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社葬の日程の決め方
今回は社葬の日程に付いて書かせて頂きました。
社葬を執り行うに当たりましては 実行委員会の立ち上げと、日程を決めなければ成りません。特に日程を定めるに当たりましては 予め ”社葬施行企画書” が準備されて居るか、どうかにより大きく異なります。準備されていない場合は ご遺族のご希望、状況に合わせて企画する事となります。
社葬の日程を組むに当たりましては 死後直後に行うケースと、日をおいて行うケースとに大別されます。
日を置いて行うケースでは ご遺体の保全も考慮して ご逝去直後にご家族・近親者で個人葬(密葬)を執り行い、改めて 後日 本葬を社葬として行うのが一般的です。この本葬は 当然の事ながらご遺骨を中心とした 骨葬の形態となります。又 本葬は ご葬儀と言うよりは 告別式、あるいは 追悼式の要素が濃い儀式となります。日取りと致しましては 1ヶ月後の月命日、三十五日や 四十九日に合わせ行うのも考え方の一つです。この形態ですと 会場も自由に設定出来、準備の時間も十分に取る事が可能となります。
尚 密葬は行わずに 社葬までご遺体を保全しておきかい場合は エンバーミング(遺体衛生保全処置)により防腐処置を施す事で、然るべき期間 ご遺体を保全する事が可能となります。
社葬の準備に付きましては 企画立案を一から始めればそれなりの時間が必要と成ります。企業殿社内危機管理の一つとして 社葬施行企画書 が準備されていれば、企画は状況に合わせた修正のみで済、実行に全てを傾注出来ますので、会葬の方々への対応も行き届いたものとなります。
今回は以上です。
社葬の目的とは
今回は社葬の目的に付いて書かせて頂きました。
社葬とは 企業(会社)が全ての責任を負って執り行う葬儀であり、故人様 お客様 社員 社会に対する企業の姿勢を示す儀礼でも有ります。企業の発展に尽力した故人が生前 お世話になった方々への感謝を表し、故人様の逝去を追悼し、来賓・参列の方々との新たな関係をお願いする、為に執り行う儀礼です。
社葬は 企業としての姿勢を広く社会に示す場でも有りますので、まずは 故人様の功績をどの様に評価し、企業としてどの様に遇するのか、の姿勢を会社として決めなけれれば成りません。その上で 以下の意味付けを行います;
1 故人が生前に受けたお世話への感謝の表明
故人が生前に成した 企業発展への尽力は 多くの方々の協力により成し得た事柄です。社葬に於いては まず お世話になったこれらの方々に対して、感謝の意を表明します。
2 故人への追悼
故人が成した会社への貢献を讃え、その業績と思い出を偲びます。
3 新たなる関係の創造
故人 亡き後も、変わらぬお世話を頂ける様、来賓 参列の方々にお願いします。
以上の3点を念頭に置きながら、企業らしさ や故人の人となりが示される形の儀礼が 社葬の目的となります。
社葬を行うに当たっては ご遺族への配慮も大切な項目です。社葬であるからと言って企業のみで全てを決めてしまうと ご遺族との間で確執が起こる可能性が有ります。社葬の主体は企業が担いますが、お見送りの主体は ご遺族でもあります。何かを決める際には ご遺族の意向を確かめ、決まった事はまめに報告して、ご遺族をないがしろにしない様にする事は重要です。
今回は以上です。
社葬の式場設営
今回は社葬の設営に付いて書かせて頂きました。
社葬の設営は 依頼する葬儀社の指導の下に行われますが、依頼する葬儀社には 必ず”作業マニュアル”の作成、提出を依頼して、作業の完璧を期します。又 進行に当っては 台本を作成し、遅滞のないスムーズな進行を期します。
作業マニュアルは 施行マニュアルの一部で、主として式場設営など 協力会社に委託して行う作業の内容と手順を示したものです。協力会社への委託項目ではありますが、任せ切りにしてしまわずに、施行プロジェクトとしても、必ず目を通して、内容確認をすべきでしょう。又 現場責任者は 施行マニュアルの前提の下に、現場に作業指示書を提示して、作業の完璧を期します。
社葬の進行に当たりましては 進行台本を作成しますが、作成の際の注意事項は以下の通りです;
1 弔辞、葬儀委員長式辞など シーン単位でページを作ります。
2 シーン毎にタイトルと時間を記入します。
3 シーンの内容は3っに区分して、時間軸を合わせて記述します。
①主要動作(全体の4分に1)
②アナウンス 及び主要シーン(全体の2分の1)
③照明、音楽などの演出動作(全体の4分の1)
4 葬儀委員長の動作図などは挟み込んで使用します。動作図を別紙にすると 探す手間がかかり、台本の中に記入すると ページが窮屈になります。動作図は別紙で起し 当該ページに挟み込んで利用するのが便利です。
5 名前や難しい文字には必ずフリガナをつけます。フリガナのミスは許されませんので、二重 三重の確認が必要です。
6 アナウンス部分の文字は 照明が十分でなくとも読める様、大き目の文字で記入します。
7 製本形式は ファイルへの挟み込み形式にしておくと、全体概要の必要部分を挟み込む事が可能となりますので、大変便利です。簡易製本やホチキス止めの場合はこれが出来ません。
今回は以上です
日本独自の宗教 神道
今回は神道(しんとう)に付いて書かせて頂きました。
神道とは 古来より育まれた日本民族の文化を拠り所とする宗教の総称で、自然信仰を基に 神秘で畏敬の念を抱かせる物や事象を 神や神霊として信仰の対象とし、その信念に基ずいて発生し、展開されて来た、日本民族固有の宗教です。従いまして 多くの神や神霊が祀られて居り、八百万の神と呼ばれる程 多数の神が存在します。神道に於いては 亡くなられた方のお見送りは 神葬祭、霊前祭などの儀礼にのっとり執り行われます。
八百万の神を持つと言われる神道は 日本民族文化の中で自然発生的に生まれました。遅くとも弥生時代には原始的な形が作られて居り、古墳時代には民族宗教としての形態を整えたと考えられます。そして 7世紀(飛鳥時代)の律令制確立と共に 朝廷の祭祀を司る 神祇官と呼ばれる官位が制定されました。神道という語は 日本書記(8世紀)の中で初めて現れますが、これは 唐より伝来した 外来宗教である 仏教(仏法)に対して、日本古来の民族宗教を意識して創られたと考えられます。
現代の日本神道の活動は 大きく分けて 神社を中心とした神社神道、幕末以降に創設された教派神道の二つですが、この他に 宗教団体は結成せず 家庭や個人に於いて営まれている 民俗神道があるという説が有力です。28年度現在の 文化庁が認識している 神道に於ける宗教団体は 156団体、宗教法人は 84、909法人となって居ります。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅱ
