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葬儀の様式

 今回は葬儀の様式について書かせて頂きました。

 日本に於ける葬儀の様式と致しましては 宗教に捉われない 助葬、友人葬 又 信仰する宗教を基にした 神道、仏教、キリスト教(カトリック・プロテスタント・正教会) などが主な形となります。

 助葬とは 生前の縁者や身寄りの方が居られなかったり、居られても葬儀を行う事が出来ない場合は 替わって 市区町村の社会福祉事業や慈善事業団体、又はNPOなどによって行われる形態の葬儀の事です。ホームレスなどで生活保護などの支援を受けて居ない死者であっても、各地方自治体が定めた定額の中で ご遺体保全、ご火葬、共同墓地への埋葬までを助葬と呼んで居ります。横浜市の場合は 共同納骨堂は用意されて居り、無料で納骨をする事が出来ます。又 2年間に限り ご遺骨を保管する制度も用意されて居ります。これらの手続きは 助葬を取り扱う葬儀社でお手伝いが可能です。

 神道に於ける葬儀は神葬祭と呼ばれます。神道では死を穢れたものと考え、聖域である神社では葬式を行わず、ご自宅か葬祭場で行います。横浜市営の斎場 3ヶ所では神葬祭を行う事が出来ます。最近は信徒の強い希望により、神社内で葬儀を行う事も多くなりました、この場合は 神殿と葬儀会場の間に式幕による結界を設けて行います。

式のおおまかな流れは まず神職により 塩水の湯や大痲等によってご遺族・参列者・会場を祓い清める 修祓が行われます。そして神職により祖霊に対して供物である神饌が供されます。神職は祭詞を奏上し、故人さまの生前の業績を述べご遺徳をしのびつつ、祖霊となってご遺族を守ってくれるよう祈念します。参列者は玉串をささげ、二拝二拍手一拝を行い故人さまを偲びます。このとき二拍手は 音を立てない しのび手 で行います。

神道では お墓を 奥津城(おくつき)と呼びます。墓石には 〇〇家の奥津城 と刻みます。又 仏教の位牌に当る 霊璽(れいじ)を祀る場合は御霊舎(みたまや)を置いてお祀りします。

   今回は以上です。次回は続いて仏教、キリスト教を書かせて頂きます。 

葬儀の役割

 今回は葬儀の役割に付いて書かせて頂きました。

 人は誕生した後には 何れの日にか死を迎えなければ成りません。そして 人がご逝去された後には 各種の処理を行わなければ成りませんが、その多くを葬儀により担う事と成ります。主な役割としては 社会的な処理、ご遺体の処理、霊の処理、悲嘆の処理、さまざまな感情の処理、などが考えられます。

 生のあるところには 必ず死があります。それは病であったり、突然の事故であったり、老衰によるものであったり、又 その年齢も様々で、人の死には一つとして同じものは有りません。そして 人の死により様々な事が起こります。その処理をする為 葬儀を執り行う事となります。

1 社会的な処理(社会的役割)

   人は社会の中で生活して居ります、人の死は社会に告知すると共に、社会はその死を受入れなければ成りません。

2 ご遺体の処理(物理的処理)

   死者の身体は 生命を失うとともに腐敗が始まります。その為 ご遺体を土中に埋めたり、火葬をしたり、エンバーミングしたりなどの処理が必要と成ります。特に 土葬やご火葬などの処理は ご遺体との訣別となりますので、単なる物理的な処理以上の意味を持つ事と成ります。

3 霊の処理(文化・宗教的役割)

   人は死ぬ事により この世に残された人との関係を閉ざします。残された人々は 異なる世界の故人さまの幸せを祈ると共に 新たな関係を作り上げなければ成りません。これは 日常の営みを超えるものであり、多くは宗教的儀礼により行われます。これが葬儀の目的の主要な部分の一つとなります。

4 悲嘆の処理(心理的役割)

   人の死は周囲の方々に衝撃を与え、悲しみ、心の痛みをもたらします。従い 周囲の人がその死を受入れる為には それなりの思考と時間が必要と成ります。葬送儀礼は そのプロセスに沿って執り行われ、ご遺族の悲嘆を癒す事も主要な目的に一つとなります。

5 さまざまな感情の処理(社会心理的役割)

   人が死ぬと 周りの人々はさまざまな感情に捉われます。古くは 人の死は新たな死を招く とか 祟りを引き起こす とか ご遺体の腐敗に対する恐怖心などです。これらの恐怖心を和らげる為 死者の霊を鎮魂する儀礼が要請されました。

 葬送儀礼は 宗教、時代、民族、地域などにより さまざまな行われ方が有りますが、人が死ぬと言う事は 人の大切な命が失われると言う事で有り、故人さまの命の大切さに見合った葬儀が営まれることを祈念致します。

   今回は以上です。

念法眞教

 今回は念法眞教(ねんぽうしんきょう)に付いて書かせて頂きました。

 念法眞教は 1925年(大正14年)小倉正太郎(小倉霊現)によって 立教開宗された仏教系の新宗教です。本部は 大阪府大阪市鶴見区緑の総本山 金剛寺に所在し、念法法語集を教典として布教活動を行い、信者数は80万人と公称されます。”人として行うべき誠の道―五聖訓” を基に 宗教宗派・国境・民族に捉われない世界平和の実現を説きます。

 開祖 小倉霊現は出生前に父を亡くし、祖父母に育てられましたが、祖父母の死去後 小学校を4年で中退し、苦しい少年時代を送ります。成人後も 出征、自身の病気、長男の病死などの苦しい経験をし 樋口セイ(霊媒師、教団内では霊生院と称す)に帰依して 心霊現象に傾倒しました。そして 1925年8月3日に阿弥陀如来から託宣を受け、大峰山で修験道修行の後に 神仏心霊感応会を発会し、その後 戦時下での 新体制運動・翼賛思想を鼓舞して教勢を大きく拡大します。1939年に天台宗の傘下に納まり 金剛教会と改称しましたが、戦後 新宗教ブームにの追い風を受け、1947年 小倉山金剛寺の名で独立し、1952年 現教団名の 念法眞教に改めて 宗教法人格を取得しました。

 教義では 世の立て直し をうたう一方 共産主義の脅威、北方領土返還、愛国心の滋養を訴え、宗教右派の性格を鮮明にして居ります。小倉霊現は常に戦闘帽を着用していたと言われます。又 既に入信している宗教を否定することは有りません。

 葬儀の施行に特別な規定は有りませんが、天台宗の葬儀に準拠して執り行います。

   今回は以上です。

創価学会

 今回は創価学会に付いて書かせて頂きました。

 創価学会は 1930年(昭和5年)牧田常三郎と戸田城聖を中心に設立された日蓮大聖人の仏法を信奉する宗教団体です。本部は東京都新宿区信濃町に所在し、会員世帯数は827万世帯と公称され、本仏は日蓮大聖人、本尊は日蓮により図顕された 文字曼荼羅、経典は法華経を使用し 布教活動をして居ります。

 昭和5年11月18日 日蓮正宗の信徒であり 東京都立白金尋常小学校の校長であった牧田常三郎と、同じく信徒の戸田甚一(後の戸田城聖)を中心にして、日蓮の仏法精神にもとずく教育の実践を目的とした 創価教育学支援会が結成されました。(創価学会ではこの日を創立記念日として居ります) その後 創価教育学会と改称し、1946年 創価学会と再度改称して現在に至ります。戦時中は苦難の時代で 昭和18年には 治安維持法違反 及び不敬罪の容疑で 牧田、戸田、他21名の幹部が逮捕 投獄され、牧田は翌年 東京拘置所内で獄死。昭和20年になり 戸田が出獄して 西神田に教育学会の本部を立ち上げ 布教活動を再開しました。

 本来 創価学会は宗教団体では無く、日蓮正宗の講(信徒団体)の一つでした。現在 名誉会長の池田大作氏も 当初は日蓮正宗総本山である大石寺の法華講総講頭に選任されて居りましたが、教義上の対立から 現在は 宗門と信徒団体の関係は消滅して居ります。

