横浜で葬儀、お葬式ならひかりの杜

ひかりの杜

ひかりの杜

0120-264-664

公衆電話・携帯電話
からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

公衆電話・携帯電話からもお問い合わせ頂けます

メールでのお問い合わせ

火葬儀プラン 家族葬プラン 一般葬プラン 葬儀後について お寺紹介 墓地・お墓紹介

24時間365日対応

24時間365日対応

・葬儀前の準備

・お通夜の流れ

・葬儀の流れ

・失敗しない葬儀社の選び方

・ごあいさつ

・火葬儀

・家族葬

・一般葬プランLight

・一般葬

・生活保護受給者様

・ペット葬

ご連絡先はこちら

QRコード

ご葬儀関連新着情報

・港北区 葬儀

・青葉区 葬儀

・鶴見区 葬儀

・港南区 葬儀

・戸塚区 葬儀

・神奈川区 葬儀

・旭区 葬儀

・都筑区 葬儀

・中区 葬儀

・南区 葬儀

・西区 葬儀

・保土ケ谷区 葬儀

・磯子区 葬儀

・金沢区 葬儀

・緑区 葬儀

・瀬谷区 葬儀

・泉区 葬儀

・栄区 葬儀

ブログ一覧

横浜市民の葬儀・横浜市戸塚斎場

横浜市民の為に最初に建造された横浜市営の葬儀式場が横浜市戸塚斎場です。

又、横浜市戸塚斎場は横浜市内で三番目建造された火葬設備でも御座います。

1 横浜市戸塚斎場

横浜市戸塚斎場は1939年(昭和14年)より横浜市戸塚区内で火葬業務が開始され、

1990年(平成2年)に式場棟が併設され、総合斎場として横浜市民のご葬儀に利用されて居ります。

横浜市戸塚斎場は戸塚区鳥が丘に位置する横浜市営の斎場で、

葬儀式場と火葬場が併設され、ぺットの火葬も可能な、駐車場の完備された、

大変便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。

又、火葬場は隣接されて居り、式場からの移動は徒歩2分で、マイクロバス等を必要と致しません。

横浜市戸塚斎場
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

横浜市戸塚斎場は鳥が丘の小高い丘の上に建設されて居り、

坂道を登って正門に立ちますと、正面手前が駐車場、正面奥に火葬場、右手に式場の建物が御座います。

葬儀式場は二階建てで、1Fに第一式場、2Fに第二式場、計2式場があり、

いずれも式場も、受付・待合せロビー・お清め室・式場・親族控室・宗教家控室・トイレが配置されて居り、

席数100席300名程度のご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

通夜仮眠は5名様程度までは可能です。

但し、横浜市消防条例により夜9時以降の火気使用は不可となって居りますので 

灯明・線香は9時で消灯しなければ成りません。

横浜市戸塚斎場の利用料金は、故人様が横浜市民の場合は式場利用(2日間)5万円、

火葬炉利用1万2千円、火葬時の控室利用5千円と大変廉価でご利用頂けます。

戸塚斎場は古くから横浜市民に利用されている火葬場であり

ぺットの火葬は戸塚斎場でのみ可能となって居ります。

横浜市戸塚斎場への来場に当たりましては 

公共交通機関ご利用の場合は

横浜市営地下鉄線踊場駅より徒歩で15分、

JR線戸塚駅から路線バス利用であれば西口バスセンターより“戸79;弥生台駅行き”に乗車し

戸塚斎場前で下車(所要時間10分前後)、

タクシ-利用であれば所要10分(料金1500円前後)で来場頂けます。

お車で来場の場合は、横浜新道を藤沢方面に向かい、戸塚駅入り口・矢沢立体(IC)を右折して約5分となります。

菊

遠方よりご参列の方々には最寄の宿泊施設として、戸塚駅前西口に“相鉄フレッサイン横浜戸塚”が御座います。

相鉄フレッサイン横浜戸塚は斎場までタクシ-で10分(料金1500円前後)の距離にある

ご利用し易い宿泊設備です。

ご利用料金は、シングルルーム 6750円からとなります。

ご予約はインターネット予約利用が割安となります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・私営西寺尾火葬場

横浜市民の為のご火葬設備は5施設が御座います。

4ヶ所の横浜市営火葬場と1ヶ所の私営火葬場が横浜市民のご火葬を営んでおります。

横浜市久保山斎場についで古くより利用されて参りました火葬場が西寺尾火葬場です。

その私営西寺尾火葬場には隣接した葬儀式場として西寺尾会堂がご利用頂けます。

1 私営西寺尾火葬場

西寺尾 火葬場は神奈川区松見町 2 丁 目  に所 在す る、民間経営の火葬場です。

こ の 火葬場 は 東京都大 田 区内 に 寺院 を有す る 個人 の経営で、

大正13年(1924年)6月5日に設立さ、

長らく横浜市民、川崎市民、東京都民(大田区民)に利用されてまいりました。

民 営で ある た め に,火 葬 炉 に 特 等 ・1 等 ・2 等 ・3 等の等級 を 設 け て 運営されて居ります。

西寺尾火葬場

火葬場は鉄 筋 コ ン ク リート平屋造の 炉 棟で,炉数10 基 で サービスを提供して居ります。

火葬炉利用料は6万~9万円と市営火葬場と比較して割高ではありますが、

比較的早めにご火葬が営める斎場として多くのご葬家がご利用されて居ります。

私営西寺尾火葬場 は古くから営まれて居り、横浜市営 と思 い 込 ん で居られる方も多いかと思いますが、

民間経営ですのでご理解下さい。

尚、横浜市民の方が西寺尾火葬場をご利用いただいた場合、

横浜市営斎場利用者との利用料金差額補助として17,000円が横浜市より支給されますので

居住される区役所への葬儀費用補助金申請と同時に、お忘れなく申請して下さい。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

2 西寺尾会堂

西寺尾会堂は西寺尾火葬場を併設された、

古くより港北、神奈川、鶴見区民及び川崎市民の方々に利用されて参りました、

宗旨、宗派に係わらず利用頂ける私営の葬儀式場です。

会堂は総二階の建物として建設され、

一階には受付、待合せロビー、葬儀式場、宗教家控室が、

二階には待合せロビー、お清め室、遺族控室・通夜仮眠室が配置されて居ります。

葬儀式場は約60席の会葬者席が用意可能で数百名程度までのご葬儀を執り行う事が可能となって居ります。

尚、同会堂では花輪の取り付けが出来ぬ為、斎場のお飾りは生花のみのご利用となります。

又 西寺尾火葬場への移動は徒歩での移動と成りますので、マイクロバス等は不要となります。

葬儀について

会堂は東急東横線妙蓮寺駅から徒歩約10分の丘の上に建てられて居ります。

で来場される方には首都高速神奈川1号線生麦ランプ 若しくは第三京浜道路新横浜インターより 

何れも約15分前後の距離に位置する大変交通の便の良い葬儀式場です。

遠方より来られて宿泊が必要な会葬の方々には妙蓮寺駅から所要7分で横浜駅となり、

横浜駅周辺には多くのホテルが営業しております。

その一つとしてはヨコハマプラザホテル(横浜駅東口)シングル6000円より、等がご利用頂けます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・横浜市久保山斎場

横浜市内には市民の為の火葬場が5ヶ所御座います。(私営;1、市営;4)

その内の横浜市久保山斎場は4ヶ所有る横浜市営の火葬場の一つで、

西区元久保町に位置する横浜市民の為の火葬設備です。

他の横浜市営斎場は式場と火葬設備が併設されて居りますが、

横浜市久保山斎場は火葬の設備のみで、

葬送の儀礼を私営の式場で営まれたご葬家にご利用頂く火葬設備と成ります。

尚、隣接する葬儀式場としては、私営の小西斎場や一休庵久保山斎場が御座います。

1 横浜市久保山斎場

横浜市久保山斎場は開港横浜を象徴する火葬場で、明治8年(1875年)6月より操業を開始し、

多くの人々が海外との往来をする中で、伝染病の拡散防止を目的とした火葬場でもありました。

第二次世界大戦後、A級戦犯として死刑判決を受けた方々のご遺体はこの横浜久保山斎場で荼毘に付され、

東京湾に散骨されました。

横浜市久保山斎場は他の市営斎場と異なり、火葬設備のみを保有する斎場で葬儀式場は御座いません。

葬儀式場は隣接する私営の小西斎場・一休庵久保山斎場他をご利用頂くと便利です。

ご来場に当たりましては、JR線保土ヶ谷駅、若しくは京浜急行線黄金町駅よりタクシ-利用が便利です。

何れも所要時間10分前後で、千五百円前後の費用で来場頂けます。

お車で来場の場合は首都高速横浜3号線永田インターより5分の距離となります。

遠方よりご参列の方々の為の最寄ホテルとしては、

JR線横浜駅、桜木町駅、関内駅周辺のビジネスホテルご利用をお薦め致します。

2 横浜市久保山斎場に隣接する葬儀式場

1)私営小西斎場

小西斎場は西区元久保町に位置する私営の斎場で、

横浜市久保山斎場に隣接した大変便利な葬儀式場です。

火葬場への移動は徒歩が可能でマイクロバス等の移動手段を必要と致しません。

小西斎場の設備といたしましては、

葬儀式場は1室、60席 150名の葬儀を執り行う事が可能な式場となります。

その構造は、1FとB1Fの二階構造となって居り、

1Fに正面入り口、受付、待合せロビー、式場、そして宗教者控室が配置され、

B1Fには遺族控室(和室18畳)お清め室(立食100名)シャワー室が配置されて居ります。

1FとB1Fの間にはエレベーターで繋がれ、B1Fには身障者対応トイレも設備されて居ります。

遺族控室は通夜仮眠のお部屋としてもご利用頂け、大変ご利用頂き易い斎場で御座います。

尚 ご自宅でご遺体を安置する事が出来ない場合は 別棟にご安置する事も可能となって居ります。

告別式花祭壇

2)一休庵久保山斎場

一休庵久保山斎場は西区元久保町に位置する私営の斎場で、

横浜市久保山斎場(火葬場のみ)に隣接した大変便利な葬儀式場です。

式場から火葬場への移動は徒歩が可能でマイクロバス等を必要と致しません。

一休庵久保山斎場の葬儀式場は2室あり 

1Fが駐車場と正面入口、B1Fが第一式場、B2Fが第二式場となり、

正面入口からはエレベーターで下りて頂きます。

エレベーターで下りますと受付と待合せロビーとなり、

正面の通路を挟んで左側に式場とお清め室、右側に遺族控室(和室12畳)手洗いシャワー室が配置されて居ります。

式場は会葬の方々の予定人数に合わせて、広さを調整する事が可能となって居り、

ご利用される広さに合わせた利用料体系となって居ります。

式場とお清めの席の間はパ-ティションで区切る形となります。 

   今回は以上です。 

横浜市民の葬儀・社葬・団体葬の運営

不祝儀とも呼ばれるご葬儀の儀礼では会葬にお越し頂く方々に無礼があっては成りません。

特に社葬・団体葬では多くの方々に会葬を頂く事となり、より肌理の細かい配慮が必要と成ります。

1 社葬・団体葬の運営

社葬の設営と運営の多くは契約する葬儀社に委託する事となりますが、

施行プロジェクトチームとしても内容を把握し 全体を統括すると共に、

何か有ればタイムリーに的確な対処をしなければ成りません。

社葬・団体葬の運営に当たりましては全体の進行に注意しなければ成りません。

式場内は勿論の事、式場外の一般会葬者の動きや流れにも 注意を払い進行させる必要が有ります。

その為には担当者を適切な場所に配置して、タイムリーな報告を挙げてもらい、

その情報を集約して適切な進行を司る必要があります。

特に予想を大幅に上回る会葬者があったとき、逆に会葬者の人数が大幅に下回った場合、

雨風など天候が急変した時などは細心の注意が必要となります。

又、どの様場合でも人の流れ(動線)は注意しなければ成りません。

社葬や団体葬では多くの人が集まりますので、企画の段階で各種の動線シュミレーションを繰り返し、

想定が変化した場合の対応策も必ず用意しましょう。

人の流れをスムーズにすること、参列者や会葬者が移動する際に迷うことの無い様、

受付・焼香・答礼の場所などで人の溜りが出来ぬ様、入場する人と退場する人が重ならない様、

などは基本の配慮となります。

同じ空間を異なる人が使用する場合などでは、間に衝立を立てると混雑を避ける事が可能です。

何か問題が起きた場合には直ぐに対応出来る体制が必要です。

特に協力業者とのコミニケーションは重要で、どの様な問題が起きた場合はどの業者の誰と協議し、

どの対応策を取るのか決めて、迅速に対応できる体制を作ります。

必ず作業項目ごとに正福の担当者をおいて、

常に複数の担当者が全体の状況を判断して対応できる様な体制を整えなければ成りません。

2 社葬・団体葬での事務処理

社葬・団体葬に於ける事務処理では通常の社会に於ける事柄とは異なる処理が幾つか有ります。

1)お布施の扱い(領収書)、

2)香典の取扱い、

3)ご供花の取扱い等です。

仏教葬に於ける寺院への寄付をお布施と言います。

お布施は読経や葬儀執行に対する対価では有りませんので領収証が出されないのが一般的です。

社葬に於いて、宗教者への支出を企業が負担する場合は率直に領収証の発行をお願いして下さい。

最近では領収証を発行して呉れる寺院も多くなりました。

領収証の発行が困難な場合は、お布施を納めた封書の表書きに

宛先(寺院名)、金額、支払い元(会社名)を記載し、これをコピーして、支出の根拠とする事が出来ます。

社葬でお香典を企業が受取る場合は企業の雑収入として計上しなければ成りません。

この様な処理を避ける為には、お香典の受取りを企業ではなく、ご葬家とする方法が御座います。

他に一般的な方法としては、密葬に於けるお香典はご葬家が納め、

本葬である社葬ではお香典を辞退する、という形態が御座います。

社葬に於けるご供花としては、造花で造られた花環のタイプと 生花のタイプがあります。

近年では式場側の都合により花環を供える場所が無い事も多くなりました。

従いまして、生花タイプをお供えするのが一般的ですが、

主催側で用意する生花祭壇とのデザイン上のバランスから、ご供花を辞退するケースも多く見られます。

又、ご供花をお供えする場合でも、個々のご供花に名札をつけるのでは無く、

芳名板を設けて一括表示する形態が多く見られます。

尚、ご供花は現金ではありませんので、経理上の処理は必要有りません。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・社葬・団体葬企画書

社葬・団体葬を営むに当たりましては、多数の会葬者の方々に快く参列頂く為に、

大きな組織をスムーズに運営しなければなりません。

その為には然るべき企画書を作成して運用される事をお勧め致します。

尚、企画書(案)は社内危機管理マニュアルの一部として事前に準備しておきます。

1 社葬・団体葬企画書(案) 

 表紙

       ○○株式会社 

       代表取締役社長 故 ○○ ○○ 社葬

            施行概要書

      日時;○○年○○月○○日(〇曜日)○○時より

      会場;○○市民会館

      主催;○○株式会社

                     ○○年○○月○○日

                       企画;ひかりの杜

1 体制表

 1-1葬儀委員会

    委員長;(専務取締役) 副委員長;(常務取締役) 委員;(取締役)

 1-2実行委員会

    委員長;(総務部長) 副委員長;(社長室長) 受付責任者;(営業課長)

    委員;(製造課長)、(企画課長)

 1-3施行プロジェクトチーム 

    総責任者;(営業部長) 副責任者;(営業主任) 設営;     進行;

    案内;    接待;    演出;    警備;    

 1-4広報

    担当;

 1-5介護

    ○○医院 ○○医師

 1-6緊急対策

    不測の事態が発生した場合は実行委員長と施行プロジェクト総責任者が協議のうえ対処。

2 図表

 2-1市内概略図、2-2会場周辺図、2-3会場図面、2-4駐車場案内図、

 2-5交通機関案内図、2-6交通機関時刻表(社葬当日)、2-7式場配置図

 2-8祭壇デザイン図

3 準備タイムスケジュール

  施行概要書案完、概要書決定、会場見学、進行台本完、参列者確認、最終確認、リハーサル、最終点検等のスケジュール及びその担当者を明記。

4 社葬当日進行案

  最終点検、担当者集合/説明、ご遺族への説明、開場、告別式開式、ご遺骨入場、葬儀委員長式辞、追悼(VTR)、弔辞、喪主挨拶、献花、終了予定、ご遺族帰邸、整理点検、解散式等のタイムスケジュールを明記。

5 動作図

  立て札配置図、告別式着席図、葬列動作図、式辞/弔辞動作図、喪主挨拶動作図、献花動作図等を明記。

  今回は以上です。次回に6以降を書かせて頂きます。

6 告別式次第 (10;00-11;15予定)

 6-1開会時

    葬列(葬儀委員長、喪主=ご位牌、令夫人、後次男=ご遺骨、ご家族)入場

    BGM;葬送行進曲

 6-2葬儀委員長 式辞

 6-3追悼 VTR/BGM

    生前の活動(私的、会社)をVTRで流しながら司会者によるナレーション。

    VTRチェック;5月4日

 6-4弔辞(各3分間で依頼)

    1)○○市長

    2)○○商工会議所 会頭

    3)会社代表

    4)ご友人代表

    5)社員代表

     *弔辞はご遺影前で奉呈

     *弔電は拝読しない

     *弔辞者への依頼は実行委員会で行う。

 6-5喪主挨拶 ご長男

     *葬列に参加された葬儀委員長、ご遺族は喪主さまの後ろに並ぶ。

 6-6告別(献花)/BGM

    葬儀委員長、ご遺族(献花後 式場出口立礼位置へ)

    ご親族、特別来賓(以上呼名)、以下 来賓、役員、一般会葬者の順に献花し退場。

    一般会葬者 終了後 社員献花、社員は献花終了後 ご遺族のお見送り。

 6-7ご遺族帰邸

    喪主より社員へ挨拶の後、玄関先でお見送り。

 6-8解散式

    社員は式場の整理、点検を行った後 葬儀委員長の挨拶を受けて解散。

7 案内の流れ

 7-1ご遺族

    ご遺族の行動予定を担当者を明記して作成。

 7-2特別ご来賓

    事前に実行委員により確認をして必要であれば車を手配。

    09;30までに会場到着、受付の後 控室へご案内 担当;○○

    09;40 手順ご説明 担当;○○ 於いて控室。

    09;55 式場入り ご案内;○○

    10;50 献花後 お見送り ご案内;○○

     車両手配;○○、会場案内;○○、控室接待;○○

 7-3来賓、参列者、一般会葬者

    駅前お迎えバス;09;00、09;10、09;20、09;30.

