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相続の順位

 今回は相続人の範囲とその順位に付いて書かせて頂きました。

 故人様の財産を相続する際には 法律により定められた 相続人の範囲で その順位に従い行われます。法律に定められた相続人を法定相続人といいます。法定相続人には 配偶者相続人と 血族相続人が有ります。

 配偶者相続人は 故人様の配偶者で どの様場合も相続人に成れます。(法律上の婚姻関係にない 内縁の妻や夫には相続権は有りません。)

 血族相続人は 故人様と血のつながりを持つ親族で お子様やお孫様等の直系卑属、親御様や祖父母様等の直系親族、そして兄弟姉妹が相続人と成れます。但し その中には 第一から三位までの順位が有り、第一順位の相続人が居られる場合は 第二、第三順位の方は相続人に成れません。第一順位の方が居られない場合に第二順位の方が、第一順位と第二順位の方が居られない場合は第三順位の方が相続人になる形となります。

 第一順位は直系卑属の方で 故人様の 嫡出子・非嫡出子・養子・胎児等のお子様と お子様が亡くなられていた場合のお孫さん(代襲相続と言います)が含まれます。

 第二順位は直系親族の方で 故人様の父母、祖父母、曾祖父母の方ですが 父母が居られる場合には祖父母・曾祖父母の方に相続権は有りません。故人様にお子様が居ない場合にのみ相続人と成れます。

 第三順位は 故人様の兄弟姉妹(父母の片方だけが同じ半血兄弟姉妹も含まれます)の方々です。故人様に 直系卑属も直系親族も居られない場合にのみ相続人と成れます。

 尚 以下の人は相続人と成れません;

1 故意に被相続人、自分より上順位 又は同順位の相続人を殺したり、殺そうとして刑に処せられた者。

2 被相続人の殺害された事を知って これを告発せず、又は告訴しなかった者。

   但し 是非の弁別の無い者又は殺害者が自己の配偶者若しくは直系血族であった場合を除く。

3 詐欺・脅迫により、被相続人が相続に関する遺言を作成・徹回・取消し・変更する事を妨げた者。

4 詐欺・脅迫により、被相続人に相続に関する遺言を作成・徹回・取消し・変更させた者。

5 相続に関する被相続人の遺言書について偽造・変造・破棄・隠匿した者。 

   今回は以上です。 

遺留分

 今回は遺産相続に於ける遺留分に付いて書かせて頂きました。

 遺留分とは ご遺産の相続に当たり 法定相続人の権利を保護する為の制度であり、配偶者、直系卑属、直系尊属を対象して居ります。ご遺産の相続では ”遺言 優先” の大原則が有りますが、慰留分という別規定が有ります。例えば ご遺言により 特定の相続人、或いは特定の第三者に 全財産を遺贈すると指定された場合配偶者の方や、お子様等 相続人として権利を持つ方でもご遺産を受取る事が出来なくなります。しかしながら故人様の財産形成に当っては 何らか形で配偶者・お子様・ご両親が寄与している との考えから 民法に於いて この貢献に報いる為、遺留分という規定を設け ご遺族の最低限度の相続分を保護して居ります。故人様が特定の相続人や第三者に遺贈又は贈与をし、それによって遺留分が侵害された場合、侵害された相続人は財産贈与又は遺贈を受けた方に対して財産の返還を要求する権利が有ります(遺留分の減殺請求)。又 相手がまだ受取っていない財産を請求して来た場合、請求を拒否する権利が有ります(遺留分減殺請求権)。

 生前贈与も減殺請求の対象と成ります。相続開始前 一年以内の物は無条件に、一年以上でも遺留分の侵害を知った上でなされた場合は対象と成ります。

 遺留分が認められる範囲は 配偶者、直系卑属、直系尊属で 故人様の兄弟姉妹には認められて居りません。遺留分は直系尊属のみが法定相続人の場合は法定相続分の三分の一、その他の場合は二分の一と成ります。例えば 法定相続人が配偶者のみの場合は配偶者ヘ ご遺産の二分の一、配偶者とお子様が二人の場合は配偶者へ ご遺産の四分の一、残り四分の一をお二人のお子様で分ける事に成ります。

   今回は以上です。

遺産分割協議

 今回はご遺産の分割協議に付いて書かせて頂きました。

 遺産分割協議とは 故人様がご逝去され ご遺言が無い場合は 民法の定める法定相続分で相続する事に成ります。法定相続人が複数居られる場合は 相続人同士が全員で話し合い、誰がどの財産を相続するか決めなければ成りません。この話し合いを遺産分割協議といい、相続人の内 一人でも欠けていると無効と成ります。相続人に行方不明者が居られる場合は その財産管理人が、未成年者が居る場合は その法定代理人が参加しなければ成りません。

 行方不明者は 行方不明と判断されてから7年間は 生きているものと見做されますので 家庭裁判所に不在者(行方不明者)の財産管理人の選任を申し立てます。選任された財産管理人は 代理人として遺産分割協議に参加し、財産の分割後には その財産を管理します。尚 この場合 他の相続人が財産管理人になる事は出来ません。

 未成年者の法定代理人は 親権者がなるのが 一般的ですが、親権者が相続人の一人である場合は この件に限り代理人とは成れません。親権者、又は他の相続人は 家庭裁判所に申し立て、特別代理人を選任して貰います。

 遺産分割協議は 相続税の申告期限が 相続開始後(故人様のご逝去日)10ヶ月以内となって居りますので、それに合わせて行う必要が有ります。分割協議は全員で集まって話し合いをする方法や、分割の原案を作成し相続人全員に回覧して合意を得る形等が有ります。合意が出来ましたら 必須では有りませんが 遺産分割協議書を作成します。協議書は 後日のトラブルを避ける為、相続税の申告、財産の名義変更、配偶者の税額軽減などで必要と成ります。

   今回は以上です。

相続後の手続き

 今回は相続後の手続きと名義変更について書かせて頂きました。

 ご遺産の相続が確定しましたら 期限の指定が無くともなるべく早く名義の変更をすべきです。遺贈により相続した場合も速やかに名義を変更します。

 預貯金の名義変更や解約の手続きは 金融機関により相違が有りますので 金融機関ごとに確認をして手続きをして下さい。有価証券の場合は 会社、信託銀行、証券会社の何れかにご確認を頂き 名義の変更をします。

 不動産の所有権移転登記は その物件が所在する地域を管轄する地方法務局(登記所)で行います。”所有権移転登記申請書”を提出し 相続人の名義に変更登記をします。申請は相続人が単独で行う事が出来ます。共有で相続する場合は 共同申請で名義の変更をします。

申請には 登記申請書とその写し、登記原因証明情報として 故人さまの戸籍謄本(除籍謄本を含む)と住民票の除票、不動産の相続をする方の戸籍謄本と住民票、遺産分割協議書、相続人全員の戸籍謄本と住民票、印鑑証明書、固定資産税評価証明書が必要です。遺言による相続や遺贈の場合は 遺言書の写しを添付しなければ成りません。相続の場合の不動産の登記手続きには 登録免許税が掛ります。登録免許税は固定資産税評価額の0.4%です。

申請書 書式の例は 法務局のホームページで見る事が出来、一般的には司法書士にその作成を依頼します。申請の方法は 地方法務局へ出向て申請する方法、郵送で申請する方法、オンラインで申請する方法の3通りが有ります。

登記手続きに期限は有りませんが 売却や抵当権の設定も出来ませんし、その後の相続でのトラブルの原因となったりする事も多く見られますので 速やかな名義変更をお薦め致します。

