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葬儀横浜、天理教のお見送り(ご葬儀)

新型コロナウィルスの蔓延防止に明け暮れる日々の日本ですが、 本年開催予定の第32回近代オリンピック東京大会も2021年の来年に延期されました。 その近代オリンピックはパリ大学ソルボンヌ大でのでの会議に於いて、ピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱が決議され、 124年前(1896年、明治29年)の本日4月15日にアテネにて第一回大会が開催されて今日に至ります。 クーベルタンを描いた切手クーベルタンを描いた切手(アゼルバイジャン)

天理教のお見送り;

天理教のお見送りは”遷霊鎮霊祭(せんれいちんれいさい、仏式での通夜式)”と”発葬祭(はつそうさい、仏式での葬儀式)”の二つの祭式により構成されます。 そして故人様への鎮魂は玉串奉奠、四拍手・一拝・四拍手・一礼(拍手はしのび手)、にて祈念します。 天理教の教え・陽気ぐらし天理教の教え・陽気ぐらし

遷霊鎮霊祭式次第;

遺族親族着席 礼拝作法案内 開式案内 一、斎主斎員着席 一、祓 詞 (はらいど) 一、大麻行事 (おおぬさぎょうじ) 一、遷霊の儀 (みたまうつしのぎ) 一、遷霊祭司奏上 (みたま移しの言葉 奏上) 一、遷霊 (みたまうsつし) 一、献饌 (けんせん) 一、斎主玉串奉献、鎮霊詞奏上 一、斎員列拝 一、遺族親族参列者玉串奉献 一、斎主斎員退手退席 一、斎主挨拶 閉式挨拶

発葬祭式次第;

遺族親族着席 礼拝作法案内 開式案内 一、斎主斎員着席 一、斎主玉串奉献註詞発葬詞奏上 一、斎員列拝 一、遺族親族参列者玉串奉献 一、斎主斎員退手退席 一、告別の儀 今回は以上です。

葬儀横浜南区でのご火葬のみのキリスト教葬儀

昨日4月12日はキリスト教にとって大切な一日”イースター(復活祭)”でした。 イースターは春分の日の後に訪れる最初の満月の次の日曜日と定められて居り、キリスト教国では翌月曜日の本日も休日と定められて居ります。 従いまして、イースターは年により日付けが変わる移動祝日です。 昇天イエスキリストの復活を告げる天使

お問い合わせ;

過日、横浜市南区の小規模医療法人殿よりお電話を頂き、”利用者のご婦人がご逝去、来所乞う”とのご依頼を頂きました。 ご指定された時間に医療法人殿を訪問し、ご遺族の皆様と面談させて頂きました。

ご遺族のご希望;

ご逝去された故人様はご遺族様のご母堂様。 ご母堂様は生前、敬虔なキリスト教カトリック教徒でおられた。 但しカトリック教徒はご母堂様のみ故、お見送りに当たっては教会には連絡せず、ご家族のみで執り行いたい。 従って、式は行わずご火葬のみでのお見送りとしたい。 横浜市南区のご自宅から近い火葬場の利用をご希望。 ご遺体はご自宅での安置が困難な為、ひかりの杜で預かって欲しい。

故人様に供える送り花は故人様が好きだったお花をご遺族が用意したい。

ひかりの杜よりのご提案;

利用する火葬場としてご自宅から近い横浜市久保山斎場をお勧めして、了解を得た後予約。 葬儀費用としては廉価な”ひかりの杜火葬儀プラン”のご利用をお勧めして、その内容と流れに付きご説明。 ご遺体はひかりの杜遺体安置所でお預かりする事としその費用をご説明しました。 以上の説明の後、ご了解を得てひかりの杜でのお手伝いが確定し、故人様のご遺体を収容させて頂きました。 カトリック教神父(司祭)カトリック中央協議会神父(司祭)様

ご葬儀(ご火葬のみの直葬);

ご火葬日前日、ご遺族より問合せを頂き; ”火葬だけでは寂しいので、火葬炉前で神父様にお祈りを捧げて貰う事は可能か?可能であれば神父様を紹介して欲しい。” 可能とお答えして、ご希望される御礼金にて神父様を紹介させて頂きました。 ご葬儀当日は横浜市久保山斎場の入口で故人様ご遺族様と神父様が合流し火葬炉前へと進みました。 火葬炉前にて神父様のお祈りの下で故人様との最後のお別れと共に故人様のお好きだった紫のお花で柩の中が飾られました。 そしてご遺族様のお見送りの中、故人様は昇天されました。 今回は以上です。      

葬儀横浜磯子区、天理教のご葬儀

令和2年4月9日は元日より数えて100日目と成り、”大仏の日”でもあります。 大仏の日は、天平勝宝4年4月9日(西暦752年)に、奈良・東大寺にて大仏様開眼供養が行われたことにちなんで制定された記念日です。 又、1318年前の今日(大宝2年3月8日)に日本で初めての統一計量基準”度量衝”が文武天皇の下で定められました。 尚、度は長さ、量は体積、衝は質量(重さ)を表します。 天理教の聖域”ちば”天理教の聖域”ちば”

お問い合わせ;

早朝、横浜磯子区内の男性の方よりお電話を頂き; ”群馬県内の療養所で過ごしていたご母堂様が本早朝にご逝去、ご遺体を横浜市磯子区内のご自宅に移送中に付き、到着予定の13;00に自宅まで来て欲しい”とのご依頼。 了解をして、ご指定の時間にご遺体保全の為のドライアイスを用意しご自宅へ訪問させて頂きました。

ご遺族のご希望;

まずは、ご遺体の到着と共にご母堂様の居間に北枕で安置し、保全の為のドライアイスを適用させて頂きました。 その後、ご遺族様よりのご要望を伺い; ご母堂様は天理教を深く信仰されて居りましたので、ご葬儀は天理教の次第に従って営みたい。 但し、ご母堂様の所属していた教会は九州と遠方であり、永く交流も途絶えているので、横浜市内の天理教斎主様を紹介して欲しい。 式場はご自宅ではなく、ひかりの杜推奨式場の中から選択して利用。 会葬予定人数は約50~70名。 花祭壇にはご母堂様のお好みのチューリップを添えて欲しい。 ご遺体はご自宅に安置し、ご自宅から式場へ出棺をご希望。

天理教の春季大祭(1月26日)天理教・春季大祭(1月26日)

ひかりの杜よりのご提案;

天理教片遷霊鎮霊祭(仏式での通夜)・発葬祭(仏式での葬儀)の斎主様はひかりの杜が以前からお願いしている天理教神奈川教区に依頼して派遣して頂く。 式場は費用も廉価で火葬場が併設された横浜市南部斎場のご利用をお薦めして、ご了解を頂きました。 葬儀の費用はご利用しやすく廉価な”ひかりの杜一般葬プラン”のご利用をお薦めして、その内容と流れをご説明しました。 花祭壇には”ひかりの杜一般葬プラン”の範囲で数種類のチューリップを添えさせて頂き、厳かな中にも華やか祭壇を用意させて頂く事としました。 ご自宅に安置されたご母堂様のご遺体は保全の為のドライアイスを日々1回適用させて頂く事としました。 以上の内容をご理解頂いた後、同日夕刻に再度訪問させて頂き、見積書の提出、申込書の受領をお願いして、辞去させて頂きました。 今回は以上です。  

葬儀横浜、4月8日は灌仏会

現代、横浜に於けるご葬儀の9割以上は仏式で営まれて居ります。 本日4月8日はその仏教の開祖、お釈迦様が降誕された日とされて居ります。 日本各地の寺院ではお釈迦様の誕生を祝って法会が営まれ、この法会を灌仏会(かんぶつえ)あるいは花祭りともと呼びます。 灌仏会では、花御堂を設け、堂の中に水盤を置いて釈迦の立像を中央に安置し、参詣者が御像に甘茶を注いでお参りする。 甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時”9つの龍が天から清浄の水を注ぎ”産湯を使わせたという伝説に由来します。 又、タイ、ミヤンマーなどの仏教国でもそれぞれの形でお祝いが催されて居ります。 蓮の花

タイ王国の灌仏会;

タイでの釈尊降誕のお祝いは”ソンクラーン”と呼ばれて年々盛大さを増したお祭りともなって居ります。 ソンクラーンとはタイの正月で、太陽の軌道が12ヶ月の周期を終え、新たに白羊宮(おひつじ座)に入る時期を祝うものです。 元々、ソンクラーンには仏像や仏塔へ、さらに家族の年長者などの手に水を掛けてお清めをするという伝統的な風習でありました。 その風習が近年ではそれが転じて街の往来で通行人どうしが水を掛けあって楽しむ「水掛け祭り」として知られるようになりました。 現在は毎年4月13・14・15日の3日間に行うものとされており、タイの祝日にも定められています。 首都バンコクでは地方から働きに出ている人々が一斉に帰省するため、この時期街は閑散としますが、王宮周辺を中心にさまざまな催しが行われています。 ワット・ポーではタイ北部・東北部・中央部・南部それぞれのソンクラーンの祝い方がデモンストレーションされるほか、 バックパッカーの拠点として世界的に有名なカオサン通りで行われる、大規模な水掛け合戦が有名です。

ミヤンマー連邦共和国の灌仏会;

ミヤンマーの国民の80%は仏教徒であると言われ、仏教は大変大切にされて居ります。 そうした環境の中で、仏教の祝日として最大のものが、毎年4月前後の釈迦降誕の日に合わせて行われる”水祭り”です。 ミヤンマーでは独自の暦”ビルマ暦”を持つて居り釈迦降誕の日が正月とされ、 正月を迎える為に、”1年の終わりを祝い、人々を水で清める”為に水かけ祭りが盛大に執り行われます。 そして、水祭りが終わると、ミヤンマーの新年が始まる事と成ります。 今回は以上です。