    駅行きお見送りバス;10;50、11;00、11;10、11;20.

    会場案内 ○○ほか5名/ 控室接待 ○○ほか5名。

白木祭壇

8 受付の手順

  8-1ロビー左手;ご来賓受付、ご遺族ご親族受付。

        右手;ご友人、会社関係者受付、お取引先受付、一般受付。

  8-2各受付に2名 計10名を配置。

  8-3受付は名刺受付を基本とし、持参されない方のみ記名。

  8-4受付時 開式前の場合はカテゴリー別に控室にご案内。

     案内係はロビーに5名配置。

  8-5受付時にパンフレットと租供養品をお渡しする。(1500セット)

  8-6手荷物;手荷物はクロークでお預かり、お預かり番号札を交付。

  8-7社員献花の際は交代で献花、終了後所定位置に戻る。

    添付;受付、クローク配置図、控室配置図。

 9 服装

  9-1葬儀委員;モーニング着用。

  9-2実行委員;略礼服に腕章着用。

  9-3受付  ;略礼服に白リボン着用。

  9-4施行プロジェクトチーム;略礼服に名札着用。

 10 駐車場

  10-1ご遺族、ご親族、ご来賓;第一駐車場(50台収容)。

  10-2一般会葬者;第二駐車場(150台収容)。

  10-3満車の時;第三駐車場(50台収容)使用は駐車場責任者が適時判断。

  10-4係員;第一駐車場4名、第二駐車場5名、第三駐車場2名(トランシーバー持参)。

  10-5入庫時に駐車券交付、出庫時に回収。

   添付;駐車場配置図、入出庫経路図、係員配置図、駐車券見本。

 11 記録

  11-1受付記録;実行委員会で管理。

  11-2写真記録は○○フォトスタジオへ依頼、2週間以内にアルバムとして2部納品。

  11-3VTR記録は○○フォトスタジオへ依頼、2週間以内に編集の上 2部納品。

 12 車両

  12-1車両手配は施行プロジェクトチームが行う。

  12-2ご遺族、特別来賓の必要車両は5月5日までに実行委員会でまとめて施行プロジェクトチームへ

      通知。

  12-3送迎バスは2台用意。

  12-4その他に予備として自家用車2台、マイクロバス1台を待機。

  12-5タクシーは適時呼び出し可能な状態にしておく。

以上で全体概要が出来上がります。

又、施行プロジェクトチームには然るべき葬儀社を参加させてより円滑な運営が出来る様、お勧めします。

社葬

2 社葬・団体葬企画書作成にあたり

社葬のマニュアルを作成するに当たりましては 持ち運び易く、見易く、修正が容易で、

最新版か如何かの確認が容易である事を、前提としなければ成りません。

1)大きさの統一

マニュアル紙面のサイズはA4若しくはB5で統一します。

A4よりは少々小さめのB5で統一する事をお薦めします。

図面等の大きいものはB5の倍のB4で作成し半分に折り込んで使用します。

2) 文字の大きさと、とじ込み

 文字は見易くする為大きめの文字を使用します。

又、とじ込み方法は図面なども多く使用しますので右開き、横組の閉じ方が使いやすいと考えられます。

3)作成はワープロで

マニュアルは随時修正が入ります。

修正が容易な様にワード、若しくはエクセルで作成し、印刷はコピーを使用するのが手軽です。

4)各項目はページ単位で作成

社葬のお手伝いをして頂く方々が必要とするページは限られて居ります。

多少ページ数が増えても項目単位でページが作られていれば、担当する項目(ペ-ジ)のみを携帯すれば良く、

使いやすく成ります。

5)図面は1ページに1つを原則とする

1ページに複数の図面が存在すると以外に見難くなります。

1図面1ページの方が利用し易く、修正する場合も差し替えが容易となります。

但し、全体の関連を明確にする為、全体図を1枚作成して於きます。

6)修正した時は全部を取り換える

検討段階での修正はページ単位で交換して行きますが、

完成した後に修正が発生した場合は最新版として全てのマニュアルを交換します。

又、最新のマニュアルがどれかを明確にする為、表紙に作成・更新日の履歴を入れて、

最新版であるかを確認出来る様にします。

7)名前、難しい文字にはフリガナをつける

   今回は以上です。 

横浜市民の葬儀・社葬・団体葬での組織と運営

社葬・団体葬を営むに当たりましては、然るべき体制を構築して執り行わなければ成りません。

又、その運営に当たりましても、通常のご葬儀とは異なる気使いが必要と成ります。

1 社葬・団体葬を営む体制

社葬・団体葬を執り行うに当たりましては、

施主であるべき葬儀委員長を中心にして多くのご担当を選任頂き、

各種のお役目を滞りなく努めなければ成りません。

そのお役目は、葬儀委員長、葬儀委員、実行委員会(事務局)、

広報係、記録係、進行係、受付係、案内係、接待係、携帯品係、式典係、駐車・配車係、会計係などです。

これらの係は、社葬・団体葬の規模に応じて役目を兼務する事も可能となります。

社葬・団体葬を担当する組織は日常とは異なる体制ですの、

事前にマニアル化して於き、必要が生じた場合には即日に立ち上がれる様、準備しておく事をお薦め致します。

花祭壇

葬儀委員長は社葬を運営する組織の代表責任者です。

一般的には”この社葬は会社が責任を持って執り行います”との意思表示を示す為にも 

会社の代表者が務めるべき役目です。

もし、現役の代表者が亡くなられた場合には、後継者、若しくは次位の役員が務めます。

会長が亡くなられて、そのご子息が社長の場合はご子息である社長は喪主を務め、

葬儀委員長は社長の次位の役員が務めます。

又、会社の後見人と言う事で親会社の担当役員や商工会議所の役員の方にお願いするケースも御座います。

尚、政治家や社外の名士の方々は来賓としてお迎えすべきで、葬儀委員長をお願いするのは避けるべきです。

葬儀委員は会社の役員が務め、社葬の方針を決めると共に、社葬当日は然るべき場所で立礼を務めます。

実行委員会は、葬儀委員が定めた方針に従い社葬の企画を立て、準備を行い、

社葬当日は実行司令部の役割を担います。

コンセンサスを得やすい様に人数を絞り(5名前後)、実行力のある中堅幹部を中心に組織します。

社葬が全社的観点から営まれ、今後の為にノウハウが蓄積される様、

総務部や社長室などの部署が担当されるケースが多く見られます。

告別式の写真

1 社葬・団体葬での気使い

社葬の設営と運営の多くは契約する葬儀社に委託する事となりますが、

施行プロジェクトチームとしても、内容を把握し全体を統括すると共に、

何か有ればタイムリーに的確な対処をしなければ成りません。

社葬の運営に当たりましては全体の進行に注意しなければ成りません。

式場内は勿論の事、式場外の一般会葬者の動きや流れにも注意を払い進行させる必要が有ります。

その為には担当者を適切な場所に配置してタイムリーな報告を挙げてもらい、

その情報を集約して適切な進行を司る必要があります。

特に予想を大幅に上回る会葬者があったとき、逆に会葬者の人数が大幅に下回った場合、

雨風など天候が急変した時などには細心の注意が必要となります。

又、どの様場合でも人の流れ(動線)は注意しなければ成りません。

社葬や団体葬では多くの人が集まりますので、

企画の段階で動線のシュミレーションを繰り返し、想定が変化した場合の対応策も必ず用意しましょう。

人の流れをスムーズにすること、参列者や会葬者が移動する際に迷うことの無い様、

受付・焼香・答礼の場所などで人の溜りが出来ぬ様、

入場する人と退場する人が重ならない様、などの配慮が必要です。

同じ空間を異なる人が使用する場合などでは間に衝立を立てると混雑を避ける事が可能です。

更に新型コロナウイルス慢延下では人と人の間隔をどう維持するかも重要な観点となります。

何か問題が起きた場合には直ぐに対応出来る体制が必要です。

特に協力業者とのコミニケーションは重要で、

どの様な問題が起きた場合はどの業者の誰と協議し、どの対応策を取るのか決めて、

緊急に処置できる体制を作ります。

必ず作業項目ごとに正福の担当者をおいて、

常に複数の担当者が全体の状況を判断して対応できる様な体制を整えなければ成りません。

   今回は以上です。 

横浜市民の葬儀・社葬・団体葬の日取りと方針

社葬・団体葬を営むに当たりましては、

多くの方々に参列頂くと共に、多くの方々のご協力を頂かなければ成りませんので、

日取りの決定とご方針の策定は大切な事項と成ります。

尚、社葬・団体葬は宗教葬、無宗教葬、いずれの形でも執り行えます。

1 社葬・団体葬を営む日取り

社葬・団体葬を執り行うに当たりましては実行委員会の立ち上げと、日程を決めなければ成りません。

特に日程を定めるに当たりましては、予め”社葬施行企画書” が準備されて居るかどうかにより大きく異なります。

準備されていない場合は、ご遺族のご希望、状況に合わせて企画する事となります。

社葬・団体葬の日程を組むに当たりましては死後直後に行うケースと、日をおいて行うケースとに大別されます。

特に現在の新型コロナウイルス慢延下では年を越えての施行も必要と成ります。

日を置いて行うケースでは、ご遺体の保全も考慮して、

ご逝去直後にご遺族・近親者で個人葬(密葬)を執り行い、改めて後日本葬を社葬として行うのが一般的です。

この本葬は当然の事ながらご遺骨を中心とした骨葬の形態となります。

又、本葬はご葬儀と言うよりは告別式、あるいは追悼式の要素が濃い儀式となります。

日取りと致しましては1ヶ月後の月命日、三十五日や四十九日に合わせ行うのも考え方の一つです。

この形態ですと会場も自由に設定出来、準備の時間も十分に取る事が可能となります。

尚 密葬は営まずに社葬までご遺体を保全しておきかい場合は 

エンバーミング(遺体衛生保全処置)等により防腐処置を施す事で、

然るべき期間ご遺体を保全する事が可能となります。

花祭壇

1 社葬・団体葬の方針策定

社葬・団体葬の準備に付きましては企画立案を一から始めればそれなりの時間が必要と成ります。

企業殿社内危機管理の一つとして、社葬施行企画書が準備されていれば、企画は状況に合わせた修正のみで済、

実行に全てを傾注出来ますので、会葬の方々への対応も行き届いたものとなります。

社葬や団体葬を瑕疵無く執り行うに当たりまして企画書を作成する事は大変重要な準備と言えます。

そして、具体的な作業内容を記述する前に、葬儀の方針を明確にし、

社内若しくは団体幹部の承認を得なければ成りません。

方針の大きな項目としては、

1)葬儀の規模、2)内容、3)性格、4)主要事項、5)体制、6)その他等が含まれていなければ成りません。

1) 葬儀の規模とは参列者数、一般会葬者数(予測)、葬儀全体の予算が含まれます。

2)内容では、

  宗教形態(どの宗教に従って行うのか、又は無宗教で行うのか)、

  葬儀形式(葬儀式+告別式、告別式のみ、追悼会、その他の形式)、

  展開形式(ビデオなどを使用するか、音楽はどの様に使うか等)、

  設営形式(式場外飾り、祭壇の形態、式場のレイアウト 等)、

  ご遺族・御来賓の扱い方、弔辞をどなたにお願いするかなどです。

3)性格とは、

  基本性格(故人顕彰、企業としての感謝、ご遺族への慰め中心、などの中で 何を中心に置くのか)、

  葬儀の外見(地味に、華やかに、その他)、その他 が含まれます。

4)主要事項では 

  葬儀の名称(故人様の肩書、名前、葬儀名)、

  日時(何時行うのか、何時間の儀式とするか)、

  場所(会社内、外部斎場、ホール、ホテル、自宅など)、

  死亡広告など社葬の案内・告知の方法、

  供花・香典の取扱い方法、

  会葬返礼品の取扱い、などを定めます。

5)体制(葬儀委員長、実行委員長、企業と施行業者との作業分担、企業関連会社 販売店等への依頼事項。

6)その他(マスコミへの対処法、その他)。

   今回は以上です。 

横浜市民の葬儀・密葬と社葬・団体葬

ご葬儀を営む目的の一つとして、故人様のご逝去を社会に知らしめる、が御座います。

この社会に知らしめる活動をより大きくした営みとして社葬・団体葬の施行が御座います。

そして、社葬・団体葬を営む事を前提として、密葬が営まれます。

1 密葬

密葬とは、本葬儀を後日、時間を空けて営む前提で、

故人様の家族、近親者、極く親しい友人のみで小規模に執り行うご葬儀のことです。

有力者や有名人などが亡くなった際、大規模なご葬儀を準備しなければならず、

それなりの準備時間を必要とします。

この様な場合、ご遺体を長時間維持する事を避ける為、ご火葬を目的とした内輪の葬儀を執り行い、

後日、お別れ会や社葬・団体葬などの形で本葬儀を執り行います。

告別式の写真

著名人や芸能人本人や、そのご家族が亡くなった場合

そのご葬儀には普段親交のある方だけでも大勢の方々が集まり、

更にファンやマスコミも集まることで混乱を招きかねません。

その為、然るべき場所と時間を選び、きちんとした準備が必要と成ります。

又、故人様が大企業の経営者や大きな団体の責任者のような方の場合は 

社員、関係会社、取引先、関連団体などご本人やご家族との親交に係わり無く、

ご葬儀に参列される方は多岐にわたる事となります。

社葬・団体葬などでも、会葬の方々に失礼の無い様十分な準備が必要と成ります。

密葬は小規模な葬儀と言う点で家族葬と混同されがちですが、密葬と家族葬は同義では有りません。

2 社葬・団体葬

社葬とは、ご葬儀の費用負担を含め運営の責任を全て企業が負って執り行うご葬儀の事を言います。

社葬は一般的には大規模な葬儀となりますが、

たとえ小規模であっても費用負担・運営の責任を企業が負うのであれば社葬と位置図けられます。

同様に、費用負担・運営の責任を特定の団体が負うケースでは、このご葬儀を団体葬と呼びます。

又、主催を複数の企業や団体で負う場合は合同葬と呼ばれます。

菊

社葬と故人葬との違いは、

費用負担を含めた主催を個人(ご遺族)が行うのか、企業が行うのかの違いとなります。

社葬(団体葬)の場合は、一般的に規模の大きなご葬儀となりますので、それなりに準備期間が必要となり、

故人様のご逝去後、1ヶ月前後の然るべき日取りで執り行われます。

その間、ご遺体の保全に気を使わなければ成りませんので、

ご逝去直後にご家族のみで密葬を営み、本葬儀である社葬はご遺骨を安置した骨葬で営まれます。

尚、現在の新型コロナウイルス慢延下では三密を避けなければならず、

社葬・団体葬の施行は状況が落ち着いた後にと、延期されるケースがほとんどとなって居ります。

社葬・団体葬を主催される方として、喪主様と、施主様のお二人が執り行う事と成ります。

喪主様とは祭祀を執り行う者、祭祀の承継者をさす言葉で、ご遺族を代表する方が務めます。

施主様とは布施をする主と言う意味で、葬儀費用を負担し、ご葬儀の運営に当る責任者の事を指します。

通常の個人葬では喪主様と施主様はご遺族を代表する方がどちらもお務めになります。

社葬(団体葬)の場合は、喪主様はご遺族の代表の方が務め、施主様は企業の代表の方が務める事と成ります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・宗教に頼らないお見送り