  今回は以上です。

相続税の申告と納税

 今回は相続税の申告と納税に付いて書かせて頂きました。

 相続税の申告と納税は 相続開始の翌日 即ち故人様のご逝去の翌日から10ヶ月以内に行はなければ成りません。申告と納税は 故人様がご逝去された時の住所地の税務署で行います。相続税の納税は 金銭での一括納付が原則ですが、一定の要件を満たせば 延納や物納が認められる場合が有りますので、必要に応じ所轄税務署にご相談する事をお薦めします。

 相続税には 基礎控除額が有ります。基礎控除額は ”5,000万円+法定相続人一人に付き1,000万円”と成ります。例えば 法定相続人が4人の場合は 5,000万円+(4人X1.000万円)=9,000万円となり、課税価格がこの金額以下であれば 申告、納税をする必要は有りません。尚 課税価格とは 相続財産から債務、葬儀費用、非課税財産を差し引き みなし財産や生前贈与財産を加算した額です。尚 法定相続人の数は 相続放棄をされた方がいても、放棄する前の数で計算されます。

 相続税の申告書は 相続人が各自提出しても、相続人全員が共同で一部作成し 全員で署名・押印して提出しても構いません。期限までに分割協議が纏らない場合は ひとまず法定相続分で分割したものとして相続税を計算し 申告・納税します。その後 分割が確定した段階で、納めた額が少なかった場合は修正申告、納めた額が多過ぎた場合は更生の請求をして調整します。

 相続税に関し配偶者には 税額軽減の特別処置が有ります。配偶者の税額軽減が適用されて無税になるのは以下の二つの場合です;

 -取得財産の課税価格が一億6千万円以下の場合。

 -取得財産の課税価格が法定相続分以下の場合。

以上の他に 本来の相続税の額から法定相続分の税額を引いて納めれば良いので、かなり減額される事となります。配偶者の税額軽減を受ける為には 遺産分割協議を成立させた上で 税務署に申告する必要が有ります。

  今回は以上です。 

通夜への参列

 今回は通夜への参列に付いて書かせて頂きました。

 通夜は本来 ご遺族、近親者、ごく親しい友人などの 故人さまと深い係わりを持った方々集まり 夜を通して 故人さまとの最後の別れを惜しみ、又 故人さまの霊とご遺族を慰める為の場です。ご遺族から 通夜のご連絡を受けましたら ご参列下さい。最近は 通夜も告別式も 故人さまとのお別れの場 と考える方が多く見られますが、上記の趣旨から考えますと 特に親しい関係でなければ 通夜には参列せずに 告別式に参列されるのが 本来の形です。ご遺族から お通夜の日程をご連絡頂いた場合は お通夜に参列し、葬儀・告別式にも参列します。告別式の日程のみご連絡を受けた場合は 告別式の参列のみにとどめます。それほど親しい関係では無いけれども ご都合により 告別式に参列出来ない為 通夜だけに参列される場合は 通夜ぶるまいの席にお誘い頂いても ご遠慮頂いて 早めに引き上げるのが良いでしょう。お通夜への出欠を迷われる場合は 近親者の方、若しくはご葬儀の世話人の方 お問合せ頂くのが良いでしょう。

 最近のお通夜は 斎場の都合などにより 半通夜が多く成りました。半通夜は 夕方6時か7時頃から始まり、僧侶の読経、ご遺族・ご親族・参列者のご焼香で一時間程 その後の通夜ぶるまいで一から二時間程度でお開きと成ります。お通夜の式場には 通夜の開始時間より10分前位に着く様にします。まず 受付で記帳をし、”この度は御愁傷様で御座います、御霊前へお供え下さい。” とお悔みを述べて香典を差し出します。受付が無い場合は 拝礼(ご焼香)の際に祭壇に供えるか、ご遺族に手渡します。会場の中では 案内の方の指示に従って着席します。

 通夜ぶるまいの席は 弔問に対するお礼とお清め、そして故人様への供養の為に設けられます。お誘いを受けましたら遠慮せずに席に着き 一口でも箸を付けるのがマナーです。但し 宴席では有りませんので 故人さまと関係の無い話に夢中になったり、お酒を飲んで長居をしない様 気を付けます。途中で退席する際には 周囲の方に ”お先に失礼します”と挨拶して 静かに退出します。

 お通夜前や通夜ぶるまいの席でのお悔みや忌み言葉には気を付けて下さい。ご遺族さまは多くの方のお相手をしなければ成りませんので お悔みの言葉は 状況に合わせて簡潔にし 長々と話し掛けない様にします。忌み言葉には気を付けて 故人さまの病状や死因等 あれこれと尋ねる事は避けましょう。

  今回は以上です。 

弔辞

 今回は弔辞に付いて書かせて頂きました。

 弔辞は ご遺族が故人さまとの関係を考え 是非にと考える方にお願いします。弔辞を依頼されましたら 余程の事が無い限り 断らずにお引き受けするのがマナーです。内容は 故人さまとの思い出を語り、故人さまのご逝去を悼み、ご遺族への慰めとお別れの言葉で終わります。

 ご依頼を受けましたら 故人さまとの関係 友人、先輩、後輩、恩人、上司、部下など ご自分の立場を考え、故人さまとの 付き合いを思い出しながら 相応しい内容を考えます。まず 故人さまの人柄や業績を称え、追憶と感謝の気持ち、残された者の決意を述べ、最後にご遺族への慰めとお別れの言葉で結ぶのが一般的です。奉読の時間は約3分、文字数にして1,200字が目安です。忌み言葉に気を付け、美辞麗句を並べた形式的なものでなく ご自分の言葉で書いた方が良いでしょう。弔辞は記念として ご遺族の下に残りますので丁寧に書きます、巻紙に 薄墨を使用し 毛筆で認めるのが正式ですが 市販の弔辞用の用紙をご利用頂くのが便利です。

 弔辞の読み方は お名前を呼ばれましたら立ち上がり 改葬の方々に一礼して祭壇の前に進みます。ご遺族に一礼をした上でご遺影に向かい一礼します。左手に弔辞を持ち右手で開きながら拝読します、拝読の際は目の高さに捧げ持って読みます。拝読が終りましたら包み直し、表書を祭壇に向けてお供えし、一礼して席に戻ります。

 弔辞の文章では 下記の様な言葉使いにご注意願います。

死(一般);逝去、急逝、不帰、永眠。 死(若死):天逝、夭逝、早世。 死(仏教);成仏、往生。 死(神道);帰幽。 死(キリスト教);昇天、帰天。 死(その他);逝く、没する、瞑目、世を去る。 死者との別れ;永別、別離、訣別、送る。 悲しみ;悲哀、哀愁、愁嘆、傷心、慟哭、痛恨。 看病;介護、手当、介抱、手を尽くす。 恩を受ける;大恩、恩愛、恩義、恩人、恩情、恩顧。 事故;不慮の出来事、奇禍、殉職、殉難、災禍、惨禍、災難、海難、悲運、変事。

以上の他の忌み言葉としては 重ね重ね、重々、いよいよ、再三再四、たびたび、またまた、ますます、かえすがえすも等の”重ね言葉(不幸が重なるイメージ)”、 再び、つずく、なお、追って等の”続く事を連想させる言葉”、 死ぬ、死亡、生きる、存命中等の”直接的な表現”、 とんだこと、とんでもないこと、浮かばれぬ等の”オーバーな表現、不吉な表現”、 四・九等の”音読みが不吉な言葉”が有ります。これらの忌み言葉は表現を変えて使います。