今回は前回に引き続き仏教に付いて書かせて頂きました。
現代の日本に於きましては ご葬儀を執り行う際の儀礼の九割以上は仏式により行われて居ります。日本の仏教界は 第二次世界大戦後 宗教法人令が成立し、国による認可制度が停止されると、多くの仏教教団が分派・独立し、多数の宗派が新設されました。その後 昭和26年(1951年)の宗教法人法成立と共に 若干の変動が御座いましたが、文部科学大臣所轄の包括宗教法人としては 平成28年(2016年)12月末現在 157の仏教宗派が活動して居ります。
日本の仏教は 飛鳥時代 聖徳太子によって その基礎が確立されたとされます。聖徳太子は仏教思想を深く受容し、その仏教思想を自らの治世に生かしたと言われて居ります。又 聖徳太子は 法隆寺や四天王寺などを建立して居ります。法隆寺は 永く法相宗の学問道場として機能して居りましたが、現在は法相宗から独立して、聖徳宗の総本山となって居ります。四天王寺は天台宗に属して居りましたが、同じく戦後 独立をして和宗を形成し その総本山となって居ります。
奈良時代に入りますと 遣唐使により学問仏教が唐から移入され、奈良に於ける南都六宗の大寺院で学ばれる事と成ります。南都六宗は 三論、成実、倶舎、法相、華厳、律の六宗です。この中で 法相宗は 興福寺と薬師寺を二大本山として その伝統を現在に伝えて居ります。華厳宗は 東大寺を大本山とし 大仏を保持すると共に、日本各地に建立された国分寺の中心となる、総国分寺でもあります。律宗は 754年 唐から来朝した鑑真により 唐招提寺を中心として伝教されました。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅲ
今回は平安時代の仏教に付いて書かせて頂きました。
現代の日本に於ける ご葬儀の主流は仏教の葬送儀礼です。9割を超えるご葬家が仏式のご葬儀をご希望され、そのご希望に合わせてご葬儀が執り行われて居ります。日本に於ける仏教の宗派は 飛鳥、奈良時代の南都六宗に始まり、平安時代の天台宗、真言宗へとつずいてゆきます。
天台宗は 806年 伝教大師・最澄により開創されました。最澄は入唐して天台教学を究め、更に密教、禅 そして律の伝授も受けて帰朝し、円(天台教学)・密・禅・戒の四宗を総合した天台法華宗を開創します。天台教学は法華経に基ずく教えであり、すべての人は仏となる因(仏性)を有しているという 一乗思想、三諦円融の教え、一念三千の教え などの思想を有しております。又 心を統一しつつ自己と存在の実相を観察する”止観”を中心とした実践行を重視して、峰々を毎日歩き回る 回峰行、長い年月山に籠る 籠山行 などの極めて厳しい行も伝えられて居ります。更に 最澄は 日本仏教に於ける 戒観の基礎を築いた師でもあります。天台宗の総本山は 滋賀県大津市の 比叡山延暦寺です。
真言宗は 弘法大師・空海により九世紀初頭に開かれました。空海は最澄と同じく入唐して長安に渡り 同地の青龍寺の密教僧 恵果より 真言密教を学び、ことごとく秘法を伝授された後 帰朝して真言宗を開きました。835年 高野山で入定(入寂)しました。密教とは 釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(絶対者)である大日如来が 直接 説いた教えであるとされ、生きとし生けるものは 宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も身・口・意の三密行により即身成仏する事が出来る と説きます。高野山真言宗の総本山は 和歌山県伊都郡高野町の 高野山金剛峰寺です。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅳ
今回も前回に続き仏教に付いて書かせて頂きました。
人類の歴史の中では古くより ご葬儀の儀礼は信ずる宗教の教義に基ずいて行われて参りました。ご葬儀を執り行うに当たり、日本人の多くの方々が選択される宗教は仏教でが、その仏教は インドに始まり、中国、韓国を経て日本に伝来しました。従いまして 飛鳥、平安時代の仏教は 中国での教えが日本に伝えられ、宗派としても中国名がそのまま使われて居りました。鎌倉時代に入り 徐々に日本文化と融合した独自の仏教が生まれて来ます。法然上人が開いた 浄土宗を始めとする諸教です。
平安時代末から鎌倉時代にかけては 政治の実権が 貴族から武士階級へと移った歴史の転換期でもあります。又 この時期は 天災・飢饉・戦乱などが重なり 民衆の苦悩が深まった時期でもあります。こうした時代背景を基に 多くの宗派が新しく生まれました。この時代は 仏教史観に由れば ”末法の時代” とされ、貴族階級中心の平安仏教に代わり、民衆が求める救いに応える為の仏教が生まれました。
浄土宗は 1175年 宗祖 法然上人により創設された宗派で、現在は京都市東山の知恩院を総本山として布教活動が行われて居ります。法然上人は 比叡山にのぼり修学し、その後に 南都に遊学して 諸宗の奥義を究めましたが、その結果に満足出来無い中、中国の善導大師による ”観経蹠(かんきょうしょ)”の一文に触発され、この末法の時代には 阿弥陀仏の御名を唱えることによって極楽浄土へひきとって頂き、そこで悟りを開く、専修念仏を唱導する浄土宗を開創しました。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅴ
今回は鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。
鎌倉時代には 天災や飢饉が多発し、更に戦乱などにより民衆の苦悩が深まった世相となりました。又 仏教史観では ”末法の時代”とされ、平安時代の貴族階級を中心とした仏教から、民衆の苦悩を救済する為の仏教へと変化して行きます。この時代には 一般民衆でも受入れ易い、専修念仏の唱導を中心とした 多くの宗派が生まれました。浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、日蓮宗、そして 禅宗などです。
浄土宗は 法然上人により 1175年 京都東山で開創されました。法然上人は 天台宗を始めとして南都六宗を修学しましたが、その教えに満足出来ず、専修念仏を唱導する浄土宗を開創します。南無阿弥陀仏(阿弥陀仏を信ずる の意味)と唱えることにより、極楽浄土へ導かれ そこで悟りを開く事が出来る、という 他力易行の念仏は 貴族を含む多くの民衆に影響を与えました。しかし 従来からの諸宗の反発を受けて、朝廷より 念仏停止(ねんぶつちょうじ)の令が発っせられ、法然上人は土佐(実際には讃岐)に流罪となり、高弟たちも 死罪や流罪に処されて、浄土宗は日本各地に分派される事と成りました。そして 第二次世界大戦後 各地に分派していた京都の知恩院 浄土宗本流、東京芝の増上寺の浄土宗、京都左京区の金戒光明寺の黒谷浄土宗等が習合・合併して 京都 知恩院を総本山とする現在の浄土宗と成りました。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅵ
