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三昧

 今回は三昧(さんまい)に付いて書かせて頂きました。

 三昧とは インドに於ける ”サマーディ” が中国を経て日本に伝来する際に変化した仏教用語です。その意味する処は 仏教に於ける 禅定、ヒンドゥー教に於ける瞑想の中で 精神集中が深まり切った状態をさします。日本の仏教の中では 法華三昧や常行三昧が 重要な要素となって居ります。

 法華三昧は 天台宗の宗祖最澄により 日本に紹介されました。最澄は 812年 比叡山に 法華三昧堂を建立してその教えを広めました。法華三昧は 比叡山に於ける 朝題目、夕念仏 と言われる日常修行の一つで、法華経を読経する事によって 身を清め、罪障(極楽往生の妨げになるもの)を消滅させることが出来るとの教えによります。これが 民衆に広まる際 法華経を唱えると 死者の霊を清め、減罪し、地獄に落ちる事が無いとの信仰となり、葬儀の中で重んじられる事に成りました。法華三昧堂は 三昧堂、法華堂とも呼ばれます。

 常行三昧は 同じく天台宗の修行の一つで 阿弥陀仏の名を唱える(念仏)事により 極楽往生を願うもので有ります。法華三昧の減罪と 常行三昧の成仏が 対となって 信仰を広めたと言われて居ります。常行三昧の修行を行う所は常行三昧堂、阿弥陀堂と呼ばれました。東北今泉の中尊寺金色堂は 常行三昧堂の様式に従って建立されたと言われて居ります。

 法華三昧、常行三昧の流行により それを庇護する 天皇家や貴族は法華堂や三昧堂を建立し、死後は そこに納骨をする様になります。その広がりと共に 寺院への納骨が一般化して行ったと考えられます。

  今回は以上です。

天皇家の葬儀

 今回は天皇家の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 天皇家の葬儀は本来 神式で執り行い土葬とされて居りましたが、2013年11月14日に宮内庁より 今上天皇陛下の崩御の際は 陛下のご希望により ご火葬とする との発表がされ 巷では色々とコメントが出されました。

 火葬は仏教の葬法と言われ 仏教の伝来と共に 日本に伝わったと言われ居ります。これは釈尊が火葬された事にちなみます。天皇家は仏教伝来 以前から存在し そのご遺体は土葬にされて居りました。仏教伝来後 天皇家にも仏教に寄衣する方が出始め ご遺体をご火葬する様に成りました。最初にご火葬された天皇は 仏教の信仰に篤かった 第41代の持統天皇で 702年にご火葬とされました。以降 第120代の仁考天皇まで ご火葬が基本となって居りました。そして 幕末に崩御された第121代の孝明天皇以降 土葬に戻されて 現在に至ります。尚 第108代の後水尾天皇から120代の仁考天皇までは 色々な事情から 表向きは伝統の火葬をした事にして 実際には土葬がされました。従いまして 最後にご火葬された天皇陛下は 1617年に崩御された 第107代の後陽成天皇です。

 天皇家の葬儀の例として 第56代の清和天皇の葬儀が有ります。平安時代前期の 880年12月4日に崩御されました。天皇は既に出家の身でありましたので 西方に向かい、仏教式に結座し、両手を組み合わせて 崩御されたとあります。その身はそのまま念珠を手にかけて納棺し 即日 火葬にされました。死後 4日目の12月7日に ご遺骨は埋葬され、7日目の12月10日に初七日、翌日より円覚寺にて 四十九日までの間 昼は法華経、夜は光明真言が 延べ50名の僧侶により誦経されました。そして 1月22日に 円覚寺にて 七七日の設斎が執り行われました。

   今回は以上です。 

御霊信仰

 今回は御霊信仰について書かせて頂きました。

 御霊信仰(ごりょうしんこう)とは 奈良時代に始まる 日本の信仰の一つで 人は死ぬと その魂は霊となり肉体から離れると考えられて居り、恨みを持って死んだり 非業の死を遂げた人の霊は 怨霊となって 特定の人を脅かしたり、天災や疫病をさせると考えられました。この怨霊を鎮めて 御霊とする事により 祟りを免れ、平穏を繁栄を祈念する信仰であります。

 史実にもとずく御霊信仰の歴史は ある意味では政争の歴史でもあります。その例で古いものは 775年に 井上内親王が その子供と共に憤死させられ、その祟りにより 夫君であった光仁天皇とその皇太子が病に悩まされた為 777年に 内親王の墓を改葬し 御墓(ごぼ、天皇家の墓)として怨霊を鎮めたとあります。又 平安京への遷都も 皇太子の座を廃され憤死した 早良(さがら)親王の怨霊により 新皇太子が病に侵されたとの 陰陽師の占いによる とされて居ります。

 平安時代に入ると貴族階級の中で 陰陽師による 怨霊鎮魂が盛んとなりました。何か事有る度に 怨霊鎮魂の為の 御霊会(ごりょうえ)が営まれて居ります。又 大宰府に左遷され 非業の死を遂げた 菅原道真の怨霊により 親王や天皇が崩御したとの占いから 御霊会を営むと共に 道真公の霊を北野天満宮にお祀りして 霊の鎮魂を図りました。

 その後 都市住民の間でも 怨霊への信仰が広まり 大規模な災害や疫病などは 怨霊によるものと考えられて 怨霊を鎮魂する為の御霊会は民間でも営まれる様になり、御霊神社も建立されるように成りました。 

疫病を防ぐ為の御霊信仰で有名な祭としては 毎年 7月1日から30日間 営まれる 京都 八坂神社の祇園祭(祇園御霊会)が御座います。

   今回は以上です。

埋葬

 今回は埋葬に付いて書かせて頂きました。

 埋葬とは 故人様のご遺体を土の中に埋める事(土葬)を指しますが、広義には ご火葬後のご遺骨を墓地や納骨堂等にお納めする事を指す事も御座います。現在の日本に於いては多くの場合 火葬が前提となって居り ご遺体を埋葬する事はほとんど無くなりました。特に横浜等の大都市では 衛生上の観点からも土葬が禁止されて居ります。ご遺骨を埋葬する時期と致しましては 仏教であれば四十九日法要後の忌明けに、神道であれば忌明けの五十日祭に合わせて、キリスト教では1ヶ月後追悼ミサに合わせて埋葬(納骨)するのが一般的です。

 日本に於ける埋葬の歴史と致しましては 旧石器時代の北海道美利河1遺跡の土抗にお墓の可能性がある遺構が発見されて居り、それに続く縄文時代の貝塚などから多くの埋葬行為が確認されて居ります。この時代の埋葬は ご遺体の手足を折り曲げて埋葬された 屈葬が主流でした。弥生時代に入ると 埋葬に当たり ご遺体を収める甕棺や石棺が現れる様になります。又 この時代には 再葬墓と呼ばれる 故人様のご遺体を一度 埋葬し、白骨化するのを待って骨壺に納め直し、埋葬する形態も現れました。何れにしろ 仏教が伝来する前の 古代から中世にかけては 神道を基にした 死は穢れ との思想が強く、貴人の墓地であっても、その管理は疎かでありました。

 ご遺骨は 御骨壺に納められている場合 ご遺骨はほとんど風化しませんが、そのまま 土壌に埋葬されたご遺骨は年と共に風化し、土に還ると言われます。土壌の種類によって差異がありますが、大体 30年でご遺骨は土に還るとされて居ります。