現代の日本に於きましては過去の歴史・文化を基に9割を超える御家庭は仏教に関わりを持たれ、

ご葬儀は仏式で営まれるのが一般的ですが、

近年では寺院とのの結びつきも弱まり、寺院への高額なお布施をご家族に負担させる事を避けて、

無宗教葬を選択される御家庭も少しずつ増え始めて居ります。

1 無宗教葬

無宗教葬とは特定の宗教を前提としないお別れの為の儀礼で、特定の様式は無く 

全て、ご遺族のご希望に従って営まれる葬儀です。

告別式やお別れ会などの名称でも呼ばれる事も御座います。

信仰する宗教の無い方、ご事情により特定の宗教でご葬儀を営む事が出来ない方、

従来からの様式ではなく独自のご葬儀を営みたい方、等のケースで無宗教によるご葬儀が営まれます。

尚、ご納骨を特定寺院の墓地でされる場合は事前に寺院の了解を頂く様お薦めします。

(寺院より戒名を頂いていない場合は納骨が出来ないケースも御座います)

葬儀について

日本で初めて無宗教葬が営まれたのは、

明治37年(1901年)に東京・青山墓地式場で執り行われた中江兆民の告別式であるとされます。

フランス学者であり実業家でもあった中江兆民は特定の宗教を信仰する事は無く、

その遺言の中では宗教的儀礼を営む事を否定して居りました。

しかしながら、弟子達は師との告別を何等か形で行いたいと考え、

一切の宗教上の儀式を用いない告別式として営まれました。

現在では告別式は葬儀式と対の形で行われるのが一般的となって居りますが、

告別式の名称が使用されるのは中江兆民のご葬儀以降で、以前は告別式=無宗教葬と理解されて居りました。

無宗教葬の営みに定められた流れは無く、ご遺族のご希望に従い自由に営む事が出来ます。

一般的には、黙祷、故人様ゆかりの音楽演奏、故人様の足跡、故人様への感謝の言葉、

献花、故人様を偲んでの会席、等を組み合わせて営まれます。

花祭壇

2 無宗教葬での注意事項

現代の横浜に於きましては、ご葬儀の9割以上は仏式で営まれて居ります。

葬儀をなるべく小さく、とのご希望で家族葬を選択される場合でも、

僧侶をお招きして、読経・焼香などを執り行うケースがほとんどです。

しかしながら、宗教には拘りがなく、納骨の為の墓地も寺院墓地でないのであれば、

無宗教葬は選択肢の一つとなり、読経の為のお布施 戒名を頂く為の費用は不要となり、

ご遺族の負担も大きく軽減されます。

但し、寺院墓地をお持ちの場合は注意が必要です。

無宗教葬では戒名は付けませんので、

戒名を墓地の寺院から頂かない場合は納骨が認められない場合が御座いますので、事前に確認が必要です。

又、ご親族の方の中にはご先祖の宗派での葬儀を前提としてお考えの方も居られますので、

まえもって了解を得て於くのも喪主様が受けるトラブルを避ける方法となります。

通夜式の服装

無宗教葬では、一般的な宗教儀式(仏式では読経、焼香など)に代わって次第をどうするのか 

具体的に式の中身をお決め頂く必要が御座います。

故人様紹介、献花、弔辞、弔電の披露、音楽を流す場合は曲目、生演奏かCDか、式場の飾り付けは、

プロジェクターの使用は、どの様に進行するのか、などを細かい所まで決めて於きます。

無宗教葬を選択される場合には 無宗教葬の知識や経験の豊富なひかりの杜にご相談下さい。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・イスラム教とお見送り儀礼

イスラム教とは、世界3大宗教の一つでアラビア語圏を中心に18億人(16億人とも言われます)の信徒を持ち、

唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフと呼ばれる)を信仰し、

神がこの世に送った最後の預言者 ムハンマドを通して人々に下されたクルアーン(コーラン)の教えを信じ、

従う一神教です。

ユダヤ教、キリスト教と同じアブラハムの宗教の一つであります。

イスラム教では、信者の死は生涯の終着点ではなく、

死者は神(アラー)の審判の日に再び蘇ると信じられて居り、ご遺体は復活の日を待つため大切に埋葬されます。

ご遺体が焼失してしまう火葬が厳禁となります。

尚、アラビアでは火をナールと言い、地獄を意味する言葉でもあります。

1 イスラム教

アラビア語では神に帰依する事をイスラームといい、神に帰依する者(イスラム教徒)をムスリムと呼びます。

日本を含む漢字文化圏では、イスラム教を回教、イスラム教徒を回教徒とも呼ばれて居ります。

その教えの特色は、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、

信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる事に有ります。

イスラム教は、西暦610年頃、預言者ムハンマドはアラビア半島の紅海側に位置するメッカ郊外で 

天使ジブリールより唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたとしてイスラム教を起こしました。

その後、後援者であった叔父の他界とともに迫害を受け、同じアラビア半島のメディナに逃れ、

周囲のユダヤ人との争いに勝利し、周囲のアラブ人たちを支配下に収めて、勢力圏を広げてゆきます。

勢力圏の拡大と共に聖典クルアーン(コーラン)に書かれた内容にも色々な解釈が生まれ、

多数の派が生まれて行きました。

大きくはスンニ派とシーア派ですが、夫々の派の中にも多くの学派が存在します。

イスラム教信仰の根幹は6っの信仰箇条(6信)と、5っの信仰行為(5行)から成ります。

6信とは; 

1)神(アッラ-)、2)天使(マラーイカ)、3)啓典(クトゥブ)、 

4)使徒(ルスル)、5)来世(アーヒラ)、6)定命(カダル)ですが  

特に、神と使徒が重要で、アッラ-が唯一の神で有る事と、

その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる事です。

5行とは;

1)信仰告白(シャハーダ)、2)礼拝(サラー)、3)喜捨(ザカート)、 

4)断食(サウム)、5)巡礼(ハッジ)、ですが 

特定の教派では奮闘努力(ジハード)を加えた6行として過激な活動を行うケースも有ります。

尚、日本に於けるモスレムの総数は約20万人と言われて居りますが、

その90%以上は滞日外国人と考えられますが、詳細は不明です。

2 イスラム教での葬儀

イスラム教徒の方が危篤になりましたら、

所属されたモスクのイマーム(礼拝の導師)をお呼びして、

コーランを唱え、神に許しと慈悲を乞い、聖水を口に含ませます。

ご遺体は墓地に隣接する葬儀場に運ばれ、ご遺族の手によりご遺体をお浄めします。

お浄めはコーラン(イスラム教の聖典)に示された規定に従って 

ウラマー(イスラム教教導者)の指導の下で行います。

お浄めされたご遺体は、白のモスリンの布で包み安置します。

安置されたご遺体はご家族同席のもとで弔問を受けます。

弔問の時間は1時間以内とされます。

その後にご遺体は墓地に運ばれ、ご祈祷の後に埋葬されます。

埋葬後、然るべき日にモスクにて葬儀の祈祷(ご葬儀)が営まれます。

尚、イスラム教には喪に服す規定があり、男性は3日間、女性は4ヶ月と10日間、

地味な服装をし、如何なる娯楽にも参加することが禁止されます。

日本でのお見送り

1)故人様のご遺体をご自宅に安置した後、イスラム教指導者の方をご自宅にお招きして、

  ご指導の下でご遺体をお清めし、お顔と手を除いた全身を白布で覆い、

  保全処置を施した上でお柩にお納めし、埋葬の日までご自宅に安置します。

2)ご葬儀の当日、ご遺体を山梨県甲府市塩山のイスラム霊苑にお運びして、

  墓地に隣接した式場の葬儀壇に安置し、指導者の方の下で男性会葬者によるアラーへの祈りが捧げられ、

  その後、墓地に埋葬されます。

3)そして、指導者の方より女性は4ヶ月と10日間喪に服すよう、男性は3日間哀悼するよう、

  指示がされて葬儀は終了します。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・ヒンドゥー教とお見送り儀礼

ヒンドゥーとは、インダス川域に住む人という意味のペルシャ語で、西欧で呼称されインドで定着した地名です。

ヒンドゥー教は、ヒンドゥー地域で信仰される宗教を意味し、日本ではヒンズー教の呼称が一般的です。

ヒンズー教徒のお見送りは、ご遺体を荼毘に付し、

焼骨(ご違灰)を聖なる河・インダス川にお流しする事を基本とします。

1 ヒンドゥー教

世界四大文明の一つであるインダス文明は紀元前26世紀頃にインド・インダス川流域に起こり、

インダス文明の発展と共にバラモン(司祭階級)を最上位とする階級社会が形成され、その基となるバラモン教は

インドの各種の民族宗教・民間信仰を加えて発展をします。

そして、紀元前5世紀頃にインドに於けるバラモン教を基にしてヒンドゥー教が生まれます。

ヒンドゥー教は多数の民族宗教の総称で、インドを中心として11憶人の教徒がいるとされます。

仏教もその一宗派と考えられます。(但し 仏教徒は11憶人には含まれて居りません)。

その教えの中心となるものは、生存中の行い・業(かるま)、と死後の輪廻(サンサーラ)に有ります。

ご葬儀は輪廻の為に故人様の霊を解き放つべく、ご遺体を火葬に付し、

遺されたご遺灰は川(出来れば母なる川ガンジスで)にお流しします。

ヒンドゥー教では輪廻を教義の根幹としており、

現世での信心と業(行い)によって、次の輪廻(来世)の宿命が定まるとされ、

この思想を基本に高度に理論化されて、その世界観や死生観が形成されてインド社会に根ずいて居ります。

2 ヒンドゥー教のお見送り(大東文化大学国際関係学部殿より)

ヒンドゥー教徒の死期が近づくと、家族の司祭であるブラーマンが呼ばれ、床のそばにギー油の灯火が置かれる。

死にゆく者はヴィシュヌ神に祈りを捧げ、司祭に現金と衣類の他に雌牛一頭を喜捨する。

他のブラーマンには、現金と米、豆、塩、腐食した釘とシャベルが与えられる。

親族と知人が死の床を訪れ、死期が迫るとラーム神の名を唱える。

親族の一女性が玄関を清め、人ひとりが横たわる範囲に牛糞をしきつめ、死の床の準備をする。

その上に、ゴマ、大麦の種子、トゥルスィー樹の葉およびダルバ草をまき散らす。

死にゆく者は頭髪を剃られ、微温湯で体を清められ、眉にゴーピーチャンダン(黄色土)で印を付されてから、

頭を北側に向け横たえられる。

ガンジス河の聖水、若干量の金、銀、サンゴ、真珠などがメボウキの葉とともに口中に詰められる。

息が途絶えると、最も近い親族が死者の魂を呼び戻すべく叫び声をあげる。

同カーストの人々が死者の家を訪ねる。

男たちは死体を焼場に運ぶための準備をし、女たちは号泣する。

数名の遺族は市場に行き、竹竿、ヤシ綱および死者が女性の場合は赤色の絹布、男性の場合は白色の綿布を購入する。

竹竿を組んで死者を運ぶ台をつくり、四隅にココナツを吊す。台の上に死体を乗せ、ヤシ綱で縛る。

死体に白(男性)や赤8女性)の布をかけ、その上に赤色粉と花をまき散らす。

4名の近親者が台を肩に担ぎ、喪主(通常は長男)に続く。

喪主は火種と牛糞ケーキの入った土製あるいは銅製の壷を携える。

親族とカースト成員はラーム神の名を唱え、後に従う。

女性の会葬者はさらに距離をとり、号泣しながら従う。

途中で彼女らは立ち止まり、胸を精一杯たたき悲しみを表してから引き返し、井戸水や河の水で身を清める。

男性会葬者は焼場手前で立ち止まり、台を一旦路上に置く。

それから近親者が台を焼場に搬入する。

ヒンドゥー教の火葬

積み重ねられた薪と牛糞ケーキの上に、布のかけられていない頭部を北側に向け死体を置く。

死者の口中にバターを注いでから、喪主が頭部近くの薪に火を入れる。

それから他の会葬者が全体に点火する。

年配者2~3名が死体の側で薪の調節をする。

他の者たちは離れた場所に座り、話し込む。死者が高齢者の場合は陽気に思い出を語るが、年少者の時は悲哀に包まれる。

焼き上がる頃、ギー油が注がれる。

焼場での儀式終了後、会葬者は喪主宅を再訪してから帰路につく。

数日後、喪主と若干名の近親者は焼場跡から遺灰と遺骨を拾い、河川や貯水池に流す。

焼場跡には水入りの土製壷を置く。

それから沐浴し、濡れた着衣のまま泣きながら家に戻る。

土製壷に水とミルクを入れ、屋根の上に置く。

持ち帰った若干の遺骨は、巡礼の際にナルマダー河(グジャラートの聖河)やガンジス河に流す。

近親者は不浄だとされる最初の10日間、他者との接触、家神・寺院の参拝、衣類交換、髭そりは禁止されている。

10日目に男性は髭を剃り、頭をまるめる。女性は粘土と水で髪を洗い清める。

家内の床には牛糞が塗られ、過去10日間に触れた壷は全て新しいものにかえられる。

祖霊祭(シュラッダ)は、喪主が10~13日目にかけて執り行なう。

祖霊祭の4日間、喪主はターバンの代わりにアマ布を頭に巻く。

13日目に義父が喪主に新たなターバンを贈り、アマ布はとりはずされる。

同日、家付きの司祭に若干の装身具、衣類一式、寝台、枕、真鍮製容器が贈られる。

親族と友人は4日間、カースト成員は12日目と13日目に食事に招待される。

以上がパーティーダールの葬儀の骨格である。

カーストや階級により、葬儀遂行上の細則、例えば司祭への贈り物や死者の装束などに相違はあるものの、

葬儀の基本形、すなわち死の床の準備、死体運搬、死体焼却、遺灰遺骨の処理、忌中のタブー、祖霊祭の遂行などについては共通点が多い。

ただし、不可触民カーストや低位カースト、および一部の職人・サービスカーストのなかには、死体を焼却せず土葬する人々も多い。

また、不可触民カーストのなかには、祖霊祭を遂行しないグループがある。

かように、不可触民カースト、低位カーストと上・中位カーストの間には、葬儀の形式に関して少なからぬ相違が認められる。

3 日本での葬儀

ヒンドゥ教の信徒が亡くなられますと、

ヒンドゥ教のグル(指導者)の指導の下にご遺体を洗浄し、白いリンネルの布でくるみます。

そして最後のお別れの儀式を行います。

お別れが終りましたら、ご遺族の手でご遺体に定められたオイルを塗布し、

火葬場にお運びしてご火葬を執り行います。

尚、婚姻している女性のご遺体の場合は有色の布でくるまれ、花や宝石をあしらってご遺体をお飾りします。

又、日本でご葬儀をされる場合は死装束としては白衣の代りに民族衣装をお着せするのが一般的です。

インドでは棺は使用しませんが、日本でのご火葬には柩は必須となって居りますので、

納棺の上ご火葬に付す事と成ります。

ご火葬は3日間行われ、ご遺体は遺灰の状態で集められて聖なる川の撒かれる事となります

日本に於きましてはご火葬は遺灰ではなく、ご遺骨の状態で戻されますので、

聖なる川にお流しする為にはご遺骨を粉骨して、ご遺灰を同様の状態にする必要が御座います。

今回は以上です。

横浜市民の葬儀・顕正会と葬送儀礼

顕正会は日蓮聖人の立正安国論を基に布教活動を進める、

第二次世界大戦後に浅井甚平衛翁により日蓮正宗から独立して創立された新宗教法人です。

富士大石寺顕正会とも呼ばれました。

法要での供養は、線香であれば三本、抹香であれば三回の焼香が正式な作法とされます。

1 顕正会での葬儀

葬儀式の本義は、故人様を霊山浄土(りょうぜんじょうど)に導くことにあります。

霊山浄土とは、インドの霊鷲山(りょうじゅさん)を指し、

久遠実成(くおんじつじょう)の仏である釈尊は、現在も霊鷲山で法華経を講じているとの信仰にもとずきます。

葬儀式では”南無妙法蓮華経”を中心に、

顕正会独自の”十界曼荼羅”をご本尊として掲げます。

故人様ご臨終の際の枕経、及び通夜は基本的に日常勤行と同じで 

勧請、開経偈、読経、祖訓、唱題、宝塔偈、回向、四誓、題目三題が行われます。

枕経は仏壇の前か、曼荼羅をかけた前で営みます。

通夜の場合は営みの後に通夜説教、又は祖訓の解説が行われます。

そし、湯灌、及び納棺では南無妙法蓮華経を唱題しながら行います。

榊

葬儀式は 日常勤行の形に 声明曲が加わり、引導が行われます。

その次第は;

1 入堂(にゅうどう)

2 開式の辞(かいしきのじ)

3 総礼(そうらい) 導師、参列者全員が合掌して唱題三遍し礼拝する。

4 道場偈(どうじょうげ) 諸仏諸尊を勧進(招く)する声明曲。

5 三宝礼(さんぽらい) 仏法僧の三宝を礼拝する。立ったり座ったりするので起居礼(きこらい)という。

6 勧請(かんじょう) 久遠釈尊をはじめ四菩薩、諸仏諸尊、日蓮大聖人等を招く。

7 開経偈(かいきょうげ) 読経の前に唱えるもので法華経の功徳を讃え、この教えを何時までも受持する事を誓う。

8 読経(どっきょう) 方便品など法華経の中の肝要な諸品を拝読する。

9 咒讃鐃(しゅさんにょうはち) 唄をうたい、器楽を演奏して諸仏を供養。咒讃は声明曲の一つ、その後に鐃(銅鑼 どら)とを演奏する。(導師が一人の場合は省略)

