イスラム教

 今回はイスラム教に付いて書かせて頂きました。

 

 イスラム教とは 世界3大宗教の一つで アラビア語圏を中心に11億5千万人(16億人とも言われます)の信徒を持ち、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフと呼ばれる)を信仰し、神がこの世に送った最後の預言者 ムハンマドを通して人々に下されたクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教です。ユダヤ教、キリスト教と同じアブラハムの宗教の一つであります。

 

 アラビア語では 神に帰依する事をイスラームといい、神に帰依する者(イスラム教徒)をムスリムと呼びます。日本を含む漢字文化圏では イスラム教を回教、イスラム教徒を回教徒とも呼ばれて居ります。その教えの特色は 偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる事に有ります。

 

 イスラム教は 西暦610年頃 預言者ムハンマドは アラビア半島の紅海側に位置する メッカ郊外で 天使ジブリールより 唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたとして イスラム教を始めました。その後 後援者であった叔父の他界とともに迫害を受け、同じアラビア半島のメディナに逃れ、周囲のユダヤ人との争いに勝利し、周囲のアラブ人たちを支配下に収めて、勢力圏を広げてゆきます。勢力圏の拡大と共に クルアーン(コーラン)に書かれた内容も 色々な解釈が生まれ、多くの派へと分かれて行きました。大きくは スンニ派とシーア派ですが、夫々の派の中にも多くの学派が存在します。

 

 イスラム教の信仰の根幹は 6っの信仰箇条(6信)と、5っの信仰行為(5行)から成ります。

6信とは; 

1 神(アッラ−)、 2 天使(マラーイカ)、 3 啓典(クトゥブ)、 4 使徒(ルスル)、 5 来世(アーヒラ)、 6 定命(カダル)ですが  特に 神と使徒 が重要で、アッラ−が唯一の神で有る事と、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる事です。

5行とは;

1 信仰告白(シャハーダ)、 2 礼拝(サラー)、 3 喜捨(ザカート)、 4 断食(サウム)、 5 巡礼(ハッジ)、  ですが 特定の教派では 奮闘努力(ジハード)を加えた6行として過激な活動を行うケースも有ります。

 

 尚 日本に於けるモスレムの総数は 数千から数万と言われ、明確な数字は不明ですが、何れにしろ5万人以下と推定されます。

 

   今回は以上です。

諸教

 今回は諸教に付いて書かせて頂きました。

 

 諸教とは 日本に於ける宗教団体の現況は文化庁により調査され、宗教年鑑として報告されて居りますが、その中では 神道系、仏教系、キリスト教系、そして 前3系に属さない諸教の 4系統に分類されてまとめられて居ります。平成23年12月末現在 諸教としては 包括宗教団体として 36団体が登録されております。その主な団体としては 天理教、円応教、生長の家、世界救世教、パーフェクトリバティ教団(略称 PL教団)などが御座います。

 

1 天理教(てんりきょう)

  1838年(天保9年) 大和国山辺郡(奈良県天理市)にて 中山みき に天啓が下り、みきを教祖として、”陽気ぐらし” という世界の実現を目指して立教されました。天理王命(てんりおうのみこと)を神とする 一神教で、”みかぐらうた” ”おふでさき” ”おさしず” を啓示の書、原典とします。奈良県天理市に教会本部を持ちます。

 

2 円応教(えんのうきょう)

  1919年7月 大阪市に於いて 深田千代子は天啓を受け 奇蹟霊験を現し、”神の使いしめに生まれ、世の中の道具になる”という教義の元に宗教活動を開始し教祖となります。その後 千代子の長男により 1948年 千代子の法名より円応を取り出し、円応教として設立され、1952年に宗教法人として認可されました。現在の本部は教祖生誕の地 兵庫県丹波市に有ります。

 

3 生長の家(せいちょうのいえ)

  1929年12月13日 創始者 谷口雅春は 深夜 瞑想中に ”今起て!” と神から啓示を受け、1930年に修身書として 雑誌 ”生長の家” を1000部自費出版した事を始まりとします。現在 本部を東京都渋谷区、総本山を長崎県西海市に持ちます。

 

4 世界救世教(せかいきゅうせいきょう)

  1935年 教派神道系 大木の幹部だった 岡田茂吉により立教された新宗教系の教団。物質文明に対し、宗教を土台とする精神文明を実現することを説き、自然農法による農法を推進する事、芸術活動を行うよう薦めました。国内3ヶ所 神奈川県箱根町強羅、静岡県熱海市、京都府嵯峨野に聖地を定めました。

 

5 パーフェクトリバティ教団(PL教団)

  1946年 御木徳近により ”人生は芸術である” に始まるPL処世訓21ヶ条と共に立教を宣言したことにより始まります。PLは 完全な自由 を意味します。現在 教団本部は 大阪府富田林市にあります。

 

   今回は以上です。

日本のキリスト教

 今回は日本に於けるキリスト教に付いて書かせて頂きました。

 

 キリスト教の日本への伝来は 史実により確認されて居りますのは 1549年の カトリックの司祭 イエズス会のフランシスコ・ザビエルらによる布教活動です。この時期 キリスト教は織田信長の後援を受け、九州から西日本を中心に多くの信者を獲得しましたが、江戸、明治、大正、昭和前半と迫害や制約を受け、自由な布教が出来る様に成りましたのは 第二次世界大戦後となります。尚 未確認の説としては 5世紀頃 中国では景教と呼ばれていた ネストリウス派キリスト教が 秦河勝らによって日本に伝えられたとする説が御座います。

 

 キリスト教は 日本伝来後 耶蘇教(やそきょう)と呼ばれ(耶蘇はラテン語 Jesusの中国音訳 耶蘇の音読み)、キリスト教徒を切支丹(きりしたん)、宣教師を伴天連(ばてれん)と呼び、信長、秀吉の保護を得て 大きな広がりを見せました。しかしながら その後 キリシタン大名による 神道徒や仏教徒への迫害や、ポルトガル商人による日本人の人身売買などから 1587年 バテレン追放令が出され 布教活動への制限が始まります。更に江戸時代 1612年禁教令が出されて 教会の破壊と布教の禁止が発令されました。1637年の島原の乱がおこる事により 宗教団体が政治勢力となる事を恐れた幕府は 1639年 鎖国令を発布すると共に キリスト教徒の根絶やしに乗り出し、以後 信徒は地下にもぐり,潜伏キリシタンとして 信仰を守ることとなります。

 

 明治維新後 日本政府は欧米諸国からの強い抗議を受けて、1873年 キリスト教禁制を徹廃します。カトリック、プロテスタント、正教会は日本へ宣教師を派遣して 教会や伝道所を立てて宣教に努めます。又 社会実践として 学校(ミッションスクール)や病院を設立して 活動を行いました。正教会はロシアからの援助により 東京神田に 大聖堂・ニコライ堂を建設しました。しかしながら 総じて 日本政府の神道崇拝との間で十分な宣教活動が出来たとは言えませんでした。

 

 戦後 GHQの意向により存続した 日本基督教団、教団より訣別したプロテスタント各派、正教会、そして 異端とされる 未日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、エホバの証人などが活動して居ります。

 

   今回は以上です。

 

 

キリスト教

 今回はキリスト教に付いて書かせて頂きました。

 

 キリスト教は 紀元前4世紀にローマ帝国のナザレ(現在はイスラエル国内)に生まれたイエスは ユダヤ教を批判し、ローマ帝国皇帝により十字架刑に処せられます。その後 イエスの弟子達により紀元1世紀 初期キリスト教として独立します、その後 何度か弾圧を受けながら、4世紀 コンスタンティヌス1世により公認され、更に国教とされます。現在は20億を超える信者数を持つ 世界最大の宗教です。

 

 その基本教義は この世には3位の神が存在し、天地の創造主である 父の神、万物に先立って生まれた父の神の独り子 子の神 イエス・キリスト、そして イエスの地上での誕生に関係した 精霊の神、この3位は一体であるとされます。キリストとは 救い主の意味を持ち、イエス・キリストは 救い主・イエスを示します。キリストは 聖母マリアから処女生誕し、罪人としてはずかしめられ、十字架上で刑死したが、三日目に復活した。そして 昇天した後には 栄光の座である 父の右に座している とされます。キリストは 自らの死と復活により死を克服し、人類もまた死から解かれる正当な権利を得たと信じられました。