   今回は以上です。 

末期の水、湯灌

 今回は末期の水とご遺体の清めに付いて書かせて頂きました。

 末期の水は 死に水とも言われ 臨終を告げられた後 同席している近親者の血縁が近い順に 唇を水で湿し ”あの世で渇きに苦しまぬ様にとの願いを込めた” 仏教の儀式です。本来は息を引き取る間際に行うものでしたが、現在はほとんどの場合 死後に行われる事が多くなり、病院で息を引き取り、その後ご自宅に帰った後に行われる様に成りました。又 仏教だけではなく、宗教を問わず広く行われる様にもなって居ります。末期の水は 新しい筆の穂先や 割りばしの先に脱脂綿やガーゼを付けて 茶碗の水に浸して 軽く唇を湿らせます。地域によりましては 鳥の羽を使用したり、二枚貝の殻に水をいれて飲ませる処も有ります。

 末期の水の後は 故人さまの最後の姿を清らかにする為、ご遺体を浄めます。これを湯灌といい 故人さまの現世での迷いや苦しみを ご遺族さまの手で洗い清めるという意味も有ります。以前は 逆さ水と言って たらいに水を入れ、お湯を注いでぬるま湯を作り 全身を洗い清めました。現在では 病院で亡くなられた場合 ご遺体の洗浄は看護師の手により成されますので、ご自宅では ガーゼや脱脂綿にアルコールを浸して 足、手、顔の順に清浄するのが一般的です。ご遺体の目があいている時は 瞼をそっとなでて閉じ、お口があいている時は 下あごをささえてお口を閉じます。この様な処置は葬儀社が行うように成りましたが、出来ましたら 故人さまに対する最後のお世話ですので ご遺族の手でお清め頂く事をお薦めします。ご遺体のお清めが終りましたら 死化粧を施します。髪を整え、爪を切りそろえ、男性の場合は髭をそり、女性の場合は薄化粧をします。ただし 地域により 死者に刃物を当ててはいけない、死化粧はしないなどの習慣が御座いますので、その場合は習慣に従います。

 以上が終りましてご納棺、出棺と成ります。

   今回は以上です。

葬儀の打ち合わせ

今回は葬儀の打ち合わせに付いて書かせて頂きました。

 葬儀社が決まりましたら 通夜、葬儀の内容に関し詳細を決めなければ成りません。宗教者の方の日程を確認のうえ、火葬場の空き状況を葬儀社に確認して貰い、通夜・葬儀の日程を決めます。斎場をご利用の場合も葬儀社に依頼し利用可能日を調べ、お決めの日程に従い斎場、火葬場の予約を葬儀社に依頼します。菩提寺が遠方の場合やお持ちでない場合は寺院や僧侶の紹介を葬儀社に依頼する事も出来ます。但し 戒名(法名)は菩提寺に依頼をします。これは戒名(法名)を菩提寺に依頼しないと菩提寺のお墓に納骨出来ない場合がある為です。神式の場合の神官も葬儀社に紹介を依頼します。

 ご葬儀の日程、宗教者、斎場が決まりましたら ご希望の葬儀の規模、雰囲気、弔問客数の予想、希望のご予算を葬儀社に伝え 葬儀プランを立てて貰い、内容を決めて費用の見積りをもらいます。必要に応じ カタログや写真等を見せて貰うのも良いでしょう。そして 葬儀社がやってくれる仕事とご遺族が担当しなければならない仕事を確認します。ご遺族側の世話役の方も打合せに参加頂き、どの仕事を受け持つのか、ご遺族側で用意しなければ成らない物は何か 葬儀社と良く確認して於きます。

 喪服がない場合は 貸衣裳の手配も葬儀社に依頼します。ご遺影用の写真を葬儀社に渡します。ご遺影用に使う写真は 故人さまが気に入っている写真の中から お人柄が偲ばれるもの、出来るだけ最近の物、正面を向いている物を選びます。ご希望に合わせ 不要の部分を消したり、衣服を差し替える事も可能です。

   今回は以上です。

葬儀の費用

 今回は葬儀の費用に付いて再度書かせて頂きました。

 葬儀の費用には 大きく分けて ①葬儀社の費用、②斎場・式場の費用、③宗教者への費用、④人数による費用、⑤その他雑費用の5項目が必要と成ります。現在では葬儀社よりプランと言う形で割安な提案がされて居りますが その内訳は①葬儀社の費用が主なものです。それ以外の②、③、④、⑤はお願いする場所、相手、人数により大きく相違する為、事前に見積もる事が難しい為です。

 葬儀社の費用としては 病院からご自宅へのご遺体搬送、ご遺体保全の為のドライアイス、故人さまをお祀りする為の枕飾り・灯明・線香、旅立ちの為の死装束、棺・敷布団・掛布団・枕、骨壺・覆い、ご遺影写真、式場設営、祭壇、供花、供物、葬具、受付用具、式場看板、式場案内板、式司会者、場内案内、場外案内、警察署への届、死亡届提出、その他場内装飾、霊柩車、マイクロバス、ハイヤー、式場撤去・清掃、初七日会場設営、初七日司会、会場撤去・清掃、四十九日までの後飾り、ご遺体をご自宅に安置されない場合の保管、ご納棺、メイクアップ、湯灌、エンバーミング等が有ります。

 斎場・式場の費用としては 横浜の場合 横浜市営の斎場、民営の斎場、横浜市営の火葬場、民営の火葬場が有り、それぞれ費用は異なります。尚 横浜市営の斎場・火葬場共に担当者えの心付けは必要有りません。

 宗教者への費用としては 仏教の場合 枕経・通夜・葬儀・告別式・初七日での読経(お布施)、戒名授与、お車代(ご住職の要望によりハイヤーを用意する場合も有ります)、お膳料。神式では神官へのお礼、キリスト教では 教会への献金、又は神父・牧師へのお礼が必要です。

 人数による費用としては お通夜ぶるまい・初七日後の精進落としの料理とお酒など飲物、会葬御礼状、会葬御礼品、香典返し等ですが 横浜の場合 会葬御礼品は用意せず、式場で香典を頂いた方には香典返しをお渡しして終了する形が多く成りました。

 その他の雑費用としては 運転手への心付け、遠方から来られる方の交通費・宿泊代・飲食費などが有ります。

 以上が必要な費用と成りますが、プランを基にした見積書の場合、プランの内訳と追加の料金とを良くご確認頂き、葬儀社をお決め頂く事をお薦め致します。

   今回は以上です。

葬儀の祭壇

 今回は葬儀式、告別式に於ける祭壇について書かせて頂きました。

 葬儀に於ける 祭壇の位置付けは 必ずしも明確では有りませんが 仏教において 葬儀式は 故人さまをあの世にお送りする宗教儀式であり、告別式は 故人さまとご遺族・会葬者の方々のお別れの場であります、従いまして 祭壇は この二つの目的を満たすものでなければ成りません。現在 多く見られる白木の祭壇は 明治時代に より華やかと成りました葬列で お棺は白木の輿に乗せられ、色々なお飾りをして 運ばれ、そのまま葬儀の場に安置されました。これを原型として 戦後に現在の白木祭壇が作られました。

 ご葬儀を執り行う場所は ご自宅、公営斎場、民営斎場、寺院・集会場等が有ります。ご自宅は 斎場を借りる費用も掛らず、ご近所の方々も会葬に来て頂きやすい 良い点は有りますが、祭壇を飾り ご焼香をして頂く場所を確保する必要が有ります。又 ご近所へのお気使いも必要と成ります。公営斎場は 祭壇を飾る場所も広く 利用料も廉価ですみますが、時として混んでいる場合が有ります。民営斎場は 施設もきれいで設備も整っていますが 利用料は高額となります。寺院・集会場は 貸斎場に比べると設備は整って居りませんので、準備には注意が必要です、尚 寺院をご使用の場合は檀家に限定される事が有ります。