今回も前回に続き鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。
現代の日本に於ける ご葬儀は仏式の葬送儀礼が主流となって居りますが、その多くの宗派は 鎌倉時代に開創されて居ります。仏教史観に於ける ”末法の時代”であった鎌倉時代には 念仏の唱導を主とする宗派が開創され、貴族階級だけでは無く 民衆の中に広く伝わって行きました。その始まりは浄土宗でしたが、更に 浄土真宗、融通念佛宗、時宗、日蓮宗などが創設されて行きました。
浄土真宗は 1247年に親鸞聖人により立教開宗されたとされます(教行信証が完成した年)。聖人は 始めに比叡山で修学に励んだ後、法然上人の下に参じて、その高弟の一人となります。そして 法然上人が四国流罪とされたときに、越後流罪に処せられました。その間 関東で教えを広め、晩年には京都に帰る事と成ります。聖人が教導していた時代には 浄土真宗は創立されて居らず、浄土真宗の創設は 聖人の没後 その弟子たちにより行われました。親鸞聖人の教えは 法然上人の唱導した浄土門の念仏の教えこそ真実の教え(浄土真宗)であるとし、浄土往生以前でもこの世で救いが成就する(現生正定聚)と説きました。更に その”信心”も”念仏の行”も 如来より施与されたものとされ、絶対他力の教学を完成したとされます。又 聖人は妻帯も仏道を妨げる事は無いと唱え、非僧非俗と称して、従来の出家集団とは異なる教団を形成しました。
現在 真宗教団の中で大きな教団は 浄土真宗本願寺派(西)と真宗大谷派(東)の東西本願寺教団ですが、その他 真宗高田派、真宗興正派、真宗佛光寺派、他が御座います。
今回は以上です。融通念佛宗、時宗、日蓮宗は次回に書かせて頂きます。
日本の仏教Ⅶ
今回は鎌倉時代の仏教に付いて書かせて頂きました。
ご葬儀を行う際の儀礼は信仰された宗教に基ずいて執り行われますが、現代の日本で主流となるのは仏教です。その仏教で主流となる宗派の多くは鎌倉時代に創設されて居ります。その中の 融通念仏宗、時宗は以下の通りです。
融通念仏宗は 平安時代末期の1117年 天台宗の僧侶であった良忍上人が 京都大原の来迎院で修行中、阿弥陀如来から速疾往生(誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文を授かり開宗した、とされます。自他融通の念仏は 相互に力を及ぼしあって浄土に往生すると説きます。大阪市平野区に建立された 大念仏寺を総本山として居ります。
時宗は 融通念佛宗と同様に浄土教の一宗派で鎌倉時代末期に一偏上人により開かれました。一偏上人は 証空門下の聖達に学び、後に熊野本宮で神勅を得たとして自らの教学を形成しました。上人は 捨聖(すてひじり)と言われ、遊行をこととし、弟子達と共に諸国を遊行し、念仏を称えた人には 算(さん)と呼ばれる念仏のお札を与えました。又 一偏上人には 新たな宗派を立宗する意図は無く、永らく その教団や構成員は時衆と呼ばれて居りました。時宗として宗派が成立するのは 江戸時代以降(1633年)以降です。その教えは 念仏を重視し、念仏を唱えれば唱える程 極楽浄土への往生が可能になると説きました。時宗では 阿弥陀仏への 信・不信は問わず念仏を唱えれば成仏できると説き、仏の本願力は絶対であるがゆえに、それが 信じない者にまで及ぶと解釈されて居ります。時宗の総本山は 神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称 遊行寺)です。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅷ
今回は鎌倉時代に興された日蓮宗に付いて書かせて頂きました。
ご葬儀を行う際の儀礼は信仰された宗教に基ずいて執り行われますが、現代の横浜で主流とされるのは仏教です。その仏教で主流となる宗派の多くは鎌倉時代に創設されて居ります。その中の 日蓮宗(法華宗)は以下の通りです。
日蓮宗は 法華宗とも呼ばれ、鎌倉時代中期(1253年)に安房の国 清澄山の清澄寺に於いて日蓮上人(立正大師)により興されました。日蓮上人は 安房の国(千葉県鴨川市)の小湊に生まれ、11歳で小湊の清澄寺に学び、更に 比叡山で天台教学を究め、その後 三井寺、薬師寺、高野山、天王寺、他に遊学の後に清澄寺に戻って 南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされます。その後 鎌倉を中心に布教活動を行うと共に、鎌倉幕府への献策(立正安国論)を行いますが、聞き入れられず 各種の法難を受けた後、佐渡へ流されました。3年間の流罪が許されると 山梨県の身延山に入り、久遠寺を開山して 法華経の宣揚と道俗の訓育に当りました。その後 病を得て、療養の為 常陸の国へ向かう途中、武蔵の国 池上(東京都大田区)で入滅します。
日蓮宗の教えは 南無妙法蓮華経 の題目を唱える唱題を説きます。法華経こそが釈尊の悟りの全てであり、宇宙の実相を表わしている、”妙法蓮華経”の題目は 単に名称ではなく、法華経の説く内容、つまり 仏陀の証悟の世界そのものである、という日蓮上人の考えにもとずくものです。
尚 日蓮宗は 法華経の理解の違いにより、多くの分派を持ちますが、総本山は 山梨県の身延山久遠寺、日蓮宗の行政を司る宗務院は 東京都大田区池上の 本門寺敷地内にあります。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅸ
今回は鎌倉時代に中国より伝えられた禅宗に付いて書かせて頂きました。
禅宗とは 坐禅を基本的な修行形態とする仏教の宗派で、南インド出身で中国へ渡った 達磨大師を祖として居ります。本来 坐禅は仏教の基本的な徳目の一つとされて居りましたが、中国の唐代末期(9世紀)頃より、坐禅を中心に行う仏教集団を 禅宗と呼ぶ様になります。そして 時代が過ぎ 宋の時代(日本は鎌倉時代)に 栄西禅師により臨済禅が、道元禅師により曹洞禅がそれぞれ伝えられました。
