葬儀の豆知識 ご遺体の海外移送

 今回はご遺体の海外移送に付いてです。


 近年 外国人の方の観光、就労、留学等を目的とした来日が増加しております。一昨年の福島原発事故により一時減少はしましたが回復傾向にあります。それと共に事故や病気により亡くなるケースも多く見られます。

 そうした際の対処方法方法ですが、ご遺体の処置に付きご遺族の確認が必要となります。ご遺族が海外の場合は日本に於ける身元引受人。何れも確認が取れない場合は故人さま国籍の大使館、あるいは領事館との確認となります。

 海外では土葬が主流ですのでご遺体を移送するケースがほとんどですがネパールの様に ご遺体移送を認めず火葬処理済みのご遺骨のみ移送を認めている国もありますので 移送先国の大使館あるいは領事館に確認する必要が有ります。 


移送の前のご遺体処理に必要とされる資料は 

  • ご遺骨を移送の場合 
    • 死亡診断書2通 1通は死亡地の役所に提出 埋火葬許可証を受ける。1通は領事館へ提出 
  • ご遺体を移送の場合 
    • 死亡診断書2通 1通は遺体処理をする病院へ1通は領事館へ 
    • 遺体処理証明書 エンバーミングを行った担当医の処理証明書を領事館へ
    • 梱包証明書 棺の中はご遺体のみの証明、領事館員立会いの下納棺梱包し領事館へ提出

ご遺体の移送は貨物扱いとなりますが移送先の国により規則が違いますので該当領事館 の指示に従い取り扱う必要があります。

 

今回は以上です。

葬儀の豆知識 遺言に付いて

 今回はご遺言に付いて書いてみました。 

 

  ご遺言とは ”形式や内容にかかわらず故人が自らの死後の為に遺した言葉や文章” のことです。私どもはよく”ゆいごん”と言いますが法律上は”いごん”と読みます。


 人類の歴史の中で遺言は古くから有りましたが初めて文章と成りましたのはBC5世紀 古代ローマの十二表法の中です。この中では相続人を明記する事とともに金銭、私有物はもちろん身分も相続も可能でした。故人が政府の大臣であれば相続人は大臣職を引き継ぐことが出来たのです。


 英国では十三世紀に成文化され、故人の遺産はまず遺言執行人に引き渡され、その後遺言の指示に従い相続人に譲渡されました。米国も基本は英国と同様です。 

独国、仏国は英国とは違い相続人へ直接引き渡されます。日本は独国と同じ形です。


 日本では八世紀初頭に制定された大宝律令の中に財産の相続方法が規定され、その後757年の養老令で遺言優先が示されております。平安時代後半から私有する財産が大きく成りはじめ、地頭職などの地位を含めた権利譲渡先を示す譲状という書状(遺言状)が出されるように成りました。その後江戸時代に入り社会が安定するとともに長子単独相続が定着して行きます。

 現在の日本に於ける遺言の方式には”普通方式”と”特別方式”があり普通方式には自筆証書、公正証書、秘密証書の三種類が 特別方式には死亡危急者の遺言、 伝染病隔離者の遺言、在船者の遺言、船舶遭難者の遺言の四種類があります。

  • 自筆証書 遺言者が遺言書の全文、日付け、氏名を全て自書し印鑑を押したものです。
    日付けは特定され
    ていなければ成りません、吉日等は不可です。自筆証書は遺言者の死後 家庭裁判所の検認を受ける必要があります。また封印されている場合の開封は家庭裁判所以外では無効となります。 
  • 公正証書 証人二名の立会のもと公証人により作成されます。
    公証人手数料はかかりますが最も安全です。                                                
  • 秘密証書 遺言内容を秘密にしたまま封印し二名の立会人のもと公証人に認定してもらいます。
    開封、検認は家庭裁判所で行う必要があります。

 特別方式については此処ではお許し頂きます。尚 実際に当たりましては地方自治体の法律相談、あるいは然るべき人にご相談のうえ対処願います。

 


 今回は以上です。

葬儀の豆知識 お墓に付いて

 今回はお墓です。

 

 お墓のことを正しくは墳墓(ふんぼ)と言います。墳墓はご遺体あるいはご遺骨(焼骨)を葬り故人を弔う場所を指します。 

 古くから時代の有力者たちはその業績のモニュメントとして巨大な墓を築いて来ました。日本では王や天皇の墓を陵(りょう)あるいは陵墓(りょうぼ)と呼んで居りますが 古くは奥都城(おくつき)とも呼ばれ現在でも神道の墓をおくつきと言います。 

 世界最大の面積を持つ陵墓は日本の仁徳天皇陵(大仙陵古墳、大阪府堺市)であります。


 お墓は必ずしも世界共通の文化ではありません ヒンドゥー教では遺骨を川か海に流します。日本でも長い間墓を建てる習慣は有りませんでした一般的になるのは江戸時代中期からです。

 ご遺体あるいはご遺骨の処置は厚生労働省管轄の墓埋法により規定されております。 

 まず墳墓は ”死体を埋葬し、又は焼骨を埋蔵する施設” と規定され 死体を埋葬は土葬が許されている事を示しており、焼骨の埋蔵は納骨堂も可能な事を示しています。 

 墳墓を設ける墓地は ”墳墓を設ける為に、墓地として都道府県知事の許可を受けた区域” とされ ”死体の埋葬、又は焼骨の埋蔵は墓地以外にこれを行ってはならない” と示されております。

 納骨堂に関しては”他人の委託を受けて焼骨を収蔵する為に納骨堂として都道府県知事の許可を受けた施設”なっております。この他人の委託を受けての延長線でご自宅でのご遺骨の保管が可能となっております。

 尚 焼骨の埋蔵、収蔵に当たりましては火葬済みの認印を受けた火葬・埋葬許可証が必要です。認印は火葬場で受けられます。

 

今回は以上です。 

葬儀の豆知識 仏壇に付いて

 今回は仏壇に付いて書いてみます。 

 

 仏檀とは本来 仏を祀る神聖な檀のことをさしました。

 古代インドでは土を盛り檀を作ってそこを神聖な場所として神を祀りました。その場への風雨を避ける為 屋根を設けて それがやがて寺院となります。  

 日本へ仏教が伝来し多くの仏教寺院が建立されましたが 平安時代後半から室町時代にかけて上流階級の中で個人の仏堂(持仏堂)を持つ貴族が出ます。藤原頼道の平等院 鳳凰堂や足利義満の鹿苑寺(金閣寺)などがそれにあたります。

 この持仏堂の考え方が広がり自宅内に小型化した持仏堂を設けこれを仏壇と呼ぶ様になります。同時に寺院に於ける本来の仏檀は須弥檀(しゅみだん)と呼ばれる様になりました。 

 仏壇を持つ習慣は江戸時代の寺請制度により一般庶民の間に普及しました。尚 この家の中で仏を祀る仏壇という習慣は日本特有のものであります。 

 仏壇は宗派により決まり事が異なりますのでここで細かくは述べませんが大きく別けて 金仏壇(漆仏壇)と唐木仏壇の二種類がありますが;

  • 金仏壇 杉、松、欅、檜などの木に漆塗り箔押し仕上げをしたもので主に浄土真宗で使われております。
    室町時代 浄土真宗の本願寺八世・連如は布教に辺り”南む阿弥陀仏”(むが変換出来ませんでした)と書かれた掛軸を授け 本山を真似た仏壇に祀ること を奨めました。これが金仏壇(漆仏壇)の原型となっております。
  • 唐木仏壇 紫檀、黒檀、檜、桜、松などの無垢財 練り財で作られ金仏壇に比べ安価です。
    江戸中期以降 大阪で作られ関東大震災後の仏壇需要で大きく普及しました。  