教典は ユダヤ教の教典でもある 旧約聖書と、イエス以降の伝記や書簡からなる 新約聖書を信仰の中心において居ります。


 キリスト教は その長い歴史と共に多くの教派に分かれて居りますが、その主な分類は以下の通りです。

−初代教会   最初期の教会、諸教派の前身。

−西方教会   西ローマ帝国、西欧で発展した教会。

   ・ カトリック教会  ローマ教皇を中心とする教派。

   ・ 聖公会(英国国教会) カトリックとプロテスタントの中間に位置付けられる教派。

   ・ プロテスタント  16世紀の宗教改革運動によりカソリック教会から分離した諸教派。

     ・ ルーテル教会(ルター派)

     ・ 改革派教会(カルヴァン派、長老派教会、改革長老教会)

     ・ 会衆派教会

     ・ メソジスト教会

     ・ バブテスト教会

   ・ アナバブテスト

−東方教会

   ・ 正教会(ギリシャ正教)  東ローマ帝国・ギリシャ・東欧で発展した教会。

   ・ 東方諸教会  非カルケドン派の諸教会とアッシリア東方教会


   今回は以上です。   

仏教・新教派系

 今回は仏教・新教派系に付いて書かせて頂きました。

 

 前回までに説明致しました 5系列、13宗派以外の宗 を新教派系と位置付けて居ります。13宗もしくは 他の宗から分離・独立した宗、比較的近年に成立した仏教系の新宗教 あるいは新興宗教などを指し、本門仏立宗、霊友会、孝道教団、立正佼成会、創価学会、念法真教などが主な団体です。

 

1 本門仏立宗

   江戸時代末期に 長松清風により興された 本門仏立講が始まりで 法華宗に所属していましたが 1947年に独立して本門仏立宗となりました。日蓮上人を高祖、日降上人を門祖として居ります。

2 霊友会

   1920年に 久保角太郎により始まり、1927年 小谷喜美と共に立ち上げた赤坂霊友会を始めとして居ります。法華教信仰を基盤とした祖先崇拝を基本とし、在家による夫方・婦方の双系の先祖供養を中心として居ります。

3 孝道教団

   1936年に 岡野正道と 妻貴美子が霊友会より独立して 宗教結社孝道会を立ち上げたのを始めとします。先祖供養を中心に 解り易く仏法を説くところに特徴をもちます。

4 立正佼成会

   1938年に 長沼妙佼と庭野日敬が霊友会より独立して始まりました。当初の布教法には 生命鑑定と法座が有りましたが、現在では 原始仏教を基本とする教学の確立に努めて居り、宗教協力にも熱心に取り組んでおります。

5 創価学会

   1930年に 牧口常三郎と戸田城聖により設立された 在家信者団体の創価教育学会が始まり。自らの教育理論確立の為 日蓮正宗の信仰を採り入れ、次第に信仰中心の団体と成りました。一時は日蓮正宗の講の性格を持ちましたが、現在は日蓮正宗と対立関係にあります。

6 念法真教

   1925年に 小倉霊現が 阿弥陀如来より念法真言を授かり 会員制の教団を立ち上げたのが始まりです。第二次世界大戦中は 天台宗に所属し、1947年に別派独立しました。現世極楽浄土作りを目的として、心の入れ換え、日常論理の確立を説きます。

 

   今回は以上です。

禅系(鎌倉仏教禅系)

 今回は禅系(鎌倉仏教禅系)に付いて書かせて頂きました。

 

 鎌倉時代は 国の権力が貴族から武士に移り、武士は その力を着々とつけた時代で有りました。この時代に曹洞宗と臨済宗という二つの禅宗が 中国からもたらされ、武士階級に受け入れられて 多くの禅寺が 鎌倉に建立され、大きく栄ました。そして 1654年(江戸時代)に明国の僧侶 隠元(真空大師)が来日して黄檗宗(おうばくしゅう)を布教しました。この三宗を禅系(鎌倉仏教禅系、禅宗系)と位置付けられて居ります。

 

 曹洞宗は 中国の禅宗五家の中の一つで 日本へは 宋に渡った 道元(承陽大師)により伝えられました。その教えは 座禅の修行を基本とし、修行の威儀作法を重視します。経典は法華経を中心とした 道元により書かれた”正法眼蔵”、ご本尊はお釈迦様です。悟りを求めない修行により悟りが得られると考えます。これは 悟りを目的とする修行は打算的修行であり、悟りを得たら修行しなくて良い事に成る。従って悟りへの拘りは不要とされます。

 

 臨済宗も 中国の禅宗五家の一つであり 宋に学んだ 栄西(千光国師)により日本に伝えられました。その教えは 1700余りの祖師の言葉を体得する事が悟りの基本とされ、経典や教えに依存せず相手の心に直接働きかけ、その本質を悟らせる、そして 日常の中で真理を具体的なものとして行く事が求められます。経典の定めは無く、本尊の定めも有りません。禅宗様式では 本尊は祀らず お堂に椅子を一つ置き、椅子に座って法を説く人が本尊に相当します。この場合のお堂を 法堂、仏像を祀るお堂を仏殿と呼びます。

 

 黄檗宗は 唐の僧 黄檗希運の名に由来する宗派で 江戸時代に来日した明の僧 隠元(真空大師)により伝えられました。修行形態は臨済宗と同様ですが、儀式の形式や使われる言葉は明時代の様式を踏襲して居ります。陀羅尼や阿弥陀経を読み、念仏を唱えますが 浄土系とは目的が異なります。南無阿弥陀仏を ナムオミトフと読み、般若心経も唐音で読みます。経典の定めは無く、本尊はお釈迦様です。

 

   今回は以上です。    

浄土派(鎌倉仏教浄土派)

 今回は浄土派(鎌倉仏教浄土派)に付いて書かせて頂きました。

 

 鎌倉時代は 平安時代末期の混乱から 武士階級の社会が出現した時期であり、仏教界でも それまで貴族を対象とした仏教から、武士階級・一般庶民を対象とした信仰思想の変革が起こります。その中で 南無阿弥陀仏と念仏を唱え続ける(称名念仏)事で救われると説く浄土宗、更に踏み込んで 善人・悪人・男・女に係わらず 浄土へ成仏出来ると説く浄土真宗(一向宗)、踊りながら念仏を唱える融通念仏宗、時宗などを浄土派と呼びます。

 

 鎌倉時代には 政権が貴族階級から武士階級に移る事により、政治・経済・社会が劇的な構造変化をすると共に発展します。更に 末法思想・仏教の変革なども連動して 浄土教は飛躍的な発展を遂げました。

 

 浄土宗の開祖とされる法然上人は まず比叡山に学び、のちに叡山を下りて 東山吉水に居をかまえて 吉水教団を形成します。その教えは 観相念仏を否定し、称名念仏のみを認めました。南無阿弥陀仏と唱える事で 貴賤や男女を問わず 西方浄土へ往生できると説きました。

 

 浄土真宗の宗祖とされる親鸞上人も 比叡山に学び、後に修行では民衆を救済出来ないと修行仏教と訣別し 叡山を下りて 法然上人の吉水教団に弟子入りします。その後 念仏停止により 流罪に処せられ 僧籍を剥奪されます、そして 法然上人の助言により 生涯 非僧非俗の立場を貫きました。赦免後は関東を中心に20年間に渡る布教活動を通して 念仏の教えを深化させました。その教えは 阿弥陀仏の働きにより起こされた”真実信心”を賜る事を因として、いかなる者でも現生に浄土往生が約束される”正定聚”に住し必ず滅度に至らしめられると説く。尚 浄土真宗が成立するのは上人没後のことです。

 