 尚 日本では 墓地埋葬法により 墓地以外の場所、例えば自宅の庭などに埋葬する事は出来ません。違反をすると 死体遺棄罪として罰せられる事が有ります。

   今回は以上です。

もがりの儀式

 今回は”もがりの儀式”に付いて書かせて頂きました。

 もがりの儀式とは 日本の古代に貴人が逝去された際に行われた儀礼で、本葬までの間、もがりの為の屋家を建て、ご遺体を棺に納め その屋家に仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を敬い、かつ慰め、死者の復活を願う儀式です。そして 同時に ご遺体の腐敗や白骨化などを確認して、最終的な死の確認をする為の期間でも有りましたので、もがりの期間はかなり長い期間であったと考えられます。中国 隋の書物によれば 倭国・高句麗ではもがりの期間は3年間であったと記録されて居ります。もがりの後にご遺体は埋葬されますが、長いもがりの期間は 大規模な墳墓を整備する為に必要だったとも考えられます。又 この仮屋家は もがりの宮、あるいは喪屋と呼ばれて居りました。 

 古事記(712年)によれば もがりの宮の中には 旗持ち役、掃除役、死者に食事を供する役、お米を突く役、泣き役の者達が控え、歌舞により死者の霊を慰めたとあります。このもがりの儀式は 大化の改新以降に発令された薄葬令によって 葬儀の簡素化、墳墓の小型化が進められると共に 仏教の伝来により急速に衰退しました。

 もがりの宮は現代でも生きて居り 天皇陛下が崩御された際に仮設される ご遺体安置所をもがりの宮と呼び、皇后・皇太后のご遺体安置所は ひんきゅうと呼ばれます。昭和天皇 崩御の際も 崩御後13日目に ご遺体を納めた柩は御所から皇居内の もがりの宮に移御され、崩御後45日目に行われた 大喪の礼までの間 もがりの宮拝礼の儀などの儀式が行われました。

 現代 行われているお通夜は もがりの期間を1日に短縮したものとの説もあります。又 沖縄や台湾で行われている 風葬や洗骨の風習は もがりの儀式の一形態と考えられます。

   今回は以上です。

葬儀の起源

今回は葬儀の起源に付いて書かせて頂きました。

 葬儀の起源は 非常に古く 4万年以上前のネアンデルタール人の時代と言われて居ります。人類は有史以来 人が亡くなると葬儀を行って来たと言えます。フランスの歴史学者で 死に付いての学問を本格的に開いたと言われる フィリップ・アリエス(1914-1984)は その著書の中で以下の様に書いています。

” 古くより信じられて来た様に、人間は自らが死にゆく事を理解している唯一の動物である、と言う事は、実は確実では有りません。その代り 確かな事は、人間は死者を埋葬する唯一の動物だと言う事です。”

 現代の日本では ご葬儀の90%以上が仏式で執り行われて居ります。そういう意味では 仏式の葬儀の起源が 日本の葬儀の起源とも言えます。仏教は釈迦(釈尊)の教えで有りますので、葬儀の作法は 釈尊が係わった葬儀や 釈尊自身の葬儀を基にして作られたと考えられます。釈尊は長い伝道生活の後、自分の死期を悟り、南方のマガダ国から数百人の弟子を連れて北方に向かい最後の旅に出ました。そして 半年後に クシナガラで 80年の生を終えたと言われて居ります。

 釈尊の尊父は カビラ城の浄飯王で、病の知らせを受けただちに駈け付け、到着の7日後に崩御されました。

葬儀の準備は釈尊と重臣たちにより行われ、まず たくさんの香料を溶かした汁で王の体を洗い、きれいにふき取ったあと、絹の布で全身を覆い棺に納めました。ご遺体の周りを7つの宝石で荘厳し、棺を台座の上に安置して、香をたいて死者を供養しました。棺を火葬場へ送る際は 尊父の恩義に報いる為、釈尊、弟、子供、従弟の四人で棺を担ぎました。血縁の濃い者が柩を担ぐ習慣は これに由来していると言われて居ります。

  今回は以上ですが、次回に釈尊 自らの葬儀に付いて書かせて頂きます。

葬儀の意味

 今回は葬儀の意味に付いて書かせて頂きました。

 現在では 葬儀の形骸化が多くの方々により語られる様に成りました。しかしながら 葬儀は大切な営みであり、ご遺族様の心の拠り所でも御座います。故人さまの生と死は 故人さま特有のものであり、その葬儀も故人さま特有の葬儀であらねば成りません。古来からの習慣、仕来りと共に 故人さまとご遺族のご意向をふまえたご葬儀で在らねばなりません。

 私ども ご葬儀をお手伝いする立場の者と致しましては 葬儀の習慣的な営みの意味を理解すると共に、故人さまの生と死は故人さま固有の価値を持つもので有り、その葬儀は二つとない故人さまの為の葬儀とし、ご遺族の方のお心を大切にした式でなければならない事を自覚しなければ成りません。ご遺族さまの悲しみを理解してお手伝いするには 自分自身が悲しみを感じることの出来る人であらねばなりません。

 現代では 地域社会の結びつきも弱くなり、町内会や団地の組合でも 葬儀を取り仕切る事は稀なケースとなって参りました。そんな中では ご遺族の相談相手として、私共は 心の相談にものれる 葬儀の専門家であらねばなりません。又 以前とは違い、故人さまの葬儀は 故人さま ただ一つの葬儀であり、ご遺族のお心に残る葬儀であらねばならないと考えて居ります。ご葬儀のお手伝いをさせて頂く中で、ご要望を伺い、いろいろな事を学ばせて頂ければと愚考致して居ります。

 ご葬儀の主体は あくまでも故人さまであり、施行の責任はご遺族さまが そして その執行は 僧侶、神職、神父、牧師などの宗教者があたります。私共 葬祭ディレクターは それを側面からお手伝いさせて頂く訳ですが、ご遺族さまとの接触が最っとも多い私共が そのお心をくみ取り、流れの中に反映させねばなりません。

   今回は以上です。

葬儀と文化

 今回は葬儀と文化に付いて書かせて頂きました。

 有史以来 人が亡くなると葬儀が営まれて来ました。その葬儀は 地域、民族、宗教などによって育まれた文化を基にして作りだされて来ました。葬儀は それぞれの死生観を反映するだけでなく、精神文化や生活文化を反映したものともなって居ります。そういう意味では 葬儀は人の生死に係わる総合文化であるとも言えます。

 葬儀文化は 長い歴史を通じて、その地域の人々が培ってきた儀礼ですから、その中に込められた精神は大切にしなければ成りません。又 葬儀には永く 多くの人々が育んできた智恵に溢れています。過去の遺物である と単純に切り捨てる事無く、その中に込められた意味を学ぶ事は大切です。確かに文化は 過去の歴史と その時代を反映して居りますので、内容によっては 現在の事情に合わなくなって来たものもあり、全てをそのまま継承する必要はありません。しかし その文化が どの様な目的で、どの様な歴史の中で形成されてきたのかに 思いをはせれことは、永く続いて来た 文化、習慣、儀礼から古人が何を大切にして来たかを学ぶ事が出来ます。その中から 葬儀が形骸化してしまわぬ様、葬儀の意味を常に再確認して、その時代にあった、そのご遺族にあった葬儀が営める様、心する事が大切です。