 教団の目的は 日蓮が説く 仏法の実践を通して、一人一人が真の幸福境涯を確立すると共に、生命の尊厳を説く仏法哲理を根本に、恒久平和、豊かな文化、人間性あふれる教育の創造を推進し、人類社会の発展に寄与すること と有ります。 

 葬儀は 所属する地域の 儀典長を中心の導師とした 友人葬となります。

   今回は以上です。

立正佼成会

 今回は立正佼成会に付いて書かせて頂きました。

 立正佼成会は 1938年(昭和13年) 霊友会の有力な信者であった 庭野鹿蔵と長沼政により創立された 法華系の新宗教で、在家仏教教団です。本部は 東京都杉並区和田2丁目に位置し、国内238教会 海外21ヶ国・67拠点を中心に布教活動を行い、会員世帯数;127万世帯と公称されます。ご本尊は 久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃかむにせそん)で、主要経典は法華三部経です。

 霊友会の新井支部・副支部長であった庭野鹿蔵と 庭野の勧誘で霊友会を信仰していた長沼政は 支部長で熱心な法華経行者であった新井助信の勧めを元に、1938年3月5日 大日本立正佼成会を設立しました。当時は満州事変から第二次世界大戦へと続く時代で、多くの人が苦しい生活を強いられていた為、多くの会員は現実的な救われを求めて修行に励みました。戦後は長沼副会長を中心とする霊能指導などで批判を浴びる事や、創価学会との軋轢なども有りましたが、活動の中心を法華経を背景とした先祖供養・教学研修・人間修養へと移し、それを基にした 地域社会・国家・世界平和の実現に向けて貢献してゆく活動にシフトして居ります。

 その信仰姿勢は ”心田を耕す”として この世に生を受けたことの不思議、有り難さを知り、一人ひとりが ”今・ここ・わたし”を充実させて、毎日を楽しく生きる心を培うように と説きます。そして 法華三部経を所依の経典として すべての人が人間的に向上して、最終的には仏になることができる と教えます。

 葬儀に付きましては 然るべき立場の方は 戒名を佼成会でいただき佼成会葬を執り行いますが、一般会員の方々は 日蓮宗のご導師をお呼びして執り行うのが一般的です。

   今回は以上です。

孝道教団

 今回は孝道教団に付いて書かせて頂きました。

 孝道教団は 1936年(昭和11年)岡野正道と岡野貴美子によって設立された 法華系 新宗教の在家仏教教団です。その沿革から天台宗系教団にも分類されて居ります。本部は 横浜市神奈川区鳥越38に建立された”孝道山”で、信徒数は16万人、孝道経典を基に 父母・祖先に対する考養の道・子や子孫に対する功徳の道を中心に 世界平和を目指すマイトリー運動を提唱して居ります。

 始祖 岡野正道師は 大正7年 埼玉県川越市の天台宗星野山無量寿寺中院に出家し、天台僧として寺務に従事した後、独自に法華経の研鑚に努め、昭和11年に開顕して教団を設立しました。その後 貴美子夫人と共に 孝道の布教に努め、昭和27年 現在地に孝道山 本仏殿を建立して根本道場にすると共に、天台宗との深い縁により、総本山比叡山延暦寺より 伝教大師請来の仏舎利を分譲され、後には 不滅の法灯 の分灯も請ける事と成りました。

 その教えは 信徒は家庭に本尊をお祀りし、朝夕 法華経を読誦して、慈悲(マイトリー)の心をもって人々の善き友となるべく心がける事とされます。マイトリーとは サンスクリット語で 慈(いつくしみ)を意味しますが、教団では 人も動物も木も草も、すべてのものが互いに助け合って生きている事を自覚し、一人一人が相手を思いやる暖かい心をもって生活する事が大切であり、このマイトリーが人類の幸せをひらく道として、マイトリー運動を推奨して居ります。この運動の為 マイトリーカードが作られましたが そこには;

 マイトリー(おもいやり)の生活

  -大自然の中に生かされている自分の存在を知ろう

  -家族に対する責任を果たそう

  -人びとと共に喜びも苦しみも分かち合おう

  -すべての生きものに対する思いやりをもとう

  -自分のもつ能力を世の中のために生かそう

と書かれて居ります。

   今回は以上です。

霊友会

 今回は霊友会に付いて書かせて頂きました。

 霊友会は 1920年(大正9年) 久保角太郎によって創立された、法華系の在家による新宗教です。本部は東京都港区麻布台に有り、本山 弥勒山は静岡県賀茂郡東伊豆町に置かれ、国内支局38ヶ所 海外支局15ヶ所を中心に布教活動を行って居り、会員数は426万人と公称されます。その目的は 在家による法華経の菩薩行の実践とその普及にあります。

 創立者 久保角太郎は 西田無学の思想と行法に感銘を受け、自らも 本格的に法華経の研究を始め、在家による実践方法を模索しました。その成果を基に第一次霊友会として南千住霊友会を結成し、その後 赤坂霊友会に変化し、最終的には1930年 貴族院議員 永山武敏男爵を会長に迎えて 現在の霊友会が発足しました。

 教義の基本は 仏教の縁起観によって自分自身を理解し直し、自らの問題点に気付き、その気付きを基に日常の行動パターンを変革させて行く事に有ります。自己という存在は 時間的・空間的な様々な関係性の中で現象して居り、自分に繋がる父系・母系の全ての先祖との関係性と、日常生活で触れ合う 他者との関係性の中に 自分の在り方が反映されている事を認識して 内省し 気付きを得ます。具体的には 自分に繋がる父・母双系の全ての先祖を象徴した 総戒名を前にして 日々 法華三部経から伐粋して編纂された 青経巻と呼ばれる 経巻を読誦します。これを霊友会では先祖供養と呼んで居ります。

 この先祖供養を通して 気付き を得、気付きによる変革の努力の成果を 他者と分かち合う事によって、他者にも 気付き を誘発し 悟りの連鎖が広がる事を期待しています。

霊友会の修行は 自らの悟りと他者の悟りを同時に希求するという 法華経が唱導した 菩薩行を実現する事に有ります。

 尚 霊友会においては 特別な葬儀の規定は御座いません。

   今回は以上です。 

本門仏立宗

 今回は本門仏立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)に付いて書かせて頂きました。

 本門仏立宗は 1857年(安政4年) 長松清風(日扇)によって開かれた、日蓮を宗祖と仰ぐ、法華系の一宗派で、新宗教に分類される事も有ります。大本山は 京都府京都市上京区の宥清寺で、信徒数 41万人とされます。その教えは 宗祖日蓮の伝えた法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱える修行を第一とし、それにより授かる 目に見える現証利益を強調するものです。

 長松清風は 人生への懐疑と求道心から 法華経本門の教えに帰依して一度は出家しましたが、当時の宗門の在り様にあきたらず、独自の道を歩み出し、京都新町通りで在家信徒を集めて 本門仏立講を始めました。正法弘通の働きのない寺院・僧侶の意義を認めず、また その様な宗門を否定したため、既成の寺院・僧侶からの讒言により、逮捕されること2回、遠足止めなどの弾圧を受けましたが、明治11年には 花洛佛立講三十三組 信徒凡そ一万人といわれ教線をのばしました。この様な事から 日扇は在家主義であると言われますが、日扇自身は僧籍を持って居り、実際は 僧形・俗形の区別に本質的な差異を認めないと教えました。

 その教えは 御教歌と呼ばれる 仏教の教義を和歌に盛り込んだ教えを用意し 万人に 誰でも解り易く御仏の教えを広めようとしました。清風は明治初期を代表する文化人でもあり、清風の詠んだ歌は 優れた歌として 明治天皇に奏上され、賞賛を受けても居ります。しかしながら 布教に当っては 正信の証として現証利益を強調し、他宗・他宗教に対する批判も激しく、その布教方法は多くの批判を生む一因ともなりました。又 入信に当っては他宗・他宗教のお札、お守り、像を破棄する様 強制されました。