葬儀横浜中区、会葬者28名の家族葬

本日4月6日は、横浜市立の小学校、中学校で新1年生の入学式が行われて居ります。 新型コロナウィルス感染防止の為、保護者・在校生・来賓の参加はみとめられず、教職員と新入生のみでの式典と成りました。 但し、小学1年生には保護者1名の付き添いが認められて居ります。 尚、授業は4月20日までお休みとなって居ります。 横浜中区の花・チューリップ横浜中区の花・チューリップ

お問い合わせ;

過日、横浜市内のご婦人よりお電話を頂き; ”参加者28名での家族葬は可能か?”とのお問い合わせを頂きました。 ”人数が固定されているのであれば可能です。”とお答えして、面談をお願いし、ご了解を得て指定された横浜保土ヶ谷区内の小規模医療法人へ急行致しました。

ご家族様よりのコメント;

ご婦人は横浜市内中区にご主人様と居住されて居られるが、本日お世話になっていた小規模医療法人設備でご逝去されました。 お見送りはご家族・近親の方々のみで営みたい。 葬儀社数社に問い合わせした所、いずれも28名での家族葬は困難との事でした。 家族葬での施行が可能であれば、菩提寺ご住職をご導師として仏式で営みたい。 葬儀式場は横浜市営斎場の最っとも早く利用可能な斎場の使用をご希望。

ひかりの杜よりのご提案;

家族葬のお手伝いは10名以内を前提とさせて頂いて居りますが、ご遺族・近親の方に限定してでの会葬者28名固定であれば、家族葬でのお手伝いは可能である事。 横浜市営斎場の予約状況を確認し、最速で利用可能な斎場は横浜市南部斎場である事。 横浜市南部斎場の利用可能日と菩提寺ご住職のご予定を確認して頂きました。 ご自宅でのご遺体の安置が困難な為、ひかりの杜での対応をご希望。 その上で”ひかりの杜家族葬プラン”のご利用をお薦めして、その内容と流れ、追加可能項目、そして費用の概算をご説明致しました。 以上の内容に付きご了解を頂いて、口頭内示を頂き、遺体移送車を手配して、ご遺体を収容させて頂きました。 尚、最終的なご承認は正式見積書提出の後に頂く事も合わせてご了解頂きました。  4月6日の花・福寿草

横浜市南部斎場;

横浜市南部斎場は金沢区みず木町に位置する横浜市営の斎場で、葬儀式場と火葬場が併設され、大駐車場を備えた大変 便利な葬儀式場で、宗旨・宗派に係わらずご利用が可能な斎場です。 火葬場への移動は徒歩が可能で、マイクロバス等を必要と致しません。 斎場への最寄り駅は、京浜急行線金沢八景駅(特急停車駅)よりタクシ-利用で約20分(料金2000円前後)で来場頂けます。 路線バスご利用の場合は同じく金沢八景駅より神奈川中央交通の大船駅行、庄戸行、上郷ネオポリス行にお乗り頂き 隧道東口で下車(所要時間約20分)後、斎場まで徒歩10分です。 尚、斎場までの徒歩10分間は急な登り坂となりますので お気を附け下さい。 お車で来場の場合は大変便利で横浜-横須賀高速道路朝比奈インター出口前となります。 横浜市南部斎場はインター出口に隣接し、深い緑地の中に造られた静かな斎場で 駐車場も大きく取られ居り、お車でご来場頂く方々には好評を頂く式場で御座います。 今回は以上です。    

葬儀横浜中区、紫のお花で囲まれたご葬儀

73年前の本日4月5日(昭和22年)、日本で最初の第一回統一地方選挙が行われました。 民選による最初の横浜市長には、日本社会党より革新統一候補として出馬した石河京一氏が当選し、4月7日より第14代横浜市長に就任しました。 横浜市の花・薔薇横浜市の花・薔薇(バラ)

お問い合わせ;

深夜、横浜市内ご婦人の方よりお電話を頂き; ”葬儀の事で問い合わせたいが、良いか?”との問い合わせを頂きました。 ”問題御座いません”と回答し、可能であればと前提条件無しでの面談をお願いした所、ご了解を頂いて、 指定頂いた横浜市戸塚区内の病院へ急行致しました。

ご遺族様のお話;

お父上様が今夜半にご逝去され。 葬儀を営みたいが、ありきたりの祭壇では無く、ご婦人がデザインした祭壇を紫の花で飾りたい。 式場・火葬場はご自宅、横浜市中区の近くで営みたい。 葬儀は仏式で営みたい、真言宗の僧侶の紹介をご希望。 会葬予定人数は約100名. 故人様のご妻女様が高齢の為、ご自宅でのご遺体安置が難しく、面会が可能な遺体安置所を用意して欲しい。 紫色の薔薇の花紫色のバラの花

ひかりの杜よりのご提案;

葬儀式場での祭壇は紫色のバラ、カーネーション、トルコキキョウ、スイトピー等を使用してご指定のデザインで飾らせて頂く。 火葬場は横浜市久保山斎場を利用し、式場は隣接する一休庵久保山斎場の利用をお薦め。 真言宗の僧侶をご紹介し、お布施はご遺族のご希望に合わせて相談させて頂く事。 ご葬儀は廉価な”ひかりの杜一般葬プラン”のご利用をお薦めして、その内容と流れそして追加可能な項目をご説明致しました。 ご遺体の安置は”ひかりの杜遺体安置所”のご利用をお薦めし、その所在地と必要な費用をご説明しました。 以上のお話の後にご遺族の方々の同意を得て内示を頂き、遺体移送車を手配してご遺体を収容致しました。

一休庵久保山斎場;

一休庵久保山斎場は西区元久保町に位置する私営の斎場で、横浜市久保山斎場(火葬場のみ)に隣接した大変便利な葬儀式場です。 火葬場への移動は徒歩が可能でマイクロバス等を必要と致しません。 最寄の駅は、JR線保土ヶ谷駅、若しくは京浜急行線黄金町駅よりタクシ-利用が便利です。 何れも所要時間10分前後、千参百円前後の費用で来場頂けます。 お車で来場の場合は首都高速横浜3号線永田インターより10分の距離となります。 遠方よりご参列の方々の為の最寄のホテルとしてはJR線横浜駅、桜木町駅、関内駅周辺のビジネスホテルご利用をお薦め致します。 今回は以上です。    

葬儀横浜神奈川区、深夜でも迅速な対応

本日は4月3日、68年前(1952年、昭和27年)の本日ラジオ東京(現在のTBSラジオ)より”リンゴ園の少女”という番組が放送を開始しました。 その番組の挿入歌として美空ひばりの”リンゴ追分”が採用され大ヒットへと繋がります。 美空ひばりは1937年(昭和12年)横浜磯子区滝頭で生を受け、母親の下で幼少より歌手として活動して居りました。 それまで”歌の上手な少女”、”笠置しずこの真似が上手な少女”として特定の世界での評価はありましたが、リンゴ追分の大ヒットにより全国区での歌手へと変貌しました。 林檎の花林檎(リンゴ)の花

深夜のお問い合わせ;

過日、深夜午前二時にお電話を頂き; ”ご母堂様がご逝去、横浜西区内の病院まで何時間で来られるか?”との問い合わせ。 ”30分前後で到着可能です。”と回答し、ご了解を得て横浜西区の病院へ急行しました。

ご遺族様よりのコメント;

当初他の葬儀社に問い合わせた所、訪問まで2時間との事で、ひかりの杜へ問い合わせた、との事。 ご尊父のご遺体は横浜神奈川区内のご自宅に移送し安置したい。 ご葬儀・ご火葬はご自宅に近い斎場で営みたい。 ご葬儀は仏式、浄土真宗の菩提寺ご住職をご導師として営みたい。 会葬予定人数は約100名。

ひかりの杜よりのご提案;

ご自宅近くでの斎場として、①西寺尾会堂・西寺尾火葬場、②小西斎場・横浜市久保山斎場、の2案をご説明の上で②の案をご選択。 ご葬儀は”ひかりの杜一般葬プラン”のご利用をお薦めして、その流れと内容をご説明。 以上の前提での費用概算と追加可能項目とその費用に付き説明し、ご了解・口頭内示を頂いて、遺体移送車を手配してご遺体をご自宅に安置させて頂きました。 翌日夕刻、ご自宅を訪問させて頂き、ご葬儀詳細に付きお打ち合わせ、その内容で見積書を提出し、ご承認頂き、申込書を受領して、ひかりの杜のお手伝いが確定致しました。 [caption id="attachment_5533" align="alignnone" width="300"]小西斎場 小西斎場全景[/caption]

小西斎場;

小西斎場は西区元久保町に位置する私営の斎場で、横浜市久保山斎場(火葬場のみ)に隣接した大変便利な葬儀式場です。 小西斎場から横浜市久保山斎場への移動は徒歩が可能でマイクロバス等を必要と致しません。 ご来場に当たりましては JR線保土ヶ谷駅、若しくは 京浜急行線黄金町駅よりタクシ-利用が便利です。 何れも所要時間10分、千参百円前後の費用で来場頂けます。 お車で来場の場合は 首都高速横浜3号線永田インターより10分の距離となります。 遠方よりご参列の方々には最寄のホテルとしては JR線横浜駅、桜木町駅、関内駅周辺のビジネスホテルご利用をお薦め致します。 小西斎場の式場は1室あり 1Fが駐車場と入口 60席 約300名までの葬儀を執り行う事が可能な式場となります。 その構造は1FとB1Fの二階構造となって居り、1Fに正面入り口・受付・待合せロビー・式場・そして宗教者控室が配置されて居ります。 B1Fには遺族控室(和室18畳)お清め室・シャワー室が御座います。 1FとB1Fの間にはエレベーターで繋がれ、B1Fには身障者対応トイレも設備されて居ります。 遺族控室は通夜仮眠のお部屋としてもご利用頂け、大変ご利用頂き易い斎場で御座います。 尚、ご自宅でご遺体を安置する事が出来ない場合は 別棟にご安置する事も可能となって居ります。 今回は以上です。  

