でもあります。律宗は 754年 唐から来朝した鑑真により 唐招提寺を中心として伝教されました。

   今回は以上です。

日本の仏教Ⅲ

 今回は平安時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 現代の日本に於ける ご葬儀の主流は仏教の葬送儀礼です。9割を超えるご葬家が仏式のご葬儀をご希望され、そのご希望に合わせてご葬儀が執り行われて居ります。日本に於ける仏教の宗派は 飛鳥、奈良時代の南都六宗に始まり、平安時代の天台宗、真言宗へとつずいてゆきます。

 天台宗は 806年 伝教大師・最澄により開創されました。最澄は入唐して天台教学を究め、更に密教、禅 そして律の伝授も受けて帰朝し、円(天台教学)・密・禅・戒の四宗を総合した天台法華宗を開創します。天台教学は法華経に基ずく教えであり、すべての人は仏となる因(仏性)を有しているという 一乗思想、三諦円融の教え、一念三千の教え などの思想を有しております。又 心を統一しつつ自己と存在の実相を観察する”止観”を中心とした実践行を重視して、峰々を毎日歩き回る 回峰行、長い年月山に籠る 籠山行 などの極めて厳しい行も伝えられて居ります。更に 最澄は 日本仏教に於ける 戒観の基礎を築いた師でもあります。天台宗の総本山は 滋賀県大津市の 比叡山延暦寺です。

 真言宗は 弘法大師・空海により九世紀初頭に開かれました。空海は最澄と同じく入唐して長安に渡り 同地の青龍寺の密教僧 恵果より 真言密教を学び、ことごとく秘法を伝授された後 帰朝して真言宗を開きました。835年 高野山で入定(入寂)しました。密教とは 釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(絶対者)である大日如来が 直接 説いた教えであるとされ、生きとし生けるものは 宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も身・口・意の三密行により即身成仏する事が出来る と説きます。高野山真言宗の総本山は 和歌山県伊都郡高野町の 高野山金剛峰寺です。

   今回は以上です。

日本の仏教Ⅳ

 今回も前回に続き仏教に付いて書かせて頂きました。

 人類の歴史の中では古くより ご葬儀の儀礼は信ずる宗教の教義に基ずいて行われて参りました。ご葬儀を執り行うに当たり、日本人の多くの方々が選択される宗教は仏教でが、その仏教は インドに始まり、中国、韓国を経て日本に伝来しました。従いまして 飛鳥、平安時代の仏教は 中国での教えが日本に伝えられ、宗派としても中国名がそのまま使われて居りました。鎌倉時代に入り 徐々に日本文化と融合した独自の仏教が生まれて来ます。法然上人が開いた 浄土宗を始めとする諸教です。

 平安時代末から鎌倉時代にかけては 政治の実権が 貴族から武士階級へと移った歴史の転換期でもあります。又 この時期は 天災・飢饉・戦乱などが重なり 民衆の苦悩が深まった時期でもあります。こうした時代背景を基に 多くの宗派が新しく生まれました。この時代は 仏教史観に由れば ”末法の時代” とされ、貴族階級中心の平安仏教に代わり、民衆が求める救いに応える為の仏教が生まれました。

 浄土宗は 1175年 宗祖 法然上人により創設された宗派で、現在は京都市東山の知恩院を総本山として布教活動が行われて居ります。法然上人は 比叡山にのぼり修学し、その後に 南都に遊学して 諸宗の奥義を究めましたが、その結果に満足出来無い中、中国の善導大師による ”観経蹠(かんきょうしょ)”の一文に触発され、この末法の時代には 阿弥陀仏の御名を唱えることによって極楽浄土へひきとって頂き、そこで悟りを開く、専修念仏を唱導する浄土宗を開創しました。

   今回は以上です。

日本の仏教Ⅴ

 今回は鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 鎌倉時代には 天災や飢饉が多発し、更に戦乱などにより民衆の苦悩が深まった世相となりました。又 仏教史観では ”末法の時代”とされ、平安時代の貴族階級を中心とした仏教から、民衆の苦悩を救済する為の仏教へと変化して行きます。この時代には 一般民衆でも受入れ易い、専修念仏の唱導を中心とした 多くの宗派が生まれました。浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、日蓮宗、そして 禅宗などです。

 浄土宗は 法然上人により 1175年 京都東山で開創されました。法然上人は 天台宗を始めとして南都六宗を修学しましたが、その教えに満足出来ず、専修念仏を唱導する浄土宗を開創します。南無阿弥陀仏(阿弥陀仏を信ずる の意味)と唱えることにより、極楽浄土へ導かれ そこで悟りを開く事が出来る、という 他力易行の念仏は 貴族を含む多くの民衆に影響を与えました。しかし 従来からの諸宗の反発を受けて、朝廷より 念仏停止(ねんぶつちょうじ)の令が発っせられ、法然上人は土佐(実際には讃岐)に流罪となり、高弟たちも 死罪や流罪に処されて、浄土宗は日本各地に分派される事と成りました。そして 第二次世界大戦後 各地に分派していた京都の知恩院 浄土宗本流、東京芝の増上寺の浄土宗、京都左京区の金戒光明寺の黒谷浄土宗等が習合・合併して 京都 知恩院を総本山とする現在の浄土宗と成りました。