10 開棺(かいかん) 引導の前触れとして行い、迷いを転じて悟りにはいることを予告する意味をもつ。

11 献供(けんく) 茶湯、霊膳、献華、水供と 極上の美味を献上する式。事前にお供えし省略する場合も有り。

12 引導(いんどう) 導師は柩前に進み、払子(ほっす)を三振りし、焼香を三回した後に引導文を読み上げる。霊山往詣の安心を説き、故人の一生の行績を語り、法号の由来を述べ、法華経信仰をもつことの尊さを讃嘆する。故人の徳を讃える部分を”歎徳(たんとく)”という。

13 弔辞・弔電(ちょうじ・ちょうでん)

14 読経(どっきょう) 自我偈など法華経の中の肝要な諸品を拝読する。焼香に入り 16の唱題までに終える。

15 祖訓(そくん) 日蓮大聖人の遺文を拝読する。省略されることも多い。

16 唱題(しょうだい) 参列者全員で霊山往詣を念じ、一心に南無妙法蓮華経と唱える。

17 宝塔偈(ほうとうげ) 回向の前に唱える偈文で、法華経受持の功徳を讃嘆する。

18 回向(えこう) 法要の功徳をめぐらして、現世安穏後生善処 を祈念する。

19 四誓(しせい) 回向の次に唱える文で、人々を救う誓いの言葉を唱える。

20 三帰(さんき) 三宝に帰依し、仏道に精進することを誓う声明曲。

21 奉送(ぶそう) 諸仏諸尊をお送りする声明曲(起居礼 きこらい)。

22 閉式の辞(へいしきのじ)

23 退堂(たいどう)

焼香

 顕正会の焼香

顕正会では、大曼荼羅に向かい合掌して一礼します。

香盆の中のお香を右手の親指・人差し指でひとつまみ取って火種に振りかけます。

焼香は3回行うのが顕正会の導師の正式な作法とされています。

一般参列者の場合は1~3回の間で選択します。

数珠を左手に持ち右手でお香を火種にくべた後、再び合掌一礼して席へ戻ります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・天理教と葬送儀礼

”陽気ぐらし”を教理《きょうり、生き方の基本)とする天理教は

社会不安が増し始めた江戸時代末期に成立した中山みきを教祖とする新宗教(教派神道)の一派です。

故人様お見送りの供養は、玉串奉奠(たまぐしほうてん)により行われます。

1 天理教

天理教は、江戸時代末に中山みきを教祖として成立した宗教団体で、

新宗教の一つで、奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人です。

天理王命(てんりおうのみこと)を親神とし、中山みき(おやさまと呼称する)を教祖とする一神教の宗教で、

”陽気ぐらし”という世界の実現をめざして居ります。

その教理は、人間がこの世に存在するのは親神が人間の明るく勇んで暮らす陽気ぐらしを見たいからであり、

親神の守護と恵みにより人は生かされ、天然自然が存在すると説いています。

従いましt、人は親神が見たいと説く陽気ぐらしを実現する為、

謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、平和で豊かな世界を築く為に努力しなければならないと説かれます。

又、人間の身体は親神からの借り物で、心だけが自分のものであると説きます。

心の使い方によっては埃がたまるので、たまらぬ様自己中心的な考えを慎み、

親神の思いにそって身体を使わせていただき、陽気ぐらしのために惜しまず尽くす事が大切と説きます。

そして、全ての人間関係は親子・夫婦関係を基本として培う事が理想とし、

人助けは自らが真に助かる道を基本理念として居ります。

天理教は来世観を持たない数少ない宗教で、信仰する神が輪廻転生を司る事により、

人には前生と後生があり、人間は死んでもまたこの世に生まれ変わると言う死生観を持ちます。

教徒は人が死ぬことを出直しと呼称します。

天理教は”かなの教え”とも言われ、

教祖の中山みきは、民衆に解り易く説きたいとの意思から、

教義の説明などに使われる言葉の多くがかな表記とされて居ります。

2 天理教の葬儀

天理教のご葬儀では、仏式の通夜式、神式の遷霊祭にあたる儀礼を”みたまうつし”と呼び、

神様からお借りしていた身体から魂(みたま)を移す儀礼で、大変重要な儀礼となります。

みたまうつしに続き発葬儀(はっそうのぎ、出棺の際の儀礼)、

葬場儀(そうじょうのぎ、告別式にあたる)、

ご火葬、葬後祓(そうごはらい、出棺後 各室を祓い清め火葬場から帰って来る方を門前でお祓いする)、

葬後霊祭(そうごれいさい、神道の帰家祭に相当します)が営まれます。

天理教のご葬儀は神道の神葬祭を基本として居りますが、あまり厳密に形式にこだわる事はありません。

これは天理教の教理の中心が

”人間がいかにして神によって造られ、育てられ、守護されていることへの、感謝と報恩”に置かれ、

極楽をあの世と結び付けるのではなく、”ここはこの世の極楽や”この世が極楽であって、

”陽気ぐらし”を説くことから、現世が主であの世や死後のことは従とされていると考えられます。

従いまして、ご葬儀の流れは 所属される教会により異なります。

天理教に於ける死後観、霊魂観は、人間の身体は神様からの借り物で、

死、すなわち出直しの時には身体を神様に返し、再び生まれ変わるまで魂は親神様のふところで生きる 

とされます。

死によって変はる事は魂の居場所が代わるだけであるとされます。

生も死も全ては親神様の思し召しと守護の下になされる事で有り、良い事であるとされます。

とは言え、人の死を悲しくないとするものではありません。

葬儀は、悲しみの内に霊を親神様の下に移し、残る亡骸(身体)を葬り、

何時の日にか再び新しい身体を借りてこの世に出直して来ることを願う儀式ですが、

その次第は以下の通りです;

遷霊鎮霊祭(神道の通夜祭・遷霊祭に相当)

遺族親族着席

礼拝作法案内

開式案内

-斎主斎員着席

-祓 詞(はらいど) 奏上

-大麻行事(おおぬさぎょうじ)

-遷霊の儀(せんれいのぎ)

-遷霊祭詞奏上(せんれいさいしそうじょう)

-遷 霊(せんれい)

-献 饌(けんせん)

-斎主玉串奉献 鎮霊詞奏上(さいしゅたまぐしほうけん ちんれいしそうじょう)

-斎員列拝(さいいんれつはい)

-遺族親族参列者玉串奉献

-斎主斎員退手退席

-斎主挨拶

閉式挨拶

発葬祭(神道の蔡場祭に相当)

遺族親族着席

礼拝作法案内

開式案内

-斎主斎員着席

-斎主玉串奉献註詞発葬詞奏上

-斎員礼拝

-遺族親族参列者玉串奉献

-斎主斎員退手退席

ー告別の儀

玉串奉献は 

玉串を受取り、根元を祭壇側に向けて置き、祭壇に向かい二礼、四拍手、一拝、四拍手、一礼 

を忍び手で行います。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・融通念仏宗と葬送儀礼

融通念仏宗は、平安時代末期天台宗の僧侶であった聖応大師良忍上人が阿弥陀如来より示現を受けて開宗した、

鎌倉仏教の宗派の一つです。

融通念仏宗では、毎朝西方に向かって良忍の説いた融通念仏を十唱することを日課とします。

法要での供養では、特別の定めは御座いませんので、

線香では3本以内、抹香では三回以内で、供養者のお気持ちで焼香されるのが作法です。

1 融通念仏宗

融通念仏宗は鎌倉仏教の宗派の一つで、

天台宗の僧侶であった聖応大師良忍上人(1073-1132年)を宗祖とし、

阿弥陀如来から速疾往生(誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文 

”一人一切人 一切人一人 一行一切行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満” を授かり

開宗したとされます。

大念仏宗とも言います。

但し、良忍上人の時代には宗派として認められては居らず、

天台宗から独立して宗派として認められたのは江戸時代の元禄年間です。

阿弥陀如来をご本尊とし、総本山は大阪市平野区に所在する大念仏寺です。

良忍上人は1073年尾張国知多郡の領主の子として生まれ、比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、

不断念仏を修めます。

そして、23歳の頃から京都大原に隠棲し念仏三昧の生活を送りますが、

1117年阿弥陀仏の示現を受け、

”一人の念仏が万人の念仏に通じる”という自他の念仏が相即融合し合うという立場から 

融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説きました。

その後、良忍上人は結縁した人々の名前を記入する名帳を持参して各地で勧進を行います。

勧進の途上で参籠した摂津国四天王寺で見た霊夢から、

摂津国住吉郡平野庄の領主坂上広野の邸宅内に建てられた修楽寺に日本最初の念仏道場を開きます。

この念仏道場が後に融通念仏宗の総本山大念仏寺となります。

融通念仏とは元来は合唱の念仏であったと考えられます。

又、良忍上人は仏教音楽である声明の集大成者としても有名です。

融通念仏の最大の特徴は、観想念仏から称名念仏の重要視に変えた事で、

融通念仏宗では、毎朝西方に向かって良忍上人の説いた十界一念・自他融通の浄土往生を期する

融通念仏を十唱するする事を日課とします。

2 融通念仏宗の葬儀

融通念仏宗では念仏をとても大切にしており、

ご葬儀では故人様が迷うことなく浄土へ行けるようにとの願いを込めて、

僧侶だけでなく参列者一同が「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を読み上げます。

法要には銅鑼(どら)や太鼓などの葬具を多く用いるのも融通念仏宗の葬儀の特徴のひとつです。

荘厳な音色と華やかな色彩は、鮮やかな極楽浄土を想像させ、

故人様を力強く西方浄土へ導く阿弥陀如来の功徳を彷彿させます。

融通念仏宗では、誰もが念仏によって浄土へ行けるとしているため

比較的自由度が高く、形式張らないご葬儀が営めるという特徴があります。

3 融通念仏宗の焼香

融通念仏宗のご葬儀では、焼香(しょうこう)の作法に独自の決まりは御座いません。

一般的な手順としては、

祭壇の手前で僧侶と遺族に一礼したあと、焼香台の前まで進んで一礼します。

数珠を左手にかけ、右手の親指と人差し指で少量の抹香をつまみ上げて、香炉の火種の上に落として香をくべます。

この所作を3回以内で繰り返します。

つまんだ抹香を額に戴く(軽く自分の額に付けるような仕草をする)という作法もありますが、

省略しても構いません。

最後に合掌した後、焼香台から一歩下がり、ふたたび僧侶と遺族に一礼してから自分の席に戻ります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・時宗と葬送儀礼

神奈川県藤沢市の国道一号線沿いに位置する有名な寺院遊行寺(ゆぎょうじ)は、

正式名称を藤沢山無量光院清浄光寺(しょうじょうこうじ)と言い、鎌倉仏教の一つである時宗の総本山です。

法要の供養では、線香では一から三本を寝かせ、抹香では₁一から三回の焼香が作法とされます。

1 時宗

時宗は鎌倉仏教の一宗派で、一遍上人を開祖とし、

浄土教を基にして阿弥陀仏への信・不信に係わらず、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると説き、

仏の本願力は絶対であるが故、それが信じない者にも及ぶという解釈です。

一遍上人は日本全国を念仏勧進して回り、遊行上人・捨聖(すてひじり)とも尊称されます。

一遍上人の時代には時衆と呼ばれて居りましたが、江戸時代に現在の時宗として正式な宗派と成りました。

総本山は神奈川県藤沢市の藤沢山無量光院清浄光寺(通称 遊行寺)、ご本尊は阿弥陀如来坐像です。

一遍上人は1239年四国の伊予国(現在の愛媛県)に生まれ、

10歳で出家し(天台宗)、13歳で大宰府に移り、

法然上人の孫弟子にあたる聖達の下で10年に亘り浄土宗西山義を学びます。

その間に法名を智真(智は悟りの智慧、真は御仏が示す真)と改めます。

1263年25歳で父の後を継ぐ為、還俗(げんぞく)して伊予に戻りますが、

1271年32歳で再び出家し、信濃の善光寺、伊予の窪寺などで修行を重ね、窪寺で十一不二のを感得し、

1274年から遊行を始め、摂津国、紀伊国などの各地を転々としながら修行を積み、

同時に六字名号を記した念仏札を配り始めます。

更に、紀伊の熊野本宮で阿弥陀如来の変わり身とされる熊野権現から衆生得度の為に

”信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札を配るべし”との夢告を受けて、

名を一遍と定め、念仏札の六字名号に決定往生/六十万人を加えて日本全国を廻り念仏勧進します。

勧進は15年に亘り、南は鹿児島から北は奥州平泉と、ほぼ全国を網羅ししました。

有名な踊り念仏は、1279年信濃の国を勧進した時から始まりました。

そして、1289年一編上人は過酷な遊行による過労と栄養失調から摂津兵庫津の観音堂(後の真光寺)で没し、

15年半に及ぶ遊行を終えました。享年は51歳でした。

一遍上人は時衆を率いて遊行を続け、民衆を踊り念仏と賦算(ふさん 念仏札を配る事)により

極楽浄土へと導きました。

時衆は一遍上人亡き後自然消滅しますが、門弟たちにより遊行と賦算は続けられました。

そして、江戸幕府の意向により、色々な念仏勧進聖(ねんぶつかんじんひじり)は

時宗という単一の宗派に統合されます。

その中には12の流派があり、時宗12派と呼ばれ、主流が藤沢道場清浄光寺を本寺とする遊行派で有りました。

2 時宗の葬儀

時宗では戒名は法名と呼び、

当初は、男性には”阿弥陀仏”号、女性には”一房”号、あるいは”仏房”号が附されましたが、

現在では男性は”阿”号、女性には”弌(いち)”号を用います。

但し、派により号が異なる場合が御座います。

葬儀の際には、

中央に「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掲げ、遺影、焼香台、ろうそくを準備し、棺をご安置します。

式は、僧侶をお迎えし、香を炊き、三宝礼の経文を読みあげます。

故人様の生前の罪を反省し、仏の許しを請い、

引導下炬(いんどうあこ:浄土宗独特のたいまつを用いたい引導作法)を行います。

故人様が極楽浄土へ行けるよう「南無阿弥陀仏」を10回唱えます。

お焼香は3回行い、総願偈等、故人が仏道を全うすると誓いの経文を読み上げ、送仏偈で仏様をお送りします。

時宗では、踊念仏と呼ばれる念仏の作法があり、鉢を打ち鳴らし、踊りながら念仏を称えるという、

とても珍しいスタイルで読経を行う場合も御座います。

葬儀が営まれる際には、派により式次第が異なりますので、

ご導師のご指導の下で葬儀が執り行われることになります。

3 時宗の焼香

時宗で行う焼香の回数は1〜3回となります。つまんだ抹香を額にいただき、その後香炉にくべましょう。本来、浄土宗の場合は心のこもった焼香を1回行うと記されています。

回数に明確な決まりがないとは言え、導師によって考えや方針が異なる場合もあるため、気になる場合は事前に確認しておくようにしましょう。

焼香の流れ

焼香を行う際には僧侶や遺族に対して一礼をし、焼香台へ進みます。

遺影に向かい一礼し後、抹香を中指と人差し指、親指でお香をつまんで額へ押し戴いて香炉にくべます。

回数には定めが御座いませんので三回以内で供養します。

時宗で行う線香での焼香は浄土宗と同じく、線香を折って寝かせて行いますが、

特別な定めはありませんので立てて行うことも許されます。

    今回は以上です。

横浜市民の葬儀・日蓮宗と葬送儀礼

鎌倉時代、安房(あわ)の国(現在の千葉県鴨川市)の漁村で誕生した日蓮聖人は、

同地の天台宗清澄寺(せいちょうじ、現在は日蓮宗)で修学をはじめ、

後に天台宗延暦寺、真言宗高野山、他に遊学して広く仏法を修学し、

清澄寺に戻って後、”南無妙法蓮華経の題目を唱える唱題行”を説いて

鎌倉仏教の一つである、日蓮宗の宗祖と成りました。

法要での供養は、線香であれば三本、抹香であれば三回の焼香が正式な作法とされます。

1 日蓮宗

日蓮宗は、鎌倉仏教の宗派の一つで日蓮聖人を開祖とし、法華宗とも称されて居ります。

日蓮聖人の没後、多くの弟子達により布教が行われ、それに伴い多くの派にも分かれて居ります。

日蓮聖人は釈尊の教えの全ては法華経(妙法蓮華経)に凝縮されて居り、

久遠の本仏として釈尊を諸仏の根源とすべきこと、

滅後末法の世の衆生の救済は法華経の護持によりなされる、

そして、南無妙法蓮華経(法華経に帰依する、の意味)を題目として唱えよと説きました。

日蓮宗の総本山は山梨県南巨摩郡身延町の身延山久遠寺でご本尊は三宝尊です。

三宝尊とは、仏・法・僧の三宝をさし、仏の第一を釈迦如来、法の第一を法華経、

僧の第一を日蓮大菩薩(後光厳天皇より、大正天皇よりは立正大師が贈られる)として祀られます。

日蓮聖人は1222年安房国(千葉県鴨川市)の小湊で生まれ、11歳で地元の清澄寺の道善房に入門し、

16歳で出家し是正房蓮長の名を与えられ、

23歳の時、比叡山にのぼり就学し、その後三井寺、薬師寺、高野山、天王寺、東寺などで遊学した後、

1253年31歳で安房の清澄寺に帰山し、

4月28日朝、日の出に向かい南無妙法蓮華経と題目を唱えました(立教開宗の日)。

そして、名を日蓮と改め、翌1254年鎌倉に出て辻説法を始めます。

各地で辻説法を説き、1260年 立正安国論を著し、鎌倉幕府に建白しました。

この建白により日蓮は幕府や他宗派より迫害を受けることとなります。

1261年からは伊豆国伊東へ、1271年からは佐渡へ流罪となりますが、

その間にも各地で辻説法を続け、”開目抄” ”観心本尊抄”などを著述し、法華曼荼羅を完成させました。

1274年春流罪赦免ののち、鎌倉で幕府に対し法華経国教化の建白を行い、

身延の地頭であった南部実長の招きを受けて、

身延山に入山し、身延山を寄贈されて身延山久遠寺を開山しました。

1282年病を得て常陸国への帰途、武蔵国の池上宗仲氏の邸宅近くに建立された一宇を開堂供養し 

長栄山本門寺(通称池上本門寺)と命名。

その一ヶ月後10月13日池上邸で逝去。享年は61歳でした。

2 日蓮宗の葬儀

日蓮宗は鎌倉時代に安房の国長狭郡(現在の千葉県鴨川市)に生を受けた日蓮大聖人により起こされました。

その葬儀式の本義は、故人様を霊山浄土(りょうぜんじょうど)に導くことにあります。

霊山浄土とは、インドの霊鷲山(りょうじゅさん)を指し、

久遠実成(くおんじつじょう)の仏である釈尊は、現在も霊鷲山で法華経を講じているとの信仰にもとずきます。

葬儀式では”南無妙法蓮華経”を中心に、

仏・菩薩・明王・天・神の名前が書き込まれた”十界曼荼羅”をご本尊として掲げます。

故人様ご臨終の際の枕経、及び通夜は基本的に日常勤行と同じで 

勧請、開経偈、読経、祖訓、唱題、宝塔偈、回向、四誓、題目三題が行われます。

日蓮宗では読経(どっきょう)と言い”方便品(ほうべんぽん)” ”自我偈(じがげ)”などが読まれます。

枕経は仏壇の前か、十界の曼荼羅をかけた前で営みます。

通夜の場合は営みの後に通夜説教、又は祖訓の解説が行われます。

そし、湯灌、及び納棺では南無妙法蓮華経を唱題しながら行います。

葬儀式は 日常勤行の形に 声明曲が加わり、引導が行われます。

その次第は;