 葬儀の施行に付きましては 法華教の儀式に準じて執り行われます。

   今回は以上です。

パーフェクト リバティー教団

 今回はパーフェクト リバティー教団(PL教団)に付いて書かせて頂きました。

 PL教団は 1916年(大正5年) 御木徳一により立教された神道系の宗教団体で、当初は御嶽教徳光大教会と称し、その後 何度が改称をした後、1974年に現在の名称と成りました。本部は大阪府富田林市新堂に大本庁が置かれ、日本国内・海外の主要都市に教会を開いて布教活動を行って居ります(信徒数;100万人)。信仰対象は 宇宙全体=神(大元霊みおやおおかみ、だいげんれい という)です。

 PL教団では パーフェクト リバティーを ”完全な自由” ”真の自由”とし、神(大元霊)より与えられた自己の能力を生かして 自由に表現し、周囲を明るく 平和にしてゆく道を開けと説きます。”人生は芸術である”の真理のもと、各人の真の個性を世の為、人の為に最大限発揮し、世界人類永遠の平和と福祉の為に貢献する事を目標とします。教えの特徴的なものとしては みしらせ、みおしえ の真理があります。みしらせとは 身の回りに起こる全ての苦痛や困難を 自分自身の心の傾き(心癖)を知らせる神からの啓示ととらえる事で、みおしえは 個々の自己表現の上で邪魔となっている心癖を教えてもらうものです。教団としての戒律は特に無く、日常生活の心得として PL処世訓、PL信仰生活心得などが有ります。

 教団本部である大本庁には 大本庁神霊を祀る正殿の他 初代教祖奥津城(初代教祖 御木徳一師の墓地)、万国の戦没者を超宗派で慰霊する 超宗派戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔(PLタワー)、高校野球で有名な PL学園高校、専門学校、中学校、幼稚園等が有ります。

 PL教団の葬儀は 神葬祭に準じた形で執り行われます。

   今回は以上です。

世界救世教

こんかいは世界救世教に付いて書かせて頂きました。

 世界救世教は 1935年(昭和10年)1月1日に 大本の幹部であった岡田茂吉により立教された 新宗教系の教団です。箱根強羅に箱根神仙郷、熱海に熱海瑞雲郷、京都嵯峨野に京都平安郷の 3ヶ所に聖地と呼ばれる神殿と庭園を有して居り、その信者数は国内103万人、海外200万人(タイ国;70万人、ブラジル;44万人)の計303万人と言われて居ります。宗教活動は浄霊の取次ぎ、自然農法の普及、芸術活動の奨励で有ります。

 教祖岡田茂吉は 幼少より病弱で その前半生を病苦との闘いに過ごしましたが、天性の美的感覚と優れた才能により 装身具業界で成功を納めましたが、第一次世界大戦後の経済恐慌により破産を味わい、宗教の道 教派神道 大本に入信して神霊研究の道を歩み始めます。そして昭和6年 千葉県鋸山山頂に於いて 霊界に於ける夜昼転換を感得し、昭和10年に立教します。その教えは この世界は霊界と現界から成り立ち、人間の運命の根本は霊界にあるを 宇宙の基本法則と説き、人間の幸・不幸は、人間の本体である霊魂の曇りの多少による として、その曇りを解消する 浄霊という救いの業を示します。浄霊とは身体のツボに手の平をかざし患者の病苦を霊力により治癒させる法であります。又 健康な体を作る為の自然農法(有機農法)の普及を薦め、人の心や魂の浄化をめざして芸術活動の奨励を薦め 特に花による霊性の向上をめざす華道が推奨されました。現在 教団は ”人を幸福にしなければ、自分は幸福に成りえない”という教祖の願いを基に、理想世界のモデルつくりを使命として活動中です。

 現在は 病気治療的面を強調する 東方の光、病気治療的面を強調しない 世界救世教いずのめ教団、世界救世教主之光教団の 3派が並立して居ります。

 葬儀に付きましては 教団は 他の宗教に入信する事を許容しており、施行に当っての決め事は特に設けて居りません。

   今回は以上です。

生長の家

今回は生長の家に付いて書かせて頂きました。 

 生長の家は 1930年 谷口雅春によって創設された新興宗教団体であります。本部を東京都渋谷区に置き、ボランティア(信徒)212万人を有し、その信仰は 神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え 心理学・哲学などを融合させて 全宗教の真理は一つとしたものです。主とする活動資金は 創設者 谷口雅春及びその子孫が出版した書籍を販売して得ており、当初は積極的に政治活動を行って居りましたが、現在は控えております。

 谷口雅春は大正時代 会社勤務の傍ら”心霊科学研究会”に加わり、宗教的・哲学的 彷徨を重ねて居りましたが、1929年12月13日深夜 瞑想中に ”今起て”と神の啓示を受け、1930年3月1日に修身書としての雑誌”生長の家”1000部を自費出版しました。(生長の家ではこの日を立教記念日として居ります) その後1932年に 雑誌生長の家に発表した論文をまとめて、自己啓発書 ”生命の實相”が完成し、この書を基に支持者・購買者を拡大して 教化団体生長の家が創設されました。

 その教義は 谷口雅春の著作 特に”生命の實相”・”甘露の法雨”を基礎として、神道・仏教・キリスト教・その他もろもろの宗教は根本に於いては一致するという ”万教帰一”という思想を主張し布教して居ります。

 又 その行法は 信者は 神想観、大祓の人型、浄心行、写経と呼ばれる行法のうち どれか一つを一日に一回行うのが望ましいとされます。

神想観は 正座をして招神歌を読み瞑目合掌する。大祓の人型は 紙のお札に氏名を書きそれで本人を擦り、息を吹きかけ、それを総本山や各教化部で焼納する(年に2回)。浄心行は 自分の考える悪い事を全て紙に書き出し、それを本山等で清めた炎で焼納する。写経は 甘露の法雨 を書き写す。

 供養は 永代供養、あるいは永代祭祀と言い 供養される者の氏名を専用の”甘露の法雨”教典に書き供養します。生存者の場合は総本山龍宮住吉本宮に奉安され 故人になると別格本山宝蔵神社の紫雲殿に遷され永代供養されます。

   今回は以上です。

円応教

 今回は円応教に付いて書かせて頂きました。

 円応教は 1887年(明治20年) 兵庫県丹波市に生まれた深田千代子を教祖とし、その長男 深田長治により 1948年に宗教法人として設立された 新宗教の一つで、諸教に分類されて居ります。本部は兵庫県丹波市山南町村森1-1にあり、189教会 260布教所を持ち、46万人の信者を数えます。”神の使いしめに生まれ、世の中の道具になる” を教義として布教活動が行われて居ります。

 教祖深田千代子は 33歳のとき 大阪で天啓を受け、奇蹟霊験を現し、修法という霊導の道を基に宗教活動を行い、39歳で夭逝しました。円応教の名前は 教祖の法名 慈照院圓應智覺大姉(じしょういんえんのうちかくだいし)より 道号の圓應を円応に変えて設立されました。教祖は 布教活動の中で多くの遺文を残しましたが、これを基に教典が編集されました。

 信仰の対象は 教祖を中心とする以外は神仏に拘らず自由とされ、信者が自由に選ぶ事が出来ますが、敬神尊祖の教義に基ずき、氏神と各家の先祖を崇敬する事が奨励されます。

 円応教では 修法と呼ばれる独特の救済方法があり、個人で信仰対象に礼拝して行う場合と、布教師と信者が相向い拝み合う場合が有ります。何れにしろ 教祖の霊導を信じ 個人の霊力の無限性、崇高性、偉大性を自覚反省し、過去現在の行為と品性を懺悔し、直観力と霊感力を養い、これらによって人格の完成に努め、個人と社会の幸福なる生活を打ち立てる事を目的とします。

 尚 葬儀の次第に付きましては 所属する教会の布教師さまにご相談して執り行うことをお薦め致します。

   今回は以上です。

黒住教

今回は黒住教に付いて書かせて頂きました。

 黒住教は 1814年 江戸時代に岡山県岡山市今村宮の神官であった 黒住宗忠により開かれた教派神道で 神道十三派の一つです。祭神は 天照大御神、八百萬神、教祖宗忠神で、岡山県岡山市尾上神道山に本部を置き、約30万人(公称)の信者を導いて居ります。昇る朝日を拝む”日拝”の宗教として、日々 日の出を拝み、感謝と感動の心で誠を尽くし生活する事、すなわち ”まること”の精神で生きることと悟します。