 私どもも 歴史の中に連なる者として この時代に生きて居り、古人により育まれた葬儀文化を大切にすると共に、今の時代に必要とされる葬儀文化を築いていかなければ成りません。少子高齢化、人口の都市集中、核家族化、それに伴う地域社会の大きな変容は 多様な死生観ともなり、葬儀の様式も多様化することとなります。私共も 日本の葬儀文化を良く理解した上で、ご葬家様のお気持ちに合ったご葬儀を企画出来る様、心しなければ成らないと考える日々で御座います。

   今回は以上です。

生命の大切さに見合う葬祭儀礼

 今回は人の命の大切さに見合った葬祭儀礼(葬儀)とはを考えてみました。

 人が亡くなるという事は 大切な生命が喪われることです。人の死は 多かれ少なかれ、社会の中で 又周囲の方々のお心の中に危機状況を作り出します。そこで 命に見合う受け留め方が要請されます。葬儀(葬祭儀礼)は 時代や民族や地域の文化にを基に様々な行われ方が有り、又 その文化が持つ死生観によっても 大きく異なります。しかしながら 共通している事は 葬儀は 危機状況を乗り越える為には 手厚い儀礼が必要であると人々に理解され、日常的でない 非日常の特別な事として営まれて来ました。これを制度化、慣習化したものが 弔いの儀礼、葬祭儀礼です。

 故人さまの死を悼んで 人々が集まり 執り行われる葬儀は 集まった人々に 悲しみと人の命の大切さ、生ある人は必ず死ぬべき存在であることを知らしめます。人々は葬儀に接し 故人さまの死の事実に直面し、その事実の大きさから 生の大切さを知り、又 死が終りや無を来すだけのものではないという事を学び取ります。

 葬儀を執り行うと言う事は 人の生と死は 非常に重く、大切なもので有ると言う事を意味します。ご葬儀では 故人さまの生き様に思いをし、ご遺体を大切にし、故人さまに寄せる家族の心、その痛みを思い遣り、そして 会葬に訪れる方々のお心と思い遣りを大切にしなければ成らないと考えます。

   今回は以上です。 

悲嘆へのケアー

 今回は前回に続いて悲嘆へのケアーについてもう少し書かせて頂きました。

 身近な方が亡くなられ 受ける悲しみの体験は人それぞれに千差万別です。家族分散や核家族化が進み、同じ家族であっても 同じ程度の悲しみを体験するとは限りません、ある方々は 故人さまの死を納得し、それ程 悲しみを感じない一方で、少数の特定の家族だけが深い悲しみに陥る事がよく有ります。どなたが どの様な悲しみを体験しているか 周りの方は良く理解をして差し上げる事は大切です。

 最近では長い看護の末に亡くなるケースも多く見られる様に成りました。この様な場合 ご家族は 医師より早い段階で 死の告知を受け まだ入院中の生ある状態であるにも関わらず、死別の悲嘆に襲われる事も見られる様に成りました。更に 老人ホーム、老人病院、或いは その他の医療機関で長期の療養の末に亡くなられるケースでは ご家族だけではなく、付添いの方や看護師さんにも悲嘆の体験が現れる事が有ります。その他 ご家族より親しいお付き合いをされていたご友人等に 悲嘆現象が出る場合も有ります。ご葬儀・中陰の間は ご家族だけではなく こうした悲しみを体験している方々のお心にも ご配慮が必要ではないでしょうか。

 悲嘆のケアーをされる方が ご家族の死に出会った経験をお持ちであれば、その体験を思い起し、その気持ちを大切にして接する事により 共感を得て 悲しみを和らげる事が出来ます。又 そうした経験が無くとも ご自分を相手の立場に置いて 接する事は非常に良い事ではないでしょうか。

   今回は以上です。

死別の悲嘆へのケア―

 今回は死別の悲嘆へのケアーに付いて書かせて頂きました。

 故人さまと死別をされ深い悲嘆に暮れて居る方へのケアーにマニアルは有りません。それぞれ個別の状況により大きな違いが御座います。この事を理解した上で 以下の事に注意する必要が御座います。

1 ”忘れよう”、”頑張れ”、”しっかりしよう”の言葉はタブーです。

  悲しみの中に居られる方に 悲しい事実を忘れさせるさせる様仕向ける事は 一般的にマイナス効果となります。むしろ悲しい事実を見つめる事が大切です。頑張れやしっかりしようの言葉は 励ましのつもりであっても、悲しみの中の方にとっては大きな負担と成りかねません。むしろ 悲しみの状態を理解し 静かに見守ってあげる事が必要です。

2 話を聞いてあげる。

  悲しみの中に居られる方に大切な事は 説教をしたり、助言をしたりする事では無く 同じ目線で その方の想いを聞いてあげる事です。但し 無理に話させる事は 逆効果になる事が有ります。その方が話したい時に、その方の想いを吐き出させ 怒りに対しても遮る事なく その怒りを発散して頂くことが必要です。

3 一人にしない。

  悲しみの中では 孤独感が強くなり、周囲へ反感を持つ場合が有ります、そんな状態の時 大切な事は 気を付けて側に居てあげる事です。監視するのではなく、静かに寄り添ってあげる事が必要です。

4 悲しみを避けない。

  突然の子供さんの死、不慮の事故による親御様の死などでは 可哀想だから、残酷過ぎるから等の配慮で その死がら遠ざける事も有りますが、これは時として逆効果になり 死の現実をなかなか受け入れられない決果になる事が有ります。辛い現実では有りましても 現実に対面する事は大切です。その決果 不安・悲しみなどが様々な形で現れ 情緒が不安定になったり 落ち着きを失ったり、暴力的になったりしても、周囲の方々は 注意して見守りながら、悲しみを表現させる努力が必要です。

5 笑いや休息は不謹慎ではない。

  悲しみにある方が お通夜や葬儀の席で他人の冗談に笑っても、疲れて休息しても 非難してはなりません。悲しみと言うストレスには 笑い、ユーモア、休息は良薬である事を理解すべきです。

  今回は以上です。

香典と返礼品

 今回は香典と返礼品について書かせて頂きました。

 香典とは仏式の葬儀に於いて故人さまの霊前にお供えする金品の事を言い、返礼品とはそれに対するお返し、通夜 参列への御礼、葬儀・告別式への会葬御礼等の品物を指します。

 香典は かっては香奠と書き、香を供えると言う意味でした。これが その後 変化して 香を買う代金である 香典になったと言われて居ります。古くは室町時代の武士階級で金銭香典を出した記録が見られます。しかしながら 一般の人々の間では 米や野菜などの食物を香奠として持ち寄る事でした。これは  喪家では故人さまの成仏を願い、贖罪する為のお布施として 人々に食事を振舞いますが、この食材の用意を手助けする為のものでありました。その後 貨幣制度の変化と共に 明治以降 金銭香典が一般的となって参りました。従いまして 香典は 故人さまへのお供えと、喪家への相互扶助という二つの目的を持って居ります。極く最近まで ご自分の家で葬儀を出した際は 香典帳を保存しておき、他家の葬儀のさいは 頂いた香典と同額をおくると言う事が行われて居りました。

 返礼品とは 供養品とも言い 他者に布施をする事により 仏様に徳を積み これを故人さまへ振り向ける事です。古くは 葬列などで 籠に菓子や小銭など入れて 見送りの人々へ撒いたりもしました。現在の返礼品としましては 通夜返礼品・会葬返礼品・香典返し・法事返礼品が有ります。