 仏壇に使われる大きさの表示は尺貫法を使い 又 少々特殊で主に内径を示します;例えば 45X15は 高さ4尺5寸 戸幅1尺5寸を表します。このとき戸幅は扉を閉めた時の扉の全体幅を指しており外形寸法とは異なります。

 高さを示す表示に号を使う事もあります。1号は1寸で15号は1尺5寸です。仏壇の数は 一基、一本、一台のいずれかで数えられます。

 

今回は以上です。     

訃報 ヴォルフガング・サヴァリッシュ氏

ドイツ人指揮者、ヴォルフガング・サヴァリッシュ氏が今月22日、享年90才で亡くなりました。

 

日本のクラシックファンの中には、NHK交響楽団との数多くの共演を楽しんだ人も多いでしょう。際立った個性は感じられませんが、きちんとした演奏で自然に楽曲に浸っているうちに、感動させられるような演奏だったと思います。

彼の実力は、数々のエピソードからも伺えます。33歳でバイロイト音楽祭出演という最年少記録を打ち立てた後、カラヤンやメトロポリタン歌劇団から勧誘を請けながら、まだ経験不足という事で辞退した事。フィラデルフィア管弦楽団を育て上げたユージン・オーマンディからも後継者として二度の招聘を請けましたが固辞し、果ては楽団員全員一致の指名投票でようやく請けた。伝説的な歌手、エリザベート・シュヴァルツコップはフルトヴェングラー、カラヤン、ベームとも多数共演しているにもかかわらず、全ての指揮者のうちでもっとも素晴らしい指揮者はサヴァリッシュである、と明言しているなどなど。

人物としてもかずかずの人間味にあふれた逸話があります。

1960年代はウィーンフィルの首席指揮者として活躍、私は個人的には1970年代のバイエルン国立歌劇場での演奏を、FMでよく聴いた記憶があります。


冥福を祈ります。


葬儀の豆知識 お布施に付いて


ofuse.gif 今回はお布施に付いてです。

 

 ブッダを目指す菩薩(修行者)は六波羅蜜(ろくはらみつ)と呼ばれる六つの徳目 (六道とも言う )を修めなければ成りませんが その一つが布施波羅蜜です。

 布施波羅蜜は梵語でダーナ、漢字で檀那、意味は分け与えるです。

 お布施には五つの施があります。

  1. 財施 金銭、食料、衣服などの財を施すこと  
  2. 法施 仏の教えを説き 精神的な施しをすること  
  3. 無畏施 不安や恐れを抱いている人へ安心を施すこと  
  4. 和顔施 笑顔を人に見せ 幸福感を施すこと  
  5. 言辞施 言葉で人を傷つけないこと

 

 またお布施をする人を施主、あるいは檀那の檀をとり檀徒と言い 菩提寺にお布施をする人を檀家といいます。

 そして このお布施は何かに対する代償ではなくご自分の出来る限りの施しと考えます。

 葬儀に於ける枕経、通夜、葬儀式の法要は僧侶による法施であり 僧侶あるいは寺院へのお布施は財施であります。従いましてご自分の範囲での施しをお考え下さい。

 ちなみに日本消費者協会の統計によれば平成19年の お布施 平均金額は全国平均 五十四万九千円、東京、神奈川、埼玉は六十八万四千円でした。

 

 今回は以上です。


葬儀の豆知識 戒名に付いて

 今回は戒名に付いて書いてみました。


 戒名とは 仏教に帰依し 然るべき修行を修めた人 すなわち受戒した人に対し俗名の代わりに与えられる名前(法名とも言う)のことをいいます。戒名には苗字はありません。

 仏教の起源でありますインドでは 僧侶に戒名は有りませんでした。その後仏教が中国に渡り 僧侶になると 俗名に変えて戒名を名乗る習慣が出来上がりました。更に日本に伝来し 死生観が変化して 死後に成仏すると言う考えから死者へ戒名を送る習慣が出来上がりました。

 尚 この戒名は浄土真宗では法名、日蓮宗では法号 が正しい名称となります。

 戒名は基本二字で表現されますが 戒名には号が付けられます。


 OO院XX△△居士(大姉)

   OOは院号、XXは道号、△△は戒名、居士(大姉)は位号です。

 

  • 院号
    社会や宗派へ高い貢献をした者に送られる号です。院号は皇族、もしくは高位の公家に送られました。又 武家に対しては院殿号があり 室町時代以後の将軍には院殿号が送られています。よく院殿号は院号より上と言われますがこれは最近の解釈で 本来は院号、院殿号の順となります。
  • 道号
    戒名の前に付ける字(あざな)で社会活動、宗教活動の功績により長さが変わります。
  • 位号
    性別や年齢を表します。

 

 先程述べましたが戒名には苗字は有りませんが戦国大名の武田信玄、上杉謙信などは 苗字+戒名の組み合わせで使われた例はあります。

 江戸時代 僧侶は戒名のみで呼ばれておりましたが 明治維新以降の戸籍法により僧侶 も苗字をつけて戸籍登録をしなければいけなく成りました。

 

 戒名に付いては以上です。

葬儀の豆知識 ご位牌

 今回はご位牌です。


 ご位牌は霊牌とも呼ばれておりますが 故人さまの霊の依代(よりしろ)であります。

 木の板を使用し表に戒名を裏面に俗名、死亡年月日、死亡時年齢(数え年)を書いて 故人さまの葬礼の際に使われます。


 位牌 という名前の由来ですが 中国の後漢時代から 儒教の葬礼では神主(しんしゅ)と呼ばれる霊牌が使われて居りました。神主には官位と姓名が書かれており その官位の位を取り 位牌になったと言われております。この位牌は 鎌倉時代に禅宗と共に伝来し 一般的に使用される様になるのは江戸時代からです。


 位牌には使われ方により 内位牌、野位牌、本位牌、寺位牌の四種類があります。

 内位牌は 御臨終後すぐに製作し枕飾り、葬儀に使われます。白木の簡素な位牌であるゆえ 白木位牌とも呼ばれております。内位牌は 四十九日の納骨式まで後飾りで使用され 霊を本位牌に移して頂いた後 焚き上げます。土葬の場合は喪明けまで墓地に飾り 喪明けと共に土葬もしくは焚き上げます。

 野位牌は 墓石に故人さまの名前が刻まれるまでの間 お墓に置いておく白木の位牌です。

 本位牌は 四十九日の喪明け以降 仏壇に飾る位牌です。漆塗りやカシュー塗装を施した塗位牌、黒檀や紫檀に透明の塗装を施した唐木位牌に金文字を入れたものが一般的です。

 また 本位牌には 札位牌と繰り出し位牌とがあります。札位牌は 一枚の板に戒名を書いたものです。繰り出し位牌は 多数の薄い板を重ねて 収納出来る様にした箱型の位牌で 過去何代にも渡り戒名を納める事が出来ます。

 寺位牌は 菩提寺へ供養のお布施と共に納める位牌です。

 

 尚 浄土真宗では位牌を使用致しません。

 日本に於ける位牌の生産地は 会津若松、京都、名古屋、和歌山が有名ですが 最近は 中国、ベトナム産の廉価な物も出回り始めました。

 

