吉事次第

 今回は吉事次第について書かせて頂きました。

 

 鎌倉時代に書かれた文献に ”吉事次第” があります。これには 当時の天皇・貴族の間で行われた 葬儀の概略が書かれて居ります。この時代には 蔡事 或いは凶事という言葉が忌み嫌われ 葬儀のことを 吉事  或いは勝事とよんで居りました。

 

 鎌倉時代には 浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗が興されました。貴族階級は没落し、武士階級が興隆し、民衆は厄災に悩まされる事に成ります。日本に於ける 武士や庶民の葬法はこの時代から出来始めて居ります。その基になるのは 中国で編纂された禅宗の葬法で、本来は僧侶の為の葬法ですが それに手を加えて 武家や民衆の葬法と変化して行きました。

 

 吉事次第には 以下のように書かれて居ります。まず人が死ぬと 北枕に直し、衣を上にかけてご遺体を覆い、枕元に屏風を逆さに立て、燈火に火を灯し、葬儀が終わるまで消えない様に守る。香は燈火の火を点けて焚く。夏は酢を容器に入れて 死臭を消す。人々は屏風の外に待機し、僧侶は死者に真言を唱える。

棺は木製で長さ6尺3寸、幅1尺8寸、高さ1尺6寸を標準とする。棺の中には香や土器の粉を敷き詰め、ご遺体が動く事を防ぐと共に、ご遺体から漏れる体液を吸収する事に役立てる。納棺は 褥のままご遺体を納め、その上に梵字を描いた布で覆う。そして 頭、胸、足の三カ所に砂をふりかけ、蓋を閉じて 葬儀に時まで北枕で安置する。葬儀は夜間に執り行い、葬儀後は葬列を組んで 貴所屋(火葬の為の仮屋家)に送り 荼毘に付す。収骨は 焼骨をカメに納めて土砂を加えて 蓋をし 白の皮袋に包む。そのご遺骨は三昧堂に納める。葬儀・火葬が終れば 貴所屋を取り壊し、その後にお墓を作って卒塔婆を建てる。

この当時は葬儀の後 魚鳥などを放して死者の冥福を祈る習慣も有りました。七七日と一周忌の法要は以前から有りましたが、この時代から 三回忌や十三回忌の法要が営まれる様に成りました。

 

   今回は以上です。

葬儀の仏教化

 今回は葬儀の仏教化に付いて書かせて頂きました。

 

 葬儀の仏教化は 平安時代中期以降 聖による 浄土宗・浄土真宗の一般民衆への布教が大きく広がり、その教えである 極楽往生の思想は 葬儀施行の基本概念として確立して行きます。

 

 986年 比叡山に於いて 25名の僧侶が集まり 二十五三昧会と呼ぶ念仏結社が結成されました。その趣旨は 月の15日ごとに衆僧25名は集結して念仏を誦し、極楽往生を願い、善友の契りを結び、臨終の際には相互に扶助して念仏する事を約しました。その中心となったのが 慶慈保胤(よししげやすたね)と恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)でした。その起請には 毎月15日に念仏三昧を修する事、光明真言を誦して 土砂加持を修する事、阿弥陀如来を奉安した往生院を建て 病んだ結衆はそこの移す、病んだ結衆が往生院に移された場合は 二人一組で昼夜なく付添い 一人は看病 一人は念仏を担当する、ひたすら西方極楽浄土を念じ 極楽往生を念ずる、などが決まりとして述べられて居ります。

 

 二十五三昧会が結成される前年の985年に 恵心僧都源信は 極楽往生に関する重要な文章を集めた 仏教書 ”往生要集”を著わしました。その内容は十の章から成り、第一章に 地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説き、第二章に 極楽浄土を説き、第三章に 極楽往生の証拠を書き、第四章以降に 浄土往生の道 念仏の功徳 念仏修行の方法 なによりも優れているものが念仏である などが説かれて居ります。

 

 往来要集は その後の日本文学思想などにも大きな影響を与えると共に 本書は 北宋台州の居士 周文徳により 中国の天台山国清寺に持ち返られ 唐末五代の混乱によって散逸した教法を 中国国内で復活させる機縁となったとされて居ります。  

 

   今回は以上です。

仏教の布教と葬儀

 今回は仏教の布教拡大とその葬儀について書かせて頂きました。

 

 仏教の伝来以来 当初は天皇家、貴族、豪族を中心に布教活動が行われて居りましたが、奈良、平安と時代が進むに連れて、一般民衆へも広がり始め、死者に対する儀礼としての葬儀も 共に形を整え始めました。

 

 奈良時代 僧侶になり出家する為には 官度と言い 官の許可が必要でした。私度と言い 官の許可なく出家する事は禁じられ、民衆に対する布教は禁じられたり、制限されたして居りました。しかし 私度僧が多く現れ始め、寺院に定住せず 諸国を回遊しながら 布教を進め 民衆から ”聖”と呼ばれて慕われ始めると 朝廷も 民間仏教を認めざるを得なくなりました。奈良時代 民間仏教の指導者としてその頂点に立つのが 東大寺の大仏建立に協賛し その後 大僧正となった行基です。行基集団は ”死魂を妖祇す”と言われ、死者の弔いに従事していたと考えられています。行基の弟子集団である志阿彌が火葬の技術を伝え、諸国の三昧聖になったとの伝承もあります。

 

 平安時代中期には 末法思想が広まり 阿弥陀仏の名を唱えて滅罪を願う 浄土信仰が民衆の間に普及し、その僧を念仏聖と呼んで敬いました。平安中期の有名な聖として 市聖と呼ばれた 空也がおります。この空也の集団も火葬に従事していたと考えられて居ります。こうした 民間仏教の拡大は 仏教の民衆化を押し進めると共に 民衆の葬儀の仏教化も進める事と成りました。尚 親鸞も念仏聖であり 聖人と呼ばれました。

 

平安時代の葬儀(念仏)

 今回は平安時代の葬儀に使われたお念仏に付いて書かせて頂きました。

 

 平安時代の葬儀の中では 光明真言、呪願、阿弥陀護摩などが行われて居りました。

 

 光明真言とは 密教の真言(真実の言葉、仏の言葉、呪文)で 願いを仏に直接働きかける事が出来る呪文とされて居ります。その言葉は神秘性を保つ為に 梵字を翻訳せずに 梵音を読誦します。葬儀に於いては 光明真言を108回唱える事により 死者の滅罪を願い、極楽に往生出来る様 仏に願うものです。その梵音と意味する所は;

オン アボキャ ペイロシャノウ

オーム(聖音) 不空なる御方よ 大日如来よ

マカボダラ マニ ハンドマ

偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ

ジンバラ ハラバリタヤ ウン

光明を 放ち給え フーン(聖音)

アボキャは不空成就如来を、ペイロシャノウは大日如来を、マカボダラは阿閣如来を、マニは宝生如来を、ハンドマは阿弥陀如来を指しており、金剛界五仏に対して光明を放つように祈願している真言です。そして その功徳は

  • 過去の一切十悪五逆四重諸罪や、一切の罪障を除減する。
  • 十悪五逆四重諸罪によって 地獄・餓鬼・修羅に生まれ変わった死者に対して、光明を及ぼし諸罪を除き、西方極楽浄土に行かせる。
  • 先世の業の報いによる病人に対し、宿業と病障を除滅する。