 1814年 肺結核にに倒れ死を覚悟した 黒住宗忠は 朝日を拝む(日拝)中で 天照太神と同魂同体となると言う ”天命直授” と言われる霊的体験をして病気が治癒したとして、病気の治癒後 逝去するまで宗教活動を行いました。この間 自らは謙虚世に処し、世人救済に努めた事が世に認められ、幕末には 京都の神楽岡に宗忠神社が建立され、時の孝明天皇より 従四位下の神階が宣受されました。

 その教えは 日の出の太陽は全てのものを生かし育む働きを成し、これを天照大御神と称え敬い、その分霊があらゆる存在物に宿る(これを総称して八百萬神という)とされます。又 人間は天照大御神の分心(わけみたま)の鎮まる神の子であるとされます。そして 人生は 神の子、神の苗として生まれた人が その分心を養い育て、いずれ訪れる死という 神としての出発の時に、一柱のしっかりした神として立つ(生き通しという)為の道場であるとされます。 

 その為の修行方法としては 毎朝の日拝と御陽気修行、お祓い修行、人の為に祈り 誠を尽くす、日常の生活がすなわち修行 と諭します。

尚 葬儀は神式一般で執り行われます。

   今回は以上です。

金光教

今回は金光教に付いて書かせて頂きました。

 金光教は 1859年(江戸末期)に赤沢文治(金光大神)により開かれた 日本の新宗教で、現在は教派神道連合会に属する、神道の一派です。祭神は 天地金乃神(てんちかねのかみ)と 生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)で、現在の本拠地は 岡山県浅口市金光町大谷に所在し、日本を中心に約1,600の教会・布教所と 45万人の信者を有して居ります。天理教・黒住教と共に幕末三大新宗教の一つとされています。

 古くからの神道に於ける 金光思想では 日柄方位の吉凶を重視し、普段の生活にも 日柄方位を厳格に遵守する様求められましたが、金光教祖(赤沢文治)は 自身の体験から そういう凶事は人間の気ままから生じる神への無礼が原因であり、神の願いにかなう生き方や行いをすれば、神に守られた中で生活する事が出来ると説きました。そして 神と人は ”あいよかけよ”の関係であるとしました、その意味する所は 人が助かるには 神に願い、神の助けが必要とされるが、神も 又 人が助かって欲しいという願いを持ち、人を助ける事で神としての働きが出来るので助かっていると言う関係であるとされます。

 又 全ての人は 神のいとしご(氏子)であるとして、他の宗教の開祖も人である限り 神のいとしごであるからして、他の宗教を否定しないという思想を持ちます。従って 布教活動的な言論は あまり有りません。

 信者は 教会の広前に設けられた結界の場において、生神金光大神の代理(てがわり)となる 取次者を通して その願い・詫び・断り・お礼を天地金乃神に伝える事により、その願い・祈りを神に届け、神からの助けを受ける事と成ります。この取次が 金光教の特徴とされます。金光教主は 本部広前の結界の場で、日々の大半を取次に専念して居られます。

   今回は以上です。

天理教

 今回は天理教に付いて書かせて頂きました。

 天理教は 江戸時代末に 中山みきを教祖として成立した宗教団体で、新宗教の一つで、奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人です。天理王命(てんりおうのみこと)を親神とし、中山みき(おやさまと呼称する)を教祖とする一神教の宗教で、”陽気ぐらし”という世界の実現をめざして居ります。

 その教理は 人間がこの世に存在するのは 親神が人間の明るく勇んで暮らす 陽気ぐらしを見たいからであり、親神の守護と恵みにより 人は生かされ、天然自然が存在すると説いています。従い 人は親神が見たいと説く、陽気ぐらしを実現する為、謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、平和で豊かな世界を築く為に努力しなければならないと説かれます。

 又 人間の身体は親神からの借り物で、心だけが自分のものであると説きます。心の使い方によっては 埃がたまるので、たまらぬ様 自己中心的な考えを慎み、親神の思いにそって身体を使わせていただき、陽気ぐらしのために惜しまず尽くす事が大切と説きます。そして 全ての人間関係は 親子・夫婦関係を基本として培う事が理想とし、人助けは 自らが真に助かる道 を基本理念として居ります。

 天理教は 来世観を持たない数少ない宗教で、信仰する神が輪廻転生を司る事により、人には前生と後生があり、人間は死んでも またこの世に生まれ変わると言う死生観を持ちます。教徒は 人が死ぬことを 出直しと呼称します。

 天理教は かなの教え とも言われ、教祖の中山みきは 民衆に解り易く説きたいとの意思から、教義の説明などに使われる言葉の多くが かな表記とされて居ります。

   今回は以上です。 

ユダヤ教の葬儀

 今回はユダヤ教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 ユダヤ教は イスラム教やキリスト教誕生の起源となった宗教で、他の宗教と違い 死後の世界などは特に無く、神の審判の日に 死者の魂が復活すると考えられて居ります。従いまして 復活に備えてご遺体はそのまま土葬となります。又 ご遺体は夜を越してはならず、ご逝去の日に墓前で葬儀を行い、そのまま土葬しなければなりません。

 ユダヤ教に於ける 故人さまのお見送りは ご逝去の後 なるべく早く葬儀を執り行い、埋葬する考え方で進められます。ご逝去されると、まずは ご遺体をお清めして、白い布を巻いて全身を覆います。この状態でご遺体をユダヤ人墓地へお運びし、墓穴にお納めし、その前で30分ほどの葬儀を行います。葬儀はユダヤ教のラビによるお祈りが主となります。お祈りが終るとご遺体に土をかけて埋葬し、その上に参列者は小石を乗せて行きます。これは墓石が無った時代の風習のなごりです。尚 故人さまが病院でご逝去された場合、ご遺体は病院から墓地へ直接お移しする形となります。又 ユダヤ人墓地とは ユダヤ教を信仰する信者の墓地の事で、ユダヤ教の信者以外の方は 希望をしても、埋葬される事は有りません。

ユダヤ教では当日埋葬が原則ですが 昨今では幾分 原則が緩められ 近親者が遠方に居られた場合などには 1~2日程度おくことも許される様に成りました。

 現代のイスラエルなどでは 土葬をした後に オリーブなど低木の樹を植えるという習わしが有り、お墓の周りに庭木が生えていると言う風景は ユダヤ人墓地独特の風景となって居ります。

 埋葬の後 ご遺族は シヴァと呼ばれる 7日間の喪の期間に入ります。シヴァの期間 ご遺族は 柔らかい椅子に座ってはならず、上着の一部を切り裂いて 悲しみを表します。シヴァの後 一年間は喪の期間となり、お祝い事への参加は控えて過ごします。

   今回は以上です。 

ユダヤ教

今回はユダヤ教について書かせて頂きました。

 ユダヤ教は 紀元前13世紀 中近東で始まった ヤハウェを唯一神とする、ユダヤ人の民族宗教です。タナハを聖典として ラビと呼ばれる神の祭司のもと、生活や行動の実践を重視する信仰です。タナハはキリスト教の旧約聖書と同じ内容の書物であり、キリスト教やイスラム教は ユダヤ教を基にして出来上がりました。又 血縁よりも教徒としての行動が重要視され、ユダヤ教を信仰する者をユダヤ人と呼ぶ考え方も存在します。

 ユダヤ教徒は タルムードと呼ばれる教典に従って 生活し行動します。タルムードは 2世紀頃からユダヤ人の間で議論され、改良を重ねて来た、ユダヤ教徒の生活や思想の基礎となる指針を示した書物です。又 ユダヤ教徒として 行わねばならない事、してはならない事の内容に付いて 家族内やユダヤ人同士で 随時 議論が行われます。

 ユダヤ教では 教育は最っとも重要な事柄で、教育こそが身を守る手段として、子供に良い教育を受けさせるべきとされています。ユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をより良い学校に行かせる為には借金もいといません。紀元前のユダヤ人コミュニティには 授業料無料の公立学校が存在して居りました。そして 家庭では 父親の存在が重要で 子供に勉強やタルムードを教え、子供を立派なユダヤ人に育てた者は永遠の魂を得ると信じられています。子供は13歳になるとバル・ミツワー(成人式)の儀式が行われ、以降 完全に大人として扱われます。

