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浄土派(鎌倉仏教浄土派)

 今回は浄土派(鎌倉仏教浄土派)に付いて書かせて頂きました。

 鎌倉時代は 平安時代末期の混乱から 武士階級の社会が出現した時期であり、仏教界でも それまで貴族を対象とした仏教から、武士階級・一般庶民を対象とした信仰思想の変革が起こります。その中で 南無阿弥陀仏と念仏を唱え続ける(称名念仏)事で救われると説く浄土宗、更に踏み込んで 善人・悪人・男・女に係わらず 浄土へ成仏出来ると説く浄土真宗(一向宗)、踊りながら念仏を唱える融通念仏宗、時宗などを浄土派と呼びます。

 鎌倉時代には 政権が貴族階級から武士階級に移る事により、政治・経済・社会が劇的な構造変化をすると共に発展します。更に 末法思想・仏教の変革なども連動して 浄土教は飛躍的な発展を遂げました。

 浄土宗の開祖とされる法然上人は まず比叡山に学び、のちに叡山を下りて 東山吉水に居をかまえて 吉水教団を形成します。その教えは 観相念仏を否定し、称名念仏のみを認めました。南無阿弥陀仏と唱える事で 貴賤や男女を問わず 西方浄土へ往生できると説きました。

 浄土真宗の宗祖とされる親鸞上人も 比叡山に学び、後に修行では民衆を救済出来ないと修行仏教と訣別し 叡山を下りて 法然上人の吉水教団に弟子入りします。その後 念仏停止により 流罪に処せられ 僧籍を剥奪されます、そして 法然上人の助言により 生涯 非僧非俗の立場を貫きました。赦免後は関東を中心に20年間に渡る布教活動を通して 念仏の教えを深化させました。その教えは 阿弥陀仏の働きにより起こされた”真実信心”を賜る事を因として、いかなる者でも現生に浄土往生が約束される”正定聚”に住し必ず滅度に至らしめられると説く。尚 浄土真宗が成立するのは上人没後のことです。

 時宗の開祖とされる一遍大師は 大宰府に赴き 法然上人の孫弟子である 浄土宗の聖達に師事します、その後 諸国を遍歴し、紀伊の熊野本宮証誠殿で熊野権現から啓示を受けて悟りを開き 時宗を開宗したとされます。その教えは 阿弥陀仏の絶対性は 信 すらも不要で、念仏を唱える事のみで極楽往生できると説きました。晩年には踊念仏を始めました。

   今回は以上です。

法華系(鎌倉仏教法華系)

 今回は法華系(鎌倉仏教法華系)に付いて書かせて頂きました。

 鎌倉時代に入りますと 平安時代 仏教の主体は鎮護国家を標榜した 国家や貴族の為の儀式や研究に置かれていた形が 末期の動乱と それに伴う末法思想により変化し、民衆救済の為の仏教へと次第に変って行きました。その第一が日蓮上人により開かれた法華宗(日蓮法華宗、日蓮宗とも呼ばれます)です。

 この時代に入りますと 主として比叡山で学んだ僧侶によって 仏教の民衆化が図られ 新しい宗派が生まれて行きました。日蓮上人は難しい理論や厳しい修行ではなく、在家の信者が生活の合間に実践出来る様な易しい教えとして 南無妙法蓮華経 と唱える事で救われると説きました。日蓮上人は 法華経が釈迦の正しい教えを伝えていると考え、法華経に帰依します という意味の 南無妙法蓮華経 という御題目を唱えることを重視しました。

 上人は 鎌倉時代をすでに末法の世に入っているとみなし、法華経は 滅後末法の世に向けて説かれた経典と考え、在世の衆生に対してではなく、滅度後の衆生の救済を目的に法華経を説きました。そして 当時に起った 鎌倉幕府内の権力闘争、天変地異、モンゴル帝国からの攻撃等は 日本に於いて法華経をないがしろにした結果であると 幕府を批判し、釈迦を第一として尊ぼうとしない 禅や阿弥陀信仰は 衆生を救済から遠ざけてしまうと 他宗を批判しました。当然の事ながら 当初は幕府からの弾圧や 他宗からの迫害を受けましたが、日蓮宗の広がりと共に 収まって行きます。

 日蓮宗では 信仰に於ける重要な契機として 時(末法の世である現在) と国(日本)を掲げており、他の宗派には見られない 政治に対する積極的係わりが見られます。又 日蓮は 世の在りかたは 法を拠り所とすべきであって、人を拠り所にしてはならないと説きました。王仏冥合を理想とし、天皇を政治の主体とするも、仏法に背けば仏罰をこうむるとして、宗教上では天皇の権威を一切認めない仏法絶対の立場を示しました。

   今回は以上です。 

平安仏教派

 今回は平安仏教派に付いて書かせて頂きました。

 奈良時代後期には 仏法が盛んになると共に 寺院群は政治にも興味を示す様に成ります。彼らの影響力を憂慮した桓武天皇は その口出しを避ける為 京都(平安京)への遷都を決意し、実行します。そして旧仏教に対抗する為 最澄と空海を中国に派遣し密教を学ばせました。両大師は帰国後 最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を開いて 広く平安仏教派を広める事と成ります。

 平安時代中期は 釈迦入滅後二千年に当たり、正法の千年・像法の千年の後は 仏教が滅びる暗黒の世、即ち末法の世が始まると考えられました。末法の世では どんなに努力しても悟りを開く事は出来ず、国は衰え、人の心も荒んで、現世での幸福も期待出来ないと考えられました。人々はこの様な現世に期待せず、来世の幸せを願う 浄土信仰が流行します。阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に迎えられる事を願って来迎図などが多く描かれました。その究極が宇治の平等院 鳳凰堂です。極楽の阿弥陀仏の宮殿を模したとされて居ります。平安時代末期は社会不安が増大し 広大な所領を持つ大寺院は 防衛の為 僧兵を保持する様に成ります。そして この僧兵集団は 社会不安の一つ要素となって行きます。

 仏教は大きく分けて顕教と密教に分かれます。顕(あらわ)れる教え と秘密の教えです。真言宗の信仰する本仏は大日如来ですが、大日如来はマントラ(真言)という特別な言葉で説教をします。マントラは宇宙語ともゆうべき われわれには理解出来ない言葉という事で、秘密の教え、密教と称します。真言密教では 宇宙の万物は 地・水・火・風・空・識という六つの構成要素から成っており(六大といいます)、互いに転化してとどこおる事なく、この六大を大日仏の現れとし、あらゆる人間は本質的に大日仏と異ならない存在で平等であるとされて居ります。

尚 天台密教を台密、真言密教を東密と呼んで居ります。

   今回は以上です。

奈良仏教

 今回な奈良仏教系に付いて書かせて頂きました。

 仏教は 飛鳥時代に伝来し、聖徳太子の活動と伴に、国家鎮護の道具として定着しました。その後 奈良時代に入り、律令法の中に僧尼令が制定されて、僧職者は官僚組織の一員として組み入れられ、多くの官寺が建立されます。この時代に大勢を占めた宗派は”南都六宗” 或いは”奈良仏教系”と呼ばれました。三論宗、成実宗、法相宗、舎宗、律宗、華厳宗の六宗です。

 奈良時代の寺院の多くは 国家施設であり、南都六宗は仏教の宗派と言うよりは、学派と呼ばれる性格を持って居りました。これらの学派は 大陸から輸入された多くの経典や注釈書を基に 官僧による仏教の学問的・論理的研究を主として居りました。従いまして 理論が中心となり、宗教的実践を伴うまでには至りませんでした。