 時宗の開祖とされる一遍大師は 大宰府に赴き 法然上人の孫弟子である 浄土宗の聖達に師事します、その後 諸国を遍歴し、紀伊の熊野本宮証誠殿で熊野権現から啓示を受けて悟りを開き 時宗を開宗したとされます。その教えは 阿弥陀仏の絶対性は 信 すらも不要で、念仏を唱える事のみで極楽往生できると説きました。晩年には踊念仏を始めました。

 

   今回は以上です。

 

法華系(鎌倉仏教法華系)

 今回は法華系(鎌倉仏教法華系)に付いて書かせて頂きました。

 

 鎌倉時代に入りますと 平安時代 仏教の主体は鎮護国家を標榜した 国家や貴族の為の儀式や研究に置かれていた形が 末期の動乱と それに伴う末法思想により変化し、民衆救済の為の仏教へと次第に変って行きました。その第一が日蓮上人により開かれた法華宗(日蓮法華宗、日蓮宗とも呼ばれます)です。

 

 この時代に入りますと 主として比叡山で学んだ僧侶によって 仏教の民衆化が図られ 新しい宗派が生まれて行きました。日蓮上人は難しい理論や厳しい修行ではなく、在家の信者が生活の合間に実践出来る様な易しい教えとして 南無妙法蓮華経 と唱える事で救われると説きました。日蓮上人は 法華経が釈迦の正しい教えを伝えていると考え、法華経に帰依します という意味の 南無妙法蓮華経 という御題目を唱えることを重視しました。

 

 上人は 鎌倉時代をすでに末法の世に入っているとみなし、法華経は 滅後末法の世に向けて説かれた経典と考え、在世の衆生に対してではなく、滅度後の衆生の救済を目的に法華経を説きました。そして 当時に起った 鎌倉幕府内の権力闘争、天変地異、モンゴル帝国からの攻撃等は 日本に於いて法華経をないがしろにした結果であると 幕府を批判し、釈迦を第一として尊ぼうとしない 禅や阿弥陀信仰は 衆生を救済から遠ざけてしまうと 他宗を批判しました。当然の事ながら 当初は幕府からの弾圧や 他宗からの迫害を受けましたが、日蓮宗の広がりと共に 収まって行きます。

 

 日蓮宗では 信仰に於ける重要な契機として 時(末法の世である現在) と国(日本)を掲げており、他の宗派には見られない 政治に対する積極的係わりが見られます。又 日蓮は 世の在りかたは 法を拠り所とすべきであって、人を拠り所にしてはならないと説きました。王仏冥合を理想とし、天皇を政治の主体とするも、仏法に背けば仏罰をこうむるとして、宗教上では天皇の権威を一切認めない仏法絶対の立場を示しました。


   今回は以上です。 

平安仏教派

 今回は平安仏教派に付いて書かせて頂きました。

 

 奈良時代後期には 仏法が盛んになると共に 寺院群は政治にも興味を示す様に成ります。彼らの影響力を憂慮した桓武天皇は その口出しを避ける為 京都(平安京)への遷都を決意し、実行します。そして旧仏教に対抗する為 最澄と空海を中国に派遣し密教を学ばせました。両大師は帰国後 最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を開いて 広く平安仏教派を広める事と成ります。

 

 平安時代中期は 釈迦入滅後二千年に当たり、正法の千年・像法の千年の後は 仏教が滅びる暗黒の世、即ち末法の世が始まると考えられました。末法の世では どんなに努力しても悟りを開く事は出来ず、国は衰え、人の心も荒んで、現世での幸福も期待出来ないと考えられました。人々はこの様な現世に期待せず、来世の幸せを願う 浄土信仰が流行します。阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に迎えられる事を願って来迎図などが多く描かれました。その究極が宇治の平等院 鳳凰堂です。極楽の阿弥陀仏の宮殿を模したとされて居ります。平安時代末期は社会不安が増大し 広大な所領を持つ大寺院は 防衛の為 僧兵を保持する様に成ります。そして この僧兵集団は 社会不安の一つ要素となって行きます。

 

 仏教は大きく分けて顕教と密教に分かれます。顕(あらわ)れる教え と秘密の教えです。真言宗の信仰する本仏は大日如来ですが、大日如来はマントラ(真言)という特別な言葉で説教をします。マントラは宇宙語ともゆうべき われわれには理解出来ない言葉という事で、秘密の教え、密教と称します。真言密教では 宇宙の万物は 地・水・火・風・空・識という六つの構成要素から成っており(六大といいます)、互いに転化してとどこおる事なく、この六大を大日仏の現れとし、あらゆる人間は本質的に大日仏と異ならない存在で平等であるとされて居ります。

尚 天台密教を台密、真言密教を東密と呼んで居ります。

 

   今回は以上です。

奈良仏教

 今回な奈良仏教系に付いて書かせて頂きました。

 

 仏教は 飛鳥時代に伝来し、聖徳太子の活動と伴に、国家鎮護の道具として定着しました。その後 奈良時代に入り、律令法の中に僧尼令が制定されて、僧職者は官僚組織の一員として組み入れられ、多くの官寺が建立されます。この時代に大勢を占めた宗派は”南都六宗” 或いは”奈良仏教系”と呼ばれました。三論宗、成実宗、法相宗、舎宗、律宗、華厳宗の六宗です。

 

 奈良時代の寺院の多くは 国家施設であり、南都六宗は仏教の宗派と言うよりは、学派と呼ばれる性格を持って居りました。これらの学派は 大陸から輸入された多くの経典や注釈書を基に 官僧による仏教の学問的・論理的研究を主として居りました。従いまして 理論が中心となり、宗教的実践を伴うまでには至りませんでした。

 

 聖武天皇の時代 藤原氏とその他豪族の間で政権争いが激化し、疫病が流行し、新羅との外交関係が悪化する等の事が重なり、天皇とその妃の光明皇后は仏教の加護に頼り、仏教を深く信仰する事となります。聖武天皇は 国ごとに 国分寺・国分尼寺をたて、総国分寺として 東大寺を建立し、東大寺に奈良大仏を造立します。そして 華厳経の教理を拠り所とした 平安な律令国家の実現を目指しました。この時代に 唐の揚州に生まれ、洛陽・長安で修行を積んだ 鑑真大和尚が招かれました。鑑真大和尚は東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けました。その後 唐招提寺を建立し そこに住んで生涯を終えました。

 

   今回は以上です。

 

日本の仏教

 今回は日本の仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 日本の仏教は 538年(552年とも言われます)に百済(現在の韓国・北朝鮮)より伝来したと考えられて居ります。その後 国家鎮護の道具として天皇家に支持され、聖徳太子の活動により飛躍的に発展しました。現在 文化庁の統計によれば 登録団体;85,343団体、教師(僧侶);332,971人、信者数;8,470万人とされて居ります。

 

 全世界の仏教徒数は3億数千万人といわれる中で、8千5百万人の信徒 約7万5千の寺院 30万体以上の仏像を有する日本は 世界有数の仏教国であると言えます。又 最古の仏典・古文書、世界最古の木造寺院 法隆寺も日本に御座います。

 

 日本の仏教には 数多くの様々な宗派が存在しますが、1940年公布の宗教団体法により 13宗28宗派に統合されましたが、第二次世界大戦後 多くの分派・独立が成されました。この13宗とは 華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗(おうばくしゅう)を指します。それぞれの宗の日本に於ける開祖と本山は以下の通りです。

 −奈良仏教系

   華厳宗 開祖は審祥 他、本山は東大寺。

   法相宗 開祖は道昭、本山は興福寺・薬師寺。

   律宗  開祖は鑑真(鑑真和上)、本山は唐招提寺。

 −平安仏教系・密教系

   真言宗(東密) 開祖は空海(弘法大師)、本山は東寺、高野山金剛峰寺 他。

   天台宗(台密) 開祖は最澄(伝教大師)、 本山は比叡山延暦寺。

 −法華系(鎌倉仏教法華系)

   日蓮宗 開祖は日蓮(立正大師)、総本山は身延山久遠寺。

 −浄土系(鎌倉仏教浄土系)