 通夜返礼品; 通夜に弔問頂いた方で 通夜振る舞いに出ないで帰る方への返礼品です。しかしながら 最近では全ての弔問客へお渡しする事が多くなりました。500円前後のハンカチ等が一般的です。

 会葬返礼品; 葬儀・告別式に会葬頂いた方への返礼品です。通夜返礼品と同じく 500円前後の品物が一般的です。

 香典返し;  頂いた香典の50-30%程度の品物をお返しします。香典返しには 即返しと 忌明け返しが御座いますが、横浜では 即返しが一般的です。3000円前後の品物を用意し 香典を頂いた方へ式場受付でお渡しします。

 法事返礼品; 四十九日や一周忌の法要の際 引き物として用意します。

  今回は以上です。    

献花

 今回は献花に付いて書かせて頂きました。

 ご葬儀に於ける献花とは 故人様との告別を祈る作法として 仏教に於けるご焼香、神道に於ける玉串奉奠が御座いますが、無宗教、キリスト教、お別れ会、ホテルでの葬儀などの場合は これに変わる形として 参列者は 故人様にお花を供えて 告別をお祈りします。

 故人様との告別の儀式としてお花を供える習慣は 日本独自のものと言えます。しかしながら 故人様の逝去を悼み お花を手向ける習慣は世界中で古くから有りました。例えば 紀元前20万年から二万数千年まで ヨーロッパを中心に分布していたとされるネアンデルタール人の遺跡では イラク北部のシャニダール洞窟で 屈葬の形で遺体が埋葬され、その化石と共に ノコギリソウやヤグルマギクなどの花粉が大量に発見されて居ります。ネアンデルタール人には 死者を悼む心が有り、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があったと考えられて居ります。又 日本国内の古墳でも 花粉や花の種の化石が発見されて居ります。

 日本に於ける最初に行われた 無宗教葬儀(告別式)は明治34年に死去した中江兆民の告別式です。中江兆民は無神主義者で 生前より葬儀の施行を拒否して居りました。その後 著名人の間で無宗教の告別式がはやりと成り、告別のお祈りをする際 神道の玉串に変えて生花を供える様に成りました。キリスト教の場合、本来 献花の習慣は有りませんが、日本に於いてのみ 無宗教告別式と同様に献花をする様に成りました。ホテルでの葬儀の場合 仏教の葬儀であっても 会場側の都合により 焼香が出来ない為、焼香に変えて献花を行います。

 告別の為の献花は日本特有と言われるのに なぜ米国のアーリントン墓地で献花をするのか と聞かれます。

アーリントン墓地は戦没者墓地として有名ですが、それ以外に 二十年以上軍籍にあった死者も 宗教に係わらず埋葬する事が出来ます。そして 第一時世界大戦以降の無名戦士のお墓が御座います。同様の墓地は イギリスとフランスにも存在します。関係国要人が献花するのは この無名戦士の墓のみです。

    今回は以上です。

焼香

今回は焼香について書かせて頂きました。

 ご葬儀等に於きまして 故人さまとの告別をされる際に 仏教葬儀ではご焼香が、キリスト教でが献花が、神葬祭では玉串奉納が一般的です。そして 仏教葬儀でも ご宗派によりご焼香の仕方が異なります。又 キリスト教でも カソリック教会やルーテル教会では焼香を行う場合が御座います。

 焼香には 線香焼香と抹香焼香が有ります。線香焼香は日常のお参りに用いられ、通常は”線香を上げる”と言はれます。抹香焼香は香(抹香)を香炉に落として焚くもので、通夜・葬儀・法要などで用いられます。一般的には この抹香焼香のことを焼香と呼んで居ります。焼香は 心と身体の穢れを取り除き、清浄な心でお参りする際の作法とされ、左手に数珠をかけ、右手の親指・人指し指・中指の三指で香をつまみ香炉に落としますが、その作法は宗派により異なります。

 真言宗; 焼香3回、線香も3本立てます。仏・法・僧の三宝に捧げ、身・口・意の三業を清め、三毒の煩悩(貧り・いかり・愚痴)をなくして 心の静寂を求めることができる功徳が有るとされて居ります。

 曹洞宗; 焼香2回、線香は1本を立てます。(線香を3本 横に並べて立てる場合も有ります、立てる順は右・左・中央とします) 焼香は まず右手で抹香を取り 軽く額に押し戴いて 香炉に焚きます、次に 抹香を押し戴かずに香炉に焚きます。初めに焚く香を主香、次に焚く香を従香と言います。

 浄土真宗本願寺派; 焼香1回、線香は立てずに寝かせます。焼香では香を押し戴きません。

 真宗大谷派; 焼香2回、線香は立てずに寝かせます。焼香では香を押し戴きません。

 浄土宗; 焼香1-3回、線香1-3本を立てる、回数は特に拘らない。

 日蓮宗; 焼香3回、線香は1本を立てます。

 天台宗; 回数について特に定めは有りません。

 臨済宗; 回数に拘りません。

ご焼香の際に 葬儀の宗派に合わせるべきかとの問合せをお受けする事が御座いますが 信教の自由と言う観点から考えますと、ご会葬者の方のお気持ちに従って頂くの良いのではないかと考えます。

   今回は以上です。 

火葬

 今回はご火葬に付いて書かせて頂きました。

 ご火葬とは 葬送の手段の一つとして ご遺体を焼却する事です。ご火葬後の焼骨は 骨壺に収骨し ご納骨されます。ご火葬の事を 仏教の用語では 荼毘(だび)に付す と言います。荼毘とは火葬を意味する梵語で お釈迦さまが 入滅後 火葬に付された事に由来します。

 横浜市営の斎場は原則 式場と火葬場は併設されて居り、式場でのお別れが終りますと お柩は台車にお乗せして 火葬炉前にお運びします。ご火葬の前に 小机の上に ご遺影と白木のご位牌を飾り、ご僧侶による読経と参列の方々による焼香を行い、ご火葬となります。又 故人さまとの最後のお別れも可能です。ご火葬には一時間から一時間半が必要と成ります。 ご火葬の間 参列者の方々は控室でお休み頂く事に成りますが、昨今では葬儀の際に初七日も合わせて執り行う事が多くなりましたので、その場合は 控室に お斎の席を設ける事も出来ます。

 ご遺体の火葬が終りましたら 収骨(骨上げ)となります。ご遺族によるご収骨は 日本独特の儀礼で 欧米では焼骨が粉に成るまで火葬しますが、日本では焼骨がきれいに残る様 火葬する事が大切とされて居ります。収骨は 古くは 一人の人がご遺骨を 竹又は木の箸で持ち、順に次の人に渡して 骨壺に入れる形でしたが、現在では 二人一組で ご遺骨を拾い、骨壺にお納めします。地域により 使う箸の種類、焼骨を拾う順番、収骨の部位等 色々な作法が御座いますが、横浜では 火葬場の担当者の指示に従い二人一組でのご収骨が一般的です。

 箸渡しは 箸と橋の音読みが同じ事から 故人様をこの世から あの世へ三途の川の橋渡しをお手伝いするとの思いから来ていると言われて居ります。何れにしろ 皆で送って上げようとの 気持ちの表れかと思います。