 聖武天皇の時代 藤原氏とその他豪族の間で政権争いが激化し、疫病が流行し、新羅との外交関係が悪化する等の事が重なり、天皇とその妃の光明皇后は仏教の加護に頼り、仏教を深く信仰する事となります。聖武天皇は 国ごとに 国分寺・国分尼寺をたて、総国分寺として 東大寺を建立し、東大寺に奈良大仏を造立します。そして 華厳経の教理を拠り所とした 平安な律令国家の実現を目指しました。この時代に 唐の揚州に生まれ、洛陽・長安で修行を積んだ 鑑真大和尚が招かれました。鑑真大和尚は東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けました。その後 唐招提寺を建立し そこに住んで生涯を終えました。

   今回は以上です。

日本の仏教

 今回は日本に於ける仏教に付いて書かせて頂きました。

 人が亡くなり そのお見送りは 信仰する宗教の下に儀礼を執り行いますが、日本に於けるお見送りの儀礼の多くは仏式が深く浸透して居り、葬送儀礼の95%は仏式により行われて居ります。

 日本の仏教は 発祥の地 インドから中国、朝鮮半島を経て伝来しました。公式な仏教の伝来は 538年(552年の説もあり)、百済の聖明王(聖王)から天皇家へ仏像と経典が送られた時に始まるとされます。但し それ以前にも 多くの渡来人により仏像や教典が民間ベースで入っていたと考えられます。最初に結成された宗派である 南都六宗(三論宗、成実宗、倶舎宗、法相宗、華厳宗、律宗)は 渡来僧や遣唐使によって伝えられたものであり、少し遅れて 最澄により天台宗が、空海により真言宗が唐より伝えられました。これらの8宗が 鎌倉時代初期まで日本の文化を支える事と成ります。

 そして 鎌倉時代には 定着した8宗の仏教文化を背景にして 日本人自身による独自の仏教が創唱されて行きました。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗です。又 同じ時代には 入宋した 栄西により臨済宗が 道元により曹洞宗が伝えられました。

 昭和時代初期の日本では 公認された仏教宗派は 13宗56派でした、そして 昭和14年に成立した 宗教団体法により、28宗派にまとめられる事となります。尚 13宗とは 法相宗、華厳宗、律宗、天台宗、真言宗、融通念仏宗、浄土宗、臨済宗、真宗、曹洞宗、日蓮宗、時宗、黄檗宗(成立時代順)です。

   今回は以上です。

神道その2

 今回は前回に続き神道その2に付いて書かせて頂きました。

 神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基ずいて、自然発生的に生まれた神観念です。中国に於ける神道とは性質の異なる別個の観念です。気象、地理地形、事物等の自然現象に始まる全て事象に神の存在を認め、中でも 1881年 明治天皇の決栽により 伊勢神宮に祀られた 天照大神が最高の神格を得て居ります。

 現在 日本に於いて 最初に神道の言葉が見られるのは 日本書記の中の 用明天皇紀にある ”天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ” でありますが、この様に外来の宗教である仏教と、日本古来の信仰である神道が共存しており、土着の民俗信仰である神道は 外来の宗派宗教と融合しやすい性格を持って居りました。

 神道に於ける基本は 自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間としての生活を営むに相応しい環境と状態を、自然の調和に配慮しながらバランスを取り調節して、生活を見回して、生活する為の知恵やヒント与えたり、少し手伝ってあげたり、何かやって貰ったときは少しお礼をしたり。それが 日本の神がやっていた仕事の一つです。日本人にとって神は身近な存在であり、日本の神は地域社会を守り 現世の人間に恩恵を与える穏やかな守護神であると共に、天変地変を引き起こし 病や死を招き寄せる 祟る 性格も持って居ります(荒魂・和魂)

 神道は 中央や地方の統治者・統治組織と融合しながら発展して参りましたが、徳川幕府の仏教を基にした民心管理に対して、明治維新は神道を基にして理論付けられており、”尊皇攘夷” は神道にもとずき考え出されました。

 現在の神道は 神社神道、民俗神道、教派神道、古神道、皇室神道などに分類されて居ります。

   今回は以上です。

神道その1

 今回は神道について書かせて頂きました。

 神道(しんとう、かんながらのみち)とは 日本固有の宗教で、山河などの自然や 自然現象を敬い その中に八百万(やおよろず)の神を見出す多神教の宗教です。自然と神は一体として認識され、神と人間を取り結ぶ作法が祭祀であり、祭祀を行う場所を神社と呼びます。神社は神道に於ける聖域とされます。

神道は 古代日本に起源をたどる事が出来る宗教で、日本民族古来の民俗信仰や自然信仰を基礎とし 自然発生的に生まれた信仰です。遅くとも弥生時代には初期の形が作られ、古墳時代には民族宗教としての形態が整えられたと考えられます。その後 豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら発展し、日本国家の形成に多くの影響を与え続けた宗教でもあります。

 神道には 教祖や創始者は居らず、仏教の経典やキリスト教の聖書に当る 明確な教典は有りません、古事記、日本書紀、古語拾遺、宣明などの古典を規範として、その教えは神社や行われる祭祀を通して伝えられます。森羅万象に神が宿ると考え、その神々と共に生き 祖霊を崇拝し 地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守る事を目的とした信仰です。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目として居ります。

宗教法人である神社本庁から文化庁に提出された資料によれば 支持者数 約一億600万人と申請されて居り、登録されている神社は約85,000社有ります。

 神道に於ける拝礼は 二拝二拍手一拝が基本的な作法です。

1 拝(直立姿勢から身体を90度折り曲げる礼)を二度行う。

2 拍手を二度打つ。

3 最後に再度 拝を一度行う。

尚 俗説として 女性は音を立てて拍手してはいけないというものが有りますが、これは正しくありません。拝礼に性別は関係有りません。

又 御身内に不幸があった場合は 不幸の日から50日間は神社参拝を控える必要が有ります。

   今回は以上です。 

日本の宗教法人

 今回は宗教法人について書かせて頂きました。

 宗教とは超自然的存在の神や仏の概念を創造し、その存在を崇拝、信仰する事を指します。そして 宗教法人とは 教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者の教化育成することを主たる目的とする団体で、都道府県知事 若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得した団体を指します。

 世界の主な宗教としては キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、そしてユダヤ教などがあります。日本に於ける主な宗教としては 神道、仏教、キリスト教、そして諸教が有ります。日本の宗教指導は 法人格を取得した宗教法人により行われて居り、教派・宗派・教団と呼ばれる包括法人(宗教団体)と、個々の神社・寺院・教会・布教所などの 単位宗教法人に分類されます。又 単位宗教法人は 包括法人(宗教団体)に属する 被包括法人と、いずれの宗教団体にも属さない 単立宗教法人から成ります。

 宗教法人の数は 平成23年12月末現在以下の通りです;

        包括宗教法人  被包括宗教法人 単位宗教法人   教師数        信者数

神道        130       83,047     2,040    77,434     100,770千人

仏教        168       74,740     2,660   332,911      84,708千人 

キリスト教      69        2,837     1,722    29,160       1,920千人 

諸教         30       14,335       422   131,580       9,490千人  

計         397       174,959     6,844   571,985     196,888千人

   今回は以上です。 

虚空蔵菩薩

 今回は虚空蔵菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十三仏信仰に於ける 三十三回忌の審理は法界王が司ります。法界王の本地は 虚空蔵菩薩となり、虚空蔵菩薩を仏菩薩と擬定して 法要を執り行います、この法要をもって弔い上げ(問切りとも言います)となり、故人様は ご先祖の中の仏の一人となります。