葬儀横浜神奈川区、葬儀費用の困窮者支援制度

昨日は4月1日新会計年度の始まり、と共にエイプリルフールでした。 エイプリルフールの日は一日中”噓をついても良い”とされる世界共通の風習として定着して居ります。 但し、イギリスでは噓をつけるのは正午までとされています。 エイプリルフールが何時、何処で始まったのか、その起源は不明です。 然しながら、その起源説はインド、中国、ヨーロッパのフランス・イギリスなどでそれぞれに仮説が有り、世界共通の風習である事が分ります。 4月に咲く花・山吹 4月に咲く花・山吹(ヤマブキ)

お問い合わせ;

過日、横浜市神奈川区内の女性の方よりお電話を頂き; ”ご母堂様がご逝去、母子二人で倹しく暮らしていたが蓄えも無くどの様にして見送れば良いか分らず、教えて欲しい”とのこと。 実情をお伺いする為、面談のご了解を得てご自宅に急行致しました。 ご母堂様は急な病を得て往診医の診療の下でご逝去されましたが、 ご母堂様の蓄えを確認したところ残金は無く、ご自身にも余分な蓄えも無い事から途方に暮れて、ひかりの杜へ電話をされたとの事。

ひかりの杜よりのアドバイス;

まずは、お二人が居住されている神奈川区役所生活支援課に相談する事をお勧めし、 ご母堂様のご遺体保全の為のドライアイスを当てた上で神奈川区役所生活支援課に同行致しました。 生活支援課ではケースワーカーの方をアサインして頂き、実情を説明して支援をお願い致しました。 お話合いの結果、お二人を生活保護受給者として受理して頂く事となり、即日その手続きを行いました。 その結果、ご母堂様のお見送りは生活保護者に対する葬祭補助費用の範囲で営む事となりました。 蓮華草 4月に咲く花・蓮華草(レンゲソウ)

ご母堂様のお見送り;

最初にご母堂様のご遺体をご自宅に安置しておく事が難しいので、ご遺体をひかりの杜遺体安置所に移送させて頂きました。 葬祭補助の範囲ではご火葬のみを営む”直葬”でのお見送りとなりますので、火葬炉としてご自宅に近い横浜市久保山斎場を予約致しました。 ご火葬当日は、 先ず、担当者の手により、ひかりの杜遺体安置所内でご母堂様のご遺体をお浄めし、衣服を正してお柩にお納めし、横浜市久保山斎場に向けて出棺と成りました。 横浜市久保山斎場入口にてご息女と合流し、火葬炉前で最後のお別れをされ、荼毘に付されました。 ご火葬終了後は横浜市久保山斎場担当者の下で拾骨をされ、御見送りは滞りなく営む事が出来ました。 以上全ての費用は葬祭補助の範囲でお手伝いさせて頂き、ご息女が負担される費用は御座いませんでした。 今回は以上です。  

葬儀横浜神奈川区、保険求償での葬儀

3月31日は期末の最終日です。 最後の締めでお忙しい一日と拝察いたします。 48年前(昭和47年、1972年)の3月31日は横浜市民の足として多くの人々に利用されていた横浜市路面電車運行の最後一日でした。 横浜市電は明治37年(1904年)に運行を開始し、68年間に渡って運行され48年前の本日が最終運行日となりました。 横浜市電保存館の横浜市電車両
横浜市電保存館(磯子区滝頭3丁目)に展示されている横浜市電車両

ご遺族様からのお問い合わせ

過日、横浜市内の男性の方よりお電話を頂き ”ご妻女がご逝去、葬儀の費用は保険求償後の清算でも可能か?”との問い合わせをいただきました。 ”問題無く可能です”、とお答えして面談を希望し、ご了解を得て横浜神奈川区内の病院に急行致しました。

ご遺族様のご希望

ご妻女様は永らくの闘病生活の後にご逝去され、ご主人様も会社生活から退職後それなりの時間を経て居り、社会への告知は必要ないので、ご家族・近親者のみでお見送りしたい。 ご葬儀は仏式で営みたい。 但し、故人様・ご遺族様共に特定の宗教・宗派を信仰している訳ではないので、然るべき僧侶を紹介して欲しい。 ご葬儀の会葬予定人数は15名。 ご自宅でのご遺体安置が困難な為、葬儀社の安置所を利用したい。 葬儀費用の清算は保険求償入金後としたい。

ひかりの杜よりのご提案

-葬儀の導師として現代葬儀の原型を創り上げた曹洞宗の僧侶を推薦し、お布施・その他の費用に付きご説明。 -葬儀式場は費用的に廉価な横浜市営斎場のご利用をお薦めして、横浜市北部斎場の費用をご説明。 -葬儀費用は廉価でご利用し易い”ひかりの杜家族葬プラン”のご利用を推奨して、その内容と葬儀の流れをご説明。 -ひかりの杜遺体安置所の設備・費用をご説明。 -僧侶依頼の費用及び式場・火葬炉利用料は現金でご用意いただく必要があるが、ひかりの杜関連費用は保険金入金後の清算で良い旨をご説明。 以上のご説明、質疑応答をさせて頂いた後に見積書を提出させて頂き、ご承認を頂き申込書を受領して、ひかりの杜のお手伝いが確定致しました。 [caption id="attachment_5527" align="alignnone" width="300"]横浜市北部斎場 横浜市北部斎場[/caption] 今回は以上です。

葬儀横浜、新型コロナウィルスへの対応

この週末は横浜でも新型コロナウィルス拡散防止の為の外出自粛週末となりました。 横浜市内の多くのショピングモールも食料品売り場を除いてお休みとなって居ります。 この状態は治療薬やワクチンが出来上がるまでの半年から1年簡は続くのでしょうか。 地球地球

コロナウィルスに感染した方のご葬儀;

万一新型コロナウィルスに感染されてご逝去された方のご遺体は第二次感染を防ぐ為に、出来るだけ早期にご火葬されなければなりません。 従いまして、ご遺体は先ずご火葬を優先し、その後にご葬儀を営む事と成ります。

ご遺体の移送;

ご遺体の移送に当たっては第二次感染を防ぐ為に細心の注意が必要と成ります。 先ずご遺体は非透過性の納体袋にお納めして、完全な消毒を施します。(この作業には防護服が必要な為、病院の方にお願いする事となります)。 お柩へは納体袋に納められた状態でお納めする事となります。 お柩は医療機関から火葬場まで、直接搬送させて頂きます。 ご自宅での安置、ひかりの杜遺体安置所でのお預かりは出来ません。 ご遺体の搬送に当たり、ご遺族の方の搬送車・霊柩車への同乗は出来ません。 尚、ご遺体の搬送に際してひかりの杜担当者は、マスク、手袋、ゴーグル等を着用させて頂きますが、ご理解の程お願い申し上げます。 今回は以上です。  

葬儀横浜神奈川区、駅近くでのご葬儀

 いよいよ米国ワシントン・ポトマック公園の桜並木も見頃の季節となりました。 この桜の苗木は1912年(明治45年)3月27日、当時の東京市からアメリカ合衆国に贈与され、ワシントン・ポトマック川沿いに植樹されて、現代の春の風物詩となりました。 [caption id="attachment_5925" align="alignnone" width="300"]米国ポトマック川沿いの桜 [/caption]米国ワシントン・ポトマック川沿いの桜

お問い合わせ

過日深夜にお電話を頂き、”ご妻女様がご逝去、横浜神奈川区内の駅周辺での葬儀は可能か?”とのお問い合わせを頂きました。 ご希望に合わせてご用意可能とお答えをし、面談のご了解を得て、ご指定の病院に急行させて頂きました。 ご妻女様は永らく横浜神奈川区を中心として各種のボランティア活動に従事されて居り、 ご葬儀はご妻女様のご友人を中心にして営みたい。 ご友人の方々が公共交通機関を利用して参列頂ける様、駅から徒歩で来場頂ける式場をご希望。 ご葬儀は仏式(曹洞宗)で、会葬予定人数は約100名程度。 尚 菩提寺はお持ちでなく、曹洞宗僧侶の紹介をご希望。 又、ご遺体はひかりの杜での保管をご希望。