臨済宗は中国で成立した禅の一派で、禅匠臨済義玄を宗祖とする宗派です。鎌倉時代 栄西は宋に渡り、臨済禅を究めて、日本に伝えました。臨済禅は武士階級に好まれ、広く広がると共に、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道など、日本の中世の文化に大きな影響を与えました。禅とは精神統一を意味する dhyana の音写 禅那(ぜんな)に由来します。その真髄は 坐禅を組んで精神統一をし、自己の本性を見撤し、悟りを開く事を目的とします。その悟りの境地は 言葉によって説明することはできず、師と弟子の間で心から心へと伝えられる(不立文字、教外別伝)とされます。又 古来より 禅僧には その悟りの心境から発する奇抜な言動が禅問答として遺されて居りますが、それらは 後に禅を学ぶ人々の修行を深めるよすがとして生かさせる様になります。これを 公案(こうあん)と言います。臨済宗は栄西禅師以降 多くの弟子達により、おおくの派が生まれて居りますが、現在の最も大きな宗団は 京都の妙心寺を本山とする 臨済宗妙心寺派です。神奈川県内では 鎌倉の建長寺を本山とする 建長寺派、円覚寺を本山とする 円覚寺派を御座います。
曹洞宗は 同じく中国の曹洞宗の禅が 入宋した道元禅師により日本に伝えられて居ります。道元は 帰朝後 曹洞宗の布教に務めますが、鎌倉幕府に受入られず、仏教諸派からの圧迫を受けて、越前に移り 永平寺を開いて、弟子の育成に尽力しました。曹洞宗では 公案は用いず、只管打坐、ただ座るということを重んじて居ります。坐禅は仏のはたらき、仏の活現に他ならないということで、本証の妙修 と呼ばれています。道元の家風は 極めて厳格で、格調の高いものであり、一般に広まる性格のものではありませんでしたが、門下の第四祖 瑩山紹瑾により 禅の大衆化が図られて、現在 ある 大教団の基礎が築かれました。紹瑾は 石川県の能登に総持寺を開創しましたが、明治に入って火災に合い、横浜の鶴見に移りました。現在は 福井の永平寺と 横浜鶴見の総持寺の二大本山制により運営されて居ります。
今回は以上です。
日本の仏教Ⅹ
今回は仏教と武家社会との結びつきに付いて書かせて頂きました。
鎌倉時代を始めとする武士階級による政治が始まると、多くの仏教寺院は寺領を持つ様になり、寺領を守る為の僧兵、そして 武士階級の信徒の庇護により、寺院の権力は大きくなって行きます。応仁の乱後の戦国時代となると、その治安の悪化に対すべく宗教勢力も武力を強めて行きました。そして 戦国大名との抗争へと発展して行きます。戦国大名 織田信長は 天下布武 という方針の下、実力対抗する これらの宗教勢力を撤底的に討伐しました。安土桃山時代 ほとんどの寺院は 武士階級に屈服して武装解除が行われ、統制される事となります。
豊臣秀吉の死後、権勢を掌握した徳川家康は 江戸幕府を開くと共に 当初は寺院諸法度を制定して寺院の取締りを行い、寺院の勢力を弱体化させて行きます。更に キリスト教を中心とする邪宗門徒を発見し、その締め出しを図る為、寺請制度を発足させます。寺請制度は 宗教統制を図る為の制度で、寺請証文を受ける事を民衆に義務付けて、キリシタンで無い事を寺院に証明させる制度で有ります。必然的に民衆は寺請をして貰う為に 仏教寺院の檀家と成らざるを得ず、これにより日本の寺檀制度が確立する事と成ります。日本の国民は全て 何れかの仏教寺院の檀家となりました。日本、或いは横浜に於ける ご葬儀の9割以上が仏式で行われるベースは この時代に確立致しました。
今回は以上です。
日本の仏教ⅩⅠ
今回は明治時代の仏教に付いて書かせて頂きました。
江戸時代 寺請制度を基にした仏教界の寺檀関係は 明治維新と共に大きく変化します。神仏分離と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により仏教界は強い迫害を受ける事と成ります。又 明治5年の戸籍法により 僧侶は身分ではなく職業となり、僧侶の妻帯 肉食 蓄発を勝手とする布告も出されました。そうした中 江戸時代までの伝統的な宗学は 海外に留学した若い学僧たちにより、近代仏教学へと変化して行きます。仏教啓蒙運動や在家仏教運動もこの時代から始まります。
明治・大正時代には 伝統的仏教を背景としつつも、新たな教団が多く設立されて居ります。
天台系に属する主な教団としては 念法眞教、孝道教団があります。念法眞教は大正14年に 小倉霊現を教祖として、孝道教団は 昭和11年 岡野正道とその妻 貴美子により設立されました。
真言系としては 真如苑、辯天宗などがあります。真如苑は 真言宗醍醐派で修行をした 伊藤真乗が昭和23年 まこと教団を設立、その後 現名称に変更されました。辯天宗は 高野山真言宗の住職であった 大森智辯が瓣才天の天啓を受けて 昭和27年に立宗しました。
日蓮系は 新宗教団体が多く創立されました。長松清風により 安政4年(1857)に起された 本門佛立宗、小谷喜美と久保角太郎によって始められた霊友会、更に 霊友会から独立した 立正佼成会 妙智会教団 佛所護念会教団 正義会教団 妙道会教団などがあります。創価学会は 昭和5年 牧口常三郎によって設立された 日蓮正宗の在家信者団体でした。このほか日蓮系の新宗教団体として 法師宗、思親会などがあります。
今回は以上です。
日本のキリスト教Ⅱ
今回は明治、大正、昭和のキリスト教に付いて書かせて頂きました。
江戸時代末より 諸外国の領事館に赴任した司祭・牧師によりキリスト教の布教は再開されますが、明治新政府は 当初 キリスト教を禁止する政策を取り、明治元年(1968年) 切支丹邪宗門禁制の高札が掲げられました。しかしながら 国際世論により 明治6年 この高札は撤去され、キリスト教は公認はされませんでしたが、以降 黙認される事と成ります。そして 明治・大正時代 キリスト教の各派が来日して伝道を開始します。昭和15年 宗教団体法が施行され、ローマ・カトリックの日本天主公教教団と プロテスタントの日本基督教団が 宗教団体として登録されます。昭和20年(1945年)宗教団体法に代わり宗教法人令が施行され 各教派は独自の教団体系を維持する事が出来る様になり、平成27年末日現在 キリスト教系 包括宗教団体は86団体、単独宗教法人としては4、657法人が文化庁に登録されて居ります。
キリスト教の中でもプロテスタントは 多くの派に別れますが、最初に来日したカルバン派は 日本基督公会を設立し、明治10年に日本長老公会と合同して日本基督一致教会となり、明治23年には 日本キリスト教会と改称します。ルター派は 明治25年 アメリカ南部一致ルーテル教会が日本で伝道を始め、福音ルーテル教会を組織し、明治28年にはフィンランド系も伝道を開始します。会衆派は アメリカン・ボードの宣教師らによって宣教が進められ、明治11年 関西の9公会が日本基督伝道会社を設立、その後 明治19年に日本組合基督教会となります。パプテスト派は アメリカ北部パプテスト系により 明治6年横浜に 第一洗礼教会が設立され、明治22年には 南部パプテスト系 により 日本の西地域での伝道を開始します。メソジスト派では 明治6年から アメリカ・メソジスト監督教会とカナダ・メソジスト教会の宣教が始まり、その後 明治40年に アメリカ・南メソジスト監督教会系を加えた三者が合同して 日本メソジスト教会が結成されました。