 虚空蔵菩薩は 梵名をアーカーシャ・ガルバと呼ばれ 仏教の信仰対象である菩薩の一尊です。アーカーシャ・ガルバは 虚空の母胎 を意味して居り、広大な宇宙の様に無限の智慧と慈悲を持つ菩薩と説かれて居ります。知恵、知識、そして記憶に利益をもたらす菩薩として信仰され、記憶力増進を祈念する修法(虚空蔵求聞持法)をもちます。その修法は 真言を百日間かけて 百万回唱えるというものです、これを修めた行者は あらゆる教典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるとされます。

 良く知られている伝説としては 空海は 室戸岬の洞窟 御厨人窟に籠り 虚空蔵求聞持法を修めたとされます。日蓮もまた12歳のおりに 仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行ったと言われます。又 京都の法輪寺では 13歳になった子供達が虚空蔵菩薩から知恵を授かりにお参りする十三詣りと呼ばれる行事も行われて居ります。

 虚空蔵菩薩の像容は 右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ形と 右手は掌を見せて下げる与願印の印相をし、左手に如意宝珠を持つ形があります。著名な作例と致しましては 東京国立博物館蔵の画像、奈良 大和郡山市の額安寺像、京都 広隆寺講堂像などが有ります。又 法隆寺の百済観音像は 宝冠が見つかる明治時代前半までは 墨蹟銘から 虚空蔵菩薩像と呼ばれて居りました。

更に 五大虚空蔵菩薩と言われる像も御座います。これは 虚空蔵菩薩のみ5体を群像として表したもので、虚空蔵菩薩の五つの知恵を5体の菩薩像で表わしたものとされて居ります。

   今回は以上です。

大日如来

 今回は大日如来に付いて書かせて頂きました。

 13仏信仰に於ける 13周忌の審理は祇園王が司り、故人様が道を迷わぬ様 導かれます。祇園王の本地は 大日如来で 無相の法身(姿・形の無い永遠・不滅の真理)と言われる如来の一尊で 全一者であり 万物を生成化育することで 自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物に上に光被して止まないとされます。

 大日如来は 梵名を マハー・ヴァイローチャナとよび、虚空にあまねく存在するという 真言密教の教主であり、万物の慈母でもあります。大光明遍照とも呼ばれます。大日経の教主であり、金剛界曼荼羅五智如来の中心です。真言宗においては 修行者自身と一体化を目指す 最も重要な仏陀であります。平安時代に浸透した 密教に於いて 最高仏と位置付けられて 大日信仰が成立しました。

 日本では古来より山岳信仰が数多く有りましたが、平安時代末期に 駿河の国の 僧侶 末代(富士上人とも呼ばれる)が富士山の頂きに登り、大日如来を富士の本尊とする信仰を創始したとされます。その後 富士の大日如来は 富士の神であった浅間大神の本地仏として 浅間大菩薩とする信仰に発展しました。

 大日如来の像形は 宝冠など 豪華な装身具を身に付けて、菩薩のような姿の坐像として表現されます。これは古代インドの王様を模したものと考えられます。一般に 如来は装身具などを身に付けない薄衣の姿で表現されますが、大日如来の場合は 宇宙その物の存在を装身具のごとく身にまとった仏として、王者の姿で表わされます。

 著名な作例と致しましては 岐阜 横蔵寺、京都 東寺講堂、奈良 円成寺 唐招提寺、和歌山 金剛峰寺などが御座います。

   今回は以上です。 

阿弥陀如来(あみだにょらい)

今回は阿弥陀如来(あみだにょらい)に付いて書かせて頂きました。 十王信仰に於ける三周忌の審理は五道転輪王が司り、判決に係わる最後の再審査を行います。五道転輪王の本地は阿弥陀如来です。 阿弥陀如来 阿弥陀如来は大乗仏教の如来の一尊で 無明の現世をあまねく照らす光の仏にして空間と時間の制約を受けず西方に極楽浄土と言われる仏国土を持ちます。尚、東方の浄土には薬師如来が居られます。 阿弥陀如来の梵名はアミターバ、又はアミターユスと言われます、アミターバは無限の光を持つ者、アミターユスは無限の寿命を持つ者を意味し、これを音写して阿弥陀となり、仏を加えて阿弥陀仏と成りました。又漢訳すると無量光仏、無量寿仏となります。 阿弥陀仏信仰の起源は必ずしも明確では有りませんが、浄土系教典や像の出現時期などから推測すると、北インドを中心としてクシャーナ朝前記の西暦1-2世紀の間に発達したと考えられます。佛説無量寿経によれば一切の衆生救済のため王位を捨てて世自在王仏のもとで法蔵菩薩と名乗り修行し、衆生救済の為の五刧思推し、浄土への往生の手立てを見出し、衆生救済のための”四十八願”を発願したのち、改めて誓いを立てて修行し、それが成就して仏となった報身仏と説かれて居ります。特に浄土諸宗に於いては、四十八願のうちの第十八願を重要視して居ります。 阿弥陀如来は鎌倉時代以降、浄土教の本尊として日本各地に広がります。造形化される際は装身具を着けない質素な服装の如来形で印を結ぶ姿が一般的です。真言宗では紅玻璃色阿弥陀如来と呼ばれる髪を高く結い上げて宝冠を戴き、体色が赤い如来像が、天台宗でも宝冠を戴き装身具を身に付けた如来像が御座います。

日本の如来像

日本に於ける作例と致しましては岩手県・中尊寺、京都府・平等院、仁和寺、三千院、浄瑠璃寺、奈良県・法隆寺、兵庫県・浄土寺、そして神奈川県・高徳院の鎌倉大仏などが御座います。いずれも国宝に指定されて居ります。 今回は以上です。

勢至菩薩

今回は勢至菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十仏信仰に於ける 一周忌の審理は 都市王が司り 100ヶ日と同じく判決の再審査を行います。都市王の本地は 勢至菩薩で 仏教に於ける 菩薩の一尊です。仏の智門を司り、衆生の菩提心を目覚めさせ、智慧の光を持って一切を照らし 衆生が地獄や餓鬼界に堕ちぬ様 救う菩薩です。大勢至菩薩、得大勢至菩薩とも呼ばれます。

 勢至菩薩は 梵名をマハースターマプラープタと呼ばれ 阿弥陀三尊に於きまして 観音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍を務め、観音菩薩が左脇、勢至菩薩は右脇をかためます。観無量寿経の中では 知恵を持って遍く一切を照らし、火途・血途・刀途の三途 迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせるので、大勢至と名ずく と有ります。

 浄土宗に於きましては 中世より 源空上人(法然)は勢至菩薩の化身とする説が有りました。法然は幼名を勢至丸と言い、智慧第一の法然坊 と言われ 生前から智慧の化身と考えられて居りました。そして 法然上人没後 その弟子の親鸞は 大勢至菩薩和讃を詠み 大勢至菩薩は源空上人の御本地である と述べて居ります。更に 親鸞の妻女である 敬信尼が霊夢を見、光ばかりの御仏 を見ると共に あれは勢至菩薩で法然のことだ と言う声が聞こえたと言う話が伝わって居ります。

 像容と致しましては 多くの像は 阿弥陀三尊の脇侍として作られて居り、観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのに対して、勢至菩薩は水瓶を付ける事が多く見られます。又 観音菩薩が蓮台を捧げ持つ場合は 勢至菩薩は合掌する姿が見られます。