1 入堂(にゅうどう)

2 開式の辞(かいしきのじ)

3 総礼(そうらい) 僧侶、参列者全員が合掌して唱題三遍し礼拝する。

4 道場偈(どうじょうげ) 諸仏諸尊を勧進(招く)する声明曲。

5 三宝礼(さんぽらい) 仏法僧の三宝を礼拝する。立ったり座ったりするので起居礼(きこらい)という。

6 勧請(かんじょう) 久遠釈尊をはじめ四菩薩、諸仏諸尊、日蓮大聖人等を招く。

7 開経偈(かいきょうげ) 読経の前に唱えるもので法華経の功徳を讃え、この教えを何時までも受持する事を誓う。

8 読経(どっきょう) 方便品など法華経の中の肝要な諸品を拝読する。

9 咒讃鐃(しゅさんにょうはち) 唄をうたい、器楽を演奏して諸仏を供養。咒讃は声明曲の一つ、その後に鐃(銅鑼 どら)とを演奏する。(導師が一人の場合は省略)

10 開棺(かいかん) 引導の前触れとして行い、迷いを転じて悟りにはいることを予告する意味をもつ。

11 献供(けんく) 茶湯、霊膳、献華、水供と 極上の美味を献上する式。事前にお供えし省略する場合も有り。

12 引導(いんどう) 導師は柩前に進み、払子(ほっす)を三振りし、焼香を三回した後に引導文を読み上げる。霊山往詣の安心を説き、故人の一生の行績を語り、法号の由来を述べ、法華経信仰をもつことの尊さを讃嘆する。故人の徳を讃える部分を”歎徳(たんとく)”という。

13 弔辞・弔電(ちょうじ・ちょうでん)

14 読経(どっきょう) 自我偈など法華経の中の肝要な諸品を拝読する。焼香に入り 16の唱題までに終える。

15 祖訓(そくん) 日蓮大聖人の遺文を拝読する。省略されることも多い。

16 唱題(しょうだい) 参列者全員で霊山往詣を念じ、一心に南無妙法蓮華経と唱える。

17 宝塔偈(ほうとうげ) 回向の前に唱える偈文で、法華経受持の功徳を讃嘆する。

18 回向(えこう) 法要の功徳をめぐらして、現世安穏後生善処 を祈念する。

19 四誓(しせい) 回向の次に唱える文で、人々を救う誓いの言葉を唱える。

20 三帰(さんき) 三宝に帰依し、仏道に精進することを誓う声明曲。

21 奉送(ぶそう) 諸仏諸尊をお送りする声明曲(起居礼 きこらい)。

22 閉式の辞(へいしきのじ)

23 退堂(たいどう)

3 日蓮宗の焼香

日蓮宗では、大曼荼羅に向かい合掌して一礼します。

香盆の中のお香を右手の親指・人差し指でひとつまみ取って火種に振りかけます。

焼香は3回行うのが日蓮宗の導師の正式な作法とされています。

一般参列者の場合は1~3回の間で選択します。

数珠を左手に持ち右手でお香を火種にくべた後、再び合掌一礼して席へ戻ります。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・臨済宗と葬送儀礼

平安時代末期、中国南宋に渡り、天台山万年寺などで修学した明菴栄西〈みょうあん えいさい)は、

日本に帰国して臨済禅を定め、禅宗臨済宗の開祖となります。

禅宗とは、座禅を第一の修行とし、心性の本源を悟ろうとする仏教の宗派です。

法要に於ける供養は、線香は一本を立て、抹香では一回の焼香を作法として居ります。

1 臨済宗

日本の臨済宗は、平安時代末中国南宋に学んだ千光国師栄西禅師により日本に伝えられた 

禅の宗派の一つで、悟りを開く事を目的とし、座禅・禅問答・詩・絵画・や建築などを通して、

師から弟子へ悟りを伝えます。

禅宗に於ける悟りとは、”生きるもの全てが本来もっている本性である仏性に気付く”、

そして、仏性とは”言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力”のことと説かれます。 

鎌倉・室町時代と幕府の庇護を受けて大きく発展すると共に多くの派に分かれ臨済十四派と言われ、

教義内容は同じですが、14の派が大本山をを持ちます。

最大宗派は栄西が建立した、京都東山建仁禅寺を大本山とする建仁寺派で、ご本尊は釈迦如来です。

神奈川県内には建長寺派と円覚寺派の二つの大本山が鎌倉に建立されており、それぞれ、

巨福山建長興国禅寺(通称・建長寺、ご本尊 地蔵菩薩)、

瑞鹿山 円覚興聖禅寺(通称・円覚寺、ご本尊 宝冠釈迦如来)を中心として布教活動が行われて居ります。

臨済宗は、ゴータマ・シッダッタ(釈迦)の教え(悟り)を直接に受け継いだ

マハーカ―シャパ(迦葉)から28代目のボーディダルマ(菩提達磨 達磨大師)により

インドから中国へ伝えられ、

そこから起こされた中国禅宗五家(臨済、蕩仰、曹洞、雲門、法眼)の一つで、

日本には、栄西禅師以降、中国から各時代に多くの僧により伝えられました。

特に江戸時代の白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師は有名です。

 栄西禅師は1141年備中国賀陽郡(岡山県加賀郡)に吉備津神社の禰宜の子として誕生し、

1154年14歳で比叡山延暦寺にて出家得度します。

以降、延暦寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学びますが、

形骸化し貴族政争の道具と化した天台宗を立て直すべく、平氏の庇護を受けて1168年南宋に留学し、

天台山万年寺などで修学します。

その当時、南宋では禅宗が繁栄して居り、日本の仏教精神立て直しに活用すべく合わせて修行を受け、

日本へ帰国します。

1187年、再度入宋し、臨済宗で修行を重ね、1191年臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受けて帰国します。

帰国後は九州博多を中心に布教活動を始めますが、

天台宗からの排斥を受けたり、既存勢力との摩擦も多く、京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、

幕府の庇護を得ます。

1200年北条政子建立の寿福寺の住職に就き、

1202年には源頼家の外護を得て京都に建仁寺を建立し 禅宗の振興に努めます。

1212年には法印に叙任、1213年には権僧正に栄進、そして 

1215年7月5日京都建仁寺で入滅しました。享年75歳でした。

2 臨済宗の葬儀のお経

臨済宗の葬儀は、故人様が仏弟子となり、修行の道に入り、自己の仏性に目覚める事を願う 儀式とされます。

従いまして、死者を仏弟子とする授戒と、仏性に目覚めさせる引導が葬儀式の中心となります。

葬儀には、人間は仏の世界から見れば修行不足の存在であるから、

縁が無くてこの世で修行を積むことが出来なくても、

亡くなった後に仏弟子として修行に励んで欲しいとの願いが表現され、

又、ご遺族は故人様の最後をきちんとしてあげ故人様の安心を願うと共に、

平静な心を得、亡き人に報いるべく自らを促されます。

臨済宗は禅宗であり、導師の修行を背景として営まれ、地域によっても式次第は異なります。

枕経では観音経、大悲呪(だいひしゅう)などが読誦されます。

通夜式では観音経、金剛経などが読誦されます。

葬儀式では大悲呪が読誦されます。 

3 臨済宗の焼香

臨済宗でのお焼香は額(ひたい)に戴かずに一回だけするのが基本です。

しかしながら、特別な定めは御座いませんので、

額にいただいて焼香をされても、

二回、三回の焼香をされても、作法に反するなどの指摘を受ける事は御座いません。

   今回は以上です。 

横浜市民の葬儀・曹洞宗と葬送儀礼

曹洞宗は仏教に於ける禅宗の一宗派で、

鎌倉時代に中国・南宋に渡り、中国曹洞禅を修学した道元禅師を開祖とします。

法要に於ける供養は、線香は二本、抹香では二回の焼香を作法として居ります。

1 曹洞宗

曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師により中国から伝えられた 

日本の禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗(おうばくしゅう)・普化宗)の一つで、

”正伝の仏法” を伝統とし、南無釈迦牟尼仏として釈迦をご本尊と仰ぎ  

修証一如(無限の修行こそが成仏である)、只管打坐(しかんたざ、ひたすら座禅する事)をもっぱらとし、

座禅を通して真実の自己・仏性に目覚め、

懺悔・菩薩心の働きによる菩薩行により他者に働きかけ活かすことを教義とします。

大本山は福井県吉田郡の吉祥山永平寺(ご本尊 釈迦如来、弥勒仏、阿弥陀如来)と 

神奈川県横浜市鶴見区の諸嶽山総持寺(ご本尊 釈迦如来)の二寺が有ります。

白蓮の花

道元禅師は、1200年京都に生まれ、14歳で天台宗座主公円の下で出家し仏法房道元と名乗ります。

その後、三井寺で天台教学を修め、1217年より京都建仁寺にて栄西の弟子明全に師事します。

1223年明全と共に南宋に渡り諸山を巡って修学し、

曹洞宗禅師天童如浄より印可を与えられて1228年に帰国します。

帰国後、1233年京都深草に興聖寺を開きますが、比叡山からの度重なる弾圧を受け、

1243年越前国の地頭波多野義重の招きに応じて越前志比荘に移り、傘松に大仏寺(後に永平寺)を開き 

自ら貫首となります。

そして、1253年病を得て 貫首の座を弟子の弧雲懷ジョウ(こうんえじょう)に譲り、

京都高辻西洞院で没っしました。享年は54歳でした。

道元禅師は、自らの教えを正伝の仏法であるとしてセクショナリズムを否定し、

弟子達にも特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗として見られることすら拒否感を示したと伝えられます。

従いまして、道元の下に集まる人々により教団が形成されましたが特定名称を持ちませんでした。

宗派の呼称として曹洞宗を用いる様になるのは、

宗団の太祖と仰がれる第四祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の頃からで、

瑩山により、禅の大衆化と現在の様な大教団となる為の基礎が築かれました。

総持寺は瑩山により能登で開山しましたが、明治時代に焼失した為、現在の横浜市鶴見区に移して建立されました。

通夜式の服装

2 曹洞宗の葬儀とお経

曹洞宗の葬儀は故人様を偲び讃えることであり、ご遺族をいたわり慰める為に営むものとされます。

葬儀儀礼は僧侶の葬儀を簡略化して営まれ、

授戒(戒を授けて仏弟子とすること)と引導(仏世界に入らしむこと)が中心に置かれます。

又、肉親の死により悲しみの中に居られるご遺族に、

故人様もこうして仏の慈悲により救済され、仏の世界に入れることを儀式により示すことで、慰めを与えます。

枕経では仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)又は舎利礼文(しゃりらいもん)が読誦され、

通夜式では修証義(しゅうしょうぎ)舎利礼文が読誦されます。

葬儀式では大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)、舎利礼文が読誦されます。

3 曹洞宗でのお焼香

曹洞宗では香を二回香炉に投じて仏と故人の霊を拝みます。

一回目は右手で香をつまんだのち両手で額に押し戴き、香炉に投じます。

続けて二回目には少量を押し戴かずに香炉にくべて拝みます。

  今回は以上です。

横浜市民の葬儀・浄土真宗と葬送儀礼

浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人は、終生法然上人を師と仰ぎ、生涯に亘り、

法然上人によって示された浄土往生を説く教え、を継承し、さらに高めて行く事に力を注ぎました。

親鸞聖人自らは宗派を開く意志はありませんでしたが、聖人の死後、弟子達により創立されました。

法要に於ける供養は、線香は立てずに寝かせて、焼香は額に押し戴かずに一回、の作法と成ります。

1 浄土真宗

浄土真宗は鎌倉時代初期、比叡山の学僧であった親鸞聖人が法然上人に弟子入りし 

浄土門の念仏の教えこそ真実の教え(浄土真宗)を継承して展開し、

親鸞聖人の没後、弟子たちにより教団として発展させた日本の仏教の宗旨の一つです。

親鸞聖人には独立開宗の意思はなく、然上人に師事出来た事を生涯の喜びとしていました。

宗旨名として浄土真宗を用いることに成るのは親鸞聖人の没後であり、

他派からは永らく一向宗、あるいは門徒宗と通称されて居りました。

浄土真宗は僧侶の肉食妻帯が許されて居り、細かい戒律も有りません。

明治時代に入るまで公式に妻帯を認めていた仏教宗旨は浄土真宗だけです。

法然上人が説いた

”出家、在家の仏教徒の規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏である”

を親鸞上人は実遷して妻帯した僧侶の始まりと成りました。

真宗は、ただ如来の働きに任せて、全ての人が往生できるとの教えから 

合理性を重んじ、作法や教えも簡潔であった事から広く庶民に受け入れられました。

又、加持祈祷を行わない唯一の仏教宗派です。

その後本願寺八世の蓮如が登場し講と呼ぶ組織を作り発展、拡大をしますが戦国大名との争いをへて、

十一世顕如は豊臣秀吉に降伏しますが、京都に土地を与えられ本願寺(西)を再建する事と成りました。

江戸時代に入り、徳川家康の宗教政策により顕如の長男教如が本願寺(東)を建立して 

以降、西と東の二派に別れ今日にいたって居ります。

2 浄土真宗の葬儀

浄土真宗の葬儀は他の宗派と大きく異なります。

修行の有無に関わらず、即身成仏できるとの教えから

葬儀の中に授戒と引導が無い為、葬儀は日常の勤行がそのまま葬儀式の構成となります。

これは在家仏教ゆえに戒が無く、“絶対他力”ですので信心をいただいていない人が亡くなっても 

その人を往生・成仏される力は私たち凡夫(僧を含む)には出来ない、阿弥陀如来の一人働きによるのみとされ、

“平生業成”から生前に信心をいただいていたならば 浄土往生と成仏は すでに約束されている事なので 

故人様の成仏を祈る必要はない、との考えから引導も有りません。

又、人間には他に分かち合うだけの功徳が備わっていないとの考えから、他宗派と同じ回向の考え方も有りません。

往生即成仏と成りますので、死装束は不要であり、霊やケガレも認めて居りませんので清め塩は使いません。

浄土真宗の葬儀式は故人様が死という事実を身をもって示し、

私達に死を迎える準備をしなければならない事を無言の内に教えてくれて居る事から、

これを機縁として本尊阿弥陀如来に報恩感謝し、仏様の教えを学ぶ“聞法”の場であると位置付けられて居ります。

従いまして、あくまでもご本尊を中心にしてご葬儀は営まれます。

臨終勤行の枕経では阿弥陀経(本願寺派)が読誦され、通夜式でも同様です。

葬儀式では阿弥陀経が読誦されます。

3 浄土真宗の焼香

ご本尊の前で一礼し、お香を3本の指で摘むところまでは他の宗派と同じせすが

西本願寺派の場合お香を額に押しいただかずそのまま1回だけ香炉にくべて頂きます。

大谷派は同様にして2回香炉にくべて頂きます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・浄土宗と葬送儀礼