 白木祭壇は 上部が宮型で、寺院建築風の装飾がされたもので 仏式葬で主として使用され、白木祭壇の上にお花を飾り、祭壇の両脇に頂いたご供花を添えます。

 現在は 宗教儀式もさることながら、故人さまとのお別れを主体にと 白木祭壇の代りに 生花で祭壇を作るケースが増えて参りました。生花祭壇には飾り方の決まりが有る訳では有りませんので、ご予算とお好みに合わせてデザインする事が出来ます。故人さまのお好きな花に囲まれたお見送りや フラワーアレンジメントによりましては 雰囲気の違うご葬儀を執り行う事も可能となります。

   今回は以上です。

ご遺体の保全

今回はご遺体の保全に付いて書かせて頂きました。

 人間や動物の肉体は死後 体内にある自己溶解酵素、及び体の内外に棲息する微生物などによって、細胞は急速に分解を始め(腐敗)、さらに ハエの幼虫など 死肉食性の昆虫の摂食活動により速やかに損壊されます。又 ご遺体から浸出す体液・腐敗汁などの汚染による感染症の危険もあります。これらを防ぐ為に ご遺体の衛生保全(エンバーミング)や 腐敗の進行を遅延させる為のドライアイス使用などを行います。日本国内の法律では 医師による死亡の判定から24時間以内のご火葬は許されて居りません(死亡原因が感染症である場合を除く)、又 火葬炉の空状況によりましては 更に数日間 ご遺体を保全する必要が有り、この間は一般的にドライアイスによる腐敗防止を、ご遺体を遠方に移送したり 何らかの事情で長期間 保全する必要が有る場合は遺体衛生保全(エンバーミング)を施す必要が御座います。

 ドライアイスは 皮膚に直に当てますと皮膚が傷つきますので、タオルなどでくるんで使用します。胃や腸の腐敗は早く、腐敗ガスを発生させますので 側頭部と胸から腹部を中心としてドライアイスを当てます。通常は10Kgで24時間 保全が可能ですが、夏場の暑い時などは量を増やしたり、交換の頻度を上げたりして調節する必要が御座います。又 ドライアイスは直下にしか効きませんので、ご遺体の上に置くかたちとなります。

   今回は以上です。

祭壇

 今回は祭壇に付いて書かせて頂きました。

 祭壇は 神、仏、精霊、や死者などに 犠牲や供物を捧げる為の壇を指します。仏教に於ける祭壇としては 仏像を安置する為の須弥壇、ご家庭内に置かれる仏壇は常設の祭壇であり、仮設の祭壇としては 葬祭儀礼用の葬儀壇、四十九日までの間 置かれる中陰壇、お盆の時期に設置される精霊棚(盆棚)等があります。

 仏教の葬祭儀礼に於ける祭壇は 儀礼により目的が異なります。葬儀の目的は 御仏を供養し それによって得られた功徳を故人さまに振り向けて頂くことに有ります、従いまして祭壇は仏様の為に設けられます。告別式の場合は 故人さまとご遺族や会葬者の方々とのお別れが主体と成りますので 祭壇は故人さまの為に設けられます。しかしながら 昨今の事情では 葬儀と告別式を個別に行う事は少なくなり、同時に執り行われる様に成り 祭壇も二つの目的を持つように成りました。

 江戸時代では 柩の前に野机と呼ばれる小机を置き、白布で覆い、灯明・香炉・花立て・位牌・供物を置き、両側に供花を添えて祭壇として居りました。明治に入りましてから 葬列がより盛大となり 柩を運ぶ白木の輿に色々な装飾がされる様に成り、戦後 この白木の輿が二段、三段となって 白木祭壇が祭壇の主流と成りました。戦後の葬祭儀礼は 葬儀よりも告別式が中心と成り 立派な祭壇を飾る事が故人さまを弔う事に成るとの考えが生まれ、祭壇はより大きなものへと変わりました。又 故人さまを より中心として弔う為に 故人さまの愛用品を祭壇に飾ったり、故人さまの人柄に合わせた生花祭壇を設ける事が流行とも成りつつあります。

   今回は以上です。

通夜

 今回は通夜に付いて書かせて頂きました。

 通夜は 故人さまとの別れの最後の夜と言う事で、故人さまと親しかった方が 故人さまを取り囲み、故人さまの思い出話を通して、語り合う夜の事です。ご遺族や身近な方々にとりましては 故人さまのご逝去はまだ 受入れ難く、夜を徹して 故人さまの周りに侍り、ご生前と同じよう仕えて、最後に過ごす大切な時間でも有ります。起源は お釈迦さまの入滅後、その死を悲しんだ弟子たちが ご遺体を見守りながら夜を通して お釈迦さまが生涯をかけて説いた お説法を弟子たちが互いに聞かせあったとの故事によります。

 現代のお通夜では 故人さまがご逝去されてから 斎場・火葬炉の空状況、ご遺族のご都合等を考慮し、ご予定を決めますが、ご逝去から葬儀まで数日の間が有ります。従いまして ご逝去の夜はご自宅で仮通夜、葬儀の前日を斎場で本通夜とする形がほとんどです。本通夜は 夜の6時から7時の一時間くらいを 僧侶の読経、弔問客によるご焼香にあて、その後 弔問客に対して通夜振る舞いのお酒と食事を供して 一時間から二時間で順次散会し、その後はご遺族や極く親しい方のみで 故人さまを見守るというのが一般的です。又 昨今は お仕事のご都合から会葬者の方々は 昼間のご葬儀よりも 夜間のお通夜のみに参列されるケースが多く見られ、通夜の参列者が多くなる傾向に有ります。

 尚 横浜市営の斎場では 5名程度まで宿箔が可能です。又 通夜ではロウソクと線香の火を絶やしてならないとの俗言が有ります これはご遺体の保全が十分に出来なかった時代にご遺体の腐臭を消す為に必要だったと考えられますが、現在ではドライアイス等によりご遺体の保全は問題御座いませんので 不要と成りました。市営斎場でも 火災予防の観点から 夜間は火気厳禁となって居ります。これは余談ですが 夜間に線香を絶やさない為の 蚊取り線香型の線香が御座いますが、これは 江戸時代の線香屋さんがか発明したものです。

  今回は以上です。

献花

 今回は献花について書かせて頂きました。

 献花とは 無宗教葬のお別れ会、キリスト教葬、香を使用出来ないホテルでの葬儀等で 故人さまをお見送りする際に捧げるお花を指します。ご遺体にお花を捧げる習慣は非常に古くから有り、イラク北部で発見された シャニダール遺跡で ネアンデルタール人のご遺骸の周りで 洞窟内では咲くはずの無い 花の花粉が見つかり 数万年前の亜人類にも 死者を葬る習慣があり、葬られたご遺体に お花を捧げたのではないかと 推測されております。

 キリスト教葬における献花は 白のカーネーションで行われるのが一般的ですが、これは日本だけの習慣で、仏教葬の焼香の変わる行為と言われて居ります。海外では お柩にお花を捧げる習慣は有りますが、ご葬儀でお花を捧げる習慣は有りません。ご献花を捧げる作法として決められた形は有りません、 その教会により異なりますが、参列者は各自一輪の花を持ち、一人ずつ式場の前に進み、お柩やご遺影の前に置かれたテーブルの上にお花を置いて、故人さまに拝礼をして席に戻ります。お花の置き方は お花をお棺に向けて置く場合と、茎の部分をお棺に向けて置く場合とが御座いますが、前の方と同じ方法で置かれるのが良いでしょう。又 お花は教会の入り口で会場に入る際に渡される場合と、献花の前に介添いの方より渡される場合が有ります。