 今回は以上です。

葬儀の豆知識 ご位牌

 今回はご位牌です。


 ご位牌は霊牌とも呼ばれておりますが 故人さまの霊の依代(よりしろ)であります。

 木の板を使用し表に戒名を裏面に俗名、死亡年月日、死亡時年齢(数え年)を書いて 故人さまの葬礼の際に使われます。


 位牌 という名前の由来ですが 中国の後漢時代から 儒教の葬礼では神主(しんしゅ)と呼ばれる霊牌が使われて居りました。神主には官位と姓名が書かれており その官位の位を取り 位牌になったと言われております。この位牌は 鎌倉時代に禅宗と共に伝来し 一般的に使用される様になるのは江戸時代からです。


 位牌には使われ方により 内位牌、野位牌、本位牌、寺位牌の四種類があります。

 内位牌は 御臨終後すぐに製作し枕飾り、葬儀に使われます。白木の簡素な位牌であるゆえ 白木位牌とも呼ばれております。内位牌は 四十九日の納骨式まで後飾りで使用され 霊を本位牌に移して頂いた後 焚き上げます。土葬の場合は喪明けまで墓地に飾り 喪明けと共に土葬もしくは焚き上げます。

 野位牌は 墓石に故人さまの名前が刻まれるまでの間 お墓に置いておく白木の位牌です。

 本位牌は 四十九日の喪明け以降 仏壇に飾る位牌です。漆塗りやカシュー塗装を施した塗位牌、黒檀や紫檀に透明の塗装を施した唐木位牌に金文字を入れたものが一般的です。

 また 本位牌には 札位牌と繰り出し位牌とがあります。札位牌は 一枚の板に戒名を書いたものです。繰り出し位牌は 多数の薄い板を重ねて 収納出来る様にした箱型の位牌で 過去何代にも渡り戒名を納める事が出来ます。

 寺位牌は 菩提寺へ供養のお布施と共に納める位牌です。

 

 尚 浄土真宗では位牌を使用致しません。

 日本に於ける位牌の生産地は 会津若松、京都、名古屋、和歌山が有名ですが 最近は 中国、ベトナム産の廉価な物も出回り始めました。

 

 今回は以上です。

葬儀の豆知識 祭壇に付いて

 今回は祭壇に付いて書いてみます


 いずれの古代文明にも何らかの神が存在し、人の力を超えた何かを神に願い祈祷が 行われました。その祈祷を行う際に神への奉げ物を配置したものが祭壇です。

 従いまして石で作られたもの、木を組み立てたもの、あるいは地面に獣の皮を敷いたものなど 多様な祭壇が存在し 多くの遺跡を多くの国で見ることが出来ます。

 現存する最大の祭壇は中国 北京市にあります。

 明時代に天を祭るために建築された 天壇という祭壇です。


 さて葬儀に戻りますと ご葬儀で使う仏教の祭壇は厳密には葬儀壇と言います。

 以前は故人の成仏を願い 柩の前に小机を置き 白布で被い 花立て、香炉、火立ての三具足に供物、供花をそえたささやかなものでしたが 明治以降 特に戦後になり 葬儀と告別式の区別が明確でなく、又ご遺族の哀悼を より大きな告別式で表す風潮とともに 多くの飾りをつけた多段の祭壇へと変化しました。

 そして昨今は無宗教のご葬儀も多くなり 故人さまの遺品を祭壇に飾るとか 故人さまの好きな花を使った花祭壇など 故人さま・ご遺族さまのご希望に沿った祭壇が主流になっております。

 

 私どもひかりの杜では ご遺族様のご要望に沿う生花祭壇をご用意しております。ぜひこちらをご検討ください。

 

 今回は以上です。

 

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葬儀の豆知識 お棺に付いて

 今回はお棺に付いてです。


 おひつぎには棺と柩の2種類の文字が使われますが ご遺体を納棺前には棺を 納棺後には柩の文字を使用するとされております。

 お棺には寝棺と座棺の二種類が有りますが 寝棺の歴史は古く弥生時代には すでに 石や木の棺が使われて居りました。但しこれは現在のイメージとは違い 地面を掘って その周囲を石や木で覆ったもので むしろ石室、木室のイメージでした。

 現在に近い棺は 古墳時代から見られます。木や石をくり貫いたり組み合わせたものが 出土されています。

 何れにしろ 明治時代に至るまで 寝棺は高貴な方にのみ使われて居りました。

 座棺の歴史は鎌倉時代からが認識されております。

 縄文時代の屈葬は出土しておりますが柩が使用されたかは不明です。

 江戸時代から庶民の間で葬儀が行われる様になり埋葬は屈葬でしたので座棺が使われました。この座棺には桶が使われましたので棺桶という言葉が生まれ 又急いで作らなけ ればいけない為 早桶も棺の代名詞となりました。

 現在の棺は材料として木材が使われ 天然木棺、フラッシュ棺、布張棺が主なものです。天然木棺は檜、樅などの一枚板を使用した高級棺で彫刻を入れたものなどは百万円を 超える価格のものも有ります。

 フラッシュ棺はベニア材に桐などの天然木を貼り付けて作られており今主流の棺です。 布張棺はフラッシュ棺に布を貼り付けたものでキリスト棺などで多く使われております。

 

今回は以上です。   

葬儀の豆知識 霊柩車について

 今回は霊柩車に付き書かせて頂きます。


 DSC005911.jpg現代では 霊柩車(遺体の搬送を行う自動車)の提供サービス事業は 運輸省管轄の許可事業であり 貨物自動車運送事業法に基づいたサービスが提供されて居ります。


 古くはご遺体の搬送は 特別な階級の方を除き人により担いで搬送されて居りましたが 江戸時代 大八車が開発され 搬送手段は大八車へと変わりました。

 明治時代には 葬列のきらびやかさと共に宮型の装飾をした大型の台車が現れ 更に宮型の装飾をトラックの荷台に乗せた形が出現しました。

 大正時代には 米国より霊柩車が輸入されます。

 日本で最初の宮型霊柩車は1917年 大阪で葬儀社を営んでいた駕友の鈴木勇太郎氏 により考え出されました。

 同じく大正年間には名古屋市で市内と市営火葬場・墓地間で霊柩電車が走っていたとの事です。

 

 現在では宮型・洋型・バス型・バン型の四種類の霊柩車が使われて居ります。

 宮型霊柩車はキャデラック・トヨタクラウンワゴンなどの 後部を宮型装飾に変えて 使われております。しかしながら最近は装飾の派手さゆえ 進入禁止の場所も増え 洋型あるいはバン型に変わられつつあります。

 洋型霊柩車は大型の高級外車をリムジン化して使われています。 色は黒が主流ですがパールホワイト、シルバーなども散見されます。

 バス型霊柩車はご遺体と会葬者を同時に搬送する事が出来 北海道などの寒冷地で多く 使用されています。

 バン型霊柩車は外側に装飾を施さずご遺体でもお棺でも搬送出来る形になっており病院からの搬送などにも利用されます。搬送車あるいは寝台車とも呼ばれます。

 

 最後に有名な迷信をひとつ

 「霊柩車が走って居るのを見たら親指を隠す事 さもないと親の死に目に会えない」

 私ども、昭和の人間は霊柩車が走っているのを見ると無意識に親指を隠してしまいます。

 

 

 今回は以上です。  


葬儀の豆知識 返礼品

 今回は返礼品に付き書かせて頂きます。


 ご葬儀には係わる返礼品は通夜返礼品、会葬返礼品、香典返し、そして法事返礼品と さまざま有りますが 供養品とも言われております。

 他人にお布施をする事のより仏に徳をつみ これを故人へ振り向けることを願う 供養の為の品と言う事で供養品と呼ばれます。

 供養品には”志”と表記します。キリスト教でも表記は同様でかまいません。

 通夜返礼品  通夜にご会葬頂きお清めの席に出られない方への返礼品ですが 現在ではお清めの席  への出欠に係わらずお渡しする様です。
 又 最近では通夜のみご出席の方も多くなって居りますので告別式と共通の返礼品を  お渡しする事が多くなつております。