ひかりの杜よりのご提案

駅近くの式場としてJR京浜東北線東神奈川駅(京急東神奈川駅、旧仲木戸駅)近くの宗興寺会館をご紹介。 火葬場は廉価な横浜市営の横浜市久保山斎場(横浜西区内)をお薦め。 葬儀費用は廉価な”ひかりの杜一般葬プラン”のご利用をお薦めして、その内容と流れをご説明しました。 以上の概要と概算費用をご了解頂いた後、ご遺体をひかりの杜遺体安置所へ搬送させて頂きました。 [caption id="attachment_5926" align="alignnone" width="300"]宗興寺会館入口 宗興寺正面[/caption] 宗興寺会館はJR京浜東北線東神奈川駅より徒歩で7分程度に位置する、仏式で宗派は問わずにご利用頂ける大変交通の便の良い 私営の葬儀式場です。 お車で来場の方には 首都高速横浜線東神奈川ランプをご利用頂くのが便利です(所要5分)。 又、遠方より来られた参列の方々の最寄の宿泊施設と致しましては横浜駅東口に隣接する”京急EXイン横浜駅東口”のご利用をお薦め致します。 同ホテルはシングル6900円よりご利用が可能で、式場までは徒歩で15分、タクシ-利用の場合は7分(料金1000円以内)程度で到着が可能です。 宗興寺会館は国道15号線とJR京浜東北線の間に建立された寺院で、2階建の建物は1階が式場設備、2階が寺院本堂となって居ります。 1階は正面入り口を入りますと受付となり、受付の先に式場の部屋とお清め室とが襖を挟んで配置され、右手 お清め室の奥に親族控室・僧侶控室等が用意されて居ります。 式場は 席数40席 会葬者数百名の葬儀を執り行う事が可能となって居ります。 尚、宗興寺会館をご利用頂いた場合の火葬場はマイクロバスをご利用頂き、西区内の横浜市久保山斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。 今回は以上です。  

葬儀横浜神奈川区、横浜市北部斎場で一日葬

本日は3月25日、3月25日の花は”カキツバタ”です。 カキツバタはアヤメ科アヤメ属の植物で、その花言葉は”希望””信頼””友情”などです。 カキツバタカキツバタの花

小規模医療法人殿より;

過日、横浜神奈川区内の小規模医療法人殿よりお電話を頂き、”同院の患者様がご逝去、対応は可能か?”との問い合わせを頂きました。 お手伝いは可能、とお答えしてご指定頂いた患者様のご自宅に急行致しました。

ご遺族様のご希望;

故人様は高齢の男性の方で、”ご自宅で生涯をまっとうしたい”との故人様のご希望から医療法人殿より医師の往診を受けて加療中でありましたが、昨夜ご逝去されたとの事。 ご遺族様は故人様のご妻女とお嬢様のお二方。 故人様は永らく町内会の世話役なども務められた事から、広く故人様のご逝去を知らしめるべくご葬儀を営みたい。 但し、奥様は高齢で体力も十分では無い為、葬儀・告別式のみの一日葬で見送りたい。 ご葬儀は仏式で浄土真宗高田派の菩提寺ご住職をご導師として営みたい。

ひかりの杜よりのご提案;

前記のご希望を前提に; 1 式場は費用も廉価な横浜市北部斎場のご利用を推奨。 2 葬儀費用は一日葬である事から”ひかりの杜一般葬Lightプラン”のご利用を推奨して、その内容と流れをご説明。 3 プラン以外で追加ご希望可能な項目とその費用をご説明。 4 菩提寺へは故人様のご逝去をご連絡頂き、以降の詳細は全てひかりの杜担当者が対応する旨をお約束。 以上の内容をご理解頂き、見積書を提出、ご了解を得て申込書を受領、ひかりの杜でのお手伝いが確定致しました。   横浜市北部斎場

葬儀・告別式;

葬儀・告別式の前日にご自宅にて、 -ご遺族・ご近親の方々の手により故人様のご遺体は清められ、衣服を改めて、お柩をにお納めし、ご出棺となりました。 -その後はひかりの杜担当者の手でお柩は横浜市北部斎場に移送され、式場内に安置されました。 -当日、通夜は営まず、ひかりの杜担当者により式場・お柩の保全が図られました。 葬儀・告別式の当日は午前10時より、 約100名の方々の会葬を得て、浄土真宗高田派のご僧侶のご指導の下、葬儀・告別式・初七日法要・火葬・拾骨が営まれ、全て恙なく終える事が出来ました。 今回は以上です。    

横浜神奈川区、火葬儀(直葬)プランと僧侶読経

”寒さ暑さも彼岸まで”と良く言われますが、春のお彼岸明けとなる本日は生憎花冷えの日となってしまいました。 御萩(おはぎ) 現代日本に於いて、お彼岸の中日に食する事を常とする御萩ですが、古くは今年の豊穣祈願としての神への供物でした。

直葬のご依頼;

過日、男性の方よりお電話を頂き”ご尊父様がご逝去、相談に乗って欲しい”との問い合わせを頂き横浜神奈川区内のご自宅に訪問させて頂きました。 ご遺族様のご希望は; ーお見送りは社会に対する告示など必要無いので、通夜・葬儀は営まず、ご妻女・ご子息お二人の3名のみで静かにお見送りしたい。 ーご遺体はご自宅に安置し、ご火葬のみの直葬をご希望。

ひかりの杜よりのご提案;

前記のご希望を頂き、”ひかりの杜火葬儀プラン”のご利用を提案して、その内容と流れをご説明しました。 プラン外費用としては2日目以降、火葬炉利用日までのご遺体保全の為のドライアイス費用のみです。 ご利用頂く火葬場は横浜神奈川区のご自宅に最っとも近く、費用も廉価な横浜西区の横浜市久保山斎場をお勧めして、その費用をご説明しました。 以上の内容をご理解頂いた後、見積書を提出し、ご了解を頂いて、申込書を受領し、お手伝いを確定させて頂きました。 自宅家族葬

追加のご依頼;

ご了解を頂いたご提案の内容に基ずき準備させて頂いた後にご子息よりお電話を頂き、 ”その後考えるに、僧侶の読経無しに見送りを終えるのはあまりに寂し過ぎるので、自宅に曹洞宗の僧侶をお招きして法要出来ないか?”とのお話。 僧侶へのお布施、法要葬具のご利用費用、を前提としてお手伝い可能とお答えして、ご了解を頂き火葬場への出棺まえに法要を営む事としました。

ご火葬当日;

早朝にご遺族様の手で故人様のご遺体をお浄め頂き、柩の中にお納めしました。 そのお柩を居間に安置し、その前に簡易祭壇を設営し、法事に必要な五具足、木魚、鈴を配置して準備を整えました。 その後、曹洞宗僧侶をご導師としてご遺族お三方により法要が執り行われました。 以降、僧侶の同伴を得て、出棺、火葬炉前読経、火葬、拾骨と営まれ、ご遺族は納得して故人様をお見送りする事が出来ました。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、西寺尾火葬場での直葬

令和2年、新型コロナウィルスの嵐が吹き荒れる中、春のお彼岸も終えようとして居ります。 今年の中日は20日でしたが、ご先祖様や故人様を偲んでお墓参りに出かけられたご家族も多々居られた事と拝察致します。 彼岸花・曼珠沙華彼岸花/曼珠沙華(まんじゅしゃげ) 過日、ひかりの杜ホームページを見て頂いた男性の方よりお電話を頂き、”葬儀の相談に乗れるか?”との問い合わせを頂きました。 ”是非とも”とお答えして、ご指定の日時に港北区内のご自宅に訪問させて頂きました。

御家族様よりの希望;

現在、ご母堂様が港北区内の病院で病気加療中。 昨日、担当の医師より”万一の場合の準備を”との診断を受けたとの事。 ご母堂様はすでに高齢で、長期の入院加療を受けて居られる事からご友人も無く、葬儀式は営まずに火葬のみでお見送りしたい。 火葬はご自宅近くに所在する西寺尾火葬場での荼毘に付したい。 又、お柩の中のご遺体を飾るお花を用意して欲しい。

ひかりの杜よりのご提案;

ご家族様のご希望に従い、”ひかりの杜火葬儀プラン”のご利用を推奨し、その内容と流れを説明させて頂きました。 他に必要な費用として、西寺尾火葬場での費用明細、お花代、ご遺体の移送が深夜の場合、等に付きご説明。 以上の内容は”ご家族様が考えた費用の範囲内である”との事で、ひかりの杜へのご依頼を頂きました。 その後、万一の場合は24時間対応可能の旨をご報告して辞去致しました。 西寺尾火葬場 西寺尾 火葬場は神奈川区松見町 2 丁 目  に所 在す る、民間経営の火葬場です。 火葬場は鉄 筋 コ ン ク リート平屋造の 炉 棟で,炉数10 基 で横浜・川崎・東京都民に サービスを提供して居ります。 そ の 設立 は 大正13 年(1924年)6月5日とされます。 こ の 火葬場 は , 東京都大 田 区内 に 寺院 を有す る 個人 の経営です。 民 営で ある た め に,火 葬 炉 に 特 等 ・1 等 ・2 等 ・3 等の 格差 を 設 け て 居ります。 こ の 火葬場 は古くから営まれて居り、横浜市営 と思 い 込 ん で居られる方も多いかと思いますが、民間経営ですのでご理解下さい。 今回は以上です。  

横浜市港北区駅前でのご葬儀にあたってのご質問をいただきました

 いよいよ春分の日を迎え、日照時間も夜間の時間を超える日々、春爛漫の季節到来となりましたが、残念ながら新型コロナウィルスの為、制限の多い日々を過ごさなければなりません。 春のお彼岸に咲く・こぶしの花

ひかりの杜宛てにお電話を頂き、”ご母堂様がご逝去、ご遺体引取りにどの程度の時間で来れるか?”との問い合わせを頂きました。

車の混雑状況により差異が出来ますが1時間以内、通常であれば30分でお伺い出来ます。と回答し、了解を得て病院に急行致しました。

ご遺族様のご希望

1 ご母堂のお見送りは菩提寺(浄土真宗)ご住職による仏式ご葬儀をご希望。 2 会葬予定者数は約100名前後。 3 式場はご自宅の近くで、会葬者の便を考え駅の近くをご希望。

ひかりの杜よりのご提案

以上のご希望を前提に 葬儀式場は東急東横線妙蓮寺駅前の妙蓮寺斎場、火葬場は横浜市久保山斎場、葬儀は”ひかりの杜一般葬プラン”をご利用頂く前提で提案させて頂き、 ご了解を得て、ご遺体を病院からご自宅へ移送させて頂きました。