 無宗教葬の場合や、仏教葬でもホテルで執り行う場合は焼香が出来ない為、献花を行います。献花に使用する花は ① 一輪咲き、② 茎がしっかりしてる、③ 持ちやすい長さがある、④ 白色の品種がある の条件を満たす花であれば良いのですが、トゲを持つ花は避けます。但し 今後は世の変化と共に変わって行くかもしれません。お花の置き方に付きましては 特に決められた作法は御座いませんので、前の方に従うのが良いと思われます。

   今回は以上です。 

葬儀と文化

 今回は葬儀と文化に付いて書かせて頂きました。

 有史以来 人が亡くなられると葬儀が営まれて参りました。そして その葬儀は 地域、民族、宗教などに根ざした文化と死生観を基に営まれ それぞれの時代の生活文化、精神文化を反映したもので有りました。その意味では 葬儀は 人の生死に係わる総合文化とも言えます。

 葬儀文化は その地域で長い歴史を通して人々が培って来たもので有り、多くの人々の知恵によって出来上がって居ります。そこに含まれている意味合いを良く理解し、その精神を大切にする事が必要です。勿論 文化はその時々の時代を反映して出来て居りますので、中には現代にそぐわない儀礼等も含まれますが、古い物と 単純に切り捨てるのでは無く、その儀礼(文化)が なぜ、どの様にして形成されたのかを学ぶ事により 過去の人々が どの様な 習慣、儀礼、文化を大切にし、どの様な価値を生み出したかを知る事が大切ではないでしょうか。

 横浜は 古くは小さな漁村と宿場町を擁する地域であり 特別な文化を持つ地方では有りませんでしたが、百数十年前の開港から 多くの人々が集まり現在に至って居ります。その文化は各国、各地域の文化が集合、混在して出来て居ります。又 高齢化、核家族化が大きく進む中では 多様な文化と死生観を持つ人々の都市となり、葬儀文化もより個人化された形に成りつつ有ります。私ども葬儀社も既成概念に捉われず、ご遺族さまの死生観に合わせたご葬儀を企画しなければ成らないと愚考する昨今で御座います。

   今回は以上です。 

葬儀の意味

 今回は葬儀の意味について書かせて頂きました。

 葬儀は 故人さまの逝去を弔うために執り行う祭儀ですが、それと共に 残された方々のために執り行う意味合いも強く有ります。残された方々が 故人さまの逝去を どの様に心の中で受け留め、位置付け、そして処理するかを手助けするする為の儀式でも有ります。日本では 宗教が文明の中で作られる前の 旧石器時代には すでに行われていた宗教的儀式とも言えます。

 現代の葬儀では 宗教的係わりが大きな要素となって居ります。葬儀の主体は あくまでも故人さまですが、葬儀の責任は故人さまを見送るご遺族さまであり、執行は僧侶、神職、神父、牧師等の宗教者であり、さらに参列される方々により構成されます。 そして 日本の葬儀では 悲しみの場である事が一般的ですが、他国では死者の新たな門出の祝いとして 明るく見送るケースが多く見られます。

 現在 よく葬儀の形骸化という事が語られますが、葬儀が大切な営みである事に変わりは無く、人の生と死は それぞれ固有の価値を持つものであり、そのご葬儀は 故人さまとご家族にとって固有の大切な営みで御座います。従いまして ご葬儀は如何に在るべきかと言うよりは 故人様・ご遺族が如何に在りたいかを大切にすべきと考えます。形骸化が世の流れであるとすれば それはそれで良しとし、私ども葬儀コーディネーターは 執り行わさせて頂くご葬儀の中に 故人様・ご遺族のご希望を折り込むべく 心せねば成らないと考えて居ります。

 現在の横浜では 核家族化が進み、地域の人々の協力も得難い状態となって参りました、その中で ご葬儀と言う あまりご経験の無い事を執り行うには相談相手として 私ども 葬儀コーディネーターが居ります。私共も 既成の概念に捉われず、ご遺族さまのご要望を勉強させて頂き その実現に向けて努力したいと熱望致して居ります。

   今回は以上です。

葬儀の起源Ⅱ

 今回も葬儀、特に仏式葬儀の起源に付いて書かせて頂きました。

 仏式葬儀に於ける作法はお釈迦さまの葬儀を基本にしているとされて居ります。

ご遺体を洗う湯灌の行事に付きましては原始仏教の時代より ご遺体を棺にお納めする前に 香水で洗浴する事が行われて居りました。又 釈尊は ご遺体に触れた者は体と衣服を洗い、触れなかった者は手足を洗うだけで良いと 教えました。

 末期の水とは ご臨終を迎えた人に与える水を指します。筆先、あるいは 新しい綿に水を含ませ唇を湿らせます。これは 釈尊が臨終を迎えた時 水を所望し 従弟であり十大弟子の一人であった 阿難尊者が川の水を汲んで 釈尊に差し上げた事に由来します。釈尊はおいしいと言って水を飲み、この水が釈尊の最後の飲物と成りました。

 仏式に於ける死装束は 白の経帷子ですが、これは 巡礼をする際の装束で、巡礼の途上で亡くなられた場合は そのまま火葬、あるいは埋葬された事に由来します。釈尊の場合は 支援者より 金色の衣裳が贈られ、これが死装束と成りました。東南アジアで見られる寝釈迦像が金色で飾られているのは この死装束に由来します。

 釈尊は 旅の最後に沙羅双樹の林の中で入滅されました。入滅された時 沙羅双樹の木は白い花を咲かせて供養をしたと言われて居ります。日本の葬儀で良く見られる 紙華花は 沙羅双樹の白い花に由来していると言われて居ります。 

 人が亡くなられると 布団を敷き直し 頭を北に向けて安置します。これは 釈尊が沙羅双樹の林の中で入滅された時 頭は北、足は南、顔を西に向けていた事に由来します。これを頭北面西と言い、右脇を下にする寝方を獅子臥の法と言います。

 法事の際の食事を”お斎(おとき)”と言いますが、インドでは 僧侶が食事をして良い時間を時食、食事をしてはいけない時間を非時食と言います。この時食が日本に伝わり斎(とき)に変化したと言われて居ります。

  今回は以上です。 

埋葬

 今回は埋葬に付いて書かせて頂きました。

 埋葬とは ご遺体を土の中に埋める事を言いますが、必ずしも土中に限らず 地下室や地上の施設に葬る場合も埋葬と表現します。現在の横浜では 100% ご火葬後の埋葬と成っておりますので、ご遺骨を埋葬する事となります。

 埋葬の歴史は古く 10万年ほど前のネアンデルタール人の時代には 埋葬が行われていたと考えられて居ります。又 その前の猿人・原人の段階では埋葬は行われていなかったと推定されて居ります。これは 人類が考える力を持ち始め 人の死や死霊などを特別な意識で見始めてから 埋葬と言う行為が始まったと推定されます。そして 埋葬の場所として 墓域が設けられて居たとも推測されます。その後 文明の発展と共に 強力な権力者が誕生し 埋葬行為は権力の象徴へと変化して行きます。

 日本に於ける 埋葬では 旧石器時代に属する 北海道の湯の里遺跡で お墓と思われる遺構が発見されて居り、旧石器時代には既に埋葬が行われていたと考えられます。それに続く縄文式時代以降には多くの遺跡で 埋葬行為が確認されて居ります。集落内や貝塚などに墓域が設けられ、土器棺、石棺に納められて 土葬により埋葬されて居ります。埋葬には手足を折り曲げた屈葬と 手足を伸ばした伸展葬が有りますが、この時代は屈葬が一般的でした。又 再葬と呼ばれる埋葬方法も見られます。再葬は 一度 ご遺体を埋葬し 白骨化した後に 改めて骨壺に納めて埋葬し直す方法です。そして 埋葬の形態は 弥生時代、古墳時代と進むにつれ より大掛りなものへ変化して行きます。