 会葬返礼品  葬儀・告別式に会葬頂いた方への返礼品です。
砂糖・お茶・ハンカチなどの繊維製品・商品券などが一般的です。金額は500円から800円程度の品物です。


 香典返し  ご香典への返礼品です。香典返しには即返し、と忌明け返しとが有ります。
即返しはご香典を頂いた際その場でお返しするものでご香典の金額に係わらず一律のお返しを用意するのが一般的です。
金額は3000円前後です。忌明返しは49日の喪明けに”志”の表記に挨拶状を添えてお送りします。金額は半返し、もしくは三割返しですがその地域のしきたりによります。キリスト教では故人の死後一ヶ月頃にお送りします。

 法事返礼品  ”御仏前”への返礼品です。


 私どもがお手伝いさせて頂いて居ります横浜では”即返し”が今は主流です。


 今回は以上です。        

葬儀の豆知識 香典について

 今回は香典に付いて書かせて頂きます。


 香典の意味は 仏様の食物である香の煙を代わりに供えるという意味と 典は金品を 意味しております。

 本来は 仏式の葬儀で使われるものでしたが 今では不祝儀の際の一般的な名詞となりました。


 香典袋は仏式の場合 白無地か蓮の花の絵が入った包みに、成仏前は「御霊前」成仏後は「御仏前」と表書きしてご遺族にお渡しします。

 尚 成仏日の解釈は宗旨、宗派により異なりますが一般的には7x7日(49日)で良いかと思います。


 神式では白無地の包みに「御玉串料」「御榊料」と表書きします。


 キリスト教では白無地の包みに「お花料」と表書きします。カソリックの場合は「御ミサ料」と書くという説が有りますが 御ミサ料は追悼ミサのお礼として ご遺族から司祭さまへお渡しするもので 通夜、葬儀の際に使用するのは 間違いです。


 御霊前の下にご自身の名前、中袋に金額 住所を書きますが その際は薄墨で書くとされていますが 正しくは 薄墨は涙で墨が薄まる すなわち悲しみを表し、濃墨は丁寧に墨を擂った証し すなわち故人への思いの深さを表します。弔事には薄墨でも良いが 慶事に薄墨を使用してはいけないという事です。


 香典の金額は勤務先・友人・隣近所であれば三千円から一万円、親族一万円から三万円、兄弟・姉妹三万円から五万円、子供五万円から十万円が現在の相場でしょうか。なお古くからの日本の伝統として金額 紙幣の数には偶数を使わないという習慣が有りました。

 香典は故人に対するお供え物であると共にご遺族にたいする支援の意味もあります。以前は米、酒、食料品でしたが徐々に金銭へと変わりました。

 武士階級は室町時代から、一般庶民は明治時代から、一部農村部では戦後から金銭の香典へと変化してきたのです。

 

 今回は以上です。   

葬儀の豆知識 神道の玉串拝礼

 前回に続き焼香に変わるものとして 神道では玉串拝礼を行います。 

 

 玉串とは榊の枝に紙垂(しで)あるいは木綿(ゆう)を付けたもので 神事の際に  神前に捧げるものであり 神霊がよりつくものとされています。

  語源は諸説有りますが「玉をつけたから」というものと「玉は魂の意味」という説が あります。


 以下、玉串拝礼の作法をご説明いたします。

  1. 神職より榊を受け取ります。
    受け取り方は左手のひらを上に向けて葉の部分を乗せ 右手のひらを下に向けて根元を上から持ちます。その際ややひじをややはります。
  2. 神前の玉串案(机)の前に進み 深く頭を下げます。
    玉串の先を時計方向に90度回し左手を下げて根元を持ち 祈念を込めます。右手で玉串の中程を下からささえ 玉串をさらに時計方向に回しながら、根元を神前に向け左手を離して右手の下に添えます
  3. 前に進んで玉串案(机)の上に奉でん(置く)します。
    二拝して 音をたてないように二拍手 一拝して終わります。葬儀の時は両手を打つ寸前で止め 音をたてない様に拍手をします。これを「しのび手」といいます。

 

 今回は以上です。

葬儀の豆知識 献花


kiku.jpg 前回は焼香に付いて書かせて頂きましたが他の葬礼で焼香に変わるものとして献花が御座います。

 

 献花は日本に於けるキリスト教、宗教を持たない方、ホテルでの葬祭、そして密葬後の お別れ会などで行われております。

 献花の歴史は古くイラク北部のシャニダ−ル遺跡でネアンデルタール人の遺骨の周りか ら花の花粉が発見され この時代にはすでに献花がされていたと考えられます。 (これは献花ではないとの学説もあります。)

 何れにしろ人類が生まれて以来 人の死を悲しみ その悲しみを表現する方法のひとつ として”故人に花を贈る”という習慣は非常に長い歴史を持っております。


 献花に使用される花は 一輪咲き 茎が長くてしっかりしている 白い花という前提 からカーネーション、菊、バラなどが有りますがバラはとげが有るので使用されず キリスト教葬ではカーネーションが それ以外では菊が(仏教葬のイメージか?) 一般的に使用されております。


 ひかりの杜ではご供花のご注文も承っております。

 また、さまざまな生花祭壇を取り揃えており、 火葬から家族葬、通常の一般葬まで様々形式に対応できる最新設備とシステムを備えています。宗派も仏式だけでなく、キリスト教など様々な宗派に対応可能です。

 近年の葬儀では棺や遺影のまわりを生花で飾る生花祭壇をご希望される方が増えています。生前、故人様が好まれた花で、故人様を連想させるデザインで葬儀を執り行いたいとよくご依頼を頂きます。

 ひかりの杜ではそういった要望もご遺族様のご希望通りの祭壇をご用意することが可能です。
横浜で葬儀の際はひかりの杜へご相談ください。


 さて、献花の方法は遺影に向けてテーブルの上に置く 遺影の前のオアシス(水槽)に活ける 棺の中に直接納めるなどが普通でしょうか。

 献花の置き方としては棺に納める場合はお花を故人のお顔に向けて置きます。

 それ以外は特に決め事はありませんので最初に置いた方を見習うのが自然です。

 以前のマナー本では神道の玉串と同じ様に花を手前にして置くと書かれたものが 多く見られましたが最近は見かけなくなりました。

 

 今回もご拝読 有難う御座いました。


葬儀の豆知識 お焼香について

 今回から何回かに別けて葬儀に関わる豆知識を書かせて頂きます。

 

 今回はお焼香です。


 お焼香は主として仏教において香を焚くことを言います。葬儀、法事などで 仏や死者を拝むとき 心と身体の穢れを取り除き 清浄な心でお祈りする際の作法とされております。


 お焼香には線香と抹香の二種類の香が使われます。

 線香焼香は日常の儀礼で、末香焼香は法事の儀礼で使われて居ります。線香の炎は手うちわで消します、抹香は親指 人指し指 中指の三本でつまみ香炉の中 にパラパラと落とします。一般的には抹香焼香を焼香と言って居ります。


焼香の種類

  • 立礼焼香 遺影の前で立った状態で順次焼香する形式。
  • 座礼焼香 遺影の前に順次座って焼香する形式。
  • 回し焼香 座った状態で順次 香炉を回しながら焼香する形式。