   浄土宗 開祖は法然(源空、円光大師、黒谷上人)、総本山は知恩院。

   浄土真宗 開祖は親鸞、本山は本願寺

   融通念仏宗 開祖は良忍(聖応大師)、本山は大念仏寺。

   時宗 一遍(証誠大師、円照大師)、本山は清浄光寺(遊行寺)。

 −禅系(鎌倉仏教禅系)・禅宗系

   曹洞宗 開祖は道元(承陽大師)、本山は永平寺。総持寺。

   臨済宗 開祖は栄西(千光国師) 他、本山は建仁寺・円覚寺・東福寺 他。

   黄檗宗 開祖は隠元(真空大師、華光大師)、本山は黄檗山萬福寺。

 

   今回は以上です。

仏教

 今回は仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 仏教とは 紀元前5世紀にインドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ)を開祖として開かれた宗教で、キリスト教・イスラム教と並んで 世界の三大宗教の一つとされて居ります。その教えは 仏陀(目覚めた人、解脱した人)の説いた教えであり、そして 自ら仏陀になる為の教えでもあります。

 

 仏教は インド古来の世界観であった 輪廻 転生 解脱の考えを基に作り出されました。人の一生は苦であり 永遠に続く輪廻の中で終わり無く苦しまねばならない。その苦しみから抜け出す事が解脱であり、修行により解脱を目指すことが 釈迦の教えの目的でした。従いまして 釈迦の思想の中には偶像崇拝の概念は存在しませんでした。現在 伝来した各国で多く見られる仏像や仏閣は その土地、時代の主権者が政治的な目的で民衆に信仰を解り易くする目的で作り出されたと考えられます。

 

 初期仏教の歴史には時代区分があります。原始仏教、部派仏教、大乗仏教の三区分です。

 原始仏教は紀元前5世紀に インド北部ガンジス中流域で釈迦の提唱により生まれた初期仏教です。原始仏教は 他の世界的宗教と異なり、自然崇拝や民族宗教などをルーツに持たない宗教であり、世界各地で都市国家が成熟すると共に 社会不安が増大する中で、サマナ(沙門)と呼ばれる 出身・出自を問わない自由な立場の思想家・宗教家・修行者が持つ文化の中で作られました。釈迦の死後 その教えは弟子達により集められ、仏典として口誦により伝承され、後に文字化されます。更に経・律・論の三っに分類されて 仏教聖典に編纂されました。

 部派仏教は紀元前4世紀、仏滅後100年くらいに 釈迦の説いた教えの解釈に 色々な異見が出始め、考え方も岐れはじめます。その決果 上座部と大衆部の二つに大きく分裂し、その後 更に多くの部派に分裂して行きます。この時代の仏教を部派仏教と呼んでおります。上座部の一部は スリランカに伝わり、さらにミヤンマー・タイなどの東南アジアに伝わり、現在でも広く残って居ります(南伝仏教)。

 大乗仏教は紀元前後に 自身が解脱するだけではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に全ての衆生を得度する教え(大乗仏教)が起こります。この教えは急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して中国、更に韓国、日本へと伝来します(北伝仏教)。

更に7世紀頃にインドのベンガル地方でヒンドゥ−教の神秘主義一派であるタントラ教と融合した密教が起こり、様々な土地の習俗や宗教を包括しながら独自の修行体系を完成し、インドからチべット・ブータン、そして中国・韓国・日本にも伝えられました。

 

 現在の仏教は三大宗教の一つでは有りますが、大部分の仏教国は滅亡し、発祥の地であるインドでも廃れており、東南アジアの多くの国ではヒンドゥー教 或いはイスラム教へと移行が進み、中国・北朝鮮・モンゴルでは共産化により宗教は弾圧され、韓国ではキリスト教徒による廃仏運動が社会問題となっており、全体的には縮小傾向にあります。

現在 仏教を国教、或いは国教に準ずる地位としている国は タイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータンがあります。又 土着の信仰との混在・習合が顕著な国としては 日本・台湾・ベトナムなどがあります。

 

   今回は以上です。

 

仏教

 今回は仏教に付いて書かせて頂きました。

 

 仏教とは 紀元前5世紀にインドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ)を開祖として開かれた宗教で、キリスト教・イスラム教と並んで 世界の三大宗教の一つとされて居ります。その教えは 仏陀(目覚めた人、解脱した人)の説いた教えであり、そして 自ら仏陀になる為の教えでもあります。

 

 仏教は インド古来の世界観であった 輪廻 転生 解脱の考えを基に作り出されました。人の一生は苦であり 永遠に続く輪廻の中で終わり無く苦しまねばならない。その苦しみから抜け出す事が解脱であり、修行により解脱を目指すことが 釈迦の教えの目的でした。従いまして 釈迦の思想の中には偶像崇拝の概念は存在しませんでした。現在 伝来した各国で多く見られる仏像や仏閣は その土地、時代の主権者が政治的な目的で民衆に信仰を解り易くする目的で作り出されたと考えられます。

 

 初期仏教の歴史には時代区分があります。原始仏教、部派仏教、大乗仏教の三区分です。

 原始仏教は紀元前5世紀に インド北部ガンジス中流域で釈迦の提唱により生まれた初期仏教です。原始仏教は 他の世界的宗教と異なり、自然崇拝や民族宗教などをルーツに持たない宗教であり、世界各地で都市国家が成熟すると共に 社会不安が増大する中で、サマナ(沙門)と呼ばれる 出身・出自を問わない自由な立場の思想家・宗教家・修行者が持つ文化の中で作られました。釈迦の死後 その教えは弟子達により集められ、仏典として口誦により伝承され、後に文字化されます。更に経・律・論の三っに分類されて 仏教聖典に編纂されました。

 部派仏教は紀元前4世紀、仏滅後100年くらいに 釈迦の説いた教えの解釈に 色々な異見が出始め、考え方も岐れはじめます。その決果 上座部と大衆部の二つに大きく分裂し、その後 更に多くの部派に分裂して行きます。この時代の仏教を部派仏教と呼んでおります。上座部の一部は スリランカに伝わり、さらにミヤンマー・タイなどの東南アジアに伝わり、現在でも広く残って居ります(南伝仏教)。

 大乗仏教は紀元前後に 自身が解脱するだけではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に全ての衆生を得度する教え(大乗仏教)が起こります。この教えは急速に広まり、アフガニスタンから中央アジアを経由して中国、更に韓国、日本へと伝来します(北伝仏教)。

更に7世紀頃にインドのベンガル地方でヒンドゥ−教の神秘主義一派であるタントラ教と融合した密教が起こり、様々な土地の習俗や宗教を包括しながら独自の修行体系を完成し、インドからチべット・ブータン、そして中国・韓国・日本にも伝えられました。

 

 現在の仏教は三大宗教の一つでは有りますが、大部分の仏教国は滅亡し、発祥の地であるインドでも廃れており、東南アジアの多くの国ではヒンドゥー教 或いはイスラム教へと移行が進み、中国・北朝鮮・モンゴルでは共産化により宗教は弾圧され、韓国ではキリスト教徒による廃仏運動が社会問題となっており、全体的には縮小傾向にあります。

現在 仏教を国教、或いは国教に準ずる地位としている国は タイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータンがあります。又 土着の信仰との混在・習合が顕著な国としては 日本・台湾・ベトナムなどがあります。

 

   今回は以上です。

神道その2

 今回は前回に続き神道その2に付いて書かせて頂きました。

 

 神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基ずいて、自然発生的に生まれた神観念です。中国に於ける神道とは性質の異なる別個の観念です。気象、地理地形、事物等の自然現象に始まる全て事象に神の存在を認め、中でも 1881年 明治天皇の決栽により 伊勢神宮に祀られた 天照大神が最高の神格を得て居ります。

 

 現在 日本に於いて 最初に神道の言葉が見られるのは 日本書記の中の 用明天皇紀にある ”天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ” でありますが、この様に外来の宗教である仏教と、日本古来の信仰である神道が共存しており、土着の民俗信仰である神道は 外来の宗派宗教と融合しやすい性格を持って居りました。