 著名は勢至菩薩像と致しましては 長野の善光寺如来像、京都 智恩院 勢至堂の御本尊などが御座います。又 四国八十八箇所霊場十三仏では 53番札所の須賀山圓明寺で、京都十三仏霊場では9番札所の大内山仁和寺で朱印がもらえます。

   今回は以上です。

観音菩薩

 今回は観音菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける 100ヶ日の審理は平等王により司られ 七七日の泰山王により下された判決の再審査が行われます。平等王の本地は 観音菩薩は 仏教の菩薩の一尊であり 日本や中国に於いて 古代より広く信仰を集めている尊格です。観世音菩薩、観自在菩薩、救世菩薩などとも呼ばれて居ります。

 観音菩薩は 梵名を アヴァローキテ-シュヴァラといい 中央アジアで発見された古いサンスクリット語で書かれた法華経によれば アヴァローキテは観、シュヴァラは音と訳されて居り、現在では 観音菩薩は 観世音菩薩の略号であるという説一般的です。観音菩薩は 般若心経の冒頭に登場する菩薩であり、般若の智慧の象徴ともなって居ります。又 大慈大悲を本誓として 現世利益と結び付けられて 時代 地域を問わずに古くから 広く信仰されて居ります。観世音菩薩往生浄土本縁経 によれば 現世に於いては 早離(そうり)と呼ばれるバラモンの子で 速離(そくり)と呼ばれる兄弟が居り、早離と速離は騙されて無人島に捨てられ、餓死しますが、早離は 餓死する寸前に 生まれ変わったら自分たちの様に苦しんでいる人々を救いたい と誓願を立てた事により 観音菩薩になったと言われ、速離は のちに勢至菩薩に、兄弟の父 長邦(ちょうな)は未来に釈迦として生まれ変わったとされます。

 観音が世を救済する際には 衆生を救う為に 相手に応じて 33の姿に変身すると説かれます、これを観音の普門示現と言います。西国三十三所観音霊場、三十三間堂などの 33という数字はこれに由来します。又 普門示現の延長線上で 十一面観音、千手観音などの像も作られました。

 観音菩薩を祀る寺院は数多く有りますが、奈良 法隆寺、東大寺、唐招提寺、薬師寺 京都 三十三間堂、広隆寺、六波羅蜜寺、観音寺 そして 神奈川県内では 横浜 弘明寺、鎌倉 長谷寺などが著名です。

   今回は以上です。

薬師如来

 今回は薬師如来に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける 七七日(四十九日目)の審理は 泰山王が司り 善因、悪縁を審査して判決を確定させます。泰山王の本地は 薬師如来です。薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも言う)の教主で 瑠璃光をもって衆生の病苦を救うとされ、無明の病を治す法薬を与える 医薬の仏として 現世利益信仰を集める如来です。

 薬師如来は 梵名 バイシャジャ・グルは 大乗仏教に於ける如来の一尊で、薬師瑠璃光如来 或いは 大医王仏とも称します。薬師如来は 菩薩の時に12の大願を発し、この世門に於ける衆生の疾病を治して寿命を延ばし、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、仏行を行じては 無上菩堤の妙果を証にすると誓って 仏と成ったと説かれて居ります。真言宗(東密)では 顕教系の如来として あまり重視はされて居りません。しかしながら 永く皇室との結びつきの強かった 天台宗(台密)では 薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主である事から 東の国の帝である天皇と結び付けて語られる事と成ります。又 釈迦如来・大日如来と一体ともされて居ります。ほとんどの国分寺は薬師如来を本尊として居ります。

 像容は 立像、坐像ともに有り 右手を施無畏印(せむいいん)、左手は与願印とし 左手に薬壺を持つのが通例です。ただし 古代の像では薬壷を持たない形も多く御座います。又 単独像として祀られる場合と、日光菩薩 月光菩薩を脇侍とした 薬師三尊像として祀られる場合が御座います。薬師如来の光背には 七体または六体の小さな像容、もしくは 同じ大きさの 七体の像容が有ります。これは 七仏薬師と呼ばれ 薬師如来とその化身仏とされて居ります。

 著名な薬師如来像としては 奈良 薬師寺、唐招提寺金堂、法隆寺 京都 仁和寺、醍醐寺などが御座います。

   今回は以上です。 

弥勒菩薩

 今回は弥勒菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける 六七日(四十二日目)の審理は 変成王が司り、五官王の計りと 閻魔王の鏡を使い 生前の功徳を再審査します。変成王の本地は 弥勒菩薩であり 弥勒菩薩は仏陀の入滅後 次の仏陀になる事が約束された菩薩で 現在は 兜率天で修行をして居り、仏陀入滅後 56億7千万年の未来に 現世に現れ 多くの人々を救済するとされて居ります。

 弥勒菩薩は 梵名をマイトレ-ヤと言い 仏教の菩薩の一尊で 未来仏です、弥勒は音写で その語源は 慈しみ とされて居ります。弥勒菩薩の現世への下生は56億7千万年後とされる その算式は 弥勒の兜率天での寿命が4,000年であり、兜率天の一日は 現世の400年に匹敵するとの説から 下生までに 4,000×400×12×30=5億7600万年かかるとの計算に由来し、後世になり 5億7600万年が 56億7千万年に入れ替わったと考えられます。弥勒菩薩は 兜率天で修行の後 弥勒如来(あるいは 弥勒仏)として 現世へ下生するとされます。

 中国、朝鮮半島、日本に於いては 弥勒菩薩の兜率天に往生したいと願う 上生信仰が時として流行し、又 弥勒如来は 56億七千万年を待たずに 今 下生されるので それに備えなければならないと言う 下生信仰も有ります。下生信仰は 現世改革のための終末論、救世主待望論など利用され、反体制派の集団に利用される例も多く有ります。日本でも戦国時代に 弥勒仏がこの世に現れるという信仰が流行し、江戸時代の百姓一揆や世直し一揆の思想的な主柱とも成りました。

 弥勒菩薩の像容は 椅坐して左足を下ろし、右足を上げて 左膝の上に置き、右手で頬杖をついて、瞑想する姿が一般的です。著名な例としては 大阪 野中寺、京都 広隆寺 醍醐寺、奈良 東大寺等が御座います。

七福神の一人である布袋は 中国では 弥勒の化身とされ 弥勒如来として 仏堂の正面に祀られて居ります。

    今回は以上です。 

地蔵菩薩

今回は地蔵菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける 五七日(三十五日目)の審理は閻魔王が司り、水晶の鏡で生前の業績をつぶさに映し出し その業績により栽を申し渡します。閻魔王の本地は地蔵菩薩です。大地が全ての生を育む力を蔵する様に、苦悩になやむ人々を その大慈悲の心で包み込み 救済する所から地蔵菩薩と名ずけられたとされます。一般的に親しみを込めて お地蔵さん、お地蔵様とも呼ばれます。

 地蔵菩薩は 仏教の信仰対象である 菩薩の一尊で、サンスクリット語でクシティ・ガルバと呼ばれます。クシティは 大地、ガルバは胎内を意味し、それを意訳して地蔵としれたとされます。菩薩の居所は 通常 空居天ですが、地蔵菩薩は地居天に居り 釈迦仏に属して 毎朝禅定に入り、釈迦の入滅後 56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうので、その間 六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされます。中国に於いては 地蔵王菩薩とよばれ その聖地は 安徽省の九華山で、文珠菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の晋陀山と共に 中国四大仏教名山(聖地)の一つとされて居ります。