光明真言は平安時代に始まり、その後 庶民の間にも広まり現在に至って居ります。

 

 呪願とは 法会や食事の時に 施主の願意を述べて、幸福を祈る事ですが、葬儀では 悪魔を祓い、死者の霊を慰め、極楽浄土に往生する様 祈願する事となります。呪願を執り行う僧侶を呪願師と言います。

 

 阿弥陀護摩は 密教に於いて 阿弥陀如来を本尊とし 無病息災・延命を祈って焚く護摩ですが、死者の減罪にも力が有ると信じられて居りました。

 

   今回は以上です。 

平安時代の葬儀

 今回は平安時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 日本に於ける 仏式の葬儀の形式は 平安時代に出来あがったと考えられて居ります。その典型例として 第66代 一条天皇のご葬儀が語られます。一条天皇は わずか7歳で即位して後 1011年 32歳で崩御されるまで 25年間 在位し 平安王朝文化を花咲かせた天皇です。源氏物語の作者と言われる 紫式部は 一条天皇の中宮であった 彰子(しょうし)の女房として宮中に仕えて居りました。

 

 6月22日 譲位して上皇と成られた天皇は危篤状態となり 正午ごろに崩御。6月25日 宮中に陰陽師が召されて 葬送の日時、入棺の日時、墓所の方向などを占わせる。同日 沐浴をさせ 深夜に入棺。入棺作業には 慶円僧正他数名の僧侶と 公卿数名が奉仕し 皇后・宮さま方により 棺に形代が入れられました。7月8日 葬送 参列の人々は 素服を裁縫して着用、慶円僧正が呪願を行い、院源僧都が導師を務める。出棺には 柩を輿の上に安置し葬列を組んで、通常の出入り口とは異なる 築垣を崩して 道に出 御竈所(火葬場)へ向かい、僧侶立会いの下に荼毘に付されました。7月9日 早朝 荼毘が終了し 会葬者により お骨が拾われ 白壺に納められました。骨壺は円成寺に移され仮安置され、その後 建てられた三昧堂に 7月20日 奉納されました。8月2日と11日に七七の法事を執り行い、翌年の6月22日に一周忌の法事を行い 葬送の行事が終了しました。

 

 以上の中で 危篤状態での念仏による臨終作法、納棺に先立つ沐浴、僧侶も奉仕した納棺作業、近親者による形代の奉納、輿を使用した葬列、荼毘への立会い、収骨、帰宅前の浄め、七七の法事、一周忌の法事等、日本の葬送習俗の原型がこの頃に出来あがったと考えられて居ります。

 

  今回は以上です。

三昧

 今回は三昧(さんまい)に付いて書かせて頂きました。

 

 三昧とは インドに於ける ”サマーディ” が中国を経て日本に伝来する際に変化した仏教用語です。その意味する処は 仏教に於ける 禅定、ヒンドゥー教に於ける瞑想の中で 精神集中が深まり切った状態をさします。日本の仏教の中では 法華三昧や常行三昧が 重要な要素となって居ります。

 

 法華三昧は 天台宗の宗祖最澄により 日本に紹介されました。最澄は 812年 比叡山に 法華三昧堂を建立してその教えを広めました。法華三昧は 比叡山に於ける 朝題目、夕念仏 と言われる日常修行の一つで、法華経を読経する事によって 身を清め、罪障(極楽往生の妨げになるもの)を消滅させることが出来るとの教えによります。これが 民衆に広まる際 法華経を唱えると 死者の霊を清め、減罪し、地獄に落ちる事が無いとの信仰となり、葬儀の中で重んじられる事に成りました。法華三昧堂は 三昧堂、法華堂とも呼ばれます。

 

 常行三昧は 同じく天台宗の修行の一つで 阿弥陀仏の名を唱える(念仏)事により 極楽往生を願うもので有ります。法華三昧の減罪と 常行三昧の成仏が 対となって 信仰を広めたと言われて居ります。常行三昧の修行を行う所は常行三昧堂、阿弥陀堂と呼ばれました。東北今泉の中尊寺金色堂は 常行三昧堂の様式に従って建立されたと言われて居ります。

 

 法華三昧、常行三昧の流行により それを庇護する 天皇家や貴族は法華堂や三昧堂を建立し、死後は そこに納骨をする様になります。その広がりと共に 寺院への納骨が一般化して行ったと考えられます。

 

  今回は以上です。

天皇家の葬儀

 今回は天皇家の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 

 天皇家の葬儀は本来 神式で執り行い土葬とされて居りましたが、2013年11月14日に宮内庁より 今上天皇陛下の崩御の際は 陛下のご希望により ご火葬とする との発表がされ 巷では色々とコメントが出されました。

 

 火葬は仏教の葬法と言われ 仏教の伝来と共に 日本に伝わったと言われ居ります。これは釈尊が火葬された事にちなみます。天皇家は仏教伝来 以前から存在し そのご遺体は土葬にされて居りました。仏教伝来後 天皇家にも仏教に寄衣する方が出始め ご遺体をご火葬する様に成りました。最初にご火葬された天皇は 仏教の信仰に篤かった 第41代の持統天皇で 702年にご火葬とされました。以降 第120代の仁考天皇まで ご火葬が基本となって居りました。そして 幕末に崩御された第121代の孝明天皇以降 土葬に戻されて 現在に至ります。尚 第108代の後水尾天皇から120代の仁考天皇までは 色々な事情から 表向きは伝統の火葬をした事にして 実際には土葬がされました。従いまして 最後にご火葬された天皇陛下は 1617年に崩御された 第107代の後陽成天皇です。

 

 天皇家の葬儀の例として 第56代の清和天皇の葬儀が有ります。平安時代前期の 880年12月4日に崩御されました。天皇は既に出家の身でありましたので 西方に向かい、仏教式に結座し、両手を組み合わせて 崩御されたとあります。その身はそのまま念珠を手にかけて納棺し 即日 火葬にされました。死後 4日目の12月7日に ご遺骨は埋葬され、7日目の12月10日に初七日、翌日より円覚寺にて 四十九日までの間 昼は法華経、夜は光明真言が 延べ50名の僧侶により誦経されました。そして 1月22日に 円覚寺にて 七七日の設斎が執り行われました。

 

   今回は以上です。 

御霊信仰

 今回は御霊信仰について書かせて頂きました。

 

 御霊信仰(ごりょうしんこう)とは 奈良時代に始まる 日本の信仰の一つで 人は死ぬと その魂は霊となり肉体から離れると考えられて居り、恨みを持って死んだり 非業の死を遂げた人の霊は 怨霊となって 特定の人を脅かしたり、天災や疫病をさせると考えられました。この怨霊を鎮めて 御霊とする事により 祟りを免れ、平穏を繁栄を祈念する信仰であります。

 

 史実にもとずく御霊信仰の歴史は ある意味では政争の歴史でもあります。その例で古いものは 775年に 井上内親王が その子供と共に憤死させられ、その祟りにより 夫君であった光仁天皇とその皇太子が病に悩まされた為 777年に 内親王の墓を改葬し 御墓(ごぼ、天皇家の墓)として怨霊を鎮めたとあります。又 平安京への遷都も 皇太子の座を廃され憤死した 早良(さがら)親王の怨霊により 新皇太子が病に侵されたとの 陰陽師の占いによる とされて居ります。