尚 分骨をされる場合は 事前に申し出て 容器を用意して置く必要が御座います。

   今回は以上です。

供花

 今回はご供花に付いて書かせて頂きました。

 ご供花は きょうか、又は くげ と読み、仏様や故人様へ供えるお花の事を指します。ご葬儀の際は主祭壇の両脇や式場の両脇のお供えします。ご葬儀の前に ご供花をお受けするか否か、香典・供物・花輪等と共にご方針を決める必要が有ります。又 花輪等の場合は斎場の意向でお飾り出来ない場合も御座います。更に生花祭壇をお使いの場合は 全体の飾り付けを考えてお受けしなければ成りませんので お受けするお花屋さんは一本化した方が良いでしょう。ご供花に付けるご芳名板も ご供花 一基毎に付けるのが一般的ですが、ご供花が多数に渡る場合や 序列を付けたくない場合、又 その他の理由で ご芳名を一括してアイウエオ順に記す方法等も有ります。

 現在では 家族葬や極近しい方々だけで執り行う小さなご葬儀が多くなりました。この様なご葬儀では従来の考え方に捉われず、故人さまを取り囲んでのお見送り等 ご遺族さまのご希望に沿った葬儀式も少なく有りません、当然にご供花の受け方や お供えの仕方もそれに合わせる事が出来ます。又 従来の 白を中心とした茎のしっかりした花だけには拘らず、故人さまのお好きだったお花や、ご遺族様のお好みのお花を ご供花としてお請けする事も多く成りました。

  今回は以上です。

ご自宅での葬儀

 今回はご自宅で葬儀を行う場合の要点に付いて書かせて頂きました。

 最近の横浜では少なくなりましたが ご自宅で葬儀を執り行う場合の注意事項は以下の様に成ります。

お部屋の準備と動線の確認;

 式場とする部屋、飲食の接待をする部屋、近親者・僧侶の控え室、会葬者の待機する場所などを 会葬者の流れを考えながら、道路から室内までを含めて配置を決めます。この配置を五線紙に書き込み、見取り図として用意し、関係者に説明します。又 これを基に隣家の了解を取り付けます。

整理と清掃;

 決められた動線に従い 動線に支障が無い様 物を動かし、室内、通路、庭、玄関、自宅前の道路を清掃します。

駐車スペースの用意;

 ご会葬者が車で来られる事を前提に 近隣の駐車場スペースを用意したり、一時的な路上スペースを確保する為 近隣の方の了解を得ると共に警察署へ届を出して許可を得ます。交通整理が必要であれば警察官の出動もお願いします。

案内標識;

 地元に不案内なご会葬の方の為に 最寄駅、最寄バス停、曲り角に案内板を設営します。

受付の設営;

 受付は 記帳、香典預かりの場所ですが、机・椅子・テントなどを設営すると共に 手荷物の一時預かり所も用意します。道路も使用しなければならない場合は 所轄警察署の許可も得ておきます。

その他;

 履物を脱いで会葬をお願いする場合は 下駄箱、簀の子、預かり札等を用意します。

 門前、玄関の足元が暗い場合は照明を用意します。

 夏場の場合は冷房、扇風機 冬場の場合は暖房器具 雨の場合はテント、傘なども用意します。

 照明器具など 電気の使用料も増えます、式中の停電など起こらぬ様、電気容量の確認もする必要が有ります。

   今回は以上です。  

四華、忌中札

 今回は四華と忌中札に付いて書かせて頂きました。

 四華とは 四華花、死華、死花等とも書かれ シカ 或いはシカバナと読みます、仏の説法などの際 瑞兆として天から降るとと言われる 四種類の蓮の花を指します。白蓮華・大白蓮華・紅蓮華・大紅蓮華の四種類で、葬送の際 柩の四方に立てます。忌中札は喪家の玄関に忌中の札を掲げ、死穢を他に及ぼさない為の告知です。

 四華花は 葬具の一つで、白い紙に細かく切れ目を入れ その紙を細い棒に撒きつけて作ります。その由来は お釈迦さまが亡くなられた時、沙羅双樹が真っ白な花を咲かせ、そのご遺体を白い花びらで覆い尽くしたとの故事によります。又 お釈迦さまの最後の説法は沙羅双樹の下で行われましたが、この最後の説法の後 涅槃(ねはん、悟りの境地)に入られた事から、四華花は 故人さまが涅槃に入った事を表すとも言われて居ります。以前は 近親者が悲しみを表す四華花を持って 葬列に加わわりましたが、葬列を組むことが少なく成りました 横浜などでは 四華花を供える習慣はほとんど残って居りません。

 忌中札は 忌中である事を周りの方々に知って頂く為に貼り出す札です。かっては 裏返したすだれを玄関表にかけ そのすだれに半紙に書いた忌中札を貼り出しました。死を穢れとして扱っていた時代には 穢れを他に及ぼさない様、家に籠っています との意思表示でもありました。又 忌中札には通夜・葬儀・告別式の時間等も書かれて居りましたが、横浜・東京等では 葬儀の式場は自宅で執り行うよりも 斎場等を利用する事が多くなり、空き巣などの犯罪が増加している現在では 留守の時間を知らしめる事にも成りかねず、忌中札を見る事は少なく成りました。

   今回は以上です。

守り刀、逆さ屏風

 今回はご遺体を安置する際に行われる守り刀、逆さ屏風について書かせて頂きました。

 仏教に於ける守り刀や逆さ屏風などの風習は 亡くなられた故人さまの霊を守る為や 死後の世界は現世とは逆の世界であるとの意味を示したものです。

 守り刀とは 本来 武士階級で男子が誕生した際 誕生した子の生涯を守る刀として作り与え、逝去の際にはその枕元を守る為に置かれました。それが時代と共に変化し、一般庶民の間でも 亡くなられた方を魔物から守る魔除けとして ご自宅に安置されたご遺体の枕元、或いは胸元に刃物を置く様に成りました。使われ刃物は 刀とは限らず 地域によりましては 鋏や鎌などを守り刀として置く場合も有ります。守り刀を置く場合は 刃先が故人さまの顔に向かない様、必ず足元に向く様に於きます。現代では 法律上や火葬炉内に金属を持ち込めない等の事情から、本物は使用せず 葬儀専用の模造品を使用するのが一般的と成りました。尚 浄土真宗などの宗派によりましては守り刀は使用致しません。

 日本の仏教に於きましては 葬儀の事を 逆さ事などとも呼びます、即ち 日常生活とは逆の事を行うと言う事です。悪霊が故人さまの霊に取り付かぬ様、ご遺体の周りに屏風を巡らせますが、逆さに置かねば成りません。死出の旅路に着る経帷子は 左前にお着せしなければ成りません。着物の帯は立て結びに結び、足袋は左右反対に履かせます。故人さまのお体を清める為の湯灌に使用するぬるま湯は 逆さ湯と言い 水にお湯を注いで適温を作ります。逆さ事は 故人さまのご逝去は 日常生活とは正反対の悲しい出来事と捉える考え方も御座います。

   今回は以上です。

祭壇

 今回は祭壇について書かせて頂きました。

 祭壇とは 神、精霊、や死者などに 犠牲や供物を捧げる為の壇で有ります。ヘブライ語聖書によれば 祭壇は目立つ場所に 土を盛り上げたり 石を置いたりして作るとされています。又 地面に獣の皮やコモを敷いたものなども有ります。更に 神殿の様な複雑な構造を持ち、入念に装飾された構造物へと発展しました。祭壇はその宗教により異なり、大小様々です。