 

 神道に於ける基本は 自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間としての生活を営むに相応しい環境と状態を、自然の調和に配慮しながらバランスを取り調節して、生活を見回して、生活する為の知恵やヒント与えたり、少し手伝ってあげたり、何かやって貰ったときは少しお礼をしたり。それが 日本の神がやっていた仕事の一つです。日本人にとって神は身近な存在であり、日本の神は地域社会を守り 現世の人間に恩恵を与える穏やかな守護神であると共に、天変地変を引き起こし 病や死を招き寄せる 祟る 性格も持って居ります(荒魂・和魂)

 

 神道は 中央や地方の統治者・統治組織と融合しながら発展して参りましたが、徳川幕府の仏教を基にした民心管理に対して、明治維新は神道を基にして理論付けられており、”尊皇攘夷” は神道にもとずき考え出されました。

 

 現在の神道は 神社神道、民俗神道、教派神道、古神道、皇室神道などに分類されて居ります。

 

   今回は以上です。

神道その1

 今回は神道について書かせて頂きました。

 

 神道(しんとう、かんながらのみち)とは 日本固有の宗教で、山河などの自然や 自然現象を敬い その中に八百万(やおよろず)の神を見出す多神教の宗教です。自然と神は一体として認識され、神と人間を取り結ぶ作法が祭祀であり、祭祀を行う場所を神社と呼びます。神社は神道に於ける聖域とされます。

 

神道は 古代日本に起源をたどる事が出来る宗教で、日本民族古来の民俗信仰や自然信仰を基礎とし 自然発生的に生まれた信仰です。遅くとも弥生時代には初期の形が作られ、古墳時代には民族宗教としての形態が整えられたと考えられます。その後 豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら発展し、日本国家の形成に多くの影響を与え続けた宗教でもあります。

 

 神道には 教祖や創始者は居らず、仏教の経典やキリスト教の聖書に当る 明確な教典は有りません、古事記、日本書紀、古語拾遺、宣明などの古典を規範として、その教えは神社や行われる祭祀を通して伝えられます。森羅万象に神が宿ると考え、その神々と共に生き 祖霊を崇拝し 地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守る事を目的とした信仰です。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目として居ります。

宗教法人である神社本庁から文化庁に提出された資料によれば 支持者数 約一億600万人と申請されて居り、登録されている神社は約85,000社有ります。

 

 神道に於ける拝礼は 二拝二拍手一拝が基本的な作法です。

1 拝(直立姿勢から身体を90度折り曲げる礼)を二度行う。

2 拍手を二度打つ。

3 最後に再度 拝を一度行う。

尚 俗説として 女性は音を立てて拍手してはいけないというものが有りますが、これは正しくありません。拝礼に性別は関係有りません。

又 御身内に不幸があった場合は 不幸の日から50日間は神社参拝を控える必要が有ります。

 

   今回は以上です。 

日本の宗教法人

 今回は宗教法人について書かせて頂きました。

 

 宗教とは超自然的存在の神や仏の概念を創造し、その存在を崇拝、信仰する事を指します。そして 宗教法人とは 教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者の教化育成することを主たる目的とする団体で、都道府県知事 若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得した団体を指します。

 

 世界の主な宗教としては キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、そしてユダヤ教などがあります。日本に於ける主な宗教としては 神道、仏教、キリスト教、そして諸教が有ります。日本の宗教指導は 法人格を取得した宗教法人により行われて居り、教派・宗派・教団と呼ばれる包括法人(宗教団体)と、個々の神社・寺院・教会・布教所などの 単位宗教法人に分類されます。又 単位宗教法人は 包括法人(宗教団体)に属する 被包括法人と、いずれの宗教団体にも属さない 単立宗教法人から成ります。

 

 宗教法人の数は 平成23年12月末現在以下の通りです;

        包括宗教法人  被包括宗教法人 単位宗教法人   教師数        信者数

神道        130       83,047     2,040    77,434     100,770千人

仏教        168       74,740     2,660   332,911      84,708千人 

キリスト教      69        2,837     1,722    29,160       1,920千人 

諸教         30       14,335       422   131,580       9,490千人  

計         397       174,959     6,844   571,985     196,888千人

 

   今回は以上です。 

祭壇

 今回は祭壇に付いて書かせて頂きました。

 

 祭壇とは 神、仏、精霊、あるいは死者などに 供物や犠牲を捧げる為の壇ををさします。祭壇の形状は多様で 台状あるいは板状の自然石を用いた石壇、土を盛り上げて作る土壇、石を積み上げて作る石積壇、そして木材などの自然物を加工して作られたもの等が御座います。

 

 葬儀で用いる祭壇を葬儀壇とも言います。仏教の古くからの仕来りでは 葬儀は 自宅での法要と 葬列を組んで蔡場 あるいは菩提寺に行ってからの法要と 二段構えでした。現在の都市部では この二つの法要は合体して 一つの法要となり、その飾り付けは 蔡場 或いは菩提寺の祭壇を原型として居ります。

 

 葬列では 柩は白木の輿に乗せられて運ばれ、そのまま蔡場に安置されます。時代の変化と共に 白木の輿に色々な装飾が施され、荘厳な祭壇へと変化して 現在の祭壇が出来上がりました。

 

 葬儀に於ける祭壇の位置付けは必ずしも明確では有りません。宗教儀礼として葬儀を営むのであれば 仏あるいは神の導きによって故人さまをあの世にお送りする事が基本となります。仏教では 仏を供養する事によって得られた功徳を故人さまに振り向けることから 祭壇は仏の供養の為に設けます。キリスト教の場合は 神を対象とした礼拝が中心となり、祭壇は神への礼拝の為に設けます。そして 告別式は 故人さまとご遺族や会葬者の方とのお別れが中心となり、祭壇はその為に設けられるべきです。

 

 葬儀と告別式では目的が異なりますので 祭壇も異なるべきですが、現在の葬送儀礼では 時間の制約も有り 葬儀と告別氏を同時に行うことが一般的となり その祭壇も両方を目的として設けられる様になりました。故人さまのお好きな花で飾った花祭壇などは より告別を主と考えた祭壇と言えるのではないでしょうか。

 

   今回は以上です。

霊柩車

 今回は霊柩車の費用に付いて書かせて頂きました。

 

 霊柩車とは 貨物自動車運送事業法に規定される 遺体の搬送に使用する特殊用途自動車を言います。そして 霊柩運送事業は 国土交通省管轄の許可事業となって居り、許可のない車でご遺体を搬送し 費用を請求する事は 法律違反となります。又 その料金も事前届け出制となって居ります。

 

 霊柩車の型式は 多きく分けて 宮型、洋型、バン型、バス型の4種類が有ります。

宮型は 車の後部(棺室)を輿の様に宗教的な装飾を施し、主として火葬場にご遺体を搬送する為に使用します。

洋型は 高級ワゴン車の後部リムジン化して 棺室として使用し 特別な装飾は施しません、このタイプも 主として ご遺体を火葬場に搬送する為に使用します。

バン型は バンやステーションワゴンの後部を棺室に改造して使用し、火葬場への搬送だけではなく 病院、自宅、葬儀会場間での搬送等にも使用する 多目的車です。霊柩車とは呼ばずに 寝台車、搬送車などと呼ばれます。

バス型は ご遺体と共にご遺族、ご親族を乗せて運用する形の霊柩車です。

 

 霊柩車の費用は出発車庫より目的地までの運賃となり その体系は 運賃、諸費用、実費からなります。

運賃は 基本額、加算額、特別加算額を足したものが費用となります。

  基本額は 霊柩車の型式により費用は異なりますが、最初の10Km以内の運賃となります。

  加算額は 走行距離が10Kmを超える場合の運賃で、10Km単位で加算されます。尚 ご遺体を届けた後  の 復路については費用請求はされません。

  特別加算額は 深夜・早朝に於ける作業の割増費用です。30分箪位で費用が必要となります。

諸費用は 特殊仕様車料金、遺骨宅送料、車両留置料等です。

実費は 有料自動車道使用料、フェリーボート使用料、駐車料金、依頼人の特別要請にもとずく作業実費などです。

 