 

 平安時代に入ると貴族階級の中で 陰陽師による 怨霊鎮魂が盛んとなりました。何か事有る度に 怨霊鎮魂の為の 御霊会(ごりょうえ)が営まれて居ります。又 大宰府に左遷され 非業の死を遂げた 菅原道真の怨霊により 親王や天皇が崩御したとの占いから 御霊会を営むと共に 道真公の霊を北野天満宮にお祀りして 霊の鎮魂を図りました。

 

 その後 都市住民の間でも 怨霊への信仰が広まり 大規模な災害や疫病などは 怨霊によるものと考えられて 怨霊を鎮魂する為の御霊会は民間でも営まれる様になり、御霊神社も建立されるように成りました。 

疫病を防ぐ為の御霊信仰で有名な祭としては 毎年 7月1日から30日間 営まれる 京都 八坂神社の祇園祭(祇園御霊会)が御座います。

 

   今回は以上です。

御霊信仰

 今回は御霊信仰について書かせて頂きました。

 

 御霊信仰(ごりょうしんこう)とは 奈良時代に始まる 日本の信仰の一つで 人は死ぬと その魂は霊となり肉体から離れると考えられて居り、恨みを持って死んだり 非業の死を遂げた人の霊は 怨霊となって 特定の人を脅かしたり、天災や疫病をさせると考えられました。この怨霊を鎮めて 御霊とする事により 祟りを免れ、平穏を繁栄を祈念する信仰であります。

 

 史実にもとずく御霊信仰の歴史は ある意味では政争の歴史でもあります。その例で古いものは 775年に 井上内親王が その子供と共に憤死させられ、その祟りにより 夫君であった光仁天皇とその皇太子が病に悩まされた為 777年に 内親王の墓を改葬し 御墓(ごぼ、天皇家の墓)として怨霊を鎮めたとあります。又 平安京への遷都も 皇太子の座を廃され憤死した 早良(さがら)親王の怨霊により 新皇太子が病に侵されたとの 陰陽師の占いによる とされて居ります。

 

 平安時代に入ると貴族階級の中で 陰陽師による 怨霊鎮魂が盛んとなりました。何か事有る度に 怨霊鎮魂の為の 御霊会(ごりょうえ)が営まれて居ります。又 大宰府に左遷され 非業の死を遂げた 菅原道真の怨霊により 親王や天皇が崩御したとの占いから 御霊会を営むと共に 道真公の霊を北野天満宮にお祀りして 霊の鎮魂を図りました。

 

 その後 都市住民の間でも 怨霊への信仰が広まり 大規模な災害や疫病などは 怨霊によるものと考えられて 怨霊を鎮魂する為の御霊会は民間でも営まれる様になり、御霊神社も建立されるように成りました。 

疫病を防ぐ為の御霊信仰で有名な祭としては 毎年 7月1日から30日間 営まれる 京都 八坂神社の祇園祭(祇園御霊会)が御座います。

 

   今回は以上です。

埋葬

 今回は埋葬に付いて書かせて頂きました。

 

 埋葬とは ご遺体を土の中に埋める事を言いますが、必ずしも土中に限らず 地下室や地上の施設に葬る場合も埋葬と表現します。現在の横浜では 100% ご火葬後の埋葬と成っておりますので、ご遺骨を埋葬する事となります。

 

 埋葬の歴史は古く 10万年ほど前のネアンデルタール人の時代には 埋葬が行われていたと考えられて居ります。又 その前の猿人・原人の段階では埋葬は行われていなかったと推定されて居ります。これは 人類が考える力を持ち始め 人の死や死霊などを特別な意識で見始めてから 埋葬と言う行為が始まったと推定されます。そして 埋葬の場所として 墓域が設けられて居たとも推測されます。その後 文明の発展と共に 強力な権力者が誕生し 埋葬行為は権力の象徴へと変化して行きます。

 

 日本に於ける 埋葬では 旧石器時代に属する 北海道の湯の里遺跡で お墓と思われる遺構が発見されて居り、旧石器時代には既に埋葬が行われていたと考えられます。それに続く縄文式時代以降には多くの遺跡で 埋葬行為が確認されて居ります。集落内や貝塚などに墓域が設けられ、土器棺、石棺に納められて 土葬により埋葬されて居ります。埋葬には手足を折り曲げた屈葬と 手足を伸ばした伸展葬が有りますが、この時代は屈葬が一般的でした。又 再葬と呼ばれる埋葬方法も見られます。再葬は 一度 ご遺体を埋葬し 白骨化した後に 改めて骨壺に納めて埋葬し直す方法です。そして 埋葬の形態は 弥生時代、古墳時代と進むにつれ より大掛りなものへ変化して行きます。

 

   今回は以上です。 

もがりの儀式

 今回は”もがりの儀式”に付いて書かせて頂きました。

 

 もがりの儀式とは 日本の古代に貴人が逝去された際に行われた儀礼で、本葬までの間、もがりの為の屋家を建て、ご遺体を棺に納め その屋家に仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を敬い、かつ慰め、死者の復活を願う儀式です。そして 同時に ご遺体の腐敗や白骨化などを確認して、最終的な死の確認をする為の期間でも有りましたので、もがりの期間はかなり長い期間であったと考えられます。中国 隋の書物によれば 倭国・高句麗ではもがりの期間は3年間であったと記録されて居ります。もがりの後にご遺体は埋葬されますが、長いもがりの期間は 大規模な墳墓を整備する為に必要だったとも考えられます。又 この仮屋家は もがりの宮、あるいは喪屋と呼ばれて居りました。 

 

 古事記(712年)によれば もがりの宮の中には 旗持ち役、掃除役、死者に食事を供する役、お米を突く役、泣き役の者達が控え、歌舞により死者の霊を慰めたとあります。このもがりの儀式は 大化の改新以降に発令された薄葬令によって 葬儀の簡素化、墳墓の小型化が進められると共に 仏教の伝来により急速に衰退しました。

 

 もがりの宮は現代でも生きて居り 天皇陛下が崩御された際に仮設される ご遺体安置所をもがりの宮と呼び、皇后・皇太后のご遺体安置所は ひんきゅうと呼ばれます。昭和天皇 崩御の際も 崩御後13日目に ご遺体を納めた柩は御所から皇居内の もがりの宮に移御され、崩御後45日目に行われた 大喪の礼までの間 もがりの宮拝礼の儀などの儀式が行われました。

 

 現代 行われているお通夜は もがりの期間を1日に短縮したものとの説もあります。又 沖縄や台湾で行われている 風葬や洗骨の風習は もがりの儀式の一形態と考えられます。

 

   今回は以上です。

葬儀の起源

 今回も葬儀、特に仏式葬儀の起源に付いて書かせて頂きました。

 

 仏式葬儀に於ける作法はお釈迦さまの葬儀を基本にしているとされて居ります。

ご遺体を洗う湯灌の行事に付きましては原始仏教の時代より ご遺体を棺にお納めする前に 香水で洗浴する事が行われて居りました。又 釈尊は ご遺体に触れた者は体と衣服を洗い、触れなかった者は手足を洗うだけで良いと 教えました。