宗派における焼香  

  • 真言宗 焼香 3回、線香は3本立てる。
  • 曹洞宗 焼香 2回、線香は1本立てる。 焼香は1回目は香をつまみ額に押し戴いて焚く、2回目は押し戴かずに焚く。1回目を主香、2回目を副香と言います。
  • 真宗大谷派 焼香 2回、線香は立てずに折って寝かせる。焼香は額に押し戴きません。
  • 浄土真宗本願寺派 焼香 1回、線香は寝かせる。焼香は額に押し戴きません。
  • 浄土宗 特にこだわらない。焼香 1−3回、線香 1−3本立てる。
  • 日蓮宗 焼香 3回、線香 1本立てる。

 会葬の方々の宗教や宗派が違う場合は必ずしも作法に拘る必要はないかと考えます。 むしろ会葬する事がより大切かと思考いたします。

 

 今回は以上です。

死の環境と葬儀

 前回は死の判定に付き書かせて頂きましたが 今回は死の環境に付き述べさせて頂きます。

 日本の人口は昭和25年の8320万人から増加を続け平成20年の12808万人をピークとして以降 減少の傾向にあります。

 又 その年齢別構成を見ますと 14歳以下の年少人口は35%から13%へと 65歳以上の老年人口は5%から23%へと変化し四人に一人が65歳以上となってま いりました。

 死亡者数は昭和30年以降70万人前後で推移して居りましたが50代年後半から増え始め 平成15年に百万人超 21年で114万人 47年には180万人と 推定されております。

 死の場所も大きく変化しており、自宅死から病院/診療所での死へと変わりました。

 

年度 死者総数 病院/診療所 老人ホーム 自宅 その他
1955 69万人 11万人 53万人 5万人
16%   77% 7%
1985 75万人 51万人 21万人 3万人
68%   28% 4%
2009 114万人 93万人 4万人 14万人 3万人
82% 3% 12% 3%

 

 死亡者の年齢構成を見ますと2009年の65歳以上の死亡者比率は85%でしたが 2025年には死亡者数160万人 うち65歳以上は140万人(87.5%)と 高齢者の死亡比率がより高まると見込まれます。

 平成22年の死因内訳は以下が主なものでした。

 

死因 内訳
悪性新生物(癌などの悪性腫瘍) 29.50%
心疾患 15.80%
脳疾患 10.30%
肺炎 9.90%

 

 今回は以上で終わらせて頂きます。             

葬儀と死の定義

 私どもはご葬儀のお手伝いを生業とさせて頂いてて居りますが それは 然るべき方が”不帰の人”となる事で御座います。この言葉では、「死」とは二度と帰らぬと言うことと表現されております。


 それでは死とはどう定義されて居るかと言いますと;  

  1. 呼吸の停止
  2. 心臓の停止
  3. 瞳孔反射の喪失

の三機能の停止をもって死亡と判定しております。


 以前はこの内ひとつの機能停止でも他の二つの機能停止に繋がるので心停止は死亡と 同義語でありました。

 現在では人工心肺などの最新機器と救急技術の進歩により脳の機能が停止しない限り 蘇生する事が可能にもなりました。従いまして現在は この三つの機能が 不可逆的に停止する と言う表現に変っております。

 事故などで心肺が停止しても心肺蘇生などにより回復した場合はこれを可逆的な死 (仮死)として死亡とは判定しません。 

 

 日本の法律では万が一の仮死埋葬を避ける為 死亡判定後 24時間は火、埋葬する事 が出来ません。但し伝染病による死亡はこの限りではありません。

 死亡の判定は医師、監察医、もしくは警察の嘱託医により下されます。

 医師の加療のもと病死もしくは自然死の場合は該当医師により死亡診断書が発行されます。

 掛かりつけの医師がいない場合、病死もしくは自然死が不明の場合、事故死 自殺などの非犯罪死の場合及び、犯罪死あるいはその可能性がある場合は 監察医か嘱託医により死体検案書が発行されます。

 

 以上が現代の日本の「死」の定義となります。

 

 最後に、上記のご説明とは感じが違いますが 先人の定義した「死」の定義をご紹介いたします。


 ”死は人生の終末ではない、生涯の完成である。”  マルティン・ルター 

 ”人は死ぬ。だが死は敗北ではない。”       ヘミングウェイ

仏式の葬儀の流れ

 今日は、改めまして仏教における葬儀の流れをご説明いたします。


 仏教は紀元前500年頃 インド シャカ族の王子 ゴータマ・シッダールタにより 開かれました。そして 個人の救済を目的とする小乗仏教、万人の救済を目的とする 大乗仏教へと分派 拡大しながら一世紀に中国へ 更に538年(552年?)に日本へと伝来します。日本では聖徳太子の活動後 準国教として大躍進する事になります。

 

hasu.jpg仏式の葬儀 

 流れはご遺体安置、納棺、通夜、葬儀・告別式、火葬、埋葬、法要、喪明けとなります。

 

  • ご遺体安置 ご遺体を清め、死に装束を着せ、手を胸元で合笙して数珠をかけ 北枕で安置します。
  • 枕かざり ご遺体の前に小机を置きその上に以下を飾ります。
    一本線香
    一本ローソク
    一本しきみ(花を一輪)
    水(故人ご愛用の湯飲みで)    
    枕飯(故人ご愛用の茶碗で 箸は垂直に立てます)      
  • 納棺   僧侶を招き納棺経をあげて頂き その間に納棺を行います。
  • 通夜   ご遺体を守って ご遺体の側で一夜を明かします。
  • 通夜ぶるまい   精進料理で通夜のご会葬者をおもてなしします。
  • 葬儀と告別式   近頃はご会葬者の便宜を考え葬儀と告別式の区別をつけずに同時に行い時間短縮をはかるケースが多く見られます。
  • 焼香   香は線香と抹香を使います。
    焼香と合笙により故人の霊を清め 仏に帰依すること念じるための礼法です。線香に火を移した際 炎を吹き消すのはタブーです。手であおいで消して下さい。
  • 火葬式   火葬のまえに僧侶による読経、焼香、合笙により最後のお別れをします。
  • 清めの塩  火葬場から帰りましたら水で手を清め体に塩を振り掛けます。
    正式には まず体の正面へ 次に背中へ 最後に戸外へ向けて塩を振り掛けます。
  • 数珠   宗派により違いは有りますが 通夜、葬儀、告別式、法要などの仏事に欠かせない 大切な小道具です。

 

 最後に仏式の葬儀で香を使用しますが よく消臭のためと言われますが 正しくは 香の煙は仏の食物であるとの教えから来ております。

キリスト教における葬儀のありかた


 今回はキリスト教の葬儀に付いて書かせて頂きます。



christianityfuneral.jpg キリスト教の死生観では 死は神道、仏教に於ける穢れとは異なり 死は主(神)のもとへ召される祝福すべき事であり 葬儀はその許しを主より頂く為の 儀式です。従いまして葬儀後 カソリックの追悼ミサ、プロテスタントの記念式は 有りますが 喪明け的考え方は有りません。

 葬儀の一連の儀式はカソリックの場合 神父さま プロテスタントの場合 牧師さま により主導されます。

 葬儀もカソリックとプロテスタントでは流れが相違して居りますので個別に書いて見ました。また宗派により違う処も有りますので一般的な流れとご理解下さい。

 

 カソリックの例 流れは納棺、感謝の典礼、告別式、埋葬となります。

  •  納棺  神父さまの祈祷 遺族、近親者による聖書朗読 讃美歌斉唱 そして納棺となります。ご遺体の周囲は白いお花で飾り 棺は黒い布で覆いその上に十字架を乗せます。
  •  感謝の典礼  神父さまによりパンとブドウ酒が奉納されます。それが神に受け入れられるよう  祈祷し キリストの死と復活を記念してキリストの体と血を捧げます。
     そして生者と死者の為に祈り 人びとの一致を願い聖体を参列者に授け 結びの拝領祈祷により終わります。
  •  告別式  聖歌を合唱し 故人の履歴紹介の後 神父さまによる撤水 結びの祈りとなります。  祈りの後 神父さまは退場し 弔辞 弔電披露 オルガン演奏とともに献花 ご遺族代表の挨拶により閉会となります。