今回は以上です。
日本のキリスト教Ⅲ
今回は昭和20年以降のキリスト教 各教団の変化に付いて書かせて頂きました。
昭和15年の宗教団体法の下では ローマ・カトリックは日本天主公教教団、プロテスタントは 日本基督教団の二教団に絞られて居りましたが、昭和20年の 宗教法人令の施行により、各教派は新たに独自の教団形態を目指す道が開かれます。特に 日本基督教団に所属していた プロテスタントの各教派は 独自の教団に分離して、独自の布教活動を進める事と成ります。
ローマ・カトリックは 宗教法人令により 天主公教教区連盟と改称し、昭和26年には カトリック中央協議会となって現在に至って居ります。現在は 日本国内 16の独立した司教区に分かれ、司祭を中心とした自主運営が行われて居ります。尚 司教区を越えた全国的な活動に付いては 日本カトリック司教協議会が設けられ、そこで 協議する事と成ります。平成27年12月末現在 日本に於いて活動する 宣教会修道院の数は44、男子の修道院が168、女子の修道院は572、在俗会の数は19です。
プロテスタントの最大の教団は 現在 日本基督教団で 戦前の合同教会としての理念を継承し、プロテスタント各派の多くが包含されて居り、合議制で教団の運営が行われて居ります。日本基督教団に所属しない 主要なプロテスタントの教団としては 英国教会系の日本聖公会、日本福音ルーテル教会(アメリカ一致ルーテル教会系を中心にフィンランド系の福音ルーテル教会 他が合同)、日本ルーテル教団(アメリカ・ミズーリ派ルーテル教会系)、日本ルーテル同胞教団(アメリカ・ルーテル同胞教会系)、カルバン派では 日本キリスト教会、日本キリスト改革派教会、カンバ―ランド長老キリスト教会日本中会などがあります。会衆派は日本基督教団に合同して居ります。メゾジスト派の教会の多くは日本基督教団に合同して居りますが、独立した教団として 日本自由メソジスト教団が有ります。パプテスト派は 多くの教団が独立し 日本パプテスト連盟、日本パプテスト同盟、日本パプテスト・バイブル・フェローシップ、日本パプテスト教会連合などが布教活動を行っております。
今回は以上です。
日本の諸教
今回は諸教に付いて書かせて頂きました。
ご葬儀を執り行うに当たりましては 故人様 或いはご遺族様が信仰されて居られる宗教の作法に従って行うのが基本となりますが、神道、仏教、キリスト教の系列に属さな 宗教教団を信仰されて居られる方々もいらしゃいます。これらの信徒の方々は 諸教と位置付けられた教団の作法に従って ご葬儀を執り行う事と成ります。
諸教とは 神道系、仏教系、キリスト教系の何れにも特定出来ない宗教教団を指します。その様な宗教教団とは 神道と仏教、神道と仏教とキリスト教など 複数の宗教が混合して創設された宗教や、古来の宗教とは関係なく 独自に創唱された宗教となります。第二次世界大戦前の宗教団体法の下では 宗教団体は認可制であると共に 原則として 神道系、仏教系、キリスト教系の何れかに属していなければ成りませんでした。例外として 宗教結社として届け出て、認可を受けた上で 教義を宣布したり 儀式の執行を行う組織も認められては居りました。昭和20年の宗教法人令の施行により、認可制は届け出制へと変更されると 多くの宗教団体が 宗教法人として届け出る事となります。その際には 神道、仏教、キリスト教系に属さない宗教法人を諸教としてカテゴライズしました。
天理教は 神道教派13派の一つでありましたが、戦後 教団自ら 神道では無い事を表明して、諸教の宗教団体となりました。他に 諸教の主要な団体としては 天保9年 親神・天理王命が 教祖 中山みきを その社として この世に顕現し 教祖の口を通じて啓示された、とする天理教、大正8年 教祖深田千代子が霊感を得て創めたとされる 円応教、昭和4年 総裁谷口雅春が 神啓をうけて 結成された生長の家、昭和10年 教祖岡田茂吉が 大本教から独立して開いた世界救世教、昭和21年御木徳近が ひとのみち教団を引継ぐ形で立教した 人生は芸術である を真理とする パーフェクトリバティ-教団(PL教団)、他 多数の教団が御座います。
今回は以上です。
日本古来の神道の葬儀
今回は神道の葬儀である神葬祭に付いて書かせて頂きました。
神葬祭は日本固有の宗教である神道の葬儀を指して言います。神葬祭には 枕直しの儀、納棺の儀、通夜祭・遷霊祭、蔡場祭、火葬祭、埋葬祭、帰家祭・直会、御霊祭などが含まれます。但し 執り行うに当たりましては その地域特有の仕来りが御座いますので、事前に斎主様(祭儀に主として奉仕する神職)に確認される事をお薦め致します。
神葬祭を執り行うに当たりましては まずご納棺の前に以下の事を行わなければ成りません;
1 ご家族が亡くなられましたら、まず 神棚と祖霊舎(ご先祖を祀る祭壇)に帰幽(きゆう、亡くなった事)した事を奉告し、その前面に白紙を貼ります。白紙はご遺族以外の方にお願いします。
2 病気平癒などの祈願をした神社があれば、その祈願を解き、産土神社(土地の氏神様)に帰幽を奉告します。これらは 喪主様の代りに 代参の方をお願いして神社に派遣するか、もしくは 遥拝(ようはい、遠くから礼拝)により行います。
3 葬儀を執り行う為の 斎主、副斎主、祭員、伶人(れいじん、雅楽を奏でる人)などを委嘱します。どの様な構成で神葬祭を行うかは 斎主様のご指示に従います。
4 各祭で必要となる幣帛(へいはく、ご進物)、神饌(しんせん、食物)、玉串、その他、をどの程度用意するか 斎主様とご相談の上 手配します。
5 霊璽(れいじ、仏式の位牌に相当)、墓誌、銘旗(めいき)、墓標などの揮毫(きごう)を手配します。
今回は以上です。
日本古来の神道の葬儀Ⅱ
今回は神道の葬儀 神葬祭の続きに付いて書かせて頂きました。
日本固有の古来から伝わる神道のご葬儀は神葬祭と呼ばれます。神道に於ける死生観は ”人は皆 神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ還り、子孫達を見守る” ものと考えます。従いまして 神葬祭は 故人様に家の守護神となって頂く為の儀式であります。又 神道に於いては 死は穢れ(けがれ)であるため、神の鎮まる聖域 神社で神葬祭を行う事は出来ません。但し 会堂を持つ神社では 神社と会堂の間に結界を設けて、会堂で神葬祭を行う事は可能です。尚 神葬祭を行うに当たりましたは 個人の自宅や別の斎場をご利用頂くのが一般的です。神葬祭は お線香を使用致しませんので、ホテルなどを利用する事も可能です。