 

 末期の水とは ご臨終を迎えた人に与える水を指します。筆先、あるいは 新しい綿に水を含ませ唇を湿らせます。これは 釈尊が臨終を迎えた時 水を所望し 従弟であり十大弟子の一人であった 阿難尊者が川の水を汲んで 釈尊に差し上げた事に由来します。釈尊はおいしいと言って水を飲み、この水が釈尊の最後の飲物と成りました。

 

 仏式に於ける死装束は 白の経帷子ですが、これは 巡礼をする際の装束で、巡礼の途上で亡くなられた場合は そのまま火葬、あるいは埋葬された事に由来します。釈尊の場合は 支援者より 金色の衣裳が贈られ、これが死装束と成りました。東南アジアで見られる寝釈迦像が金色で飾られているのは この死装束に由来します。

 

 釈尊は 旅の最後に沙羅双樹の林の中で入滅されました。入滅された時 沙羅双樹の木は白い花を咲かせて供養をしたと言われて居ります。日本の葬儀で良く見られる 紙華花は 沙羅双樹の白い花に由来していると言われて居ります。 

 

 人が亡くなられると 布団を敷き直し 頭を北に向けて安置します。これは 釈尊が沙羅双樹の林の中で入滅された時 頭は北、足は南、顔を西に向けていた事に由来します。これを頭北面西と言い、右脇を下にする寝方を獅子臥の法と言います。

 

 法事の際の食事を”お斎(おとき)”と言いますが、インドでは 僧侶が食事をして良い時間を時食、食事をしてはいけない時間を非時食と言います。この時食が日本に伝わり斎(とき)に変化したと言われて居ります。

 

  今回は以上です。 

葬儀の起源

 今回は葬儀の起源に付いて書かせて頂きました。

 

 葬儀の起源は 非常に古く 4万年以上前のネアンデルタール人の時代と言われて居ります。人類は有史以来 人が亡くなると葬儀を行って来たと言えます。フランスの歴史学者で 死に付いての学問を本格的に開いたと言われる フィリップ・アリエス(1914−1984)は その著書の中で以下の様に書いています。

” 古くより信じられて来た様に、人間は自らが死にゆく事を理解している唯一の動物である、と言う事は、実は確実では有りません。その代り 確かな事は、人間は死者を埋葬する唯一の動物だと言う事です。”

 

 現代の日本では ご葬儀の90%以上が仏式で執り行われて居ります。そういう意味では 仏式の葬儀の起源が 日本の葬儀の起源とも言えます。仏教は釈迦(釈尊)の教えで有りますので、葬儀の作法は 釈尊が係わった葬儀や 釈尊自身の葬儀を基にして作られたと考えられます。釈尊は長い伝道生活の後、自分の死期を悟り、南方のマガダ国から数百人の弟子を連れて北方に向かい最後の旅に出ました。そして 半年後に クシナガラで 80年の生を終えたと言われて居ります。

 

 釈尊の尊父は カビラ城の浄飯王で、病の知らせを受けただちに駈け付け、到着の7日後に崩御されました。

葬儀の準備は釈尊と重臣たちにより行われ、まず たくさんの香料を溶かした汁で王の体を洗い、きれいにふき取ったあと、絹の布で全身を覆い棺に納めました。ご遺体の周りを7つの宝石で荘厳し、棺を台座の上に安置して、香をたいて死者を供養しました。棺を火葬場へ送る際は 尊父の恩義に報いる為、釈尊、弟、子供、従弟の四人で棺を担ぎました。血縁の濃い者が柩を担ぐ習慣は これに由来していると言われて居ります。

 

  今回は以上ですが、次回に釈尊 自らの葬儀に付いて書かせて頂きます。

 

 

葬儀の意味

 今回は葬儀の意味について書かせて頂きました。

 

 葬儀は 故人さまの逝去を弔うために執り行う祭儀ですが、それと共に 残された方々のために執り行う意味合いも強く有ります。残された方々が 故人さまの逝去を どの様に心の中で受け留め、位置付け、そして処理するかを手助けするする為の儀式でも有ります。日本では 宗教が文明の中で作られる前の 旧石器時代には すでに行われていた宗教的儀式とも言えます。


 現代の葬儀では 宗教的係わりが大きな要素となって居ります。葬儀の主体は あくまでも故人さまですが、葬儀の責任は故人さまを見送るご遺族さまであり、執行は僧侶、神職、神父、牧師等の宗教者であり、さらに参列される方々により構成されます。 そして 日本の葬儀では 悲しみの場である事が一般的ですが、他国では死者の新たな門出の祝いとして 明るく見送るケースが多く見られます。


 現在 よく葬儀の形骸化という事が語られますが、葬儀が大切な営みである事に変わりは無く、人の生と死は それぞれ固有の価値を持つものであり、そのご葬儀は 故人さまとご家族にとって固有の大切な営みで御座います。従いまして ご葬儀は如何に在るべきかと言うよりは 故人様・ご遺族が如何に在りたいかを大切にすべきと考えます。形骸化が世の流れであるとすれば それはそれで良しとし、私ども葬儀コーディネーターは 執り行わさせて頂くご葬儀の中に 故人様・ご遺族のご希望を折り込むべく 心せねば成らないと考えて居ります。


 現在の横浜では 核家族化が進み、地域の人々の協力も得難い状態となって参りました、その中で ご葬儀と言う あまりご経験の無い事を執り行うには相談相手として 私ども 葬儀コーディネーターが居ります。私共も 既成の概念に捉われず、ご遺族さまのご要望を勉強させて頂き その実現に向けて努力したいと熱望致して居ります。


   今回は以上です。





 

葬儀と文化

 今回は葬儀と文化に付いて書かせて頂きました。

 

 有史以来 人が亡くなられると葬儀が営まれて参りました。そして その葬儀は 地域、民族、宗教などに根ざした文化と死生観を基に営まれ それぞれの時代の生活文化、精神文化を反映したもので有りました。その意味では 葬儀は 人の生死に係わる総合文化とも言えます。

 

 葬儀文化は その地域で長い歴史を通して人々が培って来たもので有り、多くの人々の知恵によって出来上がって居ります。そこに含まれている意味合いを良く理解し、その精神を大切にする事が必要です。勿論 文化はその時々の時代を反映して出来て居りますので、中には現代にそぐわない儀礼等も含まれますが、古い物と 単純に切り捨てるのでは無く、その儀礼(文化)が なぜ、どの様にして形成されたのかを学ぶ事により 過去の人々が どの様な 習慣、儀礼、文化を大切にし、どの様な価値を生み出したかを知る事が大切ではないでしょうか。

 

 横浜は 古くは小さな漁村と宿場町を擁する地域であり 特別な文化を持つ地方では有りませんでしたが、百数十年前の開港から 多くの人々が集まり現在に至って居ります。その文化は各国、各地域の文化が集合、混在して出来て居ります。又 高齢化、核家族化が大きく進む中では 多様な文化と死生観を持つ人々の都市となり、葬儀文化もより個人化された形に成りつつ有ります。私ども葬儀社も既成概念に捉われず、ご遺族さまの死生観に合わせたご葬儀を企画しなければ成らないと愚考する昨今で御座います。