 

 プロテスタントの例 流れは聖餐式、納棺式、前夜式、葬儀、埋葬となります。

  •  聖餐式  ご臨終前の儀式です。
     牧師さまからご病人へパンとブドウ酒が与えられ 聖書を朗読して 安らかに天国へ 召される様祈ります。又 臨終の際は死に水をとります。
     プロテスタントでは善良なる信徒は生前から神により救われているので 死後は直ちに神のみもとに召されると考えられて居ります。 

 納棺式、前夜式、葬儀はカソリックの納棺、感謝の典礼、告別式とほぼ同じです。

 

 献花は日本独特の習慣で 神道の玉ぐし,仏教の焼香などに準じてキリスト教の 葬儀に取り入れられたと考えられます。使用する花は菊、カーネーションなど 茎の長いものが使われます。

 

 今回は以上です。

神葬祭 神道における葬儀をご説明します

 今回は神道について書いてみます。


 神道 しんとう 又は かんながらのみち と読みます。

 神道は日本古来 固有の宗教で 山、川、滝、高木などの自然や自然現象を敬い それらから 八百万(やおよろず)の神を見い出す多神教です。

 その根幹は森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念を現したものです。

 神道は縄文式時代に起源し弥生、古墳時代に確立されたと思われます。

 仏教の伝来後 国教としての立場は失われましたが 1785年以降 吉田家の下に 集大成され明治維新とともに国教へ復活します。

 しかしながら神官は国の神職であり葬祭を行うことは出来ませんでした。この制限は第二次世界大戦終了まで続きます。

 神道の死生観では 人はみな神の子であり 神の計らいによってこの世に生まれ この世での役割を終えると神々の世界へ帰り子孫達を見守ることと成ります。

 神葬祭は故人が家の守り神になる為の儀式であります。又 死は穢れであるため神社内での葬祭は謹んでおります。

 仏教における戒名は おくりな 線香の代わりに玉串が使われます。


神葬祭の流れ 

  • 枕直しの儀 神棚に故人の死を報告し 神棚の前を白い和紙で覆います(神棚封じ)。ご遺体に白の小袖を着せ北枕に安置し、枕元に守り刀を置き 祭壇を設けます。祭壇には米、酒、塩、水、故人が好んだものを供えます。
  • 納棺の儀 ご遺体を棺に納め 蓋をして白い布で棺を覆い 全員で拝礼します。
  • 通夜祭と邊霊祭 通夜祭は仏式の通夜にあたり、邊霊祭は故人の霊をご遺体から霊璽へ移し留める(御霊移し)儀式です。神職は祭詞を奏上し、遺族は玉串を奉り拝礼します。
  • 葬場祭 故人に対し最後の別れを告げる神葬祭 最大の重儀です。弔電の拝読、神職による祭詞奏上、遺族 会葬者による玉串奉納などが行われる。
  • 火葬祭 ご遺体の火葬前に神職の祭詞奏上、遺族による玉串奏上 拝礼により行われる。
  • 埋葬祭 墓の四方の竹を立て注連縄で囲い 遺骨の埋葬 祭詞奏上、遺族の拝礼により行われる。
  • 帰家祭と直会 埋葬を終えて自宅に戻り 神職のお祓いを受けて家の門戸へ塩を撒きます。そして霊前へ葬儀の終了を報告します。その後 直会(なおらい)を行います。直会は神職、及び世話役を慰労するための宴であり この直会で葬儀は終了します。
  • 御霊祭 十日祭、二十日歳、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭と続きます。二十、三十、四十、百日祭は最近省略されて居ります。五十日祭で神棚封じを解きます。一年祭以降は三年祭、五年祭、十年祭、以降五年毎と続きます。尚 仏教の三回忌は二年後に行われますが神道では三年後と成ります。


以上で今回は終わります。

葬儀の歴史 最終回 火葬の変転と戦後の葬儀事情

 今回は葬儀の歴史 最終回として 火葬の変転と 戦後の葬儀事情を書かせて頂きます。

 

 江戸時代 火葬の比率は20%程度と考えられます。また特定の火葬場は有りませんでした。しかし明治以降火葬の比率は少しずつ上昇し昭和30年代には98%を超え 世界第一位の火葬国となって居ります。

 明治6年には政治的目的で火葬禁止令が出ましたが 8年には廃止となり 東京、京都などの都会市街地に於ける土葬禁止令 伝染性疾患死亡者の火葬令 火葬場の整備により火葬適用率が高まって行きました。

 日本最初の近代的火葬場は東、西本願寺火葬場(現在の京都中央斎場)です。

 又 昭和2年には東京の町屋に重油火葬炉が出来 それまで夜間に火葬 翌朝収骨が 火葬開始の2時間後には収骨出来るように成りました。

 

 さて戦後の葬儀事情ですが終戦直後から大きな変化を2回経験しております。

 一回目は高度経済成長期であり 二回目はバブル崩壊後です。


img_1777055_64279218_0.jpeg 日本人は第2次世界大戦の経験による 死に対する忌避感が強く存在しておりました。

 そんな中 高度経済成長期が訪れ葬儀は大型化して行きました。

 更に 家族、親族、地域の人びとによる”野辺の送り”が”社会儀礼としての告別式” へと変化しより華美な式へと変化してゆきました。


 しかしバブル崩壊後 高度経済成長期に醸成された家族の分散、少子化、医療の進歩 による高齢化等により再度大きな変化が進みつつあります。


お墓

 以前は市街地に有った○○家の墓は個人化に伴いマイ墓として環境破壊を伴い 作られた多くの周辺地域の霊園へつながります。

 最近はその辺を考えた永代供養墓、散骨、樹木葬なども盛んに成りつつあります。


在宅死から病院/施設での死

 以前は80%が在宅死でしたが現在は逆転し80%が病院での死となつています。

 

葬儀の小型化

 従来葬儀は地域共同体で行われて居りましたが今は個人化が進みより小さな葬儀が 主流になりつつあります。平均会葬者数を見ますと1991年には280名でしたが 2006年は132名と半分以下と成りました。

 両親は故郷に子供は都会で生活となり 両親に何か有れば都会で治療となり その葬儀は家族だけでの密葬でと言うケースが多く見られます。

 従来 家族だけでのお見送りは密葬で 別途 告別式又はお別れ会という形でしたが 最近はご家族だけでの家族葬により終わるケースも増えております。

 さらに儀式を行わずに火葬のみのご家族も居られます。


 こうして 大型の葬儀から火葬のみのシンプルな葬儀まで 又その中身もご家族の希望に合わせた多様な葬儀が施行されるようになりました。

 

 以上で葬儀の歴史を終わらせて頂きます。有難う御座いました。

明治から戦前までの葬儀の変化

 今回は、明治から戦前までの葬儀の変化に付き列挙させて頂きます。


 1.まずは喪服ですが江戸時代までの白から黒に変わります。

 これは明治初期に近代化推進の為 英、独、仏の文化 習慣を急速に取り入れた際 喪服も黒に変化したのです。

 それに対して アジアに於ける仏教国では 現在でも喪服は白が使われて居ります。


 2.葬祭は従来 夜 しめやかに行われて居りましたが 昼間の葬祭に変わりました。


明治の銀座通り.jpeg またこれ以降 葬列は社交上 あるいは富を誇示する目的で より長く、より華やかなものとなって行きます。中には人足数万人を使った葬列もあった様です。