妙蓮寺斎場

妙蓮寺斎場は東急東横線で横浜駅から三つ目の妙蓮寺駅前に位置する私営の斎場で、大変交通の便の良い斎場であります。 又 お車で来場の場合は 首都高速神奈川1号生麦インター、もしくは 第三京浜道路新横浜インターをご利用頂き、いずれのインターからも15分程度の時間で斎場に到着が可能です。 遠方より来られた参列の方々にも、横浜駅周辺のホテルにお泊り頂き、東急東横線をご利用頂いて10分以内で斎場においで頂く事が可能です。 現在の妙蓮寺境内には二棟の葬儀式場棟が建てられおり、宗旨・宗派に係わらずこれらの式場を利用出来る形となって居ります。
妙蓮寺斎場第一式場
妙蓮寺斎場 第一斎場 正面

正門をくぐりますと左手に第一斎場があり、式場内席数100席 参列者500人規模の葬儀を営む事が出来ます。

又 右手墓地の脇の坂道を上りますと第二斎場があり、一階では式場内席数40席 参列者100名規模の葬儀が、二階では蓮華の間として席数10席 10名規模の家族葬と初七日法要を営む事が出来る別室が用意されて居ります。 第一斎場、第二斎場共に和室の遺族控室が付属して居り、5名前後の通夜仮眠が出来る様になって居り、浴室・シャワーも完備しております。

家族葬専用式場

妙蓮寺斎場には他に、家族葬専用の式場も用意されて居ります。 最大10名のご家族様が故人様との大切な思い出やお別れを語らい特別料理でお別れを惜しむ専用の空間が用意されて居ります。

ご遺体の保管

又 妙蓮寺斎場ではご遺体の保管設備が用意されて居り、ご遺体をご自宅に安置出来ない場合でも 斎場内に安置する事が可能です。

ご火葬

妙蓮寺斎場は交通の便の良さから 御選択頂くご葬家様がほとんどのケースですが、 妙蓮寺斎場をご利用頂いた場合の火葬場は マイクロバスをご利用頂き、近所の西寺尾火葬場(私営)、若しくは横浜市久保山斎場(市営)をご利用頂くのが一般的です。

長光山妙蓮寺

長光山妙蓮寺は日蓮宗の寺院で、1350年に現在の神奈川区神明町に妙仙寺の名称で建立されました。 明治時代 横浜線設営の為、移転を余儀なくされて、菊名池畔にあった蓮光寺を移転先として合併し、妙仙寺の妙と蓮光寺の蓮を合わせて妙蓮寺と改名し、現在に至って居ります。 今回は以上です。

葬儀横浜港北区、桜の花に囲まれて家族葬

今年も桜の季節が巡って参りました。 横浜市内も昨日3月15日に開花宣言がなされこれから2週間程は爛漫の桜を満喫できる季節です 菊名桜山公園(カーボン山)の桜花菊名桜山公園(カーボン山)の桜花

ご尊父様が事故でご逝去;

横浜市内の男性の方よりお電話を頂き; ”ご尊父様ご逝去、家族葬で見送りたいが、対応可能か? との問合せを頂きました。 具体的な説明をさせて頂くべく前提なしでの面談のご了解を得て、ご遺体が安置されている鶴見区の病院へ急行させて頂きました。 ご尊父様は元気に生活されていたが入浴中に意識を失い、気が付いたご家族の連絡で救急車により病院に搬送され、医師の処置を受けたが蘇生出来なかった、との事。 かかりつけ医師を持たないケースでのご逝去である事から所轄警察署の取り扱い案件となり、病院より港北警察署へ報告がなされました。 通報を受けて港北警察署係官が来院して、担当医師の同席の下検視がなされました。 その後、係官の指示に基いてご遺体を港北警察署にご移送し、鑑識係官の検視を再度受けた後にご遺体がご家族に戻されて、ご自宅に安置されました。 但し、検視医の検案が必要との事で、翌日港北警察署より指定された横浜市中区の検視医医院にご遺体を搬送し、検案を受けて死体検案書が発行され、故人様の自然死が確定しました。 横浜市内の場合 この間のご遺体の搬送費用、及び 検案の費用(2万円~7万5千円、状態により費用は変化、現金での支払いが必要)はご遺族の負担となります。 その後、改めてご遺体をご自宅に移送して安置させて頂きました。

新横浜駅前公園の桜花新横浜駅前公園の桜花

ご遺族のご希望;

鶴見区内の病院でご遺体の検死を受けている間にご遺族様のご希望をお伺いしました; 1 横浜市内に檀家寺をお持ちで、そのご住職を導師として浄土真宗の作法に従いお見送りをしたい。 2 ご葬儀の式場はご自宅の近くで、会葬者は親族のみ10名で限定。 3 通夜式後のお清めの席は 10名のみでゆっくり食事を楽しみたい。 4 故人様はこよなく桜を愛されて、季節になるとご妻女と共に日々桜を見に散策されて居られたとの事。 以上のご希望をお伺いして、ひかりの杜家族葬プラン、通夜式・葬儀式・初七日法要の式場は妙蓮寺斎場家族葬専用式場、式場祭壇は上部に花を付けた桜の枝をかざして設営、お料理は式場指定の懐石コース(1万円/名)、ご火葬は横浜市久保山斎場、を前提としてご提案させて頂き、ご了解を得てお手伝いさせて頂く事となりました。 今回は以上です。

葬儀横浜港北区、江戸時代の葬送

今回は葬儀横浜港北区、江戸時代の葬送に付いて書かせて頂きました。 金沢区富岡総合公園の桜金沢区野島公園の桜 室町・安土桃山時代をこえて江戸時代に入ると、農村を中心とする共同体の構成は変化し惣村に於ける寺院・道場の位置付けも変化して行きます。 その上で寺院と家の関係はより強いものと成り、庶民も墓を持つ様に成りました。

村落と寺院;

江戸時代に入りますと、惣村を支配してきた大百姓は徐々に没落して行き、村は平均的な本百姓によって構成される様に成ります。 それに伴い、大百姓の菩提寺であった寺院や道場はそれぞれ独立をして、村惣堂や惣道場となり地域共同体の精神的な支柱となり、共同体内の結びつきを強化する糧と成ります。

一家一寺;

江戸時代初期の段階では、家の構成員である夫と妻女が別々の寺院に帰依する事も許されて居り、寺院の檀家制度はそれ程明確ではありませんでした。 然しながら17世紀も後半に入ると、江戸幕府による寺請制度の推進と、自立した農民層が広く構成され始めた事と合わせて、一家一寺の関係が確立して行きます。 一家一寺の制度は、祖先崇拝を強め、一家の菩提寺として寺院の財政基盤を支える事となり、葬祭・仏亊を寺院に委託するが定着します。 金沢区富岡総合公園の桜金沢区富岡総合公園の桜

庶民とお墓;

安土・桃山時代までの庶民が墓石を備えた墓を持つことはありませんでした。 江戸時代に入り、庶民にも家制度が取り入れられ、寺院と檀家の関係が確立して行くと、自家の墓を建てる事とが普及して行きました。 それまでの庶民は、地域共同体内の墓地と指定された区域に順次埋葬したり、放置したり、して居りました。 それが、家制度の確立と共に自らの墓を所有する様になります。 日本の近世、農民階級の自立により、家制度が創りあげられ、先祖崇拝と家の象徴として墓が建てられる事と成ります。 今回は以上です。

葬儀横浜港北区、室町時代農村の確立と庶民の葬儀

今回は葬儀横浜港北区、室町時代農村の確立と庶民の葬儀に付いて書かせて頂きました。 室町幕府第三代将軍・足利義満室町幕府第三代将軍・足利義満 中世日本で人口の中心であった農民社会は平安・鎌倉時代の荘園・有力名主を中心とした農民結合から、室町時代には農民による自治組織・共同体とする惣村へと変化して行きます。 惣村は地域共同体を守る為の規則を持ち、検察・裁判機能を持って治安を維持し、他共同体に対する闘争組織でもありました。

中世日本の民衆の葬儀;

現在の葬儀原型は鎌倉、室町時代に出来上がったというのが定説です。 それと共に貴族、上級武士だけではなく一般民衆にも葬儀の習慣が少しずつ浸透し始めました。 それまで民衆の遺体は川原や野原などに放置されて居りました。 時にはそれが余りに酷い為 鎌倉幕府は遺体をむやみに放置せぬ様 通達を出しております。

仏教の普及と民衆葬儀;

鎌倉・室町時代、浄土宗開祖法然、浄土真宗開祖親鸞、どが親孝行の実遷のひとつとして葬儀を行うよう推奨しました。 さらに葬儀の型式は何故か自己修養が主体である禅宗により整えられ、その型式が各宗共通の型式となり全国へ普及していきます。 インド仏教の葬儀は簡単な儀礼のみでしたが、中国に伝わり道教の中で形が整えられ、日本に伝来し禅宗の中により多くの知識が蓄積されてゆきました。 鎌倉、室町時代は兵農一体の時代であり、織田信長の兵農分離まで農民は日々田畑を耕すとともに、領主の意向に応じて戦に出る生活でした。 従いまして一般民衆にとって 死は身近な存在でありました。 鎌倉幕府による遺体放置禁止令、また浄土宗・真言宗・浄土真宗・日蓮宗などの布教活動のもと、埋葬の習慣が少しずつ定着していきます。 もちろん費用の掛かる火葬などは出来ませんので、墓地にて僧侶による簡単な葬礼の後土葬される様に変化して行きます。 日本古来の宗教である神道では死は忌むべきもので有りますが、身近な問題でもあり、墓地は所有する土地の中の家から一番離れた場所、例えば田畑の片隅もしくは惣村の共同墓地などに埋葬される様になります。 葬礼型式も各宗派ごとに決まりは有りますが、地域の文化と融合し地域独特の葬礼型式が出来始めるのはこの時代からです。 鹿苑寺金閣鹿苑寺金閣