 

   今回は以上です。 

生命の大切さに見合う葬祭儀礼

 今回は人の命の大切さに見合った葬祭儀礼(葬儀)とはを考えてみました。

 

 人が亡くなるという事は 大切な生命が喪われることです。人の死は 多かれ少なかれ、社会の中で 又周囲の方々のお心の中に危機状況を作り出します。そこで 命に見合う受け留め方が要請されます。葬儀(葬祭儀礼)は 時代や民族や地域の文化にを基に様々な行われ方が有り、又 その文化が持つ死生観によっても 大きく異なります。しかしながら 共通している事は 葬儀は 危機状況を乗り越える為には 手厚い儀礼が必要であると人々に理解され、日常的でない 非日常の特別な事として営まれて来ました。これを制度化、慣習化したものが 弔いの儀礼、葬祭儀礼です。

 故人さまの死を悼んで 人々が集まり 執り行われる葬儀は 集まった人々に 悲しみと人の命の大切さ、生ある人は必ず死ぬべき存在であることを知らしめます。人々は葬儀に接し 故人さまの死の事実に直面し、その事実の大きさから 生の大切さを知り、又 死が終りや無を来すだけのものではないという事を学び取ります。

 葬儀を執り行うと言う事は 人の生と死は 非常に重く、大切なもので有ると言う事を意味します。ご葬儀では 故人さまの生き様に思いをし、ご遺体を大切にし、故人さまに寄せる家族の心、その痛みを思い遣り、そして 会葬に訪れる方々のお心と思い遣りを大切にしなければ成らないと考えます。

 

   今回は以上です。 

悲嘆へのケアー

 今回は前回に続いて悲嘆へのケアーについてもう少し書かせて頂きました。

 

 身近な方が亡くなられ 受ける悲しみの体験は人それぞれに千差万別です。家族分散や核家族化が進み、同じ家族であっても 同じ程度の悲しみを体験するとは限りません、ある方々は 故人さまの死を納得し、それ程 悲しみを感じない一方で、少数の特定の家族だけが深い悲しみに陥る事がよく有ります。どなたが どの様な悲しみを体験しているか 周りの方は良く理解をして差し上げる事は大切です。

 最近では長い看護の末に亡くなるケースも多く見られる様に成りました。この様な場合 ご家族は 医師より早い段階で 死の告知を受け まだ入院中の生ある状態であるにも関わらず、死別の悲嘆に襲われる事も見られる様に成りました。更に 老人ホーム、老人病院、或いは その他の医療機関で長期の療養の末に亡くなられるケースでは ご家族だけではなく、付添いの方や看護師さんにも悲嘆の体験が現れる事が有ります。その他 ご家族より親しいお付き合いをされていたご友人等に 悲嘆現象が出る場合も有ります。ご葬儀・中陰の間は ご家族だけではなく こうした悲しみを体験している方々のお心にも ご配慮が必要ではないでしょうか。

 悲嘆のケアーをされる方が ご家族の死に出会った経験をお持ちであれば、その体験を思い起し、その気持ちを大切にして接する事により 共感を得て 悲しみを和らげる事が出来ます。又 そうした経験が無くとも ご自分を相手の立場に置いて 接する事は非常に良い事ではないでしょうか。

 

   今回は以上です。

死別の悲嘆へのケア―

 今回は死別の悲嘆へのケアーに付いて書かせて頂きました。

 

 故人さまと死別をされ深い悲嘆に暮れて居る方へのケアーにマニアルは有りません。それぞれ個別の状況により大きな違いが御座います。この事を理解した上で 以下の事に注意する必要が御座います。

 

1 ”忘れよう”、”頑張れ”、”しっかりしよう”の言葉はタブーです。

  悲しみの中に居られる方に 悲しい事実を忘れさせるさせる様仕向ける事は 一般的にマイナス効果となります。むしろ悲しい事実を見つめる事が大切です。頑張れやしっかりしようの言葉は 励ましのつもりであっても、悲しみの中の方にとっては大きな負担と成りかねません。むしろ 悲しみの状態を理解し 静かに見守ってあげる事が必要です。

 

2 話を聞いてあげる。

  悲しみの中に居られる方に大切な事は 説教をしたり、助言をしたりする事では無く 同じ目線で その方の想いを聞いてあげる事です。但し 無理に話させる事は 逆効果になる事が有ります。その方が話したい時に、その方の想いを吐き出させ 怒りに対しても遮る事なく その怒りを発散して頂くことが必要です。

 

3 一人にしない。

  悲しみの中では 孤独感が強くなり、周囲へ反感を持つ場合が有ります、そんな状態の時 大切な事は 気を付けて側に居てあげる事です。監視するのではなく、静かに寄り添ってあげる事が必要です。

 

4 悲しみを避けない。

  突然の子供さんの死、不慮の事故による親御様の死などでは 可哀想だから、残酷過ぎるから等の配慮で その死がら遠ざける事も有りますが、これは時として逆効果になり 死の現実をなかなか受け入れられない決果になる事が有ります。辛い現実では有りましても 現実に対面する事は大切です。その決果 不安・悲しみなどが様々な形で現れ 情緒が不安定になったり 落ち着きを失ったり、暴力的になったりしても、周囲の方々は 注意して見守りながら、悲しみを表現させる努力が必要です。

 

5 笑いや休息は不謹慎ではない。

  悲しみにある方が お通夜や葬儀の席で他人の冗談に笑っても、疲れて休息しても 非難してはなりません。悲しみと言うストレスには 笑い、ユーモア、休息は良薬である事を理解すべきです。

 

  今回は以上です。

 

香典と返礼品

 今回は香典と返礼品について書かせて頂きました。

 

 香典とは仏式の葬儀に於いて故人さまの霊前にお供えする金品の事を言い、返礼品とはそれに対するお返し、通夜 参列への御礼、葬儀・告別式への会葬御礼等の品物を指します。

 

 香典は かっては香奠と書き、香を供えると言う意味でした。これが その後 変化して 香を買う代金である 香典になったと言われて居ります。古くは室町時代の武士階級で金銭香典を出した記録が見られます。しかしながら 一般の人々の間では 米や野菜などの食物を香奠として持ち寄る事でした。これは  喪家では故人さまの成仏を願い、贖罪する為のお布施として 人々に食事を振舞いますが、この食材の用意を手助けする為のものでありました。その後 貨幣制度の変化と共に 明治以降 金銭香典が一般的となって参りました。従いまして 香典は 故人さまへのお供えと、喪家への相互扶助という二つの目的を持って居ります。極く最近まで ご自分の家で葬儀を出した際は 香典帳を保存しておき、他家の葬儀のさいは 頂いた香典と同額をおくると言う事が行われて居りました。

 

 返礼品とは 供養品とも言い 他者に布施をする事により 仏様に徳を積み これを故人さまへ振り向ける事です。古くは 葬列などで 籠に菓子や小銭など入れて 見送りの人々へ撒いたりもしました。現在の返礼品としましては 通夜返礼品・会葬返礼品・香典返し・法事返礼品が有ります。