   今回は以上です。

日本の仏教Ⅵ

 今回も前回に続き鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 現代の日本に於ける ご葬儀は仏式の葬送儀礼が主流となって居りますが、その多くの宗派は 鎌倉時代に開創されて居ります。仏教史観に於ける ”末法の時代”であった鎌倉時代には 念仏の唱導を主とする宗派が開創され、貴族階級だけでは無く 民衆の中に広く伝わって行きました。その始まりは浄土宗でしたが、更に 浄土真宗、融通念佛宗、時宗、日蓮宗などが創設されて行きました。

 浄土真宗は 1247年に親鸞聖人により立教開宗されたとされます(教行信証が完成した年)。聖人は 始めに比叡山で修学に励んだ後、法然上人の下に参じて、その高弟の一人となります。そして 法然上人が四国流罪とされたときに、越後流罪に処せられました。その間 関東で教えを広め、晩年には京都に帰る事と成ります。聖人が教導していた時代には 浄土真宗は創立されて居らず、浄土真宗の創設は 聖人の没後 その弟子たちにより行われました。親鸞聖人の教えは 法然上人の唱導した浄土門の念仏の教えこそ真実の教え(浄土真宗)であるとし、浄土往生以前でもこの世で救いが成就する(現生正定聚)と説きました。更に その”信心”も”念仏の行”も 如来より施与されたものとされ、絶対他力の教学を完成したとされます。又 聖人は妻帯も仏道を妨げる事は無いと唱え、非僧非俗と称して、従来の出家集団とは異なる教団を形成しました。

 現在 真宗教団の中で大きな教団は 浄土真宗本願寺派(西)と真宗大谷派(東)の東西本願寺教団ですが、その他 真宗高田派、真宗興正派、真宗佛光寺派、他が御座います。

 今回は以上です。融通念佛宗、時宗、日蓮宗は次回に書かせて頂きます。

日本の仏教Ⅶ

今回は鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。

 ご葬儀を行う際の儀礼は信仰された宗教に基ずいて執り行われますが、現代の日本で主流となるのは仏教です。その仏教で主流となる宗派の多くは鎌倉時代に創設されて居ります。その中の 融通念仏宗、時宗は以下の通りです。

 融通念仏宗は 平安時代末期の1117年 天台宗の僧侶であった良忍上人が 京都大原の来迎院で修行中、阿弥陀如来から速疾往生(誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文を授かり開宗した、とされます。自他融通の念仏は 相互に力を及ぼしあって浄土に往生すると説きます。大阪市平野区に建立された 大念仏寺を総本山として居ります。

 時宗は 融通念佛宗と同様に浄土教の一宗派で鎌倉時代末期に一偏上人により開かれました。一偏上人は 証空門下の聖達に学び、後に熊野本宮で神勅を得たとして自らの教学を形成しました。上人は 捨聖(すてひじり)と言われ、遊行をこととし、弟子達と共に諸国を遊行し、念仏を称えた人には 算(さん)と呼ばれる念仏のお札を与えました。又 一偏上人には 新たな宗派を立宗する意図は無く、永らく その教団や構成員は時衆と呼ばれて居りました。時宗として宗派が成立するのは 江戸時代以降(1633年)以降です。その教えは 念仏を重視し、念仏を唱えれば唱える程 極楽浄土への往生が可能になると説きました。時宗では 阿弥陀仏への 信・不信は問わず念仏を唱えれば成仏できると説き、仏の本願力は絶対であるがゆえに、それが 信じない者にまで及ぶと解釈されて居ります。時宗の総本山は 神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称 遊行寺)です。

   今回は以上です。

日本の仏教Ⅷ

 今回は鎌倉時代に興された日蓮宗に付いて書かせて頂きました。

 ご葬儀を行う際の儀礼は信仰された宗教に基ずいて執り行われますが、現代の横浜で主流とされるのは仏教です。その仏教で主流となる宗派の多くは鎌倉時代に創設されて居ります。その中の 日蓮宗(法華宗)は以下の通りです。

 日蓮宗は 法華宗とも呼ばれ、鎌倉時代中期(1253年)に安房の国 清澄山の清澄寺に於いて日蓮上人(立正大師)により興されました。日蓮上人は 安房の国(千葉県鴨川市)の小湊に生まれ、11歳で小湊の清澄寺に学び、更に 比叡山で天台教学を究め、その後 三井寺、薬師寺、高野山、天王寺、他に遊学の後に清澄寺に戻って 南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされます。その後 鎌倉を中心に布教活動を行うと共に、鎌倉幕府への献策(立正安国論)を行いますが、聞き入れられず 各種の法難を受けた後、佐渡へ流されました。3年間の流罪が許されると 山梨県の身延山に入り、久遠寺を開山して 法華経の宣揚と道俗の訓育に当りました。その後 病を得て、療養の為 常陸の国へ向かう途中、武蔵の国 池上(東京都大田区)で入滅します。

 日蓮宗の教えは 南無妙法蓮華経 の題目を唱える唱題を説きます。法華経こそが釈尊の悟りの全てであり、宇宙の実相を表わしている、”妙法蓮華経”の題目は 単に名称ではなく、法華経の説く内容、つまり 仏陀の証悟の世界そのものである、という日蓮上人の考えにもとずくものです。

 尚 日蓮宗は 法華経の理解の違いにより、多くの分派を持ちますが、総本山は 山梨県の身延山久遠寺、日蓮宗の行政を司る宗務院は 東京都大田区池上の 本門寺敷地内にあります。

   今回は以上です。

▲このページのトップに戻る