仏教の民衆化と葬儀;

惣村が形成される事により自立した農民達は経済的な余裕も出来始め寺院を支える事が可能と成ります。 この状況を背景に仏教の各宗派は各地に進出して、寺や道場が造成され、仏教の民衆化が進捗します。 惣村を中心とする庶民に葬祭の営みを強く推し進めたのが浄土宗でした。 又、曹洞宗、真言宗、日蓮宗、浄土真宗(一向宗)などの各宗派も葬祭を中心として信徒の拡大に努めました。 そこから、民衆の間での葬祭仏教化が顕著となって行きます。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、鎌倉時代の葬儀

今回は葬儀横浜港北区、鎌倉時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。 金沢自然公園(金沢動物園)の桜金沢自然公園(金沢動物園)の桜 現代日本で一般的に営まれて居ります仏式葬儀の原型は鎌倉時代の禅宗の葬送儀礼に始まるとされます。

葬儀式場;

この時代、仏亊は龕堂(がんどう)と火葬場の二ヶ所で営まれて居りました。 龕堂とは故人様のお柩を安置しておくために造られる建物を言います。 龕堂はお寺や自宅の片隅、若しくはご遺体を火葬する火屋に対面する形で建てられました。 現代日本で営まれる葬儀式の原型は龕堂での仏亊であり、龕堂が葬儀斎場であるとも言えます。

葬儀式次第;

まずは、ご遺体を湯灌し、剃髪して、新しい清浄な着物をお着せします。 その上でご遺体を棺に納めて、龕堂内に安置し、棺を袈裟などで覆いました。この袈裟が現代の棺覆いの原型と考えられます。 安置した柩の前に小机を置き、その上を白内敷で覆い、祭壇とします。 祭壇には、花・香炉・燭台(現代の三具足)を供え、他に故人様が愛用した道具類も供えました(現代の枕飾り、祭壇に該当)。 以上を整え終えた後、一同が参集して仏亊が営まれます。 僧侶が法語を唱え、焼香し、茶湯を献じ、読経、回向と続きました。 通夜式・葬儀式

式場内の造作;

この時代、龕堂にお柩を安置した後に部屋の周囲には白幕が張り巡らされました。 又、お柩を安置した後に、故人様の肖像画を須弥壇に飾る”掛真(かしん)の儀式”が営まれました。(現代のご遺影につうじます。)

ご火葬;

ご火葬の当日の夕刻に出棺の儀礼を行い、葬列を組んで火葬場(火屋)に向かいます。 火葬場では仏亊を営み、その後にお柩は荼毘に付されました。 翌朝、近親者は火葬場に赴いて、故人様の焼骨を拾骨して、ご自宅又は寺院に安置して、安位仏亊を営みました。 鎌倉時代の禅宗では、龕(棺)前、移龕、鎖龕、起龕、火屋と、ご遺体を移動させたり故人様に加持を営む毎に仏亊を重ねる事が基本でした。 然しながら、時代と共に簡略化されてゆき、自宅(葬儀式場)と火屋での仏亊のみへと変化して行きました。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、禅宗の葬儀

今回は葬儀横浜港北区、禅宗の葬儀に付いて書かせて頂きました。 道元禅師・日本曹洞宗の開祖道元禅師・日本の曹洞宗開祖

禅苑清規;

禅宗寺院での行事、制度等について述べられた書としては”禅苑清規”が御座います。 禅苑清規は禅宗の清規を述べた書としては現存する最古の書籍であり、中国の宋の時代に雲門下七世、慈覚大師宗賾により編纂されました。 日本の禅宗に於いても禅苑清規を基にして、受戒、上堂、監院、知客、化主、葬送儀礼等が営まれます。

亡僧喪儀法(ぼうそうそうぎほう);

禅宗僧侶の葬儀は、出家した僧侶の葬儀次第を定めた”尊宿喪儀法(そんしゅくそうぎほう)”と、修行の途上で亡くなった僧侶の葬儀次第を定めた”亡僧喪儀法”の二つに分かれて居ります。 尊宿喪儀法は亡くなった僧侶とその弟子達に弔意を示すことが中心で、 亡僧喪儀法は死に臨み修行途上の僧侶の心中を拝察して、仏法の真理を伝授しようとする願いが中心と成りました。 この亡僧喪儀法を基にして、浄土教や密教の理念が加えられ、念仏や往生祈願なども摂り入れられて、武士や在家の葬法(壇信徒喪儀法)が確立して行きます。

壇信徒喪儀法;

現在の仏教葬儀の原型は亡僧喪儀法から発展して制度化されました。 その主旨は、故人様のお経を読んで覚りを得させ、僧にする印として剃髪し、戒名を授け、引導を渡して成仏させることです。 これらは作法は故人様をご逝去後に僧侶とすることから”没後作僧”と呼ばれます。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、日本に於ける仏式葬法の始まり

今回は葬儀横浜港北区、日本に於ける仏式葬法の始まりに付いて書かせて頂きました。 曹洞宗大本山総持寺・横浜市鶴見区曹洞宗大本山総持寺・横浜市鶴見区

現代日本の仏教葬;

現代の日本に於けるご葬儀はそのほとんどが仏式で営まれて居ります。 日本に於ける仏式のご葬儀の形態は中国・朝鮮半島を経由して伝来した後、徐々に日本古来の宗教神道と融合しながら日本文化に浸透して行きました。 平安時代にはそれなりの儀礼形式が創りあげられてゆき、鎌倉時代の禅宗(曹洞宗)伝来によりその原型が出来上がったとされます。 現代の仏式葬儀の多くは、仏弟子となる為の戒を授ける授戒と、亡者を悟りの彼岸(西方浄土)に導き済度するための引導が、儀礼の中心となって居ります。 これは浄土真宗を除く全ての宗派で共通して居ります。

仏教葬の軌跡;

仏教が誕生したインドに於ける当時の葬儀儀礼は、ご遺体の火葬の際に”無常経”をとなえる程度でした。 その後中国に伝わり、現地の儒教の葬送儀礼の影響を受けて、儀礼は整えられてゆきました。 特に禅宗ではその影響を強く受けました。 禅宗の規範を示した書籍の一つとして、現存する最古の文書に”禅苑清規”と題された書籍が有り、その中に書かれている葬送儀礼が仏教葬儀の原型であるとされます。 曹洞宗大本山永平寺・福井県吉田郡永平寺町曹洞宗大本山永平寺・福井県吉田郡永平寺町

禅苑清規;

禅苑清規とは、禅苑は禅寺を指し、清規とは規範を現します。 中国宋の時代に作成され、全10巻から成る禅宗の規範を定めたもので、禅僧の行履の諸職や日常の行法などを記したものです。 禅苑清規は鎌倉時代に宋(中国)に渡り修学した後、日本に帰国して曹洞宗を開いた道元禅師によりもたらされたとされます。 禅苑清規の中に書かれている、禅僧に対する葬送儀礼を元にして、現代日本の葬送儀礼の原型が出来上がったと言われて居ります。 鎌倉時代は貴族階級が没落し、武士が興隆して、民衆は厄災苦難に悩まされた時代でもありました。 この様な背景のもとに 浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗が登場します。 禅宗の葬儀では出家である僧侶の葬儀作法を定めた尊宿喪儀法と、修行の途上で亡くなった僧に対する葬儀作法を定めた亡僧喪儀法との2っに分かれておりました。 尊宿喪儀法は逝去された僧侶とその弟子達に弔意を表す事が中心で、亡僧喪儀法は修行途中で逝去した僧侶の心中を察っして、仏法の真理を伝授しようとする願いが中心となりました。 この亡僧喪儀法に浄土教や密教の念仏や往生祈願が取り入れられて発展し、武士や在家の葬法(壇信徒喪儀法)と成りました。 在家の葬儀作法は亡僧喪儀法から発展して制度化されたものですから、死者にお経を読んで仏の悟りを得させ、僧にさせる印として剃髪し戒名を授け、そして 引導を渡して成仏させます。 これを、死後に僧侶にする事から”没後作僧”とよばれます。 現在の仏教葬儀に於ける作法の原型はここにあります。 今回は以上です。

葬儀横浜港北区、鎌倉・室町時代の貴族。武士の葬儀

今回は葬儀横浜港北区、鎌倉・室町時代の貴族。武士の葬儀に付いて書かせて頂きました。 鎌倉の大仏鎌倉市長谷、大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)本尊・鎌倉大仏 日本国に於ける葬儀の形態は平安時代に仏教を基にして、その原型が造られ、鎌倉時代には次第が定着して行きます。

吉事次第;

鎌倉・室町時代の貴族や武士階級の葬儀の次第を記した文献として、”吉事次第”(著者、作年不詳)があります。 この中には、当時の天皇・貴族の間で行われた葬儀の概略が書かれて居ります。

この時代には蔡事或いは凶事という言葉が忌み嫌われ、葬儀のことを吉事或いは勝事とよんで居たと考えられます

鎌倉時代の仏教界;

 鎌倉時代には 浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗が興されました。 貴族階級は没落し、武士階級が興隆し、民衆は厄災に悩まされる事に成ります。 日本に於ける 武士や庶民の葬法はこの時代から出来始めて居ります。 その基になるのは中国で編纂された禅宗の葬法で、本来は僧侶の為の葬法ですが それに手を加えて武家や民衆の葬法と変化して行きました。