 通夜返礼品; 通夜に弔問頂いた方で 通夜振る舞いに出ないで帰る方への返礼品です。しかしながら 最近では全ての弔問客へお渡しする事が多くなりました。500円前後のハンカチ等が一般的です。

 会葬返礼品; 葬儀・告別式に会葬頂いた方への返礼品です。通夜返礼品と同じく 500円前後の品物が一般的です。

 香典返し;  頂いた香典の50−30%程度の品物をお返しします。香典返しには 即返しと 忌明け返しが御座いますが、横浜では 即返しが一般的です。3000円前後の品物を用意し 香典を頂いた方へ式場受付でお渡しします。

 法事返礼品; 四十九日や一周忌の法要の際 引き物として用意します。

 

  今回は以上です。    

献花

 今回は献花について書かせて頂きました。

 

 献花とは 無宗教葬のお別れ会、キリスト教葬、香を使用出来ないホテルでの葬儀等で 故人さまをお見送りする際に捧げるお花を指します。ご遺体にお花を捧げる習慣は非常に古くから有り、イラク北部で発見された シャニダール遺跡で ネアンデルタール人のご遺骸の周りで 洞窟内では咲くはずの無い 花の花粉が見つかり 数万年前の亜人類にも 死者を葬る習慣があり、葬られたご遺体に お花を捧げたのではないかと 推測されております。

 

 キリスト教葬における献花は 白のカーネーションで行われるのが一般的ですが、これは日本だけの習慣で、仏教葬の焼香の変わる行為と言われて居ります。海外では お柩にお花を捧げる習慣は有りますが、ご葬儀でお花を捧げる習慣は有りません。ご献花を捧げる作法として決められた形は有りません、 その教会により異なりますが、参列者は各自一輪の花を持ち、一人ずつ式場の前に進み、お柩やご遺影の前に置かれたテーブルの上にお花を置いて、故人さまに拝礼をして席に戻ります。お花の置き方は お花をお棺に向けて置く場合と、茎の部分をお棺に向けて置く場合とが御座いますが、前の方と同じ方法で置かれるのが良いでしょう。又 お花は教会の入り口で会場に入る際に渡される場合と、献花の前に介添いの方より渡される場合が有ります。

 

 無宗教葬の場合や、仏教葬でもホテルで執り行う場合は焼香が出来ない為、献花を行います。献花に使用する花は @ 一輪咲き、A 茎がしっかりしてる、B 持ちやすい長さがある、C 白色の品種がある の条件を満たす花であれば良いのですが、トゲを持つ花は避けます。但し 今後は世の変化と共に変わって行くかもしれません。お花の置き方に付きましては 特に決められた作法は御座いませんので、前の方に従うのが良いと思われます。

 

   今回は以上です。 

 

焼香

 今回は焼香について書かせて頂きました。

 

 ご葬儀等に於きまして 故人さまとの告別をされる際に 仏教葬儀ではご焼香が、キリスト教でが献花が、神葬祭では玉串奉納が一般的です。そして 仏教葬儀でも ご宗派によりご焼香の仕方が異なります。又 キリスト教でも カソリック教会やルーテル教会では焼香を行う場合が御座います。

 

 焼香には 線香焼香と抹香焼香が有ります。線香焼香は日常のお参りに用いられ、通常は”線香を上げる”と言はれます。抹香焼香は香(抹香)を香炉に落として焚くもので、通夜・葬儀・法要などで用いられます。一般的には この抹香焼香のことを焼香と呼んで居ります。焼香は 心と身体の穢れを取り除き、清浄な心でお参りする際の作法とされ、左手に数珠をかけ、右手の親指・人指し指・中指の三指で香をつまみ香炉に落としますが、その作法は宗派により異なります。

 真言宗; 焼香3回、線香も3本立てます。仏・法・僧の三宝に捧げ、身・口・意の三業を清め、三毒の煩悩(貧り・いかり・愚痴)をなくして 心の静寂を求めることができる功徳が有るとされて居ります。

 曹洞宗; 焼香2回、線香は1本を立てます。(線香を3本 横に並べて立てる場合も有ります、立てる順は右・左・中央とします) 焼香は まず右手で抹香を取り 軽く額に押し戴いて 香炉に焚きます、次に 抹香を押し戴かずに香炉に焚きます。初めに焚く香を主香、次に焚く香を従香と言います。

 浄土真宗本願寺派; 焼香1回、線香は立てずに寝かせます。焼香では香を押し戴きません。

 真宗大谷派; 焼香2回、線香は立てずに寝かせます。焼香では香を押し戴きません。

 浄土宗; 焼香1−3回、線香1−3本を立てる、回数は特に拘らない。

 日蓮宗; 焼香3回、線香は1本を立てます。

 天台宗; 回数について特に定めは有りません。

 臨済宗; 回数に拘りません。

 

ご焼香の際に 葬儀の宗派に合わせるべきかとの問合せをお受けする事が御座いますが 信教の自由と言う観点から考えますと、ご会葬者の方のお気持ちに従って頂くの良いのではないかと考えます。

 

   今回は以上です。 

火葬

 今回はご火葬に付いて書かせて頂きました。

 

 ご火葬とは 葬送の手段の一つとして ご遺体を焼却する事です。ご火葬後の焼骨は 骨壺に収骨し ご納骨されます。ご火葬の事を 仏教の用語では 荼毘(だび)に付す と言います。荼毘とは火葬を意味する梵語で お釈迦さまが 入滅後 火葬に付された事に由来します。

 

 横浜市営の斎場は原則 式場と火葬場は併設されて居り、式場でのお別れが終りますと お柩は台車にお乗せして 火葬炉前にお運びします。ご火葬の前に 小机の上に ご遺影と白木のご位牌を飾り、ご僧侶による読経と参列の方々による焼香を行い、ご火葬となります。又 故人さまとの最後のお別れも可能です。ご火葬には一時間から一時間半が必要と成ります。 ご火葬の間 参列者の方々は控室でお休み頂く事に成りますが、昨今では葬儀の際に初七日も合わせて執り行う事が多くなりましたので、その場合は 控室に お斎の席を設ける事も出来ます。


 ご遺体の火葬が終りましたら 収骨(骨上げ)となります。ご遺族によるご収骨は 日本独特の儀礼で 欧米では焼骨が粉に成るまで火葬しますが、日本では焼骨がきれいに残る様 火葬する事が大切とされて居ります。収骨は 古くは 一人の人がご遺骨を 竹又は木の箸で持ち、順に次の人に渡して 骨壺に入れる形でしたが、現在では 二人一組で ご遺骨を拾い、骨壺にお納めします。地域により 使う箸の種類、焼骨を拾う順番、収骨の部位等 色々な作法が御座いますが、横浜では 火葬場の担当者の指示に従い二人一組でのご収骨が一般的です。


 箸渡しは 箸と橋の音読みが同じ事から 故人様をこの世から あの世へ三途の川の橋渡しをお手伝いするとの思いから来ていると言われて居ります。何れにしろ 皆で送って上げようとの 気持ちの表れかと思います。

尚 分骨をされる場合は 事前に申し出て 容器を用意して置く必要が御座います。


   今回は以上です。

供花

 今回はご供花に付いて書かせて頂きました。

 