 ユダヤ教の死生観は 最後の審判の時に全ての魂が復活し、現世で善行を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられています。他の宗教にみられる 死後の世界は存在しません。

 人間は創造主の代りに労働をする存在として作られたとされ、労働は神聖な行為とされます。そして 安息日と呼ばれる休日を、週1日は取り、労働を忘れて、自分自身を見つめ直し、家族と対話をすべきとされます。労働により得た賃金や物質は その一部を創造主に捧げなければならないとされます。

   今回は以上です。

ヒンドゥ-教の葬儀

今回はヒンドゥ-教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 ヒンドゥ-教は 世界3大宗教(キリスト教・イスラム教・仏教)には入りませんが、インドを中心にして9億人の信者を持つ 世界で3番目に大きな宗教です。信者がご逝去されると、遺された方々は 故人さまの霊を天界にお送りすべく儀礼を執り行います。故人さまがこの世に未練や執着を残さぬ様、ご遺体を火葬します。そして ご遺骨は聖なるガンジス川に流して、一体化させます。

 信者の方がご逝去されると ご遺体は ご自宅で ご遺族、或いは専門家の手により洗われ、リンネルの布にくるまれます。結婚をしている女性の場合は 着色された布でくるまれ、宝石をあしらって、女性が成婚済で有る事を示します。ご遺体は火葬場に運ばれますが、ご自宅を出る前にご遺族により ご遺体に油が塗られます。

 火葬場は レンガで囲まれた焼き場で、まず薪を組み その上にご遺体を乗せ 更に薪を乗せ、ご遺族の中の最長老の方が 火を手にしてご遺体の周りを一回りし、その後 火を点けて火葬が始まり、この後はプロの火葬人に任せます。火葬を始めてから3日目の昼間 ご遺骨に牛乳を混ぜた水をかけて冷やします。そして ご遺骨を集めて所定の袋に収めて、火葬場内に安置しておきます。

 火葬を始めてから13日目に ご遺骨を斎場にお移しし、僧侶を呼んで葬儀を執り行います。葬儀後の然るべき日に ご遺骨をガンジス川に運んで、管理人の許可を得て流します。尚 ご遺骨を運ぶ人は男性でなければならないと言われて居ります。

   今回は以上です。

イスラム教の葬儀

今回はイスラム教の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 イスラム教では 信者の死は生涯の終着点ではなく 死者は神(アラー)の審判の日に再び蘇ると信じられて居り、ご遺体は復活の日を待つため 大切に埋葬されます。ご遺体が焼失してしまう 火葬が厳禁となります。尚 アラビアでは 火を ナールと言い、地獄を意味する言葉でもあります。

 イスラム教徒が危篤になりますと イマーム(礼拝の導師)が呼ばれ、コーランを唱え、神に許しと慈悲を乞い、聖水を口に含ませます。

 信徒がご逝去されると ご遺体は 同性の親族、あるいはご遺体の後処理をする専門家により 洗浄と防腐処置がされます。その後 ご遺体は葬儀場に移され 配偶者、又は同性の親族により 再度ご遺体を浄め、白い布で全身を覆います。

コーランでは 死者の陰部を3回新しい布で洗い、一度も使われていない布で口を洗い、鼻孔を洗い、左右の手を洗い、頭のてっぺんから足の先まで洗い、死者を清めると規定されて居ります。白い布でご遺体を覆う際は 顔と手を除いて、全身を完全に包みます。

 白い布で覆われたご遺体は その後 モスク(礼拝所)に運ばれ、説教壇の前にある台に安置され、コーランの文字が書かれた布で覆われます。そして イマームに従い礼拝が執り行われます。葬儀の祈祷は アラーへの祈りが男たちだけで唱えられます。礼拝が終ると ご遺体は 葬列を組んで墓場に移動し、ご遺体を右脇腹を下にして、顔をメッカに向けて埋葬されます。葬列には 職業としての 泣き女 が参加する事もあります。

 イスラム教にも喪に服す習慣があり、故人さまの親族の男性は3日間、女性は4ヶ月と10日間、地味な服装で静かに過ごさねば成りません。

   今回は以上です。

キリスト教(プロテスタント)の葬儀

 今回はキリスト教(プロテスタント)の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 プロテスタントの葬儀は カトリックに比較して比較的自由で柔軟です。キリスト教徒ではないが、キリスト教での葬儀をしたいとお考えの方には プロテスタントの教会をお薦めします。プロテスタントの葬送でもカトリックと同様に 葬儀式よりも 信者の方の死の迎え方が重要です。ご臨終に際しては まだ意識の有る内に 牧師さまをお呼びして、牧師様のお導きのもと、神に祈りながら招天を迎えることが大切とされます。

 キリスト教徒は ご自分の居住地域に属する教会を持ち、そのご葬儀は 信者とその家族を対象として行われます。また そのご葬儀も教会単位で行われ、教会の信者どうしが一諸に手伝い、お見送りします。プロテスタントはカトリックに比べて儀式も簡素で柔軟性がありますが、その宗派は数百有り、それぞれ違いが御座いますので、故人さまが所属していた教会とよく相談する必要が有ります。

プロテスタントの葬送例は以下の通りです;

1 聖餐式

   信者の最期が迫った段階で 牧師をお呼びし聖餐式を行います。キリストの最後の晩餐に因み、牧師はパンと葡萄酒を信者に与え、神に 信者の招天と永遠の安息を祈ります。病床の枕元を飾る場合は 小机を置き、白又は黒の布をかけ、ロウソクを灯した燭台と花、聖書などを置きます。

2 ご逝去

   ご逝去されましたら 故人さまの手を胸の上に祈りの形に組み、故人さまの聖書をご遺体の上に置きます。

3 納棺式

   ご逝去の当日に牧師をお招きして納棺式を行います。牧師は 開会を告げ 遺族・親族により聖書朗読-祈祷の後 ご遺体を納棺します。ご遺体を白い花で包み、白いガウンをかけて蓋をします。そして 黒い布で柩を覆い、その上に白い花で作った十字架を飾ります。その後 参列者全員で賛美歌を合唱した後、牧師は 故人さまの生前と信仰について語り、主への感謝を述べます。最後に全員で賛美歌を斉唱し、祈りを捧げて式を終えます。

4 前夜祭

   前夜祭は 神式や仏式の通夜に準じたもので、亡くなった日の翌日に行います。納棺式に続いて行われる場合も多く成りました。参列者一同で 賛美歌斉唱-聖書朗読-故人さまを偲ぶ説教-献花-遺族代表挨拶で終わります。

5 葬儀式

  入堂; 牧師に先導され 喪主・遺族が入堂します。他の参列者は事前に着席します。ご遺体も事前に祭壇に安置済みです。

  開式; 牧師が開式を告げます。

  聖書朗読・祈祷・賛美歌; 牧師による聖書朗読-賛美歌斉唱ー聖書朗読-牧師の祈祷と続きます。

  故人の略歴朗読; 賛美歌斉唱の後、故人さまの略歴と信仰生活が朗読されます。通常は牧師により朗読されますが、友人代表の場合もあります。

  追憶の説教; 牧師による説教と故人さまの安息を願う祈りの後、賛美歌斉唱。

  弔電・弔辞; 祈祷と賛美歌斉唱の後 弔辞朗読-弔電奉読。

  閉会の祈祷、遺族代表挨拶; 牧師が祈祷し オルガン演奏の中 遺族代表が挨拶します。

  献花; オルガン演奏の中 牧師-喪主-遺族-親族-信者-参列者の順に献花します。

  閉式; 牧師により閉会が告げられます。

   今回は以上です。

キリスト教の葬儀(カトリック)

 今回はキリスト教(カトリック)の葬儀に付いて書かせて頂きました。

 近年 婚礼は神式からキリスト教式へと大きく変化して参りましたが、葬儀に於きましては1%前後と非常に少ないのが実体です。キリスト教では 死は命の終わりではなく、招天 あるいは帰天と言われ、神の下に召される記念すべき事であり、地上で犯した罪が許され 永遠の安息が与えられるとされます。従いまして 葬送に於いて大切な事は 葬式よりも 死の迎え方 となります。