 日本の葬儀に於いては95%以上が仏教の葬儀であり、その祭壇としては  古くは小さな壇の上に灯明立、香炉、供花、供物を供えたものでしたが、昭和時代に入り、葬儀の主体が葬列から告別式に変化すると 葬儀用の祭壇も大きく変化しました。従来の壇は前机となり、その後ろに2段、3段、あるいは5段の祭壇が飾られる様に成ります。又 ご遺影写真もこの頃から飾られる様に成りました。そして 戦後復興がなった照和28年以降 祭壇文化が花開く事に成ります。こうした祭壇文化もバブル崩壊、それに続く少子高齢化社会の到来と共に小さな葬儀が主流となり、大きく荘厳な白木の祭壇から 華やかな花祭壇へと変化しました。

 花祭壇も当初は白菊、白カ-ネ-ションを使用し厳かな祭壇を用意して居りましたが、最近は故人様やご遺族のご希望に合わせ お好きな花を交えるなどした華やかな祭壇も多くなりました。又 ご家族だけでの密葬などでは 祭壇は作らず お柩の周りを故人様の好みの花で囲んだ お見送りなども これから多くなるのではないでしょうか。

   今回は以上です。

遺影写真

 今回は遺影写真に付いて書かせて頂きました。

 ご遺影とは ご逝去された故人さまを偲ぶ為に 作成した写真もしくは肖像画を指し、ご葬儀の祭壇に飾られ、その後 ご自宅の床の間、或いは仏間の長押に代々のご先祖様と共に飾られます。一般的には 胸から上の肖像で 写真の場合は 四つ切と呼ばれるサイズに引き延ばしますが、社葬や団体葬など 大規模な葬儀の場合はさらに大きく引き延ばして飾ります。以前は着物、或いはモーニングを着用したモノクロの写真を 黒縁の額に納めて飾られましたが、葬儀会場を明るく、温かい印象でなどのご希望から、最近では 普段の生活や旅行の記念写真から選んだカラー写真で黒色以外の額縁を使用する例が多くなりました。ご遺影の発祥や考案者は不明ですが、昭和の初期には 祭壇の中心にご遺影を飾る形が出来あがって居りました。

 本来は 故人さまがご自分で 気にいった写真をお選び頂くのが良いのですが、突然のご逝去や、事前に用意する事をお好みでない場合などでは 色々な集合写真の中から ご遺族がお選び頂く事となります。この集合写真から故人さまだけを抜き出し、背景を変えて作成する事に成りますが、現在の画像加工技術は非常に優れており 小さな原写真でもあまり問題は御座いません。又 着衣の着せ替え等も可能と成りました。

 現在では写真のご遺影だけではなく、電飾写真や液晶遺影なども使われる様に成りました。又 お別れ会などではモーションポートレートやライブポートレートのような動画もご遺影として使われると予想されます。

 尚 米国などの海外では まだ土葬が主流であり、ご遺体の保存技術も発達している事、及び宗教の関係からご遺影写真を飾る習慣は有りません。

  今回は以上です。 

ご遺体の保全

 今回はご遺体の保全に付いて書かせて頂きました。

 ご家族が永眠され 枕経の後にご遺体をお柩にお納め(納棺)してお通夜を待つのが一般的ですが、火葬場や式場の予約状況に依りましたは数日間 ご自宅にそのまま安置し、お通夜の前にご納棺する場合も御座います。ご納棺に先立ち 湯灌、死化粧、遺体衛生保全処置(エンバーミング)などを施す事もあり、又 その間 ご遺体を保全する為にドライアイスを利用します。(エンバーミングされたご遺体にはドライアイスは必要有りません)。

 湯灌とは ご遺族の手でご遺体を清める作法です。盥に水を入れ それに沸かした湯をいれて ぬるま湯を作り ご遺体をお清めします。通常は湯に水を入れてぬるま湯を作りますが この場合は水に湯を入れるので”逆さ水”と呼ばれます。最近は病院でエンジェルケアーによりご遺体は清められて居りますので、行う事は少なくなりました。又 湯灌では 湯を使用する事から ご遺体の体内の菌を増殖させ、ご遺体の腐敗を促進するので公衆衛生上好ましくない とする医学専門医の指摘が有ります。

 遺体衛生保全(エンバーミング)とは 北米などで行われている、一般的な遺体処置の方法です。所定の施設に於いて ご遺体を洗浄・消毒し、防腐処置と、必要に応じて顔などの復元処置を施します。防腐処置は 静脈から血液を抜き、動脈から防腐液を注入して行います。土葬が一般的な国、特に北米では多く利用されて居りますが、火葬が主流の日本では ご遺体を海外に移送する場合を除いて ご利用頂くケースはわずかです。

 遺体衛生保全されたご遺体を除いて ご遺体の保全にはドライアイスが使用されます。ご遺体は 胃や腸から腐敗が始まり 腐敗ガスを発生させます。ドライアイスは直下を冷やす事に適して居りますので 胸から腹部を中心にして 喉元と下腹部までの上にドライアイスを置いて 内臓の腐敗を防ぎます。この為に10Kgのドライアイスで24時間保全する事が可能です。尚 夏場などの酷暑の季節ではもう少し頻繁に使用する必要が御座います。

   今回は以上です。

お布施

 今回はお布施に付いて書かせて頂きました。

 仏教に於いて、お布施とは梵語では壇那(旦那)(ダーナ)と言い、菩薩(悟りを求めて修行をする人)が行うべき六つの実践徳目(六波羅蜜)の一つで、慈悲の心をもって 他人に財物などを施すことです。施す人も、施される人も、施す財物も本来的に空であり、執着心をはなれてなされるべきものとされています。お布施は様々有りますが 財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)が一般的で 和顔施(わがんせ)、言辞施(げんじせ)なども有ります。

財施; 仏教の教えに感謝を表し 出家修行者、仏教教団、貧窮者などへ 金銭や衣服・食料などの財を施すこと。

法施: 仏の教えを説き、精神的な施しを行うこと。僧侶の務めとされています。

無畏施; 不安や怖れを抱いている人に対して安心を施す、困った人に親切を施すなどです。

和顔施; 笑顔を見せる事は それを見る人に幸福感を与え それも布施の一つであると言う考え。

言辞施; 言葉で他人を傷つけない様 気を付ける事。

 ご葬儀に於きましては ご僧侶は 通夜・葬儀式などの法要を営む事により 法施を施し、ご遺族は これに感謝して財施を施すという関係にあります。ご僧侶が法要を営む事は ビジネスでは無く あくまで法施であり、ご遺族のお布施は 法要執行への対価では無く あくまで財施を行うという事が本来の考え方です。しかしながら 現在の横浜など都会に於いては 檀家制度など希薄となり 寺院とご遺族の関係は日常の信仰を基本としたものでは無くなりつつあります。法要の施行に当たりご僧侶をお願いする場合、お布施の金額を問い合せる事もタブーでは無くなりつつ有り、ご遺族が負担可能な財施がどの位か 忌憚なくご相談する事も一般的と成りつつ有ります。ご僧侶をお願いしたいが 経済的事情がある様な場合は素直にご相談される事をお薦め致します。

   今回は以上です。

位牌

 今回は位牌について書かせて頂きました。

 位牌とは 仏教の祭祀で故人さまの霊を祀るために使われる木製の碑で、故人さまの戒名などが書かれて居ります。元々は中国の後漢時代に儒教の葬礼に用いられた霊碑を起源として居り、霊碑には死者の官位・姓名が書かれていた事から ”位”牌と呼ばれました。又 死者の霊が宿る 依代(よりしろ)という古来の習俗と仏教の卒塔婆が組み合わされた物とも言われて居ります。日本へは鎌倉時代に禅宗と共に伝来し、江戸時代に一般化しました。表には戒名が書かれ、裏には俗名と 死亡時の年齢、死亡年月日が書かれます。