 ご供花は きょうか、又は くげ と読み、仏様や故人様へ供えるお花の事を指します。ご葬儀の際は主祭壇の両脇や式場の両脇のお供えします。ご葬儀の前に ご供花をお受けするか否か、香典・供物・花輪等と共にご方針を決める必要が有ります。又 花輪等の場合は斎場の意向でお飾り出来ない場合も御座います。更に生花祭壇をお使いの場合は 全体の飾り付けを考えてお受けしなければ成りませんので お受けするお花屋さんは一本化した方が良いでしょう。ご供花に付けるご芳名板も ご供花 一基毎に付けるのが一般的ですが、ご供花が多数に渡る場合や 序列を付けたくない場合、又 その他の理由で ご芳名を一括してアイウエオ順に記す方法等も有ります。

 

 現在では 家族葬や極近しい方々だけで執り行う小さなご葬儀が多くなりました。この様なご葬儀では従来の考え方に捉われず、故人さまを取り囲んでのお見送り等 ご遺族さまのご希望に沿った葬儀式も少なく有りません、当然にご供花の受け方や お供えの仕方もそれに合わせる事が出来ます。又 従来の 白を中心とした茎のしっかりした花だけには拘らず、故人さまのお好きだったお花や、ご遺族様のお好みのお花を ご供花としてお請けする事も多く成りました。

 

  今回は以上です。

通夜

 今回は通夜に付いて書かせて頂きました。

 

 通夜は 故人さまとの別れの最後の夜と言う事で、故人さまと親しかった方が 故人さまを取り囲み、故人さまの思い出話を通して、語り合う夜の事です。ご遺族や身近な方々にとりましては 故人さまのご逝去はまだ 受入れ難く、夜を徹して 故人さまの周りに侍り、ご生前と同じよう仕えて、最後に過ごす大切な時間でも有ります。起源は お釈迦さまの入滅後、その死を悲しんだ弟子たちが ご遺体を見守りながら夜を通して お釈迦さまが生涯をかけて説いた お説法を弟子たちが互いに聞かせあったとの故事によります。


 現代のお通夜では 故人さまがご逝去されてから 斎場・火葬炉の空状況、ご遺族のご都合等を考慮し、ご予定を決めますが、ご逝去から葬儀まで数日の間が有ります。従いまして ご逝去の夜はご自宅で仮通夜、葬儀の前日を斎場で本通夜とする形がほとんどです。本通夜は 夜の6時から7時の一時間くらいを 僧侶の読経、弔問客によるご焼香にあて、その後 弔問客に対して通夜振る舞いのお酒と食事を供して 一時間から二時間で順次散会し、その後はご遺族や極く親しい方のみで 故人さまを見守るというのが一般的です。又 昨今は お仕事のご都合から会葬者の方々は 昼間のご葬儀よりも 夜間のお通夜のみに参列されるケースが多く見られ、通夜の参列者が多くなる傾向に有ります。


 尚 横浜市営の斎場では 5名程度まで宿箔が可能です。又 通夜ではロウソクと線香の火を絶やしてならないとの俗言が有ります これはご遺体の保全が十分に出来なかった時代にご遺体の腐臭を消す為に必要だったと考えられますが、現在ではドライアイス等によりご遺体の保全は問題御座いませんので 不要と成りました。市営斎場でも 火災予防の観点から 夜間は火気厳禁となって居ります。これは余談ですが 夜間に線香を絶やさない為の 蚊取り線香型の線香が御座いますが、これは 江戸時代の線香屋さんがか発明したものです。


  今回は以上です。

ご自宅での葬儀

 今回はご自宅で葬儀を行う場合の要点に付いて書かせて頂きました。

 

 最近の横浜では少なくなりましたが ご自宅で葬儀を執り行う場合の注意事項は以下の様に成ります。

 

お部屋の準備と動線の確認;

 式場とする部屋、飲食の接待をする部屋、近親者・僧侶の控え室、会葬者の待機する場所などを 会葬者の流れを考えながら、道路から室内までを含めて配置を決めます。この配置を五線紙に書き込み、見取り図として用意し、関係者に説明します。又 これを基に隣家の了解を取り付けます。

 

整理と清掃;

 決められた動線に従い 動線に支障が無い様 物を動かし、室内、通路、庭、玄関、自宅前の道路を清掃します。

 

駐車スペースの用意;

 ご会葬者が車で来られる事を前提に 近隣の駐車場スペースを用意したり、一時的な路上スペースを確保する為 近隣の方の了解を得ると共に警察署へ届を出して許可を得ます。交通整理が必要であれば警察官の出動もお願いします。

 

案内標識;

 地元に不案内なご会葬の方の為に 最寄駅、最寄バス停、曲り角に案内板を設営します。

 

受付の設営;

 受付は 記帳、香典預かりの場所ですが、机・椅子・テントなどを設営すると共に 手荷物の一時預かり所も用意します。道路も使用しなければならない場合は 所轄警察署の許可も得ておきます。

 

その他;

 履物を脱いで会葬をお願いする場合は 下駄箱、簀の子、預かり札等を用意します。

 門前、玄関の足元が暗い場合は照明を用意します。

 夏場の場合は冷房、扇風機 冬場の場合は暖房器具 雨の場合はテント、傘なども用意します。

 照明器具など 電気の使用料も増えます、式中の停電など起こらぬ様、電気容量の確認もする必要が有ります。

 

   今回は以上です。  

四華、忌中札

 今回は四華と忌中札に付いて書かせて頂きました。

 

 四華とは 四華花、死華、死花等とも書かれ シカ 或いはシカバナと読みます、仏の説法などの際 瑞兆として天から降るとと言われる 四種類の蓮の花を指します。白蓮華・大白蓮華・紅蓮華・大紅蓮華の四種類で、葬送の際 柩の四方に立てます。忌中札は喪家の玄関に忌中の札を掲げ、死穢を他に及ぼさない為の告知です。

 

 四華花は 葬具の一つで、白い紙に細かく切れ目を入れ その紙を細い棒に撒きつけて作ります。その由来は お釈迦さまが亡くなられた時、沙羅双樹が真っ白な花を咲かせ、そのご遺体を白い花びらで覆い尽くしたとの故事によります。又 お釈迦さまの最後の説法は沙羅双樹の下で行われましたが、この最後の説法の後 涅槃(ねはん、悟りの境地)に入られた事から、四華花は 故人さまが涅槃に入った事を表すとも言われて居ります。以前は 近親者が悲しみを表す四華花を持って 葬列に加わわりましたが、葬列を組むことが少なく成りました 横浜などでは 四華花を供える習慣はほとんど残って居りません。

 

 忌中札は 忌中である事を周りの方々に知って頂く為に貼り出す札です。かっては 裏返したすだれを玄関表にかけ そのすだれに半紙に書いた忌中札を貼り出しました。死を穢れとして扱っていた時代には 穢れを他に及ぼさない様、家に籠っています との意思表示でもありました。又 忌中札には通夜・葬儀・告別式の時間等も書かれて居りましたが、横浜・東京等では 葬儀の式場は自宅で執り行うよりも 斎場等を利用する事が多くなり、空き巣などの犯罪が増加している現在では 留守の時間を知らしめる事にも成りかねず、忌中札を見る事は少なく成りました。