鎌倉市の花・りんどう鎌倉市の花・りんどう

鎌倉時代の仏式葬儀;

吉事次第には 以下のように書かれて居ります。 まず人が亡くなると寝床を北枕に直し、衣を上にかけてご遺体を覆い、枕元に屏風を逆さに立て、燈火に火を灯し、葬儀が終わるまで消えない様に守る。 香は燈火の火を点けて焚く。 夏は酢を容器に入れて死臭を消す。 人々は屏風の外に待機し、僧侶は死者に真言を唱える。 棺は木製で長さ6尺3寸、幅1尺8寸、高さ1尺6寸を標準とする。 棺の中には香や土器の粉を敷き詰め、ご遺体が動く事を防ぐと共に、ご遺体から漏れる体液を吸収する事に役立てる。 納棺は褥のままご遺体を納め、その上に梵字を描いた布で覆う。 そして、頭、胸、足の三カ所に砂をふりかけ、蓋を閉じて葬儀の時まで北枕で安置する。 葬儀は夜間に執り行い、葬儀後は葬列を組んで貴所屋(火葬の為の仮屋家)に送り荼毘に付す。 拾骨は焼骨をカメに納めて光明真言をもって土砂加持をし、蓋をして白の皮袋に包む。 そのご遺骨は三昧堂に納める。 葬儀・火葬が終れば貴所屋を取り壊し、その後にお墓を作って卒塔婆を建てる。 この当時は葬儀の後、魚鳥などを放して死者の冥福を祈る習慣も有りました。 七七日と一周忌の法要は以前から有りましたが、この時代から三回忌や十三回忌の法要が営まれる様に成りました。 今回は以上です。

葬儀横浜港北区、極楽往生の為の葬儀

今回は葬儀横浜港北区、極楽往生の為の葬儀に付いて書かせて頂きました。 比叡山延暦寺根本中堂(本堂に相当)比叡山延暦寺根本中堂(他寺院の本堂に相当) 西暦986年比叡山内横川に於いて25名の僧侶により結成された二十五三昧会は以降の仏教界、そして葬儀のあり方に多くの影響を与えました。 二十五三昧会は極楽往生を希求して結成された念仏結社であり、死後の葬祭の在り方と、浄土教の世界を作り上げてゆきました。

二十五三昧講;

二十五三昧会の思想は日本国内に広く影響を与えます。 以降、日本各地で二十五三昧講が作られる様になり、多くの念仏集団が務めを果たす様になります。 こうした念仏講は”疑̪死再生の逆修”という考えを生むようになります。 すなわち、一度往生する事により穢れが清められ、病気が治り、長生きが出来、最後には安楽死で往生できる、という信仰で民衆の間に広まりました。 二十五三昧会は臨終行儀と死後の世界を大切にした結社でしたが、後には死後の世界が中心へと変化して行きました。 平安時代末には寺院である往生院は臨終に際してのものではなく、死後の葬祭に事へと変化して行きました。 比叡山の草花・かきのはぐさ比叡山の草花・かきのはぐさ

恵心僧都源信;

二十五三昧会結成の中心人物の一人であった恵心僧都源信は三昧会結成の前年に”往生要集”(極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書)を著しました。 往生要集は1部3巻からなり、巻上は第1章から第4章まで、巻中は第5章から6章まで、巻下は第7章から10章までの総十章で記され; 巻上では、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説き。極楽浄土に生れる十楽を説き、 正修念仏--浄土往生の道を明らかにしました。 巻中では、念仏修行の方法論、臨終の念仏を説き。 巻下では、 念仏利益--念仏を唱えることによる功徳、 念仏証拠--念仏を唱えることによる善業、 往生諸行--念仏の包容性、 問答料簡--何よりも勝れているのが念仏であると説き。 念仏による浄土信仰の全てを記した教科書ともいえます。 そして、浄土教の宗教家の多くは地方へと、民衆の中えと入って行き、念仏三昧の浄土教は民間葬祭の中心となって行きます。 今回は以上です。    

葬儀横浜港北区、浄土教の世界

今回は葬儀横浜港北区、浄土教の世界に付いて書かせて頂きました。 滋賀県大津市の花・叡山すみれ滋賀県大津市の花・叡山すみれ 平安時代に阿弥陀聖と尊称された空也上人とその集団が提唱した”阿弥陀仏の本願に基ずいて、観仏や念仏によって浄土に往生しよう”とする教えは浄土教として民間仏教を広げると共に、僧侶の世界にも浄土教として浸透して行きました。

二十五三昧会;

二十五三昧会とは慶滋保胤(よししげのやすたね)と恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)を中心として比叡山の僧侶25名により結成された浄土教の死の結社です。 この集団は毎月15日に集まって念仏三昧をし、”最後臨終には相助けて教えを念仏せしめん”と、臨終の床にある仲間には皆で助けて念仏させ、極楽浄土に往生させようしました。 25名の同志の中で病人が出ると皆で看病し、病が重くなると往生院と呼ばれる建物に移し、励まし合って死に臨んでいる同志僧侶の心が乱れぬ様にしました。 同志僧侶が逝去すると、ご遺体に光明真言をもって土砂加持をし、3日のうちに墓所に卒塔婆一基を建てて葬りました。 同志僧侶の葬式には必ず出席し、四十九日までは七日毎に集って念仏を修しました。 そして、春秋の2回同志僧侶は集って念仏を修し、過去帳に名前を記し、祥月命日にも供養したといわれます。 滋賀県大津市の木・山桜滋賀県大津市の木・山桜

臨終行儀;

臨終に際しては、西方を向いた阿弥陀仏の前に病者を寝かせ、阿弥陀仏の右手に五色の糸を付け、病者の左手にその糸を結んで、念仏を唱える中で寝入る様に逝去すると、極楽浄土への往生は間違えない、と言われました。 この二十五三昧会での臨終の作法が”臨終行儀”と言われる様になります。 臨終に際して阿弥陀仏に帰依して念仏を唱え極楽往生を願う作法は、日本における葬儀の作法として定着して行きます。 この臨終行儀としての念仏が現代に於ける枕経の原型であるとされます。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、仏教の庶民への広がりと葬儀

今回は葬儀横浜港北区、仏教の庶民への広がりと葬儀に付いて書かせて頂きました。 奈良県の花・奈良八重桜奈良県の花・奈良八重桜

私度僧と聖(ひじり);

奈良時代、僧侶となり出家する為には朝廷の許可が必要であり、官度(かんど)と呼ばれました。 許可を得ずに出家する事は、私度(しど)として禁じられて居り、民間布教活動は禁じら、制限がされて居りました。 然しながら、奈良時代も中期を過ぎると私度僧が多く現れはじめ、庶民に対する布教活動が盛んと成ります。 この私度僧は”菩薩”あるいは”聖”と呼ばれて民衆から慕われました。

民間仏教の指導者とその集団;

奈良時代に於ける民間仏教の指導者として、その頂点に立つのが行基上人です。 民間仏教に制約を加えていた朝廷もやがてその活動を評価せざるを得なくなりました。 行基上人は東大寺の大仏殿建立にあたって聖武天皇より造立の実質的責任者として招聘され、後に日本で初めての大僧正の位が授与されました。 ”続日本紀”には行基集団が”死魂(しこん)を妖祀(ようし)す”とあり、集団が死者の弔いに従事していた事を伺わせます。 又、行基上人の弟子である志阿弥(しあみ)が火葬の技術を伝え、三昧聖(さんまいひじり)になったとの伝承も御座います。 六波羅蜜寺所蔵、空也上人京都市東山区六波羅蜜寺所蔵・空也上人像

空也上人とその集団;

行基上人の集団の系譜にあって平安時代に活躍するのが、”阿弥陀聖”あるいは”市聖”と尊称された空也上人です。 空也上人は口称念仏の祖、民間に於ける浄土教の先駆者とも評価されて居ります。 阿弥陀仏の名を唱えると阿弥陀仏の絶大な力を働かせる事が出来るとして、民間念仏は死者儀礼や農耕儀礼と結びついて仏教の民衆化を推し進める事と成りました。 念仏は呪力を持ち、死者の滅罪に力があると信じられました。 又、空也上人の集団も火葬に従事していたと考えられて居ります。 こうした民間仏教の広がりは仏教の民衆化を推し進めると共に、民衆の葬儀の仏教化も推し進める事と成りました。 今回は以上です。

葬儀横浜港北区、平安時代の葬儀Ⅱ

今回は前回の続き葬儀横浜港北区、平安時代の葬儀Ⅱに付いて書かせて頂きました。 京都の草花・嵯峨きく京都の草花・嵯峨きく

平安時代中期の天皇の葬儀(新谷尚紀著”日本人の葬儀より);

前回は日本国第66代一条天皇の臨終、納棺、葬送までを書かせて頂きましたが、以降は;

拾骨と納骨の次第

7月9日、前日より夜を通して営まれた荼毘は朝6時におわる。 御骨を皆で拾い、4升程の白磁の壺に納めて、天台座主慶円僧正が光明真言を念誦(ねんじゅ)する。 骨壺は京都の円成寺に移動。 その後、入れ替わり御骸骨所(みがいごつどころ)に人々が伺候(しこう、側に付いて奉仕する事)し、阿弥陀護摩も行われる。 7月20日、御骨を奉納する三昧堂のような小堂を円成寺に造り、奉納。

法要の次第

8月2日、七七日の法要。 8月11日、七七の正日にも法要を行う。 9月12日、月例の御念仏を初めて行う。 翌年5月27日、京都円教寺にて一周忌の法要を繰り上げて行う。 6月22日、一周忌の正日、法要を行う。 これで葬送の行事は全て終了しました。 京都市の木・たかおかえで京都市の木・たかおかえで