   今回は以上です。 

平安時代の葬儀

 今回は平安時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 日本に於ける 仏式の葬儀の形式は 平安時代に出来あがったと考えられて居ります。その典型例として 第66代 一条天皇のご葬儀が語られます。一条天皇は わずか7歳で即位して後 1011年 32歳で崩御されるまで 25年間 在位し 平安王朝文化を花咲かせた天皇です。源氏物語の作者と言われる 紫式部は 一条天皇の中宮であった 彰子(しょうし)の女房として宮中に仕えて居りました。

 6月22日 譲位して上皇と成られた天皇は危篤状態となり 正午ごろに崩御。6月25日 宮中に陰陽師が召されて 葬送の日時、入棺の日時、墓所の方向などを占わせる。同日 沐浴をさせ 深夜に入棺。入棺作業には 慶円僧正他数名の僧侶と 公卿数名が奉仕し 皇后・宮さま方により 棺に形代が入れられました。7月8日 葬送 参列の人々は 素服を裁縫して着用、慶円僧正が呪願を行い、院源僧都が導師を務める。出棺には 柩を輿の上に安置し葬列を組んで、通常の出入り口とは異なる 築垣を崩して 道に出 御竈所(火葬場)へ向かい、僧侶立会いの下に荼毘に付されました。7月9日 早朝 荼毘が終了し 会葬者により お骨が拾われ 白壺に納められました。骨壺は円成寺に移され仮安置され、その後 建てられた三昧堂に 7月20日 奉納されました。8月2日と11日に七七の法事を執り行い、翌年の6月22日に一周忌の法事を行い 葬送の行事が終了しました。

 以上の中で 危篤状態での念仏による臨終作法、納棺に先立つ沐浴、僧侶も奉仕した納棺作業、近親者による形代の奉納、輿を使用した葬列、荼毘への立会い、収骨、帰宅前の浄め、七七の法事、一周忌の法事等、日本の葬送習俗の原型がこの頃に出来あがったと考えられて居ります。

  今回は以上です。

鎌倉時代の葬儀

 今回は前回に続けて鎌倉時代の葬儀に付いてもう少し書かせて頂きました。

 鎌倉、室町時代に葬儀は 山頭念誦と呼ばれる 火葬場に於ける仏事が中心となって居りました。その点 出棺前に儀礼を執り行う 現代の葬儀とは大きく異なって居ります。

 葬送当日は まず 素服という粗い布で作る 喪服を裁縫します。夜になると この素服を着て御仏供養を行い、出棺となります。柩は御車(牛車)に安置し、葬列を組んで火葬場へ運びます、出棺後の寝所は 竹の箒で掃き清め、使用した竹の箒や 集めた塵はまとめて 川や山野に捨て、枕火を消して終了します。

 火葬場には 火葬の為の小屋を建て その周りを荒垣で囲い、鳥居を建てます。火葬場に 御車が到着すると 御車の前で 導師、呪願の僧侶による儀礼が執り行われ、柩を小屋の中に運んで 火葬が行われます。ご火葬の間は 僧侶と近親者により 真言が誦されます。ご火葬が終ると 火は湯で消し、灰は水で流します。そして 収骨となりますが、火葬場から骨壺となるカメまでの間 焼骨を箸で挟んで次の人へ渡し、カメに納めました。

 収骨された骨壺は 白の革袋に包まれ 召使の首に掛けて運び 三昧堂に納められました。そして 帰宅する前に わらで作った人形で 手祓いをします。

 又 室町時代の文献によれば 武士の間では すでに 金銭による香奠のやり取りの記録も有ります。又 火葬場の荒垣に白絹の布を張ったともあり、位牌を持つ者は家督であるとも書かれて居ります。

 火葬場では 奠湯・奠茶が行われ、読経がされ、精進落とし等も行われていた様です。

   今回は以上です。

檀家制度

今回は仏教に於ける檀家制度について書かせて頂きました。

 檀家制度とは 仏教に於ける寺院と門徒の関係を指して居り、檀家とは 壇越(だんおつ)の家と言う意味であります。壇越とは梵語のダーナバティの音写で、寺や僧侶を援助する庇護者を指します。

 飛鳥時代の仏教伝来以来 仏教の壇越は皇室や有力氏族でした。この有力氏族が その宗派を信仰し、寺院を建立し、庇護者になると共に 僧侶は 有力氏族の為に葬祭供養を行いました。これが檀家制度の源流となります。その後 時代を経るとともに 寺院は寺領を持つ様になり 荘園領主と同様の 権力と権威を持つ様になり 寺院の収入原は 壇越のお布施から 荘園経営の収入へと変化し、壇越のお布施に依存しない寺院経営が行われます。しかし これも 応仁の乱頃までで 荘園制度の崩壊と共に失われます。

 これ等の旧仏教勢力に対して 新興仏教勢力は 一般民衆を対象として布教を行い 惣村の発達と結びついて 勢力を拡大して行きます。この間 仏教は 惣村の家々と結び付いて 民衆を壇越とし 檀家と壇那寺の関係が作られ始め その中身も 座禅中心から 葬祭中心へと 比重が逆転して行きます。これが 応仁の乱以降から江戸時代に施行された寺請制度までの200年間の推移です。

 江戸時代には キリスト教弾圧を目的とした 寺請制度に端を発する 檀家制度により 寺院の権限は強力となり 寺院は 檀家に対して 常時の参拝、年忌・命日の法要施行、寺院の改築費、本山上納金などの経済的負担を強要するようになります。今日に於ける 彼岸の墓参りや 盆の法事は この時代の檀家制度により確立しました。この時代 寺院は 社会に於ける基盤を強力なものとしましたが、一方で世俗化 形骸化も進み 各種の批判も起きて 明治の廃仏棄却へと繋がって行きました。

   今回は以上です。

一家一寺

今回は一家一寺に付いて書かせて頂きました。

 一家一寺制とは 家の家族全員が 同じ壇那寺に属する形を言います、丸檀家とも呼ばれます。江戸幕府による宗教政策 寺請制度により確立されました。これに対し 家族の中で異なる壇那寺を持つ場合は 一家寺違制と言います、半檀家、複檀家とも呼ばれます。

 江戸時代になると 惣村制がより確立され、大百姓が没落し、平均的な本百姓の集まりにより惣村が運営される様になります。その為 大百姓の菩提寺であった 寺院や道場は 地域共同体の母体となる 惣村の村惣堂や惣道場へと変化して行きます。

 江戸時代初期には 一家の構成員全てが家を単位として 一つの寺院の檀家となる 一家一寺制にはなって居りませんでした。家の中で 夫と妻が夫々 異なる寺院の檀家となる事もまま有る、半檀家状態でした。これが 17世紀後半 幕府による寺請制度の推進と、自立した農家の広がりにより 一家一寺制が確立しました。これに伴い 庶民の間でも 家という概念が成立し 祖先崇拝という考えが出来て行きます。一家は菩提寺としての寺院の経済基盤を支え、葬祭、仏事を寺院へ委託していく事に成ります。

 それまで 庶民の間では 自前のお墓を持つ習慣は有りませんでしたが、寺院と檀家という関係が出来上がると、次第に自前の墓を建てるようになって行きます。これまでは 庶民の間では ご遺体は共同の葬地に置いたり、埋めたりして居りましたが、家と言う考えが確立して行くと共に 自家の墓を所有する様に成ります。これらの事から 近世の庶民の墓は 家の確立と深く関係し 家の象徴、根拠として建てられたもので有る事が解ります。祖先崇拝が象徴的なものではなく、家の先祖という具体的な対象を持つ事が出来る様になると言う事は それが出来るような 庶民(農民)の自立が出来たと言う事でも有ります。