 日本に於きましては 浄土信仰の普及と共に 極楽浄土に成仏が叶わない衆生は 地獄に堕ちるという信仰が強まり、地獄に於ける責め苦からの救済を地蔵菩薩に求めるなりました。賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵菩薩が守るという 民間信仰も有ります。又 六地蔵と呼ばれる 仏教の六道輪廻の思想にもとずき、六道のそれぞれを六種の地蔵が守るとの考えから 地蔵菩薩を六体ならべ祀る像も各地にあり、特に 奥州平泉の中尊寺金色堂は著名です。そして 地蔵信仰は道祖神信仰とも結びついて 町外れや辻に 町の結界の守護神 としても建てられました。

 像容は 一般的には剃髪した僧侶の姿で 袈裟を身にまとい、左手に如意宝珠 右手に錫杖を持つ姿、或いは 左手に如意宝珠 右手は与願印の印相をとる像が多く見られます。著名な地蔵菩薩としては 奈良 法隆寺、神奈川県内では 鎌倉 建長寺の本尊、同じく鎌倉 宝戒寺の像等が御座います。更に 横浜中華街には 地蔵王廟(中華義荘)も建立されて居ります。

   今回は以上です。

普賢菩薩

 今回は普賢菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける 四七日(二十八日目)の審理は 五官王が司り、秤を用いて罪の重さを計ります。五官王の本地は 普賢菩薩であり 大乗仏教に於ける 菩薩の一尊です。

 普賢菩薩は梵名をサマンタ・バドラと呼ばれ その意味する所は ”普く賢い者”であり、普賢菩薩は世界のどこへでも現れ 仏の慈悲と理知をあらわして人々を救う賢者であるとされて居ります。法華経の中に登場し、法華経では女人成仏を説く事から、女性の信者の信仰を多く集めました。又 密教では 菩提心(真理を究めて悟りを求める心)の象徴とされ、同様の性格を持つ金剛薩すい(土返に垂)と同一視され、金剛手菩薩とも呼ばれます。中国・四川省の峨眉山が普賢菩薩の霊場とされて居り、文珠菩薩と共に釈迦如来の脇侍を務めるのが一般的です。

 普賢菩薩の像形としては 六牙の白像の背に蓮華座を乗せ、蓮華座で結跏趺坐して合掌する姿が一般的です。密教では 左手で宝剣を立てた蓮茎を持つ姿や、金剛薩すいと同じ 左手に五鈷鈴 右手に五鈷枡を持つ姿、あるいは 如意・蓮華・教典などを持つ作例も御座います。又 普賢延命菩薩と呼ばれる尊格を持ち、二十二手を持つ尊としての作例も多く御座います。

 著名な作例としては 東京 ホテルオークラ正面前の大倉集古館に収蔵されて居ります木像、絵画として 東京国立博物館の普賢菩薩騎象 像、奈良国立博物館の本、鳥取県 豊乗寺(ぶじょうじ)の本などが御座います。

  今回は以上です。 

文殊菩薩

 今回は文殊菩薩に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける 三七日(二十一目)の審理は宋帝王が司り、邪淫の業について審理します。宋帝王の本地は文殊菩薩で 知慧を司る仏とされて居ります。梵名はマンジュシェリー 正式には 文殊師利菩薩と言われ、妙吉祥菩薩とも言われます。

 文殊菩薩は 舎衛国のバラモンの家に生まれたとされます。文珠菩薩が智慧の菩薩とされる逸話は 維摩居士という学者が居り 維摩居士と問答をしてかなう者が居りませんでしたが、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等の問答を交わす事が出来たとの記載によります。文殊菩薩が実在したと言う事実は有りませんが、観音菩薩とは異なり、モデルとなる人物が存在したと考えられて居り、仏教教団の内部で生まれた菩薩と考えられて居ります。又 法華経では 過去世に日月燈明仏が涅槃の後に その弟子であった妙光菩薩の再誕が文殊菩薩であると説いて居ります。

 文殊菩薩は 三世の仏母 と唱えられ、華厳経では 善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役割で書かれています。文殊菩薩の徳性は 悟りに到る重要な要素 般若 即ち 智慧です。悟りに到る為には智慧が必要とされますが、智慧は 一般的な知恵(豊富な知識と頭の良さ)の象徴であります。 ”三人寄れば文殊の智恵” ということわざは これから生まれました。

 文殊菩薩像は ほぼ一定しており、獅子の背の蓮華座に結跏趺座して、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)を持ち、左手に教典を乗せた青蓮華を持ちます。

密教では 清浄な精神を表す童子姿となり 髪を結います。髪の数は像により 一、五、六、八の四種類があります。一は増益、五は敬愛、六は調伏、八は息災の本尊とされて居ります。

又 禅宗においては 修行僧の完全な姿を現す 聖僧として 剃髪して座禅を組む僧形となります。

日本に於ける有名な作例と致しましては 奈良の 興福寺東金堂の坐像、安部文殊院の五尊像 高知の 竹林寺の五尊像などが御座います。

   今回は以上です。

釈迦如来

 今回は釈迦如来に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰に於ける初七日の審理は 泰広王(本地 不動明王)が書類審査により司りましたが、二七日(十四日目)の審理は 初江王(本地 釈迦如来)により 三途の川のほとり で司られます。釈迦如来は 仏教の開祖である釈迦を 仏、或いは仏陀として敬う呼び方です。又 釈迦牟尼仏とも呼ばれます。

 小乗仏教(上座部仏教)では 釈迦如来(釈迦牟尼仏)は 現世に於ける唯一の仏とされて居ります。そして 最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(あらかん)と呼ばれ、仏である釈迦の説法によって解脱した聖者と位置付けられています。

 大乗仏教では 釈迦如来は 十方(東西南北と その中間である四隅を足した八方と 上下を加えて 十方)と 三世(過去、未来、現在)の中に位置する諸仏の一仏であり、現在の娑婆(堪忍世界)の仏であるとされます。又 三身説では 仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされます。

 大乗仏教の中の 特定宗派では 釈迦牟尼仏は 古代インドで活躍し、肉体を持った ゴータマ・シッダルタ(釈迦)を指すのではなく、インドで生誕する前の悠久の昔から存在し、入寂の後も 遙か未来まで存在して行くという 信仰上の 釈迦牟尼世尊である と説きます。

 釈迦如来は インドを始めとして 仏教が布教された各地で 造像されて居りますが、日本では 誕生像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像などが御座いますが、釈迦が法を説く姿である 説法像が一般的です。著名な作例としては 奈良の法隆寺金堂、室生寺金堂 京都の清凉寺、蟹満寺、大報恩寺などの釈迦如来像が御座います。

   今回は以上です。  

不動明王

 今回は十王信仰に於いて最初の審理を行う不動明王に付いて書かせて頂きました。

 不動明王とは 初七日の審理を行う泰広王の本地であり、梵名をアチャラ・ナータと呼び 真言宗をはじめとして、天台宗、禅宗、日蓮宗などで 幅広く信仰されて居ります。アチャラは ”動かない”、ナータは ”守護者” を意味して ”揺るぎ無き守護者”を意味して居ります。

 不動明王は 密教の本尊である大日如来の化身、又は 大日如来の決意の一つを表したものと考えられて居ります。日本へは 空海(弘法大師)が密教を唐より伝えた際に不動明王の図像を持ち返ったとされて居ります。真言宗では 大日如来の脇待として、天台宗では在家の本尊として置かれて居ります。大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊、あるいは お不動さんなどと呼ばれ 親しまれて居ります。