 ちなみに 明治18年の岩崎弥太郎の葬列、埋葬式への会葬者は3万人、雇れた人員は7万人といわれております。

 しかしこの流行も軍備増強の為の奢侈禁止、貧富の差に対する民衆からの批判、電車 自動車の発達に伴う交通事情の変化により 明治30年頃をピークとして 衰退してゆきました。

 



 3.葬列の縮小に変わり 告別式がより大きな形となります。

 従来はごく親しい方のみの参加でしたが 多くの友人 知人を呼ぶ様になります。

 日本で最初の告別式は 明治34年の思想家 中江兆民の葬儀と言われております。中江兆民は無宗教でしたので「宗教的儀式を用いず、告別式を執行する」との新聞広告をだして執り行いました。 


 4.祭壇もより大型化し それを飾る祭具も多様化していきます。

 棺は葬列との兼ね合いから従来の座棺から寝棺へと変化しいろいろな飾り付けがされて行きます。但し一般庶民の間では戦前まで座棺が主流でした。

 葬具屋としては江戸時代 棺桶を作る職人が存在して居りましたが 棺、葬列、告別式に使用される飾り あるいは新しい葬具を作製する為の葬具屋が出始め 葬具の貸し出し、要員の派遣を生業とする我々葬儀社は この時代に出現したのです。

 日本最初の葬儀社は明治19年に設立された 東京葬儀社と言われております。


 今回は以上です。次回は火葬の変転と 戦後の葬儀事情を書かせて頂きます。

明治維新以降の葬儀

明治天皇.jpg 1867年の大政奉還、1968年(明治元年)明治政府の樹立により 鎌倉以来の武家政治が終焉を迎えます。

 明治維新は下級武士と一部の民草による革命であり、その政策は徳川幕府の政策を全てを覆す事によりスタートしました。又 欧米列強の植民地化に対抗する為の近代化を推進しなければ成りませんでした。

 こういった背景のもと 葬儀が明治 大正 昭和初期と どの様に変わって行ったのか。

 まずは国教を仏教から神道に変える為の”神仏分離令”が明治元年に発令され これから数年間 廃仏棄却活動が盛んとなり 有名、無名を問わず多くの寺院が破壊され数万の僧侶が還俗させられました。

 明治4年発令の”戸籍法”により寺請制度が廃止されます。

 明治5年には”自葬禁止令”により神官も葬儀を行う事が出来るようになりました。

 しかしながら寺院は墓地を持って居りましたが 神社は墓地を持たない為 神葬祭用に 東京市営の墓地が青山、谷中、染井の3ヶ所に作られました。この染井は現在の豊島区駒込であり桜の種類で有名な染井吉野の原産地であります。

 明治6年 キリシタン禁制 解除

 明治8年 信教の自由

 明治初期に政府は国教神道を確立する為 仏教を迫害し続けますが 千年に及ぶ民衆と葬送文化を基にした仏教の結びつきは根強く 今日に至るまで葬送儀礼は仏教が主流であります。


 お疲れ様でした。次回は葬儀自体の変化に付き書かせていただきます。

江戸時代の庶民の葬儀の様子

1467年に始まった応仁の乱以降 戦国、安土桃山、江戸と時代が推移して行きます。

 民心は混乱、安定、平安へと変化し江戸初期までの200年間に浄土、禅の宗派を中心にした仏教伝道者の懸命の努力と兵農分離をもとにした郷村制の確立があいまって 蝦夷を除く全国各地に寺院が建立されて行きました。これは農民の安定した作業が豊かさを作り

  • 農民の自立
  • 一家の確立
  • 先祖崇拝

という流れに 葬祭文化をもとにした仏教がマッチしたことによります。

 そして1637年の天草・島原の乱からキリシタンの禁止を名目に 人口統計を目的としたと思われる宗旨人別の制度が 1665年に江戸幕府より発令されます。従い これ以降 本人確認は寺院によって行われる寺請制度が成立し 仏教は国教となります。一家一寺制は葬祭は必ず菩提寺で行うこととなり 庶民の葬祭文化が江戸時代半ばから始まりました。又 自家の墓を持つこともこの時代からです。


 では、江戸時代の庶民の葬儀の様子をご説明します。地域によりかなり相違しますが 大体以下のようです。

  1. 目黒.jpg

  • 湯かん:魂を清める意味で行われて居りました。
  • 死装束:経帷子、もしくは白布の単衣を左前に着せ、単衣の縫製は糸を結ばず襟なしで行いました。
    米、銭、血脈(極楽往生の保証手形 寺院にて用意)を入れた白布のズタ袋を首にかけ 手甲をつけ 草鞋をはかせ 地域によっては髪を剃りました。
  • 出棺:平常の出口は使わず 竹や萱などで作った仮門から出棺 帰りは死者が帰って来ないよう別の道を通りました。
  • 葬列:家から葬儀と埋葬を行う寺院までの間です。
    地域、死者の地位により異なりますが一般的には棺台、位牌、幡、四花、盛物、ローソク立て、線香等を寺社の規則に従った人が持って進みます。
    喪服は喪主が白の無紋の上下、他の人は羽織,袴もしくは平服、地域によっては手ぬぐいの様な布を肩にかけました。尚 死者より目上の人は葬列に参加しません。
  • 葬儀:寺院で住職により引導が渡されました。
  • 埋葬:土葬の場合 北枕で安置し 血縁の近い順に土をかけました。この当時は八割方は土葬でした。
  • 喪:服喪は初七日まででした。
  • 香典:米又は金銭が使われました。
  • お布施:半両から一両
  • お礼参り:初七日が終わりますと御簾を取り会葬者の方々へお礼参りに出かけました。
    この時代 7歳以下の子供の葬儀は行いませんでした。
    この時代 仏教寺院 神道神社 共に寺社奉行の管理下となり 寺請制度により神主も寺院に属すことが必要となって 神道は衰退してしまいました。


 以上有難う御座います。次回は明治、大正、昭和(第二次大戦前)です。

鎌倉時代の貴族、武士の葬儀葬礼

源頼朝.jpg 前回は、鎌倉、室町時代の一般民衆にも葬儀の習慣をご紹介しました。

 今回は、貴族、武士の葬儀葬礼をご紹介します。この時代の葬儀次第を示す文献として「吉事次第」という書があります。作者 書かれた時期 共に不明ですが 新谷尚紀先生が書かれた「日本人の葬儀」で紹介されています。

  • 御座直し
     死者は北枕で寝かし直し 周りを逆さ屏風で囲み 枕火として灯明を一本立て香をたく(消臭のため)。
  • 入棺 
     棺の中に香、土器の粉、茶の葉など香りの強いものを入れ遺体を納めます。そして遺体の上を曼荼羅を書いた布(引蓋)で蓋い その上から頭、胸、足の三箇所に土砂加持の砂をかけ棺の蓋ををします。棺を安置する時も北枕で行います。
  • 葬送 
     葬送日当日 素服という粗い布で喪服を縫い上げ 夜になると導師による儀礼の後出棺となります。
    棺は牛車により火葬場まで葬送されました。
     出棺後 遺体安置所を竹の箒で清め その箒と集めた塵を川に流し 枕火の灯明を消して終了となります。
  • 火葬
     火葬場は火葬の為の小屋を作りその周りを垣でおおい入り口に鳥居を建てました。時により垣は白い布で覆いました。
     火葬場に御車が到着すると導師による儀礼が行われ棺が小屋に入れられて火葬が始まります。火葬には一夜かかり 翌朝 火は湯で消し 灰は水で流します。
     焼骨は箸ではさんで次々と他の人に渡し骨壷の中に納めます。納め終わると土砂を加えて蓋をして白の革袋に入れられます。現在行われている二人の箸で行う骨上げはこの箸渡しが変化したものです。
  • 納骨
     