   今回は以上です。

寺請制度

 今回は寺請制度について書かせて頂きました。

 寺請制度とは 西欧列強のアジア進出手段の一つであったキリスト教布教を弾圧する為に 江戸幕府より発布された 宗教統制の制度で、キリシタンではない事を寺院に証明させる制度です。必然的に民衆は 寺院の寺請証文を得る為に 何れかの寺院の檀家と成らなければ成りませんでした。この制度により整備された 宗門人別改帳は住民調査台帳とも成りました。

 室町から江戸時代の初期にかけて 民衆の間で寺壇関係の強化が進み、葬祭・仏事の主体は仏教寺院へと移り、そして 1665年の 寺請制度 発令により 寺壇制度が法令により確立します。この制度により公認された寺院は 宗門人別改帳(宗旨人別帳)を調査・整備し、家単位で 全員の名前、年齢、続柄、家畜等が記載された台帳を、村の構成員全体に対して作成しその運用も司りました。以降 人々は 出産、結婚、旅行、転居、奉公、死亡などの際には 寺院が発行する 寺請証文、送り状、請け状、手形等が必要と成りました。この制度により 仏教寺院は戸籍事務を代行する事と成り、仏教は日本に於ける国教と成ります。尚 この人口調査は 当時としては世界最大の事業であったと言えます。

 又 江戸時代には ”宗門壇那請合之掟” という書物が書き起こされ 檀家とはいかなるものかが示されて居ります。概要は以下の通りです。

 1 以下の日には 必ず寺院に出向いて お参りする事。
    2月15日の涅槃会、4月8日の釈迦の降誕会、12月8日の成道会、各宗開祖の命日、お盆、春秋の彼岸、先祖の命日。
 2 説教や仏法を説く 寺院の集会に参加する事。
 3 寺院の建物の建立や修理に協力する事。
 4 葬儀は必ず寺院にお願いする事。 


葬儀は寺院に依頼するという 現在の常識は 当時は義務として理解されていた様です。

尚 本書は 当時 徳川家康の書として もてはやされた様ですが 偽書と言われています。




   今回は以上です。

火葬の歴史

 今回は火葬の歴史について書かせて頂きました。

 火葬とは 葬送の手段の一つとして ご遺体を焼却する事です。火葬の習慣は釈尊の故事にちなんで 仏教の伝来と共に日本に伝わったと言われて居り、公衆衛生の面からも 土葬と比較して 衛生的であり、又 埋葬場所も小さくて済むメリットが有ります。尚 火葬を行う施設や建築物を火葬場と呼びます。

 日本で最初に火葬された人は 700年の僧道昭であり、最初に火葬された天皇は 702年の持統天皇であると言うのが定説でした。しかし 近年の研究によれば 九州の古墳で 590年前後の火葬の痕跡が確認され、又 今月始めには 長崎県大村市で弥生時代後期(2世紀ごろ)の竹松遺跡に於いて 火葬されたと見られる人骨だ発見されたとの発表が有りました。検証の上でこれが認められれば 日本に於ける火葬の歴史が より古くから有った事になります。  

 中世の火葬は 常設の火葬場は無く 逝去した後 火葬の為の家屋を作り そこで火葬されました。当然の事ながら費用も掛り、庶民の間に普及する事は有りませんでした。江戸時代になり 寺請制度により 仏教が国教待遇となり 仏教が推奨する火葬は 仏教寺院に火屋と呼ばれる火葬施設が作られた事などから 大きく普及するかと考えられますが 費用等の面から 大きく広がる事は有りませんでした。当時の火葬率に関するデータは有りませんが 20%程度でないかと推測されます。火葬率に関するデータとして現存する物では 明治29年のデータで 全国での火葬率26.8%とあります。もちろん 階級や地域の格差は大きかった様で 東京や京都の大都市と 火葬を推奨する浄土真宗の勢力が強い 北陸地方では火葬率が高かったようです。大正14年の統計によれば 火葬率が65%を超える都道府県は 北海道、東京、新潟、石川、富山、福井、大阪、広島の八つです。そして 明治時代初期に 市街地での土葬を禁止した 京都市では 明治39年時点で 火葬率 80%の高率を示していました。何れにしろ明治以降 火葬率は高まり続け、現在では 火葬率 99%以上となって居ります。

   今回は以上です。

近世 庶民の葬儀

今回は庶民の葬儀、特に明治時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 葬儀の簡素化については 古くより 時の権力者により度々布告されて居ります。これは 葬儀の奢侈化が常に起こっていた事示して居ります。江戸時代には 士農工商の身分制度が確立され、夫々の身分ごとに 葬儀の基準が示されて居りました。明治に入り 身分制度が解放されると 力を持った商人を中心に 葬儀事情は大きく変化して行きます。 大きな葬列、寝棺と白木の輿、新たな葬具、粗供養の増大などです。

 まずその第一は 以前は 夜間にひっそりと 限られた人数で葬列が組まれて居りましたが、日中に葬儀が行はれる様に成り 商人たちは その財力を誇示して 大掛りな葬列を組む様に成ります。又 役目を終えた 大名行列の奴を動員した葬列なども出現しました。

 第二には 寝棺と それを運ぶ輿の登場です。江戸時代には座棺が普通でしたが、富裕層では 葬列の肥大化と共に 寝棺が使われ始め、それを運ぶ為に 飾り付けられた白木の輿が作られました。現在も使われている白木の宮型霊柩車は この輿を原型として居ります。但し 一般庶民の間では 第二次世界大戦終戦まで 座棺が使われて居りました。

 第三は 色々な葬具の出現です。葬列を飾る為に 野道具と言われた葬具が見栄えの良いものに変わって行きます。金蓮、銀蓮、生花や造花を押した花車、鳩を放鳥する為に作られた放鳥輿、位牌を運ぶ位牌輿、香炉を運ぶ香炉輿など 多彩な葬具が開発されて行きました。現代 葬具の始まりとも言えます。これ等の葬具を製作する為、専業化が進み葬具屋が出来てゆきます。

 第四としては 粗供養の大型化です。葬儀の際に地域の人々へ食事を振舞ったり、葬列 出発の際に 花籠に 菓子や小銭を入れ、これを振って 近隣の人々へ振舞うと言った 供養は江戸時代でも行われて居りましたが、明治に入り 葬儀の大型化と共に 会葬者全てに対して 菓子包み、饅頭、弁当を配るという 今日の会葬返礼品の原型が出来てきます。そして 喪家側も不足しては恥と考え 大量に用意する様になり、費用の面でもかなりの比重を占めるように成りました。

   今回は以上です。

告別式

 今回は告別式に付いて書かせて頂きました。

 告別式とは 宗教的儀式を伴わない 故人様とのお別れの儀式が 本来の目的です。現在では仏式の葬儀に於いて、家族・親族によるお見送りを葬儀、知人・友人によるお見送りを告別式と定義して、葬儀・告別式は何時よりと 表現する事が一般的と成りました。日本で最初の告別式は 明治34年の中江兆民の葬儀と言われて居ります。

 明治時代に於ける葬儀は 葬列を中心とする儀式が主流でしたが、都市部においては 大型葬列に対して ”私事の為に交通を妨げて良いのか” との批判や 明治17年に制定された ”墓地及び埋葬取扱い規則” により 火葬場や墓地の所在地が限定され 葬列を組む事が 徐々に難しくなって行きます。又 明治後半に導入された路面電車の発達が葬列廃止を加速させます。大正時代に入ると 葬儀の中心は告別式へと 変化して行きます、又 ご遺体の移送は 葬列から霊柩車の使用へと変わって行きました。