 不動明王の起源は ヒンドゥ-教の最高神シヴァ神にあるという説が有力であり、アチャラ・ナータはヒンドゥ-教でシヴァ神の別名とされて居ります。密教がヒンドゥ-教を取り込む為に シヴァ神を不動明王として 大日如来の眷属に取り込んだと考えられます。

 密教では三輪身といって ほとけは 自性輪身、正法輪身、教令輪身と言う三っの姿で現れるとされます。自性輪身(如来)は 宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、正法輪身(菩薩)は 宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指します。これに対し 教令輪身は 仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し、教え、諭し、 仏法に敵対する事を力ずくで抑え、外道に進もうとする者を内道に戻す等 極めて積極的な介入を行う姿を指します。不動明王は大日如来の教令輪身とされ、煩悩を抱える最っとも救い難い衆生をも 力ずくで救う為に 憤怒の姿をして居ります。 

 不動明王の像としては 京都 東寺御影堂の木造不動明王坐像や 和歌山 金剛峯寺の木造不動明王立像が有名です。又 関東三大不動として 東京 高幡山金剛寺、千葉 成田山新勝寺、神奈川 雨降山大山寺が賑って居ります。

   今回は以上です。

返礼品

 今回は返礼品に付いて書かせて頂きました。

 返礼品とは 葬儀(葬送儀礼)に於いて お手伝い頂いた方々や会葬の方々に振舞う品物の事を指します。これは 他者に布施をする事により仏に徳を積み、これを故人様に振り向ける為の供養の品で、供養品とも呼ばれます。返礼品には 通夜返礼品、会葬返礼品、香典返し、法要返礼品などが御座います。

 通夜や葬儀の際に 弔問客や会葬者に 食事や酒を振舞ったり、お菓子などを出したりするのは 故人様の滅罪を願って行われるお布施の一つです。又 葬列が出発する際に 目の粗い竹籠にお菓子や小銭の包みを入れて 振り回しながら 見送りの方々に振り撒く習慣が最近まで御座いましたが、これもお布施の一つでした。このお布施には 仏教葬儀特有の 故人様の供養と言う意味と、会葬頂いた方々への感謝の品という意味合いが込められて居ります。

 通夜返礼品は 通夜に弔問に訪れた方への返礼品です。しかしながら 近年では通夜の弔問客が増える傾向に有ります、又 葬儀・告別式には出られないので通夜に来られると言う方も多くなりました。返礼品の目的も 通夜振る舞いに出られな方へ、或いは通夜振る舞いは行わずに返礼品のみお渡しする形なども増えて参りました。そして 通夜返礼品と会葬返礼品は同じ品物をお渡しするのが一般的と成りました。

 会葬返礼品は 葬儀・告別式に会葬された方への返礼品です。本来は会葬に来られた全ての方へお渡しする品物で、ハンカチやはがきのセットなど 5百円前後の品物を粗供養品として用意致しました。近年 都市部を中心として 儀礼を簡素化する目的で 香典を供えて頂いた方へはその場で香典返しをお渡しする ”即返し” の習慣が増えて参りました。特に横浜では この即返しが一般的となつて居ります。

 香典返しは 香典をお供え頂いた方々へ 四十九日法要後の忌明けにお礼の書状を添付してお届けする品物です。品物は半返し(香典の半額)や 三分返し(香典の三分の一)の習慣に従い用意します。前記致しました 即返しの場合は 通夜・葬儀・告別式の席に三千円前後の品物を用意してお返しいたします。但し 高額の香典をお供え頂いた方には 別途 忌明けにお返しを用意します。そして 香典返しを行わない場合も御座います、お供え頂いた香典を 社会福祉の為に寄付したり、遺児の養育費に充てたりする場合です、この様なケースでは 故人様の忌明けにお礼状を出状して お礼と共に お供え頂いた香典の用途をご報告致します。

 法要返礼品は 四十九日、百ヶ日、一周忌、三周忌などの法要に参列頂いた方への引き物です。

   今回は以上です。

死亡広告

 今回は死亡広告に付いて書かせて頂きました。

 死亡広告とは ご遺族様のご希望に従い 故人様のご逝去を広く告知する為に、新聞等のメディアに依頼する有償の広告です。通常は黒枠で囲みますので 黒枠広告、あるいは お悔み欄 などとも呼ばれて居ります。その内容は 故人様の氏名、肩書、ご逝去の日時、葬儀・告別式の日時・場所を告知するのが 主たる目的です。記載する内容の標準的 形式は有りますが、決まったものでは有りません。又 最近の 無宗教葬などでは 黒枠は用いず、表現の仕方も自由な文章で広告するケースが増えて居ります。尚 日本に於いて最初に死亡広告が掲載されたのは 1873年(明治6年)1月14日発行の 日新真事誌における 外務少輔 上野景範 ご尊父の死亡広告とされて居ります。

 死亡広告は 全国紙、地方紙、ブロック紙等のなかから 故人様のお立場に合わせてお選び頂き広告します。広告の原稿は下記の様な点に注意して作成します。

1 葬儀式と告別式を分離して行う場合は 其々の時間を明記します。これは 葬儀式の時間だけの表示では 一般会葬者の方々が葬儀式の間 待機しなければならない事を避ける為です。

2 供花、供物、香典の扱いに付いて明記します。特に記載しない場合は 受け取る 事を意味します。

3 一般的に死亡広告の文章には句読点を用いません。

4 故人様の氏名の後に 〇〇〇〇儀として 儀の文字を付けますが、これは 手紙に於ける 私儀と同様の意味を持ちます。故人様の事柄は身内の事ゆえ 氏名の後ろに 殿や様をつけるわけには行きませんが、故人様を尊ぶ心理から儀の文字を付けたと考えられます。

   今回は以上です。 

十王信仰

 今回は十王信仰に付いて書かせて頂きました。

 十王信仰とは 人間などの衆生は 特別な善人かよほどの悪人で無い限りは、没後に中陰と呼ばれる存在となり、初七日から七七日までのまでの7回と 百ヶ日、一周忌、三回忌の3回、合わせて十回、それぞれ決められた王の裁きを受けて、六道の何れかに輪廻するが、遺族の追善供養により地獄に堕ちる事を免れる とされる信仰です。日本では 恵心僧都源信により記された”往生要集”により紹介され、11世紀以降に全国に広まりました。一般には 閻魔に対する信仰と理解されて居りますが、正確には 閻魔の他 九王を加えた信仰です。

 十王信仰は 10世紀 中国に於いて、インドから伝来した仏教に道教の思想が加味されて作り上げられたと言われます。

 初七日には 秦広王(しんこうおう、本地;不動明王)(本地とはおおもとの仏を意味します)の審判を受け、判定の定まらない者は三途の川を渡ります。二七日には初江王(しょこうおう、本地;釈迦如来)の審判を受け、三七日には 宋帝王(そうていおう、本地;文珠菩薩)、四七日には 五官王(ごかんおう、本地;普賢菩薩)、五七日には 閻魔王(えんまおう、本地;地蔵菩薩)、六七日には 変成王(へんじょうおう、本地;弥勒菩薩)、七七日(四十九日)には 泰山王(たいざんおう、本地;薬師如来)の審判を受けます。この王の下で 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の 六道のいずれかが決定されますので、四十九日の追善供養は特に懇ろに行う必要がある と説かれます。ここでも判定が定まらない場合は 百ヶ日に平等王(びょうどうおう、本地;観世音菩薩)、ここでも定まらない場合は 一周忌に 都市王(としおう、本地;勢至菩薩)、そして 三回忌に 五道転輪王(ごどうてんりんおう、本地;阿弥陀如来)の判定を受けますが、これまでに十分な追善供養がされていれば ここで成仏できるとされます。