神葬祭の最初の儀式と致しましては ”枕直しの儀” を行います。ご家族様が亡くなられましたら 神棚封じを行い、ご遺体に白の小袖を着せて北枕で殯室(ひんしつ、ご遺体を安置する部屋)に安置します。ご遺体の枕元に守り刀を置き、ご遺体の前に案(あん、白木八足の小机)を祭壇として設けて、米・塩・水・酒(生饌、せいせん と呼ぶ)、故人様が生前に好まれた食べ物(常饌 じょうせん と呼ぶ)等をお供えします。以後 ご家族、ご親族の方々は 謹んでご遺体の側近くで奉仕します。
枕直しの儀の後は 納棺の儀となり ご遺体をお棺にお納めする儀式となります。ご遺体には 男性であれば 神衣と呼ばれる 白の狩衣、女性であれば 白の小袿(こうちき)、をお着せして棺にお納めします。お着せするのが難しい場合は ご遺体の上を覆う形となります。その後 柩に蓋をして 白の布で覆い、全員で拝礼し 正寝(表座敷)へお移しして 祭壇を設け、饌をお供えして、拝礼します。
今回は以上です。
日本古来の神道の葬儀Ⅲ
今回は神道の葬儀の続きに付いて書かせて頂きました。
日本固有で神話の世界から登場する、神道のご葬儀は 神葬祭とも呼ばれて居ります。神葬祭には 統一された祭式(式次第)は御座いません。それは 神道は日本古来の自然崇拝・祖先崇拝を基調として自然発生的に生まれた民俗信仰だからです。祭式は その地域によって、祭式を司る神社によって、更には 斎主となる神職によっても、次第は異なる事と成ります。従いました 神葬祭を行うに当たりましては 斎主様に 祭式の流れ、気を付けなければならない事項等を、よくご確認頂く様 お薦め致します。
ご遺体をお棺にお納めした後に 通夜祭、及び遷霊祭(せんれいさい)を行います。通夜祭は 仏式に於ける通夜式に相当する儀礼で、葬場祭(告別式)の前夜に行うのが一般的です。通夜祭は 故人様が亡くなられた後に、蔡場祭を行うまでの間、ご遺体を安置した場所で生前同様に、礼を尽くして手厚く奉仕する大切な儀礼であります。斎主は祝詞を奏上し、ご遺族は玉串を奉って拝礼します。
遷霊祭は 故人様の霊を霊璽(れいじ、仏式の位牌に相当)に遷し留める儀礼で 御霊移し とも呼ばれます。本来は夜間に行うものとされます。昼間に行う場合には 夜を象徴して 部屋を暗くした上で 神職により ご遺体から霊璽に魂が移されます。神職は 霊璽の覆いを取り外して、お柩の前に向け、遷霊詞を述べ、警蹕(けいひつ、声をかけること)を行い、又 霊璽の向きを元に戻して、覆いをかけます。そして 霊璽は お柩の枕元を仮の霊床として安置します。
今回は以上です。
日本古来の神道の葬儀Ⅳ
今回も神道の葬儀 神葬祭に付いて書かせて頂きました。
日本固有の葬儀とは 神道の葬儀である神葬祭を指しますが、仏教の伝来以降 急速に仏式の葬儀が普及して行きます。更に 江戸時代のキリシタン対策を目的とした 寺請制度により仏式の葬儀が強制される事と成ります。そうした中で 江戸時代中後期 国学者たちによる 国学の興隆と共に、日本古来の信仰に基ずいた葬儀を求める ”神葬祭運動”が起こり、徳川幕府も これを認める事と成ります。更には 明治政府の神祇政策の一還として神葬祭が奨励されましたが、官国弊社の神職は神葬祭を行う事が禁止された為、神葬祭の普及は必ずしも進みませんでした。
神葬祭に於いて 通夜祭・遷霊祭に続いて行われますのが、蔡場祭となります。蔡場祭の儀は 仏式の告別式に相当する儀礼で、故人様に対して 最後のお別れを告げる、神葬祭最大の重儀で御座います。式場上座に祭壇を設けて、お柩・霊璽を安置し、洗米・酒・塩・水・海魚・野菜・果物・餅などをお供えします。
式次第は 斎主のご指導の下に執り行われますが、弔辞の奉呈、弔電の奉読、神職による祭詞奏上、玉串拝礼などを行います。
祭場祭の後に 故人様との最後のお別れを行い、お柩を火葬場にお送りします。火葬炉の前に到着しましたら、ご火葬に付す前に 火葬祭を行います。神職は祭詞を奏上し、ご遺族は玉串を奉って拝礼して 火葬祭を終了し、ご火葬に付す事と成ります。
今回は以上です。
日本古来の神道の葬儀Ⅴ
今回も神道の葬儀 神葬祭に付いて書かせて頂きました。
神道の葬儀である 神葬祭では 蔡場祭、火葬祭が行われた後には、ご遺骨を奥津城(おくつき、お墓)にお納めする際の納骨祭の儀、そして 然るべき日取りに執り行う 御霊蔡により孝敬を尽くします。又 神葬祭の特徴と致しましては 戒名に代わり 諡号(おくりな)が送られ、儀礼の際には お香に代わり 玉串が使用され、お墓は奥津城と呼ばれ、仏壇にあたる祭壇は 祖霊舎(それいしゃ)と呼ばれます。
御霊祭は 翌日祭(蔡場祭の翌日)、毎十日祭(帰幽の日より 10日、20日、30日、40日、50日)、百日祭(帰幽の日から100日)、一年祭(帰幽の日の一年後)、三年祭(仏式と同様に帰幽の年を一年目として、一年祭の翌年)、五年祭、十年祭、以後 五年毎に行い、五十年祭でご先祖の霊と合祀されます。この中では 五十日祭と 一年祭は 丁重に行います。翌日祭と各十日祭は仮祭壇の拝礼のみで、特に重きを置かない場合も御座います。又 五十日祭に合わせて、ご遺骨を奥津城にお納めする形が一般的です。
故人様に贈られる諡号(おくりな)は 仏教の戒名・法号にあたるもので、神職より贈られた諡号は 霊璽に墨書されます。諡号は 故人様の氏名がまず書かれ、その次に故人様の性質 業績 亡くなった時期などをあらわす尊称(最近は無い場合が多い)、そして 年齢・性別に応じた 男性であれば 大人(うし)、女性であれば 刀自(とじ)でしめくくられます。亡くなられた時の年齢や業績に合わせて 大人に代わり 若子(わかひこ)、童子(わらこ)、彦、翁、君、命、尊などが、刀自に代わって 童女(わらめ)、大刀自、姫、媛などが贈られる場合もあります。尚 神道では 仏式の戒名料・法名料に当るものは存在しません。
仏式の葬儀では 焼香を行い、霊前には線香を立てますが、神葬祭では 代わるものとして 玉串拝礼となります。玉串とは 榊などの木の枝に紙垂を付けたものです。地域によりましては 大きな榊の木に 神垂を順にかけて行く 掛け玉串と呼ばれる形や、容器にお米やお酒を注ぐ 献米や献杯の場合も御座います。
祖霊舎は仏式の仏壇に当るものです。通常は 神棚の下にお祀りします。拝礼の作法やお供え物は 神棚と同様に行います。拝礼の順番は 神棚を先に、祖霊舎を後にして行います。
今回は以上です。
日本のキリスト教の葬儀
今回はキリスト教の葬儀に付いて書かせて頂きました。
葬儀に於ける儀礼は それを行う方達の死生観・宗教観が深く反映されます。従いまして 葬儀そのものは 宗教が文明の中で発生する以前の旧石器時代から行われて来た 宗教的行為であるともいえます。又 葬儀は 亡くなられて故人様の為だけではなく、遺された方々の為のも行われる との意味合いも有り、遺された人々が 故人様の死を心の中で受け止める事を援助する為の儀式でもあります。キリスト教に於ける死とは キリストを信じる者にとって 永遠の命と復活への希望に入る事であり、天にいる神とイエス・キリストの下に召されて 復活する準備の期間とされます。カトリックでは ”帰天”、プロテスタントでは”召天”とも呼ばれます。