   今回は以上です。

虚空蔵菩薩

 今回は虚空蔵菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十三仏信仰に於ける 三十三回忌の審理は法界王が司ります。法界王の本地は 虚空蔵菩薩となり、虚空蔵菩薩を仏菩薩と擬定して 法要を執り行います、この法要をもって弔い上げ(問切りとも言います)となり、故人様は ご先祖の中の仏の一人となります。

 

 虚空蔵菩薩は 梵名をアーカーシャ・ガルバと呼ばれ 仏教の信仰対象である菩薩の一尊です。アーカーシャ・ガルバは 虚空の母胎 を意味して居り、広大な宇宙の様に無限の智慧と慈悲を持つ菩薩と説かれて居ります。知恵、知識、そして記憶に利益をもたらす菩薩として信仰され、記憶力増進を祈念する修法(虚空蔵求聞持法)をもちます。その修法は 真言を百日間かけて 百万回唱えるというものです、これを修めた行者は あらゆる教典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるとされます。

 

 良く知られている伝説としては 空海は 室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠り 虚空蔵求聞持法を修めたとされます。日蓮もまた12歳のおりに 仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったと言われます。又 京都の法輪寺では 13歳になった子供達が虚空蔵菩薩から知恵を授かりにお参りする十三詣りと呼ばれる行事も行われて居ります。

 

 虚空蔵菩薩の像容は 右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ形と 右手は掌を見せて下げる与願印の印相をし、左手に如意宝珠を持つ形があります。著名な作例と致しましては 東京国立博物館蔵の画像、奈良 大和郡山市の額安寺像、京都 広隆寺講堂像などが有ります。又 法隆寺の百済観音像は 宝冠が見つかる明治時代前半までは 墨蹟銘から 虚空蔵菩薩像と呼ばれて居りました。

更に 五大虚空蔵菩薩と言われる像も御座います。これは 虚空蔵菩薩のみ5体を群像として表したもので、虚空蔵菩薩の五つの知恵を5体の菩薩像で表わしたものとされて居ります。

 

   今回は以上です。

大日如来

 今回は大日如来に付いて書かせて頂きました。

 

 13仏信仰に於ける 13周忌の審理は祇園王が司り、故人様が道を迷わぬ様 導かれます。祇園王の本地は 大日如来で 無相の法身(姿・形の無い永遠・不滅の真理)と言われる如来の一尊で 全一者であり 万物を生成化育することで 自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物に上に光被して止まないとされます。

 

 大日如来は 梵名を マハー・ヴァイローチャナとよび、虚空にあまねく存在するという 真言密教の教主であり、万物の慈母でもあります。大光明遍照とも呼ばれます。大日経の教主であり、金剛界曼荼羅五智如来の中心です。真言宗においては 修行者自身と一体化を目指す 最も重要な仏陀であります。平安時代に浸透した 密教に於いて 最高仏と位置付けられて 大日信仰が成立しました。

 

 日本では古来より山岳信仰が数多く有りましたが、平安時代末期に 駿河の国の 僧侶 末代(富士上人とも呼ばれる)が富士山の頂きに登り、大日如来を富士の本尊とする信仰を創始したとされます。その後 富士の大日如来は 富士の神であった浅間大神の本地仏として 浅間大菩薩とする信仰に発展しました。

 

 大日如来の像形は 宝冠など 豪華な装身具を身に付けて、菩薩のような姿の坐像として表現されます。これは古代インドの王様を模したものと考えられます。一般に 如来は装身具などを身に付けない薄衣の姿で表現されますが、大日如来の場合は 宇宙その物の存在を装身具のごとく身にまとった仏として、王者の姿で表わされます。

 

 著名な作例と致しましては 岐阜 横蔵寺、京都 東寺講堂、奈良 円成寺 唐招提寺、和歌山 金剛峰寺などが御座います。

 

   今回は以上です。 

 

阿如来(あしゅくにょらい)

 今回は阿如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十三仏信仰に於ける 七周忌の審判は蓮華王により司られ 三回忌までの厳密な審理と言うよりは 成仏後の導きという意味合いが強くなります。蓮華王の本地は 阿如来で 密教に於ける 金剛界五仏の一尊で 金剛界曼荼羅では 大日如来の東方(右下)に位置します。

 

 十三仏信仰は 中陰の間の七王は インド仏教で説かれ、中国に渡って 百ヶ日・一周忌・三周忌の三王が加わり 十王信仰となり、日本に渡来した後 七回忌・十三回忌・三十三回忌の三王を加えて 十三仏(十三王)信仰となり 現在に至ります。

 

 阿如来は 梵名をアクショービアと呼ばれ ”揺るぎ無い” という意味を持ち、この如来の悟りの境地が 金剛(ダイアモンド)の様に堅固で揺るぎ無いもの で有る事を示します。阿仏国経によれば 昔 この娑婆世界から東方千仏の国を経て阿比羅堤という国があり、そこに大日如来が出現した際 無瞋の願を発して修行し、一切の淫欲を断滅し 成就完成して阿仏となり、今現在も仏国土で説法中であると説きます。インド仏教は イスラム教の台頭と共に衰退して行きます。その時期には 後期密教において 憤怒相の護法尊が信仰される様になり、五智如来の中心が大日如来から 阿金剛仏へと転換して行きました。

 

 日本に於ける阿如来の彫像は 五仏の一として作られたものがほとんどですが、単独の造像もわずかに御座います。阿如来の印相は 右手の指先を下げて 地に触れる ”触地印” を結びますが、これは 釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘いを受けたが、触地印により これを退けたとの伝説に由来します。煩悩に屈しない堅固な決意を示します。著名な作像としては 奈良 法隆寺大宝蔵殿南倉の木造坐像、和歌山 高野山親王院の銅像立像が御座います。

 

   今回は以上です。

阿弥陀如来

 今回は阿弥陀如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 三周忌の審理は五道転輪王が司り、判決に係わる最後の再審査を行います。五道転輪王の本地は 阿弥陀如来です。阿弥陀如来は 大乗仏教の如来の一尊で 無明の現世をあまねく照らす 光の仏にして 空間と時間の制約を受けず 西方に極楽浄土と言われる 仏国土を持ちます。尚 東方の浄土には 薬師如来が居られます。

 

 阿弥陀如来の 梵名は アミターバ、又は アミターユスと言われます、アミターバは 無限の光を持つ者、アミターユスは 無限の寿命を持つ者 を意味し、これを音写して阿弥陀となり、仏を加えて阿弥陀仏と成りました。又 漢訳すると 無量光仏、無量寿仏となります。

 

 阿弥陀仏信仰の起源は 必ずしも明確では有りませんが、浄土系教典や像の出現時期などから推測すると、北インドを中心として クシャーナ朝前記の西暦1−2世紀の間に発達したと考えられます。佛説無量寿経 によれば 一切の衆生救済のため王位を捨てて 世自在王仏のもとで法蔵菩薩と名乗り 修行し、衆生救済の為の 五刧思推し、浄土への往生の手立てを見出し、衆生救済のための”四十八願”を発願したのち、改めて誓いを立てて修行し、それが成就して仏となった報身仏と説かれて居ります。特に浄土諸宗に於いては 四十八願のうちの 第十八願を重要視して居ります。

 

 阿弥陀如来は 鎌倉時代以降 浄土教の本尊として 日本各地に広がります。造形化される際は 装身具を着けない質素な服装の如来形で印を結ぶ姿が一般的です。真言宗では 紅玻璃色阿弥陀如来と呼ばれる 髪を高く結い上げて宝冠を戴き、体色が赤い如来像が、天台宗でも 宝冠を戴き装身具を身に付けた 如来像が御座います。


 日本に於ける作例と致しましては 岩手県 中尊寺、京都府 平等院、仁和寺、三千院、浄瑠璃寺 奈良県 法隆寺 兵庫県 浄土寺 そして 神奈川県 高徳院の鎌倉大仏 などが御座います。いずれも国宝に指定されて居ります。