   今回は以上です。 

精進落とし

 今回は精進落としに付いて書かせて頂きました。

 精進落としとは 仏教に於ける葬送儀礼の一行事で、七×七(四十九日)の間はお食事は精進料理で過しますが、忌明けと共に 食事を精進料理から 通常の肉や魚を含む料理に戻します。これを精進落とし、お斎、精進明け、精進上げ、忌中払い 等と言います。

 現在では 葬儀・告別式やご火葬後に設ける宴席を 精進落としと呼ぶ様になって居ります。或いは 火葬場から戻った後に行う 初七日の法要の際に行う宴席も精進落としと呼ばれます。但し 浄土真宗では 精進落としとは言いません。又 関東では 通夜振る舞いや 精進落としを お清めと呼んで居ります。

 古くは 葬列を組む前に 故人様との食い別れの宴席を設けた事、葬儀後には お手伝い頂いた方々へ お礼の振る舞いをした事、この二つが合わさって現在の精進落としになったと考えられます。又 遠方より参加された方々を長く引き留めなくても良い様に ご火葬後に初七日法要と精進落としを繰り上げて行う様に成りました。地域によりましては 四十九日の法要や 百カ日の法要までも繰り上げて行う事が有ります。繰り上げられた法要を 取り越し法要とも言います。

横浜や川崎の市営斎場では 利用時間の関係から ご火葬中の一時間から一時間半の間に 精進落としを行って居ります。この宴席の意味は大きく分けて二つあります。

 1 僧侶などの宗教者とお手伝い頂いた方々への感謝を表す場。

 2 故人様を偲んで食事をし、話をし、交わる場。

    今回は以上です。

葬儀の習俗

 今回は葬儀の習俗に付いて書かせて頂きました。

 葬儀とは 仏教に於ける葬祭儀礼の略語ですが 日本に於ける葬祭儀礼は 仏教の儀礼と夫々の地域で育まれた習俗とが融合して出来上がってまいりました。

 ご自宅からご出棺する場合、古くからの習俗として 玄関からご出棺しては成らず、窓や縁側から戸外にお移しし、正門ではなく 裏門 又は仮門からご出棺すると言う事が有ります。特定の地域では お柩は安置した部屋の壁を開けてご出棺すると言う場合も御座います。その理由は 死霊に対する恐怖心から 死霊が家に戻る事の無い様にとの気持ちを表す為、或いは 死は非日常の事柄であり 従い 日常とは逆の事をしなければならず 通常の出入り口である玄関は使用してはいけない などの説明が有ります。

 ご出棺の前に 故人様が生前 使用されていた茶碗を割ると言う事も有ります。これも 死霊に対する恐怖心から 死霊が戻らぬ様に、故人様の霊が迷わず成仏出来る様に、あの世はこの世とは逆なので 故人様があの世で使える様に 等の説明が御座います。

 出立ちの善、立ちめし、別れのお神酒等は ご出棺の前に 故人様と最後の飲食を共にする事で 故人様との最後の交わりを行い お別れするものと考えられます。飲食は人間の交わりを象徴しているとも言われます。

又 飲食は死者の魂を鎮め、死の穢れに対抗して 払う力が有ると信じられて居りました。精進落とし、忌中払い、お斎などは これに当ります。尚 精進料理と言われ 動物や魚などの生き物を殺して食してはいけないとされていますが、お釈迦さまは むやみに生き物を殺してはいけない と諭されましたが、食してはいけないとは言われて居らず、親鸞上人は妻帯をし魚食、肉食をしていたと言われて居ります。

    今回は以上です。

遺体葬と骨葬

今回は遺体葬と骨葬について書かせて頂きました。

 遺体葬とは ご葬儀・告別式を執り行う際に ご遺体を中心にお見送りをする形であり、骨葬は ご火葬を終えたご遺骨を中心にお見送りを行う形で有ります。遺体葬の流れは お通夜-葬儀・告別式-出棺-ご火葬-埋葬となり、骨葬は お通夜-ご火葬-葬儀・告別式-埋葬の流れと成ります。

 日本に於ける葬儀では 古くは土葬が中心であり、通夜-葬儀・告別式-出棺-埋葬をもって 葬儀・告別式の終了として居りました。しかしながら 火葬設備の充実とともに 火葬率が高まり 埋葬の替りにご火葬-納骨と 変化して参りました。東京方式とも呼ばれて居ります。これに対し 関東北部以北の北海道 東北地方、甲信越地方 中国地方 九州地方の一部では ご葬儀・告別式に先立って ご火葬が行われて居ります。又 骨葬地域では 本通夜の前に ご火葬を行う習慣もお見受けしますが、一般的には お通夜を執り行い、翌日の午前中に 出棺をしてご火葬に付し、午後に葬儀・告別式を執り行い、その後 菩提寺 或いは墓地に行って納骨を致します。

 横浜市営斎場をご利用される場合には 遺体葬が基本となり お通夜は18;00、もしくは19;00から執りを行い 翌日10;00 もしくは11;00より葬儀・告別式、そしてご火葬となります。尚 横浜市営の斎場では一日葬のご利用は認めて居りません。

 全国的には 骨葬の地域に於いても 東京方式に変わりつつありますが、その反面 東京でも 骨葬が見直されつつ有り、故人様のご逝去直後はご家族だけで密葬してご火葬を済ませ、後日 改めて ご遺骨で 本葬・葬儀・告別式 或いはお別れ会を執り行うという方式です。

   今回は以上です。 

遺体の保全

 今回はご遺体の保全に付いて書かせて頂きました。

 ご遺体の保全に付きましては 短期的にはドライアイス、或いは冷蔵保管庫にによる保全方法と エンバーミングと呼ばれる 化学的・外科学的な処理をご遺体に行って 長期間 保全する方法とが有ります。日本に於きましては 仏教を前提としたご火葬が主流であり、火葬率は99%を超えて居りますので、ご遺体の保全も ご葬儀・ご火葬を待つまでの間が主目的となって居ります。

 現在 多くの方々が亡くなられる場所は病院となって居ります。病院では 患者様が亡くなられると ご遺体 移送の前に エンジェルケアーとと呼ばれる処置をご遺体に施してくれます。その内容は以下の通りです;

 1 湯又は水をしぼった布 又は消毒用アルコール あるいは防腐性薬品等でご遺体を拭き清めます。

 2 目や口を閉じます。 

 3 鼻、耳、口、肛門に脱脂綿を詰めて体液の漏出を防ぎます。

 4 傷口が有る場合はテープで留め、包帯で縛ります。

 5 頬がこけている場合は脱脂綿を口に含ませて 補正します。

 6 髭剃り、爪切り、髪を整え、化粧を施して 衣服を着せます。

この状態でご遺体は ご遺族に戻り ご自宅に移送して安置し ご葬儀・ご火葬までの間 ドライアイスにより ご遺体の腐敗進行を遅らせる事と成ります。この期間は季節にもよりますが一週間から10日程度が限度です。

 更に長期間 ご遺体を保全したい場合には エンバーミングと呼ばれる処置方法が有ります。エンバーミングの歴史は 古代におけるミイラにまで遡りますが、急速な発展を遂げたのは 1860年代アメリカの南北戦争だと言われています。当時 兵士のご遺体を故郷に戻すには長い時間が必要とされ、遺体の保存技術が必要とされました。又 同じ理由により ベトナム戦争の際に 一層の技術発展が促進されました。エンバーミングの具体的処理は以下の通りです;