 カソリックでは 伝統的な儀式を重要視しており、厳格に執り行われます。信者の方は ご自分の居住地区に洗礼を受けた宗派の教会を持ち、万一 ご危篤に至った場合は その教会の司祭(神父)様に連絡を取り、来て頂いて臨終に立会いをお願いし、神に祈りながらその時を迎えることが大切とされます。カソリックでは原則として 教会で洗礼を受けた教徒のみ葬儀を行うことができます。葬儀は教会で執り行われます。

病者の塗油の秘蹟

病者の塗油は キリストによって定められた神の恩恵に預かる儀式の一つです。司祭は死に瀬している病者の額に手を置き、顔と両手に聖油で十字架をしるし、全ての罪からの解放と永遠の安息を神に祈念する儀式です。罪が許され、主の恵みが得られるとされます。

聖体拝領

ご逝去前、あるいは直後に行います。司祭が持参する パンと赤ワインを 死を迎える方の口に与えます。

納棺式

ご遺体を 司祭を中心に遺族・近親者で囲みます。司祭の唱導で祈り―聖書朗読-聖歌斉唱し 故人の安息を祈って 聖水をご遺体に撒きます。司祭による祈りの言葉の後 ご遺体を納棺し、ご遺体の周りを花などで飾り、十字架を胸に置いて、柩に蓋をします。司祭のお祈りと故人を偲ぶ言葉-聖歌斉唱-祈りの後、司祭、遺族、近親者の順に徹水が行われ終了します。

通夜祭

カソリックには通夜の習慣は有りませんが、日本では プロテスタントや仏式に準じて行われるのが一般的です。司祭が祈りを捧げた後、聖歌斉唱-聖書朗読-司祭の説教-全員でお祈り―聖水徹布で終了となります。日本では聖水徹布の代りに献花が一般的です。

葬儀

入堂式; 聖歌演奏の中、十字架を先頭に、司祭が先導して柩を聖堂中央に運び、祭壇に ご遺体の足が向く様安置します。柩の上に花の十字架、周囲に6本の燭台と花が飾られます。司祭と参列者が祈りの言葉を交互に唱えた後、祭壇と柩に徹水し、司祭が 入祭の言葉をのべます。

ミサ聖祭式; 最とも重要とされる荘厳な儀式です。司祭が従者と 死者のためのミサの祈り を唱え、参列信者も唱和してキリストへの感謝と故人の安息を祈ります。ミサには聖体拝領も含まれます。信者でない参列者は静かに見守ります。ミサが終わると司祭は 祭服を着替えるため退場します。

斜祈式(しゃとうしき); 故人の生前の罪への許しを神に請い、招天して永遠の安息が得られるように祈る儀式です。祭服を着替えて司祭が入堂し、祈り―聖歌斉唱の後、香炉と聖水を持った従者を従えた司祭が柩の前に立ち、聖水をかけて故人の罪を清め、香炉を振りながら柩の周りを回り、故人の安息を祈る 撤香 を行います。最後に司祭の祈祷が有り、聖歌斉唱をして終了します。

 以上でカソリックの葬儀は終了しますが、日本では教会の了解を得たうえで、弔電朗読、弔辞奉読、献花、遺族代表挨拶等が続いて行われます。

   今回は以上です。 

神葬祭の流れ

 今回は神葬祭の流れに付いて書かせて頂きました。

 神葬祭は 日本固有の宗教である神道に於ける葬儀ですが、その儀式の流れは 枕直しの儀に始まり、納棺の儀、通夜祭及び遷霊祭、葬場祭、火葬祭、埋葬祭、帰家祭及び直会、御霊祭と続きます。

 枕直しの儀は 神葬祭に於ける最初の儀式で、神棚・祖霊舎に故人さまのご逝去を報告します。その後 神棚の前面に白い和紙を下げて 神棚封じをします(この封は五十日祭で解きます)。ご遺体には白の小袖をお着せし、北枕に安置して、枕元に守り刀を置きます。そして 前面に小机で祭壇を設け、米・酒・塩・水・故人さまが生前 好んだ物などをお供えします。

 納棺の儀は ご遺体を棺にお納めする儀式です。ご遺体に神衣と呼ばれる 男性には白の狩衣、女性には白の小を着せ、男性なら笏を持たせて鳥帽子を被せ・女性には扇をもたせて 神様の形を作り 棺にお納めします。その後 蓋をして白い布で棺を覆い、全員で拝礼します。

 通夜祭は 仏教の通夜に当る儀式であり、遷霊祭は 故人さまの霊を霊璽へ遷し留める儀式です。通夜祭では 神職が祭詞を奏上し、ご遺族は玉串を奉って拝礼します。遷霊祭は 神職による 御霊移しの儀により ご遺体の魂が 霊璽に移されます。

 葬場祭は 仏教の葬儀・告別式に当たり、故人さまとの最後のお別れをする 神葬祭最大の重儀で、弔辞の奉呈、弔電の奉読、神職による祭詞奏上、参列者による玉串奉奠などを執り行います。

 火葬祭は ご遺体をご火葬に付す前に 火葬場で執り行う儀式で、神職が祭詞を奏上し、ご遺族は玉串を奉って拝礼します。

 埋葬祭は 墓地にご遺骨を埋葬する儀式で、ご遺骨の埋葬、祭詞奏上、ご遺族の拝礼が行われます。以前は ご火葬後 直ぐに埋葬が行われて居りましたが、最近は ご遺骨を一度ご自宅に持ち返り、忌明けの五十日祭で埋葬する事が一般的となって居ります。

  帰家祭は ご火葬・ご埋葬を終えてご自宅に戻り、神職のお祓いを受けて 門前に塩を撒いて清め、神棚・祖霊舎に葬儀が滞りなく終了した事を報告して終了します。その後 神職や世話役など 葬儀でお世話になった方々の労をねぎらい、宴をひらいてもてなします、これを直会(なおらい)と言います。

 御霊祭は 十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭と続き 以降 五年毎に五十年まで御霊祭を執り行います。五十日祭で忌明け、一年祭で喪明けとなります。尚 三年祭は仏教と違い三年目に行いますので 注意が必要です。

   今回は以上です。

神葬祭(しんそうさい)とは

今回は神葬祭に付いて書かせて頂きました。 神葬祭とは、日本古来の宗教である神道に於ける葬儀を指します。神道に於いては ”人はみな神の子であり、神の計らいにより母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ帰り、子孫たちを見守る” ものとされます。従いまして神霊祭は故人様に家の守護神となって頂く為の儀式であります。神道に於きましては死は穢れである為、神霊祭を 聖域である神社で行う事は無く、自宅或いは然るべき斎場で執り行います。 然るべき場所 日本固有の宗教である神道に於ける葬儀は神話の世界で登場しますが、6世紀に仏教が伝来して以降仏式の葬儀が急速に普及して行き、更に江戸時代の寺請制度により葬儀は仏式というのが定着しました。そして明治時代に入り政府の神祇政策の一還として神霊祭は奨励され、神霊祭専用墓地として青山霊園が設立されました。しかしながら明治憲法では制限付きでは有りますが 信教の自由が保障されており、強制されることは無く、又神社の神職は公務員とされ、例外を除いて宗教行為である神葬祭を担当する事が出来ず、神葬祭が普及する事は有りませんでした。第二次世界大戦後 神道は宗教としての立場を回復し神職が神葬祭を執り行える様に成ります。 故人様の死後のお名前には 諡号(おくりな)が贈られ仏式のお位牌に当る霊璽に書かれて神葬祭の祭壇に祀られます。諡号は仏式の戒名・法名にあたり、故人様の氏名、その後に故人様の性質・業績・ご逝去の時節などを現す尊称を連ね、最後に成人男性の場合は大人(うし)、成人女性の場合は刀自(とじ)がつけられ霊号となります。ご逝去の年齢や業績に応じて、男性の場合若子、童子、翁、大翁、君、命、尊 女性の場合は童女、大刀自、姫、媛などが贈られる場合もあります。 仏式の焼香に代わるものとして 神葬祭では お祈りの際、玉串を奉奠(ほうてん)します。玉串とは榊などの木の枝に紙垂を付けたものです。地域によっては玉串奉奠の代りに、容器の中に米や酒を注ぐ献米や献杯の場合も御座います。 今回は以上です。葬儀に関してご不明な点等がございましたらお気軽にひかりの杜へご相談ください