浄土宗は平安時代末期に比叡山にて天台宗を学び、後に専修念仏の教えを説いた法然上人を宗祖とする

仏教の一宗派で、京都の華頂山知恩教院大谷寺(通称・知恩院)を総本山として居ります。

専修念仏とは、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、すべからく人は死後、往生出来るとの教えです。

法要では、線香は三本、抹香では三回の焼香により供養をなします。

1 浄土宗 

浄土宗は、法然上人を宗祖と仰ぎ、その教えはただひたすらに仏に帰依すれば必ず救われるとし 

”南無阿弥陀仏”を口に出して唱えれば、必ず仏の救済を受けて平和な毎日を送り、

浄土へ生まれ帰ることができる、という他力のおしえをひろめています。

浄土宗の葬儀は、故人様を仏の弟子として、

仏の本願により阿弥陀仏の下である極楽浄土に往生することを教え導き、

本来の住処、生命の根源である極楽浄土へ立ち戻る凱旋式として行うとも考えられます。

浄土宗では、生きていると言う事は死に向かっている事で有り 

人間を含めた生物はこの世に生を受けた瞬間から必ず死を迎えること 

それを定めとして生活していると説きます。

古い時代には、人の寿命も短く、医療も十分でない中で、死は身近な出来事でも有りました。

その様な中で育まれた、習慣やしきたりから現代の葬儀式があります。

浄土宗の葬儀式では故人様を極楽浄土へお見送りすると共に 

参列された方々にも、深い悲しみの内に自らの死の意味を問い、清浄な心で仏の教えに耳を傾け、

授戒し新しく仏の弟子となった故人様と共に、

一心に念仏する生活に生きる決意をする契機となるよう願っています。

2 浄土宗の葬儀とお経

浄土宗の葬儀は、死者を仏の弟子として、仏の本願により阿弥陀仏の下にある極楽浄土へ往生することを教え導き、

本来の住処であり生命の根源である極楽浄土へ立ち帰る凱旋式として行うとされます。

更に参列する方々にも、悲しみの中にも自らの死の意味を問い、清浄な心で仏の教えに耳を傾け 

授戒し新たに仏の弟子となった故人様と共に一心に念仏せる生活に入る契機となるよう願って行われます。

葬儀式の構成は浄土宗の通常の法要(序分、正宗分、流通分)に授戒と引導が加えられたものです。

序文は法要を行うに当たって仏様をお迎えする部分、正宗分は法要で仏様のお話をうかがう部分、

流通分は法要を終えたら感謝して仏様をお送りする部分、授戒は戒名を授けて仏様の弟子とすること、

引導は仏様の弟子として教え導くことをさします。

枕経は臨終行儀として伝統的に重視され、この時授戒することが基本とされて居りました。

しかし、現代では枕経では来迎仏をあげて念仏するだけで良いと変化し、

授戒は通夜式で行うことが一般的となって居ります。

通夜式では四誓偈(しせいげ)が読誦されます(もしくは仏身観文(ぶつしんかんもん)、阿弥陀経)。

葬儀式では 四誓偈 もしくは仏身観文が読誦されます。

3 浄土宗の焼香

浄土宗の焼香の作法では焼香の回数に決まりはなく、寺院や地域により異なりますが、

三回のお焼香が基本となります。

香炉の前に立ち、合掌をして一礼をします。

その上で焼香を三回繰り返します。

焼香は;

親指・人差し指・中指の三指で香をつまみ、その手を仰向けにして反対の手を添え、香炉の火種の上にくべます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・真言宗と葬送儀礼

真言宗は、中国の唐に渡り修学した弘法大師空海を開祖とする仏教宗派のひとつであります。

法要に於ける供養では、線香は三本、抹香であれば三回の焼香が作法と成ります。

1 真言宗

真言宗は天台宗の開祖最澄(伝教大師)より一年遅れて

807年に唐より帰国した空海(弘法大師)により開かれました。

空海は唐の長安に渡り、青龍寺で密教を習得し、

法身仏である大日如来が説いた教えである、身、口、意という人間の3っの働き(三密)において 

手に印を結び、口に真言を唱え、心を鎮めて三昧(さんまい)の境地に入ることによって

即身成仏できると教えました。

当初は高野山金剛峯寺を修禅の場として開創し(816年)、

その後、嵯峨天皇より下賜された京都の八幡山金光明四天王教王護國寺祕密傳法院(東寺)を

根本道場として宗団を確立しました(823年)。

真言宗の歴史は分派の歴史でもありました。

教義そのものは空海により大成されて居りましたが、

まず東寺と金剛峯寺の主権争いが起こりましたが、東寺を本寺、金剛峯寺を末寺として収束します。

その後、金剛峯寺は落雷により伽藍・諸堂が喪失し無人の状態にまでなります。

平安中期、藤原道長を中心に皇族・摂関家の支援を得て復興しますが

13世紀末、寺内での抗争の末、根来山に大伝法院が出来て古儀真言宗と新義真言宗に分かれる事となります。

江戸時代には寺檀制度により幕府の支配体制に組み込まれ諸本山、末寺ともに財政的な安定を得ます。

そして、明治時代に入り一宗一管長制により全真言宗が統括されましたが、

時間の経過と共に多くの分派活動が進み、

古儀真言宗系・十三派、新義真言宗系・三派、真言律宗・二派の計十八派となって現在に至ります。

2 真言宗の葬儀

1)真言宗の葬儀とお経

弘法大師の作と言われるご詠歌(ごえいか)

“阿字(あじ)の子が、阿字の古里、立ち出でて、また立ち帰る、阿字の古里”

は真言宗に於ける葬儀観を示したものとされます。

阿は梵字で書かれ、大日如来とその生命を表わします。

死者(亡者と呼ばれる)を宇宙生命の源である大日如来の大生命に包まれている弥勒菩薩の浄土である

“都率浄土”へ送り返す事が葬送儀礼の精神とされます。

従いまして葬儀式は即身成仏への引導作法として示されます。

剃髪・授戒・戒名の授与までが前段階で、大日如来のもとへ導くための準備段階の作法で、

それ以降が後段階として”大日如来との一体感”、すなわち永遠の生命との一体感をきわめる作法となります。

具体的な葬儀の進行は 真言宗内 宗派、地域により異なります。

枕経では死者の成仏を勧める“般若理趣経”が読誦され、“慈救の呪”を唱えて悪魔を祓い、

阿弥陀如来の“陀羅尼”、“光明真言”、御法号“南無大師遍照金剛”を唱えます。

通夜式でも理趣経を読誦し、慈救の呪、光明真言、御法号が唱えられます。

葬儀式では前賛、理趣経などが読誦されます。

線香

2)焼香の作法

真言宗の焼香作法は、まずご仏前に進み出て、合掌礼拝します。

此の時ご導師さまにも一礼すると丁寧です。

そして右手の親指と人指し指で香をつまみ、額に捧げて香炉に入れます。

これを三回繰り返します。

そしてもう一度合掌をし、ご遺族に一礼をして静かに自分の席に戻ります。

回し香炉の場合、自分の席に来たら速やかに焼香し次の方に回します。

この場合も焼香は三回です。

尚、真言宗智山派では摘んだ香を三回にわけて額に捧げて香炉に入れます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・天台宗と葬送儀礼

天台宗は中国浙江省天台県の霊山天台山を起源とする仏教の宗派の一つで、日本へは伝経大師最澄により伝教され、

日本での正式名称は、天台法華円宗です。

お念仏は、南無阿弥陀仏、線香は三本、焼香は三回で供養を営みます。

1 日本の天台宗

天台宗は6世紀に中国の天台山を本山として起こされた大乗仏教の宗派であります。

日本では比叡山延暦寺の僧侶であった最澄が唐に派遣され、天台山にのぼり、

天台教学を受けて806年持ち帰ったのが日本の天台宗の始まりです。

天台宗の正式な名称は天台法華円宗、法華円宗、あるいは天台法華宗と称しています。

法華宗と称する事も有りましたが日蓮教学の法華宗との混乱を避ける為あまり用いられては居りません。

最澄が唐より帰国した頃は奈良仏教が主流でしたが

最澄は当時僧侶には認められていなかった大乗戒を基に

全ての衆生は成仏できるとの法華一乗の立場を説き、南都六宗と激しい論争を起こしました。

その頃、朝廷も奈良仏教に飽き始めており、

旧仏教の束縛を切り新しい平安の新興仏教を求めていた事とあいまって 

最澄の没後に清和天皇より”伝教”の大師号が贈られ天台宗が確立されました。

最澄は帰国後、滋賀県大津市の比叡山延暦寺で禅、戒、念仏、密教の要素を含む四宗兼学の道場を開き

総合仏教としての教義を確立すると共に多くの僧侶を育成しました。

又、最澄は飲酒を厳しく制限し、飲酒をする者は仏弟子になる資格が無いので追放するよう述べて居ります。

天台宗の総本山は滋賀県大津市の比叡山延暦寺ですが、 

門跡寺院として京都市の魚山三千院、青蓮院など、

大本山として岩手県関山中尊寺、栃木県日光山輪王寺、東京都東叡山寛永寺、長野県定額山善光寺があります、 

別格本山として、東京都浮岳山昌楽院深大寺、ほか全国に11寺院があります。

2 天台宗の葬儀(本稿は比叡山延暦寺のホームページを参考にさせて頂きました。)

葬儀に当たりましては先ず司祭さまをお願いしなければ成りません。

通常は菩提寺に連絡をし日取りを決める事に成りますが菩提寺が遠方の場合、

あるいはお持ちで無い場合は葬儀社を通して紹介を受ける事が出来ます。

そして、会場を決めます。

 通夜

葬儀に先立ち通夜を営みます。

通夜は近親、親しい友人にとって故人さまとの最後の交流の機会であると共に 

故人さまの逝去を考えるかけがえのない機会でもあります。

通夜の儀式は故人さまの霊を浄土へ引き入れる祈りが中心となります。

阿弥陀如来のお迎えを頂戴するお経が唱えられます(来迎経)。

 葬儀

天台の教えでは全ての人は仏性を持っており、仏に成ることが出来ます。

その為には仏様と縁を結ぶ事が大切になります。

葬儀にあたり仏の弟子になる為の儀式を行います。

その後、仏弟子としてこの世(娑婆世)を離れ、仏の国(浄土)へ向かうことになります。

  1) 身体を清浄にする。

   浄土への旅立ちの前に身体を清浄にします。

   水で清め、香で清め、髪をそります。

   剃髪は煩悩を除きさる儀式として行います。

  2) 心を清浄にする。

   次に心を清浄にします。

   人は意識する、しないに係わらず多くの罪を背負って生きています。

   それらを懺悔(ざんげ)し心を清浄にする為、懺悔の文を唱えます。

  3) 戒(いまし)めを授かる(三帰授戒)。

   心身ともに清められた処で、仏の教えを授かります。

   仏教徒としての基本である三つの戒めです。

   第一は帰依仏、仏を信ずる気持ち。

   第二は帰依法、仏が残された教えを法と言い、この法を信じる事。

   第三は帰依僧、仏の法を実践する人を僧といい、教えに従い暮らすと言う事です。

   この三つを仏様に誓う事で成仏の縁を受ける事ができます。

  4) 戒名。

戒を受け終わった証が戒名です。

戒名は仏の弟子としての名前で法名とも言います。

法名は二文字です。

現在では法名の上に道号や院号を付けますますが、仏弟子として大切な名前は法名の二文字です。

  5) 引導・下炬(あこ)。

旅立ちの準備も整い、この世とお別れになります。

全ての執着心を絶って浄土へ向かう訳ですが、

最後にもう一度仏の教えにより、必ず成仏する事を旅立ちの糧(かて)として言い渡すのが引導です。

引導を渡すの言葉は此処から来ました。

次に釈迦尊の最後に倣って火葬の儀式となりますが霊棺に松明をつける下炬の儀式をします。

  6 念仏。

最後に、故人さまの霊の往生(浄土に生まれなおす)をお迎えの阿弥陀如来さまにお願いし 

十返のお念仏を唱えて葬儀は終了します。(十念)

以上が司祭さまのお導きの下で執り行われます。

家族葬

3 天台宗の焼香

天台宗でのお焼香は3回が基本とされて居ります。

最初に合掌して礼拝をし、

右手の三本の指(親指、人差し指、そして中指)でお香をとり、

その右手に左手を添えて額にいただき、火床にくべます。

これを三回繰り返し、最後に合掌礼拝をして終了します。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・キリスト教プロテスタント

故人様のお見送り(葬儀)に於ける儀礼は、故人様と、それを営む方々の死生観・宗教観が深く反映されます。

死者をお見送りする儀礼は宗教が創造される以前の旧石器時代から行われて来た

人としての心の儀礼であるともいえます。

そして、お見送りの儀礼は亡くなられて故人様の為だけではなく、

遺された方々が、故人様の死を心の中で受け止める事を援助する為の儀式でもあります。

キリスト教に於ける死とは、キリストを信じる者にとって永遠の命と復活への希望に入る事であり、

天にまします神とイエス・キリストの下に召されて復活の準備をなす期間とされます。

カトリックでは ”帰天”、プロテスタントでは”召天”とも呼ばれます。

1 キリスト教プロテスタントの葬儀

キリスト教プロテスタントのご葬儀はご遺体を前にして行う神への礼拝であります。

それは神が人々の罪をキリストの死によって贖い、複活して死に打ち勝ち、

終わりの日に神の国へ入る約束をして下さっているという信仰から

キリストの死と復活への感謝、ご遺族・参列者に対する死をこえた希望と慰めを与え、

死という事実をあいまいにせず、全ては死すべきものとしてキリストの福音に耳を傾け、

全てが神のみ手になる事を示し、復活の信仰を喚起する事に中心が置かれます。

ご遺体との告別は中心に置かれません。

また、故人さまの冥福を祈ったり、供養をする事も行いません。

生も死も全ての支配者である神の手に委ねられているからです。

ご遺体・ご遺骨は丁重に取り扱われなければ成りませんが 

ご遺体・ご遺骨を礼拝の対象とする事は固く避けねば成りません。

そしてご葬儀は全て牧師さまのご指導の下に執り行われます。

プロテスタントはカトリックのように中心となる教会はありません。

従いまして教会ごとに考え方が異なります。

しかしながら日本では戦時下の合同命令により諸教派が合同して日本基督教団が形成されました。

日本基督教団では1959年に”口語式文”を制定して居り 

各教派はこれを基に夫々独自の考え方でご葬儀を執り行っております。

ご信徒さまのご病気が重篤になるようでしたら、なるべく早く牧師さまにご相談される事をお勧め致します。

2 プロテスタント教会のお見送りの儀礼

プロテスタントの葬儀は日中に葬儀・埋葬礼拝を行うのが基本ですが、

日本に於いては仏式の葬送儀礼に慣れた参列者の便宜を図って、

前夜と当日の2日に渡って典礼を行うのが一般的です。

キリスト教プロテスタント派では人の死は忌むものでは無く、人の霊が地上の肉体を離れ、

天にまします神とイエス・キリストの下に召され、

イエス・キリストの再臨にあわせて復活するための準備の期間に過ぎない、とされます。

死とは天国において故人様と再会するまでの”一時のお別れ”であり、

地上に遺された者にとって、そのお別れは”寂しく慰められるべき事”では有りますが、

死そのものは悲しむべき事ではない、と説かれます。

日本に於けるキリスト教プロテスタント派のご葬儀は前夜と当日の2日間で営まれますが、

前夜の式典は仏式で使用する通夜の言葉は使わずに、前夜式あるいは前夜の祈りと呼ばれる式典を営みます。

前夜式はご自宅若しくは所属する教会でおこなわれます。

2日目の告別式は通常の日曜日に行う礼拝と同じ次第で営まれます。

従いまして教会で営まれるのが一般的で、

祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などに友人による追悼の辞、献花、ご遺族の挨拶が追加されて執り行われます。

キリスト教徒の比率が低い日本では参列者はもとよりご遺族すらキリスト教徒である事が期待できず、

宗教的純潔主義の主張と共に、地域社会の習俗も重んじる配慮をして、ご葬儀が執り行われます。

前夜式はその第一であり、焼香に代えて献花が、香典・仏前に代わりお花料が、案出されました。

尚、死は穢れでは御座いませんので、清めの塩は使用しません。

今回は以上です。

横浜市民の葬儀・キリスト教・葬儀ミサ

近年、横浜市民の婚礼は神式の儀礼からキリスト教式へと大きく変化して参りましたが、

ご葬儀を営むに当たりまして、キリスト教式を採用頂くご遺族は1%前後と非常に少ないのが実体です。

キリスト教では、死は命の終わりではなく、

招天あるいは帰天と言われ、神の下に召される記念すべき事であり、

地上で犯した罪は全て許され永遠の安息が与えられるとされます。

従いまして、葬送に於いて大切な事は葬送よりも”死の迎え方”となります。

1 キリスト教のご葬儀(カトリック)