   今回は以上です。 

勢至菩薩

 今回は勢至菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十仏信仰に於ける 一周忌の審理は 都市王が司り 100ヶ日と同じく判決の再審査を行います。都市王の本地は 勢至菩薩で 仏教に於ける 菩薩の一尊です。仏の智門を司り、衆生の菩提心を目覚めさせ、智慧の光を持って一切を照らし 衆生が地獄や餓鬼界に堕ちぬ様 救う菩薩です。大勢至菩薩、得大勢至菩薩とも呼ばれます。

 

 勢至菩薩は 梵名をマハースターマプラープタと呼ばれ 阿弥陀三尊に於きまして 観音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍を務め、観音菩薩が左脇、勢至菩薩は右脇をかためます。観無量寿経の中では 知恵を持って遍く一切を照らし、火途・血途・刀途の三途 迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせるので、大勢至と名ずく と有ります。

 

 浄土宗に於きましては 中世より 源空上人(法然)は勢至菩薩の化身とする説が有りました。法然は幼名を勢至丸と言い、智慧第一の法然坊 と言われ 生前から智慧の化身と考えられて居りました。そして 法然上人没後 その弟子の親鸞は 大勢至菩薩和讃を詠み 大勢至菩薩は源空上人の御本地である と述べて居ります。更に 親鸞の妻女である 敬信尼が霊夢を見、光ばかりの御仏 を見ると共に あれは勢至菩薩で法然のことだ と言う声が聞こえたと言う話が伝わって居ります。

 

 像容と致しましては 多くの像は 阿弥陀三尊の脇侍として作られて居り、観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのに対して、勢至菩薩は水瓶を付ける事が多く見られます。又 観音菩薩が蓮台を捧げ持つ場合は 勢至菩薩は合掌する姿が見られます。

 

 著名は勢至菩薩像と致しましては 長野の善光寺如来像、京都 智恩院 勢至堂の御本尊などが御座います。又 四国八十八箇所霊場十三仏では 53番札所の須賀山圓明寺で、京都十三仏霊場では9番札所の大内山仁和寺で朱印がもらえます。

 

   今回は以上です。

観音菩薩

 今回は観音菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 100ヶ日の審理は平等王により司られ 七七日の泰山王により下された判決の再審査が行われます。平等王の本地は 観音菩薩は 仏教の菩薩の一尊であり 日本や中国に於いて 古代より広く信仰を集めている尊格です。観世音菩薩、観自在菩薩、救世菩薩などとも呼ばれて居ります。

 

 観音菩薩は 梵名を アヴァローキテ−シュヴァラといい 中央アジアで発見された古いサンスクリット語で書かれた法華経によれば アヴァローキテは観、シュヴァラは音と訳されて居り、現在では 観音菩薩は 観世音菩薩の略号であるという説一般的です。観音菩薩は 般若心経の冒頭に登場する菩薩であり、般若の智慧の象徴ともなって居ります。又 大慈大悲を本誓として 現世利益と結び付けられて 時代 地域を問わずに古くから 広く信仰されて居ります。観世音菩薩往生浄土本縁経 によれば 現世に於いては 早離(そうり)と呼ばれるバラモンの子で 速離(そくり)と呼ばれる兄弟が居り、早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死しますが、早離は 餓死する寸前に 生まれ変わったら自分たちの様に苦しんでいる人々を救いたい と誓願を立てた事により 観音菩薩になったと言われ、速離は のちに勢至菩薩に、兄弟の父 長邦(ちょうな)は未来に釈迦として生まれ変わったとされます。

 

 観音が世を救済する際には 衆生を救う為に 相手に応じて 33の姿に変身すると説かれます、これを観音の普門示現と言います。西国三十三所観音霊場、三十三間堂などの 33という数字はこれに由来します。又 普門示現の延長線上で 十一面観音、千手観音などの像も作られました。

 

 観音菩薩を祀る寺院は数多く有りますが、奈良 法隆寺、東大寺、唐招提寺、薬師寺 京都 三十三間堂、広隆寺、六波羅蜜寺、観音寺 そして 神奈川県内では 横浜 弘明寺、鎌倉 長谷寺などが著名です。

 

   今回は以上です。

薬師如来

 今回は薬師如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 七七日(四十九日目)の審理は 泰山王が司り 善因、悪縁を審査して判決を確定させます。泰山王の本地は 薬師如来です。薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも言う)の教主で 瑠璃光をもって衆生の病苦を救うとされ、無明の病を治す法薬を与える 医薬の仏として 現世利益信仰を集める如来です。

 

 薬師如来は 梵名 バイシャジャ・グルは 大乗仏教に於ける如来の一尊で、薬師瑠璃光如来 或いは 大医王仏とも称します。薬師如来は 菩薩の時に12の大願を発し、この世門に於ける衆生の疾病を治して寿命を延ばし、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、仏行を行じては 無上菩堤の妙果を証にすると誓って 仏と成ったと説かれて居ります。真言宗(東密)では 顕教系の如来として あまり重視はされて居りません。しかしながら 永く皇室との結びつきの強かった 天台宗(台密)では 薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主である事から 東の国の帝である天皇と結び付けて語られる事と成ります。又 釈迦如来・大日如来と一体ともされて居ります。ほとんどの国分寺は薬師如来を本尊として居ります。

 

 像容は 立像、坐像ともに有り 右手を施無畏印(せむいいん)、左手は与願印とし 左手に薬壺を持つのが通例です。ただし 古代の像では薬壷を持たない形も多く御座います。又 単独像として祀られる場合と、日光菩薩 月光菩薩を脇侍とした 薬師三尊像として祀られる場合が御座います。薬師如来の光背には 七体または六体の小さな像容、もしくは 同じ大きさの 七体の像容が有ります。これは 七仏薬師と呼ばれ 薬師如来とその化身仏とされて居ります。

 

 著名な薬師如来像としては 奈良 薬師寺、唐招提寺金堂、法隆寺 京都 仁和寺、醍醐寺などが御座います。

 

   今回は以上です。 

弥勒菩薩

 今回は弥勒菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 六七日(四十二日目)の審理は 変成王が司り、五官王の計りと 閻魔王の鏡を使い 生前の功徳を再審査します。変成王の本地は 弥勒菩薩であり 弥勒菩薩は仏陀の入滅後 次の仏陀になる事が約束された菩薩で 現在は 兜率天で修行をして居り、仏陀入滅後 56億7千万年の未来に 現世に現れ 多くの人々を救済するとされて居ります。

 

 弥勒菩薩は 梵名をマイトレ−ヤと言い 仏教の菩薩の一尊で 未来仏です、弥勒は音写で その語源は 慈しみ とされて居ります。弥勒菩薩の現世への下生は56億7千万年後とされる その算式は 弥勒の兜率天での寿命が4,000年であり、兜率天の一日は 現世の400年に匹敵するとの説から 下生までに 4,000×400×12×30=5億7600万年かかるとの計算に由来し、後世になり 5億7600万年が 56億7千万年に入れ替わったと考えられます。弥勒菩薩は 兜率天で修行の後 弥勒如来(あるいは 弥勒仏)として 現世へ下生するとされます。

 

 中国、朝鮮半島、日本に於いては 弥勒菩薩の兜率天に往生したいと願う 上生信仰が時として流行し、又 弥勒如来は 56億七千万年を待たずに 今 下生されるので それに備えなければならないと言う 下生信仰も有ります。下生信仰は 現世改革のための終末論、救世主待望論など利用され、反体制派の集団に利用される例も多く有ります。日本でも戦国時代に 弥勒仏がこの世に現れるという信仰が流行し、江戸時代の百姓一揆や世直し一揆の思想的な主柱とも成りました。

 

 弥勒菩薩の像容は 椅坐して左足を下ろし、右足を上げて 左膝の上に置き、右手で頬杖をついて、瞑想する姿が一般的です。著名な例としては 大阪 野中寺、京都 広隆寺 醍醐寺、奈良 東大寺等が御座います。