ヒンズ-教

 今回はヒンズ-教に付いて書かせて頂きました。

 ヒンズー教は インド、ネパールを中心に信仰される民族宗教で、世界三大宗教には入りませんが、信徒は9億人とも言われ、キリスト教、イスラム教に続いて 世界で3番目の宗教です。紀元前より バラモン教を基にインド土着の神々と融合しながら作りあげられた 業と輪廻転生を死生観に持つ 多神教の宗教です。特定の開祖は持たず、インダス文明の時代から インドとその周辺に居住する住民の信仰が集大成したものです。

 紀元前(BC)2000年頃 アーリア人がペルシャ(現在のイラン)からインド北西部に進入し、BC1500年頃にヴェーダ聖典を成立させ、それを基ずくバラモン教を信仰しました。そしてBC500年頃には 仏教の隆盛や社会情勢の変化により、バラモン教は民間の宗教と同化し、ヒンズー教へと変化して行きます。AC500年前後には仏教をも凌ぐ様に成り、以後現在に至るまでインドの民衆により信仰され続けて居ります。

 ヴェーダ聖典を基にした信仰は 3大神への信仰と共に、輪廻や解脱といった独特の概念を持ち、四住期に代表される生活様式、カースト制度という身分制度等を特徴とする宗教です。

基本とされる3大神とは;

 ・ ブラフマー ;宇宙の創造を司る神。

 ・ ヴィシュヌ ;宇宙の維持を司る神。鳥神ガルーダに乗り、10大化身と呼ばれる多数の分身を持ちます。

 ・ シヴァ   ;宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神。牡牛のナンディンに乗り、トラの皮をまとい首にコブラを巻きます。

その他にも多くの神や化身が御座います。ちなみに釈迦はヴィシュヌ神の9番目の化身とされて居ります。

仏教の開祖 釈迦も バラモン教の教え 四住期に従い 男子をもうけた後に 29歳で釈迦族の王族の地位を捨て、林間で修行をし、その後悟りを開いて布教の旅に出ます。又 インドでは キリスト教、イスラム教などの外来の宗教以外は全てヒンズー教と定義しており、仏教はヒンズー教の一派と位置付けられて居ります。

  今回は以上です。

イスラム教

 今回はイスラム教に付いて書かせて頂きました。

 イスラム教とは 世界3大宗教の一つで アラビア語圏を中心に11億5千万人(16億人とも言われます)の信徒を持ち、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフと呼ばれる)を信仰し、神がこの世に送った最後の預言者 ムハンマドを通して人々に下されたクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教です。ユダヤ教、キリスト教と同じアブラハムの宗教の一つであります。

 アラビア語では 神に帰依する事をイスラームといい、神に帰依する者(イスラム教徒)をムスリムと呼びます。日本を含む漢字文化圏では イスラム教を回教、イスラム教徒を回教徒とも呼ばれて居ります。その教えの特色は 偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる事に有ります。

 イスラム教は 西暦610年頃 預言者ムハンマドは アラビア半島の紅海側に位置する メッカ郊外で 天使ジブリールより 唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたとして イスラム教を始めました。その後 後援者であった叔父の他界とともに迫害を受け、同じアラビア半島のメディナに逃れ、周囲のユダヤ人との争いに勝利し、周囲のアラブ人たちを支配下に収めて、勢力圏を広げてゆきます。勢力圏の拡大と共に クルアーン(コーラン)に書かれた内容も 色々な解釈が生まれ、多くの派へと分かれて行きました。大きくは スンニ派とシーア派ですが、夫々の派の中にも多くの学派が存在します。

 イスラム教の信仰の根幹は 6っの信仰箇条(6信)と、5っの信仰行為(5行)から成ります。

6信とは; 

1 神(アッラ-)、 2 天使(マラーイカ)、 3 啓典(クトゥブ)、 4 使徒(ルスル)、 5 来世(アーヒラ)、 6 定命(カダル)ですが  特に 神と使徒 が重要で、アッラ-が唯一の神で有る事と、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる事です。

5行とは;

1 信仰告白(シャハーダ)、 2 礼拝(サラー)、 3 喜捨(ザカート)、 4 断食(サウム)、 5 巡礼(ハッジ)、  ですが 特定の教派では 奮闘努力(ジハード)を加えた6行として過激な活動を行うケースも有ります。

 尚 日本に於けるモスレムの総数は 数千から数万と言われ、明確な数字は不明ですが、何れにしろ5万人以下と推定されます。

   今回は以上です。

諸教

 今回は諸教に付いて書かせて頂きました。

 諸教とは 日本に於ける宗教団体の現況は文化庁により調査され、宗教年鑑として報告されて居りますが、その中では 神道系、仏教系、キリスト教系、そして 前3系に属さない諸教の 4系統に分類されてまとめられて居ります。平成23年12月末現在 諸教としては 包括宗教団体として 36団体が登録されております。その主な団体としては 天理教、円応教、生長の家、世界救世教、パーフェクトリバティ教団(略称 PL教団)などが御座います。

1 天理教(てんりきょう)

  1838年(天保9年) 大和国山辺郡(奈良県天理市)にて 中山みき に天啓が下り、みきを教祖として、”陽気ぐらし” という世界の実現を目指して立教されました。天理王命(てんりおうのみこと)を神とする 一神教で、”みかぐらうた” ”おふでさき” ”おさしず” を啓示の書、原典とします。奈良県天理市に教会本部を持ちます。

2 円応教(えんのうきょう)

  1919年7月 大阪市に於いて 深田千代子は天啓を受け 奇蹟霊験を現し、”神の使いしめに生まれ、世の中の道具になる”という教義の元に宗教活動を開始し教祖となります。その後 千代子の長男により 1948年 千代子の法名より円応を取り出し、円応教として設立され、1952年に宗教法人として認可されました。現在の本部は教祖生誕の地 兵庫県丹波市に有ります。

3 生長の家(せいちょうのいえ)

  1929年12月13日 創始者 谷口雅春は 深夜 瞑想中に ”今起て!” と神から啓示を受け、1930年に修身書として 雑誌 ”生長の家” を1000部自費出版した事を始まりとします。現在 本部を東京都渋谷区、総本山を長崎県西海市に持ちます。

4 世界救世教(せかいきゅうせいきょう)

  1935年 教派神道系 大木の幹部だった 岡田茂吉により立教された新宗教系の教団。物質文明に対し、宗教を土台とする精神文明を実現することを説き、自然農法による農法を推進する事、芸術活動を行うよう薦めました。国内3ヶ所 神奈川県箱根町強羅、静岡県熱海市、京都府嵯峨野に聖地を定めました。

5 パーフェクトリバティ教団(PL教団)

  1946年 御木徳近により ”人生は芸術である” に始まるPL処世訓21ヶ条と共に立教を宣言したことにより始まります。PLは 完全な自由 を意味します。現在 教団本部は 大阪府富田林市にあります。

   今回は以上です。

日本のキリスト教

 今回はキリスト教に付いて書かせて頂きました。

 ご葬儀は 信仰する宗教を基に執り行われるのが基本ですが、現状の横浜で行われるご葬儀の95%以上は仏式で行われて居り、数%が宗教を意識しないご葬儀、キリスト教でのご葬儀をお手伝いするケースは殆んどなく、その場合でも ご火葬のみ(直葬)で行うケースとなります。キリスト教は世界三大宗教の一つですが、日本に於ける教徒の数はそれ程多く無く、又 海外の様に ご家族での教徒ではなく、教徒の多くの方は 個人で信仰されるケースがほとんどありる故と考えられます。