葬儀に於ける儀礼は、それを行う方々の死生観・宗教観が深く反映されます。

キリスト教に於ける死とは、キリストを信じる者にとって”永遠の命と復活への希望に入る事”であり、

天にまします神とイエス・キリストの下に召されて、復活を待ための準備の期間とされます。

カトリックでは”帰天”、プロテスタントでは”召天”とも呼ばれます。

財産の写真

日本に於けるカトリック教会のご葬儀は、日本の文化・習慣に適応して行うという考え方に基ずいて、

通夜、及び、葬儀の流れに従って行われます。

儀礼の式場は所属する教会が一般的ですが、ご自宅や葬儀場で行う事もかのうです。

又、参列者の多くの方はカトリック信徒ではない場合などでは、

ミサに代えて”ことばの祭儀”を営む司祭様も居られます。

カトリック教徒の前夜祭(通夜式)では

聖書の朗読、聖歌斉唱、死者の為の祈り、お柩への献香、参列者による献花 もしくは焼香、

そして、遺族代表による挨拶などが行われます。

カトリック教会による”葬儀式次第”によれば、葬儀を営む場所として自宅、教会、墓地が示されて居り、

営む場所によって3種類の葬儀次第が示されて居ります。

葬儀場を使用する場合は自宅を前提とした葬儀次第に準拠して営まれます。

その内容は、葬儀ミサ、告別式、葬送の流れです。

葬儀ミサでは、聖書朗読・聖歌斉唱・祈り・説教の内容で行われ、

告別式では、故人様の紹介・弔辞・弔電紹介・献花・遺族代表挨拶などが行われます。

カトリック教では、命日など特定の日に集まる習慣は有りませんが、

日本の習慣に合わせて、一周忌や命日などを命日祭として記念の集いを持つ場合も御座います。

百合

2 キリスト教の葬儀ミサ次第(カトリック)

キリスト教カソリックでは伝統的な儀式を重要視しており、厳格に執り行われます。

信者の方はご自分の居住地区に洗礼を受けた宗派の教会を持ち、

万一ご危篤に至った場合は、その教会の司祭(神父)様に連絡を取り、来て頂いて臨終に立会いをお願いし、

神に祈りながらその時を迎えることが大切とされます。

カソリックでは原則として教会で洗礼を受けた教徒のみ葬儀を行うことができます。

葬儀は教会で執り行われます。

病者の塗油の秘蹟

病者の塗油は、キリストによって定められた神の恩恵に預かる儀式の一つです。

司祭は死に瀬している病者の額に手を置き、顔と両手に聖油で十字架をしるし、

全ての罪からの解放と永遠の安息を神に祈念する儀式です。

罪が許され、主の恵みが得られるとされます。

聖体拝領

ご逝去前、あるいは直後に行います。

司祭が持参するパンと赤ワインを死を迎える方の口に与えます。

納棺式

ご遺体を司祭を中心に遺族・近親者で囲みます。

司祭の唱導で祈り―聖書朗読-聖歌斉唱し、故人の安息を祈って聖水をご遺体に撒きます。

司祭による祈りの言葉の後、ご遺体を納棺し、ご遺体の周りを花などで飾り、

十字架を胸に置いて、柩に蓋をします。

司祭のお祈りと故人を偲ぶ言葉-聖歌斉唱-祈りの後、司祭、遺族、近親者の順に徹水が行われ終了します。

日没

通夜祭

キリスト教カソリックには通夜の習慣は有りませんが、

日本では仏式に準じて営まれるのが一般的です。

司祭が祈りを捧げた後、聖歌斉唱-聖書朗読-司祭の説教-全員でお祈り―聖水徹布で終了となります。

日本では聖水徹布の代りに献花が一般的です。

キリスト教の葬儀

葬儀

入堂式; 聖歌演奏の中、十字架を先頭に、司祭が先導して柩を聖堂中央に運び、

     祭壇にご遺体の足が向く様安置します。

     柩の上に花の十字架、周囲に6本の燭台と花が飾られます。

     司祭と参列者が祈りの言葉を交互に唱えた後、祭壇と柩に徹水し、

     司祭が入祭の言葉をのべます。

ミサ聖祭式; 最とも重要とされる荘厳な儀式です。

       司祭が従者と”死者のためのミサの祈り”を唱え、

       参列信者も唱和してキリストへの感謝と故人の安息を祈ります。

       ミサには聖体拝領も含まれます。

       信者でない参列者は静かに見守ります。

       ミサが終わると司祭は祭服を着替えるため退場します。

斜祈式(しゃとうしき); 故人の生前の罪への許しを神に請い、

       招天して永遠の安息が得られるように祈る儀式です。

       祭服を着替えて司祭が入堂し、祈り―聖歌斉唱の後、

       香炉と聖水を持った従者を従えた司祭が柩の前に立ち、

       聖水をかけて故人の罪を清め、香炉を振りながら柩の周りを回り、

       故人の安息を祈る撤香を行います。

       最後に司祭の祈祷が有り、聖歌斉唱をして終了します。

以上でカソリックの葬儀は終了しますが、

日本では教会の了解を得たうえで、弔電朗読、弔辞奉読、献花、遺族代表挨拶等が続いて行われます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・神道と神葬祭

神道は古代日本に起源をたどる、日本固有の宗教で、

山や川などの自然現象を敬い、それらから八百万の神を見出す多神教の宗教です。

伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、豪族層による政治体制と共に徐々に成立しました。

その分類としては、神社神道、民俗神道、古神道、国家神道、皇室神道(宮中祭祀)、教派神道等が有ります。

一般的に言われる神道とは神社神道を指して居ります。

江ノ島沖

1 神道とは

日本固有の民族宗教である神道には、明確な教義や教典はなく、

古事記や日本書紀など神典と言われる古典を規範とし、森羅万象に神が宿ると考え、

祭祀を重視し、浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目として居ります。

又、仏教は主として個人の安心立命や、

魂の救済を目的(時代によっては国家鎮護を含む)として信仰されて来たのに対して、

神道は、神話に登場する神々の様に地縁・血縁で結ばれた共同体を守る為に信仰されました。

神社信仰は日本古来の民族宗教ですが、神道と言う宗教として体系化されるのは鎌倉時代中期以降と成ります。

この体系化に大きく貢献したのが吉田兼倶(1434-1511)です。

兼倶は密教や陰陽道を取り込み、体系や儀礼を作り上げ、

神道は儒教や仏教の宗主であり、万法の基であると理論ずけました。

江戸幕府の神仏習合により、神社内に作られた寺院は仏教の民衆化と共に独立し始め 

それに比して神道の地位は低下し、神社も修験道の手に移って行きます。

吉田神道はこうした神社・神宮寺・別当寺を傘下に収め 

唯一の神道として習合して、1700年頃のその完成を見ます。

2 神道の葬儀・神葬祭

本編は神社本庁発行の”神葬祭の栞”を参考に、納棺前、枕直しの儀、納棺の儀、通夜祭・遷霊祭の儀、蔡場祭の儀、

蔡場祭の後、霊前蔡の流れを書かせて頂きますが、

地域により相違が御座いますので、実際には神職さまとご相談の上ご施行されるのが良いと思います。

ご納棺の前に行うことは;

 1) まずは神棚と祖霊舎に亡くなった事を奉告し(帰幽)その前面に白紙を貼って神棚を閉じます。

 2) 土地の氏神様に帰幽を奉告しますが、代参を神社に送るか、自宅より礼拝(遥拝)によります。

    又、病気平癒などの祈願をした神社があれば、祈願を解きます。

 3) 葬儀執行の為の斎主(神職)、副斎主、祭員、伶人を委嘱します。

 4) 各祭に必要な進物(幣はく)、食物(神せん)、玉串 その他の数量、程度を相談の上決めます。

 5) 霊璽(仏教の位牌)、墓誌、銘旗、墓標の揮毫を依頼します。

枕直しの儀; 

   ご逝去された故人様のご遺体をご遺体安置の為のお部屋にお移しします。

   ご遺体は北枕で安置し、白布でお顔を覆います。

   枕もとに枕元に枕屏風を立て小さなテーブルを設けて守り刀を置き灯明を点けます。

   守り刀を置く際に刃をご遺体に向けてはなりません。

   そして、ご遺体の前に白木八足のテーブル(案・あん)を設けて 

   故人さまが生前好んだ食べ物(常せん)、洗米・塩・水(生せん)をお供えしてご遺体へ奉仕します。

納棺の儀;

   お棺が届きましたらなるべく早くご遺体を柩にお納めして表座敷(正寝)へお移しします。

   そしてお柩前を装飾し食物(せん)をお供えして拝礼します。

通夜祭・遷霊祭の儀

   通夜祭は故人様の逝去後、蔡場祭(告別式)までの間、

   ご遺体を安置した場所で生前同様の礼を尽くして手厚く奉仕する大切な儀式です。

   通常は蔡場祭の前夜に執り行います。

   遷霊蔡はご出棺(発きゅう)以前に故人様の霊をご霊璽(位牌)に遷し留める儀式で

   ”みたまうつし”とも呼ばれて居ります。

   斎主様により夜間に灯火を消して行うのが正式です。

   霊璽には木主、シャクなどを用いますが、鏡あるいは故人様のご遺品などを当てることもあります。

   霊璽は遷霊の後、お棺の枕元を仮の霊床として安置します。

   霊璽は忌明(五十日祭、百日祭又は一年祭)後、祖零舎に移して家の守護神となります。

蔡場祭の儀(告別式)

   蔡場の設営は棺の前にご遺影を飾り、

   その前の白木の小机をセン案として

   洗米、酒、餅、海魚、川魚、野鳥、海菜、野菜、果物、菓子、塩、水をお供えします。

   更にその前に小机を設けて幣案として、神への贈り物をお供えします。

   そして、その前の机が玉串案とします。

 式の次第は下記となります。

 1) 楽士、参列者、会葬者、関係者が着席。次に副斎主、祭員が着席。最後に喪主、家族、親族が着席。

 2) 斎主が一拝し、一同これにならう。

 3) 祭員がセンを供え、続いて幣を供えます。この間楽を奏します。

 4) 斎主が祝詞を上げます。この間 参列者は軽く頭を下げます。

 5) 故人様を追悼する歌(誄歌、しのびうた)を奉奏。その後に弔辞、弔詩歌、弔電を奏上。

 6) 斎主が玉串拝礼、続いて喪主、家族、親族の順に玉串拝礼を行います。

 7) 参列者、会葬者、関係者が玉串拝礼を行います。

 8) 副斎主以下祭員が幣、センを徹っします。この間楽を奏します。

 9) 斎主一拝し 一同これにならいます。

 10) 一同退出します。

 11) 近親者と関係者により棺を霊柩車にお移しし火葬場へ向かいます。

 火葬に先立つ火葬祭、納骨に先立つ埋葬祭、

 喪主様とご家族がご帰宅された際 霊前に葬儀の終了を奉告する帰家祭により葬儀が全て終了します。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・告別式

通夜式・葬儀式は信仰される宗教の作法に乗っとり、

故人様の霊を弔い、ご遺族様のお心を安らげる為に営まれる儀礼ですが、

告別式は、故人様に別れを告げると共に、社会、そして参列者に故人様のご逝去をご挨拶する式です。

通夜式・葬儀式は宗教家が主導する宗教儀礼ですが、

告別式は喪主様、もしくは施主様(葬儀委員長)が主導する社会儀礼となります。

一般的には葬儀式の後に続けて行われますが、

参列者が多数見込まれる場合は、後日 改めて執り行う事も御座います。

又、無宗教の場合は、葬儀式は行わずに告別式のみを行うケースも御座います。

告別式の代わりにお別れ会と告知される事も御座います。

横浜での海洋散骨

1 告別式の始まり

日本に於きまして最初に告別式が執り行われたのは、明治34年の中江兆民の葬送だと言われて居り、

現在の葬儀式の後に続けて行われ形は昭和時代に入ってから定着しました。

日本で初めて告別式が営まれた中江兆民は明治時代の思想家で、

フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーを日本に紹介し、自由民権運動の理論的指導者として名を知られ、

東洋のルソーとも評されました。

本名は中江篤介(とくすけ)、1847年に土佐藩高知城下で生誕し、

第一回衆議院議員総選挙の当選者の一人でも有ります。

中江兆民は無宗教葬に対するこだわりを強く持って居り、

生前より、”ご”自分が寿命を終えた後は、直ぐに火葬場に送って荼毘に付せ”と遺言して居りました。

しかしながら、その死を悼んだ弟子達により青山葬会場に於いて、

宗教儀礼によらない無宗教葬として、日本で初めての告別式が執り行われました。

現在の告別式は、葬儀式の後、出棺の前に営まれるのが一般的となって居りますが、

東北地方や九州地方など特定の地域では火葬を先に行うケースも御座います。

告別式の流れと致しましては、

施主(葬儀委員長)による式辞、参列代表者の弔辞、弔歌の奉読、弔電の披露、

参列者による故人様への告別(焼香、献花など)が執り行われます。

参列者は喪服、若しくは喪服に準じる服装(学生の場合は制服)を着用するのが慣例とされ、

華美な服装や派手な美粧はタブーとされます。

喪服ではなく”平服でおいで下さい”とお断りする場合も御座います。

2 葬儀・告別式の流れ

仏教式の一般的な葬儀・告別式の流れは 

①一同着席、

②導師入場・開式、

③葬儀式作法(読経・引導、遺族焼香)、

④式辞・弔辞、

⑤読経・焼香、

⑥導師退場・閉式、

⑦一同退場、

⑧お別れの儀、

⑨喪主挨拶、

⑪出棺(霊柩車出発)となり、

①から③までが葬儀式 

④から⑦までが告別式となります。

式場利用時間の都合上、ご遺族による葬儀式と会葬者による告別式が同時進行する場合も御座います。

梅の花

式辞は葬儀委員長(施主)による故人様への弔いの表明であり、

弔辞は会葬者代表による故人様へのお別れの言葉です。

尚、宗派、地域によりましては導師が式辞を述べる場合もあります。

この後に弔電が拝読されます。

ご自宅でご葬儀・告別式が執り行われる場合には式辞・弔辞が省略される場合も御座います。

焼香は、遺族焼香、参列者焼香、そして一般焼香の順に行われますが、

ご焼香の方々が多数にわたる場合は遺族用焼香台、参列者用焼香台、一般用焼香台がそれぞれ別に用意されて 

三カ所の焼香台で並行して焼香を行う場合も御座います。

又、地域によりましては遺族焼香、参列者焼香を指名により行う事も御座います。

これは指名焼香、呼名(こめい)焼香と言われます。

お別れの儀はご遺族や親しい知人の方々が故人様と面会出来る最後の機会です。

最後のお別れをして頂くと共に柩の中にお花を供えてご遺体を飾ります。

又、この際にご遺体と共に火葬する品物もお柩に納めます。

お柩の蓋を覆った後に喪主様よりご挨拶がされ出棺となります。

喪主様に代わってご遺族の代表が挨拶する場合も御座います。

横浜市営斎場、西寺尾斎場で葬儀・告別式を執り行った場合は、

火葬場が併設されて居りますので、ご出棺の後は葬列を組んで徒歩で火葬炉前まで向かう形となります。

葬列はお柩を先頭に、お位牌、ご遺影、ご遺族、親戚、指定された参列者の順に進みます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・葬儀式