七福神の一人である布袋は 中国では 弥勒の化身とされ 弥勒如来として 仏堂の正面に祀られて居ります。

 

    今回は以上です。 

 

地蔵菩薩

 今回は地蔵菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 五七日(三十五日目)の審理は閻魔王が司り、水晶の鏡で生前の業績をつぶさに映し出し その業績により栽を申し渡します。閻魔王の本地は地蔵菩薩です。大地が全ての生を育む力を蔵する様に、苦悩になやむ人々を その大慈悲の心で包み込み 救済する所から地蔵菩薩と名ずけられたとされます。一般的に親しみを込めて お地蔵さん、お地蔵様とも呼ばれます。

 

 地蔵菩薩は 仏教の信仰対象である 菩薩の一尊で、サンスクリット語でクシティ・ガルバと呼ばれます。クシティは 大地、ガルバは胎内を意味し、それを意訳して地蔵としれたとされます。菩薩の居所は 通常 空居天ですが、地蔵菩薩は地居天に居り 釈迦仏に属して 毎朝禅定に入り、釈迦の入滅後 56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうので、その間 六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされます。中国に於いては 地蔵王菩薩とよばれ その聖地は 安徽省の九華山で、文珠菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の晋陀山と共に 中国四大仏教名山(聖地)の一つとされて居ります。

 

 日本に於きましては 浄土信仰の普及と共に 極楽浄土に成仏が叶わない衆生は 地獄に堕ちるという信仰が強まり、地獄に於ける責め苦からの救済を地蔵菩薩に求めるなりました。賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵菩薩が守るという 民間信仰も有ります。又 六地蔵と呼ばれる 仏教の六道輪廻の思想にもとずき、六道のそれぞれを六種の地蔵が守るとの考えから 地蔵菩薩を六体ならべ祀る像も各地にあり、特に 奥州平泉の中尊寺金色堂は著名です。そして 地蔵信仰は道祖神信仰とも結びついて 町外れや辻に 町の結界の守護神 としても建てられました。

 

 像容は 一般的には剃髪した僧侶の姿で 袈裟を身にまとい、左手に如意宝珠 右手に錫杖を持つ姿、或いは 左手に如意宝珠 右手は与願印の印相をとる像が多く見られます。著名な地蔵菩薩としては 奈良 法隆寺、神奈川県内では 鎌倉 建長寺の本尊、同じく鎌倉 宝戒寺の像等が御座います。更に 横浜中華街には 地蔵王廟(中華義荘)も建立されて居ります。

 

   今回は以上です。

普賢菩薩

 今回は普賢菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 四七日(二十八日目)の審理は 五官王が司り、秤を用いて罪の重さを計ります。五官王の本地は 普賢菩薩であり 大乗仏教に於ける 菩薩の一尊です。

 

 普賢菩薩は梵名をサマンタ・バドラと呼ばれ その意味する所は ”普く賢い者”であり、普賢菩薩は世界のどこへでも現れ 仏の慈悲と理知をあらわして人々を救う賢者であるとされて居ります。法華経の中に登場し、法華経では女人成仏を説く事から、女性の信者の信仰を多く集めました。又 密教では 菩提心(真理を究めて悟りを求める心)の象徴とされ、同様の性格を持つ金剛薩すい(土返に垂)と同一視され、金剛手菩薩とも呼ばれます。中国・四川省の峨眉山が普賢菩薩の霊場とされて居り、文珠菩薩と共に釈迦如来の脇侍を務めるのが一般的です。

 

 普賢菩薩の像形としては 六牙の白像の背に蓮華座を乗せ、蓮華座で結跏趺坐して合掌する姿が一般的です。密教では 左手で宝剣を立てた蓮茎を持つ姿や、金剛薩すいと同じ 左手に五鈷鈴 右手に五鈷枡を持つ姿、あるいは 如意・蓮華・教典などを持つ作例も御座います。又 普賢延命菩薩と呼ばれる尊格を持ち、二十二手を持つ尊としての作例も多く御座います。

 

 著名な作例としては 東京 ホテルオークラ正面前の大倉集古館に収蔵されて居ります木像、絵画として 東京国立博物館の普賢菩薩騎象 像、奈良国立博物館の本、鳥取県 豊乗寺(ぶじょうじ)の本などが御座います。

 

  今回は以上です。 

 

文殊菩薩

 今回は文殊菩薩に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける 三七日(二十一目)の審理は宋帝王が司り、邪淫の業について審理します。宋帝王の本地は文殊菩薩で 知慧を司る仏とされて居ります。梵名はマンジュシェリー 正式には 文殊師利菩薩と言われ、妙吉祥菩薩とも言われます。

 

 文殊菩薩は 舎衛国のバラモンの家に生まれたとされます。文珠菩薩が智慧の菩薩とされる逸話は 維摩居士という学者が居り 維摩居士と問答をしてかなう者が居りませんでしたが、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等の問答を交わす事が出来たとの記載によります。文殊菩薩が実在したと言う事実は有りませんが、観音菩薩とは異なり、モデルとなる人物が存在したと考えられて居り、仏教教団の内部で生まれた菩薩と考えられて居ります。又 法華経では 過去世に日月燈明仏が涅槃の後に その弟子であった妙光菩薩の再誕が文殊菩薩であると説いて居ります。

 

 文殊菩薩は 三世の仏母 と唱えられ、華厳経では 善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役割で書かれています。文殊菩薩の徳性は 悟りに到る重要な要素 般若 即ち 智慧です。悟りに到る為には智慧が必要とされますが、智慧は 一般的な知恵(豊富な知識と頭の良さ)の象徴であります。 ”三人寄れば文殊の智恵” ということわざは これから生まれました。

 

 文殊菩薩像は ほぼ一定しており、獅子の背の蓮華座に結跏趺座して、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)を持ち、左手に教典を乗せた青蓮華を持ちます。

密教では 清浄な精神を表す童子姿となり 髪を結います。髪の数は像により 一、五、六、八の四種類があります。一は増益、五は敬愛、六は調伏、八は息災の本尊とされて居ります。

又 禅宗においては 修行僧の完全な姿を現す 聖僧として 剃髪して座禅を組む僧形となります。

日本に於ける有名な作例と致しましては 奈良の 興福寺東金堂の坐像、安部文殊院の五尊像 高知の 竹林寺の五尊像などが御座います。

 

   今回は以上です。

釈迦如来

 今回は釈迦如来に付いて書かせて頂きました。

 

 十王信仰に於ける初七日の審理は 泰広王(本地 不動明王)が書類審査により司りましたが、二七日(十四日目)の審理は 初江王(本地 釈迦如来)により 三途の川のほとり で司られます。釈迦如来は 仏教の開祖である釈迦を 仏、或いは仏陀として敬う呼び方です。又 釈迦牟尼仏とも呼ばれます。


 小乗仏教(上座部仏教)では 釈迦如来(釈迦牟尼仏)は 現世に於ける唯一の仏とされて居ります。そして 最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(あらかん)と呼ばれ、仏である釈迦の説法によって解脱した聖者と位置付けられています。


 大乗仏教では 釈迦如来は 十方(東西南北と その中間である四隅を足した八方と 上下を加えて 十方)と 三世(過去、未来、現在)の中に位置する諸仏の一仏であり、現在の娑婆(堪忍世界)の仏であるとされます。又 三身説では 仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされます。


 大乗仏教の中の 特定宗派では 釈迦牟尼仏は 古代インドで活躍し、肉体を持った ゴータマ・シッダルタ(釈迦)を指すのではなく、インドで生誕する前の悠久の昔から存在し、入寂の後も 遙か未来まで存在して行くという 信仰上の 釈迦牟尼世尊である と説きます。


 釈迦如来は インドを始めとして 仏教が布教された各地で 造像されて居りますが、日本では 誕生像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像などが御座いますが、釈迦が法を説く姿である 説法像が一般的です。著名な作例としては 奈良の法隆寺金堂、室生寺金堂 京都の清凉寺、蟹満寺、大報恩寺などの釈迦如来像が御座います。


   今回は以上です。  

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