 1 全身の消毒処理、及び洗浄を行う。

 2 遺体の顔、頭髪、手先、足先を整える。

 3 遺体の頸部等の動脈より 体内に防腐剤を注入、同時に静脈より血液を排出する。

 4 腹部に鋼管を刺し 胸腔・復腔部の体液や、消化器内の残存物を吸引・除去し、防腐剤を注入します。

 5 事故等で損傷した部分は修復を施し、切開した部分を縫合してテープ等を貼ります。

 6 最後に 再度 全身を洗浄して 頭髪、表情を整え、衣服を着せて終了となります。

以上の徹底した処理を行い、定期的に防腐剤の交換などを行えば 生前の姿のままで永久保存が可能と成ります。

ソ連のレーニン、スターリン ベトナムのホー・チ・ミン 中国の毛沢東 台湾の蒋介石 北朝鮮の金日成、金正日 その他の社会主義国 指導者の遺体はエンバーミング処理を施されて永久保存されて居ります。

   今回は以上です。

枕経

 今回は枕経に付いて書かせて頂きました。

 枕経とは 仏教の臨終行儀のひとつで、亡くなり逝く方を仏弟子にして 心穏やかに往生して頂く為に、臨終間際の方の枕元で上げるお経のことです。現代では病院でご逝去される事がほとんどのケースで、病院内でお経を上げる事が難しい事から ご自宅にご遺体を安置した後に読経して頂くのが一般的となって居ります。ご遺体をご自宅に安置するのが困難な場合は 通夜式の中に含めて執り行われる場合も御座います。神道ではご臨終の後に帰幽報告の儀、神棚封じ、枕直しの儀を行います。そして キリスト教の場合は 危篤、臨終のときから神父、あるいは牧師が立会うことが原則となって居ります。

 枕経の起源は 平安時代中期に浄土教の僧侶が 死の間際にある本人と共に誦経(ずきょう)・念仏した臨終行儀にあると言われます。枕経はご臨終の方が居られるお部屋を清らかにし、臨終の方のお心が乱れぬ様物音などにも気を配り、来迎仏などの掛け軸か屏風を枕元に飾って行います。僧侶により 剃刀で頭髪を剃り、仏 法 僧に帰依させて頂きます。共に その証として戒名を授与して頂きます。看取る人 全員で念仏を唱え、ご臨終間際の方に 念仏を唱える力が出る様 祈念します。そして 臨終の瞬間が来そうな時には清らかな水を用意して、綿 又は筆で本人の唇を潤してあげます。これが末期の水です。死に水とも言われ お釈迦様が最期に水を求めた との言い伝えに依ります。末期の水は 本人に蘇って欲しいという願いと 死後 喉の渇きに苦しまぬ様との願いを込めて注されます。

 神道では 枕経はありませんが、末期の水は仏式と同様に行います。その後に 帰幽報告の儀、神棚封じ 枕直しの儀 を執り行います。

帰幽報告の儀は 神棚に向かって ”〇〇が帰幽致しました”と 家族の死を報告する儀式です。その後に 神棚の扉を閉め白い半紙を張り付けて封じます。これは 死と言うけがれが神棚の中に紛れ込まない様にする為です。そして ご遺体の枕元に枕飾りを設けて 灯明を灯し ご遺族・ご親族が礼拝します。この時の礼拝は二礼拝二拍手二礼拝を”忍び手”で行います。この礼拝を”枕直しの儀”といい 仏式の枕経にあたるものです。

   今回は以上です。

死の環境

 今回は現代の死の環境について書かせて頂きました。

 現代に於ける死の環境は 亡くなられる場所ですが 従来はご自宅が一般的でした。しかしながら最近は病院で亡くなるケースが一般的となりました。又 高齢者の方の死亡率が年々増加して居ります。

 昭和25年頃の死亡場所は 80%以上がご自宅であり、病院でのご臨終は20%以下で有りましたが、平成4年の厚生省統計によれば 病院;73.3%、自宅;20.1%、診療所;3.3%、その他;3.3%と成って居ります。又 70才以上の高齢者の方の在宅死亡率は地域格差が有り、高い所は 山形県、新潟県、長野県、和歌山県などで、40%を超えて居り、低い所は 北海道;10.8%、東京都;13.9%、大阪府;17.4%などの都市部と成って居ります。概して 人口が集中する都市部では 高齢者の方の在宅死亡率が低い 現状ですが、最期は自宅で の希望も高まりつつあり、この様なご希望に応えるべく 訪問医療を主とする法人も徐々に増えつつ有ります。

 死亡者数の推移としては 昭和25年(1950)で 総人口8,320万人、出生児;234万人、死亡者;90万人でしたが 平成22年(2010)では 総人口;12,805万人、出生児;140万人、死亡者;139万人となり 平成24年からは死亡者数が出生児数を上回る様に成りました。今後も死亡者数は 2035年頃までは増加を続け 2035年の予想死亡者数は180万人と想定されます。

 少子高齢化の進捗と共に 当然の事ながら死亡者の中に於ける高齢者の比率は高まり続け、死は 何時 誰に起こるかわからない と言う従来の無常観に変わって、死は高齢者のものという観念が強くなって参りました。

   今回は以上です。

死亡診断書

 今回は死亡診断書に付いて書かせて頂きました。

 死亡診断書は 死亡事由などに付いての検案について記した診断書の一つであり、死亡を証明する効力を持ちます。その発行は 診断をした医師、もしくは歯科医師のみが出来ます。記載用紙は 左が死亡届、右が死亡診断書の、組になったA3用紙です。

 戸籍法では 人が亡くなった場合 故人様のご親族 又は関係者は 死亡届をご逝去後、7日以内に死亡診断書 又は死体検案書を添付して届け出なければ成りません。

 通常の病死、あるいは老衰などの自然死の場合は、その診断、治療に当っていた医師が死亡診断書を発行します。突然死や 長く医師に罹っていないで死亡した場合は 病死、或いは自然死であっても 医師は死亡診断書を発行する事が出来ません。この様な場合と 病死あるいは自然死以外の異状死体、又は犯罪の疑いのある死体の場合も警察の検視を経て、監察医又は警察の嘱託医による検案を受けて 死体検案書が発行されます。死体検案書も死亡診断書と同等の効力を持ちます。神奈川県警察本部の場合 検案には状況に応じて2万ー7万5千円の費用が発生します。又 検案所までの往復のご遺体移送費用もご遺族のご負担となります。

 警察による検視、監察医による検案が必要なケースは;

 1 病死、あるいは自然死であっても 生前に診察・治療の担当医師がいない場合。

 2 病死、あるいは自然死であるか不明の場合。

 3 伝染病死、中毒死などの場合。

 4 溺死、事故死、災害死、自殺などの 非犯罪死の場合。

 死体解剖保存法では

  政令で定める地を管轄する都道府県知事は、その地域内に於ける伝染病、中毒又は災害により死亡した疑いのある死体 その他死因の明らかでない死体に付いて、その死因を明らかにするため監察医を置き、これを検案させ、又は検案によっても死因の判明しない場合には解剖させる事が出来る。

とあり、東京23区、大阪市、横浜市、名古屋市、神戸市には監察医が置かれ、その他の地区では 嘱託医が置かれております。現在の横浜市では検案所は2ヶ所御座います。

   今回は以上です。

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