 中江兆民の葬儀は 明治34年12月17日に 青山墓地式場で執り行われました。中江は無宗教であった為、無宗教式の告別式により見送られました。柩が式場正面に安置された後、葬儀係による挨拶が行われ、板垣退助による弔辞拝読、大石正巳の演説、門下生総代 永訣弔詞、弔歌・弔詞の拝読と続いた後、嗣子・親族 及び会葬者が柩前で告別をなしました。最後に 嗣子(十三才)と親戚代表が会葬者に挨拶をして終了しました。

仏式の葬儀と比較すると 僧侶の読経に代えて 弔辞・演説・弔歌・弔詞などの献読が行われ、焼香の代りに 棺前告別が行われた考えられます。この告別式以降 かなりの数の告別式が行われる様に成りましたが 主として大学関係者や法曹関係者が中心で 一般大衆に広まるのは昭和に入ってからとなります。

   今回は以上です。 

霊柩車

 今回は霊柩車に付いて書かせて頂きました。

 霊柩車とは ご遺体をお納めした柩を移送する目的で作られた自動車です。ご遺体のみを移送する目的では寝台車が使用されます。霊柩車には 宮型霊柩車、洋型霊柩車、バス型霊柩車等が有ります。

 明治時代 葬儀の中心は葬列でしたが、葬列の拡大化に比例して批判の声も大きく成り、モータリゼーションの発達を基に霊柩車が開発されました。日本最初の霊柩車には諸説ありますが、確認出来るものでは 大阪の有力な葬列提供業者であった 籠友の鈴木勇太郎氏が米国の葬儀事情を視察し、大正6年に米国よりパッカードの霊柩車を輸入して日本風に改造しサービス提供を始めました。又 大正8年には 名古屋の一柳葬具店も米国より 導入しました。

 宮型霊柩車は キャデラックブレアム、リンカーンタウンカー、トヨタクラウン等の高級乗用車を改造して 宗教的装飾を加えた棺室を設置して居ります。棺室は白木造りのものと 漆塗りのものがあり、壁面や天井部分に極楽浄土や蓮の花等が描かれたり、彫られて居ります。

 洋型霊柩車は 高級ワゴン車をリムジン化して使用されています。宮型の様な装飾はせずに シンプルな黒塗りの車体となります。最近は パールホワイトやシルバーに塗られたものも出て来ました。宮型霊柩車は余りにも目立ち過ぎる事から 乗り入れを拒否する施設も出始め、洋型霊柩車に変わりつつあります。

 バス型霊柩車は 大型バスやマイクロバスを改造して作られおり、柩と共に ご遺族・僧侶・会葬者が同乗出来る様になって居ります。冬季の気候が厳しい北海道などで多く利用されて居ります。

 霊柩車にまつわる迷信として ”霊柩車が走っているのを見たら 親指を隠さないと 親の死に目に会えない” というものが有ります。

   今回は以上です。   

近世の火葬場

 今回は火葬場に付いて書かせて頂きました。

 火葬場とは ご遺体を火葬に付す為の施設を言います。最近では 近代的施設として 無煙化、無臭化、緑地化を進め 近隣住民からの嫌悪感を無くす為 斎場や斎苑と呼ぶ様に成りました。現在の横浜では 横浜市営として葬儀式場を併設した斎場は3ヶ所(横浜市北部斎場、横浜市戸塚斎場、横浜市南部斎場)、火葬設備のみの斎場は1ヶ所(横浜市久保山斎場)の計4斎場が有ります。この他に私営の斎場として葬儀式場を併設した西寺尾会館が有り、合計5ヶ所の火葬場が運営されて居ります。

 日本に於ける火葬は 仏教による宗教的要請から発生しました。古くは常設の火葬場は無く、野焼きと呼ばれ 人里離れた場所に仮設の火床を設けて火葬が行われました。その後 墓地の傍らや、寺院の敷地内に常設の火床が設けられる様に成ります。とは言えまだ設備と呼べる様な状態では無く 火屋 とか 焼屍爐 などと呼ばれて居りました。本格的な火葬施設が出来たのは明治時代に入ってからです。欧米から輸入された 製鉄用反射炉やレンガ焼成炉の技術を応用した 大規模火葬場が作られました。又 この頃より ご遺体の火葬を行う施設を火葬場と呼ぶ様になって居ります。

ご火葬の使われた燃料は 野焼きの頃は もちろん 藁、木薪、木炭が使用されました。明治時代の作られた火葬炉でも 当初は 木薪や木炭が使われ、その後 大正に入り 石炭、コークス等が使われ始め、更に 重油が使われる様に成りますと 燃焼時間は飛躍的に短縮され 即日の収骨が可能となりました。その為 火葬場内に控室等も設備される様になります。現在では 高度に機械化されたコンピュウター制御による電気式火葬炉が一般的となって居ります。

 現在の日本に於ける 火葬率は99%を超え世界一の高水準となって居りますが、明治初期には必ずしも高くは無く、昭和15年に初めて過半数(55%)を超えるという状態でした。しかし 戦後 人口の都市集中、市街地での土葬禁止、土葬可能な広さの墓地は入手困難、地方自治体による火葬場の整備などが合いまって この高火葬率と成りました。

   今回は以上です。

ご遺体の保全

 今回はご遺体の保全に付いて書かせて頂きました。

 人が生命活動を停止すると その身体は徐々に腐敗して行きます。この腐敗が ご遺体への恐怖であったり、穢れの考えを生み出す事に成ります。腐敗が どの様に進むのか、どの様にしてそれを止める事が出来るのかは以下の通りです。

 生命活動を止めた身体には 個人差や身体が置かれていた場所の環境により違いは有りますが 次の様な変化が起きます。

 1 身体の腐敗

   死後1時間ぐらいから腸内細菌が増殖を始め、腸内細菌の増殖と胃腸の融解により腐敗が進行し、腐敗ガスが発生します。

 2 死後硬直

   身体の筋肉が硬直し関節が動かなくなる現象です。死後2時間ぐらいから出始め、20時間後くらいに硬直は 最も強くなり、その後 腐敗の進行と共に硬直は解けて行きます。最初は顎関節に現れ、順次 全身に広がります。手足の硬直は6、7時間前後から始まります。

 3 死斑

   心臓が停止すると 体内の血液は循環を止めて 身体の下部の静脈に留まります。この血液の色が皮膚を通して見えるのが死斑です。死斑は 死後30分程度でご遺体下部に斑点が出始め、2-3時間で融合し、20時間で固定します。

 ご遺体とは ”霊魂が遊離し遺された体” という意味ですが、ご遺族にとりましては 恐れでも、穢れでもなく 大切にお見送りするお体です。このお体を腐敗させない方法は幾つか御座います。

 1 ドライアイスによる冷却

    1週間から10日間の間に有効です。腐敗は内臓より始まりますので、お腹、胸、両脇などのドライアイスを当てて腐敗を遅らせます。季節にもよりますが 10Kgのドライアイスで24時間程 有効です。

 2 冷蔵保存

    1ヶ月位 有効です。専用の保管庫を摂氏2度に保って腐敗を遅らせます。

 3 冷凍保存

    非常に長期間の保存が可能です。専用の冷凍庫でご遺体を凍らせます。米国では一般的ですが、日本では特別な場合を除いて行われて居りません。

 4 エンバ-ミング

    半永久的に保存が可能です。血液を薬品と置き換えて腐敗を防止します。日本国内では業界自主規制により 50日以上の保管目的でのエンバーミングは行わない事にして居ります。費用は10万円+α。

 以上の他に 過去には ミイラ、即身仏、アイスマン、桜蘭の美女、ロザリア・ロンバルド 等が有りました。

    今回は以上です。

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