    白の革袋に納められた骨壷は召使によって運ばれ 位牌を持つ家督継承者が同行して 菩提寺に納骨します。
      武士の世界ではこの位牌を持つ人が家督継承者として世の中に認知される事と成ります。そして帰宅する前に藁で作った人形で手祓いをしました。

 

 このように、武士、貴族の葬儀葬礼は 一般民衆より丁寧な 手の込んだ物になっていたのですね。今日は、ここで終わりとします。

鎌倉、室町時代の葬儀

 これまで太古の時代からの日本における葬儀の歴史を述べて参りました。今日は、鎌倉、室町時代の葬送儀礼について、となります。


 現在の葬儀原型は鎌倉、室町時代に出来上がったというのが定説です。それと共に貴族、上級武士だけではなく一般民衆にも葬儀の習慣が少しずつ浸透し始めました。

 それまで民衆の遺体は川原や野原などに放置されて居りました。時にはそれが余りに酷い為 鎌倉幕府は遺体をむやみに放置せぬ様 通達を出しております。

親鸞2.jpg そして浄土宗 開祖 法然、浄土真宗 親鸞 などが親孝行の実遷のひとつとして葬儀を行うよう推奨しました。さらに葬儀の型式は何故か自己修養が主体である禅宗により整えられ その型式が 各宗共通の型式となり全国へ普及していきます。

 インド仏教の葬儀は簡単な儀礼のみでしたが中国に伝わり道教の中で形が整えられ 日本に伝来し禅宗の中により多くの知識が蓄積されていました。

 鎌倉、室町時代は兵農一体の時代であり 織田信長の兵農分離まで 農民は日々田畑を耕すとともに 領主の意向に応じて戦に出る生活でした。従いまして一般民衆にとって 死は身近な存在でありました。

 鎌倉幕府による遺体放置禁止令 また浄土宗、真言宗、浄土 真宗、日蓮宗などの布教活動のもと 埋葬の習慣が少しずつ定着していきます。もちろん費用の掛かる火葬などは出来ませんが 墓地にて僧侶による簡単な葬礼の後土葬されました。

 死は忌むべきもので有りますが 身近な問題でもあり 墓地は所有する土地の中の家から一番離れた場所 例えば田畑の片隅 もしくは村落の共同墓地などが使われました。 

 葬礼型式も 各宗派ごとに決まりは有りますが 地域の文化と融合し 地域独特の葬礼型式が出来始めるのはこの時代からです。

 今回の最後に 仏教に於ける葬送儀礼の目的は 死者が西方浄土に行けるよう 僧侶となる為のお手伝いであります。

 禅宗に於ける基本型は 死後 西方浄土に至る手引きとして 寺の西方に無常堂を立て お堂の中に金の阿弥陀像を安置し 仏像の左手に五色の幡を持たせ 幡の端を病者が握り 25名の同志は死に行く者の成仏を願って念仏を繰り返し唱える。

 死んだ後 同志は七日ごとに 集まって念仏を唱える、それを7回繰り返して(7X7=49)死亡直後の儀礼を終了とする。

 1年後に御はての業(わざ)と名付けて供養し喪服を平服に改める。

 これで葬送儀礼の終了となります。

 

 今回は以上です、次回は引き続き鎌倉、室町時代の貴族、武士の葬儀次第をとりあげる予定をしております。

葬儀の歴史 仏教の伝来と葬儀への影響

 6世紀半ばの仏教伝来 それに伴う新しい知識と物、各種技術の流入により日本は大き く変化して行きました。 また 多くの僧侶による布教活動の成果として仏教が世の中に定着して行きました。

 そして仏教を基にした葬儀の形が10世紀までの間に出来上がっていきます。 白い喪服、節目毎の読教、初七日、7X7日(49日)、一周忌などです。 

 仏教の基本は浄土思想とその対極にある地獄思想であり 死後 いかにして浄土に行けるかが基本であります。 従い 地獄がいかに酷い所かを鮮明にし日々の行動への指針を与えています。

 余談となりますが 地獄はサンスクリット語で”NARAKA”といい日本に伝来した 時は”奈落”となって居りました。

 地獄とは仏教に於ける世界観のなかで6道(天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、 地獄道)の最下層に位置し 大いなる罪悪を犯した者が死後に生まれる世界とされております。

 また 閻魔大王はインド仏教の中ではなく、古代インドの民間信仰の中に存在しており この二つが中国に伝わり道教のなかでミックスされて日本に伝来したと考えられます。

 葬儀の大きな要素のひとつであります火葬は仏教の葬法と言われております。

 文献によれば最初の火葬は700年僧道昭に 最初の天皇は702年持統天皇へ行われたとされて居りますが 6世紀後半の”かまと塚””横穴式木芯粘土室” という形式の古墳には火葬の痕跡があり 日本最初の火葬はいずれ100年ほど早まるかも知れません。

 火葬は非常に費用がかかる為 上層階級には広がりましたが明治時代に至るまで 土葬が一般的でした。 尚 天皇家は土葬が基本です。

 仏侘の教えでは火葬は遺骸を火によって速やかに毀損し 死んだ直後の霊魂による 自らの肉体への未練を断ち切ると共に、立ちのぼる煙とともに霊魂を天上界へ送り 成仏を促すとされております。  

太古からの日本の葬儀事情

 以前の定説では紀元前(BC)8千年頃からBC3百年頃までを縄文文化、それ以降をを弥生文化と呼び 弥生文化とともに水稲が始ったとされていましたが 最近の科学的な年代測定の手法(年輪年代測定法、AMS法)によると弥生時代の始まりはBC千年頃に遡る可能性が出て来ております。

 この弥生文化とともに日本各地に豪族と呼ばれる人たちが出始め この豪族の死去に伴い その力を誇示する為の墳墓はより大きなものへと変化していきます。その構築は民衆の役務によって賄われました。

 3世紀頃までには墓の形態も整い 円墳、方墳、前方後円墳 更には方形と円形を各種組み合わせた古墳文化へと進んでゆきます。

 その後 3世紀から7世紀にかけて 女王卑弥呼 天皇家により権力の淘汰が進み AC645年の大化の改新へと進んでゆきます。

 私どもにとり この大化の改新の中に興味ある令が含まれております。

 薄葬令です。

 これは権力者に対し その葬儀に当たり民衆に過大な負担を与えぬ様

  • 墳墓の大きさを制限
  • 死者の身分に応じた人民の夫役制限
  • 宝物副葬品の禁止

 を命じており 天皇家がすでに権力者をコントロール出来る地位に就いたと考えられます。

 そしてこの薄葬令により それ以前に行われていた葬送儀礼がより簡略化され それまでに作られて来たいろいろの儀礼が失われることとなりました。

 別の面では天皇家確立の根拠となる神式儀礼が確立されて行きます。 同時に神官、陰陽師と呼ばれる人々が力を持ちはじめ 霊の鎮魂という名目のもと 新しい儀礼を作り出していきました。

 以上がBC千年からAC7百年ころまでの葬儀事情ですが これはある一定の階級以上の人達の事情であり、一般民衆の中では 葬送儀礼も、遺体の埋葬も、ましてや霊の鎮魂など意識の外でしかありませんでした。

 遺体は人びとの邪魔にならない所に置かれておりました。


 明日もよろしくお願いします。

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