日本に於ける カトリック教会のご葬儀は 日本の文化・習慣に適応して行う という考え方に基ずいて、通夜 及び 葬儀の流れに従って行われます。儀礼の式場は 所属する教会が一般的ですが、ご自宅や葬儀場で行う事もかのうです。又 参列者の多くの方はカトリック信徒ではない場合などでは ミサに代えて ことばの祭儀 を行うケースも御座います。
カトリック教徒の通夜では 聖書の朗読、聖歌斉唱、死者の為の祈り、お柩への献香、参列者による献花 もしくは焼香、そして 遺族代表による挨拶などが行われます。
カトリック教会による ”葬儀式次第”によれば 葬儀を行う場所として 自宅、教会、墓地が示されて居り、行う場所によって其々 3種類の葬儀次第が示されて居ります。葬儀場を使用する場合は 自宅を前提とした葬儀次第に準拠して行われます。その内容は 葬儀ミサ、告別式、葬送の流れで行われます。葬儀ミサでは 聖書朗読・聖歌斉唱・祈り・説教の内容で行われ、告別式では 故人様の紹介・弔辞・弔電紹介・献花・遺族代表挨拶などが行われます。
カトリック教では 命日など 特定の日に集まる習慣は有りませんが、日本の習慣に合わせて、一周忌や命日などを 命日祭として 記念の集いを持つ場合も御座います。
今回は以上です。
日本のキリスト教の葬儀Ⅱ
今回はキリスト教の葬儀Ⅱ(プロテスタント)に付いて書かせて頂きました。
プロテスタントの葬儀は 日中に葬儀・埋葬礼拝を行うのが基本ですが、日本に於いては 仏式や神式の葬送儀礼に慣れた参列者の便宜を図って、前夜と当日の2日に渡って典礼を行うのが一般的です。キリスト教プロテスタントでは 人の死は忌むものでは無く、人の霊が地上の肉体を離れ、天にまします神とイエス・キリストの下に召され、イエス・キリストの再臨にあわせて復活するための準備に過ぎない、とされます。死とは 天国において故人様と再会するまでの 一時のお別れであり、地上に遺された者にとっては そのお別れは 寂しく慰められるべき事では有りますが、死そのものは悲しむべき事ではない、と説かれます。
日本に於ける キリスト教プロテスタントのご葬儀は 前夜と当日の2日間で行われますが、前夜の式典は 仏式で使用する通夜の言葉は使わずに、前夜式 あるいは前夜の祈りと呼ばれる式典を行います。前夜式は ご自宅 若しくは所属する教会でおこなわれます。2日目の告別式は 通常の日曜日に行う礼拝と同じ次第で行われます。従いました 教会で行われるのが一般的で、祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などに 友人による追悼の辞、献花、ご遺族の挨拶が追加されて執り行われます。キリスト教徒の比率が低い日本では 参列者はもとより ご遺族すらキリスト教徒である事が期待できず、宗教的純潔主義の主張と共に、地域社会の習俗も重んじる配慮をして、ご葬儀が執り行われます。前夜式はその第一であり、焼香に代えて献花が、香典・仏前に代わりお花料が、案出されました。尚 死は穢れでは御座いませんので、清めの塩は使用しません。
今回は以上です。
日本のイスラム教の葬儀
今回はイスラム教の葬儀に付いて書かせて頂きました。
イスラム教のご葬儀では 教徒の方が亡くなられて場合は なるべく早くご遺体を埋葬しなければ成りません。又 イスラム教徒の死は永遠のお別れでは無く、一時的なお別れであり、神アッラ-の審判の日に蘇ると信仰されて居ります。従いまして ご遺体は蘇える際の器と成りますので、ご遺体は丁重に洗浄されて埋葬されなければ成りません。ご遺体の毀損、特に火葬は厳禁となります。ご葬儀は ご遺体を埋葬した後の然るべき日に モスクにて葬儀礼拝により行われるのが日本では一般的です。
イスラム教に於ける死は 神アッラ-への服従と アッラ-の審判の日に復活するまでの一時的なお別れである と信じられて居り、ご遺体は土葬されます。イスラム教では 死後なるべく早く葬儀、埋葬を行わなければならないと考えられて居りますが、日本に於きましては 法律上 死後24時間を待たないと埋葬出来ない為、ご遺体の保全処置を行った上で、土葬許可証を取り、埋葬する事となります。ご遺体は 同性の親族、もしくは 専門の業者により洗浄され、縫い目のない白の布で包んで安置し、導師(イマーム)の指揮の下 礼拝を行います。礼拝が終ると ご遺体は墓地に運ばれ、頭部をメッカの方向に向け、右腕を下にして埋葬します。以後 ご遺族の男性は3日間、女性は4ヶ月と10日間 喪に服して、派手な生活を控えなければ成りません。
イスラム教徒の埋葬は 土葬を原則とする為、埋葬出来る場所が限定されます。横浜市内では 中区山手の外人墓地、関東では 日本ムスリム教会が管理・運営する山梨県甲州市塩山のイスラム霊園が御座います。
今回は以上です。
日本の葬儀 イスラム教
今回は葬儀 イスラム教に付いて書かせて頂きました。
イスラム教は 7世紀にアラビア人のムハンマドによりメッカ(現在のサウジアラビア国内)に於いて起された 唯一絶対の神(アッラ-フ)を信仰する一神教の宗教です。日本に於いては回教(かいきょう)とも言われます。その死生観は ユダヤ教、キリスト教などと同様に 人は亡くなっても永遠にお墓の中で眠り続けるのではなく、最後の日に呼び戻されて審判を受けた後、生前に六信(神、天使、啓典、使徒、来世、定命)五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を認められた者は 肉体と共に復活するとされます。従いまして ご遺体は復活の時に必要となり 土葬でなければ成りません。ご火葬は厳禁となります。又 埋葬は出来るだけ早い時間(24時間以内)に行い、ご葬儀は埋葬後に行うのが原則となって居ります。
信徒の方が亡くなられると、ご遺体は墓地に隣接する葬儀場に運ばれ、ご遺族の手によりご遺体をお浄めします。お浄めは コーラン(イスラム教の経典)に示された規定に従って ウラマー(イスラム教教導者)の指導の下で行います。お浄めされたご遺体は 白のモスリンの布で包み 安置します。安置されたご遺体は ご家族同席のもとで弔問を受けます。弔問の時間は1時間以内とされます。その後に ご遺体は墓地に運ばれ、ご祈祷の後に埋葬されます。埋葬後 然るべき日に モスクにて葬儀の祈祷(ご葬儀)が営まれます。
尚 イスラム教には 喪に服す規定があり、男性は3日間、女性は 4ヶ月と10日間、地味な服装をし、如何なる娯楽にも参加することが禁止されます。
今回は以上です。
日本の葬儀 ヒンズー教
今回は葬儀 ヒンズー教に付いて書かせて頂きました。