 キリスト教の日本への伝来は 1549年(戦国時代)、ローマ・カトリック イエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエル師の来日に始まります。その後 安土桃山時代の豊臣秀吉により キリスト教の信仰は禁じられましたが、17世紀初頭には 日本国内に聖職者150名 六十五万人の信者が存在したと言われます。しかしながら 徳川幕府による 撤底した弾圧により キリスト教徒は全滅に等しい状態となります。

 その後 250年を経て 1857年(安政4年)鎖国令の解除と共に 第三代日本知牧 ジラール師が 仏国 江戸領事館付き司祭として来日し、1862年には 横浜に教会を建てます。又 長崎に上陸した プティジャン師は 1865年(慶応元年)に大浦天守堂を建て、更に 浦上に於ける旧信者の子孫を発見して、日本に於けるカトリックは復興する事と成ります。

 ギリシャ正教会では 1859年(安政6年)函館にロシア領事館が設置され、同敷地内に聖堂も建てられました。1861年にはロシアの修道司祭ニコライ師が領事館付き司祭として赴任しました。

 プロテスタントでは 1859年にアメリカの監督教会(聖公会系)、改革派教会(カルバン派系)、長老教会(カルバン派系)からの宣教師・牧師が 長崎や横浜に上陸し 外国人居留地を中心に伝道が始まり、1872年(明治5年)には横浜に日本で初めてのプロテスタント 日本基督公会が設立されました。

 こうして キリスト教の日本への布教が再開される事と成ります。

   今回は以上です。

キリスト教

 今回はキリスト教に付いて書かせて頂きました。

 キリスト教は 紀元前4世紀にローマ帝国のナザレ(現在はイスラエル国内)に生まれたイエスは ユダヤ教を批判し、ローマ帝国皇帝により十字架刑に処せられます。その後 イエスの弟子達により紀元1世紀 初期キリスト教として独立します、その後 何度か弾圧を受けながら、4世紀 コンスタンティヌス1世により公認され、更に国教とされます。現在は20億を超える信者数を持つ 世界最大の宗教です。

 その基本教義は この世には3位の神が存在し、天地の創造主である 父の神、万物に先立って生まれた父の神の独り子 子の神 イエス・キリスト、そして イエスの地上での誕生に関係した 精霊の神、この3位は一体であるとされます。キリストとは 救い主の意味を持ち、イエス・キリストは 救い主・イエスを示します。キリストは 聖母マリアから処女生誕し、罪人としてはずかしめられ、十字架上で刑死したが、三日目に復活した。そして 昇天した後には 栄光の座である 父の右に座している とされます。キリストは 自らの死と復活により死を克服し、人類もまた死から解かれる正当な権利を得たと信じられました。教典は ユダヤ教の教典でもある 旧約聖書と、イエス以降の伝記や書簡からなる 新約聖書を信仰の中心において居ります。

 キリスト教は その長い歴史と共に多くの教派に分かれて居りますが、その主な分類は以下の通りです。

-初代教会   最初期の教会、諸教派の前身。

-西方教会   西ローマ帝国、西欧で発展した教会。

   ・ カトリック教会  ローマ教皇を中心とする教派。

   ・ 聖公会(英国国教会) カトリックとプロテスタントの中間に位置付けられる教派。

   ・ プロテスタント  16世紀の宗教改革運動によりカソリック教会から分離した諸教派。

     ・ ルーテル教会(ルター派)

     ・ 改革派教会(カルヴァン派、長老派教会、改革長老教会)

     ・ 会衆派教会

     ・ メソジスト教会

     ・ バブテスト教会

   ・ アナバブテスト

-東方教会

   ・ 正教会(ギリシャ正教)  東ローマ帝国・ギリシャ・東欧で発展した教会。

   ・ 東方諸教会  非カルケドン派の諸教会とアッシリア東方教会

   今回は以上です。   

仏教・新教派系

 今回は仏教・新教派系に付いて書かせて頂きました。

 前回までに説明致しました 5系列、13宗派以外の宗 を新教派系と位置付けて居ります。13宗もしくは 他の宗から分離・独立した宗、比較的近年に成立した仏教系の新宗教 あるいは新興宗教などを指し、本門仏立宗、霊友会、孝道教団、立正佼成会、創価学会、念法真教などが主な団体です。

1 本門仏立宗

   江戸時代末期に 長松清風により興された 本門仏立講が始まりで 法華宗に所属していましたが 1947年に独立して本門仏立宗となりました。日蓮上人を高祖、日降上人を門祖として居ります。

2 霊友会

   1920年に 久保角太郎により始まり、1927年 小谷喜美と共に立ち上げた赤坂霊友会を始めとして居ります。法華教信仰を基盤とした祖先崇拝を基本とし、在家による夫方・婦方の双系の先祖供養を中心として居ります。

3 孝道教団

   1936年に 岡野正道と 妻貴美子が霊友会より独立して 宗教結社孝道会を立ち上げたのを始めとします。先祖供養を中心に 解り易く仏法を説くところに特徴をもちます。

4 立正佼成会

   1938年に 長沼妙佼と庭野日敬が霊友会より独立して始まりました。当初の布教法には 生命鑑定と法座が有りましたが、現在では 原始仏教を基本とする教学の確立に努めて居り、宗教協力にも熱心に取り組んでおります。

5 創価学会

   1930年に 牧口常三郎と戸田城聖により設立された 在家信者団体の創価教育学会が始まり。自らの教育理論確立の為 日蓮正宗の信仰を採り入れ、次第に信仰中心の団体と成りました。一時は日蓮正宗の講の性格を持ちましたが、現在は日蓮正宗と対立関係にあります。

6 念法真教

   1925年に 小倉霊現が 阿弥陀如来より念法真言を授かり 会員制の教団を立ち上げたのが始まりです。第二次世界大戦中は 天台宗に所属し、1947年に別派独立しました。現世極楽浄土作りを目的として、心の入れ換え、日常論理の確立を説きます。

   今回は以上です。

禅系(鎌倉仏教禅系)

 今回は禅系(鎌倉仏教禅系)に付いて書かせて頂きました。

 鎌倉時代は 国の権力が貴族から武士に移り、武士は その力を着々とつけた時代で有りました。この時代に曹洞宗と臨済宗という二つの禅宗が 中国からもたらされ、武士階級に受け入れられて 多くの禅寺が 鎌倉に建立され、大きく栄ました。そして 1654年(江戸時代)に明国の僧侶 隠元(真空大師)が来日して黄檗宗(おうばくしゅう)を布教しました。この三宗を禅系(鎌倉仏教禅系、禅宗系)と位置付けられて居ります。

 曹洞宗は 中国の禅宗五家の中の一つで 日本へは 宋に渡った 道元(承陽大師)により伝えられました。その教えは 座禅の修行を基本とし、修行の威儀作法を重視します。経典は法華経を中心とした 道元により書かれた”正法眼蔵”、ご本尊はお釈迦様です。悟りを求めない修行により悟りが得られると考えます。これは 悟りを目的とする修行は打算的修行であり、悟りを得たら修行しなくて良い事に成る。従って悟りへの拘りは不要とされます。

 臨済宗も 中国の禅宗五家の一つであり 宋に学んだ 栄西(千光国師)により日本に伝えられました。その教えは 1700余りの祖師の言葉を体得する事が悟りの基本とされ、経典や教えに依存せず相手の心に直接働きかけ、その本質を悟らせる、そして 日常の中で真理を具体的なものとして行く事が求められます。経典の定めは無く、本尊の定めも有りません。禅宗様式では 本尊は祀らず お堂に椅子を一つ置き、椅子に座って法を説く人が本尊に相当します。この場合のお堂を 法堂、仏像を祀るお堂を仏殿と呼びます。

 黄檗宗は 唐の僧 黄檗希運の名に由来する宗派で 江戸時代に来日した明の僧 隠元(真空大師)により伝えられました。修行形態は臨済宗と同様ですが、儀式の形式や使われる言葉は明時代の様式を踏襲して居ります。陀羅尼や阿弥陀経を読み、念仏を唱えますが 浄土系とは目的が異なります。南無阿弥陀仏を ナムオミトフと読み、般若心経も唐音で読みます。経典の定めは無く、本尊はお釈迦様です。

   今回は以上です。    

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