 位牌には 内位牌、野位牌、本位牌、寺位牌などが有ります。

内位牌(仮位牌); ご臨終後 僧侶より戒名を頂き、作られる白木の簡素な位牌です。枕飾り、通夜、葬儀、後飾り(中陰壇)に祀られます。四十九日の法要で 御霊を内位牌から本位牌にお移しした後 お寺さまで焚き上げられます。

野位牌; 内位牌と同じ白木の位牌で、墓石に文字が刻み込まれるまでの間 お墓に置きます。

本位牌; 四十九日の法要により忌明けとなり ご仏壇の二段目に安置する位牌です。殆んどは木製で 漆塗りやカシュ―塗装に金箔・沈金・蒔絵が施された塗り位牌、黒檀・紫檀などに透明 或いは半透明の塗装をした唐木位牌、近年 多くなりました家具調位牌などが有ります。文字は地色と違う色で書いたものや 彫ったものなどが選べます。又 一枚の板に御一人 或いは複数の戒名を記した 札位牌(板位牌)、多数の薄い札が納められる様に作られた 繰り出し位牌等が御座います。

寺位牌; 本位牌とは別に 菩提寺に納める位牌です。お寺さまでは 本堂内や位牌堂に安置され、朝夕の勤行の際に供養されます。

尚 浄土真宗の場合は 原則として位牌は用いません、代りに法名軸、或いは過去帳を用います。しかしながら近年では お寺様の了解を得て お位牌を作られるご遺族さまも多く成りました。

   今回は以上です。

骨壺

今回は骨壺について書かせて頂きました。

 骨壺とは ご火葬を終えた 故人さまの焼骨をお納めする為の容器です。事情に因りましては洗骨をお納めする場合も御座います。古くは 蔵骨器(又は骨蔵器)と呼ばれ 土器や素焼きのカメが使われて居りましたが、石をくり抜いた物や、金属で作られた物など 多岐にわたっておりました。その後 常滑焼、瀬戸焼、信楽焼などの 大衆的な陶器で作られた物が多くなりました。現在でも 陶磁器製が主流ですが 白一色だけではなく 色々な絵付けがされた物や、故人さまが生前に絵付けされた物、故人さまの戒名(法名)とお名前が入った骨壺など 多様性に富んで参りました。

 骨壺の形状は 古代より現在に至るまで おおむね円形です。大きさは 全部収骨か部分収骨かにより 異なりますが 東日本では全部収骨ですので大型となり、西日本では部分収骨ですので小型の骨壺となります。骨壺は収骨後 蓋をして 開かぬよう粘着テープで しっかりと留め、白布で包み 白木 又は金襴の箱に納めて 墓石の下、寺院の納骨堂、納骨室に安置する事になります。尚 納骨される際には 火葬場より発行された埋葬許可証が必要と成りますのでご注意下さい。横浜市営の火葬場では骨壺を骨箱に納める際に承認済の埋葬許可証を同封してくれます。琉球地域では 厨子甕と呼ばれる石製や、陶器製のものが骨壺として使われ ご遺骨を納めた厨子甕は礼拝の対象とされて居りました。

 これは余談ですが アメリカでは土葬が一般的ですが、火葬の場合も有り、葬儀社ではもちろん、ショッピングセンターなどで 陶器製は勿論、金属製やガラス製の 意匠を凝らした骨壺を見る事が出来ます。

    今回は以上です。

 今回は柩(ひつぎ)に付いて書かせて頂きました。

 柩とは 棺(かん)とも書かれ 故人さまのご遺体を納めて葬る為の容器です。ご遺体が納められていない物を棺、ご遺体が納められた物を柩とする説が有りますが、棺の訓よみはひつぎであり、ご遺体を納めた容器を葬儀式場から送り出す事を 出棺と言いますので 棺と柩を使い分ける必要は無い様に思います。棺には大きく分けて寝棺(伸展葬)と座棺(屈葬)が有ります。古くは 石を組み合わせた石棺、木をくり抜いて作られた木棺、木に漆を施した乾漆棺等が 寝棺として身分の高い人々の間で使われて居りました。一般民衆の棺は 座棺であり 鎌倉時代に始まり、江戸時代に大きく普及しました。これは 木製の桶で、故人さまが亡くなられると、急いで作らなければ成りませんので 早桶とも呼ばれて居りました。それ以外にも 棺を示す言葉としては オケ、コガ(桶の別称)、舟(フネ)、龕(ガン)などが有ります。江戸時代の埋葬は土葬でしたので、場所を取らない屈葬が一般的であったと考えられます。明治時代に入り 富裕層の間で寝棺が使用される様に成り火葬も一般的と成りましたが、初期の火葬炉では寝棺用の火葬炉と、座棺用の火葬炉が有り、地域によりましては座棺用の火葬炉しかない為 昭和40年代まで座棺しか使用出来ない市区町村が有りました。現在では火葬炉も近代化し 寝棺が一般的となって居ります。

 現在の棺としては大きく分けて 天然木棺、フラッシュ棺、布張棺の三種類となります。

天然木棺;   マキ、モミ、ヒノキなどの天然木を使用して作られた 最高級とされる棺です。中でも ヒノキが最高級とされ 百万円超の棺も有ります。

フラッシュ棺; 白木の薄い合板を組み合わせて作られ、見た目も良く軽量で、現在の主流となって居ります。本物の天然木を薄くスライスして合板に張り付けた 突板張棺や、薄い用紙に木目と色を本物そっくりに印刷し 合板の表面に張り付けた プリント合板棺があります。余談ですが フラッシュとは日本語で偽物を意味しています。

布張棺;    フラッシュ棺の表面に布を張った棺で、主としてキリスト教の棺として使用され、海外から色々なデザインが輸入されて ファッション性の有る棺として定着しております。

 天然木棺、フラッシュ棺には 表面に手彫りや機械彫で彫刻を施した 彫刻棺があり、二面彫、三面彫、四面彫、五面彫などが有ります。本体と蓋の組み合わせも 従来の釘打ち形から、釘を使用しない はめ込み式の印籠(インロー)タイプへと変化して居ります。

  今回は以上です。 

死に装束

 今回は死に装束に付いて書かせて頂きました。

 死に装束とは 故人さまが西方浄土へ旅立つ為の 衣裳を指します。古くは 武士階級が切腹する際の衣裳(装束)も死に装束と呼ばれました。白を基調とした装束から白装束とも呼ばれて居ります。神道やキリスト教では特に死に装束に該当するものは有りませんが、神道では神主の衣裳に似た白の装束を着せる場合もあります。又 浄土真宗では ご逝去と共に 故人さまは仏と成り(成仏)、冥土に立たれますので、旅の為の死に装束は 着用せず、故人さまのお好みの服装に、胸前の両手に数珠をおかけして お見送りします。

 日本に於ける 死に装束は 経帷子・帯・天冠・頭陀袋・六文銭・手甲・脚絆・草鞋・編笠・杖・数珠で 一式となります。これらの装束は 仏式での巡礼者 或いは修行僧の装束で、江戸時代以降 葬儀は仏式と成りましたので 一般的となり、ご納棺の前に 故人さまに施します。死に装束は 古くは親族により用意されるものでしたが、現在では 葬儀業者でご用意させて頂くのが一般的となり、故人さまのお好みの着衣の上に置かせて頂いたり、お棺の中に入れるだけのケースも多く成りました。