現代にも伝えられる葬送の儀礼;

一条天皇の葬送儀礼は現代の葬送儀礼にも多く通じるものが有ります。 先ず第一には危篤状態で念仏を臨終作法として行った事、現代でも宗派、地域によっては営まれて居ります。 納棺に先立って沐浴を行った事(現代の湯灌に通じる)。 納棺に際して近親者が形代(霊が依り憑く為の人形など)を収めた事。 出棺に先立ち儀礼が行われ、柩は輿に乗せて運ばれ、出棺には通常の出入口以外が使用され、葬列が組まれた事。 荼毘の前に儀礼が営まれ、荼毘に立会い、拾骨が行われた事。 又 帰宅する前には浄めが行われました。 七七日の法要、一周忌の法要を営むなど、日本の葬送儀礼の習俗はこの時代に原型が整えられたと考えられます。 今回は以上です。        

葬儀横浜港北区、平安時代の葬儀

今回は葬儀横浜港北区、平安時代の葬儀に付いて書かせて頂きました。 京都の花・しだれ桜 京都の花・しだれ桜

平安時代に現代葬儀の原型が定着;

平安時代とは、西暦794年日本国第50代天皇である桓武天皇により都が奈良から京都へと遷都されます。 以降、鎌倉時代が始まるまでの360年簡の平安京を中心とした期間を示します。 平安時代には天台宗と真言宗が誕生し社会に大きな影響を与えました。 この時代に天皇家の葬儀は仏式で営む事が定着します。 天皇の御体(ご遺体)は火葬が基本となり、平安京鳥部野(現在の京都市東山区)に荼毘所(火葬場)が設けられました。 そして、遺骸を埋めた場所には石の碑や卒塔婆を立て、墓標としました。 初七日、七七日などには読経をし、一周忌には「御はての業(わざ)」と名づけ供養をしました。 この日には重服の人も喪服を脱ぎ、平服に改めました。 一周忌法要が最後の法事で、この時代には三回忌、七周忌はまだ行なわれて居りませんでした。 京都の草花・なでしこ京都の草花・なでしこ

平安時代中期の天皇の葬儀;

日本国第66代天皇、一条天皇の葬儀は以下の通りでした。(新谷尚紀著”日本人の葬儀”より)

臨終と納棺

6月22日、危篤状態の中で時々念仏を唱えていたが、正午頃に崩御。 6月25日、陰陽師を召して、葬送に日時、入棺の日時、墓所の方角、などを占わせ、深夜に入棺。 入棺作業には天台座主慶円僧正をはじめ数名の僧侶、諸卿数名が奉仕。 皇后や宮たちが形代を柩に納める。

葬送の次第

7月8日、葬送、素服を裁縫し、人々は着用。 慶円僧正が呪願を行い、院源僧都が導師を務める。 出棺に際して、御輿の前を2人が松明を持って先導、築垣を壊して道路に出る。 葬列には松明を持った近習が10名、香炉を首にかけて従う役、黄幡を持つ役などが続いた。 火葬場である御竈所(もかまどころ)で出棺の時と同様に導師、呪願が行われ、僧も立ち会って荼毘を行う。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、法華三昧

今回は葬儀横浜港北区、法華三昧に付いて書かせて頂きました。 天台宗、法話(蓮の花)天台宗 蓮の花

天台宗による仏教の変化;

平安時代初期、日本の仏教は朝廷を中心とした特定上流階級のための宗教から、幅広く人々への宗教へと変化を始めます。 その始まりは天台宗の宗祖、伝教大師最澄によります。 最澄は平安時代初期に唐(現在の中国)に渡り浙江省天台県の天台山を発祥の地とする天台教学を修学して日本に戻り、比叡山延暦寺でにて天台宗(正式名称は天台法華円宗)を起こしました。

比叡山法華三昧堂;

伝教大師最澄は比叡山に法華三昧堂を建立し、法華三昧を日本に初めて紹介しました。 そして、法華三昧は天台宗第三世座主により広められ増した。

法華三昧;

法華三昧とは、法華経を読経する事によりその身は清められ、罪障(悟りをひらいたり極楽往生したりする上で、妨げとなる罪(悪い行い))が消滅するとの考え。法華懺法とも呼ばれる。 三味とは心を一つに集中して余念を抱かぬ事を言います。 法華三昧は比叡山延暦寺に於ける日常修行の一つで、”朝題目、夕念仏”とも言われます。

死者供養の為の法華経;

その後、法華経を唱えると死者の霊が清められ、減罪され、極楽往生が出来る、との信仰が強まって行きました。 その信仰により葬儀が重んじられる様になり、三昧聖による法華経の読経は、死者の供養や菩提を弔う為に必要な儀礼とされるようになります。

三昧堂;

法華三昧が広まると共に天皇家や貴族のご遺骨は法華三昧堂に納める事が一般化して行きました。 それに伴い、納骨の為の法華三味堂が各地で建立されるようになりますが、その納骨堂は三味堂とも法華堂とも呼ばれるようになりました。 更に時代が進むと、ご遺骨は寺院に納められる様になり、現在に至ります。 今回は以上です。    

葬儀横浜港北区、仏教と天皇家の葬儀

仏教は葬儀横浜港北区、仏教と天皇家の葬儀に付いて書かせて頂きました。 聖徳太子 新井薬師寺16才の聖徳太子像 新井薬師寺

仏教公伝(ぶつきょうこうでん、仏教伝来);

紀元前5世紀、ネパールのルンピニで誕生した仏教は広く東南アジア、中央アジアを経由して中国に伝わり開花します。 そして、朝鮮半島を経由して6世紀半ばに百済国王・聖明王より飛鳥朝廷に伝来しました(仏教公伝)。 日本に伝来した仏教は政治の中心であった天皇家に受け入れられ、以降明治維新までの間天皇家の葬儀は仏式が基本とされました。 7世紀前半に営まれた聖徳太子の葬儀には仏教の僧侶が関わりを持つたといわれます。 持統天皇持統天皇、百人一首

持統天皇の葬儀;

持統天皇は日本国第41代の天皇で3人目の女流天皇です。 持統天皇は朝廷が奈良に遷都する7年前に崩御され、その葬送の儀礼は仏式で営まれ、その御体は荼毘(火葬)に付されました。 そのご葬儀は持統天皇自らの違勅により、倹約をむねとし、素服(そふく)・挙哀(きょあい)は禁止されました。 素服とは質素な白服で、素服を着用して喪に服するのが基本とされました。 挙哀とは”ああ、悲しいかな”と唱えて礼拝する事で、素服・挙哀共に仏教伝来以前の葬儀の基本をなすものでした。 これらは葬儀をおおげさにする象徴として禁止されたと考えられます。 持統天皇は西暦703年12月22日に崩御され、25日に四大寺(大宮大寺、川原寺、飛鳥寺、薬師寺)で設斎(法要)。 29日に西殿にて殯(もがり)。 1月5日大安寺他3寺院で設斎。 2月17日(四十九日)に四大寺他33ヶ寺で設斎。 4月2日、御在所で百日の斎を設ける。 以上の事から、初七日、中陰、百ヶ日の法要が営まれて居りました。 12月17日、”しのびごと”、”おくりな”、飛鳥岡にて火葬。 ”しのびごと”は故人の徳を讃える事、”おくりな”は死後に故人に称号を贈る事です。 そして、崩御後1年を経て、12月26日大内陵に埋葬されました。 今回は以上です。  

葬儀横浜港北区、火葬の歴史

今回は葬儀横浜港北区、火葬の歴史に付いて書かせて頂きました。 地蔵菩薩地蔵菩薩

日本の火葬の始まり;

現代の日本に於きまして、ご遺体の火葬はごく一般的な葬法で、特別な事例を除いてほぼ100%の故人様が焼骨となって埋葬されて居ります。 日本で火葬が始まった時期ははっきりしませんが、日本国内各地の縄文時代の遺跡からも、時々火葬骨が出土される事から、古くより特定の人に限り火葬が行われていた事が伺われます。 とは言え、ご遺体の火葬が葬法の一つとして確立されるのは仏教の伝来によるとされるのが通説となって居ります。 仏教は西暦538年(552年説もあります)百済の聖王により日本に伝えられました。 仏教に於いては、教祖である釈尊(お釈迦様)のご遺体が荼毘に付された事から仏教の葬法の基本は火葬として居ります。 記録によれば西暦700年に営まれた飛鳥寺の僧侶道紹のご火葬が初めての火葬と言われて居ります。 そして、人工的にご遺体を焼却する葬法の火葬は、”白骨化は成仏の徴(しるし)”とする仏教による火葬の意味付けをもとにして、日本人の社会に浸透して行く事と成りました。

火葬の広がり;

”続日本記”によれば、前述のとおり日本で最初に火葬された人は、文武天皇4年(700年)に火葬された僧道紹であります。 また最初に火葬された天皇家は、大宝2年(西暦702年)に崩御され、殯(もがり)の儀礼を終え、大宝3年に荼毘に付された持統天皇でした。 又、兵士の火葬も法律によって定められており、大宝元年編纂の『大宝律令』には、”行軍中の兵士が死んだ場合は焼いてその場に埋める”ように記述されておりました。 東国の防人が死んだ際も、柩を給付して焼くようにという記事もあります。 天皇が火葬される以前から兵士の火葬は規定されていることです。 持統天皇の火葬以降、倣って上級の役人、公家、武士の間にも火葬による葬法が広まってゆきました。 今回は以上です。  

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