 

   今回は以上です。

 

 

 

 

守り刀、逆さ屏風

 今回はご遺体を安置する際に行われる守り刀、逆さ屏風について書かせて頂きました。

 

 仏教に於ける守り刀や逆さ屏風などの風習は 亡くなられた故人さまの霊を守る為や 死後の世界は現世とは逆の世界であるとの意味を示したものです。

 

 守り刀とは 本来 武士階級で男子が誕生した際 誕生した子の生涯を守る刀として作り与え、逝去の際にはその枕元を守る為に置かれました。それが時代と共に変化し、一般庶民の間でも 亡くなられた方を魔物から守る魔除けとして ご自宅に安置されたご遺体の枕元、或いは胸元に刃物を置く様に成りました。使われ刃物は 刀とは限らず 地域によりましては 鋏や鎌などを守り刀として置く場合も有ります。守り刀を置く場合は 刃先が故人さまの顔に向かない様、必ず足元に向く様に於きます。現代では 法律上や火葬炉内に金属を持ち込めない等の事情から、本物は使用せず 葬儀専用の模造品を使用するのが一般的と成りました。尚 浄土真宗などの宗派によりましては守り刀は使用致しません。

 

 日本の仏教に於きましては 葬儀の事を 逆さ事などとも呼びます、即ち 日常生活とは逆の事を行うと言う事です。悪霊が故人さまの霊に取り付かぬ様、ご遺体の周りに屏風を巡らせますが、逆さに置かねば成りません。死出の旅路に着る経帷子は 左前にお着せしなければ成りません。着物の帯は立て結びに結び、足袋は左右反対に履かせます。故人さまのお体を清める為の湯灌に使用するぬるま湯は 逆さ湯と言い 水にお湯を注いで適温を作ります。逆さ事は 故人さまのご逝去は 日常生活とは正反対の悲しい出来事と捉える考え方も御座います。

 

   今回は以上です。

祭壇

 今回は祭壇に付いて書かせて頂きました。

 

 祭壇は 神、仏、精霊、や死者などに 犠牲や供物を捧げる為の壇を指します。仏教に於ける祭壇としては 仏像を安置する為の須弥壇、ご家庭内に置かれる仏壇は常設の祭壇であり、仮設の祭壇としては 葬祭儀礼用の葬儀壇、四十九日までの間 置かれる中陰壇、お盆の時期に設置される精霊棚(盆棚)等があります。

 

 仏教の葬祭儀礼に於ける祭壇は 儀礼により目的が異なります。葬儀の目的は 御仏を供養し それによって得られた功徳を故人さまに振り向けて頂くことに有ります、従いまして祭壇は仏様の為に設けられます。告別式の場合は 故人さまとご遺族や会葬者の方々とのお別れが主体と成りますので 祭壇は故人さまの為に設けられます。しかしながら 昨今の事情では 葬儀と告別式を個別に行う事は少なくなり、同時に執り行われる様に成り 祭壇も二つの目的を持つように成りました。

 

 江戸時代では 柩の前に野机と呼ばれる小机を置き、白布で覆い、灯明・香炉・花立て・位牌・供物を置き、両側に供花を添えて祭壇として居りました。明治に入りましてから 葬列がより盛大となり 柩を運ぶ白木の輿に色々な装飾がされる様に成り、戦後 この白木の輿が二段、三段となって 白木祭壇が祭壇の主流と成りました。戦後の葬祭儀礼は 葬儀よりも告別式が中心と成り 立派な祭壇を飾る事が故人さまを弔う事に成るとの考えが生まれ、祭壇はより大きなものへと変わりました。又 故人さまを より中心として弔う為に 故人さまの愛用品を祭壇に飾ったり、故人さまの人柄に合わせた生花祭壇を設ける事が流行とも成りつつあります。

 

   今回は以上です。

 

遺影写真

 今回は遺影写真に付いて書かせて頂きました。

 

 ご遺影とは ご逝去された故人さまを偲ぶ為に 作成した写真もしくは肖像画を指し、ご葬儀の祭壇に飾られ、その後 ご自宅の床の間、或いは仏間の長押に代々のご先祖様と共に飾られます。一般的には 胸から上の肖像で 写真の場合は 四つ切と呼ばれるサイズに引き延ばしますが、社葬や団体葬など 大規模な葬儀の場合はさらに大きく引き延ばして飾ります。以前は着物、或いはモーニングを着用したモノクロの写真を 黒縁の額に納めて飾られましたが、葬儀会場を明るく、温かい印象でなどのご希望から、最近では 普段の生活や旅行の記念写真から選んだカラー写真で黒色以外の額縁を使用する例が多くなりました。ご遺影の発祥や考案者は不明ですが、昭和の初期には 祭壇の中心にご遺影を飾る形が出来あがって居りました。

 

 本来は 故人さまがご自分で 気にいった写真をお選び頂くのが良いのですが、突然のご逝去や、事前に用意する事をお好みでない場合などでは 色々な集合写真の中から ご遺族がお選び頂く事となります。この集合写真から故人さまだけを抜き出し、背景を変えて作成する事に成りますが、現在の画像加工技術は非常に優れており 小さな原写真でもあまり問題は御座いません。又 着衣の着せ替え等も可能と成りました。

 

 現在では写真のご遺影だけではなく、電飾写真や液晶遺影なども使われる様に成りました。又 お別れ会などではモーションポートレートやライブポートレートのような動画もご遺影として使われると予想されます。


 尚 米国などの海外では まだ土葬が主流であり、ご遺体の保存技術も発達している事、及び宗教の関係からご遺影写真を飾る習慣は有りません。


  今回は以上です。 

ご遺体の保全

 今回はご遺体の保全に付いて書かせて頂きました。

 

 人間や動物の肉体は死後 体内にある自己溶解酵素、及び体の内外に棲息する微生物などによって、細胞は急速に分解を始め(腐敗)、さらに ハエの幼虫など 死肉食性の昆虫の摂食活動により速やかに損壊されます。又 ご遺体から浸出す体液・腐敗汁などの汚染による感染症の危険もあります。これらを防ぐ為に ご遺体の衛生保全(エンバーミング)や 腐敗の進行を遅延させる為のドライアイス使用などを行います。日本国内の法律では 医師による死亡の判定から24時間以内のご火葬は許されて居りません(死亡原因が感染症である場合を除く)、又 火葬炉の空状況によりましては 更に数日間 ご遺体を保全する必要が有り、この間は一般的にドライアイスによる腐敗防止を、ご遺体を遠方に移送したり 何らかの事情で長期間 保全する必要が有る場合は遺体衛生保全(エンバーミング)を施す必要が御座います。

 

 ドライアイスは 皮膚に直に当てますと皮膚が傷つきますので、タオルなどでくるんで使用します。胃や腸の腐敗は早く、腐敗ガスを発生させますので 側頭部と胸から腹部を中心としてドライアイスを当てます。通常は10Kgで24時間 保全が可能ですが、夏場の暑い時などは量を増やしたり、交換の頻度を上げたりして調節する必要が御座います。又 ドライアイスは直下にしか効きませんので、ご遺体の上に置くかたちとなります。

 

   今回は以上です。

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