経帷子・帯; 浄衣や経衣(きょうえ)と呼ばれ、親族の女性の手で、白の麻や木綿、紙布などで作ります。裏地を付けない一重で、糸尻を留めずに縫われました。そして 衽(おくみ)や背に 南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などの名号、題目や 真言(陀羅尼)、経文などを書き込んだ着物です。死者もこれを身に付けると生前の罪が消え、地獄の責め苦を免れ、浄土に往生出来るとされて居ります。又 重罪の者もこれを着れば解脱を得るとも言われます。故人さまには経帷子を左前でお着せし 帯で結びます。

天冠;   額に付ける三角の布で 額紙や額布とも呼ばれ、冥土への旅に於ける魔除け、その他の説が有ります。起源は観音菩薩の頭部にある冠を模したものとの説だ有ります。余談ですが 能や舞踊でも天冠を付けて舞う事が有ります、もちろん布製では無く金属製の天冠ですが。

頭陀袋; 頭陀袋は 修行僧が托鉢の際に頂く お供物を入れる袋です。

六文銭; 六文銭は六道銭とも呼ばれ 三途の川の渡し賃とされて居りますが 電気火葬炉の関係上 金属ではなく 紙、又は木片に印刷された物が使用されます。又 青森県の一部では六文ではなく 49文を持たせます、何れにしろ どんな金持ちでも 死出の旅立ちには 六文しか持って行けない とも伝えられ居ります。

以上の他に 手甲・脚絆・草鞋を左右逆、又は裏返しにして着用し、編笠を頭の上に、杖を利き腕の側の置き、両手に数珠を置いて、お棺を閉じます。

   今回は以上です。

後飾り

 今回は後飾り壇に付いて書かせて頂きました。

 後飾り壇とは 仏教、或いは神道に於いて ご火葬・ご収骨の後 ご納骨までの間 ご自宅でご遺骨を安置する為の祭壇です。仏教では 四十九日までの”中陰”の間に設けられる祭壇である事から 中陰壇(ちゅういんだん)とも称されます。

 後飾り壇は 白木、或いは小机に白い布をかぶせた 二段又は三段の祭壇で、一般的には ご遺骨、野位牌(白木のご位牌)、ご遺影、三具足(香炉・花瓶・燭台)、鈴(りん)等を置きます。後飾り壇に飾るものは その宗派、地域により飾る物、その飾り方が異なる事が有ります。一般的な飾り方と致しましては 上段にご遺骨を安置し その前にご位牌を置き、下段にご遺影を置きます。ご遺影の前には 中央に香炉、向かいまして右側に燭台と鈴(りん)、左側に花瓶を、両サイドに供物を配置します。お水をお供えする場合は ご位牌の前に置きます。又 ご葬儀で頂いた 生花や供物は 後飾り壇の周囲に適宜並べます。後飾り壇を設ける場所は 仏間であれば ご仏壇の前、もしくは横、あるいは居間であれば床の間などが選ばれます。床の間の場合 後ろに十三仏の掛け軸を掛ける事も有ります。

 神式の後飾り壇では 祭壇にご遺骨を安置し ご遺影を飾り 榊を活けた花瓶 洗米・塩・お神酒などが置かれます。キリスト教では 特に決まりは有りませんが ご納骨までの間 ご遺骨、ご遺影、燭台などを置いて お祈りします。

  今回は以上です。

枕飾り

 今回は枕飾りに付いて書かせて頂きました。

 枕飾りとは ご家族がご逝去され ご遺体を北枕でご自宅に安置しますが 葬儀を執り行うまでの間、故人さまの霊を慰める為の仮祭壇を指します。ご遺体の枕元にお飾りしますので、枕飾りと呼ばれて居り、仏教や神道で使われます。

 ご遺体の枕元に 白木の台を備え、三具足を配置します。香炉を中心にして ご遺体に向かって右側に燭台(火立て)を置き、左側に花立てを配します。燭台に白のローソクを灯し、花立てにはシキミ又は白菊を一本たて(一本花と言います)、香炉に線香を立てます。それぞれ一本が原則とされて居ります。但し 浄土真宗では 線香は立てずに 適当な長さに折って 火を付け 横に寝かせます。このローソクと線香の火は絶やさぬ様にが 原則でしたが、現在では 火災予防の観点から ローソクの火は必要な時のみ灯すように成りました。そして 浄水、枕飯、枕団子、故人さまの好物などをお供えします。枕飯、枕団子はご逝去後 すぐに作るものとされて居りますが 浄土真宗ではお供えしません。

 枕飾りのローソクの光は御仏の光明を意味し、線香の煙は御仏の食物を意味して居ります。又 灯りは故人さまが迷わぬ様に道を照らすという意味も有ります。枕飯は 食物が身体を養うならば、魂も養うという考えから、魂の形である丸形 即ち 山盛りにしてお供えします。枕団子は 釈迦が入滅された時に 無辺見菩薩が香飯を捧げた故事にもとずきます。枕飯や枕団子等の食べ物を供えるのは ご遺体から遊離した霊魂を食事の魅力で呼び寄せ蘇生させる 魂よびの一種であるとか、霊魂が善光寺参りする為の弁当である等の習俗も有ります。

  今回は以上です。

神道のお墓、お墓参り

 今回は神道のお墓とお墓参りに付いて書かせて頂きました。

 神道に於きましては お墓を ”奥津城”(おくつき) と言います。奥津城とは 元来は 昔の墓 を意味して居りましたが 後に お墓その物を意味する様になり、又 神道式のお墓に刻まれる文字とも成りました。奥津城は 奥都城、や奥城とも書かれますが 奥深い所で、外部から遮断された聖域で、お棺を安置する場所の意味でもあります。中間の文字である 津・都は ”~の” の意味を持ち、一般信徒のお墓では”津”を使用し、神官や氏子を勤役した方 或いはご先祖が勤役されていた場合は ”都” を使用するのが基本です。

 奥津城の形状は 基本的には仏式と同様ですが 墓石は細長い角柱型で、頭頂部を四角錐にします。これは ”三種の神器”の一つであります、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の形を表していると言われて居ります。そして 神道では 焼香が御座いませんので 香炉は不要ですが、代りに 玉串を奉奠する為の 八足台を置きます。墓石には ”〇〇家之奥津城” と刻みます、墓石が無い場合には 墓標に ”〇〇大人(刀自)命之奥津城” の様に刻みます。神道では 仏教のような戒名は有りませんので、生前のお名前の下に 之霊・命・命霊・霊位の何れかを付けるだけです。

 通常 神社では墓地を所有して居りませんので、神式のお墓を建てる際には、公営や民営の霊苑の墓地を購入される必要が有ります。

 神道に於けるお墓参りは 故人さまの祥月命日に行う式年祭(一年祭、五年祭、十年祭等)を中心に、お盆や春秋のお彼岸に行います。まず 墓地内をきれいに清掃し、線香は使わずろうそくを立て灯します、水・洗米・塩・お神酒の神饌と 故人さまの好物をお供えします、花立には榊を飾ります。拝礼は まず深く礼をし、一度 拍手を打ちます、それから二礼二拍手一礼の拝礼をします。この場合の拍手は 一年祭まではしのび手で、一年祭からは音を立てて打ちます。

   今回は以上です。

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