葬儀とは人の死を弔う為の一蓮の祭儀であります。

故人様の冥福を祈ると共に、残された人々が故人様の死を心の中で受け止められる様、援助する儀式でもあります。

ご葬儀は人類が地球上に誕生すると共に営まれていたと考えられ、

宗教が文明のなかに生まれる以前の旧石器時代には葬儀が営まれた痕跡を見る事が出来ます。

ご葬儀はそれを営む人々の宗教観と死生観が強く反映される儀礼でもあります。

そして、一蓮の儀礼の中心となる儀礼を仏式では葬儀式、神式では神葬祭、キリスト教では葬儀ミサと呼び、

最っとも厳かに執り行う儀礼です。

葬儀について

1 葬儀式

1)仏教の葬儀式

現代の横浜に於きましてはご葬儀の95%は仏式で営まれて居ります。

これは江戸時代の寺請制度により全て国民が仏教の衆徒であった事の起因します。

浄土真宗及び日蓮宗を除く仏教での葬儀式は授戒と成仏を目的として営まれます。

授戒とは故人様を仏弟子となるべく発心した者とみなして”戒”(戒名)を授けることであり、

成仏とは仏陀(覚れる者)に成るという事(極楽浄土へ往生)です。

尚、浄土真宗では教義上無戒のため授戒はなく、すべての信者は死と共に成仏する(往生成仏)ので、

葬儀式の内容は、仏徳を讃嘆し、故人を偲びつつ報謝のまことをささげる儀式となります。

又、迷信を忌む宗風から、日や方角の吉凶を選ぶ、守り刀、逆さ屏風、左前の死装束、北枕、

六文銭の副葬、振り塩などの習俗は、原則としておこないません。

日蓮宗では法華経を唱える事ですでに戒を得ているとされ授戒は行いません。

榊

2)神道の神葬祭

神葬祭は仏式葬儀とは異なり、亡くなった人を極楽浄土や天国に送るための儀式ではありません。

神葬祭は、亡くなった人が家を守る神様となるように祈るための儀式です。

日本古来、日本特有の宗教である神道では神社は聖域であり、

人の死は穢れとされる事から、神葬祭(葬儀式)は神社以外の場所、

ご自宅若しくは葬斎場で営まなければ成りません。

神葬祭では会場・親族・会葬者を祓い清め、祖霊にお供えをし、祭詞を奏上し、

故人様の生前の業績を述べ遺徳をしのびつつ、祖霊となって遺族を守ってくれるよう願います。

参列者は玉串をささげて、二拝二拍手一拝をおこない故人を偲(しのぶ)びます。

このとき拍手は、音を立てない「しのび手」でおこないます。

百合

3)キリスト教の葬儀ミサ

キリスト教では、信者の死は終わりではなく始まりであるため、

神に故人様の罪を謝罪し許しを請い、永遠の命を授かるように祈る儀式とされます。

葬儀ミサは教会でおこなうのが基本ですが、斎場や自宅で営まれる場合も御座います。

キリスト教では故人様はご逝去と共に天上の神の下に召されるとされますので、

悲しむべきものではなく、祝福されるべきものであり、

ご葬儀のミサは故人様の霊と共に主上に捧げる礼拝となります。

又 通常のミサとの違いは聖書の朗読箇所・聖歌・祈り・説教の内容などが

故人様にあわせて選ばれるということであります。

ミサとあわせるかたちで続けて告別式と葬送が行われます。

告別式では一般的な葬儀と同様に、故人様の紹介、弔辞、弔電の紹介、献花、

遺族代表のあいさつなどが行われます。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・通夜式

ご葬儀で営まれる通夜式は日本古来の習俗であった殯(もがり)を源とし、

その後、仏教の伝来と共に仏式葬儀の儀礼として定着し今日に至って居ります。

今日の日本では仏式の葬儀のみならず、神式はもちろん、キリスト教式でも営まれ事と成りました。

通夜式とは、ご葬儀の前に営む儀礼で仏教では通夜式、神道では通夜祭、

キリスト教では前夜祭とよばれて営まれて居ります。

キリスト教では本来通夜の儀礼は御座いませんが、

日本の習俗に倣いご遺族様のご希望に合わせて前夜祭を営む事となりました。

夕暮れ

1 日本古来の通夜式

仏教伝来以前の日本古代には殯(もがり)と呼ばれる儀礼が営まれて居りました。

殯とは故人様のご逝去後、葬儀(埋葬)までの期間故人様ゆかりの方々が交代で火を灯し寝ずの番をして、

故人様の霊を慰め、悪魔祓いをしたとされます。

その根源は、古代では人の生と死の境目が明確でなかったことから、

殯の期間で故人様の死を確認したと考えられます。

従いまして、殯は現代の通夜一夜とは異なり最低でも数週間は営まれました。

2 仏教の通夜式

仏教に於ける通夜の起源は紀元前383年2月15日満月の夜に北インドのクシナガラで入滅した釈迦を偲んで、

弟子達が釈迦のご遺体を囲んで7日間に渡り釈迦が生涯をかけて説いた説法を弟子達が聞き合った、

との故事に由来します。

仏教の通夜は故人様の成仏を祈るためではなく、

大夜(たいや)と呼ばれる故人様の最後の夜を共に過ごす為に集まった親しい方々が

故人様のご遺体を取り囲み思い出話を語り合う事にありました。

通夜は本来、故人様のご遺体を葬るまでの間”夜を通して”ご遺体をお守りする事にありました。、

しかしながら時代の変化と共に1時間から2時間での通夜式が営まれ、

その後は葬儀式までの間ご遺族により故人様のご遺体をお守りされる様になりました。

現代の横浜市営斎場では消防条例により燈明・線香を夜間に灯し続けることが出来なくなりましたので、

夜を通した儀礼は営まれなくなりつつあります。

3 神道の通夜祭

神道の通夜”通夜祭”は日本古代に営まれた殯を起源として、その後仏教の通夜式と融合して現在の形に至りました。

神道では人の死は穢れたものとされ、聖域である神社で通夜祭・神葬祭(葬儀式)を営むことが許されません。

通夜祭はご自宅か葬斎場で営みます。

通夜祭は故人様のご遺体の安置された場所で生前同様の礼を尽くして手厚く奉仕する大切な儀式です。

そして神葬祭前夜には通夜祭と共に遷霊祭(御霊移し)が営まれます。

キリスト教の葬儀

4 キリスト教の前夜祭

キリスト教では本来仏教の通夜式に該当する儀礼はありませんでした。

しかしながら、仏教の葬送儀礼に親しんで来た日本人信徒からの強い要望を受けて、

日本のカトリック中央協議会は葬儀の前夜に前夜祭と呼ばれるミサを営むべく制定しました。

4)キリスト教の前夜祭

キリスト教では本来仏教の通夜式に該当する儀礼はありませんでした。

しかしながら、仏教の葬送儀礼に親しんで来た日本人信徒からの強い要望を受けて、

日本のカトリック中央協議会は葬儀の前夜に前夜祭と呼ばれるミサを営むべく制定しました。

日没の写真

5 通夜式(通夜祭、前夜祭)参列のマナー

通夜式の本来は、遺族や近親者、そして故人様と特別な関係に有った方が、

夜を通して故人様との別れを惜しむ場で有りますが、

忙しい現代に於きましては、昼間の告別式に参列するのが困難な方々の為に 

通夜式を準備する形ともなって居ります。

いずれのケースに於きましても、通夜に弔問する際に守るべきマナーは以下の通りです。

通夜に弔問する際の服装は、現代の横浜では黒の略礼服を着用するのが一般的となって居りますが、

地味な服装であれば私服でも構いません。

地域によりましては、急な知らせを受けて駆け付けた事を示す為に、通夜では礼服を着用すべきではない、

とする習慣も有り、他地域で通夜に弔問する際には確認される事をお薦めします。

通夜の式場へは開式の10分前位に到着する様にします。

余り早く到着すると ご遺族に不要な気使いをさせる事となります。

故人様への拝礼・焼香を終えた後に勧められる通夜振舞いはお受けするのがマナーです。

通夜振舞いの席は、弔問に対するお礼とお清め、そして故人様の供養の為に設けられて居ります。

誘われた時は遠慮をせずに席に着き、一口でも箸を付けるのがマナーです。

但し、通夜振舞いは宴会の席ではありませんので、

故人様とは関係の無い話で夢中になったり、お酒を飲んで長居をする事は避けます。

退席する際には、周りの人に”お先に失礼します”と述べて静かに退席するのが良いでしょう。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・香と灯明、花立て

横浜市内で営まれる多くのご葬儀は仏教式で執り行われて居ります。

仏式葬儀では仏様、故人様の霊を弔う為の大切な作法として焼香、灯明、お花が御座います。

焼香する為の香炉、灯明を立てる為の燭台(火立てとも言う)、お花を活ける為の花立ては、

仏教の儀礼に必要とされる仏具で、三具足と呼ばれて居ります。

1 三具足

三具足とは、仏教の儀式で使用される仏具の一つで、香炉・燭台(火立)・花立各一つずつで一組となります。

仏具とは、仏教の儀式で使用される特殊な道具や、僧侶などの聖職者が使用する装飾品の事で、

法具・法器とも言います。

仏教では本来、僧侶は生活する上で必要となる最低限の着物と食器(三衣一鉢)

以外の金品の所有は戒律で禁じられて居りました。

しかし、お釈迦さまの死後100年ぐらいから 

信者から寄付された最低限の金銭や日用品の個人所有を認めようとする派が現れ、

従来の戒律を守ろうとする保守派との間で論争が起き、教団は分裂し、

許可派では三衣一鉢以外の金品の個人所有が認められる様に成りました。

更に紀元を過ぎて仏教は中国や西域にも伝播し、僧職者は人々の中で祈祷や葬儀などの儀式を司る様になると共に、

儀式の中で必要となる道具も開発されました。

そして、中国で起きた浄土信仰は、仏教を民衆の間に多きく広め、僧職者を介しての仏への信仰から、

信者自身による仏への信仰へと変化して行き、一般社会の中で定着してゆきました。

それと共に、仏画、数珠、三具足などの仏具を僧職者ではない普通の信者の家庭でも使用する様に成りました。

三具足は、”みつぐそく”又は”さんぐそく”と読み、香炉、火立(燭台)、花立(花瓶)で一組となります。

置き方は、ご本尊に向って、左側に花立、真中に香炉、右側に火立を配置し、左右対象となる様気を付けます。

五具足は、”ごぐそく”と読み、香炉一つと、火立(燭台)一対、花立(花瓶)一対の五つで一組となります。

置き方は、ご本尊に向って、中央に香炉、その両側に火立、更のその外側(両端)に花立を配置し、

左右対象となる様に気を付けます。

尚、浄土真宗では、三具足は金香炉・燭台・花瓶(かひんと発音)と呼び、平時の荘厳作法に使用します、

五具足は特別な荘厳作法で使用し、その配置の仕方も宗派により異なりましゅので、注意が必要です。

具足の名称は鎌倉時代ぐらいから鎧や兜等の身を守る道具の総称として使われ始めましたが、

仏具に何故三具足や五具足の呼称が付けられたかは不明です。

焼香

2 香

香とは、本来は伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)、白檀(びゃくだん)などの香木の香りを言いますが、

その香りを基に、樹木の皮・葉・根などの粉末や芳香を持つ樹脂などを棒状・粉末・液状に成型して生成されます。

1)香の歴史は古くよりあり、紀元前3千年前のメソポタミア文明ではシダーウッドが香木として珍重され、

古代エジプトではキフィと呼ばれる調合された香が重要な輸出品となって居りました。

これらの香りの知識はその後インドを経て中国・日本へと伝えられました。

2)特にインドでは各種の香木を産して居り、酷暑による悪臭を防ぐ為に重要な役割を果たして居り、

インドを発祥とする仏教では、伝教の為の仏像や仏具の原材料として香木が使用され、

仏前で火を灯して香を焚く作法が供養の基本とされる事と成ります。

3)香には、焚いて使用する香(焼香)と、焚かずに身体に塗る香(塗香)が御座います。

焚いて使用する香は;

ー棒状や渦巻型に成型された線香は、砂を盛った皿やホルダーに立てて燃焼させます。

ー粉末状の抹香は香炉に入れた炭火の上に載せて燃焼させます。

尚、仏教国として有名なタイ国では、首都バンコクで香の煙が大気汚染の原因の一つになるとして

自粛要請が出されて居ります。

仏式の葬儀では香を使用します、

よく消臭のためとも言われますが、正しくは香の煙は仏の食物であるとの教えから来ております。

お盆の風習

3 灯明

灯明とは神仏にお供えする灯火をいい、

仏教、神道、キリスト教、何れの宗教でも祭儀の際に重要な役割を担います。

仏教では闇(無明)を照らす智慧の光とされ、大切な供養の一つです。

寺院や神社で灯す灯明の淡い光は仏の慈悲によって人の心を明るくするものとも、

ご先祖が子孫(灯明を灯した人)へ、生きるための光を導き出すある種の道標であるとも言われます。

日本の仏事に於いて、ローソクは欠かす事の出来ない道具となって居り、三具足や五具足の重要な構成要素です。

仏事に於いて、ローソクの色は朱(赤)、金、銀、白の四種類を使い分けます、

朱は法事(年忌法要)、祥月命日、お盆、春秋のお彼岸の時に灯します、

金は結婚式や落慶法要などのお祝の時に灯します、

銀は通夜、葬儀、中陰の時に灯します、

朱・金・銀が用意出来ない場合のみ代用品として白を使用しても良いとされました。

現在では代用品である白を使用する事が一般的となって居ります。

そして、東北地方には花蝋燭よ呼ばれる花を表面に描いたローソクが御座いますが、

これは冬の雪深い中では、仏事の祭壇にお花を供える事が出来ない為、

代りにロウソクにお花を描いて灯した とされます。

キリスト教の祭儀では、ミサの祭壇にはローソクを灯すことが義務付けられて居り、

そして、死者の為の祈祷や復活祭の祈祷では灯りをともしたローソクを手に持って礼拝に参加します。

   今回は以上です。

横浜市民の葬儀・お花に囲まれたお見送り

ご葬儀を営むにあたり、ご葬儀式場の中心に設けられ祭壇には長い歴史と重要な目的が御座います。

古くに始まる人類の歴史のなかでは古くより多くの神が存在しました。

人々は、しばしば人の力を超えた何かを神に願い祈祷が行われました。

その祈祷を行う際に神への奉げ物を配置したものが祭壇の根源です。

その祭壇は、土を盛り上げたもの、石で作られたもの、木を組み立てたもの、

あるいは地面に獣の皮を敷いたものなど多様な祭壇が存在し、多くの遺跡を多くの国で見ることが出来ます。

現存する最大の祭壇は中国北京市にある、明時代に天を祭るために建築された”天壇”と呼ばれる祭壇です。

1 仏式葬儀での祭壇

故人様のお見送りはいくつかの儀礼を営む事によりなされます。

その営む儀礼に合わせて祭壇は設けられます。

現代横浜のご葬儀の多くは仏教により営まれており、他の宗教で営まれる場合も仏教に準拠した形態となります。

故人様がご逝去され、

ご葬儀を待つまでの間、安置されたご遺体の枕元に備えられる”枕飾り壇”、

葬儀式で設けられる葬儀祭壇、

そして、ご火葬の後、四十九日法要までの忌中に白木位牌とご遺骨を安置する”後飾り壇”です。

1)枕飾り壇

枕飾り壇は、故人様が亡くなられ、ご遺体をご自宅に安置した際、枕元に備える供物台です。

供物台の上には、三具足の他故人様にお供えする供え物が置かれます。

三具足の一つ、花立て(花瓶)には樒(しきみ)が一本活けられ、これを一本花と呼びます。

仏教のお花と言えば蓮華ですが、弘法大師が修行の際に青蓮華の代用として樒を使用した事から、

仏事に於ける神聖な植物として樒が使用されて居ります。

神事に於ける榊(さかき)と同じ位置付けです。

樒は日本国内では西日本に自生して居り、香りが強く毒性の強い植物です。

尚、現代の東京・横浜では樒の入手は困難な状態となって居り、

一本花としては樒に代えて菊を一本活けるのが一般的となって居ります。

枕飾り壇の左右にお供えする枕花は、故人様と特に親しかった方が哀悼の意味を込めて贈る花で、

枕飾りと共に枕元にお飾りします。

一般的には白を基調とした生花をアレンジしたものですが、

最近では故人様が好まれたお花を贈る事も多くなりました。

通夜式の服装

2)葬儀祭壇

仏教において葬儀式は故人さまをあの世にお送りする宗教儀式であり、

告別式は故人さまと会葬者の方々のお別れの場であります、

従いまして、祭壇はこの二つの目的を満たすものでなければ成りません。

現在多く見られる白木の祭壇は 

明治時代により華やかと成りました葬列で、お棺は白木の輿に乗せられ、色々なお飾りをして運ばれ、

そのまま葬儀の場に安置されました。

これを原型として戦後に現在の白木祭壇が作られました。

白木祭壇は、上部が宮型で、寺院建築風の装飾がされたもので、仏式葬で主として使用され、

白木祭壇の上にお花を飾り、祭壇の両脇に頂いたご供花を添えます。

現代では宗教儀式もさることながら、故人さまとのお別れを主体にと 

白木祭壇の代りに生花で祭壇を作るケースが増えて参りました。

生花祭壇には飾り方の決まりが有る訳では有りませんので、ご予算とお好みに合わせてデザインする事が出来ます。

故人さまのお好きな花に囲まれたお見送りやフラワーアレンジメントによりましては 

雰囲気の違うご葬儀を執り行う事も可能となります。

3)後飾り壇

後飾り壇とは葬祭儀礼の中で使用される祭壇のひとつで、

ご遺体を火葬した後、墓所にご納骨されるまでの間、御自宅にご遺骨を安置しておく為に設けられる祭壇です。

仏式では四十九日法要までの”中陰”の間に使用される事から中陰壇とも呼ばれます。

後飾り壇に安置されるものは ご遺骨、白木位牌(白木霊璽)、

ご遺影を中心として仏具、若しくは神具とお供え物となりますが、

宗旨、宗派、地域により異なりますので、ご指導頂いた僧職、若しくは神職にご確認下さい。

後飾り壇は、ご遺骨が火葬場からお戻り頂いた時、安置出来る様設営されます。

仏式の祭壇であれば、2段若しくは3段の小机に白布をかけ、上段にご遺骨と白木のお位牌を安置し、

下段の奥に御遺影を置き、その前に三具足(火立て、香炉、花立て)と鈴(りん)を配置します。

香炉を中央に、火立て(燈台)を右奥に、鈴を右前に、花立てを左奥に配置し、

故人様の好物等のお供え物を左前に飾ります。

又、ご葬儀で飾られた生花やお供え物は整理をして後飾り壇の左右にお飾りします。

尚、後飾り壇を設営する場所は、仏間であれば仏壇の前、又は横に、居間であれば床の間などが一般的です。

玉串

神式の後飾り壇は、白木の八脚案(八本の脚のついた台(案))を2段にして祭壇とします。

上段に、ご遺骨 白木の霊璽を安置し、下段奥にご遺影を備え、

その前に洗米・塩・お神酒・榊を収めた花瓶とその他のお供え物を配置します。

キリスト教の葬儀

キリスト教式の後飾り壇の場合、特に定まった決まりは有りませんが、

小机を用意し、その上にご遺骨・ご遺影・燭台・お供え物などを配置します。

   今回は以上です。

▲このページのトップに戻る