ヒンズー教とは 紀元前5世紀頃にインドに於いて バラモン教を基にして生まれた、多数の民族宗教の総称で、インドを中心として9憶人の教徒がいるとされます。仏教もその一宗派とする説もあります(但し 仏教徒は9憶人には含まれて居りません)。その教えの中心となるものは 生存中の行い 業(かるま)、と死後の輪廻(サンサーラ)に有ります。ご葬儀は 輪廻の為に 故人様の霊を解き放つべく ご遺体を火葬し、遺されたご遺灰は川(出来れば 母なる川ガンジスで)にお流しします。
ヒンズー教では 輪廻を教義の根幹としており、現世での信心と業(行い)によって、次の輪廻(来世)の宿命が定まるとされ、この思想を基本に高度に理論化されて、その世界観や死生観が形成されて インド社会の中に根ずいて居ります。
ヒンズー教の信徒が亡くなられますと ヒンズー教のグル(指導者)の指導の下にご遺体を洗浄し、白いリンネルの布でくるみます。そして 最後のお別れの儀式を行います。お別れが終りましたら、ご遺族の手で ご遺体に定められたオイルを塗布し、火葬場にお運びしてご火葬を執り行います。尚 婚姻している女性のご遺体の場合は 有色の布でくるまれ、花や宝石をあしらって ご遺体をお飾りします。又 日本でご葬儀をされる場合は 死装束としては 白衣の代りに民族衣装をお着せするのが一般的です。インドでは 棺は使用しませんが、日本でのご火葬には柩は必須となって居りますので、納棺の上 ご火葬に付す事と成ります。ご火葬は3日間行われ、ご遺体は遺灰の状態で集められて 聖なる川の撒かれる事となります。日本に於きましては ご火葬は 遺灰ではなく、ご遺骨の状態で戻されますので、聖なる川にお流しする為には ご遺骨を粉骨して、ご遺灰を同様の状態にする必要が御座います。
今回は以上です。
日本の葬儀 キりスト教
今回は葬儀 キリスト教に付いて書かせて頂きました。
キリスト教は 紀元元年の前年に生誕したとされる、イエス・キリストを救世主とする宗教で、その教徒は世界各国に20億人を数える最大の宗教であり、その宗派は カトリック教会、聖公会(英国国教会)、プロテスタント(ルーテル教会、改革派教会、会衆派教会、メソジスト教会、パプテスト教会)、アナパプテスト、東方教会(ギリシャ正教他)に分かれて居ります。キリスト教の死生観は イエス・キリストの復活を基盤として居り、死は命の終わりではなく、天上の神から 地上での罪を許され 復活の日まで天に召されて安息の日々を送る、記念すべき事とされます。従いまして 復活の為のご遺体は 土葬が原則とされますが、現在では 各国の事情に合せて、火葬も許されるようになりました。
キリスト教では カトリック系とプロテスタント系に大別されますが、葬送儀礼に置きましては カトリック系は伝統的な儀式を重んじて営まれ、プロテスタント系は比較的自由で柔軟に営まれます。本来 キリスト教徒の方は 特定の教会に所属して信仰生活を営むのが基本であり、キリスト教徒の方が危篤に至る際は 所属する教会の聖職者(カトリックでは神父、プロテスタントでは牧師)をお迎えして、神に祈りを捧げながらその時をお迎えする事が大切とされます。キリスト教に於きましては 死後の葬送儀礼よりも 死の迎え方 がより重要であるとされ、聖職者の立会いの下で死をお迎えするのが基本となります。その後の葬送儀礼は 信者とその家族を対象として営まれ、教会単位で、教会の信者全員のお手伝いを得て営まれる事となります。
尚 キリスト教徒ではないが、キリスト教の葬儀を行いたい場合は 最寄の教会の聖職者にご相談する事となりますが、伝統に厳格なカトリックよりも、プロテスタントの聖職者の方が柔軟に対応して頂ける様です。
今回は以上です。
日本の葬儀 キリスト教 カトリック
今回は葬儀 キリスト教カトリック教会派に付いて書かせて頂きました。
カトリック教会派は ローマ法王を中心として全世界に12億人以上の信徒を有する、キリスト教最大の教派です。カトリック教会派に於けるご葬儀は 故人様の為の祈りは勿論ですが、残されたご家族・親族・友人の為に祈る場でもあります。悲しみの内にあるご遺族を励まして下さると共に 神に祈りを捧げ、キリストに結ばれたものとして キリストが死んだ後に復活したように 自分たちもキリストの死と復活に与ることができる という信仰を再確認する場でも有ります。
カトリック教会に於けるご葬儀の基本は 第2バチカン公会議の文書の中の”典礼憲章”に記載されている内容に従って執り行われます。その第一は 人の死はその人にとって全ての終わりではなく、キリストを信じることで 永遠の命と復活への希望に入るべく、お祈りを捧げることにあります。カトリック教会では 信徒の死を帰天と呼び、忌むべき事では無いとされます。第二は カトリック教会の葬儀は 世界一律ではなく、その地域やその国の文化に合わせて 柔軟に式次第を変更してよいとされます。日本に於きましてもこの精神は守られ、カトリック教会の葬送儀礼は ご臨終に於けるお祈りと 葬送のミサが基本で 通夜は行いませんが、日本に於きましては 仏式と同様に通夜のミサを行います。又 故人様をお見送りする際には ご遺族のご希望に合わせて 献花 あるいは ご焼香によりお見送りする事も可能です。更には ご葬儀の参列者の多くが カトリック信徒で無い場合などでは ミサに代えて ”言葉の葬儀”を行うケースも御座います。
今回は以上です。
日本の葬儀 キリスト教プロテスタント
今回は葬儀キリスト教プロテスタントに付いて書かせて頂きました。
キリスト教プロテスタント教会派とは 16世紀にカトリック教会内部で起きた宗教改革運動のもと、カトリック教会から分離した宗派の総称で、その宗派数は数百に及びます。従いまして ご葬儀の形式は宗派により異なりますので、万一の場合は 信仰される教会の牧師様に確認する事をお薦め致します。プロテスタント教会派信徒の方の死は カトリック教会派と同様に 死は命の終わりでは無く、天上の神に地上での罪を許されて 天上に召され 永遠の休息が与えられる 召天の日とされます。そして やがて訪れる 復活の日まで天国で過すとされます。但し プロテスタント教会派では 復活に際してのご遺体の維持には拘らず、ご遺体を火葬する事も許されて居ります。
プロテスタント教会派のご葬儀は ご臨終のお祈りと 告別のミサを教会で行うのが基本ですが、日本に於きましては 仏式の葬儀様式に準拠して、前夜と当日の2日間で典礼を行うのが一般的です。尚 前夜に行う式典は ご遺体の不寝番を意味する 通夜の言葉を避けて、前夜式や 前夜の祈り と呼ばれます。前夜式は ご自宅で行う場合も御座いますが、基本的には教会で行われます。
告別式の式典は 基本的には通常 日曜日に行う礼拝と同じ式次第で行われます。故人様が地上で行う最後の礼拝と位置付けられます。礼拝は教会で行われ、祈祷 聖書朗読 説教 賛美歌 祝福 などで構成され、更に 故人様の略例紹介 記憶の披露 追悼の辞 遺族の挨拶 献花(焼香)などが加えられる事となります。
今回は以上です。